無剣の騎士 第2話 scene6. 戦雲

以前は、登場人物の知能が作者のそれを超えることは不可能だと思っていたのですが、
よく考えたらエドワードは最初から作者なんて超越しています。
おまけに今回の話でケネスやコンラートもなかなか凄いことになってきました。
僕には到底真似できませんので、怖がらないでくださると幸いです。

 国王の訃報と王太子妃懐妊の報せは、瞬く間に国の内外へ広がった。アストリア国民は、王家に跡継ぎが生まれることを喜びたい半面、亡くなった王のことを考えると素直に祝いを行なうわけにもいかないという複雑な感情に晒された。諸外国は、アストリア国内の権力闘争の行方を睨みつつ、自国の態度をどのように明らかにしていくべきか、こちらも水面下で様々な難しい駆け引きが始まっていた。
 勿論、最も難しい立場に置かれたのは当のアストリア政府である。内政においても外交においても、政権の舵取り次第で今後、国の行く末が大きく左右されるのだ。
 しかし、それはともかくとして、アストリア政府の中枢人物達――エドワードや大臣達――は今、国葬の準備に追われていた。更に葬儀の後には、エドワードが新たな国王となる戴冠式も控えている。正に猫の手も借りたいほどの忙しさであった。
 このような非常事態になると、それまで日常的に行なってきた業務が中断させられたり、取り沙汰されていた問題が有耶無耶になったりしてしまうことも多い。しかし、エドワードやケネスは、それを許さなかった。再び平時に戻った時に備えて、なすべきことに関しては然るべき手を打とうとしていたのである。
 例えば――。

「少しよろしいですか、オークアシッド候?」
 エドワードの執務室から出てきたオークアシッドに、ケネスは声を掛けた。執務室の前にはエドワードとの面会を求める大臣達が列をなしており、ケネスは前から二番目のところまで進んでいた。用件を終えて出てきたオークアシッドに代わって前の一人が呼ばれ、室内へ入って行った。
「何用ですかな? シュタール候。手短にお願いしたいが」
 オークアシッドは一瞬怪訝(けげん)な表情を見せたが、すぐに平常の顔つきに戻った。
「実は、ウィンデスタールへ輸出されている脈玉入り武器の輸送に不正の疑いがありましてね」
「……ほう」
「現在、私共で調査をしております。輸出される武器の最終確認を行なう責任者は、オークアシッド候、貴殿でしたね?」
「確かにそうだが……、もしや、私に嫌疑が……?」
「いえいえ、そういう訳ではありません」
ケネスは微笑んで首を振った。
「ただ、今後調査にご協力して頂くことになるかと存じますので、そのお心積もりだけお願いしておこうかと思いまして」
「承知した」
「よろしくお願いします。今はこのように慌しい状態ですのでなかなかそちらまで手を回せていないのですが、近日中に、必ず」
ケネスがそこまで話した時、執務室の戸が開いた。先程の大臣が出てきて、次はケネスの番であることを告げた。
「ではシュタール候、私はこれで」
オークアシッドは片手を挙げると、その場からやや足早に立ち去っていった。
 ケネスはそれを見送ってから、向きを変えて執務室へと入り、そっと戸を閉じた。
「義父上の様子はどうであった?」
開口一番、エドワードは国葬のことではなくオークアシッドのことを尋ねた。オークアシッドの最後の言葉が聞こえていたのだ。
「はい。少々注意を促してみましたが、さすがはオークアシッド候、動揺はほとんど見受けられませんでした」
「そうであろうな。叔父上はまだ分かりやすいのだが、義父上の方は何を考えておられるのか、真意を読み取るのが難しい」
エドワードは腕組みをした。
「ですが、収穫が無かった訳ではございません」
「さすがだな、ケネス。続けてくれ」
「侯爵殿が責任者であることを問い質しただけで、自分に疑いが掛かっているのではと真っ先に仰いました。もし自身が潔白であるのなら、まずそのような発想は致しません。何か後ろめたいことがあるのでしょう」
「うむ」
「それに、帰って行かれる際、明らかな速足になっていました」
人は、居心地の悪い場所からは無意識のうちに早く離れようとするものだ。
「私に追及されるのが怖かったのでしょう。もしくは意識的に急いでおられたとしたら、何か早急に対策を練らねばとの思いがあるのかもしれません」
「いずれにせよ、向こうが焦るように仕向けているのだから――」
エドワードは身を乗り出して、机に両肘をついた。
「決戦の日は近い。状況証拠だけでなく、確たる証拠を掴むのだ」
「かしこまりました」
ケネスは深々と頭を下げた。

