並行世界で何やってんだ、俺 (5) 救出編

生と死と

 俺がトラックの荷台に滑り込むと同時にトラックが急発進した。その勢いで海老反り状態になって、上半身の一部が荷台の外に出た。一瞬だが空が見えた。
(やべっ!)
 咄嗟(とっさ)に荷台のあおりを両手で掴んだ。
 幸い、あおりが支えている体の部分より重心の方が少し低かったおかげで外には放り出されなかった。
 ドスッと尻餅をつくと、幌で囲まれて薄暗くなっている中の様子が目に飛び込んだ。
 正面にいくつかの木箱があった。
 先に乗り込んだ三人は左側の横向きの長椅子に並んで座っている。彼女達はトラックの振動で体が右に左に揺れている。
 それまでこちらと目を合わせなかった、それどころか顔も合わせなかった彼女達だったが、俺の滑稽な乗車姿を見たせいか、プッと吹き出した。
(これは近づくチャンスだな)
 すかさず笑いを取りに行った。
「危ねー!」
 彼女達がクスクスと笑い出した。
(もう一押しだ)「成績悪いからお前は置いてくぞ、って降ろされるところだった」
 彼女達は大きな声で笑った。

 この時、初めてジックリと彼女達の顔を見た。
 壮行会でも、彼女達は顔をこちらによく向けなかったので、あまり見えていなかったからだ。
 向かって左の彼女は黒髪が恐ろしいほど長く、顔は面長で頬はこけ、ひどく痩せて見える。
 袖から出ている手と裾から出ている足を見る限り服のサイズは合っているはずだが、ダブダブなのだ。
 残りの二人は見覚えがある。廊下で腕を組んで歩いている<似ていない双子>だ。
 二人ともショートヘアで少し茶髪。お揃いで、髪の両側に桜の花弁らしい飾りが付いたピンクの髪留めをしている。
 左の彼女は目が細く、右の彼女は目がパッチリしている。
 目を見なければ上から下までそっくりだ。
 二人は長椅子に座りながら腕を組んで寄り添うようにしている。

 まずは掴みに成功したので、さらに近づくため自己紹介をすることにした。
 今腰を下ろしている位置では彼女達がずっと首を横に曲げることになるため、会話には具合が悪い。
 そこで、右側の横向きの長椅子に腰掛けることにして、彼女達と向かい合わせになった。
 長椅子を通してタイヤの振動がガタンガタンと伝わってくる。
「俺は鬼棘(おにとげ)マモル。よろしく」
 彼女たちはバラバラにお辞儀をした。
 次は誰から挨拶するか三人で顔を見合わせている。右端の彼女が「お姉ちゃんから」と言うと、左端の彼女がこちらを向いた。
品華野(しなはなの)ミルです。よろしくお願いします」
 ポスターでは漢字が読めなかったので誰だか分からなかったが、フルネームを言葉で聞いた途端、遠い記憶が蘇った。

(あれ?……その名前……どこかで聞いたような気がする)

「シナハナノ ミルさん? よろしく」
 中央の彼女は顔を赤らめて俯き加減で言う。
「わ、歪名画(わいなが)ミイです。……よ、よろしく、お、お願いします」

(ん?……その名前もしゃべり方も……知っている……どこかで会った?……どこで?)

「ワイナガ ミイさん? よろしく」
 右の彼女も顔を赤らめて少し微笑んで言う。
品華野(しなはなの)ミキです。よろしくお願いします」

(ああ、その名前も知っている……とても懐かしい気がする……なぜ?……どうして三人とも知っているのだろう?)

「シナハナノ ミキさん? よろしく。……あれ? シナハナノさんが二人も」
「はい、あちらが姉で私が妹です」
「姉妹で参加ですか」
「はい。姉が心配してくれて。また、ミイさんも心配してくれて三人一緒に志願したのです」
(イヨも志願したのだろうか?)「これって志願して参加するの?」
「はい。志願ともう一つ、学校からの指名があります。私は指名です」
(自分が死神ではないかと恐れるイヨが志願するはずがない。指名だな)「そうなんだ。どういう基準で?」
 ミキは急に無口になった。聞いてはいけないことかも知れない。
 その話題を避けて世間話をした。話をすると、彼女達と少し打ち解けた気がした。
 こうやって話をしていると、遠い記憶が沸々と蘇ってきた。

(ああ……やっぱり、以前どこかで彼女達に会っている気がする……そして……なんか、助けなきゃって気がする……助けなきゃ……なぜ?)

 記憶を一つ一つたどっても、どうしても思い出せない。このもどかしさ。
 ここで悩んでも仕方ないので、思い切って聞いてみた。
「あのー、変なことを聞くようだけど、前に一度会ってたりする?」
 ミルが「私はお目にかかったことがありませんが、二人はどこかで、ね?」と言って右を向く。
 ミイが「は、はい。ま、前に一度助けていただきました。ね?」と言って右を向く。
 ミキが「はい、私も」と言ってミルの方を向く。
「ゴメン。記憶喪失で覚えてないんだ。でもまあ、一度助けたときに会っているなら初対面じゃないな。……で、助けたって、何かあったの? 覚えてなくて悪いけど」
 ミキは思い出したくないことを思い出すようなイヤな顔をしながら言う。
「私もミイちゃんも、似たようなことで助けていただいたのですが。私の場合、ミイちゃんが部活で遅くなるので私一人で学校から帰る途中、タケシとかいう男子生徒とその仲間みたいな人達に取り囲まれて」
(またあいつらか!)
「なんでも、『二人で腕を組んで歩いているのは気持ち悪い』と。仲良しが腕を組んで何が悪いのか分からないのですが。その時に助けていただきました。ね?」
「う、うん。……わ、私も、ミ、ミキちゃんがいないときに、ひ、一人で歩いていたら、お、同じ理由で絡まれて。そ、その時です、た、助けていただいたのは」
(まさかその時、『俺の彼女に手を出すな』って言ってないよな……)
 少し顔が熱くなってきた。
「ゴメン。覚えてなくて」
「いいえ。でもあの時は助かりました」
「腕を組んで歩いているだけの理由で絡んでくるとはヒドイ奴らだな。何か-」
 ミルが話を遮る。
「まあ、終わったことですから。その節は二人を助けていただき、ありがとうございました。」
 この話はこれで終わったのだが、腑に落ちなかった。
(タケシは結構相手の過去を調べている。先日のイヨの時がそうだ。この二人も過去の何かを調べられて、ゆすられたのかも知れない。ミルが話を遮るってことは、何かある)

 俺は左を見た。
 トラックはちょうど梨園が広がる土地の真ん中を走っていた。
 梨の木々が次々と遠ざかるのをボーッと見ていると、トラックがカーブを曲がった。
 すると、遠くに焼け焦げた校舎が見えた。
「あれは学校?」
 俺が指さすと、ミルが(まぶ)しい物を見るように、手を目の上に(かざ)して言う。
「ええ、花道丘高校です」
(えっ!……それって……元の世界で通っていた高校!)
 驚きのあまり、声が上ずった。
「どうしてあんな姿に!?」
「とても悲しいお話なのですが、あそこが軍事施設と間違われたらしく、授業中に爆撃に遭いまして、あのように焼けてしまいました。生徒さんも先生達も多数亡くなったそうです」
 その言葉を聞いて、ショックのあまり目の前が真っ白になった。
「生き残った方々は、みんな十三反田(じゅうさんたんだ)高校に編入されました。だからうちの学校はクラスが多いのです」
(……だから……だからなんだ)

