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なんとか、初めてラストまでたどり着けた小説です。


 右手は無意識のうちに、CDデッキのスイッチを押していた。
いつもと変わらない、軽快なテンポでラジオのパーソナリティが話す。


 
 授業は真面目に聞いて予習・復習は欠かさない。
 スカートの丈、前髪の長さ、その他校則は破らない。
 友達の意見には、できる限り合わせる。

 もし私の高校生活を3行で表すなら、こんな感じだと思う。その為だろうか。成績はまあまあ、先生には叱られることがないし、友達も少なくはない、割と平穏な毎日を過ごしていた。
 そのはずなのに、時々自分に対して疑問が頭をよぎる。本当にこれでいいの?と。
 あの先輩を見かけた時には、特に。

 初めて、あの先輩を見たのは高校生になった日だった。
 長い式典が終わって、体育館を出た。校舎に続くコンクリート製の渡り廊下は吹きさらしになっていて、まだ少し冷たさが残る風が火照った体には心地良かったのを覚えている。
 そして、入場の時には気付かなかったけれど両脇に花壇があった。
 その隅の方に、学ラン姿の人がしゃがんでいた。学年ごとに色分けされているらしい名札が、ちらっと見えた。どうやら2年生みたいだ。それは分かったのだけど、先輩が何をしているのか近くに行くまで分からなかった。
 花壇には、赤や黄やピンクや白の可愛らしい花が咲いていた。
 先輩は軍手をはめた両手で草を黙々と抜いていた。短い髪が向かい風で乱れるのも構わずに、ただ手を動かし続ける。
 園芸部か委員の人なのだろうか。なんとなく気になったけれど、私は先生たちの誘導する声に従って校舎の中へ入った。

 それから、桜の花が葉っぱに変わるまでの間にも何度も先輩を見かけた。
 ある時は、中庭の花壇で。ある時は、校門の花壇で。そして、初めて先輩を見たあの花壇で。
 この高校には、園芸部も委員もなかった。だから、多分先輩は自主的に草を抜き、肥料を与え、水をまいていたと思う。
 時間帯はばらばらで昼休みだったり、放課後だったりしたけれど、明らかに授業中の場合もあった。
 雨の多い季節になっても、先輩はレインコートを着て花と向かい合っていた。

 その日は、少し曇っていた。
 3限目の授業でグラウンドに向かう途中、夏服に変わった先輩を校門のそばで見かけた。体操服姿で友達何人かと歩いていた私は思わず足をとめた。
 先輩が、笑ったから。
 でも、周りには誰もいなかった。なぜ、と思った瞬間、先輩のすぐ近くでカエルが一匹ぴょんっとはねた。
 授業が始まる少し前、私は思い切って友達に先輩のことをきいてみた。ほんの少しでも良いから先輩のことを知りたい。
 けれど、友達の言葉は思ってもみないものだった。
「部活の先輩から聞いたんだけど……。あの人、すっごく変わり者だから関わらないほうが良いって、2年生の間で言われてるんだって」
「え?」
 驚いた声をあげたのは私だけで、ほかの友達も続けた。
「授業サボって、花壇の前で一人なのに、笑ってるの見た人がいるらしい。なんかちょっと危ないよね」
 私はこの時、初めて友達の言葉に頷けなかった。違うよ、とさえ言いたかった。先輩は危ない人じゃないよ、と。
 でも、私は何も言えなかった。
「それよりさ、叶(かなう)。またあの歌、歌ってたね」
 私を呼んだ友達は、少し苦笑いしていた。
 あの歌。そう言われて思いつくのはひとつだけだった。
 まだ入学したての頃、音楽の授業で習った歌。メロディーも歌詞も、自然に心の中に入ってくるようだった。それから何度も何度も聴いた。優しい歌声、伸び伸びとした歌声は、いつも私を癒してくれた。それからというもの、1人でいる時は小さな声で口ずさんでいた。
 けれど、誰かがいる時には決して歌わないことにしていた。
 正直、古すぎるよね。誰が言ったかはもう忘れてしまったけれど、その言葉は否定的だったから。
「そ、そうかな?」
  無意識のうちに、歌っていたのだろうか。
「よっぽど好きなのかなーって思ってた」
 私は首を横に振っていた。
「違う、違う。なんか耳に残ってただけ」
 そっかーとだけ言って、話題は別のことにうつってしまった。
  先輩をかばえなかった自分が嫌になった。