        *    *

「なんだって!?」
 キースは耳を疑った。驚いてアーシェルを見つめるその瞳には、とても信じられないという色がありありと浮かんでいる。
「君が――いや、君の“友達”が、振られたって? 嘘だろう?」
「嘘じゃないよ。事実だ」
アーシェルは首を横に振った。落ち着いてはいるが、その顔には失意の表情が見て取れる。
「やっぱり、初めからうまく行く訳が無かったんだ。身分違いだし、告白の時期も悪かったし……」
「そんな……。相手の娘は、何て?」
「もうずっと前から、もっと大切な人が他に居るんだってさ。だから、告白する前に振られちゃった。……らしいよ」
「…………」
キースは考え込んだ。レザリスに、そんな相手が居たとは。ずっと前から、ということは、今は故国に残っている人間ということだろうか。
(ん? ならば、何故……)
キースは眉間に皺を寄せた。
「なぁ、アーシェ。既に決まった相手が居るのに、その娘が身分を超えてまで親しく付き合ってくれたのはどうしてだい? 他の男に媚びへつらうなんて、僕には下心があったか偽善としか思え……」
「それは違うよ!」
アーシェルは手を振ってキースの言葉を遮った。
「彼女は純粋で、誰にでも優しいんだ。何かやましい気持ちがあった訳じゃない。ただ、僕が――じゃなくて、僕の友達が、勝手に勘違いしただけなんだ。彼女は悪くない」
突然饒舌になったアーシェルに、キースはやや面食らってしまった。
 自分なら相手の娘を軽蔑してもおかしくない状況なのに、アーシェルは相手が悪いなどとはこれっぽっちも考えていないようだ。
 キースは小さくため息をついて、少し笑んだ。
「“友達”がそう考えているのなら、僕に言えることは何も無いな。失恋を相手のせいにする愚か者に比べれば、殊勝な捉え方だと思うしね」
 二人は並んで歩きながら話していたが、ようやくアーシェルの目的地――鍛冶職人の専門学校の正門前へとやってきた。
「じゃ、ここで。またね、キース」
「ああ、それじゃ、また」
 学校の中へ歩いて行くアーシェルをキースは見送った。いつもなら、別れの挨拶を済ませると同時に互いに背を向けるのだが、今日のキースには、それが出来なかった。
(今からレザリスと会うのか……)
キースはいたたまれない気持ちになった。アーシェルがレザリスの卒業制作に付き添うために学校を訪れるのは確か今日で最後とのことだったが、たとえあと一日とはいえ、振られた相手と顔を合わせるのは辛いに違いない。
「おーい、アーシェ」
キースは思わず、アーシェルを呼び止めていた。不思議そうな顔をして、アーシェルが振り返る。
「今は、顔を合わせるのも辛いんじゃないかい? ――その、君の“友達”は」
アーシェルはくすりと笑った。その表情には諦めと寂しさが混じっているように、キースには見えた。
「仕方ないよ。それも騎士としての務めだから。――って、言ってたよ」
アーシェルは再び背を向けると、校舎の中へと消えていった。

