【黒歴史シリーズ】桜吹雪―紅雪―
桜吹雪―紅雪―
世には人が関わることが出来ぬ土地がある。
ここ、”紅雪の里(べきゆきのさと)”もその一つ。
この里では、夏だというのに、桜吹雪のような紅(あか)い雪が舞うという。
しかし、それは私が生まれた日以降、降ったことはないと聞いている。
願わくば、私が死ぬ前にもう一度見たい。
でも、おそらく、この望みは叶うことはない。
あと、もう少し。
人間世界で言うところの師走。この紅雪の里も賑やかに、かつ忙しく年の瀬を迎えている頃。
私は、もうすぐ消えてしまう……。
* * *
「僕たち、冬はお休みはないの?」
「雪ん子はまだいいじゃない。ただ雪降らせているだけなんだから。
私たち雪女は人が来ないと仕事にならないのよ」
忙しなさそうに動き回る雪ん子達。あまりの忙しなさに拗ねてしまった一人の雪の子を見かねて、一人の雪女が宥めている。
「そっか。お姉ちゃん達も大変なんだね。
あれ?紅雪お姉ちゃんはどこへ行ったの?」
「紅雪? さぁ、見ていないわね」
「またいつもの所じゃない?」
また別の雪女がふらりとやってきて、雪ん子と雪女に声をかけた。
「また? 紅雪は本当にあそこが好きなのね」
「あそこってなぁに?」
「こら、袖を引っ張るんじゃないの」
雪ん子が雪女の袖を引っ張る。雪女は雪ん子を注意する。
「紅雪が好きな場所はね、人間の村が見渡せる場所よ」
続きを別の雪女が引き継ぐ。
「紅雪はなぜかあそこが好きで、いないときは大半あの場所にいるの」
「ふーん」
雪ん子はわかっているのか、わかっていないのか、頷いてみせた。
「わかったら早く行きなさい。仲間に置いていかれるわよ」
「はーい」
雪ん子はいかにも子供らしく、無邪気な笑顔で走って行った。
「紅雪……」
雪女は姿の見えぬ仲間の名を心配そうに呟いた。
彼女の名は紅雪と言う。
彼女が生まれた時に紅い雪が降ったことから、名付けられた。
彼女は、雪女達がいう“いつもの場所”で人間の村を眺めていた。
「紅雪!」
名を呼ばれ、紅雪は長い黒髪を翻した。
「あ、紀乃(きの)さん」
紅雪は仲の良い先輩雪女に愛想笑いを向けた。
正直、一人になりたいと思っていたところで微笑みかけようとしてもうまくいかない。
紀乃は鋭くその心中を見抜いていた。
「また一人で塞ぎこんでいるのね」
心中を察しているだけに、はっきりと言う。当たっているだけに、紅雪は何も言えない。
『あんたは雪女には向いてないわ』
それが紀乃の口癖だった。
自然のルールを破った人間は里に迷い込むようになっている。
そうやって里に迷い込んだ人間を氷漬けにするのが雪女の仕事である。
人間を氷漬けにした時に出る人間の魂を食すことで雪女は一人前になることができる。
ある時期までに人を氷漬けにしなければ、雪女は一人前になれず、やがて雪の結晶と化す。
それでも紅雪は、
「それじゃその人がかわいそう」と、里に迷い込んだ人間を氷漬けにすることはせずに、そっと人間界に戻していた。
紅雪はそれでもいいとおもっているのだが、どうやら周りの反応は違うようだ。
「いよいよ明日ね」
「はい……」
明日、雪女が一人前になる日が来る。
「あなたは本当にそれでいいの?」
「はい」
もう覚悟は決まった。
後はその日が来るのを待つだけ。
「あんたって子は……」
紀乃は急にこみあげてきた哀愁感と焦燥感に胸が押しつぶされそうになった。
仲間が消えていく悲しさに耐えられるのか?
紀乃にはすごく不安に思えた。
だから見送ってあげよう。仲間の最期を。
* * *
そしてとうとうその日が来た。
その日は紅雪のたっての希望で、紀乃だけが“いつもの場所”に呼ばれていた。
紀乃は結局昨日は全然寝られなかった。
密かに泣いていた所為で目が少し腫れている。
「あっ……」
紀乃は息を呑む。
紅雪の格好は、いつもと変わらない白い着物。
雪女の正装。
しかし、それは紅い雪にとても映えていた。
「紅い雪……」
紅い雪に映える、一人の雪女。
紅雪は、紅い雪を見て静かに涙を流し、やがて舞いはじめた。
静かに何かを語りかけるような繊細な舞踊は、目を奪われるような幻想的なものだった。
「もうすぐだ……」
もうすぐ最期のときだ。
紀乃はそう悟った。紅雪は何を思っているのだろう。
紅雪の表情は変わらない。わずかに微笑んでいるだけだ。
「紅雪……」
紅い雪が振り終わる頃、紅雪の舞踊も終わり、紀乃は涙で何も話すことができなかった。
最期くらいは笑顔で見送ってあげたかったけど、それは残念ながらできそうにない。
「ありがとう……」
これが紅雪の最期の言葉だった。
* * *
「紅雪姉さん。今日も紅い雪降ってるわよ」
「そう……。もう今年もそんな時期なのね」
紀乃は忘れない。
紅雪の里の師走の時期。
ここでは毎年紅い雪が降る。
【黒歴史シリーズ】桜吹雪―紅雪―