一 会いたかった

 カラン、と来客を知らせる音がする。窓の外を眺めていたわたしは、慌てて居住まいを正す。
「いらっしゃいませー!」
 大学生と見られる男性二人組だった。奥の席を案内する。席に着くまで何やら難しい言葉を言い交し合っていた。頭がよさそう。
 注文を承って、お辞儀する。裏で待機していたお父さんに声をかける。
「お父さん、ブレンドコーヒー二つ」
「紅(くれ)亜(あ)、店ではマスターと呼びなさい」
 はーい、と間延びした返事をすると、また睨まれてしまう。毎日のように手伝っているのだから、これくらい大目に見てほしい。
 わたしの家は小さな喫茶店を営んでいる。数年前まで、お父さんは普通のサラリーマンだった。ところが、まとまった貯金ができたからと、急にここをオープンさせた。わたしにとっては急な話だったけれど、両親の密かな願いだったらしく、二人とも生き生きと働いている。娘を無賃労働させて。
 とはいえ、わたしはそんな二人が大好きだし、接客業は嫌いじゃないから、嬉々として手伝っている。もっとお店が繁盛すればいいな、そんな望みを抱きながら。でも、あんまり忙しいと遊びに行けなくなっちゃうから、ほどほどがいいかな。
「お待たせしましたー」
 コーヒーを運んでいるときから、香りが鼻孔をくすぐっていた。はじめは苦いとしか思わなくて、どうしてこんなものを飲むのだ、と訝っていたけど、だんだんとその味わいに親しむようになってきた。大人でしょ? 少量の砂糖とミルクは欠かせないけれど。
 窓の外がオレンジ色の夕日に染まっていた。今日もまた、似たような一日が終わろうとしている。
 わたしは来週から高校二年生になる。特に大きな夢や野望もなくて、お店の看板娘に甘んじている。体を動かすことは好きだし、何か部活に入ったっていいのに、家の手伝いがあることを言い訳にしてどこにも所属していない。
 イマイチ、これだ! っていう、本気で打ち込みたいと思えるものが見出せない。このまま、高校生活をなんとなく終えてしまうのだろうか。
 カラン、と再び来客。いらっしゃいませ、と声をかける。
 たまに真剣に悩んでみるだけで、普段は目の前のことにあくせく。

 夜、閉店間際になってから二人の少女が現れた。
「紅亜、おつかれさまです」
「おつかれー。忙しかった?」
 わたしの幼馴染みで、今も同じ高校に通う美桜と舞子だ。二人とも髪が長く、美桜が黒髪なのに対し、舞子は少し明るい色をさせている。美桜はあまり服装に頓着しないけど、一方の舞子はいつもかわいらしい、女の子らしい格好を心掛けている。
「うん、いつもどおり」
 美桜と舞子は二人で一日遊んできたらしく、帰りにここへ寄ってくれたようだ。ほんとうはわたしも誘われたのだけれど、お店の手伝いがあるからと断ってしまった。今日はお母さんが古い友人に会うとかでいないため、どうしても外せなかったのだ。
「ごめんね。誘ってくれたのに、断っちゃって」
 舞子は笑顔で首を振る。
「いいよ。それより、さっき美桜と話してたんだけど、今度、アイドルのイベントに行かない?」
「――アイドル?」
 舞子が一年前くらいからアイドルにハマっているのはよく知っていた。各地のイベントにも一人でふらっと行ってきているらしい。たまに、いろいろと教えてくれることはあるのだけど、こういう風に誘われるのははじめてだった。
「イベントって、美桜も一緒に?」
 わたし同様、美桜もそんなにアイドルに詳しいわけではない。知らない間に興味を持ち始めたのかしら。
「うん、ちょっと同行してみようかと思って」
「へえ、美桜が」
「よく知らないんだけど、」慌てたように手を振る。「一度くらいその場の雰囲気を味わってみたいというか――。それに、舞子がこんなにのめり込んでいるから、ちょっと気になりますし」
「どう、紅亜も」
 舞子がぐいっと体ごと寄せてくる。柔らかい光を宿したその瞳を見つめ返す。
「そうだね。今日遊べなかった代わりに、三人で参加しに行ってみようか」
「決まり!」
 ほんとに、アイドルについての知識はないのだけれど。
 その後は閉店時間までさまざまなことを話して過ごした。日が暮れ、オレンジ色の空が紺色に変わるまで。まだ少し肌寒いな、と感じさせる冷たい風が窓から吹き込んでくるまで。

 約束の日はよく晴れた。春の日差しを受けながら、花を咲かせた桜がちらほら。このくらいの気候が一年で最も過ごしやすい。花粉症がなければよりいっそう。
 わたしたちは会場の最寄り駅で待ち合わせし、舞子を先頭に会場へと向かった。彼女は今にもスキップしそうな軽やかな足取り。いつもこんな風にしてイベントへ向かうのか、それとも今日は私たちも一緒だからか。でも、楽しそうなことが待っている予感は十分伝わってくる。
 さっきから周囲の人が増えてきていた。それに、見るからにアイドルのファンという格好。ちょっと落ち着かない。
「ずいぶんな人ですね……」
 美桜も同じように思ったのか、わたしにだけ聞こえるように、不安げな声で囁く。
「会場もかなり広いところみたいだったし、最近のアイドルブームはほんとうだったんだね」
 続けて話そうとして、口を噤んだ。一歩前を進む舞子が、前方を指差した。
「あそこだよ」
 予想していたよりも遥かに大きな会場だった。東京ドームと同じくらい広いのではないだろうか。
「はい、これ」
 と、一枚の券を渡される。きょとんとしていると、「イベントに参加するための券」と説明される。
「これだけでいいの?」
「うん、まあ、身分証明とか手荷物検査とかもあるけど。これがあれば、今日のミニライブを見られて、あとはメンバーと握手ができる」
「握手?」
 美桜が驚いた声を上げる。
 言われていることはシンプルなのに、実際にどんな感じなのかもう一つ思い描けない。でも、かわいい女の子たちのパフォーマンスを見られるのは純粋に楽しみだ。それに、慣れている舞子がいれば、手とり足とり案内してくれるはず。
「さ、急ごう。早めに行って、いいところでライブを見られるようにしなきゃ」
「うん!」
 早足になる舞子にすぐに追いつく。少し遅れて美桜も付いてきた。

 最前列の右端に女性専用のゾーンがあてがわれているため、わたしたちはそこへ流れた。広いスペースではないけれど、この会場に来ているのは大多数が男性。悠々といいところへ辿り着けた。ステージがなかなか近い。
 最前列の中央にひしめいている男性ファンたちの熱気と掛け声が伝わってくる。何を叫んでいるのか脳内で正しく変換されない。そもそも叫ぶ言葉に意味はあるのだろうか。お坊さんが唱えるお経みたいに、言っている人だけが分かっていればいいものなのかもしれない。
 待っていたら音楽が流れてきた。もうすぐパフォーマンスが始まるらしい。隣の舞子が黄色い声援を送っている。わたしも音楽に合わせて軽く手拍子をする。
 そして、ステージ袖から一列になって十人ほどの女の子たちが出てきた。声援に応えて、手を振ったり、笑顔を振りまいたりしている。彼女たちがアイドル。かわいらしい衣装。結われた髪型。
 そして、それは一瞬のことだった。手を振ったり、ニコニコしたりしているだけだった彼女たちの緩慢な動きが、位置について、前奏がスタートすると、急に大きく機敏な動きに変わった。一糸乱れない、つい見惚れてしまうダンス。
 歌声もよく聴こえてくる。歌いながら、踊りながら。笑みを浮かべながら、フォーメーションを変化させながら。それらすべてを楽しそうにこなしている彼女たちは、ほんとうにすごいなと思った。
 惚けて視線を注いでいるうちに一曲目が終わった。
「すごい……」
「すごいでしょ」
 わたしの呟きを舞子が拾う。かわいいでしょ、と付け加える。
「みんな、かわいいね。ほんとうに楽しそう」
「美桜はどう?」
 舞子が尋ねると、
「よく分からないけれど――なんだか、かっこいいなって思います。とても同世代だなんて」
 と、美桜も圧倒されている様子。
 そう、ステージ上の彼女たちはほとんどがわたしたちと年齢が近いのだ。これだけ大勢の観衆の前で、臆することなく披露している。
 二曲目が始まる。さっきよりも強い調子で手拍子をし、声援に代える。

 鏡の向こうにショートカットの少女が映る。脳裏に焼き付いた残像を再現しようと、にっこり笑ってみる。見よう見真似で振り付けをしてみる。だけど、鏡に映る少女の動きはぎこちなく、本物の煌びやかさは微塵もない。
 ミニライブを目の当たりにして、興奮した。自然と、三人とも同じように笑顔を浮かべていた。その後の握手会は、彼女たちのことをちっとも知らないから、何を話せばいいのか分からなかった。ただ、パフォーマンスで感動したことを正直に伝えた。そういう対応にも慣れているのか、そんなわたしにも優しく接してくれた。満足して、帰途につく。
 あの一瞬のきらめきはなんだったのか。同世代の女の子なのに、わたしたちとは眩しさがまったく違う。
 家に帰ってきてからも、胸がずっと高鳴っていた。あんな風に、わたしたちもできるのかしら。
 携帯を手に取った。内側から突き上げてくる何かに背中を押されるようにして、舞子に電話をかけていた。
「ねえ、わたしたちで――アイドルを始めない?」

「わたしたちがアイドルに?」
 美桜は怪訝そうな顔をして、こちらを見ている。「また、思いつきで何かやりたいと言い出して――この前のイベントで影響されたんですか?」
「でも、美桜だって楽しそうに観てたよ」
「それとこれとは別です。観る側にいた人が、急にステージに立ちたいなんて無理があります」
 教室の片隅。二年生になったわたしたちは、新学期を迎えていた。幸い、美桜、舞子とまた同じクラスになれて、さっそく美桜の机を二人で囲んだ。
 わたしは本気でアイドルをやってみたくなった。今まで、これといって打ち込んだもののないわたしが、今度こそ本気でそう思った。舞子に電話でその思いを伝えたら、彼女も快諾してくれた。だから、美桜も。
「やってみようよ。美桜、今は部活に入っていないんだし」
 すると、美桜は少し顔を俯けた。しまった、これは禁句だっただろうか。
「まあ、」舞子が割って入る。「無理に誘うことはないよ。最初は二人で始めて、アイドルに興味のある子をスカウトしよう」
 そうだね、とことさら明るく相槌を打った。自分たちの席に戻って、これからの計画を練る。たまに美桜の方に視線をやると、美桜は大人しく窓の外を見つめていた。
 美桜は一年の終わりまでバスケ部に所属していた。

 担任の先生に新しい部活を始めたいと相談すると、その内容にまず驚かれ、しかし本気度が伝わると、真面目に回答してくれた。曰く、創部するには最低でも五人は必要らしい。ただ、五人より少なくても同好会として活動はできるため、人数が揃ったら改めて部として申請すればいい、とのお言葉だった。
「同好会からかー。しょうがないね」
 舞子は前向きだった。新入生も入って来るし、女子校とはいえ、アイドルに興味がある人は少なくないだろうと踏んでいるよう。
「今月の終わりに新入生向けのオリエンテーションがあるから、そこで挨拶して、部員を募ってみようか」
 オリエンテーションでは各部活がそれぞれの個性を生かした紹介をし、その内容によって新入部員の多寡が決まる、といっても過言ではなかった。
「ダメだよ!」
 唐突に、両肩を掴まれた。
「え、ダメって――」
「そんな、話すだけじゃ、インパクトないよ。ちゃんとパフォーマンスして、印象に残していかないと」
「パ、パフォーマンス?」
 ということは、この間のミニライブみたいに、何か歌って踊ろうと言うの。それはいくらなんでも無理なのではないかな。
「大丈夫。既存の曲だったら、わたし、ほとんど振りコピできるし。あとは、紅亜に覚えてもらえば余裕で間に合うよ」
 オリエンテーションでパフォーマンス――でも、確かにその方が新入生に響くかもしれない。そんなに上手くいくかは分からないけれど。
「二人だけか……」
 その呟きは意図せずしてしまった。舞子はわたしの顔をそっと覗き込んでから、美桜も一緒にやってくれたらいいのにね、と同調した。
 時間は限られていた。その日の放課後から、わたしたちは練習を始めた。