 今までジュリもケンジも学校で一度も見たことがない。
 編入先の学校にいないということは、爆撃の被害に遭ったことになる。
 並行世界でなぜ会えなかったのか、今初めて分かった。
 無性に涙が出た。止めどもなく涙が頬を伝って流れていく。声を出して泣きたかった。
 だが、彼女達を前に男泣きは我慢だ。グッと(こら)えた。
「あら、ゴメンなさい。昔のことを思い出させてしまいました?」
「いいんだ。……あの学校に友達が何人かいて……今まで学校で一度も見かけたことがないから、だから……」
「それはお気の毒に……」
 引き取られた叔父さんが違ったので、別の高校へ通ったに違いない。
 その結果がこれだ。
 二人は死んで俺は生きている。並行世界では、こんなに残酷な運命の道を歩むのだろうか。
(ジュリ……ケンジ……)
 心の中で嗚咽した。

合言葉は平方根

 町を出たあたりで一端休憩になった。
 ここからは行き先が分からないように幌が完全に閉じられ、外の景色が見えなくなった。
 実は、誰も向かっている場所がどこかを聞かされていない。
 遠ざかる景色を見ている方がまだ安心だが、こうも暗くなると不安が募る。
 それからガソリンの補給のような小休止はあったが、休憩らしい休憩もなくトラックはひた走りに走った。
 長椅子の上で前後左右に揺れながら、辛抱強く到着を待った。

 2時間くらい立つと急にトラックが停止した。
 運転席のドアが開いてバタンと音がした。エンジンは掛かったままだ。
 靴音が遠ざかる。
 しばらくして、靴音が近づいてきて運転席のドアが開き、バタンと音がした。
 トラックの前方から、ギイーッと金属の軋む音が聞こえてきて右から左にゆっくりと移動する。
 全く外が見えないので何が起きているのか音だけで判断するしかないのだが、何処に連れて行かれるのか分からない。
 トラックのエンジンが吹かされて、ゆっくり発進した。
 右に左にまた右にとクネクネ進んでいる。ブレーキが掛かった。
 エンジンが切られた。
 トラックの横から、「おい、降りろ!」と女の声がして、幌がポンポンと叩かれる。

 荷台のあおりを倒し、幌を開けて覗いて見ると、学校の校庭に似た敷地だった。
 目の前には背が低い女兵士が二人立っていた。一人はサングラスをかけている。
 サングラスをかけた方が口を開いた。
「何をしている! サッサと降りないか!」
 俺達は荷台から飛び降りて二人の後ろをついて行った。
 女兵士達の行き先は、3階建ての学校の校舎のような施設だった。
 サングラスの女兵士は「ここで半日訓練だ」と言う。
 外壁は薄汚く、窓ガラスはあちこち割れている。おそらく廃校ではなかろうか。

 この施設の中で後方支援部隊の役割や仕事の内容を教わった。
 サングラスをかけた女兵士は教官だった。
 彼女が「校庭に出て実地訓練をする」と言うので何をやるのかと思っていたら、行進の練習、腹筋、鉄棒、ランニング、匍匐前進の練習、荷物の積み卸しの練習だった。
 また屋内に戻って拳銃の使い方、軍事用語等いろいろ教わった。
 ごった煮みたいなメニューをこなした。
(なんか、訓練とか言って、やってることが滅茶苦茶だ……カリキュラムは思いつきとしか思えん)
 訓練が終わる頃になると、ミル達三人は疲れて口もきけない様子だった。互いに寄り添うように助け合うようにノロノロと歩いている。
 食堂らしいところに連れて行かれ、丸パン1個と具の少ない野菜スープとバナナ1本が載ったトレイを渡された。
 後で分かるのだが、これは贅沢な食事だった。
 他に数人の女兵士が食事をしながら談笑している。
 俺達四人は端っこの席に固まって黙々と食べた。口をきく元気がなかったのである。

 夜になった。
 ここには風呂などない。
 教官は訓練生の寝る部屋を案内してくれた。ガランとした元教室みたいな部屋だった。もちろん、部屋は男女別々だ。
 そこには布団もなく、貸し出された臭い寝袋に包まり、床に転がって寝た。
 臭くても眠さの方が勝った。
 何かの本で泥のように眠るという言葉を見たことがあるが、きっとこういうことなのだろうと思っているうちに意識が遠のいた。

 翌朝、ごま塩だけで味付けされた握り飯を3個渡された。漬け物のような副菜はない。
 後で食べた時に気づいたのだが、握り飯は中身もなかった。朝と昼をこれで凌げという。
 8時頃トラックに乗せられ、小休止を何回か挟んだが12時を過ぎてもトラックは止まらない。握り飯で昼も凌げと言われた理由が分かった。
 それにしても、いつまで走るのだろう。何処へ行くのだろう。
 学校の窓から煙が見えていたので、見える範囲、精々30~40キロくらいの場所に赴任するのだろうと考えていたのが大甘だった。
(志願しなければ良かった。たった半日の訓練でこんなにキツいとは思わなかった。……でもイヨを助けるためだ。ここは我慢するしかない)
 向かいに座る彼女達を見ると、心ここにあらずという状態だった。それはこちらも同じだった。
 途中から乗り物酔いが始まったので長椅子の上に横になった。
 彼女達も真似をしたが三人が横になるには狭すぎる。
 そこで、こちらの長椅子を彼女達用に明け渡し、俺は床に転がった。

 やっとトラックが停止し、エンジンが切られた。
 朝出発してから6時間経っている。
 時速50~60キロだとして、あの施設から300~360キロ離れたところに来たことになる。
 学校からだとプラス2時間だったと思うので、400~480キロと言ったところか。
(一体ここはどこなのだろう? 遠い国に連れて行かれた気分だ……)
 幌がチラッと開いて「降りろ」と命令が下った。
 俺は背伸びをして関節をボキボキいわせ、やおら荷物を持った。
 荷台のあおりを倒し、滑り落ちるように地面へ降りた。倒れそうになった。
 ずっと同じ姿勢だったので、腰が痛いし膝がガクガクする。
 視界に飛び込んだのはキャンプ場を思わせるような森の中の空き地だった。
 やっと揺れない地面に立てたが、長く座っていたので、久しぶりに歩くと足下が覚束(おぼつか)ない。
 彼女達三人もヨロヨロ歩いている。
 他にも次から次へとトラックが集まってきて、何人かずつ降りてくるが、結構蹌踉(よろ)めいている。

 俺達は空き地の中央に集められた。
 数人の女兵士が互いに適当な間隔を開けて、自動小銃を肩にかけ足を少し広げて立っている。
 そこで30分くらい待たされた。
 一人の女兵士が「あれで最後だ」と顎で遠くを指す。
 振り返ると、最後のトラックが到着し、中から数人が降りてきてフラフラとこちらに近づいてきた。倒れ込む者もいる。
 中央に集まった連中をざっと見ると、やはりここでも男が少ない。

 点呼が終わると、八人ずつ4チームに分けられた。
 俺達四人はBチームに入った。
 一緒になる残り四人は男四人組だった。
 周りから「男子率高~い」と(うらや)ましがられた。
 見た感じ20~30代の成人男性だが、正直、一癖ありそうな大人というのが第一印象である。
 顔に傷がある者が二人いる。
 一人は肩幅があり筋肉質で相当腕っ節が強そうだ。事を構えたら俺一人では太刀打ちできないだろう。
 もう一人は痩せていて目つきが悪く、ずる賢そうだ。
 残り二人だが、一人は割と小柄でボディビルをやっているのか筋肉がムキムキ、もう一人は痩せていて病的な雰囲気がある。
 四人とも知り合いらしく、ヒソヒソと耳打ちしている。チラチラと女子の方を見る。
 こちらの彼女達を見てニヤニヤしている時はさすがにムッとした。
(よりによってこんな奴らと2ヶ月もチームを組むとは、超最悪だ……)
 サイトウ軍曹が、何かやらかしたかと聞いてきた理由がやっと分かった。

