ひとつの恋 ☆ 3
はじめての夏
空も地も青々と染まる午後
新緑が眩しく揺れるのはそよ風のせい。
私は相変わらず陸上部の練習を遠くから眺めているのが好きだった。
あなたのことしょっちゅう校舎から見てたから
他の部員達に気付かれる。
例え周りに冷やかされてもあなたは特に何ひとつ変わることなく、黙々と練習を続けている。
陸上部員の女子と喋っている姿を見た時には
いちいちショックを受けた。
落ち込んだり悩んだりしながら溜め息混じりに帰路に着き、なかなか眠れない日もあった。
この恋の可能性の有無はどちらとも言えず
あなたの心は全く読めずに不安で一杯になっていた。
★
もうすぐ夏休みを控えみんな何処と無く浮き足立っていた。
一学期を終えるこの頃、鳴海くんとは緊張しながらも話せるようになっていた。
あなたは、私の気持ちを判っているはずなのに
そのキモチに応えることなく拒絶することもなくただ無責任に無知を装っていた。
私の想いは片思いのまま。
それを忌々しく思う私と、はっきりとしないこの関係が心地よいと思う自分がいた。
『 友達以上、恋人未満 』
都合がいいけれど
この関係は恋の中で一番のエネルギー源となり
原動力となると思う。
まだまだ私達の間には、変わらず距離があったけれど
あなたが私に向けた笑顔や言葉が少しずつ増えたように感じていた。
小さな"嬉しい"を日々見つけられるようになり
その度にこころが温かくなるのが嬉しかった。
そんな毎日もしばらく途切れてしまう。
夏休みになると当たり前のように毎日、鳴海君に会えなくなる。
こんなに夏休みが子憎たらしく思ったことは一度もなかった、いっそ夏休みなんて来なければいい。
七月の晴れ渡った空、雲もなく このままこの教室だけ時間が止まればいい。
そうしていつまでも、同じ空間、同じ目線で
同じ光を浴びていたかった。
夏休みといえば八月の第一日曜日、毎年決まって恒例の花火大会が開催される。
川原では何千発の花火が打ち上がる、この町の 大きなイベント、夏の風物詩だった。
花火大会、鳴海くんと一緒に行きたいけれど、二人っきりで行ってくれるだろうか。
不安に負けそうになる気持ちと、前に進みたいと思う気持ち、、、
考えがまとまらないけれど
鳴海君を花火大会に誘おう
無理を承知で断られることも覚悟の上
大きな決心を決意をした。
夕方、陸上部の練習が終わるのを待つ。
部室への帰り道あなたは私に気付く。
「 話があって… 。 」
そう呼び止めてみたものの、鳴海くんを目の前にすると本題をなかなか言えず、ただ緊張してしまう。
他の部員がニヤニヤとしながら私達から離れていく。
私の中で、恥ずかしさと勇気が戦っている。
あなたは私からの花火大会の誘いに
「 別に、ええで…… 。 」
なんだか呆気なく素っ気ない返事だった。
余りにシンプルな鳴海くんの一言に、OKなのか
ダメだったのか、脳がついていけない。
こうして
私は人生初めてのデートに、この瞬間こぎつけることが出来たんだ。
単純な私はその日を境に、花火大会が待ち遠しく
想いは膨らむばかりだった。
★
花火大会当日
今日も変わらず朝からむせかえるような蒸し暑い一日だった。
蝉のオーケストラがやっと静かになり始めた頃
薄暗くなり、風が少し出てきた。
私の火照った頬も静かに涼んでいく。
私は約束した時間前にはもう駅に着いている。
ふわっと風になびくセミロングの黒髪に手をやっては整えてみる。
今日は特別、悩みになやんだ末の 目一杯のお洒落をした。
普段はしないイヤリングが耳元で揺れ、耳たぶがジンジンと薄くピンク色に染まっていく。
この時はまだポケベルも携帯も当たり前になく
自宅電話と公衆電話が唯一の連絡手段だった。
今はスマホがあるから待ち合わせなんて簡単なことだろう。
この頃は会う約束をすると、相手が待っているから行かないと、と思うし
