サムシング・ブルー・ブルー
私達は、誰かの悲しみを背負えるほどには強くはないのだ。
ほらほら、ここに、私のまた悪い癖。
悪癖だ、と自分でも思う。
世を憂うには、私はあまりにも若すぎて。
落ち葉が舞う様子にすら感嘆していた幼き頃を思い、なぜこうも弱く生まれてきたのか甚だ疑問に思う。
いっそ画家にでもなれば良かったのだ。しかし悲しいかな、才能は枯渇した。
その昔、私が何故何をされても怒らないのだと、あまりに自分の正しさを過信した人が怒っていた。
私は「どうせ他人じゃないか」と相手にしなかったが、あの人はあの人なりに、私を思いやってくれていたのだと、今になって知る。
常々、重たい心の内を露呈しては、相手に「重いよ」と言わせてしまうこの頭の悪さ。
無責任になるのは簡単で、私はそれになりたいのだけど、あまりにも背負うものが重すぎて、可愛そうだが、目下検討中の悩みの種には、稼いだらその分良いところに入ってもらおうかと考えている。
私が傍に着いて、というのはあまりにも畜生の考えることだ。
私の人生はどうなるの?
そう聞いたら、いやお前には何も背負わせないよ、と返されてほっとした罪深き昨日。
昔から、人のことには敏感。
弱いから、武器にしようと思ったのかもしれない。
軽く考えてほしいし、相手がずけずけと踏み込んでくるたび、私はその子の我儘さに実は救われるわけで。
これで同じように落ち込まれたら、たまったもんじゃない。
だから同じ病気の人とは友達にならないのだと、ここで言い訳ぶってみる。
私は相手が傍若無人なほど救われるのだ。言い方は変だけど、自分のことを自分で決められる人。そんな人にこそ憧れる。
いや何言ってんだと周りは思うかもしれないが、気弱な人には強い人がよく似合うのと一緒だ。
誰かの悲しみを背負えるほどに、私は強くないし、背負わせる気もないから。そこまで弱くはないから。
最近断りを入れて二階へ上がり、ぐーすか寝ては一時間後に復活してまた下に下りていく。そのような人付き合いの方が気を使わなくてよい。
居眠りのお姉ちゃん。そんな称号でも付けてほしい。
とにかく我々は、誰かの悲しみを背負えるほどには強くはないのだ。
みんな、それぞれ幸せを掴みなさい。
そんでどっかに飛んでいきなさい。
そんなことを思いながら、年下の子たちを見ている。
余る人は、皆大人ばかりだ。
大丈夫、皆人生これからだから。いくらでも頑張る意志があるならどうにでもやっていける世の中だから。
だから、やる気をそがれるようなら、そんなところからは逃げてしまって、ここに戻ってきなさいな。
それからご飯食べて、ぐっすり寝てから考えな。
これからどうすべきか。どうしたいか。
将来の設計プランは大事だよ。そう書いて、私はとりあえず簿記を頑張るつもり。これも運が良かった話なのだけどね。
まあ焦らず、じっくり時間を掛けて、嫌な目に多少遭っても、それがプラスになるかマイナスになるか考えて、じっくり答えを出すことだね。
そう言っておく。
帰って来たかったら、帰っておいで。
君なら大丈夫さ。安心して働けるところが山ほどある現代だから。
とりあえず、自分のことは、自分で決めな。
そんなことを書いておく。
残念なことに、私たちは自分のことしかできないのだ。誰かに身を任せだしたら、途端人生が終わってしまう。
君よ、強くなれ、賢くなれ。君が希望を失わない限り、どんな道でも未来はあるのだ。
手本となることを約束しよう。
そんなこと書く午前5時。
ああ今日も、一日が始まる。
私は市の図書館に行くことを考え、いやまだ本はあるのだと、その考えを打ち消した。
ああいう洒落た空間は苦手、と私は昔の図書館を懐かしく思う。
ステーキよりは、てっちゃん鍋。
そんな風に自分を思う。
目標など、高くなくていいのだ。今ある幸せを掴みなさいな。
そう助言して、今日はもう終わり。
サムシング・ブルー・ブルー
我儘な人ほど、案外人を救ってる。