 同好会は活動場所を自分たちで見つけるところから始まる。どこかの教室でやろうかと考えたけれど、大きな音を出せないのがネック。周りに迷惑にならず、体をめいっぱい動かせるスペースのある場所となると、あとは屋上くらいだった。
「でも、ここなら人は来ないし、広々と使えるね」
 舞子は好意的に捉えている。それに、ここならたとえ人数が増えたとしても対応できる。まだ増えるか分からないけど。
「じゃあ、ここで練習しようか」
「うん」
 活動を始めると決めてから、わたしたちは話し合いを重ねていた。オリエンテーションで披露する曲は既に固まっている。どんなことを新入生に向けてアピールするか、さまざまな案が出ている。
 話し合いをしている間、美桜はわたしたちに近づいてこない。会えば今まで通りの関係を保てているけれど、少し疎遠になっていくのではないかな、という危惧がある。でも、もう美桜を無理して誘うことはできない。心の内で祈るだけ。
 曲を通して踊るとすぐに汗をかく。疲れを感じて地面にへたり込むと、日差しを受けたそこはほんのりと温かくなっていた。息を切らしながら空を見上げる。
 今でもイベントで輝いていたアイドルたちの姿が目に浮かぶ。彼女たちの笑顔を思い出すと、自然とこちらも笑顔になれるのだ。あんな風になれるようにとイメージしながら練習する作業、繰り返すことで自信も湧いてくる。
 部活とはいえアイドルを目指すということは、誰かを笑顔にしてあげること。わたしたちが歌って踊るだけでみんなの心に響くのかどうか。でも、やりたいって思ってしまったのだから。
 休んでいると、横から肩をトントンと叩かれる。練習再開かな、と舞子の方を向くと、屋上の入口を指し示していた。そっと目を向けると、こちらをじっと捉えている美桜の姿があった。隠れているつもりなのだろうけど、体半分が丸見えだ。くすっと笑って、わたしは彼女に歩み寄っていった。
 あの日、美桜の心にも何か届いていたはずだ。ステージを見上げる彼女の目のきらめきは、わたしたちと遜色ないものだったのだから。
 わたしに気づいて逃げようとする美桜に、大きな声をかける。
「美桜!」
 一緒に練習しよう。片手をぐっと伸ばす。いつもわたしたちは一緒だった。本音を言えば、スクールアイドルだって共にがんばりたい。
 美桜がこちらの様子を窺っている気配がした。

 新入生たちを前に、次々と各部活がパフォーマンスや紹介をしている。サッカー部がリフティングを披露すれば、卓球部がラリーをテンポよく続ける。吹奏楽部や軽音楽部は演奏し、いずれも好印象を与えているようだった。
 つい先日発足したばかりのアイドル同好会は、校内唯一の同好会。そのためパフォーマンスする順番は最後。それがプレッシャーにも感じられれば、ほかの様子を見てから出られる、というメリットも併せ持っている。
 とにかく、わたしたちらしくやることだ。わたしと舞子と――それに、美桜で。
「緊張してきましたね……」
 美桜は緊張しいだから、さっきから表情が硬い。
「リラックス、リラックス! できたばかりの同好会だから、ハードルは低いよ」
 わたしが声をかけても、安心してくれない。
「でも、今日の結果如何で新入生が入ってくれるかどうか決まるのでしょう……?」
「そうだとしても、今さらよその誰かみたいにできるようになるわけじゃないんだから、わたしたちはわたしたちらしくやるしかないよ。がんばろう!」
 舞子が明るい笑顔を振りまく。それでようやく、美桜の頬に笑窪が浮かんだ。
「うん……わたしたちらしく、か」
 少し前までは、新入生向けのオリエンテーションでこんなことをするなんて想像していなかった。本来なら家の手伝いを忙しくしていたのだろう。最近はちっとも手伝えていない。だけど、学校で本気で打ち込んでみたいものが見つかった、と言ったら、納得してくれた。
 そろそろ出番だ。本物のアイドルを目の当たりにし、憧れ、わたしたちもそうなれるように願った。今日はその第一歩。
「最後はアイドル同好会の活動紹介です。よろしくお願いします」
 進行役の生徒に呼ばれ、わたしたちはステージへと歩き出す。なんてことはない、学校の制服。歌と踊りを覚えるのに必死で、衣装を用意する時間はなかった。次は見た目ももっとこだわっていきたいな。
「こんにちは、アイドル同好会です」
 わたしがマイクを握って話し出す。異色の存在の登場に、目の前の女の子たちはみんなざわついている。
「わたしたちは今月の初めに活動を開始したばかりで、まだ人数も少ないです。今日もみなさんを満足させられるライブをできるか分かりませんが、それでも、ほんとうにこの学校のアイドルを目指してがんばっていこうと思っています」
 少し息を吸って、声のトーンを上げる。
「アイドルにちょっとでも興味のある人がいたら、ぜひわたしたちに声をかけてください」
 それでは、と後ろの二人に目配せする。
「それでは、最後にパフォーマンスを披露させていただきます」
 曲はAKB48で『会いたかった』。
 練習してきたとおりにダンスをしながら、もし、アイドルが好きなら、今日のパフォーマンスに可能性を感じたら、一緒に活動してほしい、と考えていた。

  好きならば 好きだと言おう ごまかさず素直になろう

  好きならば 好きだと言おう 胸の内さらけ出そうよ

 みんなにどんな風に思われていたのか分からないけれど、わたしたちは最高に楽しい時間だった。完全に自己満足に過ぎないけど。

 窓から陽光の差し込む教室。放課後になって、生徒たちはそれぞれの部活へと別れていく。オリエンテーションを終え、いよいよ新入生を迎えることになるからか、いつも以上に活気が漲っていた。
 わたしたちの活動場所は屋上。だけど、誰かが訪ねてくるかもしれない、と考え、なんとなく教室に残っている。ただ、口には絶対に出さないが、それは奇跡みたいなものだった。昨日の歌唱力とダンスでは――。
「舞子は歌も振り付けも完璧だったね」
 練習のときから見せつけられていた。アイドル好きを公言しているだけあって、魅せ方を熟知している。歌声もよく透る。
「ありがとう。まだまだだよ。紅亜も美桜も、時間がない中でなんとか形にしてたね」
 実力差は歴然としていたのに、センターポジションは私が務めた。アイドルグループのセンターは、一番歌の上手い人やダンスの得意な人が任されるわけじゃないんだよ、と舞子は言っていた。その素質は分かりやすいものじゃない。今回は、やっぱり発起人の紅亜が。
 真剣な眼差しでそう告げられてしまったから頷いたけれど、この先変わっていく可能性は十分ある。むしろ、変わっていくくらいでなければ。
「失礼しまーす」
 教室の入口の方から控えめな声がする。一年生らしき女の子二人がこちらを覗いている。
「はーい。なんでしょうか?」
 舞子が明るく彼女たちに近づいていく。
「あの、アイドル同好会に入りたいんですけど――」
 全部を聞き終わるより早く、わたしは駆け寄って、一人の手を取った。
「ほんとに! 入部希望者? あ、同好会だから入会希望者か……」
「紅亜、落ち着いて」
 美桜にたしなめられて、わたしは手を引っ込める。
「二人ともそうなんですか?」
「はい、そうです。昨日のパフォーマンスを見て、かっこいいなって思って、わたしたちもやってみたくなったんです」
 自信なかったけど、こんな風に言われると報われる。ちゃんと、響く人には響くのだ。
 さっきから一方ばかりが喋っている。ショートカットで、話し方が溌剌としている。元気がよさそうだ。
「わたし、奈良千歳です」
「小関美帆です」
 よろしくお願いします、と揃って頭を下げた。初々しい新入部員の姿。
 美桜に、ちょっと紅亜、と肩を叩かれて、わたしは涙をこぼしていることに気づいた。

「二人はどんなアイドルが好きなの?」
 舞子が興味津々といった態で訊く。せっかく来てもらったから、もう少し教室で二人の話を聞いてみることにした。
「わたしたち、あんまりアイドルに詳しくなくて」
 千歳ちゃんが答える。美帆ちゃんは物静かな性格なのか、にこやかにしているだけだ。髪を肩先にかかるくらいまで伸ばしていて、幼い印象を抱かせる瞳。
「じゃあ、どうしてここに?」
「昨日の三人の姿を見たら、なんだかすごくいいな、と思いまして」
 言いながら、目を輝かせている。面と向かって言われると照れてしまう。
「でも、正直どうだった? そんなに上手いものじゃなかったと思うけど」
 わたしがそう尋ねてみると、これには美帆ちゃんが答えた。
「確かに、歌とダンスはそんなに圧倒されなかったんですけど――ごめんなさい、偉そうなこと言って」
 わたしは首を横に振る。「いいんだよ、その通りだから」
「でも、何より取り組んでいるときの表情が、ね?」
 と、確認するように千歳ちゃんに問いかける。
「そうなんです。笑顔がきらきらしてて、ほんとに楽しそうでした!」
 そうか。自己満足に過ぎないと思っていたけれど、自分が楽しめていなかったら、相手を楽しませることだってできない。
「歌とダンスはこれから練習したいと考えているんですけど、美帆はデザインのセンスがあるんで、衣装担当にもってこいだと思います」
「え、そうなの?」
 みんなの視線を浴び、美帆ちゃんははにかむ。「そんな大それたものではないですけど……。母親がデザイナーで、昔からお手伝いとかしてきたので」
 これは逸材かもしれない。
「そうなんだ! 今回は制服だったけど、次からはオリジナルの衣装を作ってみたいって思ってたんだよねー」
「え、衣装を作るんですか?」
 何故か美桜が嫌そうな顔をしている。
「だってアイドルなんだから。かわいい衣装を着てこそ、でしょ」
「でも、その……似合うでしょうか」
 恥ずかしがっているのだ。美桜はこういうところがある。それが彼女のかわいさだと思うけど。「大丈夫、美桜も絶対に似合うよ」
 改めて美帆ちゃんに向き直る。
「アイドルのことだったら舞子が一番詳しいから、アドバイスを受けながら製作するといいかも」
 そうだ、彼女たちに名前を教えてもらったのに、わたしたちはちゃんと名乗っていなかった。
「そういえば、自己紹介してなかったね。わたしは山崎紅亜」
 すると、二人とも、くれあ、と不思議そうに繰り返す。もう、こういうリアクションには慣れている。
「紅白の紅に、亜細亜の亜って書きます。変な名前でしょ」
「いえ、そんなことないです」美帆ちゃんが否定する。「魅力的な名前ですね」
「ありがとう」
 横を向くと、続けて二人も自己紹介する。
「わたしは美崎舞子」
「西永美桜です」
「三人とも二年生なんだよー。オリエンテーションでも言った通り新たにできたばかりだから、あなたたちが初めての後輩――あ!」
 わたしはあることに気づいて、つい叫んでしまった。みんな目を丸くしている。
 二人加わったということは、部活としての要件を満たす。五人以上で同好会から昇格できるのだ。
「そうだよ、これで晴れて部活動になるんだね」
 さっそく先生に言って、申請してもらってくる、とだけ言い残し、わたしは走り出した。背中越しに、紅亜、と追いすがる美桜と舞子の声が聞こえた。それでも、わたしは勢いに任せて走った。
 これから、わたしたちはほんとうにスタートする。スクールアイドルとして。

   二 そこで何を考えるか?