 レザリスは正門前に二人が来ているのを見つけてすぐに飛び出して行ったのだが、校舎から出た時には既にキース一人になっており、しかもそのキースも踵を返して立ち去ろうとしているところだった。
「キース~!」
大声で呼ぶと、相手もこちらに気付いたようだった。
「レザリス」
「おはよう、キース。二階から見えたから急いで下りてきたんだけど……、アーシェは?」
「たった今、向こうの入口から入っていったところだ」
「そっかあ、入れ違いになっちゃったわね」
レザリスは、キースの視線も声音もいつになく冷たいことにすぐ気付いたが、今はそれどころではない。
「あたし、アーシェを追っかけるから。じゃね!」
そう言って再び駆け出そうとした矢先、キースに呼び止められた。
「何?」
「アーシェから話は聞いた。君、アーシェに酷い事をしたそうだね」
「え?」
酷い事とは何だろう? レザリスは首を傾げた。
「惚けても無駄だよ。
 僕は君のことを、もっと一途で純情な女性だと思っていた。だからこそ君を応援してもいた」
キースは何の話をしているのだろう。何故これほど冷酷な目をしているのだろう。
「だが、どうやら僕の思い違いだったようだ。君が男心を弄ぶような女性だったとはね。見損なったよ」
キースはマントを翻して背を向けた。
「キ、キース!」
レザリスはやっとのことでキースを呼び止めたが、今の彼は何者にも反論を許さない凄みに満ちていた。
「君ももうすぐ国に帰るんだろう? そうしたら、もう二度と会うこともないだろう。さようなら」

(何よ、あれ。意味分かんない!)
 レザリスは怒りを撒き散らすかのような勢いで荒々しく槌を振るっていた。知らぬ者が見れば、何かを制作しているのではなくむしろ破壊しているように見えたことだろう。
「ねぇ、アーシェ!」
「な、なに?」
傍で椅子に腰掛けて本を読んでいたアーシェルは、少し怯えながら顔を上げた。
「あたしのこと、キースに何か言った?」
「え? キースに? ううん、何も?」
アーシェルは否定したが、キースのあの言葉からして、何も無かった訳がない。
「ホントに? 何か隠してない?」
「何も隠してないよ」
レザリスは、手にしていた脈玉入りの剣――これが彼女の卒業制作だ――を振り上げると、アーシェルの面前に突きつけた。
「ホントのホントに?」
「本当、本当だってば。ちょっと、危ないって。模造品ったって、本物と一緒で刃が付いてるんだから」
「うー」
レザリスは暫くそのままの体勢でアーシェルを睨んでいたが、相手が答えそうに無いことを見て取ると、渋々剣を下ろした。
 その時、部屋の戸を軽く叩く音がして、教師の一人が顔を出した。
「失礼。ヴァーティス殿、少し職員室まで来ていただいて宜しいかな?」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
アーシェルは本を閉じて椅子から立ち上がると、教師に付いて部屋から出て行った。
 残されたのは、不満げな表情のままのレザリス一人。
(何よ何よ! キースもアーシェも、あたしのこと馬鹿にして!)
 彼女の卒業制作は、ほぼ完成の域に達していた。アーシェルの剣と並べてみても、その違いはほとんど分からない。勿論、王家の脈玉から打ち出された最高級品と学校教育用の安価な脈玉とでは雲泥の差がある。脈玉に詳しい者が鑑定すれば、或いはアーシェルのように脈玉を使いこなせるものが剣を振るえば、その違いはすぐに明らかになるのだが、一見しただけではどちらが本物でどちらが模造品か分からないほどだった。
(二人がその気なら、あたしにだって考えがあるわ)
 レザリスはそれら二本の剣を両手にそれぞれ持つと、それらを見比べて、小悪魔のような笑みを浮かべた。