 集合した新入りを前に、連隊長が訓示を垂れた。
 連隊長は60代の女性に見えた。声が太く、力強い。
 敵が徐々に前進してこちらまで迫って来ている、諸君の補給が前線の生命線であり重要だ、勝手な行動はチーム全員を命の危険にさらす、という話までは聞いていたが、長いので集中できなかった。
 途中からまともに聞いていなかったが、それはBチームの男四人組も同じだった。
 そいつらは、なんとなく女性の尻ばかり見ているような気がする。
 連中と一緒にされたくなかった。

 長い訓示が終わると、全員の荷物が回収された。
 一端全部回収して、没収されない物だけ返すから後で酒保まで取りに来るようにとのことだ。取りに来ると配給があると言う。
(酒保って、この並行世界はなんかずれてるなぁ……PXじゃなかったっけ?)
 荷物を没収された後、宿舎に案内された。
 簡易プレハブを思わせる平屋の宿舎である。
 小窓があるが、中は割と暗く、机も椅子もベッドもない8畳くらいの部屋だった。
 隅っこに座布団が積み上げられているが、ガランとした空間と呼ぶのが相応しい。
 宿舎はチームごとに割り当てられているとのことだったが、さすがに男女は別れていた。
 Bチームの男四人組は、やはり気になる。
 虫の知らせというか何というか、イヤな予感でゾワゾワする。
 宿舎見学の後、連中がサッサと酒保に向かったので、その隙に彼女達を探した。

 こちらの宿舎から40メートルくらい離れている宿舎の前に彼女達が見えた。
 まだ宿舎の扉を開けて中を覗いているようだった。
 近づいていくと彼女達は俺の不安げな顔にちょっと驚いた様子だった。
 確認のため聞いてみた。
「ここが宿舎?」
 ミキは「そう」と答えるが、怪訝(けげん)な顔をする。
「でも、何故聞くの?」
 俺は後ろを振り返った。連中がこちらを見ずに小走りに遠ざかって行くのを確認して向き直った。
「Bチームの男四人組はどう見ても胡散臭い。何か悪いことをやらかしてここに来た気がする。みんなをジロジロ見ているのも心配だ。俺と連中を区別できるようにするため、ここのドアを開けるときの合言葉を決めないか?」

 我ながら、心配のあまり突拍子もないことを言ったように思った。
 それはミキの驚いた表情でも明らかだった。
「合言葉?」
 ミイが「そ、そこまでしなくても」と言い、ミルが「気のせいよ」と加勢する。
 ミキは少しの間考えていたが、決心したように頷いて言う。
「マモルさんがそこまで言うのは、きっと男の勘なのよ。私信じる。合言葉決めましょう」
 ミルも頷いて言う。
「ミキが言うなら私も信じる。じゃ、合言葉は『山、川』は?」
「そ、それは安直。『マ、マモルさん、ミ、ミイさん』は?」
「却下」ミルとミキがハモった。
 ミルが少し考えてから言う。
「じゃあ、『富士山麓、オウム鳴く』」
 ミキが首を横に振る。
「平方根は高校生なら知ってる」
「なら、『人並みに、おごれや』」
「それも同じ」
 ミルの提案はあっさり却下されたが、その捨てがたいアイデアを聞いてふと面白いことを思いついた。
「じゃあ、それらをくっつけよう。『富士山麓、オウムはおごる、人並みに』」
「み、3つも?」三人がハモった。
「そう、念入りに。まず外からノックする人が『富士山麓』、それを受けて中にいる人が『オウムはおごる』、それを受けて外の人が『人並みに』と返す」
 ミキが敬礼の真似をする。
「ラジャー」
ミイもミルも真似をした。

 俺は自分の宿舎と彼女達の宿舎の近道を確認しながら、酒保に向かって歩いた。
 後ろから彼女達も付いてきた。
 酒保に行くと、俺達四人の荷物だけ残っていた。
 案の定、携帯電話は取り上げられていた。
 配給は小さな握り飯が2つ。遅い昼飯である。
 味付けは塩だけで中身がない。漬け物のような副菜もない。早い話、塩味の米である。

 食事が終わると、なぜかランニングをさせられた。
 施設の周辺を知っておくことと体力増強が目的だそうだ。
(意味が分からん……)
 ダラダラ走っていたが、Bチームの男四人組もダラダラ走っているのを見て、一緒にされたくないので途中からまじめに走った。
 夕方で暗くなり始めたが、薄暗い道をずっと走らされた。
 さすがの俺も疲れてきた。脱落者が出てもおかしくないだろう。

 ランニングのゴールである午後の集合場所に戻ると、みなヘトヘトになって倒れ込んだ。
 マラソンランナーが倒れ込む気持ちがよく分かった。
 誰も動けなくなった。
 日が暮れかかった頃、集合場所付近に照明がついた。
 配給が始まった。牛肉缶詰とコッペパン1個である。
 宿舎に戻ってこれで夕食にしろという。
 まだ少々息が荒いが、それを受け取ると銘々が宿舎へ戻った。
 俺はあの四人組と一緒かと思うと気が滅入った。

忍び寄る魔の手

 明かりが(とも)った宿舎に入ると、すでに四人が床に車座になって食事をしていた。
 車座の真ん中に、配給以外の食品がふんだんに並んでいた。
 検閲を通過した持ち込みだろう。
 連中は一斉に冷たい視線をこちらに浴びせた。その威圧感にゾッとする。
 いつまでも中に入ってこないからか、顔に傷のある筋肉質の男が低い声で不機嫌そうに言う。
「おう。ボケッと立ってねえで、そこ座んな」
 顎で指す方向は部屋の隅で、そこに座布団が投げ捨てられたように丸まっている。
 邪魔者扱いされたというのが正しそうだ。
 この雰囲気では車座の輪には入れてもらえないだろう。
 一応仲良くなる算段を考えていたのだが、完全に打ち砕かれた。
 部屋の隅に行って座布団を恐る恐る広げながら挨拶した。
「どうも。鬼棘(おにとげ)マモルです」
 奴は「ケッ」と吐き捨てるように言って、こちらを睨み付ける。
「名前なんか聞いてねえ! ガキは小便して寝ろ!」
 腹の底から響くような声。
 その剣幕にビビってしまい、首を縮めて下を見た。マジで震えてきた。
 顔に傷のある痩せた男が「あにさん、初対面でそんなにビビらせたら、あの坊やは漏らしますぜ」と言ってこちらを向く。
「なあ、坊や。お兄さん達はお兄さん達でやっているから、坊やはそこで大人しくおまんま食べたら外行って寝てな」
「外でですか?」
 連中はドッと笑った。
「坊や、今何が起きてるか知ってる? バトルだよバトル。ゲームじゃないよ。そういうときは寝る場所なんか選べやしない。トイレの中だって、塹壕の中だって、ジャングルの中だって、横になれるところはみんな寝床」
「布団はありますか?」
 連中はまたドッと笑った。
「なあ、坊や。塹壕の中で布団敷くのかい? 雨が降りゃ雨に打たれて、今にも爆弾が降ってくるんじゃないか、という恐怖の中で横になるのさ。寝ていて、本当に爆弾が降って来ることだってあるんだぜ。そんときは、瞬時に木っ端微塵。はい、さようなら。今、前線で女共がそういった恐怖に震えながら寝ているはず。何? ここ臨海学校のつもりで来た?」
 連中はヒーヒー言って笑った。
 最初の男が「外に連れ出せ」と言うと、今までしゃべらなかった二人が俺の両腕をガシッと掴み、力尽くで引っ張りながら宿舎から離れた森の中へと引きずった。
 抵抗しても無駄だった。
 外は月明かりが綺麗だったが、森の中は闇同然だった。
 俺は茂みの中に放り投げられると、顔面や腹を10発以上殴られた。
 ボディビルの体格の奴はとても(かな)う相手ではない。
(ここで一暴れしても、あと二人が加勢に入ったら絶対勝ち目がない)
 仕方なく、殴られるに任せた。
「ここで寝る練習でもしてろ」
「実戦の時は、これでも上等な寝床だぜ。そこはフカフカだろ」
 捨て台詞を残して二人は去って行った。
 殴られた痛みでだんだん意識が薄れていった。