 都内にあるわたしたちの学校はなかなか歴史のある学校です。古くからあるため敷地面積は広く、都会にしては自然が豊か。数年前に校舎の建て替えが行われ、今ではすっかり綺麗な建物に変身しています。
 部活動も盛んで、特にスポーツに励む女子生徒がとても多いです。そんな中で最近できた「アイドル部」というのは異色の存在で、よくも悪くも注目を浴びています。
 わたし、西永美桜もその一員。少し前だったらアイドルをやってみようなんて考えもしませんでした。だけど、紅亜と舞子ととあるイベントに参加して、その姿に憧れてしまったのは事実。自信はないですが、部長の紅亜をはじめとしたメンバーでがんばっていきたいです。
 人数が五人以上になって、おかげさまで部活として活動できるようになりました。活動場所を改めて指定することもできたのですが、わたしたちはやっぱり、屋上を選びました。なんだかんだ、広くて、音楽を流せて、それに気持ちのいいところですから。ただ、悪天候の日や暑すぎる日、寒すぎる日のために、教室を一つ確保させてもらいました。
 また、次のライブに向けて振り入れをしています。次の機会は一学期の終わりです。毎学期ごと、講堂で文化系の部活がステージに立つ企画があって、当然、アイドル部もそこに照準を合わせていこう、と意気込んでいます。
「はー、だいぶ動きも合ってきたねー」
 両手を広げて、紅亜が笑顔になります。今日も屋上で練習に励んでいました。
「少しずつ、ダンスも上達してきているのでしょうか」
 わたしが言うと、舞子が力強く頷きます。
「上達してると思うよ。だいぶ様になってきたし」
「あとは如何にグループとしての完成度を高めていくか、ですかねー?」
 一年生の千歳の透き通る声がします。彼女は運動神経がいいようで、飲み込みが早いです。
 千歳が言うように、フォーメーションを変化させたり、二人以上で何かを表現する振りを入れたりできればもっといいでしょう。今回の曲も、二人が掲げた腕の間を一人が通る、という振り付けがあるのですが、五人ではどうしても物足りません。
「ごめんね、ついていくのに精一杯で」
 美帆が申し訳なさそうに呟きました。彼女はそれほどアイドルに興味があったわけではないので、歌って踊ることがどういうことなのか、少しずつ吸収しているようです。
「美帆ちゃん、そういう意味じゃないと思うよ。――やっぱり、最近のアイドルは人数が多いから、それをカバーしてやるとなると、今の人数だと難しいのかなー」
 そう言う紅亜に、舞子は頷き返します。
「それはあると思う。最初はユニット曲にしようかと考えたけれど、そうすると知られてないかなー、っていう心配がね」
 曲の選択はすべて舞子が行っています。アイドルに誰よりも詳しい彼女ですから、間違いはないはずです。
 女子校で女性アイドルの曲をパフォーマンスする、というのは、確かにいろいろ思案するのでしょう。わたしたちに合っていて、尚且つある程度知られているもの。
「部員集めですか……」
 小さく、呟きます。

 翌日、朝休みの教室に美帆が訪ねてきました。
「あの、部員募集のポスターを作ってみました」
 衣装担当に任命されて彼女は、絵を描くのも得意だと聞いています。どれどれと、わたしと舞子が――紅亜はいつも遅れ気味の登校――その絵を覗き込みます。
 思わず息を飲み、二人揃って、おお、と感嘆の声を上げました。そこにはかわいい衣装でポーズをとる女の子が三人。とてもきらきらしていて、心をときめかします。
「これ、先輩方をイメージして描きました」
 それで三人。実物はこんなにかわいくありませんけど――紅亜と舞子は別として――これならきっと好印象を与えられます。
「もう、部長は肝心なときにいないんだから……」舞子は仕方ない、という風に苦笑し、「これをコピーして、校内に張り出させてもらおう」
「絶対に部員を獲得できますよ! ありがとう、美帆」
 いえ、と美帆はしおらしく微笑みます。
 美帆が去ってから、始業時間前になんとか現れた紅亜にもそのポスターを見せました。紅亜もかなり気に入っていました。これからを左右するかもしれない大事なそれが、彼女の掌の中で光っています。

 昼休み、枚数を制限する形でポスターの掲示を許可されました。部員五人で手分けしてあちこちに張りに出かけます。教室の横、音楽室、視聴覚室、職員室――一通り回ると、わたしは体育館に出ました。
 なんの気なしに覗き込むと、バスケットボールの弾む音が耳に届きます。懐かしい、と思ってしまうその音。
 バスケ部の女子生徒が数人、シュート練習をしています。休み時間なのに殊勝なこと。わたしは彼女らに気づかれない位置で、その様子を眺めていました。
 バスケ部の生徒と分かるのは、わたしも少し前まではバスケ部に所属していたからです。わたしはバスケが好きで、高校三年間はそれに打ち込もうと考えていました。しかし、一年足らずで断念してしまいました。その理由は怪我とかではなく、単なる実力不足です。
 うちの部は全国大会に駒を進めたことがあるほどの強豪で、練習は厳しく、またレギュラー争いも熾烈を極めました。当然のようにわたしは補欠で、まともに練習できない日々が続きました。同級生がたまに試合に出させてもらうのを見る中、わたしの出番はいつまでたっても訪れません。はっきり言われなくても、実力の差が歴然としていることが分かりました。
 それでも、努力すればよかったのです。諦めずに、ひたむきに練習に励んでいれば、三年生になってからレギュラーの座を射止めたかもしれませんのに。
 強いチームなので、四月になる前に高校進学を決めた中学三年生が練習に参加しに来ていました。そういう人たちはみんな強くて、わたしは目の前が霞みました。また、わたしがちゃんとバスケをする機会が遠のく。
 後輩より出番に恵まれないことを恐れたわけではなかったはずです。そんなプライドの高さよりも、わたしの内側の糸がプツンと切れてしまった感じでした。なんとなく、もうがんばれないと思ったら、もう二度とコートには立てないのです。
 好きだったのに。
 二年生になるのを待たず、わたしは退部届を出しました。顧問の先生はそれを一瞥すると、少し寂しそうな表情をしてくれましたけど、引き止める言葉はありませんでした。
 だから、その矢先でした。紅亜にアイドル部を始めようと誘われたのは。
 惹かれることは確かでしたが、少し躊躇したのは、どう思われるか不安だったからです。バスケから逃げたわたしが、突然アイドルを始めたら、なんて言われるだろうか。
 すぐに逃げたわたしが、見ている人を笑顔にするアイドルを目指そうとするなんて――。
「美桜さん」
 ハッとして振り向くと、千歳がそこにいました。「ポスター、張り終わりました?」
「ええ」
 気を取り直して、答えを返します。「終わりました。戻りましょう」
 背中を向けても、バスケットボールの弾む音がちょっとだけ気になりました。

 このホームルームが終われば部活の時間。先生の話が済むのをじりじりと待っています。
 現在のところ、新たにメンバーに加わりたいと名乗り出てきた人はいません。既に別の部活に所属している人も多いでしょうし、アイドルに興味のある人はそんなに多くないのでしょうか。
 わたしは最近好きになったものですから、それまであまり気にしていませんでしたが、なんとなく、アイドルが好きな人は二通りに分かれる気がします。一つは、好きであることを公言していて、何かとアイドルと結びつけ、そういう話ばかりする人。そういう子は積極的で、明るい印象があります。もう一方は、好きであることを隠している人。いつもチェックしているのに、普段はそんなことおくびにも出さない。しかし、同好の士を見つけると溜まっていた鬱憤を晴らすように、すらすらと語りだす。
 あくまでわたしの見解に過ぎないため、それぞれに楽しみ方や愛し方があるとは思いますけれど、不思議なのは隠す人が少なくないこと。
 悪いことをしているわけではないのに、どうして隠すのでしょうか。元気をもらえて、笑顔になれると正直に言えないのはどうしてでしょうか。いろんなアイドルがいるからこそ、知名度や一般的な印象が客観的に見にくい、という側面もあるのかしら。
 考えていると、先生の話が終わっていました。日直の号令に合わせて挨拶をします。
 解放された瞬間、弾かれたように紅亜がこちらに急接近してきます。彼女の行動にはいつも驚かされます。
「美桜!」
「紅亜。急に来られたらビックリします」
「知ってる? 一年生にすっごくかわいい子がいるんだって! 入学式のときから話題になっているくらい、かわいい子! スカウトしようよ!」
 まだその子の意思を確認してもいないだろうに、紅亜はほんとに性急です。でも、決めたら常に実行する彼女。きっと、そう遠くない未来、スカウトに行くはず。

「ああ、知ってますよ。ほんとにかわいいんです」
 屋上に集合してから千歳と美帆に訊いてみると、やはり評判の子がいるらしい。
「新垣彩葉ちゃんっていいます。髪型も毎日違ってて、背が小さくて、笑うとめっちゃかわいいですよ」
 千歳は興奮気味に話す。彼女は紅亜と相通ずる部分がありますね。
「でも、ちょっと近寄りがたい雰囲気がありますね……。なんというか、周りと深く関わらないというか」
 美帆が補足します。
「部活は入ってないの?」
 紅亜が尋ねると、美帆が頷き返しました。「はい。まだ、どこにも。アイドルに興味ありますかねー」
 四人で話している中、舞子だけ少し離れたところで考え込んでいる風でした。「新垣彩葉――」と、その名前を小さく呟いています。
「……舞子? どうかしました?」
 すると、舞子はごまかすように笑みを浮かべて、「ううん、なんでもないの」と首を横に振りました。
 すると、屋上に通じる扉が開いて、二人の女子生徒が現れました。二人とも背が高く、大人びています。
「お邪魔するわね」
「こんにちはー」
 突然の来訪に戸惑いながらも、紅亜が声をかけます。「何か用事ですかー?」
「校内の部員募集のポスターを見て来たんだけど――あなたたち、アイドル部よね」
 さっそくポスターが効果を発揮しました。二人もここへ足を運んでくれるとは。
「そうです! 入部希望者ですか?」
「ええ。――さくらもいいの?」
 明るい髪色をした方が、一方を振り向きます。
「いいよ。部活入ってないし、わたしもアイドルにけっこう興味持ってたから」
 どういう意味でしょうか。分からないまま様子を見ています。
「わたし、三年の高城美波」
 陽の光を受けて茶色く染まる髪、すらっとした体型。その微笑み方はとても優雅でした。
「同じく、三年の内海さくら。よろしくね」
 真っ黒なウェーブヘア、話し方は柔らかいですが、豊かな胸は大人の印象を抱かせます。
 少し意外なきらいはありましたけれど、三年生二人がわたしたちの仲間に加わることになりました。

 最初に今練習中の曲を披露し、どんな感じなのか二人に見てもらいました。新入生向けのオリエンテーションのときと異なり、五人体制だとまた連携の具合が違います。より、グループで踊っていることを意識させられます。
 曲が終わると、二人は顔を上気させ、拍手を送ってくれました。
「すごいわ。近くで見ると、かっこいいわね」
「こんなのわたしたちにできるのかな」
 美波さんとさくらさんが順番に感想を漏らします。嘘偽りのなさそうな、素直な調子でした。
「お二人とも、ダンスは初心者ですか?」
 舞子が訊くと、その通りだという返答。 
「はじめは動画やわたしたちの動きを見て、見様見真似でやってみるのがいいと思います。慣れてきたら、少しずつ自分なりのタイミングを掴めるようになりますよ」
 舞子はずっと好きなアイドルを追ってきて、振り付けを真似てきました。だからこそ、人に教えるのがとても上手いのです。
 二人も混ざって、基本的な動きからやってみます。初心者という言葉はほんとうのようですが、飲み込みは早いです。
 気持ちのいい風に吹かれながら、陽が暮れるまで汗を流しました。

 日中は汗ばむくらいになってきましたが、夜はまだ冷え込みます。寒い季節が続いていたため、そろそろ夏が来てくれないかしらと、現金なことを望みます。
 ふと空を見上げると、今日は満月でした。心なしか、いつもより大きいような気もします。わたしたちの元まで光が降り注ぎます。
 せっかくまた新たなメンバーが加わったからと、今夜は簡単な歓迎会を催すことにしました。場所は紅亜の家の喫茶店。
「たぶん、この時間は空いてると思うから。それに、目の行き届くところで夜を過ごしてくれたら、親からしても安心でしょ」
 そうは言いますけど、親御さんにご迷惑をおかけしないか心配です。ただでさえ、わたしと舞子は頻繁に寄らせてもらっているのに。
 そんな心配は杞憂に終わるほど、紅亜のご両親は温かく迎えてくれました。いつも以上に豪華な顔ぶれに、どこか嬉しそうな節もあります。紅亜は「二人ともいつも厳しい」としばしば愚痴っていますが、素敵な方たちですよ。
「さあ、せっかく来てもらったんだから、好きなのを頼んでいいよ」
「え、いいの、お父さん?」
「今日は特別な。その代わり、たまには店の手伝いをしてくれよ」
 はーい、と紅亜はやや不服そうに答えます。
 料理を待つ間、先に運ばれてきた飲み物を片手に、話し込みました。
「くれあ、って珍しい名前ね。響きも、漢字も」
 茶髪の美波さんが言います。髪を染めるのは禁止されているため確かめてみると、地毛だという。彼女はフィンランド人の父親を持つ、ハーフなのだそうです。どうりで、印象的な瞳の色やすっとした鼻梁が日本人離れしているわけです。
「読めないよねー。名前にはかなりこだわったみたいで」
 しかし、紅亜は自分の名前をかなり気に入っています。確かに、彼女に相応しい名前じゃないでしょうか。
「くれあちゃん、か。素敵だね」
 さくらさんも頷きます。
「みんなはどうしてアイドル部を始めたの?」
 根本的なことを尋ねられ、わたしたちは順繰りに説明していきます。
「まず、わたしが元々アイドル好きで、仲のよかった二人をイベントに誘ってみたんです」
 と、舞子。
「そのイベントでわたしたち、感動しちゃって! すごくきらきらしてて、かわいくて――アイドルっていいな、って感じたんです!」
 と、紅亜。熱い。
「紅亜がわたしたちで部活を始めないかと提案して、三人でまずは同好会としてスタートしたんです」
 と、わたし。
「最初のステージだった新入生のオリエンテーションで先輩方のパフォーマンスを見て、わたしたちはその姿に憧れて、この部に入りました」
 と、美帆。嬉しいことを。
 聞いていた美波さんは腕組みをして、ふんふんと頷いています。
「じゃあ、まだ創部して間もないのね。部員募集をしてたくらいだから、当然か」
「美波さんとさくらさんは、どうしてアイドル部に?」
 と訊いたのは千歳。
 先ほどから、いい匂いが漂ってきていました。もうすぐ料理ができあがるでしょうか。自然と笑顔になれます。
「三年にもなって、と思うかもしれないけど――わたしはずっと何か新しいことを始めてみたくて。アイドルについてはまったく詳しくないけれど、興味はあったのよ」
 美波さんに続けて、さくらさんも口を開きます。
「わたしはそんな美波に誘われて――女子校で女子アイドルをやるなんて、おもしろいなって思ったし」
 あと、と言葉を継ぎます。「あと、そうそう。ポスターの絵がよかったから」
 みんなの視線が一斉に美帆に向きます。それに気づいたさくらさんが「あの絵、美帆ちゃんが描いたんだ。かわいらしくて、よかったよ」とさらに褒めると、美帆は照れ笑いを浮かべていました。
 そのタイミングでそれぞれがオーダーした料理が運ばれてきました。練習で体を動かしていたわたしたちは、お腹が空いてしょうがなかったです。すぐに食べ始めました。

