独白 6 後 完

 佐伯隆司は社会に不適合な自分達を正当化し、その存在意義を見出そうと模索した。それがただの机上の空論ならば誰も咎めなかっただろうが、彼はそれを実行に移した。それがすべての誤りだった。世の中全てを糾弾しようとした彼は、やはり歪な存在に過ぎなかったし、彼の思い描いたものと現実問題はあまりにかけ離れ過ぎていたのだ。城谷直樹はこの計画が途中で頓挫する事を最初から見抜いていたようだ。そして自分の手で彼を悪夢から救ってやるその時を待っていた。彼等が大規模な一連の事件を起こしていたその時期は、確かに共同体(城谷が望んで佐伯の傀儡となったこと)として行動していたが、しかし城谷が佐伯を殺害した瞬間から、事態は終息へと緩やかに向かいつつあった。
 佐伯殺害後の城谷は全くのスタンドアローンな逃亡者だった。彼にその後の佐伯の計画などというものはまるで関係なく、サークルなどという佐伯の組織とも完全に離別していた。彼は独自の判断でその後の始末を淡々と遂行していく道を選択した。
 城谷直樹はまず佐伯の潜伏先に使用していた部屋を一つ一つ時限式のガス爆発によってパソコンなどの物的証拠と共に焼き払うと、彼はサークルによって誘拐監禁していた人物達を次々と開放していったという。その中にはニュースでも取り上げられた企業経営者や政治家も含まれているが、彼はそのうちの一名を拘束したまま、路上で強奪したと思われるサークルで使用していたワゴン車に乗り、都内を転々と逃亡していた。
 やがて、行き詰まりを感じた彼は佐伯殺害後逃亡から七日目、人質一人と共にワゴン車を山中に遺棄。人質は翌朝通りがかりの一般人の通報で駆けつけた警察官によって保護される。軽傷だったが激しく衰弱しておりすぐに救急搬送された彼は、一連の事件を起こした実行犯によって連れ回されていたと証言した。これにより城谷直樹が都内を逃亡中である事が明らかとなり、前代未聞の(現場の警察官をほぼ総動員しての)厳しい捜査網が張られた。と同時に佐伯の携帯電話のデータなどから判明した情報により、ついに匿名の凶悪犯罪者『ゴースト』は都内在住の大学生『城谷直樹』として顔写真も公開され、全国に指名手配されるのだった。このあたりからはワイドショーを賑わせた内容とほとんど相違ない。それほどの厳戒態勢だというのに、城谷直樹の居場所はまるで特定できなかった。度々目撃情報や監視カメラの映像などにより追い詰められたかに思えても、彼は突如としてその消息を絶ち、次々と捜査の網を掻い潜る芸当とも呼ぶべき特異性で世間に不安と恐怖を与えた。だがその時間というものは、決して誰かに危害を加えるためのものではなかったのだ。彼は自らの遺書を書く時間と、自らの死に場所を求めて彷徨っていたに過ぎない。人の法に裁かれる気など毛頭無かった。スタンドアローンと化しながら、その理念に関しては佐伯隆司の思想を継承しているかのようだ。そう、彼はあくまで佐伯隆司のプロデュースした実行犯『ゴースト』を演じ続けていた。
 城谷直樹にとって最後となる日は、例の遺書『独白』を書き終えたその日だった。彼は都内のテナントビルロビーで警告として数発を発砲し、この建物内にいた数人の会社員と清掃員、警備員を人質として監禁。その後駆けつけた警官隊や機動隊の前に自ら現れた彼は武装した機動隊に向けて十数発を発砲、三名の機動隊員に重傷を負わせた後、狙撃班により胸部と頭部を撃たれ、搬送先の病院で死亡が確認された。
 彼の所持品は幼い頃の家族写真数枚と、例の遺書、そして『ライ麦畑でつかまえて』の日本語訳の文庫本一冊、それだけだったという。『ライ麦畑でつかまえて』、それは佐伯隆司が好んで読んでいた本だった。自己満足にせよ、彼は佐伯のプロデュースをおそらく自分なりに全うしたのだろう。彼の死の瞬間は、全国に中継されて波紋を呼んだが、その終わり方にも何かしら彼なりの考え方があったのだと私はそう思っている。
 これが不明瞭な存在だった犯罪者『城谷直樹』の……『ゴースト』のすべてだ。
『死を受け入れる最後の瞬間、私は自分の生きたこの世界を許せるだろうか? 私は自分自身の存在を許してやれるのだろうか? 私はその疑問に対する答えを自分自身に求めて、この命を賭けてみようと思うのです(城谷直樹 独白 最後に残す言葉)』

独白 6 後 完

独白 6 後 完

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-27

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