好きだ。
「あのさー、悪魔さん」
私が長年、肉体に取り憑いているご主人様は、1年後の、大学院合格を目指し、忙しく思考をめぐらせていた。そして、ここ最近は、勉学の事柄について、特別、魂やかましくしていた。
私は、一時間ほど前から、机に向かっているご主人に、迷惑かけないように、しばし、己の魂をお腹のあたりに留め、うとうととしていたのだが、急に、ご主人様の注意が私に向けられ、声をかけてきたので、ハッとした。
……ちなみに、『とり憑いている』と言ったが、私は、どこにでもいる、しがない悪魔で、私は彼……いや、ご主人様が小さい頃、ベビーカーという代物に乗っている時、ちらっと、お見かけし、そのあまりに純真な瞳に、抗えぬような、とり憑きたい衝動に駆られて、今まで、ずっと、ご主人様の行くところには、どこへでも一緒についてきている。
取り憑くと、どうなるかについては、それはもう、ご主人様の考えていることは私には筒抜けになる。ただ、どこまでも、美しい魂で、青年期特有のやましさがひとつもない方だった。
また、勉学がお好きな方だった。よく、一人でこもり、時々寂しそうに、長い間勉強するのだった。できるだけ、その邪魔はしたくないため、彼が勉学している時は、缶コーヒーを買ってきたり、後ろにあるベッドで昼寝したり、ここ最近は、いろいろな料理を勉強し、トムヤムクンを作ってみたりした(取り憑いているが、離れることは出来るのだ)。その時は、また、彼の【体】に戻り、一緒に食べていた。彼の心が「美味しい」と、言っていた。嘘は基本的につけないから、とても嬉しかった。
「あのさー、悪魔さん」
そして、話は戻る。何を言うのかと思った。
《なんですか?》
「最近、感情というものがわからない」
彼は困ったように言っていた。
《感情って何です?》
「…よく言う、好きとか嫌いとかのこと」
《缶コーヒーは好きでしょう?トムヤムクンも?》
「うん」
《……適当に、人間のこと見ていて、人間って、落ち着いたり、心地よくなったり、自分のそばに誰かがいてくれるのが、好きそうでしたよ》
「……そうなんだ」
まだ、ご主人様はふに落ちないかのようだった。
《……かつて、小さい頃、ミドリムシをよく観察していたのですが、あいつら、太陽とか、友達とか、好きなものには絶対、近づきますね。物怖じしないというか。逆に、外敵とか、嫌いなものには、逃げていますね》
私は言っていて、人間とは、好きなものに素直に近づくことをしない生き物だと気付いた。いろいろな事情があるのだろう。ただ、根本はミドリムシと同じだと知っている。
「僕、いろんな著名人のこと文献で見ているけど、これは好きってことなのかな。すごく面白いし、確かに、文章には近づいている」
《言葉や功績は魅力的でも、実際会わないとわからないと思います。人に厳しい人も成果は多く残しています。関わって、心の底から欲しいって思えば、好きかどうかなど、すぐにわかりますよ。『魅力的になりたい』とか思って、あからさまに、行動が変わってくる。欲しいと思ったことがないのでは?》
すると、ご主人様は刹那絶句した。……けれど、ややあって、「むぅ…」と、唸り声をあげた。――そして、浮かび上がってきた心に私は驚いてしまった。
また、私は、彼の身体を乗っ取っていて、寒い、暖かい、心地いいなど、感覚は同じくしている。
ご主人様は、自身の唇を、激しく、手で押さえつけた。
私は、息が苦しくなった――――
好きだ。
悪魔さんとご主人様の話。これは統合失調症の者が書きました。悪魔と暮らしているわけではありませんが。