        *    *

 一方、ここはリヒテルバウムの王宮。
 この国の外務大臣・ヴュールバッハ公は、いつものように自分の執務室でアストリアの情勢に関する定期報告書に目を通していた。
(国王の崩御、王太子妃の懐妊……。これから忙しくなりそうだな)
そんなことを考えていると、部屋の戸を叩く音が聞こえた。目を書類に落としたまま返事をすると、戸を開けて部屋に入ってきたのはコンラートだった。
「失礼します、閣下」
「あぁ、コンラートか。どうした?」
コンラートは手にした封筒から書状を取り出した。念の為に周囲を確認してから更に一歩近付き、部屋の外に漏れないよう小さな声で話し始めた。
「アストリアのオークアシッド候から密使が参りました。
 良い知らせと悪い知らせがあります。どちらから報告いたしましょうか?」
 ヴュールバッハは僅かに眉根を寄せて思案した。この秘書官とは長い付き合いであり、彼が非常に優秀であることはよく知っているのだが、直属の上司に対してさえこのように人を食ったような態度を取るのだけは、どうにも頂けない。
「……良い方から聞こう」
「ではそちらから。『武器の輸出量が合意した数より少ない』と主張するウィンデスタール側に対してアストリア側は『目下調査中』としか返答できておらず、ウィンデスタールでは不信感が強まっているようです。同盟に亀裂が生じ始めているといってよいでしょう」
「我々の計画通りだな。……して、悪い知らせとは?」
「アストリア国内で、オークアシッド候に疑いの目が向けられ始めているとのことです。直ちに露見するような事態には至っていないもの、さほど時間は残されていない、と。
 そろそろ次の手を打っておいたほうが宜しいかと存じます」
「ふむ……。何か案はあるか?」
「はい。例の部隊を、アストリアとの国境付近へ派兵しましょう」
ヴュールバッハは目を見開いた。
「例の部隊……、まだ訓練の最中ではなかったか?」
「最初期に訓練を始めた者達は、既にかなり使いこなせる段階にまで至っております。この辺りで、実戦における威力を確かめておいても宜しいかと」
「だが、リヒテルバウムとアストリアの間には休戦協定がある。攻め入ることは出来んぞ?」
「えぇ、表立っては、ですがね」
コンラートは、ずり落ちかけていた眼鏡を片手で掛け直した。
「国境付近に賊が出没するようになったと先方には伝えましょう。そのために警備を強化するとの名目で、部隊を展開しておくのです。夜陰に乗じた何者かにアストリアの兵士達が襲われたとしても、それは我が軍ではなく賊によるもの。協定の破棄にはなりません」
それでもヴュールバッハは難しい表情を崩さなかった。
「いくら賊の襲撃とはいえ、アストリアが国外から攻撃を受けたとなると、ウィンデスタールが出張ってくるのではないか? あちらにも協定がある」
「確かにあの二国間には集団的自衛の協定がありますが……」
コンラートは飽くまで淡々と説明を続ける。
「“賊”の人数はさほど多くありませんから、そのためにウィンデスタールからはるばる兵を連れて来るような事はないでしょう。もしアストリアが援軍を要求したとしても、同盟の基盤が危うくなりかけている今、ウィンデスタールがそれに応じる確率は低いと思われます」
「ふむ……」
ヴュールバッハは髭に手をやった。考え込む時の癖だ。
「更に申し上げておきますと、今のうちに兵を常駐させておけば、来たるべき日には先遣隊として動かすことも可能です」
「来たるべき日は近い、ということか」
「はい。間もなく、オークアシッド候が何か事を起こされるでしょう」
コンラートは唇の端を上げてにやりと笑った。
「このまま計画通りに事が運べばそれはそれでよし、もし仮にあの方々が自滅なさるような事態に陥ったとしても、我々にはさほど痛手はございません」
「既に利得は得ているしな……」
ヴュールバッハは髭から手を離した。
「よし、そちの言う通りにしよう。例の部隊の一部を、アストリアとの国境付近へ向かわせるのだ」

無剣の騎士 第2話 scene6. 戦雲

次回予告:
ウィンデスタールの留学生たちは帰国の途につく。
しかし、レザリスだけは故国への帰還を許されなかった――。

⇒ scene7. 落涙 につづく

無剣の騎士 第2話 scene6. 戦雲

制作上の都合により、今回のお話からは強引な展開や後付け設定がますます多くなると思われますが、 あまり細かいことは気にしないで気楽にお読みくださいませ。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-01

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