待っている方はいつ来るのか、時間が過ぎたら来ないんじゃないかと不安になる。
不便だったけどその不便が、相手を思う感情も想像力も豊かにしてくれたと思う。
次第に落ち着かずドキドキして、脳からはアドレナリンが忙しく出ていた。
私は今日、花火を見ながら告白するって心に決めていた。
鳴海くんが沢山の人混みに紛れて駅から出てくる。
あなたは私にとって特別だから、遠くにいても大勢の中でも簡単に見つけられる。
鳴海くんは駅前から私を見つけるとこちらへと向かう。
目が合うといつも顎を軽く前にして
小さく挨拶するのがあなたの癖だった。
「 ほんとに来てくれた …… 。 」
私は感動してそう呟き、そのあとは舞い上がって真っ白になりあまりハッキリと覚えていない。
金魚すくい、ヨーヨー釣り、かき氷、りんご飴
連なっている屋台の明かりが、ぼんやりと私達を照らしてくれる。
川風が立ち込めるこの一級河川の名前は、私が思いを寄せる二つ目の故郷だ。
頭上には暗闇の中、大輪の花火が咲いては
垂れ落ちてくる。
河原の水面に映る打ち上げ花火は、人々に感動を与えた瞬間に落ちて消えていく。
余りにも美しく、そして儚い。
花火のドンとお腹に響く音と自分の心臓の音が重なり、互いが顔を近づけないと話声が聞こえない。
あなたは、隣で優しく笑ってくれている
学校では見たこともない、穏やかな目をしている。
ぶっきらぼうに花火を見上げている
愛しい横顔がすぐそこにいる。
私と一緒にいて楽しいと思ってくれているだろうか?
会話はぎこちない
本物の鳴海くんが隣にいる、ただそれだけで夢のように幸せだった。
手も繋がず二人の間には小さな風が通るくらいの間が常にあって、それは他人行儀だった。
どれくらいの時間が経ったのか、どんな時間だったのかも定かではない。
緊張の中も心地よく、ただ満ち足りた時間に包まれていた。
鳴海くんを駅まで見送る私、まだ告白が出来ていない。
言わなきゃ……言わなきゃ……
言わないと………… 。
「 鳴海くん、私が今日花火に誘ったのは、
誘ったのは…………… 。 」
「 鳴海くんのこと…その… だから…… 。 」
駅前には雑然と沢山の人が話しながら行き来している。
慣れない下駄で歩く音、子どものぐずった声が雑多に入り交じっている。
私は『 好き 』ってたった2文字がどうしても言えない。
「 分かった…… 。 」
あなたはうんうんと小さく頷き、何もかも悟ったような顔をしてこう言うと
少し笑ったのか口元を緩ませ " じゃあ " っと左手を挙げて、駅の中央口へと流れるように行ってしまった。
こうしてなんの告白も返事も約束も誓いもなく
曖昧なまま
一世一代のこの恋が、動き始めたんだ。
★
花火の日を境にあなたは少しずつ変わってくれた。
夜は電話で 長話しをするようになった。
電話のコードを延ばせる所まで延ばして、どちらかの家族に怒られるまでお喋りをした。
陸上ことお父さんやお兄さんのこと、お互いの中学の友達のこと。
くだらない武勇伝、好きな歌手、面白かったテレビの話、将来の夢も。
電話を切るのが堪らなく淋しいからなかなかバイバイできない。
" せーの " で電話を切ろうって決めても、シーンとなって笑ってしまい結局切れない二人。
電話は恥ずかしがり屋の私達を繋いだ、大切な赤い糸だった。
告白も約束もなかったけれど、私達はH組で初めての彼氏と彼女になった。
先生からクラスの皆からもそれとなく公認されていたと思う。
鳴海浩介と日向しおり。
一生一緒にいると信じて微塵も疑わなかった
そしてこの先、私の全てをあなたに委ねる。
いつまでも私の脳裏を独占するかのように
幾年の時が流れても
あの花火をいつまでも忘れない
わたしのたったひとつの
忘れられない青春
大切な淡い想いで。
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ひとつの恋 ☆ 3