 それから部活の時間を重ね、わたしたち七人は遅々とした歩みながらも、着実に前進していました。完成度を高めていき、あとは学期末のライブを待つばかり。
 ところが、その前に別の問題が持ち上がってきたのです。
「はー、どうしよー」
 さっきから紅亜は嘆きに嘆いています。彼女が気落ちした横顔を見せるなんてめったにないことです。
 わたしと紅亜、それに舞子は教室に残って勉強をしています。期末試験が近いので、それに向けての勉強をしているのです。――というよりも、主に紅亜に教えているのですが。
 我が校では期末試験で最低ラインに達していない、つまり「赤点」の人は再試験を必ず受けなければなりません。そして、それは文化部が合同で開催するライブの時間帯と被っています。言い換えるなら、ライブに参加できないように被せられています。ちゃんと学生の本分を弁えていない人は、楽しい行事に参加する資格がない、という意味でしょう。
 これに悲鳴を上げているのが紅亜。勉強がほとほと苦手で、しかも集中力が欠如しているので、いつも赤点をたくさん取ってしまうのです。今までは部活に所属していなかったからなんともありませんでしたけど、今回はライブに出るため話が違います。しかも、彼女は部長でセンター――と、わたしが興奮しても仕方がないですけれど。
 そんなわけで一緒に居残って、舞子と教えてあげているというのに、紅亜はさっきからすぐに音を上げます。これで大丈夫なのかどうか。
「ちょっと、紅亜。そんなんじゃ、ライブに出られませんよ」
「ひっ。美桜、怖いよー。そんな顔しないで。スマイル!」
 きっとねめつけると、ようやく教科書に目を戻しました。
 しばらく根気強く紅亜に付き合っていると、美帆が顔を覗かせました。
「おつかれさまですー。紅亜さん、がんばってますか」
 当の紅亜はだいぶ集中できているようで、黙々と勉強に取り組んでいました。美帆に向かって、唇の前に人差し指を当ててみせます。あたかも、赤ちゃんを寝かしつけた後みたいです。
「がんばってますね。千歳もたまに怠けますけど、なんとかやらせてますよ」
 一年生の教室では、千歳が紅亜と同じ立場。やはり、二人は相通ずる部分があります。
 ちなみに三年生の二人はとても優秀なので、心配する必要がありません。部活に入っていなかったのは、去年まで生徒会に入っていた関係もあるほどで、かなりの優等生なのです。
「ライブ、絶対にみんなで出たいですからね」
「そうですね」
 美帆の言うとおりでした。ずっと練習を積み重ねてきたのだから、やはり七人でステージに立ちたいです。
「美桜さんは自分の試験勉強できてますか? 時間ないんじゃないですか」
「いつもより割ける時間は少ないですけど、でも、赤点は回避できると思うので。美帆こそ、大丈夫ですか?」
「わたしも同じです。今はとにかく、千歳のために」
 そう言って、にっこりと微笑みました。二人はほんとうに仲がいいのだな、と感じます。
「実は、ちょっと考えているんですが、」わたしは声を潜めました。「仮に紅亜か千歳が合格点に届かなかった場合、ライブには参加しないつもりなんです」
「え――」
 美帆の瞳が、戸惑いに見開かれます。
「残念ですけど、フォーメーションとかもあって、一人欠けるだけでも難しくなりますし。それに、特に紅亜はセンターです。彼女なくして、わたしたちのパフォーマンスは完成しません」
「でも、そんな……」
 暗い表情をする美帆の肩を慌てて掴みます。
「それは最悪のケースです。そうならないように、なんとかみんなで赤点を逃れるんです」
 一緒にがんばりましょう、と最後に付け加えると、はい、と小さな返事がしました。

 一足先に講堂の舞台に立って、深呼吸を一つ。まだ誰もいない、静かな空間。しばらくしたらたくさんの人が来て、騒がしくなることでしょう。
 七人体制になってから初めてのライブ。期末試験の結果、勉強の甲斐あって紅亜と千歳も赤点を免れ、全員で参加できることになりました。ほんとに、胸を撫で下ろしました。
 あとは思い切りやるだけです。吹奏楽部や軽音楽部に続いてパフォーマンスすることはどんな風に受け取られるか分かりませんが、気にしすぎず、わたしたちらしさを貫いていくべきでしょう。
 不意に肩を叩かれました。舞子が傍に立って、にこやかな笑みを浮かべています。
「今日は楽しもうね」
 せっかくの晴れ舞台ですから、そのつもりです。わたしは微笑み返して、改めて観客席側を見据えます。
 見に来る人たちの中にはバスケ部員もきっといるでしょう。自由参加という形をとっていますが、ほぼ全生徒がここに押し寄せるからです。顔なじみもいるかもしれません。歌って踊っているわたしを、どう捉えるのか。
 わたしは自分の実力のなさを恥じて、戦いから逃げました。でも、だからといって、ほんの気まぐれでスクールアイドルを始めたわけではありません。親友の二人と、新たにできた仲間たちと本気で取り組んでいるのだと、今日のパフォーマンスで証明できれば。
 そんな風に思っています。
 少しずつ、遠くから喧騒が近づいてきていました。もうすぐです。
 わたしたちは美帆が手作りした衣装を身に纏っています。できあがった段階で一度試着していたとはいえ、本番を前にするとすごく恥ずかしいです。あまりにかわいくて、気後れしてしまうから。
「美桜、ちゃんと背筋を伸ばさなきゃ。自信を持って舞台に立っていないと、かえってかっこわるいよ」
 舞子に指摘されてしまいました。せっかく美帆が精魂込めて作ってくれたのですから、今のわたしが誰よりもかわいい、そのくらいの気持ちで臨まなければ。
 白を基調とした衣装で、袖とスカートの色が全員違っています。美帆はせっかく七人なのだからと、虹の七色をそれぞれにあてがいました。本人のイメージを考慮し、紅亜には赤、舞子には橙色、千歳には黄色、美波さんには青、さくらさんには紫。美帆自身は緑で、わたしに与えられたのは藍色。好きな色なので嬉しいですし、それに、ほかのメンバーもよく似合っています。
 基本の立ち位置は前列三人、後列四人。センターは紅亜で、わたしと舞子が右と左に。後列の内側二人が千歳と美帆で、外側に美波さんとさくらさん。虹色の順番とは異なるわけですけど、踊っている間に変わっていくため、それよりも個々のイメージカラーを重視しました。
 前回の三人のライブから、あっという間に七人に。わたしたちは確実に前進してきました。無駄な時間を過ごしてこなかったことを、かつて逃げてしまった過去のわたし自身に証明してみせます。
「よーし。みんな、今日は楽しもうね! 笑顔で!」
 紅亜の掛け声でメンバーに気合が入ります。ステージに一歩、踏み出しました。
 こちらを観ている人たちよりも一段高いところにいても、自然とたくさんの視線とぶつかります。普段なら、臆して目を逸らしてしまうでしょう。でも、今はアイドル。ちゃんとまっすぐに見つめ返して、微笑まないと。
 紅亜が簡単な挨拶を済ませた後、曲紹介をします。場内がしんと静まり返り、いよいよ始まるのだと意識させられます。集中――。
 一曲目はAKB48で『君のことが好きだから』。

 全力で踊りながら、心を込めて歌いながら。わたしは別のところで考えていました。バスケ部を辞めて、これからどんな目標を掲げて学生生活を送ればいいのか迷い、そんなときに、アイドルのイベントに誘われました。はじめは深い考えもなく足を運んだのに、ぐっと心を掴まれてしまったのは、きっと迷っていたから。ぽっかりと空いた胸に、すっとあのときの輝きが入り込んできたから。
 アイドルは誰しもに必要とされている存在ではないかもしれません。それでも、誰かの笑顔を作り、誰かの背中をそっと押していることは確かでした。それに気づき、そして憧れました。
 紅亜と舞子はどんな風に捉えていたのか判然としませんけれど、わたしがすぐに一歩踏み出せなかったのは自信がなかっただけ。楽しそうだなと、遠くから眺めていました。
 二曲目のHKT48『そこで何を考えるか?』がサビに差しかかります。

  悔しい

  次のチャンスはまたあるよね これで決まるわけじゃないし

  いつもより練習すればいい 目標はそうモチベーション

  涙拭ってもう一度 新人の頃を思い出そう

  汗を流したその分だけ どんな願いだって叶うんだ

 演奏が終わり、きっと前を見据えると、そこにはたくさんの笑顔が。喜びよりも、ただひたすら安心していました。
 誰かの笑顔を目の当たりにすると、こちらも自然と笑顔になれますね。

   三 僕らのユリイカ

 学校からの帰り道、イヤホンから流れてくる音楽に歩調を合わせる。すっかり暑い日が続くようになっていて、夜でも蒸している。早く帰って、冷水に癒されたい。
 聴いているのはNMB48の『僕らのユリイカ』。先輩方に憧れてアイドルの世界へと踏み出したのだけど、今ではもう虜だ。

  僕らのユリイカ 発見したんだ

  ずっと近くにいたのに 初めての感情

  夏の太陽に目を細めた時 君のことをキレイだと思った

 右も左も分からないまま参加したオリエンテーションで、わたしは心を掴まれた。何がどうよかったのか上手く説明できないけど、ただひたすらに、あの三人の姿に見惚れた。わたしもあんな風になれたらいい――と。
 あの瞬間にわたしの高校生活は決まった。運命的な発見だった。わたしががんばれる場所を見出した。
 親友の美帆を誘ってアイドル部に入部し、一学期が終わった。これから夏休み。

 授業期間中ほどではないにしても、わたしたちは休みの間も活動をすることにした。全員の予定を確認して、みんなが集まれる日を活動日に設定した。
 ある日、美波さんがこんな話を持ってきた。
「夏祭りのステージでパフォーマンスさせてもらわない?」
 生徒会に所属していた彼女はその伝手で話をもらってきたという。「毎年、吹奏楽部と軽音楽部が参加させてもらっていて。ただ、今年は吹奏楽部の方がコンクールと日程が被ってしまって、枠が一つ余ったそうなの。それで、わたしたちに代役を託せないか、って」
 夏祭りは街の外からも来場客があるくらい大きなものだ。そこのステージでやれるなら、そんなに喜ばしいことはない。
「いいんじゃない! 参加しようよ」
 紅亜さんが真っ先に賛成する。わたしも同意見だった。
「確かに、いい機会ですね。そういうチャンスがないと、わたしたちの出番は限られますから」
 美桜さんも賛成のようだ。ほかのみんなも頷いている。これで決まりだ。
「じゃあ、夏休みはそこに向けて練習だね」
 と、さくらさんが楽しげに口にする。
 どんな曲にしようか、衣装などはどうしようか、と次を見据えた意見が出る中、わたしは今日話そうと思っていたことを思い出した。勢いよく手を上げる。
「そうだ! あの、せっかくだから合宿をしませんか?」
 一気にわたしに注目が集まり、それぞれ、合宿、と小さく呟いた。
「泊まり込みでレッスンするってこと?」
 問いかけてくる美帆に、首肯する。
「そう! みんなで予定を確認してるときに思ったんですけど、連続して全員が空いてるところは、泊りがけでどこかに行けるんじゃないかなー、と思って。活動に専念できて、メンバーの絆も深まる。なおかつ、楽しいですよ! 絶対!」
「いいねー! それ、いいよ」
 紅亜さんが目を輝かせて、わたしの手を握る。嬉しくて、二人で手を取り合って飛び跳ねた。
「なるほど、それはいいアイデアかもね」
 と、美波さん。
「合宿なんてワクワクするね」
 と、美帆。
「でも、学生だけで宿泊なんて――」
 美桜さんが少し心配そうな表情を見せたけど、「そんなに遠出しなければ大丈夫じゃない? 家族にもあらかじめ行き先を伝えて」さくらさんがフォローを入れる。
「わたしもいいと思う」
 ただし、と舞子さんは厳しい顔をする。なんだろう。
「ただし、その合宿では体力アップを主に図るべきだと思う」
 そう言って、周囲を見回す。「どうして?」と紅亜さんが尋ね返した。
「やっぱり、ライブを後から振り返ってみて感じるのは、曲を全力で踊りきる体力がないな、ってこと。ペース配分を考えているから持っているけれど、それじゃあ魅力は半減だよ。やっぱり、最後まできっちり踊って、笑顔でいられるようじゃなきゃ」
 アイドルの研究に余念がない舞子さんの言葉だから、わたしたちはただ黙っているしかなかった。
「それから、歌唱力。上手い下手はもちろんだけど、グループとしてバラつきがあるのは困る。それに、声量。どこのステージでやるにしても、声量がないと届かない。だから、腹筋も鍛えないといけないし、肺活量もアップさせないといけない。――という理由」
 しばらく圧倒されて、誰も何も言えなかった。ようやく、美桜さんがポツリと漏らした。
「では、合宿はハードな練習メニューになる、ということですね」
 でも、それは臨むところだろう。わたしたちがもっと成長するためには、きっと必要な過程だ。