 どのくらい気を失ったのか分からないが、何かの物音で目が覚めた。
 夜行性の動物が枝を踏んだのかも知れない。
 しばらく時間が経過していたようなので急に不安になった。
(あいつら……夜中に何をしでかすか分からん)
 そこで、物音を立てないようにソッと宿舎へ戻り、小窓の下にしゃがんで壁に聞き耳を立てた。
 幸い、宿舎の壁が薄いことと、周りに誰もいないと思っているらしく連中は普通の声でしゃべっているので、話の内容がはっきり聞こえた。
「ところで……あの女、気にならないか?」
「うちらのチームのあいつ? 骨皮以外の二人?」
「そう。どっちの女でもいいけど。もう一人は骨皮だからお前にやる」
「こりゃどうも。あっしにお似合いってことで」
「え? あにさんは連隊長殿では?」
「アハハ、婆さん相手にやれないだろう」
「うちらのチームの女共に目をつけるとは、さすが」
「んだんだ」
「おうよ。……で、ちとこれから、かまいに行かないか?」
「いいねぇ」
「うん、いいねぇ」
「でも、騒がれたらどうする?」
「ケッ、騒ぐ前にこいつで」
「なるほど。あにさん、いいもの持ってますねぇ」
「これは缶詰も開けられる十徳ナイフじゃないぜ」
(それって、戦闘用のナイフか何かだ! ヤバい!!)
「やり方分かるよな」
「前もやったから何とか」
「戦争だから、スパイの仕業に出来る。始末したら、あの糞ガキみたいに森の奥へ投げ込んでおけ」
(宿舎に急がないと!)
 腰を屈めながら音を立てないようにそこを立ち去り、明るい時に調べておいた近道を通って彼女達の宿舎へと走った。

 彼女達の宿舎の前に辿り着くと扉を叩いた。
 全速力で、ただし腰を屈めて走ったので、息が切れそうだ。
 後ろを振り返ったが、幸い、連中の姿はない。
 宿舎の中で誰かが扉に近づいてくる足音がする。
「はい」
 ミキの声らしい。暗号は俺からだ。
「富士山麓」
「オウムはおごる」
「人並みに」
 扉が開いた。やはりミキだった。
 彼女はパッチリした目をさらに見開いて言う。
「どうしたの、その顔? 酷い怪我してる」
 俺は彼女の心配を余所(よそ)に、急いで扉をくぐり、声を押し殺すように言った。
「昼間の胡散臭い奴らにやられた。詳しくは後。扉を閉めて」
 ミキは素早く扉を閉める。
「今から胡散臭い奴らがこっちに来る。電気消して。扉を叩かれても、何と言われても、上官だと言われても、絶対に開けないこと。本物の上官だったら俺が責任を取る。床に伏せて。窓から見られるかも。早く!」
 ミキ以外は全員床に伏せた。ミキは電気を消して伏せた。
 部屋の中は真っ暗になった。
 小窓があるが、そこから覗いても外の明かりが届いていないので見えないはずだ。
 俺は両方から腕を組まれた。
 たぶん、右はミイ、左はミキ。ミルはミイの右にいるはずだ。
 組まれた両方の腕が小刻みに震えている。両側の二人の震えが伝わっているのだ。

 2分ほどすると複数の足音が扉の前に近づいて来た。
 足音が止まった。少しの沈黙。
 その時、小窓の向こうで人影が動いたように見えた。
 ヒソヒソ声がする。聞き取れない。
 また沈黙。
 ついに、コンコンコンと扉がノックされる。
 周りの宿舎に聞こえないような音だろうが、暗闇で背中を叩かれた時のように心臓がバクっと飛び上がった。
 両腕がギューッと絞られる。二人が力を入れているのだ。
「マモルだけど。ちょっと開けてくれない?」
 背筋が凍るように冷たくなった。悪寒が走るってやつだ。
 小声で俺の声を真似るへたくそな奴だが、その真意を知っているだけに笑えず、却って恐怖が募る。
 またコンコンコンと扉がノックされる。
「マモルだけど。ちょっと開けてくれない?」
 二人ともその言葉の裏を理解したらしく、悪寒が走ったのだろう。
 両腕にブルブルと震える振動が伝わってくる。

 少し沈黙が続いた。
 また小窓から人影が動いたように見えた。
 ヒソヒソ声がする。これも聞き取れない。
 今度は、ドンドンドンと扉が叩かれた。
 これも周りの宿舎には聞こえないほどの音だろうが、これにはさすがに肝が冷えた。彼女達も同じはずだ。
「あー、あー、連隊長殿の伝令である。ここを開けなさい」
 小声で男が伝令を語っているが、偽伝令であることはバレバレだ。ここの連隊には女兵士しかいない。
 またドンドンドンと扉が叩かれた。
「貴様ら、連隊長殿の伝令であるぞ。ここを開けなさい」
 今度は、ドンドン、ドンドン、ドンドンと叩かれた。
(早く周りが物音に気づいてくれ! それともいっその事、こちらから騒ぎを起こして周りに気づかせるか?)
 しかし、今ここで飛び出して行っても、森の中の二の舞だ。
(ここで震えているしかないのか? もし踏み込まれたら四人相手に戦えるか!?)

 その時、遠くの方で女の低い声がした。
「貴様ら! そこで何をしている!」
 その声には聞き覚えがある。
 サイトウ軍曹だ。
 目の前に光明が差してきたように思えた。
 走り寄る複数の靴音がして、声が扉のすぐそばで聞こえた。
「この時間に出歩くのは規則違反! しかも、男が女性用の宿舎に何の用か!」
 男達は無言だった。
「営倉に連れて行け!」
(営倉とはいつの時代だ……)
 複数の靴音が遠ざかった。

 ところが、立ち去ったはずが誰かが扉をコンコンとノックする。
(残党はいないはずなのに誰だ!?)
 心臓がバクバクと音を立て、息が詰まる。
 とその時、扉の向こうで聞き慣れた声がした。
「サイトウだ。入ってもいいか?」
 俺はホウッと息を吐き出し、小声で「サイトウ軍曹だから大丈夫」と言うと、ミキは電気をつけて小声で「そこで丸まって」と言う。
 意味を理解したので、床にゴロリと横になり、膝を抱える姿勢で丸まった。
 ミイとミルが手早く座布団で全身を隠してくれた。
 それから扉が開かれる音がした。
「男共が何かやっていたみたいだが、被害はなかったか?」
 サイトウ軍曹の声が間近に聞こえる。彼女がこっちを見ていないか心配になった。
 ミキが明るく答える。
「大丈夫です。」
「それは良かった。いつもこうやって四、五人で敵が来ないか巡回しているが、敵どころか味方でも夜這いにうろつく碌でなしの連中もいるからな。さっきの奴らは、たぶんその類い。お前達も気をつけるんだぞ」
「はい」
「……あ、それから」
「何でしょう?」
「そこの座布団はきちんと片付けておくこと。いいな?」
 俺の心臓は凍り付いた。おそらく、彼女達全員も同じはずだ。
「わ、分かりました」

 扉が閉まった。
 1分くらいしてから座布団が取り払われた。
 全員で一斉に深い安堵の溜息をついた。
 そして、声を立てずに笑った。すると、ミキがギュッと抱きついてきた。
「ありがとう……」
 ミキに前から抱きつかれた状態で、今度は後ろから誰かにギュッと抱きつかれた。
「あ、あ、ありがとう……」
 ミイだ。
 次にミルが三人を抱きかかえた。
 彼女は何も言わなかったが泣いているようだった。

