Made by God.


 葛の葉の裏を、寝虫が這う。

 夜霧に身を濡らした一枚の葛の葉脈を蠕動行進する寝虫の眼は潰れ、冷えた外気は寝虫の思考を凍らせた。
 草葉の陰から、先立った知り合いたちの気配を感じる。霊幽界の彼、彼女らは、寝虫を憐れんでいる。なにも虫になどならずとも、死の淵を超え、また会うことができれば、きっと魂はまた使命のために生まれることも出来たのに、と。

 寝虫は言葉を持たず、思考せず、しかし心の奥底で、彼らの憐れみにこう答えた。

「私の望みは、木になり、葉になり、土になり、絶えず個の視界を拡張する場所から降りることでした。人として扱われ、生きていながら、私は人としては生きる望みが薄かった。あれをしたい、これをしたい、けれど私の腕では、言葉では、それを望み手に入れる過程で、一歩一歩が、死にも勝る恐怖を伴った。つがいも、友も、肉親も、言葉を媒介しなければ、なにもすることなど出来ない。私は、言葉が怖かった」

 陰の人の思念が飛ぶ。

『あなたは、まだ命を絶っていない。誰とて、いつ死ぬかわからないが、死んでもなお、どこかで人の道は続いている。あなたが一枚の葉の裏に身を隠そうとも、あなたの後ろに出来た道は終わらない。あなたは逃げ切ったのではない。留まっているだけではありませんか。死にもせず、ただ冷凍されたつもりで、葉の裏に住み、虫のふりをしている』

 葉の裏で、寝虫は冷えた外気とはまた違うものに身を凍らせた。虫は、その身体を人と同じ階層に、そして違う階層に、その体の、非物質の身体を置いている。だから、こんな言葉になぞ、なにも及ぼされるものはないはずなのに。言葉が、また寝虫を追ってきた。

「私は、虫です。生まれて、あっという間に死んで、この緑色の気配に溶けて、誰にも記憶されず、ひっそりと虫として、閉じていくのです」

『死の淵を超えた私たちは、あなたに会えた。言葉を超えて、言葉を交わした。この事実を、あなたは認識していないはずがない。虫になど、なれぬのです。あなたは人で、人ゆえに生き、それゆえに死ぬ。必ずやってくるその場所は、拒むと拒まないとには、関係はありません』

 しんしんと、寝虫の心臓に恐れが降り積もる。葉の裏で、無の靄に包まれていた寝虫に、一筋の光が差した。
 空の雲間から現れた、太陽のように大きな女の顔が微笑む。寝虫の潰れた眼にも、その貌は見ることが出来た。
 寝虫は恥ずかしさのあまり、葉の裏から飛び降りた。

 もうずっと忘れていたはずの、会いたかった、話しかけたかった人たちの顔が、寝虫の頭の中いっぱいに満ちていた。
 そしてまた寝虫は、虫になりたいと、心の底から叫んだ。
 霊幽界の人々が、空を旋回しながら雲の高さまで飛んで行った。
 寝虫は濡れた地肌の上で、下半身を潰し、横たえてそれを見ていた。
 女神の顔は祝福の笑みを湛えたまま、地上を見下ろしている。
 地の底の国からやってきた人々が、寝虫のために死装束を持ってきているのが見えた。

 寝虫は棺桶に入れられ、地下世界へと続くトロッコに乗せられ、もう、帰っては来なかった。

Made by God.

Made by God.

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted