会社は”奴隷”と”お馬鹿”の集合体 ~お馬鹿編~
どんな時でも前向きな主人公。ほとばしる妄想に限りは無いのか?狭窄な現実に顕わるる素敵なファンタジー。
沢村高志は弁が立つ。
彼を知る全員が口を揃える。そう、つまり賢い男なのだ。
同期入社である私もそう思う。
であるからして営業成績は常にトップなのだ。でも、どこか腑に落ちない。お客様からの信頼は厚いのだが、社内での彼の評判ときたら毎日が
”炎上”
なのだ。
こんな事があった。
夕刻ともなれば誰か(特に年配層)がプロ野球のナイトゲームの話を切り出す。
それぞれがごひいき球団の自慢話に花を添え始めるのだ。
”中田のアッパースイング何とかならんのかなぁ、しかし。まっ、大谷がいるからいいけど・・・”とか、
”黒田のピッチングは昔と何一つ変わらないなぁ・・・”などと、
お前はコーチか!?
と突っ込みを入れたくなる衝動に駆られたりする事もしばしば。
そんなある日の事、誰ぞが沢村に声を掛けた。よりによって沢村に。
”沢村さんは野球見ないの?”
その時の沢村の顔は、とても印象深かった。まるで狙いすましたクロスカウンターが決定的なものになると予想され、その後の勝者インタビューでお世話になった方々へのお礼の言葉を滔々と喋る自分を想像しているボクサーの様であったのだ。
「高畑さん!」
沢村は、デスクの上のノートパソコンをパタラッ!と閉じ、デスクトップの画面とキーボードを目で交互に追っている高畑氏に向き直った。そしてこう言った。
「野球、ですか、野球ねぇ。あの野球ですよね・・・フフン、野球ってあれですよね、かのGHQが敗戦国であるこの日本に持ち込んだ例のスポーツ、ですよね?」
”・・・・・”
誰もが黙りこくってしまった。いけ好かない感じの沢村はそのまま話を続けた。
「み・な・さ・ま、口を開けば野球野球って言いますけど、そもそも野球という代物は先の大戦後にGHQが行った3S政策の最たるものじゃないですか。日本人を腑抜けにする為のスポーツ。物事を考えないように仕向ける、ガス抜き、と言っても良いでしょう。黙々と労働し、娯楽として野球をしろ、野球を見ろ。戦争に負けたのはお前ら黄色いサルが悪いのだ。余計な事は考えるな。間違っても報復など考えるな。だからほら、みんなで一緒に野球をしよー・・・って事なんですよ!そんな理由で発展した野球なんてものに私はこれっぽっちも魅力を感じない。皆さんは日本人として恥ずかしくないんですか?」
まくし立てる沢村。呆然とする同僚達。オフィス内は凍り付いてしまっていた。
一気に雰囲気が悪くなってしまった空気を読んだ係長の源(みなもと)が、誇らしげに顎を突き出している沢村に声を掛けた。
「まあ、まあ沢村君、そうは言っても野球はこの現在の日本においてとても人気のある大衆スポーツだ。みんなが楽しんでいるのだから良いではないか、な」
源係長は話を続けた。
「その敗戦国の日本人だってアメリカ大リーグで活躍しているじゃないか。世界に誇れるんじゃないかね?」
源係長の言葉に周囲の人達は小刻みに頷いていた。沢村はしんみりと話を聞いたが、聞き終えると同時に大きなため息をつき、そして、
「あのですね・・・」
と、喋り出した。
「あのですね・・・いいですか皆さん。そもそも野球というのは世界の中ではとてもマイナーなスポーツなんです。アメリカで発展した言わばアメリカのスポーツなんです。もちろんアメリカと日本だけのスポーツとは言いません。台湾、キューバ、ドミニカ、ベネズエラ、ニカラグア、パナマ、米領プエルトリコ、オランダ領アンティルなどは野球がトップスポーツ。準トップスポーツの国はアメリカ、韓国、メキシコ。野球がある程度行われている国はカナダ、オランダ、イタリア、中国、オーストラリア、イスラエル、ウクライナ、クロアチア、ギリシャ、ドイツ、南アフリカ。ただし、イタリアと並ぶヨーロッパの強豪国であるオランダの国内リーグに元巨人軍の門奈投手が最多勝プラス、ホームラン王までとってしまったという事実がある。つまり、ハイレベルなゲームが可能な国はせいぜい世界でも10か国程度しかないのです。だが勘違いしないで欲しい。私は、層が薄いからレベルが低いのであろうなどと野暮な考えは持っちゃいない。野球というスポーツを語る上で、世界レベルの話しは如何せん無理があると思うのです。とは言え日本人選手の野球レベルは間違いなく世界のトップに競い合うレベルのものだ。そこは間違いない。だがやはり私が言いたいのはそこではないのです。皆さんに分かってもらいたいのは実は、この野球というスポーツの出自なんです・・・。
明治4年に日本に伝わったこの野球。先の大戦までは子供の遊び程度でしかなかった野球。プロが出来た?良かったじゃないの、素晴らしいじゃない!って誰しもが思うでしょう、実際私もそう思っていた。だが何故プロ化したのか?しかも戦後すぐに。誰かがプロ化を後押ししたのでは?それは何故?・・・そんな疑問が皆さんには湧いてこなかったのですか?私は疑問でした。ですからとことん調べました。そしてようやく答えが分かりました。それはあまりにショッキングな内容でした。それは・・・」
「沢村・・・」
私は、オフィスの中で一人拳を振り上げ遠くを見ている沢村に声を掛けた。
「沢村、帰ろ・・・」
「・・・うん、もちろんだとも」
私たちの他に誰もいない。いつもの事だ。沢村が喋り出すと誰も居なくなる。そんな彼の事を会社のみんなはこう呼んだ。
”孤高の寵児”
私が勤めている保険会社はいわゆる外資系というやつ。
日本の保険会社大きく違うところ。それは、
”自由さ”と”結果主義”
である。
勤務中に何をしてもお咎めが無いのである。その代り、芳しくない結果が出た瞬間に、
”クビ”
である。
綱渡り的ではあるものの、そんな社風が私には心地良く、もうかれこれ10年程在籍している。
私と同じ理由で・・・、かどうかは知らないが、同期入社で未だ在籍しているのは私と沢村、そして鶴田という男の3人だけである。
そしてこの鶴田というおっさん・・・いや、失礼、この男も沢村同様かなり面倒臭い男なのだ。もしかするとこの男、会社の中、いや、このビルディングの中で一番嫌われているかもしれない。
その大きな理由は、類い稀な”軽さ”にあるだろう。
その鶴田。
とくに沢村とはまるで気が合わなかった。
ある日の事だった。確か入社して1年位経った頃だったか。
沢村と鶴田の仲を決定づける事が起こった。
「鶴田さん?この領収証は無理ですよ・・・」
経理部の吉川さんの声が聞こえて来た。
「これは部長に上げるまでもないです。私の時点で却下です。そりゃあそうでしょう、”リゾートホテル・ニュー函館オーシャン”って、ここに泊まって何やってたんですか?こんなの部長に見せたら私が怒られます」
「あっそ、無理?そっか無理か。そうだよねぇ、あはは無理か・・・」
「無理に決まってます。それとこの”船盛5人前12,000円とスペシャルマッサージオプショナル特別コース8,000円、この他にも函館周遊グリーンラグーン、スーパーコンパニオン(8時間)、旭山動物園一日見学、伊達時代村貸衣装代(町娘)、2時間ジンギスカン食べ飲み放題、巡る知床大自然クルージング、家族で楽しむ川下り、豪華客船フリープラン一週間の旅って、相当おかしいくないですか?めちゃくちゃ北海道旅行を満喫してるじゃないですか。新婚旅行にでも行ったんですか?しかも一人で出張しているはずなのに人数設定がおかしい。コース選択に一貫性もないし・・・だいたい、町娘ってなんですか?まさか町娘の衣装で時代村を歩いた訳じゃあないでしょうね?鶴田さん!」
鶴田は吉川さんが座っているデスクの横で、禿げ散らかした頭をポリポリと掻いていた。
「ま、町娘は君ぃ、お侍さんに比べ安かったんだよ・・・」
「つまり町娘の姿をしたって事ね・・・」
「・・・まぁ、初めから君に理解してもらおうなんて思っちゃいないよ。君はまだ若いからね。吉川君もあと10年もしたら分かるさ!」
「分かりません!!・・・私に権限があればあなたを今すぐ更迭したいぐらいです」
「そう、トンガルなよ・・・かわいい顔が台無しだぞ」
「・・・生まれて初めてこの手で人を殺めたくなってきた・・・」
そのやり取りは、ここに在籍する全ての職員が耳にしていた。その中で一人ワナワナと体を震わせていたのが沢村だった。余程腹が立ったのだろう、”バチン”と堪忍袋の緒が切れた音がした様な気がした。
「おい、鶴田!いい加減にしろよ。さっきから聞いてりゃ馬鹿な事ばかり言いやがって!お前なんか生きていてもしょうがない。俺様がぶっ殺してやる!」
と叫ぶが早いか、右手に握りしめた千枚通しで鶴田氏ののど元をめった刺しにする勢いを私は感じた。
「サ・ワ・ム・ラ~・・・」
と、力の限り抵抗する鶴田の首筋からはおびただしい鮮血があふれ出し、辺り一帯を赤く染めるのを想像した。
「地獄・へ、落・ち・ろ・・・」
と、沢村も息の根を止めようと鬼の様な形相で、尚も執拗に千枚通しを突き刺す様が脳裏に浮かんだ。
「・・・時間の無駄ですからもう馬鹿な領収証は持って来ないでくださいね、分かりました?」
かなり呆れ顔の吉川さんの、かなり呆れた言葉だった。
「もちろんですとも。お任せ下さい。この鶴田仁志、約束はキチッと守る男です。そこいらの男共とは一緒にしないで下さい!」
と、胸に手を当て言い放った。
沢村が鶴田を極端に嫌悪しだしたのはこの頃からだった。。
そしてある年の観楓会の事。
とうとう2人の直接対決が実現した。
きっかけは、集合時間に遅れて来た沢村に対して鶴田が放った一言からだった。
「あれ~ぇ沢村さん、頑張るねぇ。頑張りすぎて家庭崩壊なんて事にならないようにねぇ~」
と、いつものおちゃらけた口調でからかったのだ。すると沢村に火が点いた。
顔を真っ赤にさせた沢村は胡坐座でいる鶴田の側に駆け寄り、胸ぐらを掴み自分の目線まで持ち上げ口論が始まった。
「なんだとこの野郎、もっぺん言ってみろ!お前に何か言われる筋合いはねえ!このズラおやじが!」
目をまん丸くさせた鶴田が何とか沢村の右手を振りほどいた。
「何をそんなに怒っているのだい?私にはサッパリ理解できないよ・・・私が何かあなたの気に障る事でも言ったのかい?」
一瞬、沢村のボルテージがほんの少しだけ下がった様に見えた。
「そ、そうですね・・・あっいや、そうじゃない違う違う・・・あなたって人はどうしてそう、人を小馬鹿にした様な言い方しか出来ないのですか?人を不快にさせる天才ですね!」
いつもの喋り方に戻った。
「え~っ、私が?この私がですか?冗談はよしてくださいよ!この私が”小馬鹿に”だなんて、有り得ませんよ!どこを見てそんな事言ってるんですか!こんなナイスガイに!ねえ、皆さん・・・」
と、両腕を大きく広げた。
・・・どこか癇に障るのは皆、同じだった。
「どこがナイスガイなんですか?ビルディングいちの嫌われ者がナイスガイな訳ないでしょう?身の程知らずとはあなたの事だ!」
「身の程知らずって・・・私はただ労をねぎらう意味で冗談を言ったまで!あなたの家庭の事なんてこれっぽっちも知らない!奥さんと不仲だなんて一言も言ってない!子供がお父さんの顔を忘れかけてるなんて一言も言ってない!家にお父さんがいない方が家庭が幸せなんじゃない?なんて事は一言も言ってはいない!」
「言ってないよ!言ってない!何、着色してるんですか!まるで、実は俺はお前の家庭の事、なんでも知っているんだぜ、へへへ、みたいな言い回しはよしてください!聞いてる人が勘違いするでしょう!」
「あっ、そうなんだ・・・」
「あっ、そうなんだ・・・って何ですか!認めてどうするんですか!あなたのそのムラのある性格はいったい何なんですか!?一回病院で診てもらってはいかがでしょう?あなたの事だから病名は死ぬほど付ける事が可能でしょう。そこで先生に無理を言って一生入院させていただいて下さい。そうする事によってあなたに携わる多くの人々が苦しみから抜け出せる事でしょう。言わば人助けです。人類の為と言い換えても決して過言ではないでしょう。明日にでも受診する事を切に願います。いや、そうしなければなりません。そうする事があなたに残されたたった一つの、そして最後の行うべき最善の選択です。・・・今日はあなたの新たなる明るい未来への門出の為の会です」
鶴田の肩をポンポンと叩く沢村の表情には優しさが溢れていた。つい先程までの勢いは何処へ行ったのであろう。
沢村は天井を見上げ、話を続けた。
「良かった・・・本当に良かった。いつかはこんな日が来るって信じて疑わない自分がいた。今だから言える。本当に・・・」
「沢村!」
「ん?」
沢村は私に振り返った。そして伝えた。
「沢村、帰ろ。みんな帰ったよ」
和室の宴会場では食べ残しと飲み残しだけが騒がしい。
「・・・うん、もちろん、そうだとも・・・」
兵(つわもの)どもが夢のあと・・・。
オフィスのドアに鍵をかけ、沢村と私はエレベーターに乗り1階まで降りた。
エレベーターのドアが開く。そこには自動販売機からジュースを取り出す鶴田の姿があった。
「鶴田さんお疲れ」様!」
「おっ、おふたりさん、お疲れさん!」
鶴田はその場でペットボトルのジュースを一口飲んだ。そして、我々に向かってこう訊ねた。
「そう言えば明日観楓会だっけ?」
”うん”
と、ふたり同時にうなずいた。
私だけ一足先に観楓会を楽しんだのだけれども・・・と、ふたりに対して少しだけ申し訳なく思った。
会社は”奴隷”と”お馬鹿”の集合体 ~お馬鹿編~
全てが夢想で全てが起こりうる。現実と仮想世界の狭間はスペクタクルに満ちており、その気にさえなればどんな時さえ愉しめる。自分の事は自分しか理解し得ないからこそ開き直る事が可能なのである。己の時間軸さえ無為になる時その物語はようやく独り立ちする。