楠繁文奇想短篇集
短篇集を読んでいる。一話一話をじっくりと噛みしめ、飲み込んでしまうのを惜しむようにゆっくりと読み進める。日曜日の夕刻である。じきに、春が来ようとしている。
七話目を読み終えたところで、市内放送が聞こえてきた。××二丁目から、××トシコさんが行方不明になりました、××さんは女性で、年齢は七十五歳、身長は一四五センチくらい、ショルダーバッグをかけ、××を履いています、お心当たりの方は警察までご連絡ください…ぐわんぐわん反響して、ところどころ聞き取れなかった。私はカップを手に取り、白湯にはちみつを垂らしたものをゆっくりとすすった。ほのかに甘い液体が胃の中に滑り落ちていくのをはっきりと感じる。私は八話目の短篇を読み始めた。
九つの話を収録した短篇集、といえばサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』を思い浮かべるが、これはそんなまとまりの良いものではない。タイトルは『楠繁文奇想短篇集』。古本屋でたまたま手に取ったのである。作家の名前は聞いたこともなかったが、「奇想」という言葉と表紙に描かれた鮮やかな幾何学模様の連なりに私は惹かれた。それぞれの短篇は長さも内容もてんでばらばらで、人情話あり、近未来SFあり、昔話のパロディありと、一体どんな読者を想定しているのかさっぱりわからないが、それでも何か不思議な調和があると私には感じられた。一つ一つの言葉によって生み出される深い呼吸のようなものに自分の呼吸を合わせるようにして読み進めると、どの話もするりと身体の中に染み込んでいくのである。奇想という言葉から期待していたものとはまったく別の静かな感動に私は包まれていた。
八話目を読み終え、空になったカップに白湯を注ぎ足そうと台所に向かっていると、インターホンが鳴った。ドアの覗き穴から見ると、小柄な老婆が立っていた。
「あら! なっちゃん、久しぶりねえ。元気にしてた?」私がドアを開けると老婆は満面の笑みを浮かべて間髪入れずにそう言った。老婆に見覚えはなかったのだが、私は反射的に、ええ、どうも、お久しぶりです、と答えてしまった。この安アパートの一室の表には名字だけを書いた表札をかけてある。つまり、私の方に心当たりはなくとも、この老婆は私の名前が「石倉奈々」で、ここに住んでいるということを知っていて訪ねてきたことになる。
「これ、栗ようかん。一緒に食べようと思ってね」私は差し出された紙袋を、ありがとうございます、と言って受け取り、そのまま老婆の勢いに押され、あの、どうぞ、と部屋の中に招き入れてしまった。老婆が何者なのか不明であるにもかかわらず、しかし栗ようかんにはぜひ呼ばれたいなどという気持ちもありつつ…。
「いま、お茶を淹れますから」私は老婆を奥の部屋で待たせつつ、できるだけゆっくりとお茶の用意をすることにした。あの人は一体誰なのだろう。仕事関係ではないだろうから、親戚かあるいは祖母の友人などが考えられるが、実のところ、ほとんど喧嘩別れのような形で家を出てから、親類縁者との関わり合いはほぼ皆無といった状態で、私のことを「なっちゃん」と親しみを込めて呼んでくる七十前後の知り合いなどいるはずがないのである。何かの間違いだろうと私はすでにほとんど確信していた。
私はちらりと老婆に目をやった。座卓の前で行儀よく正座をして静かに微笑している。そのとき、老婆が傍らに置いた小さなショルダーバッグが目に入り、はっと思い当たるものがあった。先ほど流れていた行方不明者に関する市内放送である。名前は確か…。
「トシコおばさんは元気にしてらっしゃいましたか?」私がお茶と栗ようかんを載せた盆を運びながら思い切って聞いてみると老婆は「ええ、ええ、おかげさまで元気にしてましたよ」と頷きながらよどみなく答えた。断定はできないが、これで下の名前と背格好は行方不明者のそれとほぼ合致することになる。この部屋を訪れたのは単なる偶然で、私のことは誰か別の「なっちゃん」と思い違いをしているのだろう。その証拠に「タカシさんは日曜でも仕事なの?」と聞いてきたが、私にはタカシという名の夫も彼氏もいない。私は適当に話を合わせつつ隙を見て警察に連絡しようと考えた。
私たちは栗ようかんをつつきながら思いつくままに語り合った。私は仕事の愚痴をぶちまけたり、今まで付き合った男たちが犯した過失や暴言などをすべてタカシなる男性一人に背負わせるなどした。トシコおばさんは、最近は新聞への投書に凝っているとか、娘がやたら自分を老人扱いして小言を言ってくるのが不愉快だとかそんな話をした。会話を続けていると、おばさんの中で私はなっちゃんではなくシズエさんやヨシコやタカコちゃんに変化していき、あるときは長年の持病を案じられ、あるときは学業の心配をされたりした。トシコおばさんはトシコおばさんのままで若くなったり年老いたりした。おばさんの夫は死んだり生き返ったりした。私たちは何が起ころうと口を挟むことなく、ただただ、ええ、ええ、うん、うん、と頷きながら互いの話に聞き入っていた。
すっかり話し込んでしまったが、自分の湯呑が空になったところで、警察に電話しなければということを思い出し、私は、お茶を淹れなおしてきますね、と言って席を立った。私は台所の隅に行き、ポケットから携帯電話を取り出した。…ええ、多分その人じゃないかなと思うんですが…ええ、認知症の方のようで…ええ、よろしくお願いします…。警察の人はすぐにうちに来るという。トシコおばさんはどうやらあまり家には帰りたくなさそうな様子なので、後ろめたい気持ちになったし、私自身、おばさんとの別れは少し淋しかった。おばさんと私の世界の中では、私はどこまでも自由で、何もかもを笑って肯定してしまえるのだった。
お茶を淹れて戻ると、トシコおばさんは座卓に置きっぱなしにしてあった短篇集をぱらぱらとめくっていて、「この本、昔読んだわ。大好きだったのよ」と言った。私は少し驚いて、本当かなと疑ったが、「特に三話目がいいわ。ハッピーエンドなのに、ちょっと切ない感じなのね。私ぽろぽろ泣いちゃったの」と遠い目をして言うのである。私も好きです、その話、と私はちょっと興奮気味に答え、それからはその短篇集の話で盛り上がった。おばさんは各話のあらすじや登場人物についても覚えており、私はその記憶力に目を見張った。ひととおり感想などを語り合った後で、おばさんは「とにかく文章がとっても素敵なのよね。それにね…」と言って本の表紙をそっとなでると、「短篇集の『へん』の字は、糸偏の方じゃなくて竹冠の『篇』の字がいいと思うのよ、なんとなくね。そんなのって変なこだわりかしらねえ?」と少女のようにはにかみながらつぶやいた。
私がそれに答えようとしたとき、インターホンの音が部屋に鳴り響いた。ドアを開けるとお巡りさんと、初老の少しやつれた感じの女性が立っていた。女性は部屋の中を覗き込むと、お母さん! と大声でトシコおばさんに呼びかけた。おばさんはびくっとして悲しそうな表情を見せたが、バッグを手にゆっくりと立ち上がると、あっけなく連行されていった。連行、という言葉がしっくりくるような雰囲気が漂っていた。トシコおばさんは去り際に「なっちゃん、また今度ね、元気でね」と早口で言い、私は、おばさんもお元気で、と答えた。お巡りさんが、どうもご協力ありがとうございました、と軽く頭を下げた。
私は去っていく三人の姿を玄関先でずっと見つめていた。ナツコはいま海外に住んでるって言ったでしょ、とか、気を付けてくださいね、持ち物に名前と連絡先を書いておくとかしてね、などという言葉が聞こえてきた。いま言わなくても、おばさんの前で言わなくても、と私は思った。
部屋に入って、ふう、とため息をつくと、急にお腹が空いたような気がした。でも、栗ようかんがまだ少し残っているから、夕飯はそれでよしとしてしまおう。というか、あれって私がだまって全部ごちそうになっていいものなのかなとちらりと考えたが、まあどうでもいいか。とにかく私は最後の一話を読んでしまいたいのである。これから短篇集を買ったり読んだり見かけたりするたびに、トシコおばさんのことを思い出すのだろうなと私は思った。おばさん、私も「へん」の字は竹冠の「篇」がいいと思います、なんとなくね。
楠繁文奇想短篇集