 先輩は少し日に焼けた。
 夏休みの間も補習で学校に来た時、帽子をかぶって、汗を流しながらコンクリートブロックを運ぶ先輩を見た。それは重たそうだったのに、どこか楽しそうに歩いている先輩は、クーラーの中で授業を受けている私よりも気持ち良さそうだった。
 制服が学ランに変わる頃には、落ち葉を掃く先輩を見た。
 花壇には、変わらず花たちが生き生きと咲いていたと思う。

「お前、花とか草とかと話せるんだろ?」
 なんだか嫌な笑い方で先輩に声をかけたのは、部活のジャージを着たがっしりとした体格の人だった。
 夜には雪が降るのではないかと言われるくらい寒い日で、放課後の校門は足早に通り過ぎていく人が多かった。
 中には、その人の言葉に笑う人も、気まずそうにその場を立ちさる人もいた。
  私は・・・・・・私は先輩がばかにされた気がして、その人に対して怒りを感じた。
  先輩は、笑っていた。どうして先輩はこんな時でも笑っているのか。それが分からない。
 私はその場に立っていることしかできなかった。
  次の日も、いつもの通り先輩は落ち葉を掃き、またブロックを運び、そして花壇の前にもいた。
 そのことに安心して、それから先輩に対する罪悪感がわいてきた。
  見ていることしかできない。

  長く感じた冬を越え、春がきた。 始業式の日先輩を見つけた時、本当に良かったと思った。
 もしかしたら、先輩が学校を辞めてしまうかもしれないと勝手に思っていた。
   けれど、先輩はあまりにも自然に花壇の草を抜いていた。そして、笑っていた。
  すずめがやって来たのを見て。

 クラスメートも担任の先生も変わったけれど、私の毎日は変わらなかった。変われなかった。
先輩も変わらないように見えた。 雨でも、肌寒くても、少しずつ気温が上がってきても先輩を見かけないことはなかった。

 
  今までのことを振り返っていたからか、司書の先生が声をかけてくれるまで、図書室を閉める時間だということに気づかなかった。教科書は広げていたけれど、ノートは白紙のまま。
  司書の先生に謝ったあと、慌てて図書室を出ると、もわっとした暑さを感じる。
  明日から夏休みだ。とは言っても補習や進路相談で、何かと学校には来るんだけれど。
 今日の始業式で、初めて屋内で先輩の姿を見た。3年生がずらっと並ぶその中に先輩を見つけた時、驚いた。そして、なぜか今日ならば先輩と話せるかもしれないと思った。
 でも、やっぱり動き出せないまま・・・・・・

