SS『坂井京助の独り言』

東川和泉

 教師という仕事は、自分を偽る仕事だ。坂井京助は、誰もいない教室で教卓を眺めながら呟いた。すぐに我に返って、誰かに聞かれていないかと当たりを見渡す。幸い、西日が差し込む教室には誰もおらず、廊下にも人の気配は無かった。グラウンドからは野球部やサッカー部の声が聞こえて来て、遠くからは吹奏楽部の金管楽器が鳴り響いた。
 俺は自分を偽っている。教卓の上に広がるチョークの粉を手で払った。何を自信満々に、何十人もの子供を相手取っているのか。自分はそれほどまで出来た人間であるのか。問い詰められれば答えは否だ。間違ってばかりの人間である自分は、とても人を教えられるような。
 そこまで考えて、京助は首を振った。それでも、彼らを導くのが仕事だ。自分はどれだけ迷って、間違えても、生徒にはそれを見せてはいけない。自信満々に、さも、これが最善策だと言わんばかりの顔をしなければ。生徒たちは自分よりもずっと不安で、自分は縋ることが出来る数少ない存在の一人なのだ。
 肺に溜まった不純物を吐きだそうとして、息を止める。廊下から軽い足音が聞こえて来たのだ。背筋を伸ばして、
窓の外へ目を向ける。
「あ、先生」
 京助が受け持つ生徒の一人だ。昨年まで中学生だったその体は小さく、足音も軽い。
「よお、部活か?」
「うん。今部室の掃除やってんだ。部長が新品の筆を纏めて失くしちゃってさ」
 美術部員の彼の手には、使い古された筆やパレットが詰まった段ボール箱が抱えられている。
「これゴミ捨て場に持っていくとこ。燃えるゴミだよね?」
「ああ。気を付けてな。廊下は走るなよ」
「はーい」
 元気よく返事して、彼は走ってしまった。いよいよ息を吐きだそうとして、今度はバタバタと慌ただしい足音が近づいてくる。慌てて手で口を塞いだ。
「坂井先生!」
 先ほどの彼だ。窓から身を乗り出して、何か言いたそうにしている。
「だから、廊下は走んなって」
「ごめん。それよりさ、この間、先生に言われて、俺、ちゃんとコンテストに作品出したよ!」
 ああ。しばらく前、彼がキャンバスの前で頭を抱えていたことを思い出した。キャンバスには色合いの暗い絵が描かれており、まるで苦悩する彼の心中のようだった。
 コンテストに出すか迷っている。彼は、そう言っていた。自分の中で、まだ腑に落ちない部分が合ったようだ。だが描き直すには時間が足りない。こんな未熟な作品を提出してもいいものか。
 その言葉に、京助はまた、最善策を装って答えた。出すべきだ。それが経験値になる。完成させた、という事実が、自信にもつながる。
 有りがたい事に、京助の言葉は彼の心に引っかかったようだった。やるじゃん。そう言ってやれば、彼は歯を見せて笑った。そしてまた、バタバタと慌ただしく去っていった。
 だから走るなと。呆れかえって思わずため息を吐いた。不純物のない、酸素と二酸化炭素と、あとその他諸々だ。
 あれが、彼にとって最も良いアドバイスだったかは誰にも分からない。でも、それでも彼が、あんな顔で笑ってくれるなら、自分は間違えていなかったらしい。
 よし。両手を腰に当てて、反らすように伸ばした。
 戸惑い、迷いを隠す仕事だ。偽る仕事だ。なんて、後ろ向きな考えばかりを巡らせていたのだろう。
 京助は肩を回して、職員室へ足を伸ばした。今日の宿題の採点や、明日の準備が山の様に残っているのだ。
 教師とは、格好つける仕事だ。さあ、明日もかっこつけますか。

『坂井京助の独り言』

END

SS『坂井京助の独り言』

SS『坂井京助の独り言』

シリーズ「Ratel」の小話。ある放課後の坂井京助。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
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