未完成


新学期が始まって,一ヶ月がたった頃,連休前で浮かれたいのに,熱意をもって水を差したい一部の先生方の担当科目にて,「過去一年間の勉強の痕跡を試すテスト」が行われることになった。おかげで私たちは各自アプリに打ち込んだ予定を保留して,必死に教科書ばかりを捲らなきゃいけなくなった。暗記中心の,短気集中。初日で証明されたタエコのアタリの良さに,私とサチコは,それを頭っから信じ込んで,それぞれに担当を決めて,ポイントばかりを教え合った。ナントカ文化の代表的遺物とか,アレコレ反応に続く,するやいなやの比較級の省略だとか。
淡々としているタエコは,この頃からそうだった。消しゴムの貸し借りにも,杓子定規な対応を欠かさない。タエコはいつも真っ直ぐ机に向かった。背筋はすっと伸びて,ボブの長さが顔にかかって,呼ぶと元の位置にもどる。頬をなぞるライン。
「なに?」
気付くとこっちを見ないで,そう訊いた。切れ長の目はノートを離れない。やるべきことをやっている。
「終わったの?じゃあ,ここの範囲のヤツをまとめてよ。」
横からサチコにそう言われて,私の下にやって来ようとする別の時代には,「まだです。まだまだです。」という返事をした。なのに,開かれた教科書とともに,ご命令はその場を去ろうとしなかった。例えば,そこで「ちょっと!」なんて強い反応も出来た。けれど,三人の間の,多数決の原理は優しくない。きっとそのまま押し付けられる。だから,私はシャーペンを動かした。書いて,書いて,書き続けた。別の時代は放置された。「楽をしたい」の三竦みだった。だからタエコの勘も働かなかった。まさかそこが歴史のテストの中心になるなんて。何かを叫ぶ前に,ギリギリの点数に安堵した気持ちが吐かれた。お互いに見せ合って,争う気を失くした私たちの,机を囲んだ反省が語った。後回しを押し付け合ってはいけないね,と。あと,大量の復習プリントをやるハメにならなくてよかったね,マジでムカつくね,あのヤロウ!と。
その結果はともあれ,あの時の放課後は楽しかった。周りから騒がしい感じが消えて,私たちだけになっていた。文化部に勤しむと決めていた私たちと違って,スポーツに励んでいる人たちは,開催が迫った大会前の詰めの練習に熱心だった。代表的なものとして,点数なんて諦めた,と私の席の前のイソベが言っていた。バスケ部のレギュラーで,背が高かった。確か,後ろから数えて,イチ,ニ。バレー部も含めて,長身男子が二人もいる私のクラスだった。もう一人のタカシは後ろの席でよく寝ていた。目立って仕方なかった。
「アヤ,終わったの?」
「まだでーす。」
「タエコは?」
「私もまだ。」
サチコもまだだった。一年という範囲は広い。その間に見失ったプリントも少なくない。寄せ集めて三人分。重複部分を削って,見せ合って,写しあって,黙々と続ける努力をした。ときどき天井を見上げるぐらい,終わりは迎えなかった。よく晴れた日だった。ストレートティーが美味しかった。
当時も,誰も塾に行ったりしてなかったし,バイトは必ず水曜日以外の日に入ってた。だからといって,毎週,その日に遊びに行ってたわけでもなかった。遠距離通学のタエコであって,外向けの遊び友達が別にいたサチコであった。バスでも徒歩でもイケる私は,部のみんなと帰った。だから私たちは,放課後に教室に残った。喋って,喋って,それで別れた。二年目となると,それなりに話題はディープだ。今,これから,何をしたい?隠し事を暴くみたいに,知り合うことが楽しかった。話せば,新鮮な反応。似たようことがあった。経験していないことがあった。言わないでね,という秘密の約束は,話を盛り立てる素敵な段取りになって,さっさと済まされる運命だった。核心に至るまでに道のりは,果てしなく険しく長い。
私たちはよくふざけあった。例えば,向かい合わせにくっ付けた机の下で,間違ってタエコの足を蹴ったら,タエコは正面に位置するサチコを蹴る。
「ちょっと!」
サチコが遠慮なく睨み付けると,タエコは私の指示だと躊躇いもなく言いのける。疑いを抱かないサチコは,だから次に私を睨む。昔馴染みとあって,凄みも増す。どういうつもり?とぐいぐい迫ってくる。
「いやー,いい息抜きになればいいかなーと思って。」
と私も否定しない。結果として,私がサチコにとっても怒られる。昔っからそんなとこあるよね!って吐き捨てられて,消しゴムがノートの上でがしがし動く。すいませんって私が小声で謝ると,サチコはおごる約束を交わさせた。私はそれに素直に従った。それはみんなで食べることになるからだ。ある日,サチコはクリームが挟まったクッキーを食べるのが好きだった。私はアーモンド入りのチョコレート,あとミントの飴だった。そう言うと,二人から不評を得た。二人はミントのものが嫌いだった。そして最後に,タエコがグミでいいと言い出した。グミが苦手な私との交渉の結果,フルーツゼリーを買ってくることになった。代わりに,ミントもグミも候補から消えた。飲み物は各自持参のこと,というのはいつも通りだった。場所はサチコの家,時間は土曜日の夕方から,という実行計画の内容となった。蹴った(ことになっている)私が買って来ることになっていたのは,勿論だった。
それから,口パクで,タエコに「ごめん。」と言ったら,タエコも「いいよ」と動きで答えてくれた。
「ワザとじゃないんでしょ?」
というノートの端っこの書き込みには,勿論!と答えておいた。お互いに企んでいたことに,この機会を利用したことは,私たちにとって問題ではなく,むしろ大事なことだった。私たちは,ずっと前から記念日を祝いたかったのだ。
サチコは文房具に結構こだわる。だから,私とタエコは二人で,オシャレなシャープペンシルを買った。候補のものは,美術部でもないくせに,デッサンを描くのがすごく上手いケイコに,私の似顔絵を描いてもらってる時に教えてもらった。鉛筆派のイメージが強かったケイコから,とっても有益な情報を聞けたことに驚いていた私は,そのことをケイコに言った。ケイコはスケッチブックに『私』をシャッシャッと描きながら,そして笑いながら,私に言った。
「単純な連想だよ,それ。こうしてる,私のイメージからでしょ?アヤがそう思ったのって。」
「あー,そうだね。そうかもしれない。ケイコ,イコール,描く人だもんね。私の中で。いままで何人描いた?私が言うのも何だけど,結構,頼まれてるでしょ?似顔絵。」
ケイコはこっちをチラッと見た。けれど,それは描くためであって,私の質問に応えたものじゃないことは,その短さと,事務的な感じからよく分かった。そしてその通りに,スケッチブックに戻ってから,ケイコは質問に答えてくれた。ケイコの鉛筆が動いていた。
「うーん,五十人はいくんじゃないかな。サッカー部の子達がさ,先輩の誕生日の度に,私のことに来るんだよねー。その先輩の分だけで,二十は余裕で超えるから。先生方のも描いたこともあるし。楽しいからいいけどねー,こっちは。」
「こうして練習で描いてるぐらいだもんね。誕生日でもない私を。」
そうそう,とケイコは口もとで可愛く笑いながら,腕を動かして,私の言ったことを肯定した。お昼休みの終了を予告するチャイムが鳴って,完成には至らなかった『私』を閉じてから,あとはもう大丈夫。残りはイメージで描けるから,と私に言った。うん,と私は返事をしてから,足を伸ばすケイコに,お店の場所と,ほかのオススメを訊いた。
「場所は,待ってて。地図にする。細かいお店が多いの。あそこ。それと,サイコロみたいな鉛筆削りがあるよ。カワイイの。あれ。」
スケッチブックを一枚切る音に,私はすぐに答えた。
「興味あるけど,贈ろうとしてるの,シャーペンだから。」
「あ,そっか。」
そう言って,簡単な線に,簡単な四角形と,必要な名前を描き足していって,「じゃあ,」という感じでケイコは言った。
「やっぱ消しゴム?組み合わせとしてはベストじゃない?」
それを聞いて,私が言った。
「うーん。なんか,単純だね。それ。」
それには,ケイコがまたすぐに答えた。
「シンプルイズベスト?私も,アキのこと言えないねー。」
そう言いながら,笑顔のケイコが,私に地図を渡してくれた。それを受け取って,私が付け加えた。
「じゃあ,やっぱり鉛筆も買おうかな?」
「サチコもそんなに要らないでしょ。描くものだらけで,かえって迷惑になりそうだよ。」
ケイコはすぐに否定してくれた。私も,ケイコにきちんと返した。
「確かに。」
ありがとね!という別れの挨拶は,空き教室の前で,ケイコと一緒に交わした。
当日,バイトのシフト交代が上手くいかなかったため,帰宅時間が遅れているサチコと,途中合流の形で待ち合わせることになった。必要なものを買い揃えて,ファミレスに入った私とタエコは,時間まで,一杯だけ飲もうということになった。ドリンクバーを頼んで,私が炭酸オレンジに,ウーロン茶を淹れて来た。荷物番のタエコには,炭酸の方を渡した。ありがと,と受け取って,タエコはサチコに打っていた文面を完成させて送った。案の定,サチコからの返事は来なかった。まだしばらく待ちそうだった。私とタエコはお喋りをした。その中で,例のシャープペンシルの話になった。ケイコには,お礼の消しゴムをあげることにした。お菓子の箱みたいな,色付きのやつを二個ずつ,私とタエコで買ったから。それぞれ半分の一つをあげる。それと,サチコの話。私の話。タエコの話。
サチコから着いたという返事が届く直前,記念日の話に関連して,お互いの第一印象をバラしあった。好きか嫌いかの二択の選択方式。先に私から答えることになって,私は「どちらかと言えば,嫌いだった」と打ち明けた。それを聞いてから,タエコが「私は好きな方だったよ」と答えた。すぐに私が理由を言おうとしたら,タエコの方に,サチコから「ゴメン!着いた!」というお知らせが届いた。二人で外を見て,でも姿は見つけられず,私はタエコに訊いた。
「ファミレスで待ってるって,伝えなかった?」
「うん。取り敢えず,着いたら連絡して,とだけ伝えた。」
いつものサチコの悪い癖を文面で目の当たりにして,私たちは笑うしかなかった。炭酸もウーロン茶も半分以上を残し,出る準備をして,「続きは後でね。」と言い合った。それぞれの分を支払った。またのお越しをお待ちしていると告げられた。私たちは歩き合った。
軽い格好で現れたサチコは,「ねえ,知ってた?」としたり顔で,私とタエコを試してきた。私とタエコは目配せをして,「さあ?」という反応をしてあげた。サチコは「げっ!信じられない!」という大げさなリアクションから,両手の指を立てて,年月を示した。
それが大事な記念日だった。

未完成

未完成

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-25

Copyrighted
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