 後悔を抱えたまま、まだ太陽の光がさんさんと降りそそぐ外に出る。 帽子もかぶらず、汗だくで草を抜く先輩を見つけた瞬間、体は勝手に先輩の方へ向かう。
 もしかしたら、きっかけというのは私が思っていたよりも単純だったりするのだろうか。
「熱中症になっちゃいますよ」
  口が勝手にそんなことを言う。
 先輩が汗をぬぐって顔をあげる。初めて目が合う。少したれ下がった目じり。先輩は思っていたより幼い顔立ちをしている。
「これ、帽子がわりになるかは分からないけど・・・・・・使って下さい」
  かばんからタオルを取り出す。有名なネコのイラストが描かれたタオルを先輩に差し出した。
「ありがとう」
 ぐっと目じりを下げて先輩は笑う。私は、先輩の隣にしゃがむ。
「このオレンジ色の花は何ですか?」
 何を話したら良いのか分からなくて、私は目の前の花についてきく。
「マリーゴールド」
 先輩が嬉しそうに言う。その隣の花壇には向日葵が咲いている。
「花が好きなんですか?」
 私の質問に、先輩はタオルをバンダナのように巻ながら頷く。
「花も草も人間も好きだよ」
 それから、「名前は?」と首をかしげる先輩に、こたえる。
「中西 叶です」
「夢が叶うの叶う?」
「そうです。先輩の名前は?」
 すると、先輩はそばに置いていたかばんからシャープペンシルと、紙きれを取り出して何かを書き始める。
(佐野 隆良)
「さの たかよし」
 紙の字と声が同時に私の心に入ってくる。
「叶は?好きなものって何?」
 いきなり下の名前で呼ばれても違和感がない。
「好きなものも、嫌いなものも特にないんです」
  こんな事、友達には言えなかった。さめてる、と思われるかもしれないから。
 でも、先輩は「そっかあ」とあっさり言って、慌てて「暑いよね」とかばんの中からタオルを取り出す。真っ白な無地のタオル。
「ありがとうございます」
 私は、先輩の真似をして頭にタオルを巻く。
「あ」
  何かに気付いたように先輩が言う。
「最初からタオルを使っておけば、叶のタオル汚さなくて良かったのにな」
「私は全く気にしません」
 先輩はしばらくの間、こちらをじっと見ていた。落ち着かなくて 「何ですか?」と、きくと先輩はまた笑う。
「叶は良い人だね」
「どこがですか?」
「勘、みたいなものかな」
 それから、先輩はマリーゴールドに混じった、ずいぶんと背丈を伸ばした草を静かに抜く。
「草の生命力ってすごいよね」
  先輩は力強く言う。
「こうして引っこ抜く時、何か間違ったことをしている気持ちになるんだけど、綺麗事なんだろうね」
 何となく悲しそうに笑う先輩に、私は何も言えない。
 花を綺麗に咲かせて私達が癒やされたり、楽しんだりする為だったり、野菜を育てて食べる為だったり。それ以外の「草」を引っこ抜く。
 人間のエゴなのかもしれない。
 そして、人間の世界でも似たようなことが起こっているのだとしたら、こわくなるし、悲しくもなる。
「佐野先輩。私やっぱり良い人じゃないです」
 先輩は手をとめて、こちらを向いてくれる。
「佐野先輩が、笑われている時、黙ってみていました。悔しかったのに」
 目をふせたまま言って、先輩の目を見る。先輩はきょとんとして
「叶。そんなことあったっけ?」
 と言う。嘘をついていない気がするのは、私の勘。 それならば、余計なことを言ってしまったと思う。
「花や草と話せるんだろって」
 小さな声になってしまう。先輩は立ち上がった。
「思い出した!俺、あの時笑われてることよりも、本当に花や草と話せたらすごいなって思ったんだよ」
 明るく、真っすぐにそう言う先輩。
  私は決めつけていたこと、そして今まで気づけなかったことに、気付いた。
  私は、先輩のことが好きだということに。
「叶?」
 先輩の呼びかけに私は、はっとして
「佐野先輩が傷ついたって勝手に決めつけてました」
 と立ち上がりながら言う。
「すみません」
 謝る私に先輩は笑って
「心配してくれたんやろ?ありがとう」
  と言う。私は首を横に降ったけれど、先輩は笑顔のまま、またしゃがんで草を抜いていく。
 私もしゃがんで草に手を伸ばしたけれど、すぐ「手、切るよ」と先輩が慌てる。かばんから軍手を取り出し、私に差し出す先輩に
「でも、佐野先輩は素手じゃないですか」
 と言う。泥がついている指先を見る。
「俺は、手の皮が厚いから平気だよ」
 空に向けられた先輩のてのひらは大きくて、がっしりとしているように見える。
 にこにこしている先輩を見ていたら
「ありがとうございます」
 と素直に軍手を受けとっていた。
 それから、一時間ほど経ったところで、先輩は「よしっ」と立ち上がると
「お疲れさま」
 と右手を伸ばす。その右手につかまって立ち上がる。軍手をはめていたから、先輩の手の温度も感触も良く分からないのが残念だ。軍手を先輩に返す。
「今から少し寄ってくところがあるんだけど、叶も来る?」
 私は考える前に頷いていた。

 しばらく後ろを歩いていたら、ふいに先輩が振り返った。
「その歌、良いよね」
  私は「え」と言ってから、いつか友達と話したことを思い出す。
「音楽の授業で習いました」
 先輩は、頷く。
「俺も。一年生の時、習ったよ」
「好き、ですか?」
「文学みたいな歌詞が好き」
 嬉しくて「私もです!」と勢い込んで言ったら、先輩の背中にぶつかりそうになって、なんだか楽しくて、笑う。
 先輩は少しだけ不思議そうな顔をして、でも同じように笑ってくれた。