 うっかり寝坊してしまって、その日の練習には遅れそうだった。駆け足で学校まで向かう。
 屋上への入口に辿り着くと、ドアからみんなの練習を覗いている女子生徒がいた。時折、顔を引っ込めて、隠れるようにしていた。
 わたしはひらめくものがあった。背後から近付いて、そっと肩に手を置いた。
「あの、入部希望者ですか?」
 振り向いた彼女は分厚い眼鏡をかけていて、その奥の目が大きく見開かれた。
「もしそうだったら、遠慮しないでどうぞ入ってください」
「あの、わたし……」消え入りそうなか細い声だった。「入部希望者じゃないんです……」
「そうなんですか。じゃあ、見学ですか? もっと近くで見てもいいんですよ」
「いえ、わたしはぜんぜん……」
 話し声を聞きつけたのか、美波さんがひょいっと顔を見せた。
「誰かいるの? って、千歳じゃない。遅刻よ」続けて、その隣にも視線を向けた。「え、緋菜! どうしてこんなところに」
 すると彼女は勢いよく立ち上がって、走り去ってしまった。動きに合わせてスカートが揺れる。
「部活の様子を覗いてたんで、入部希望者か見学かなー、と思ったんですけど、違ったみたいです。美波さん、知り合いですか?」
「ええ、同じクラスよ」
 ということは、三年生か。「だけど、大人しい彼女がどうしてこんなところに――。それも、わざわざ学校が休みの日に」
「美波、知らなかった?」
 今度はさくらさんが姿を見せた。
「知らなかったって、何を?」
「緋菜は大のアイドルファンなんだよ。みんなには内緒にしているけれど」
「内緒にしているのに、なんであなたは知ってるの?」
「そこはほら、感じ取るものがあったから」
 よく分からない部分もあったけど、一つだけ言えるのは、さっきの先輩はアイドルが好きってことだ。それなら、うちの部に入ってくれればいいのに。
「さくらの言う通りなら、わたしたちの活動に興味があるのかもね。誘ってみたら入ってくれるかしら」
「それは誘い方次第で、いかようにも転ぶと思うよ」
 とにかく、と美波さんは話を止めて、わたしをまっすぐに捉えた。
「とにかく、練習に戻りましょう。千歳、遅刻はダメよ」
 はーい、と返事をしてから、屋上に出た。陽の光の下で踊るみんなの姿が現れた。

 部活からの帰りしな、美帆と二人でファーストフード店に寄った。学校があるときよりも早めに終わるため、自由に使える時間ができる。暑いから、揃って冷たい飲み物とアイスを頼んだ。
「活動を覗いていた人がいたんだ」
 席に着くなり、美帆は例の彼女――緋菜さんについて言及した。
「そう。結局、すぐ帰っちゃったんだけど。さくらさんによるとアイドルが好きみたいだから、ぜひ部活にも入ってほしいなー」
 大人しい性格みたいだったけれど、透き通るような白い肌をしていた。眼鏡を外してかわいい衣装に身を包んだら、よく映えそうだ。
「部活に入ってほしいと言えば、新垣さんはどうなんだろうね」
 新垣さんは、わたしたちと同じ一年生の新垣彩葉だ。入学時からそのかわいさで注目の的となり、アイドル部は密かに狙いをつけていた。今のところどの部にも所属していないらしいけど、わたしたちに興味がある様子はまったく見受けられない。
 新垣さん、とさん付けで呼んでいるくらいだから、親しくない。何より、ちょっと近寄りがたい雰囲気がある。彼女の横顔には既にいろんなものを経験してきたような、あるいは、何かを抱えているような、そんな兆しが見られ、いつも話しかけるのに躊躇してしまう。
「かわいいよね、やっぱり。誘ったら、いい返事してくれるかなー」
「あんまり期待できないような気がする。でも、試しに訊いてみるのはありかもね」
「美帆も、ああいう雰囲気の子をイメージした衣装、作ってみたいって思うんじゃないの?」
 美帆は考えるように少し俯いた。
「それは、まあ。でも、その人に合ったそれぞれの衣装があるから、いかにその人に似合うものが作れるか、むしろそれが大事かも」
「ふーん」
 美帆はデザイナーの親を持っており、家でもたくさんそういうものに触れてきたそうだ。我が部でも衣装担当を務め、次のライブに向けた新衣装を考案している。現在練習している曲はかわいらしい振り付けだから、どんなものを合わせてくるのか、とても楽しみ。
「美帆、あのさ」
 わたしがちょっと言いよどむと、美帆は怪訝な顔をした。
「どうしたの?」
「いや、美帆は――アイドル部に入ってよかった?」
 意を決し尋ねると、美帆は、どうして? と訊き返してきた。
「だって、わたしが誘ったから入ったでしょう。ほかにやりたいこともあったんじゃないかなー、って気になってて」
「千歳がそんなこと言うなんて珍しいね」
 美帆はくすぐったそうに笑った。「わたしは、入ってよかったって思ってるよ」
「ほんとに?」
 思わず身を乗り出す。
「うん。だって、毎日、こんなに楽しいし。いい先輩たちに出会えたし」
 誘ってくれてありがとう、そう言ってくれたことで、わたしは心から安堵した。

 蝉の鳴き声がよく聞こえる。短い命を力強く訴えてくる声。夏になったのだと実感する。気分が解放されるからこの季節は好き。
 先日部活に遅刻してしまったから、今日は少し早めに家を出た。歩いているだけで気持ちのいい汗をかく。しかし、これだけ暑いと屋上でのレッスンは生死に関わるかもしれない。今日は確保している教室の一つに移ることになりそうだ。
 学校に着いた。集合場所の教室は真っ暗。足を踏み入れると、中にはやはり誰もいない。ここでのんびり待っていてもよかったけれど、踵を返してまた階段を上がった。屋上がどれくらい暑いのか確かめてみようと思った。
 歩きながら、練習中の曲の振り付けをやってみる。個別で確認しながらだと、すぐに出てこないことがある。止めることなく、最初から最後まで流れるように踊ると、自然と体が動く。ダンスを始めて、振り付けをたくさん覚えるようになって気づいた。アイドルがあんなに多くの歌の振り付けを覚えていられてすごいな、と感じていたけど、一度把握したら、歌とともに迷いなく繰り出されるのだ。もちろん、そんな手応えがある気がするだけで、まだまだ難しい振りはできない。それでも、躊躇したり、委縮したりした瞬間にダンスは止まる。思い切り手足を動かすことが大事ってこと。
 屋上へ通じる扉の前に、この前の彼女が立っていた。三年生の緋菜さん。驚かせないように、少し離れたところから声をかけた。
「あの、こんにちは」
 彼女はゆっくりと振り返る。今日も眼鏡をかけていて、瞳が瞬いている。やはり、彼女は整った顔立ちをしている。
「今日はたぶん、屋上で活動しませんよ。とっても暑いので」
 彼女は小さく頷いて、それから初めて、笑みを浮かべた。もっと笑わせたいという思いを抱かせるそれだった。
「そうなんですか。それじゃあ、こっそり覗けませんね」
 今日は帰ります、立ち去ろうとする緋菜さんの腕をわたしは掴んだ。
「アイドル、好きなんですよね?」
 彼女の目が見開かれる。なんで知っているの、どうしてそんなことを訊くの、その瞳が物語っている。
「さくらさんに聞いたんです。わたし、アイドルにそんなに詳しくなかったんですけど、先輩方のライブを見て、ほんとにいいなって感じたんです。わたしもやってみたいなって思ったんです」
 もし、と緋菜さんをまっすぐに見つめて、言葉を続ける。
「もし、アイドルが好きなら、わたしたちと一緒に活動しませんか? 絶対に、憧れがあると思うんです。好きだったら、自分でもやってみたくなるはずです」
 誘いの手を心の中で伸ばす。お願い、この手を握って。
 どうしてこんなに、特別親しい間柄でない相手を勧誘しているのか。きっとそれは、知ってしまったから。ステージ上で練習の成果を発揮できる快感を。自分の笑顔が誰かをも笑顔にする喜びを。だから、目の前の彼女にも知ってほしかったのだろう。
「どう、緋菜。こんな純粋な目をした一年生の誘いを断れる?」
 突然、横に美波さんが現れた。傍らにはさくらさんの姿も。
「最高に楽しいよー。高校生活の残された時間、有意義に過ごせるチャンスじゃない?」
「うん――」緋菜さんは恥ずかしそうに俯いた。「やってみたい。ずっと考えてた。だから、部活の様子をそっと見させてもらったし」
 だけど、と彼女は表情を暗くする。
「だけど、わたし、歌もダンスも下手だし、きっと足を引っ張ってしまうと思うけど――それでもいいの?」
 これにはわたしが答えた。
「わたしも初心者だったけど、でも、みんなで練習しているうちに、すぐに上達していきましたよ。好きなら、きっと大丈夫です。だって、ずっとアイドルを追いかけてきたんでしょう?」
 時間をかけて、緋菜さんが首を縦に振ってくれた。
「ありがとう。……こんなわたしだけれど、よろしくお願いします」
 背後から物音がした。びっくりして振り向くと、紅亜さん、美桜さん、舞子さん、美帆が一斉に物陰から出てきた。口々に喜びの言葉を投げかけている。
 二人きりだと思っていたのに、みんな隠れていたのだ。それでも、こうしてまた一人、仲間が加わった。

 気温は同じくらいだというのに、ここは嫌な暑さじゃなかった。豊かな自然に囲まれた避暑地。深呼吸して、その空気を味わってみる。
「はあ、素敵なところ」
 合宿地として選ばれたのは軽井沢。美波さんの親戚が所有している別荘があるということで、そこを提供してもらったのだ。車でここまで送ってもらい、後はわたしたちだけで泊まる。自由に過ごせる代わりに、食事を用意するのも自分たちで。
「美波さん、ほんとうにありがとうございます」
 美桜さんがお礼を言う。
「いいのよ。使ってもらってこその別荘だから」
 美波さんはハーフで、どこか上品な佇まいがあると思っていたけれど、やはり家は相当裕福なのでは。
「こんなところで合宿できるなんて最高だねー!」
 紅亜さんが明るい声を響かせる。
「遊びにきたのではないですよ。部活がメインですからね」
「荷物置いたら、さっそく練習始めようかー」
「いつもと違う練習メニューはあるんでしょうか?」
「体力強化と、ボイストレーニングもできたらいいね」
「この辺りを走ったら気持ちいいわね」
 声を聞きながら、くるりと後ろを振り返る。緋菜さんが一歩下がった場所で大人しくしていた。手を伸ばして、そっと握る。
「緋菜さん」
 行きましょう、と言うように、別荘の方に導く。もうメンバーの一人なのだから、遠慮しないでいいのだ。
「千歳ちゃん……」
 少し表情を和らげる。それを見て安堵する。
 部に加入してすぐ合宿が迫っていたけど、緋菜さんも予定が空いていたので、八人で来ることができた。わたしたちと彼女が距離を縮めるいい機会になるのではないかと期待している。
 部屋に荷物を置くと、練習着に着替えて、表に出た。まずは走ろうと、近くの湖へ向かう。円をなぞるようにして走り出したが、次第に塊が崩れていく。個々の走力と持久力の差が如実に表れてくる。先頭をゆくのは元バスケ部の美桜さん、それからわたし。でも、美桜さんはまだまだ余裕がありそうで、合わせてくれているのを感じた。
 少し遅れて紅亜さん、舞子さん、美波さん、美帆。最後尾はさくらさんと緋菜さん。さくらさんは豊かな胸が重そう。
 吸って、吐いて。吸って、吐いて。走っている間は苦しかったけれど、周りの景色は爽快だった。都会では絶対に味わえない心持ちで体を動かしているこの瞬間、密やかな高揚感。
 これが合宿なのだと、徐々に実感する。

 口々に「疲れた」と漏らしながらも、夜は協力してご飯を作った。カレー、ポテトサラダ、チーズケーキまで。料理を率先して行ったのは家で喫茶店のお手伝いをしている紅亜さんと、「女子力」の高い舞子さん。自然と二人の指示にそれ以外が従う形になっていく。
 食べながらさまざまなことを話した。これまでのこと、これからのこと。特に緋菜さんの言葉をたくさん聞きたかった。
「緋菜さんはどのアイドルを追いかけてるんですか?」
「わたしは――」
 平素は寡黙な性格なのに、アイドルの話になると舌が滑らかになる。そして、それに付いていけるのは舞子さんだけだった。舞子さんがいてくれてよかった。
「これだけ詳しければ、選曲や振り付けのことなんかアドバイスしてくれるとありがたいわね」
 美波さんが微笑みかける。
「でも、わたし、教え方下手だろうし……」
「振りコピしてる曲多いんじゃないですか? ほかの人より把握してるのは確かなんですから、積極的に口を出していいと思いますよ」
 振りコピは、振り付けを完璧に覚えているということ。それだけ踊っている姿を見てきた証左だ。
「せっかくですから、今度はこのメンバーでアイドルのイベントに行きたいですね」
 と、美桜さん。チーズケーキ切り分けますか、そう言ってナイフに手を伸ばす。食事はあらかた食べ終わっていた。
「行きたい! 有名なアイドルもいいけど、あえてマイナーなグループを見に行って、刺激を受けるのもいいかもね」
「勉強しに出かけるわけねー。やっぱり、現場に足を運ぶことが大事、だね」
 と、さくらさん。
「わたしも衣装の参考にしたいな」
 と、美帆。
「じゃあ、決まりですね! 舞子さんと緋菜さんを先頭に行きましょう」
 わたしが言うと、みんな力強く頷いている。根が真面目な人が多いからか、スクールアイドルをやっていても、軽薄な雰囲気はまるでない。それぞれに目標を掲げて、それを見据えて努力している。
 わたしもがんばらなければ。
「そうだ!」
 チーズケーキと一緒に頂くための紅茶をお盆に乗せ、紅亜さんがテーブルに持ってきてくれた。一人ひとりにティーカップを配りながら、「そうだ!」を何度も口にしている。
「何がそうだ! なの?」
 舞子さんが尋ねると、悪戯っぽい笑みで周囲を見やる。
「えへへ、いいこと思いついちゃった。――でも、まだ言わない」
「また何か思いついてしまったのですね」
 美桜さんが不安げに、そんな紅亜さんを見つめている。

 翌朝。
 今回の合宿では、夏祭りのライブに向けた練習が中心となっている。既に選曲は固まっているようで、先ほどNMB48の二曲が伝えられた。どちらもテンポのいい、盛り上がりを重視した選択に思う。
 だけど、それから続けて伝えられた。フォーメーションを前回から変更する、という。八人に増えて、当然考え直す必要はあるだろうけれど、果たしてどうなるのか気になっていた。
「センターは――緋菜さんでいきます」
 舞子さんが宣言し、みんなの視線が緋菜さんに集中する。視線を受けて、彼女は明らかに委縮している。
「わ、わたしがセンター……?」
 舞子さんの隣で、紅亜さんが勝ち誇ったような笑顔になっている。昨夜閃いたのは、このことだったみたいだ。
 狙いがきっとあるのだろうけど、でも、と傍らの緋菜さんを気に掛ける。いきなりセンターを任されて、大丈夫なのかな。

   四 僕がもう少し大胆なら

 目が冴えて眠れそうもない。仕方なく上半身を起こして、窓にかかるカーテンに触れる。少しだけ開けて、外を見つめる。真っ暗闇に浮かび上がる街灯、その下を自転車に乗った男性が通りかかった。こんな遅い時間だというのに。
 合宿で曲とフォーメーションが発表され、わたしはセンターを任されることになってしまった。好きな曲だったから振り付けはなんとか覚えられそうだけど、でも、わたしが一番目立つ位置に立って、ほんとうにいいのだろうか。
 昔からアイドルが大好きだった。彼女たちみたいにきらきらした存在に憧れ、それと同時に自分の地味さを思い知らされた。わたしは遠くからその姿を眺めているのがちょうどいいのだ。
 それでも、学校にアイドル部ができたと耳にしたとき、興味を持った。普段は学期末の企画に足を運ぶことはないのに、アイドル部見たさにこっそり行ってみた。
 そこで、わたしはまざまざと見せつけられた。これは、わたしがほんとうにやりたかったこと。舞台の上で笑顔を振りまくみんなが、どうしようもなく羨ましかった。
 そして、あれよあれよと言う間にそのメンバーに加わった。まずは端っこで、自分にできる最大限のダンスを披露しよう、そんな風に考えていたのに。
 地元の夏祭りは明日に迫っている。会場は広いし、見に来る人たちも知らない人の方が多い。自信はない。努力はするけれど。
 せめて、顔の状態が最悪にならないように早く眠りに就こうと思う。

 翌朝、最終確認を含めて学校の屋上に集まった。本番の会場でリハーサルをやらせてくれるのだけど、ほかの団体もいるためあまり時間が与えられていない。それまでに不安を払拭しておこう、というわけだ。
「どれくらいお客さん来てくれるんだろうねー。楽しみ!」
 紅亜ちゃんはテンションが高かった。二年生でこの部活の発起人。部長を務めていて、これまでは連続してセンターを務めていた。彼女みたいに底抜けに明るい女の子が真ん中に立つべきだと思うのだけれどな。
「緋菜、緊張してない? リラックスだよ」
 美波がわたしの肩を軽く揉む。同級生だったけど、今まで親しくしていなかった。「リラックス」の発音が上手い。
「今日までレッスンを重ねてきたんだから、自信を持って」
 舞子ちゃんが優しい言葉をかけてくれる。お客さんたちは平素のわたしを知らないのだから、ステージでは笑顔で臨まなければ。センターに立つ以上、よりいっそう。
「夏祭りって屋台とかも出るんだよね。綿あめ食べたいなー」
 千歳ちゃんがのんびりした口調で言う。彼女の笑顔を見ると元気がもらえる。
「ラムネもあるかもね」
「花火も上がるよね、きっと」
「ほら、遊ぶことばかりじゃなくて、最終確認をするために集まったんですよ」
 真面目な美桜ちゃんが気を引き締めさせる。
 ちょっと離れたところでは、美帆ちゃんが衣装を入念にチェックしている。衣装担当の彼女は、直前まで気にかけている。
 誰からともなく掛け声がして、フォーメーションに分かれた。わたしはその最前列に移動して、深呼吸する。泣いても笑っても、今日の夜にはパフォーマンスをする。それまでに頭が真っ白になっても踊りとおせるくらい、振り付けを体に叩き込まないと。

 まだ準備の済んでいない会場の入口をくぐり、足を踏み入れる。学校から目と鼻の先にある広い公園全体を使って、夏祭りの雰囲気を演出している。あちこちから掛け声が聞こえる。もうまもなく訪れる瞬間に思いを馳せ、人知れず胸を高鳴らせる。
 わたしは人の多いところが苦手だから、こういうお祭りに来ることもほとんどない。ひっそりと、静かに生きている。
 憧れがあったとはいえ、わたしと対極にあるアイドルとしてステージに立つのは、一つの奇跡だ。みんなが手を差し伸べてくれたから、舞台に引っ張り上げてくれたから。
 ステージは手作り感に満ちていたけれど、地面から少し高く、また広かった。学校の講堂よりもダイナミックに踊れそう、とそれを見上げて舞子ちゃんが呟く。裏を返せば、大きく踊らないと観ている人に届かないのだ。
 八人で黙ってステージを見つめる。それぞれにどんなことを考えているのか、なんとなく分かる。
 やがて歩き出し、裏に回る。そこには待機するためのテントが張られている。有志の団体が既にたくさん集まっていて、彩り豊かな衣装を身に纏っている。
 わたしたちの今回の衣装は、メイド服をベースに、踊りやすいようアレンジを加えたものになっている。「女の子」らしさを最大限にアピールできる衣装だ。美帆ちゃんは、曲とわたしをイメージしながら作ったという。その言葉を疑ってしまうくらい、それはほんとうにかわいかった。
「さあ、衣装に着替えたら、リハーサルをするよ」
 部長の紅亜ちゃんが声をかける。普段はマイペースで、美桜ちゃんや舞子ちゃんに叱られるときもある彼女だけど、今の表情を見ると、やっぱり彼女がこの部活の中心人物なのだな、そう実感する。
 紅亜ちゃんを差し置いてセンターをやらせてもらえるのは、どう受け止めても、やはりプレッシャー。
 でも、わたしたちはずっと練習してきた立ち位置で挑戦する。
 日が暮れてきた。夜の到来はお祭りの幕開けの合図。

 予想以上にたくさんの人たちが見に訪れていた。ほかに目当てがあるのか、なんとなく楽しそうな場所に吸い寄せられたのか。わたしたちを目当てにして集まった人たちは少数だろう。
 よく目を凝らすと、見覚えのある顔がちらほらあった。地元のお祭りなのだから、同じ学校の生徒たちが来るのは当然だ。それぞれに、戸惑いの色が浮かんでいる。だって、センターポジションにいるのは、いつも教室の片隅で小さくなっている高遠緋菜。意外に感じている。
 緊張は限界を超えたのか、ステージに立ったときにはむしろ落ち着いていた。見渡す余裕もある。今まで深く考えることなく、好きなアイドルのパフォーマンスを見つめていたけど、彼女らからはこんな風に見えていたのか。たくさんの視線を浴びることは、重く全身にのしかかるけれど、どこか快感だ。
 紅亜がマイクを取って、自己紹介をしている。曲を告げる段になって、そのマイクを渡される。
「そ、それでは聴いてください。NMB48で『イビサガール』と『僕がもう少し大胆なら』」
 前奏が始まる。始まってしまうと、もう動き出すしかなかった。全力で踊って、全力で歌うしかない。笑顔を振りまけているとは思えないけれど、でも、きっと楽しんでいることは伝わるはず。それだけが伝播するだけでも十分。

  僕がもう少し大胆なら 勢いで愛せたね

  傷つけること恐れて目を逸らした

  僕がもう少し大胆なら サヨナラは言わなかった

  久しぶりの二人はお似合いなのにね

 僕が――わたしがもっと大胆だったら。もっと早くアイドル部に入っていれば。憧れを実現させようと一歩踏み出せばよかった。強く確信する。わたしはみんなと出会えて嬉しい。この瞬間は何よりの至福だ。
 こんな風に思わせてくれてありがとう。こんなわたしを誘ってくれて、ほんとうにありがとう。