(俺……救ったんだよな……これで全員救ったんだよな)

 サイトウ軍曹達に捕まる可能性があるので、このまましばらく彼女達の宿舎に隠れ、日が昇る前にコッソリと自分の宿舎に戻った。
 スパイみたいな気分だった。
 扉は、偶然か知らないが、開いたままだった。中にはもちろん誰もいない。
 牛肉缶詰とコッペパンは手つかずのまま床に転がっていた。食べる気がしない。
 座布団の上で横になったが、興奮と震えで(ほとん)ど眠れず朝を迎えた。

初任務は危機一髪

 朝になるとさすがに腹が減ったので、乾いて堅くなったコッペパンを(かじ)った。
 ここにいても落ち着かないので、外の様子を見るため散歩に出た。
 森の朝の空気を吸い込むと、実に気持ちがいい。
 宿舎から外に出ている仲間はまだいない。
 昨日の集合場所まで歩いて行くと、向こうからサイトウ軍曹とカトウが歩いて来るのが見えた。敬礼のポーズで挨拶した。
「おはようございます」
「よぅ、早いな。ん?……どうしたその顔は?」
「はい。殴られました」
 カトウが甲高い声で言う。
「見れば分かる! 簡潔に的確に物を言え! でないと質問を繰り返すことになる!」
「はい。昨晩、Bチームの男達に森の中へ連れて行かれ、ここで寝る練習をしろと殴られました」
 サイトウ軍曹はタバコを取り出して言う。
「やっぱりな。あいつらなら、やりかねん。新兵の教育的指導と称してな」
「やりかねないって、あいつらをご存じなのですか?」
 彼女はタバコを(くわ)えて火をつける。
「前から何回かこっちに配属されてくる。その度に問題を起こす札付き。罰としてチームから外したいが、人手不足だからそうもいかん。あいつらと一緒の任務に就かせるが、接触しないように配慮する」
「ありがとうございます」
 彼女は旨そうに一服してから言う。
「明日、物資の輸送を手伝ってもらう。Bチームの初任務だ。頑張れよ」
「はい。分かりました」

 次の日、朝から雨だった。
 雨具は薄いコートだけだ。ヘルメットは傘代わりである。
 物資の輸送には幌のついたトラック3台があてがわれた。
 これに弾薬、食料、医薬品等を分けて積み込む。
 先頭のトラックは弾薬で、荷台には営倉から出てきた男四人組が乗り込んだ。
 しんがりのトラックは医薬品で、荷台には俺と彼女達の四人組が乗り込んだ。
 サイトウ軍曹の配慮に感謝した。

 1時間ほど進むとトラックの速度が遅くなり、横揺れが大きくなった。
 アスファルトではない土の道で泥濘に入ったのだろうか。
 しばらく進んで行くと、突然、進行方向から大きな爆発音が2回続けて聞こえた。
 思わず耳を塞いだ。
 トラックが急に止まる。
 運転席から「来るぞ!」と叫ぶ声がした。
 今度は、乗っているトラックの進行方向と反対の位置で大きな爆発音がした。
 耳を塞がないと鼓膜が破れそうな大音響だ。
 幌が爆風で揺れた。
 トラックが急に後ろ向きに走り出した。
 この動きを予想していなかったので、長椅子に座っていた全員が横向きに倒れた。
 ダダダダッと銃声がする。遠くからも近くからも聞こえる。
 銃撃戦だ。
 倒れた彼女達が起き上がろうとするので「床に伏せろ!」と指示した。
 彼女達は慌てて床に伏せた。
 すると、幌に無数の穴が開いた。ちょうど彼女達が座っていた位置だ。
 トラックが急発進しなかったらと思うとゾッとした。

 銃撃は途中で途絶えた。
 襲撃してきた敵を撃退したのだろう。
 横揺れがヒドかったが、しばらくするとアスファルトの道路に戻れたらしく横揺れがなくなった。
 トラックは急いで向きを変えて連隊に帰るようだった。
 幌の穴から風が吹き込む。
 俺も彼女達も荷台に横たわり、ただただ震えているしかなかった。

 連隊に戻ると、運転手の証言から状況が分かった。
 先頭のトラックがロケット弾でやられて、しんがりのトラックも狙われたがロケット弾が後ろに逸れた。
 銃撃戦により敵を撃退出来て、おかげで2台は無事に帰還したとのことだった。
 逃げるのに精一杯で、先頭のトラックの状況は不明とのこと。
 そこで偵察に行く話が出て、なぜか俺が選ばれた。
 屋根のない四輪駆動車が1台用意され、そこの助手席に乗り込んだ。
 ミキ達三人は雨の中を心配そうに見送ってくれた。

 運転する女兵士はカワカミと名乗った。
 彼女から護身用にと拳銃を渡された。
「使い方は訓練受けたよね」
「は、はい」
 彼女は笑う。
「頼むから自信なさそうに言うな。背中を預けるんだから」
 自信がないのはバレバレだったようだ。

 雨は小降りになってきた。
 コートは蒸し暑いので脱いだ。
 まだ苗を植えていない田んぼが両側にずっと広がる光景を見ながらアスファルトの一本道を1時間ほど進むと、左に伸びる枝道が見えてきた。
 それは小高い山と山との間に入る道だった。
 車は左折した。
 アスファルトがなくなり泥濘の道だった。泥濘の揺れで思い出した。
(さっきここを通ったんだな)

 山と山との間を少し行くと道が左カーブになり、左側の山が切れて田んぼが見えてきた。
 右は山のままである。
 左は一面田んぼだが、50メートルほど先の田んぼの真ん中に青いトタン板で出来た小さな小屋がポツンとある。
 休憩小屋だろうか。その小屋のそばに3台のバイクが見えた。
(農家か誰かの乗り物か?)
 その時、カワカミが叫んだ。
「あれだ!」
 彼女が指さす方向を見ると、道の真ん中で1台のトラックが黒焦げになっていた。
 20メートルくらいまで近づいて彼女は車を止め、自動小銃を構えて車を降り、腰を低くして周囲を警戒しながらトラックへ近づいて行った。
 そしてトラックの周りを一周して戻ってきた。
「六名の死亡を確認。生存者なし。報告しないと」
(あの連中が全員死んだ……)
 目の前に起きた現実に恐怖を覚えた。

 運転席に乗り込んだ彼女が無線で連絡を取るが、通じない。
「電波が届かないところだな。戻るか」
 彼女がエンジンをかけたその時だった。
 小屋の方から、バイクのエンジンを吹かす音がする。
 見ると紺色の軍服を着てヘルメットを被った三人の女兵士がバイクにまたがり畦道を通ってこちらに向かって来る。
「来たぞ来たぞ!」
 彼女はアクセルを思いっきり踏む。
 四輪駆動車は全速力でバックしようとするが、泥濘で空回りし、なかなか早くは進まない。
 バイクもそうだ。泥濘に滑っている。
 お互いに距離を保った状態でノロノロと追いかけっこしている姿が滑稽に思えてきた。
 しかし、バイクの方が勝っているらしく、徐々に近づいてくる。
 ロードバイクだろうか。

 ボーッとしている俺にカワカミが発破をかける。
「何見とれてるんだ! ぶっ放せ!」
 言われてみれば、こちらは一発も撃っていない。
 彼女は車を泥濘から抜け出るように運転することで必死だ。
 ぶっ放せと言われても、にわか訓練しか受けていないので拳銃を構えるだけで手が震えてくる。
 膝まで震えてきた。さらに、車の揺れで狙いが定まらない。
 徐々に迫ってきたバイクの方からパンパンと発砲が始まった。
 女兵士はタイヤを狙っているらしく、斜め下を撃っている。
 震えが止まらず、拳銃の引き金にかかる指が自分の意思で動かない。
(駄目か!?)
 とその時、急に車のスピードが出た。
 弾みで前のめりになり拳銃が手から離れた。
 危うく拳銃を車の外に落とすところだったが、足下に落ちたので安堵した。