 着いたのは、校庭の奥。
 歩道と校庭を隔てているブロックが目に入る。先輩が運んでいたのは、このブロックだったのだろうか。
 私達に背を向ける格好で、作業をしている人がいた。少し色があせているけれど、しゃんとした作業服を着ている。この高校の、長田さんという、用務員さんだ。
「長田さん!」
 先輩が声をかけると、長田さんはゆっくり振り返る。
「佐野くん」
 低く落ち着いた声で先輩の名前を呼んで、そのあと長田さんは「えっと」と言った。
「中西です」
 頭を下げると、長田さんは
「初めまして。もしかしたら学校のどこかで、すれ違ったことがあるかもしれませんが。ここ最近は外にいることが多かったので・・・・・・」
 と言う。事実、私は長田さん、という用務員さんがいることは知っていたけれど見かけたことがなかった。
「屋上のフェンスとか、ゴミ捨て場の扉とか、そして・・・・・・」
 先輩が、ブロックが2段ずつずらっと並んだ場所を見回して
「修理する場所がたくさんだったんだよ」
 と私に説明してくれた。
「長田さん、すごいんだ。ほとんどのもの一人で直してしまうんだ。花壇の管理だって、全部するんだよ」
  先輩は生き生きと、まるで自分の自慢をするように言う。
「僕一人の力ではないですよ。佐野くんだって手伝ってくれたじゃないですか」
 長田さんはほめられるのが苦手なようで、先輩の言葉に頭をかく。
「俺がやりたくてやってたんですよ」
 先輩も少し照れたみたいに呟く。
「今日も、草抜きをしてくれていたんですか?中西さんも?」
 長田さんの視線で、頭にタオルを巻いたままだったことに気付く。
「叶が一緒だったから早く終わりました」
 先輩の言葉に、長田さんが微笑んだ。笑顔が少し先輩に似ている気がする。
「明日から寂しくなりますね」
 長田さんの微笑みが寂しそうになったのと、「え?」と私が発したのはほぼ同時。長田さんは先輩を見ている。だから私も先輩を見る。
「俺、東京に引っ越すんよ」
 先輩は、まず私にそう言う。あまりにもあっさりと告げられたら事実に、うまく言葉が見つからない。
「長田さんと出会わなかったら、この高校に来てなかったと思うし、こんなに楽しい毎日は過ごせなかったと思います。本当にありがとうございました!」
 先輩は長田さんに深く頭を下げた。
 先輩と長田さんの間にあるものを想像する。
 長田さんは「大げさですよ」と言いながらも、先輩に微笑む。
「僕も佐野くんと会えて良かったです。また、遊びにきてください。ありがとう、佐野くん」
 先輩、楽しかったんですね。
 私の勘違いじゃなかったんですね。 様々な感情が入り混じって、ただその場に立っている。
 でも、この場にいることができて良かった。
「あ。長田さん、あそこのブロックは?」
「はい。少し欠けていますね。念のために変えておきます」
「俺、持ってきます」
 先輩は、走って校舎の方へ向かう。 長田さんが小さく息をつく。
「佐野くんは、自分がしたくてしているのだと言いましたけど、それだけではないと思うんです」
  長田さんはゆっくりと話してくれた。
 先輩が入学してしばらくした頃の話。長田さんは事故にあって、数ヶ月入院生活を送っていたと。
「今は、ほとんど良いんですけどね」
 怪我が回復した後も、重たいものを持つと腰が痛む長田さんに代わって、先輩は重いものを運び始めた。
「佐野くんは何も言いません。でも、僕はその気持ちだけでも嬉しかったです。それと、退院して初めて学校に来た時の感激は忘れられません」
「花壇・・・・・・ですか?」
「そうです」
 長田さんの微笑みが深くなる。
「花たちが、元気一杯に咲いていました」
 まるで、思いをはせるように長田さんは空を見上げる。それにつられるように、私も空を見上げる。
 日が傾き始めていた。
「中西さん。困ったことがあったら言って下さいね。僕で良ければ一緒に・・・・・・考えます」
 先輩が長田さんのことを大切に想う気持ちが、分かったような気がした。「はい」と答えた私の声は少しかすれていたかもしれない。
「お待たせしました!」
 やがて先輩の声がして、長田さんと私は先輩の所まで歩き出す。