 緊張感から解放され、わたしたちは改めてお祭りを満喫することにした。表情筋が緩んで、誰もがどこか腑抜けた顔になっている。
「どうだった、初ライブ」
 リンゴ飴を片手に持った美波が尋ねてくる。答えるわたしの手には、ラムネの瓶が握られている。水色に透けている。
「まともな精神状態では臨めないだろうと思ってたけど――でも、予想以上に楽しめた。みんながいてくれたからだね」
 美波は小さく笑う。
「だいぶ、話し方が自然な口調になってきたね」
 わたしは頷いた。今日で、一気に心の距離が縮まった気がする。
 元気にはしゃいでいる紅亜ちゃんと千歳ちゃんが先頭。二人ともお面をかぶっていて、視界が悪そうなのに、動きはいつものように大きい。その後ろを心配そうに美桜ちゃんと舞子ちゃん、美帆ちゃんが続いている。
「どうして紅亜が、緋菜をセンターにしたと思う?」
 最後尾で同じく並んでいたさくらに問いかけられる。どうしてだろう。それはずっと考えていたけれど、答えは出ていなかった。
 首を横に振ると、さくらはにっこりと笑んだ。
「彼女なりに部のことを考えたんだと思うよ。本人に聞いたわけじゃないけど。新しいメンバーが加入して、次のステージまで時間は限られているけれど、でもなんとか一緒に参加したい。それには、練習を積み重ねるのも大事だけど、絆を深める必要があった。
 いきなりセンターに据えてしまえば、周りのみんなも常に緋菜を意識せざるを得なくなる。実際、これまでの時間をカバーできるくらい、一体感が出せていたんじゃないかなー」
「一種の賭けというか、荒療治だけどね」
 愉快だ、というように美波が微笑む。
 本物のアイドルグループでも、無名の存在を突然センターに抜擢し、注目されることがある。よくも悪くも色が変わるから、効果は大きい。以前の方がよかったと思いながら、少しずつその人を認めていく。あるいは、新しい個性に惹かれ、逆風に負けるなと応援する。ファンでも反応はさまざまだ。
「わたし個人としては、地味な女の子が舞台の中央で誰よりもかわいくなってたら、痛快だと感じるね。そのための抜擢」
 さくらがさっきとは異なり、冗談めかして告げる。それも狙いの一つにあったかもしれない。何より、わたし自身、いつもと違う自分を見せられて、痛快だった。
 前方に視線を向ける。いつの間にかお面を外した紅亜ちゃんの横顔がちゃんと見える。自由奔放で、ひたむきで、明るくて。そんな彼女に救われた。やっぱり、本来センターに立つのは彼女なのだ。
「あの、二人とも」
 わたしは立ち止まって、美波とさくらに軽く頭を下げる。「これから、よろしくお願いします」
 今日からまた、スクールアイドルとして、一歩ずつ。
 二人の笑んだ気配がして、次の瞬間には左右から手を握られる。先へ行こうと促された。

 今までにないくらい充実していて、あっという間に過ぎていった夏休みが終わり、新学期を迎えた。まったく予想していなかったのだが、登校してから周囲の注目を集めた。そのすべてがどこか好意的な眼差しで、教室に着いて、同級生らに声をかけられてその視線の意味を知った。
 夏祭りでセンターを務め、しっかりパフォーマンスし切ったことで、ないに等しかったわたしの株が急上昇したそうだ。口々に褒められてしまい、慣れないためにしどろもどろな返答しかできなかった。
 わたしの知っているアイドルたちだったら、こういうときににこやかな対応を心掛けるのだろう。それがまた、新たなファンを獲得することに繋がっていく。
「おはよう、緋菜。すごい人気ね」
 美波だ。彼女の顔を見て、ようやく落ち着く。
「うん、こんなことになるなんて……」
「あら、戸惑っているみたいね。手放しで喜んでいいと思うよ」
「嬉しいは、もちろん嬉しんだけれど――でも、わたしってこういうとき、アイドルらしい対応をできないな、って改めて思う」
 すると、美波は大げさに笑い出した。しばらくお腹を抱えたまま、言葉を継げずにいる。
「ちょっと、どうしてそんなに笑うの?」
「ごめん、ごめん。――その気持ちは分かるけど、急に性格は変えられないんじゃない?」
「え――」
 美波は真面目な顔に変わった。
「スクールアイドルって、見た目やダンス、歌だけで評価されるものではないと思うの。それらも大事だけど、どういう人か、というのも大事なんじゃないかな」
「そういう、ものかな」
 美波は頷く。
「そういうもの。応援する側は、アイドルの中に自分と重なる部分を見るのよ。それで親近感を覚えるし、より応援していこうと考えるわけ。緋菜のがんばりが評価されたのは、人前に出るのが苦手だった、という前提もあったから。もちろん、パフォーマンスが認められた上での評価だから、ただ出ればよかったわけではない。あなたのダンスと、人柄の両方がみんなにうけたのよ」
「そっか――」
 確かに、そうなのかもしれない。人数の多いアイドルグループでは、均一的な性格では抜きんでることはできない。アイドルの理想像に絶対はなく、それぞれの中に存在するのだ。不器用でも、自分なりに努力していれば、自然と応援してもらえるようになる。
 無理しなくていい。わたしはわたしにできることをしよう。自分が思い描く理想を追い求めよう。
「ありがとう、美波」

 二学期が始まり、次のライブは学期末までないと決めつけていたら、ひょんなことから次の舞台が舞い込んできた。
 その日は雨だった。屋上が使えないから、空き教室の一つに場所を変更した。クラスのホームルームが終わり、わたしは美波、さくらとそこへ向かった。
 外は強い雨。当分止みそうにない。夏の暑さはまだ残っていたから、校内は蒸し暑くなっていた。この中で体を動かしたら、いい汗をかけそうだ。
 空き教室のドアを横にスライドさせると、室内は真っ暗。まだ誰も来ていなかった。三人で話しながら待つことにし、中央あたりの席に腰掛けた。
 次に終業するのは二年生か一年生か。どちらかが来たら少しずつ始めよう、と言っていると、先に現れたのは二年生の三人だった。
「おつかれさまです。まだ揃ってないみたいですね」
 いつも口調が丁寧な美桜ちゃんが呟く。
「でも、六人になったし、そろそろ練習を始めようかしら」
 美波が投げかけ、舞子ちゃんが、そうですね、と応じる。
「準備運動をして、始めようか!」
 部長の紅亜ちゃんの一声で、一気に活動へと雰囲気が変わる。

 曲を流して、振り付けを確認していると時間を忘れそうになる。ふと時計を見て、驚く。一年生がまだ来ていないなんて。
「千歳ちゃんと美帆ちゃん、遅いね」
 わたしがぽつりと漏らすと、みんなも同じように考えていたのか、動きを止める。
「うん、遅い。何かあったのかな」
「先生に頼まれごとをされたとか」
「そもそも、学校に来てる? 病欠とかじゃない」
「今日は会っていませんけど、二人揃って病欠なんてあり得るでしょうか」
「用事ができたんじゃないー? 無断はよくないけど」
 教室のドアの開く音。そちらを見やると、渦中の二人が立っていた。遅れてすみません、と軽く頭を下げる。
「いいよ、いいよ。それより、何かあったの?」
 紅亜ちゃんが近づいて話しかけると、二人は顔を見合わせた。躊躇うようにして、
「あの、長くなるかもしれないので、座って話してもいいですか?」
 と、千歳ちゃんが真面目な表情で告げる。

 音楽を止め、全員が適当な場所に座る。落ち着いたところで、美帆ちゃんが話し出した。
「実はライブの機会を手に入れてきたんです」
「ライブ?」
 色めき立つ。
「どういうことでしょうか」
「来月の終わりに、この辺りで活動してるマイナーなアイドル限定のイベントがあるそうなんです」
 続けて、そのイベント主催者の名前を上げる。アイドルファンであることを公言している文芸評論家で、近頃、自らアイドルグループを結成させたそうだ。ようは、主役はそのグループになる。
「もっとアイドルをきっかけにこの街を盛り上げていこう、っていうコンセプトらしいんです」
 突然聞かされて、少し戸惑っているが、少なくともライブのできるいい機会だというわけだ。
「この話を――実は同じクラスの新垣彩葉からもらってきて」
 その名前はしばしば出ていた。校内で話題になるくらい、ダントツでかわいい一年生。アイドル部に入ってくれないかと、密かに目論んでいた。
「どうして、彼女から?」
「それが、その主催者の方と知り合いで、言ってくれれば、参加できるように交渉してくるって」
 著作も多くあって、テレビに出ることもある若手文芸評論家と知り合い。いったい、彼女は何者なのだろうか――。
「付き合ってるのかなー?」
 何故か嬉しそうにさくらが首を傾げる。
「それは飛躍しすぎでしょう」
 美波がすぐに否定する。
「彼女は――」
 二人の間に割り込むようにして舞子ちゃんが何かを言いかけた。それを遮ったのは、唐突に立ち上がった紅亜ちゃんだった。
「参加しよう!」
 高らかに宣言する。みな、じっと彼女を見つめている。
「どんな感じなのかよく分からないけれど、せっかくのライブの機会だから、むだにすることないと思う」
 それから、と一年生の二人を捉える。
「それから、新垣彩葉ちゃんをうちの部活に誘おう」
 誰もが目を見開いた。どうしてそうなるのだろうか。
「紅亜、どうしてです?」
「そのナントカって人とどういう知り合いか想像もつかないけど、たぶん、彩葉ちゃんはアイドルに少なからぬ興味を持っているんじゃないかな。だからきっと、勧誘したら、一緒にやってくれるよ」
 息巻く紅亜ちゃんの隣で、舞子ちゃんが複雑な表情をしていることに気づいた。何か知っていることがあるのかもしれない。
 話し合いを終え、練習を再開するときになって、わたしは舞子ちゃんにこっそり尋ねてみた。
「さっき、何かを言いかけなかった?」
 舞子ちゃんは数回瞬きし、それから、いえ、たいしたことでは、と首を横に振った。
 その答えで、たいしたことがあるのだと悟った。

 翌朝。今日、一年生の二人に参加表明を伝えてもらうため、わたしたちは目的を定め直さなければならない。来月の終わりに向けて、曲やフォーメーションを固めていく。
 どんな感じのライブにしようか考えつつ、学校までの道を辿る。都内にあってもどこか落ち着いた雰囲気で、わたしはこの街が昔から好き。駅の傍には商業施設があって賑わっているけど、離れるほど路地が狭くなる。ずっと進むと、神社も見えてくる。
 昨夕の舞子ちゃんの表情を思い出す。彼女は何かに気づいている。
 ただ、わたしも違和感を抱えていた。新垣彩葉、という名前を聞いたときから、その名前をどこか別の場所で耳にした記憶があった。でも、それがいつで、どこだったのかちっとも思い出せない。勘違いをしている可能性もある。
 そういえば、かわいい子だという評判はよく聞くけれど、実際にどんな子なのか見ていない。見たら、ひょっとしたら違和感の正体が分かるだろうか。
 今朝は彼女に会いに行けるチャンスがある。わたしは一年生二人に便乗するために、教室の前で待っていることにした。

 早朝の校内は静か。まだ眠っているみたいだ。生徒が増え始めるにつれ、徐々に覚醒する。おはよう、の代わりに鳴るチャイムはもう少し先。
 教室の前で所在無げに佇んでいると、すれ違う後輩たちに怪訝な顔をされる。でも、たまに挨拶をしてくれる人もいて、中には、この間のライブ、かっこよかったです、と言ってくれる人もいた。夏祭り以来、すっかり有名人になってしまった。
 ぼんやりと通り過ぎる人を眺めていると、一人だけ明らかに雰囲気の違う子が現れた。ツインテールに結んでいて、顔立ちも幼げ。しかし、内側から発してくる余裕があって、背が低いのにそうとは思わせないオーラがあった。――何よりも、かわいい。一瞬で惹き込まれるくらい、彼女はかわいいのだ。まるで、画面の向こうからアイドルが飛び出してきたような。
 そんな生徒は、一人しか心当たりがない。もしかして、彼女が新垣彩葉だろうか。
「なんですか?」
 あまりにもまじまじと見つめすぎたからか、向こうから話しかけてきた。整った顔立ちが目の前まで近づく。
「わたしの顔に何かついてますか?」
 目の前にして確かめられる瞳や鼻、唇。そうだ、彼女は――。
「彩葉……?」
 千歳ちゃんの声がする。ようやく二人が姿を見せた。やはり、この子が新垣彩葉なのだ。
 いや、それよりもわたしは確かに思い出していた。どうして見覚えがあったのか、分かった。