 泥濘を抜けてアスファルトの道まで出たようだ。
 車は向きを変え、全速力で連隊に向かう。
 バイクも泥濘の道を抜けたようだ。
 田んぼがどこまでも広がっている。
 まっすぐに伸びるアスファルトの道をひた走りに逃げる車と追う3台のバイク。
 小降りの雨だが雨粒が痛い。
 向こうは、追いかけながら銃をパンパンと撃ってくる。
 車体に弾が当たる音がする。恐怖を覚えた。
 情けないことに、俺は両手でヘルメットを押さえてマユリの加護を待っていた。

「敵さん、こちらが撃たないからいい気になっているな。いいこと思いついたぞ」
 彼女は何か閃いたらしい。
「ハンドルを押さえていろ! 右手を使え! ちょっとアクション映画の真似事をやる」
 彼女は左手をハンドルから離して自動小銃を左手に持った。
 俺が不甲斐ないので、自分で応戦するようだ。
 言われるままにハンドルの左側を右手で押さえると、彼女が右手を離して後ろ向きになって銃を構えた。
 意図せず車が大きく蛇行した。
 彼女がアクセルを離したらしく、減速もした。
「馬鹿野郎! 道は平らじゃない! しっかり押さえろ!」
 その声に力いっぱいハンドルを押さえた。
 蛇行が小さくなった。
 平らに見える道は確かに平らではなく、ハンドルがどうしてもとられる。
 蛇行し減速する中、彼女は銃を3秒間ほどダダダダッっと連射した。それがすごく長く感じた。
「よし!」
 彼女が前を向き直ると急ブレーキがかかった。
 恐る恐る後ろを見ると、道路の向こうで三人が倒れていて、バイクもバラバラの方向に倒れていた。
(人が死んだ……)
 また震えが止まらなくなった。

タイマン勝負は命がけ

 カワカミはギアを入れ替え、車をバックした。
「え? 帰るんじゃないですか?」
「確認確認」
 彼女の大胆さに心底驚いた。
 俺は、死体に近づく恐怖もあったが、倒れている三人は実は死んでいる振りをしていて、いきなり起き上がってくるのではないかという恐怖もあった。
「追っ手が来るとヤバいから、やめましょう」
「こいつら斥候だ。追っ手は来ないはず。捕虜にしたら手柄だ」
「死んでますって」
「それを確認するのもある」

 こちらの心配を無視して彼女は敵が倒れているところから10メートルくらいの距離に車を止める。
 彼女が自動小銃を片手に車を降りる。
 俺も従った。
 手ぶらで不用心かと思ったが彼女に釣られて丸腰で歩いた。
 敵の拳銃が3つ、遠くに落ちている。
 3メートルくらいの距離に近づいた。
 三人はバラバラの位置に仰向けに倒れていて動かない。
 近くに外れたヘルメットが転がっている。
 見たところ、東洋人の顔をした黒髪の女が一人、西洋人の顔をした金髪の女が二人だ。
 三人とも長身だ。

 カワカミが銃を構え、用心しながら倒れている女達に近づいた。
「拳銃持っているよな?」
「すみません。車の中で落としました」
「マジかい!?」
 彼女は睨むようにこちらを見る。
「おいおい、丸腰だと万一の場合-」
 とその時、彼女の近くに倒れていた東洋人の女が急に立ち上がる。
 先ほどまで恐れていた最悪の事態だ。目の前でゾンビに襲われる以上の恐怖を感じた。
 彼女が女を至近距離から銃撃しようとするが、女に銃を握られてしまう。
 握った銃が横に逸れた。そこで彼女が引き金を引いたので、弾は空しく田んぼの方に消えていく。
「ヤバい! 弾切れだ」
 彼女は、弾切れとは知らない女と死に物狂いで銃の奪い合いを始める。

 ボーッと見ていた俺は、我に返って助けに行こうとした。
 とその時、俺の近くに倒れていた一人の西洋人の女が突然立ち上がった。
 頭一つ分大きい女がこちらを見下ろす。
 自分より背が高い女を見たことがないので声も出ないくらい恐怖に駆られた。
 蛇に睨まれた蛙の状態である。

 女は素早く拳を振りかぶって飛びかかった。
 咄嗟(とっさ)に交わそうとしたが、目にも止まらぬ速さの一撃を右頬に食らった。
 顎が外れるかと思った。
 蹌踉(よろ)めいていると、今度は強烈な回し蹴りを頭に食らった。
 衝撃でヘルメットが後ろにずれた。目眩がした。
 迂闊(うかつ)にも拳銃を持って来なかったことを後悔した。
 女は何かの拳法の構えを見せる。体の軸がぶれていない。
(こいつ強い! 手加減している場合じゃない! 仕舞いには殺される!)
 俺はありったけの力で腹めがけて蹴りを入れようとしたが、軽く交わされた。
 逆に女から顔面に正拳突きを四発食らった。
 歯が折れたのではないかと思うほど強い突きだ。
 反撃の突きを繰り出すが、防がれた。
 右の拳、左の拳。
 すべて空を切る。
 女は身が軽い。
 また女の正拳突きを四発食らった。
 思わず膝を折った。

 すると女は、後ろを向いて走り出そうとする。向かう先には拳銃がある。
「させるか!!」
 俺は立ち上がり、女の背中めがけて渾身の蹴りを入れた。
 不意を突かれた女は前のめりにドオッと倒れた。
 倒れた拍子に、アスファルトに額を強く打ったらしく、ゴツっと鈍い音がした。

 女を仰向けに起こして馬乗りになる。
 正拳突きの借りを返そうと拳を振り上げた。
 ところが、間近で見るとハッとするほどの美人だった。
 眉毛も睫毛までも金髪。金色の産毛。
 吸い込まれるほど美しい青い目。ピンク色の唇。白い肌。
 西洋人形を見ているようで、拳を振り上げたまま躊躇した。

 すると女は、俺の両脇に足を入れた。
 アッと思った時は、勢いよく後ろ向きに倒された。
 頭の後ろにずれていたヘルメットがアスファルトの上でガツンと音を立てる。
 助かった。
 急いで起き上がると、女も立ち上がった。
 また背を向けて走ろうとしている。
「甘い!」
 もう一度背中に渾身の蹴りを入れる。
 またもや女はドオッと倒れ込む。
 動きが鈍くなった。今度は効いたようだ。

 仰向けに起こす。
 瓦割りの要領で拳を腹に打ち下ろした。
 だが、腹筋を鍛えているのか、堅いゴムを叩いているようだ。効いていない。
 馬乗りになる。
 女の腰が浮いたように思えた。
 二度も同じ手は食わない。
 脇を締める。
 今度は躊躇せず、拳にありったけの力を込めて顔面を10発以上殴った。
 さっき食らった突きの借りを利子付きで返してやったのだ。
 女は気絶して動かなくなった。

 カワカミはまだ東洋人の女と取っ組み合っている。
 加勢に行く。
 彼女から女を引き剥がし、女を何度も何度も殴った。
 彼女を守りたいという思いから、自制が効かなかった。
「もういい。気絶している」
 彼女は俺の右腕を掴んだ。

 車に戻った彼女が縄を持って来たので、協力して二人の女を縛った。
 あと一人は重傷ながらもまだ生きているらしい。
 この女も縄で縛って、三人を車の後部座席に乗せた。
 カワカミは「ヤレヤレ」と溜息をついて、エンジンを掛けた。
 俺もふぅと溜息をついて助手席に座ると、待ってましたとばかり、彼女は車を急発進させた。