「お元気で」
 手を振る長田さんの方をもう一度だけ振り返って、先輩は前を向いた。
「佐野先輩。何か私にできること、ありませんか?」
 先輩は、ん?と首をかしげる。
「佐野先輩と長田さんの花壇、佐野先輩みたいには無理でも……何かできませんか?」
 先輩は、今日見た笑顔の中で一番優しく笑った。
 それから少し考えて
「向日葵の種」
 と呟く。
「さっき、叶といた場所に咲いていた向日葵、繰り返し前の年の種で咲いてるみたいなんだ。だから、今年の向日葵の種を来年もまた、植えて欲しい。かな」
「まかせてください」
 そう言うと急に恥ずかしくなって、私は少し早足になる。
「東京に引っ越すんですね」
「ばあちゃんがさ東京で一人暮らしをしてるんだけど、ちょっと足腰が弱ってさ。俺小さい頃、ばあちゃんにめちゃくちゃ可愛がってもらったからさ。……今度は俺がって」
 先輩は、ずっと先輩のままでいてほしい。
 そんな風に思うのはどうなのだろう?
「叶。今日はありがとう」
 ふいに名前を呼ばれて、先輩の右手が私の左手を握った。
 先輩の手は温かくて、そして包まれるような安心感がある。
「佐野先輩。あの歌、一緒にうたってくれませんか?」
 先輩は笑顔で頷いた。
 辺りはだいぶ暗くなり、今なら、先輩と一緒なら歌っても大丈夫な気がした。もし誰かが聞いていてもこわくない気がした。
 奇跡的に2人とも4番まである歌詞を覚えていた。
 本当に驚いて先輩を見ると、先輩は
「楽しいねー!」
 と笑った。私も精一杯笑う。楽しかったです。
「叶は、電車通学?」
 先輩の言葉に、頷く。
「じゃあ、俺自転車持ってくるね」
 先輩が握ってくれた左手が、離れた後も温かい。
 今日1日、先輩に会って、長田さんに会って、自分の気持ちに初めて気付いた。

 自転車を押した先輩が目の前に立った時、タオルに気付いた。
「佐野先輩。タオル外すの忘れてましたね」
「ほんとだ!叶が良かったらだけど、それあげる」
 私はそっとタオルを外して胸に抱いた。
「じゃあ、佐野先輩が良かったら、私のタオルと取りかえっこしてくれませんか?」
 先輩もタオルを外して「うん!」と頷いてくれた。
 校門を出る頃、空には星がうっすらと見え始めていた。
「叶。夏の大三角だ」
 先輩の言葉に、私は空を見上げる。3つの星が三角形を作っている。
「佐野先輩は星にも詳しいんですか?」
「ううん、全然。ただ、ばあちゃんが教えてくれたんだ。東京は明るくて星は見えにくいんだけど、ばあちゃんは見つけるのが上手くてね」
「素敵なおばあさんですね」
「昔も今も、俺の自慢のばあちゃん!」
 胸にしみる言葉だと思う。
 先輩の言葉だから、胸のもっと奥のほうにしみ込んだ。
 
 いつもは長く感じる駅までの道が、とても短く感じた。
 言いたいことはたくさんある。
 けれど、伝えられそうな言葉は1つだけだった。駅の前で立ちどまった先輩に、笑顔で。
「佐野先輩、お元気で」
「叶も元気でね」
 自転車に乗った先輩は、少し走った所で振り返った。
「またね」
 そう言って先輩は、少しずつ、少しずつ遠ざかっていった。

 家に帰り着くと、母が心配していた。謝って、夜ご飯は食べてきてしまったことにして自分の部屋へと向かう。
 制服のまま机の前に座ると、右手は無意識のうちに、CDデッキのスイッチを押していた。
 いつもと変わらない、軽快なテンポでラジオのパーソナリティが話す。
 先輩はもう、家に帰り着いただろうか。かばんから、真っ白なタオルを取り出す。胸に抱きしめながらぼんやりと、ラジオを聴いていた。
『……Archive of song.今夜お届けするのは……』
 偶然だと分かっていても、信じられなかった。
 でも、その歌を確かに先輩と一緒に歌った。
 タオルを顔に押し当てる。太陽のにおいがする。洗いざらしのタオルは、木綿だけれども少しごわごわしていた。
 明日、学校に行こう。花たちに笑顔で、会いに行こう。
 だから、今夜だけは涙を流させてね。

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実際に存在する名曲がなければ、この話は思いつけませんでした。
そして、単身赴任する家族にプレゼントしたいと思わなければラストまで書ききることはできなかったと思います。
あら削りで、読みにくい所もたくさんあったのではないかと思います……
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
もし、ご意見・ご感想を頂けたら本当に有り難いです。

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高校に入学した日。私は初めて、花壇の前で先輩を見かけた。 平穏に感じる毎日。だけど時々ふと疑問が浮かぶ。 特に先輩を見かけた時には。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-01

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