「こいつ、滅茶苦茶強い奴です」
「ああ、マモルくんとやり合った金髪女? 確かに体格いいし」
「ええ。拳法の達人かも知れません。俺、空手をちょっとやってるんですが、まったく歯が立ちませんでした」
「しっかし、この金髪女。弾当たっているのによくあんなに動けるよな」
 振り返って女をよく見ると、今まで気づかなかったが、脇腹あたりに血がにじんでいる。思わず背筋が寒くなった。
(平和な世の中なら、きっと道場で生徒に拳法でも教えていただろうに……戦争は人の運命をこんなにまで変えてしまう……なんて残酷なんだ)
 昨日までジュリやケンジのカタキを取ろうと息巻いていた俺が、敵に同情している。
 さっきまで肉弾戦で戦った相手、こちらを殺そうとした相手に哀れみまで感じているのだ。

「なあ、マモルくん」
 カワカミが前を見ながら話しかける。
「はい?」
「今ここだから言うけど」
「何でしょう?」
「見ていて歯痒(はがゆ)くなるんだよね」
 カトウが、簡潔に的確に物を言え、と言っている顔が浮かぶ。
「ズバッと言ってもらっていいですよ」
「じゃ、遠慮なく。あのね……」
「はあ」
「鈍いっていうかなんていうか」
「だから、何がでしょう?」
「君の周りの女の子。ありゃ、片思いだね。しかも、一人じゃない」
「え?」
「やっぱり鈍いな……。モテ男が鈍いとは困ったものだ」
「……」
「君のハートを狙っている女の子がたくさんいるってのに、鈍いってこと」
「気づきませんでした」
「羨ましい話だよ、まったく」
「はあ」
「世の男性が聞いたら、殴られるぞ」
「大丈夫です。腕力なら-」
「そういう問題じゃなく。……ま、アタックされたら迷わず行けよ。積極的に。男らしく。見ていて本当、……なんて言うかこの辺が(かゆ)くなるから」
 彼女が首を()く。

 全く身に覚えがない。
 鈍いのかも知れないが、本当だ。
 片思いって誰のことを言っているのだろうと考えているうちに、雨がまた激しく降ってきたのでコートを羽織った。
 俺達は連隊へと急いだ。

告白再び

 車が連隊に戻ると、新入り多数が出迎えてくれた。
 ミキ達三人は駆け寄ってきて無事を喜んでくれた。
 特にミイとミキは抱きついてきたので、周囲の目が気になって仕方なかった。
 捕虜は近くに駐屯している部隊に連行された。
 Bチームの男四人を含めた六人が死亡したと伝わるや否や、新入り達が急に怖じ気づいてしまった。
 連隊長は命令で場の雰囲気を払拭したが、一時的なものだった。

 その日から、トラックの荷台に乗り込むことは最後の別れみたいになり、毎回涙のお見送りが行われた。
 幸いなことに、輸送路を変えてからあのような事件は起こらなくなった。
 それでお見送りも減ってきたが、厭戦ムードはジワジワと確実に広がっていったと思う。

 それからしばらく、仕事はキツいながらも、Bチームは四人で仲良くやっていた。
 話もたくさんして、すっかりお互いに打ち解けた。
 冗談も言い合うようになった。
 結束も固くなったような気がする。
 仕事中にミイとミキが時々こちらをチラチラ見る。
 その視線が気になる。
 それ以外は、特に変わらない毎日なのだが、しょっちゅう見られると気恥ずかしい。
 二人で一緒に重い箱を持つ機会が多い。
 この体勢だと、どうしても顔が向かい合わせになる。
 その度にお互い顔を赤くしながら箱を運んでいた。

 赴任してから3週間以上が経った。
 そろそろ休暇が近い。
 妹とイヨに会えるのが楽しみである。
 仕事にも慣れてきたのでもう少しここにいてもいいとも思ったが、やはり早く帰りたい思いの方が打ち勝つ。

 夕方にコンビーフとパンの配給を受けて、いつものように宿舎で食事をしていた。
 人員の補充がないので、俺の宿舎は独身寮状態である。
 食事がもう少しで終わりそうな頃、ドアをノックする音がした。
 まだ外出禁止の時間ではない。
(誰だろう?)
 ドアに近づいて声を掛けた。
「はい」
「富士山麓」
 これはミキの声だ。
「オウムはおごる」
「人並みに」
 ドアを開けると、ミイとミキが配給のコンビーフとパンを抱えて立っていた。
「一緒に食べようと思って」
「悪い、先食べてた」
「いいの。入るね」

 食事をしながら三人で世間話をした。
 楽しく話を続けていると、いつの間にか恋愛の話になった。
 この手の話は面と向かっては苦手である。
 彼女達の話が恥ずかしくて顔が熱くなった。
 急にミイがミキの方を見て言う。
「は、はっきりさせよう」
「うん、そうだね。はっきりさせないと」
(何を?)
 少しの沈黙が俺を不安にした。
 意を決したように彼女達は崩していた足を正座に正し、同時にこちらを向いた。
「どうした?」
 彼女達は答えない。しかし眼差しが真剣なので、俺も正座した。
 二人は30度の角度のお辞儀をした。
「マモルさん」
「マ、マ、マモルさん」
「はい」
 二人が同時に右手を差し伸べる。
「お付き合いしていただけますか?」
「い、いただけますか?」
 二人はそのまま姿勢を崩さない。
(このことか)
 カワカミに言われたことを思い出した。と同時に遠い記憶が蘇ってきた。

(あれ?……いつだったか誰かに告白された気がする……そうだ……どこかで究極の選択をしたはず……いつ?……どこで?)

 どうしても思い出せなかったが、告白されたのは覚えている。
 胸がつかえてモヤモヤする。
 思い出せない歯痒(はがゆ)さに苛立(いらだ)った。
 目の前で二人の右手が小刻みに震えている。このままにしておけない。
(思い出せ! 思い出せ!)
 すると、遠い記憶の中から相手の顔が蘇ってきた。

(そうだ……思い出した!……あの時、<彼女>を選んだはずだ……そう、確かに<彼女>に決めたはずだ……目の前にいるじゃないか!)

 やっと胸のつかえが取れた。
 そして、ゆっくりと優しく<彼女>の右手を取った。
 <彼女>は泣き出した。
「お、おめでとう」
「ありがとう。嬉しくて、嬉しくて……涙が出て来ちゃった」
「ミ、ミキちゃん。お、お幸せに。マ、マモルさん。ミ、ミキちゃんを大切にしてあげてください」
 ミイはそう言って、俯きながら急いで宿舎の扉を開けて出て行った。
 ミキは嬉し涙を流しながら言う。
「よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
「はい」

幼馴染みと彼女

 ある晴れた日にBチームの四人が当番となり、いつものように前線へ物資を運びに行った。
 トラックの助手席にカワカミがいた。
 目的地に到着してトラックから荷物を降ろしていると、向こうから三人の女兵士が近づいてきた。
 背が低くて太っている女と背が高くて痩せている女、そして二人より少し後ろに背が低いが三つ編みをしていてサングラスをかけている女だ。
 受け取りの確認に来たのかと思ったので、あまり気にしていなかった。
 俺とミキが一緒に大きな荷物を降ろし終えた時、太った女兵士がススッと近づいてきた。
「兄ちゃん、イケメンだね。ちょっとこっち来なよ」
 女は、こちらが返事もしていないのに、太い指を使って肉に食い込むような力で腕を掴み、強引に引っ張った。
「任務中」
 腕を振り払った。
 女はさっきより力を込めて腕を掴む。
「いいだろ、そいつらにやらしときゃ」
 また腕を振り払う。
「そうもいかない」
「てめえ、気が利かねえな!」
 いきなり胸ぐらを捕まれた。
 ミキは心配そうに俺を見ている。

 カワカミが運転席から飛び降りて駆けつけてきた。
「おい、うちの若いもんに手を出すな!」
「るせぇ、こちとら命張ってんだ! 何が悪い!」
 二人は睨み合った。
 すると、サングラスの女兵士が三つ編みの先を(いじ)りながら近づいてきた。
(この仕草、見覚えがある……誰だ?)
「まあまあ。こういう所に長くいると気が立ってくるから、ここは勘弁してやって」
 その聞き覚えある声にドキッとした。思わず叫んだ。
「ジュリ!?」
「ん? 何こいつ? 馴れ馴れしい……って、え? お前? もしかしてマモル!?」
「お前、本当にジュリだよな!?」
「そうだよ」
「俺、マモルだよ!」
「……あー、やっぱりマモルか、鬼棘のところの。ヘルメットを深く被ってたから分からなかった」
(生きていたんだ!)
 黒焦げの校舎が目に浮かんだ。同時に感動のあまり涙が出そうになった。

 太った女が俺とジュリを交互に見て、掴んでいた手を離す。
「何お前ら、ダチ?」
「幼馴染み」
「来たー! 萌え要素。何、感動の再会ってやつ!?」
 ジュリは俺を見る。
「だね、マモル?」
「ああ、幼稚園から高校までよく一緒にいた。クラスも時々一緒だった」
「そうだっけか? 小四で別れて高一の時再会したと思うけど」
 並行世界でのジュリは、いつも俺にベッタリのあのジュリではなかった。
 だから妹も知らなかったのだ。

 戸惑いながらも会話は続けた。
「元気だった?」
「元気元気。弾丸くぐり抜けてピンピンしてる」
「どうしてここへ?」
「ああ、学校が焼けたとき、超ムカついて。編入断って兵隊に志願したの」
「ケンジは?」
 ジュリは急に顔が暗くなった。
「死んだよ、あの時の空襲で」
 その言葉に愕然とした。

 ジュリは思い出したように言う。
「そうそう、うちら呼集かかったから。二人に言いに来たの」
 痩せた女が言う。
「何、もう前線送り?」
「そう。じゃ、元気でね」
 ジュリは手を振って、二人を引き連れ去って行った。
 カワカミがポツリと言う。
「ここで呼集かかるってことは、最前線行きだな」
 俺は慌ててジュリを止めようと足を踏み出したが、カワカミに右肩を掴まれた。
「ここで見送ってやれ。気持ちは分かるが、今行くとあの子、未練が残る」
 俺は「頑張れよ~!」と叫んだ。
 生きて帰れよ、の言葉は飲み込んだ。
 ジュリは歩きながら、こちらを振り向かずに右手を肩の高さに挙げて振った。
 姿が見えなくなるまで見送った。

 一瞬の再会と別れ。
 生還の喜びに続く死への不安。
(この並行世界は、なんて残酷なのだろう)
 帰り道は、トラックの荷台の長椅子にミキと並んで座ったが、彼女は距離を置いて座り、俯いたまま一言もしゃべらなかった。

 次の日の朝、ミキと俺は倉庫へ荷物の搬出に向かった。
 ミキが台車を押していた。これに荷物を載せるのだ。
 倉庫の中は箱が山のように積み上げられている。
 狭い倉庫に物を詰め込んでいるので、通路は狭い。
 入り口から入って突き当たりを右に曲がると、ミキが台車を置いて俺の左横に並んだ。
 奥の突き当たりの箱を搬出するのだが、少し歩くと急に左肩を掴まれた。
 左を向くとミキがこちらを向いている。
「どうした?」
「お願い」
「何?」
「まだしてない」
「え?」
「知っているくせに。言わせるの?……キ、ス」
 頬が熱くなった。
 ミキも顔を赤らめた。

 昨日ジュリと俺との現場を見ているから、気持ちを確かめたかったのだろう。
 幸い、箱が山のように積まれているので、外から見られないはずだ。
 彼女は目を閉じて俺の唇の方に唇を近づけてくる。俺は目を閉じた。
(こういう時って、男がリードするよな?)
 俺の方も近づいて行った。
 心臓の鼓動がドクンドクンドクンと音を立て、その振動は喉にまで達する。
 あと少しで唇が触れる頃だ。

 と突然、左肩を叩かれた。何かで左肩を上から押さえられている。
 驚いて目を開けると、目を見開いたミキの顔がそこにあった。
 左肩は押さえられたままだ。
 俺は恐る恐る左を見た。同時にミキも同じ方向を恐る恐る見た。
 そこにはサイトウ軍曹が立っていた。
 俺達の肩を両手で押さえているのだ。
「お前達!」
 彼女は咳払いをして低い声で言う。
「なんだな。こっちが見ていて恥ずかしくなるようなことを、こんな所で」
 彼女は両手を離した。
 俺は彼女の方に向き直って直立不動で答える。
「申し訳ございません!」
「誰からけしかけた?」
 俺達は顔を見合わせた。
「分かった。女の方からだな」
「いいえ、俺からです」
「庇わなくていい」
「いいえ、俺から-」
「くどい!」
 彼女は少し後ろに下がって入り口方向を確認し、こちらに近づいて来て小声で言う。
「人が来た。この件は、今回は大目に見る。任務に就け」
「分かりました!」
 彼女は去って行った。
 俺とミキは荷物の搬出を再開した。大きめの荷物を二人がかりで運ぶ。
「ゴメンなさい」
「いや、こっちもゴメン。ミキの気持ちを考えなくて」
 荷物を台車に載せた。
「気持ちって?」
「昨日の幼馴染み。死んだと思っていたのが生きていたから、つい嬉しくて」
「ううん、いいの。あの人、元気だといいね」
「ああ」
 二人で台車を押し、入り口に向かった。
「私のこと……好き?」
「もちろんさ」
 台車の取っ手を(つか)む左手の上からミキは右手を重ねた。その手は温かかった。

惨劇の始まり

 1ヶ月経って、待望の休暇となった。
 3日間だが、行きと帰りに半日かかるので実質は2日だ。
 携帯電話を返されたが、電源パックを外されていた。
 トラックで指定場所に着いたときに電池パックを装填し電源を入れるように言われた。
 トラックは十三反田(じゅうさんたんだ)公園前駅から3つ目の駅の前に止まり、ここで降ろされた。
 明後日もここで8時に集合らしい。
 ミキ達は別方向に行くというので三人と別れた。
 別れ際にミキが近づいてきて小声で言う。
「明日12時。ここで」
「ああ」
 別れてから、携帯電話で妹に電話した。
「着いたよ」
「お兄ちゃん!? お帰りなさい!」
「ああ、ただいま。待たせたな」
「本当だよ」
「ゴメンゴメン」
「今どこ?」
十三反田(じゅうさんたんだ)公園前駅から3つ目の駅」
「外で一緒に夕飯を食べたいの」
「じゃ、十三反田(じゅうさんたんだ)公園前駅北口のパン屋の前」
「いくつかあるけど」
「北口を左に曲がって最初の横断歩道のそばにある大きなパン屋の方だ。レストランもあるパン屋。その店の前で17時待ち合わせ。どう?」
「分かった」
 俺は電話を切った。
 その時、これが妹との最後の会話になるとは、全く予想もしなかったのである。


--(6) 第六章 妹&リク編に続く

並行世界で何やってんだ、俺 (5) 救出編

並行世界で何やってんだ、俺 (5) 救出編

並行世界でイヨの身代わりになった俺は、後方支援部隊として遠い土地に派遣される。そこは味方も信用できない生と死が背中合わせの場所だった。数々の困難を切り抜けるも束の間、再びミイとミキに究極の選択を迫られる。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-09-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 生と死と
  2. 合言葉は平方根
  3. 忍び寄る魔の手
  4. 初任務は危機一髪
  5. タイマン勝負は命がけ
  6. 告白再び
  7. 幼馴染みと彼女
  8. 惨劇の始まり