   五 失いたくないから

 中学二年生の終わり頃、人生の転機が訪れた。それまでのわたしは家と学校の往復で、勉強や部活をなんとなく努めていた。入学試験が課される私立の女子中学校だったため、校則が厳しく、寄り道が許されていなかった。だからほんとうに、ただの往復だった。
 学校は退屈だったとは思わない。宿題をこなし、さらに次の分野の予習をするだけで、一日はあっという間に過ぎていく。わたしはこれ以外に何か刺激的なものがあるとは考えもしなかった。
 ある日の夜、昔の友人に会うとかで両親が不在だった。わたしも誘われたけれど、部活を理由にして断った。
 部活を終えて帰宅し、真っ先にテレビを点けた。普段はすぐに勉強机に向かわなければならないため、テレビを見る暇がない。邪気のない、ほんの出来心だった。
 チャンネルを回していると、音楽番組で手が止まった。何人かの女の子たちが映し出されている。かわいい衣装を身に纏い、誰もが笑顔。流れる演奏に合わせ歌い、踊っている。その動きが見事に連動していた。
 呼吸するのも忘れて見入っていた。ふと我に返ったとき、自分が笑っていることに気づいた。これだ。唐突に降ってくる確信。わたしが今必要としているものは、これだ。
 羨ましいくらい、かわいくて、楽しそうに見えた。真実、楽しんでいるのだろう。あんな風になりたい。彼女たちみたいに――アイドルになりたい。
 宿題も予習もそっちのけで、買い与えられたばかりのノートパソコンを開いた。さっきテレビで知ったアイドルグループについて調べる。プロフィールやイベント情報、ディスコグラフィなど。少しずつ、その正体を掴んでいく。やがて、一つの募集に目が止まった。そのグループの姉妹グループが新たに結成されるため、メンバーを募集する、という。年齢制限はあるものの、ダンスの経験は問わないと書かれている。
 思わず、唾をごくりと飲み込む。すべてのタイミングが神様に仕組まれているような気がした。まるで、わたしに見つかるべく存在した募集。
 小さい頃から容姿には自信があった。そう思っているとはおくびにも出さないけれど、女子はみなそれぞれの容姿に敏感だ。性格の良し悪しではなくて、それなりに把握していないと上手くこなせないのだ。
 ステージに立つ自らの姿を思い浮かべる。想像するだけでぞくぞくしてくる。わたしはすぐに応募することに決めた。
 翌日、宿題をやってこなかったわたしは叱られるよりも、ただ驚かれた。だけど、そんなのどうでもよかった。これまでの生活を一変させる刺激的なものが見つかってしまった。

 書類審査は合格し、実技試験と面接を受けるために札幌に向かうことになった。幸い、日曜日を指定されたから、こっそり航空チケットを取って、日帰りで行ってくることにした。飛行機は初めてではなかったけれど、一人で乗るのは緊張した。
 実技は歌とダンス、それから簡単な演技もやるらしい。面接も何を訊かれるのかよく分からない。でも、根拠のない自信があった。大丈夫、なんとかなる。
 春先でも札幌は肌寒かった。雪は降っていなかったけど、至るところに白い塊が残っている。こんなところにもアイドルグループを作るなんて。
 集められた人の数は予想以上に多くて、眩暈がした。アイドルの流行っている時代とはいえ、こんなにもなりたいと望んでいる人たちがいることに戸惑った。わたしも、その中の一人だ。
 周りはダンスや音楽の経験が豊富なようで、どんな試験でもこなせる自信があるみたいだった。わたしの心は折れかけている。待たされている間、誰とも話さずに、じっと俯いていた。

 審査員と見られる男性らが姿を現す。グループのプロデューサーがその中央に立ち、時折、周囲に指示をやっている。
 審査員の中には文芸評論家――であることは後々に知った――の増田明さんがいた。爽やかな印象を抱かせる顔立ちだが、Tシャツにジーパンと、いかにも服装にこだわりがなさそう。
 試験が始まる。最初は面接だった。五人前後に分けられ、集団面接。みんなはかわいく、あるいはおもしろく回答していた。わたしは訊かれたことに対して答えるだけで精一杯だった。
 次にはダンス。これも五人前後で踊らされ、わたしだけまったくダンスになっていなかった。何度か足をもつれさせて転びそうになり、慌てて踏ん張った。その度に、嘲笑を買った。
 そして、歌唱。わたしは歌が最もいけると踏んでいた。アイドルの曲はあんまり知らないけど、合唱は好きだったから。結果、自分の好きな曲を選んで歌い、まずまず満足できるものにできた。
 演技。言うまでもなく鬼門だった。短い台詞を与えられて、審査員の前で披露する。すぐに覚えられる内容だけど、恥ずかしさが勝って、無様な演技しかできなかった。
 ――もう、いいよ。そこまでで。
 プロデューサーの冷たい声がして、わたしは頭が真っ白になった。いったい、何をしにここへ来たのだろう。急に憧れを抱いたからって、アイドルになれるわけではないのに。
 ――いや、最後まで見ましょう。
 去ろうとしたわたしを立ち止まらせたのは、増田さんの声だった。
 ――平等に見て、判断するべきだと思います。あなたも、やりづらいかもしれないけど、もう一度お願いできますか。
 優しい言葉をかけられ、ぽかーんと見つめてしまった。だけど、すぐに演技に戻ることにする。どうしてか分からないけれど、再び与えられたチャンス。生かしておいて損はない。
 今までにない屈辱をさんざん味わって、わたしは札幌を後にする。合格するなんて微塵も考えなかった。飛行機に乗れて、一人で札幌に来られて、それだけがよかった。
 そう決めつけていたのに――しばらく経て、わたしのもとに届いたのは、合格通知だった。ただただ驚きしかなくて、その通知をいつまでも見つめた。見つめすぎて、言葉の意味が分からなくなるほどに。
 噂によれば、増田さん一人が、わたしを支持してくれたらしい。

 勢いだけで乗り込んで、そして手にしたアイドルへの切符。これがあれば、わたしはほんとうのアイドルになれる。
 そこまで思いついたところで現実に帰る。札幌にできる新生アイドルグループだから、当然札幌を拠点に活動する。東京での仕事も多いだろうから、引っ越すかどうかは検討の余地があるけれど、少なくとも、移動の面を考慮したら、家族に内緒で、というわけにはいかない。
 相談しなければならないのか。面倒くさかった。両親はめったにテレビを見ないし、いつでも気取っている堅物だ。アイドルになるなどと告げたら、卒倒しかねない。
 それでも、言わずには済まされない。合格通知が来てから一週間後、夕食の折に、わたしは正直に伝えた。試験を受け、合格したこと。資格を得たから、アイドルになりたいことを。
 両親は卒倒しはしなかったけど、唖然とした表情を浮かべた。鼻で笑うようにして「アイドル」と呟く。
 ――彩葉、本気で言っているのか。
 ――本気です。
 ――勉強はどうするの。
 ――学校は辞めないよ。転校するかもしれないけど、ちゃんと学業と両立させるつもり。
 ――そんなこと言ったって……。
 お母さんはいつまでも気を揉む風だったけれど、お父さんはやがて笑い出した。
 ――傑作だ。……いいじゃないか、好きにやらせてやれ。
 ――いいんですか、あなた。
 ――ああ。一風変わった習い事を始めたと思えばいい。どうせ、大成することはないさ。すぐに諦める。
 その言葉は到底許せるものではなかったけれど、わたしは黙っていた。
 大人しくしていると、金銭面は心配するな、と言ってくれた。学校を変えたければ、それも好きにしていい、と。すがるしかなかった。でも、いつか自分の稼いだお金で返すつもりだった。

 迷った挙句、わたしは札幌の全寮制の女子中学校に転入した。しばらくは向こうの劇場に通う日々になりそうだったし、それに、親元を離れたかった、というのが本音。
 こうして、アイドル生活はスタートした。すぐにライブができるわけがなく、当初はレッスンの連続だった。ボイストレーニングを積み重ね、へばるまで踊らされた。わたしは素養がまるでなかったから叱られてばかりで、精神的にも疲れた。
 オーディションのときにも人数の多さに辟易したけれど、ここに来てからまた驚いた。こんなに合格させたのか、そう思った。五十人近くいる。わたしが選ばれたのは、それほどすごいことではなかったのかもしれない。
 ある程度のパフォーマンスができる状態になるまでお披露目しないらしく、メンバーは黙々とレッスンを繰り返した。憧れていた華々しい日々とは程遠かったけど、いつか訪れると信じた。
 そして、お披露目の日を迎えた。既に有名なグループの姉妹グループだから、マスコミの注目度は高かった。たくさんの報道陣が札幌の劇場に詰めかける中、わたしはステージに上がることはできなかった。オーディションをパスしたメンバーのうち半分だけがパフォーマンスをし、陽の目を見た。出られないメンバーがいたら代役を務める手はずだったけれど、そんな機会あるわけない。選抜メンバーは無理してでも出ようとするに決まっている。
 控え室で待機して、選抜の着替えを手伝ったり、ドリンクを渡したりしていた。わたしは何をしているのだろう、そんな思いを抱く暇もなかった。

 それから、どんなにがんばっても状況は好転しなかった。一年間、雨の日も風の日もレッスンに明け暮れ、いつか舞台に立てる日を夢見ていたのに、まるで声がかからない。最初に選抜されなかったメンバーも少しずつ公演に出始めたが、いつまでも呼ばれない十人未満がいた。解雇される、そんな噂は当然のように立った。
 そして、中学卒業を目前にして、わたしは自主的に辞退を申し出た。誰からも惜しまれることはなく、最後までステージ上でスポットライトを浴びることもなく。
 高校は東京に戻ることにした。悔しいけれど、すべてお父さんの言った通りになってしまった。
 なんの意気込みもなく入学した高校で、わたしは静かに過ごすつもりだった。前みたいに往復に徹して、勉強に専念していればいい。変な野心は二度と起こさない。
 新入生向けの委員会紹介、部活紹介の時間で、さまざまな部活がオリジナルティ溢れる自己紹介を披露する中、アイドル同好会が現れた。三人だけで、でもかわいい人たちだった。
 ライブは、はっきり言ってイマイチだった。周りのみんなははしゃいでいたけど、本物のアイドルを見てきたわたしからしたら、お遊戯に過ぎない。比べてはいけないのかもしれないが。
 ただ、彼女たちが羨ましいと感じていた。どうしてそう感じてしまうのか、自分でも不思議で仕方なかった。そして、思い当たる。彼女らは純粋な気持ちで歌って、踊っている。アイドルに憧れ、夢中でオーディションに応募したわたしと似た気持ちで。
 だからといって、わたしがスクールアイドルをするつもりは少しもなかった。

 審査員の一人だった増田さんが、自らアイドルグループを結成したことを耳にしたのは一学期の終わり。公演を開催するというから、興味本位で見に行くことにした。
 好きが高じて始めたものだろうと踏み、それほど期待していなかった。だけど、さすがは知名度のある増田さん、といったところか、期待以上の内容だった。一瞬で惹きつけるような華のあるメンバーは少なかったけれど、みな、受け答えがしっかりしていて、頭がよさそう。好感が持てる。そういう子たちを中心に選んでいるのかもしれない。
 オリジナル曲はまだないらしく、既存の曲をカバーしていたが、歌とダンスは形になっていた。学校でスクールアイドルとやらを見てしまったせいか、これが本物のアイドルだと実感する。
 心満たされて帰ろうとしたら、出口付近で増田さんに声をかけられた。
 ――新垣彩葉さんじゃない? 憶えてるかな、オーディションのときにいた増田明です。見にきてくれたんだ。
 よく憶えていた。頷き返すと、少し話さないかと誘われる。また頷くと、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉の向こうへ案内された。
 椅子を勧められ、そこに腰掛ける。増田さんは紙コップにジュースを入れて、わたしに渡してくれた。
 ――ありがとうございます。
 ――こちらこそ、今日はありがとう。楽しんでもらえた?
 ――はい。ほんとうによかったです。
 ――その言葉を聞いて安心したよ。
 増田さんは表情を緩ませた。アイドルのプロデュースを始めた不安が滲み出ている。でも、一方ですごく楽しそうだ。
 ――札幌の方、辞めたと聞いて心配してたんだ。
 わたしは言葉に詰まった。どう説明すればいいのだろう。
 仕方なく黙っていると、
 ――東京の学校に戻ってきたんだね。
 と、別の話題を振ってくれる。
 ――はい。
 ――どこの高校? うちのメンバーも出身校はばらばらだから、もしかしたらお世話になるかもしれない。
 通っている高校の名前を正直に伝えると、目を光らせた。
 ――そこって、スクールアイドルがなかったかな。
 わたしは驚いた。世間的にそこまで有名ではないだろうから、増田さんに知られているなんて。
 ――今、流行っているだけあって、アイドルグループは全国に星の数ほどあるからね。プロデュースを始めて、情報収集が欠かせなくなったよ。
 それにしたって、学校の部活にまでアンテナを張るとは。
 ――新垣さんはやらないの?
 ――やらないです。
 増田さんは納得したように頷いた。
 ――そうか。でも、気になるんじゃない?
 ――あまり。
 悪い意味で気になってはいるけれど、特別、関わるつもりはない。
 その日から、公演を見るために増田さんのもとを何度か訪れた。そちらの学校のアイドル部をイベントに招待してほしい、そう頼まれたのは、そのときだった。

 中学の終わりから高校生になるまでは瞬く間に過ぎた。濃密な時間過ぎて、かえってぽっかりと空白ができてしまったかのようだった。
 イベントの話を同じクラスの小関さんと奈良さんに伝えると、二人とも興味を示したみたいだった。あの様子だと参加しそうだ。
 彼女たちの活動になんて関心はなかった。所詮お遊びだろうから、見ていられなかった。ほんとうのアイドルの世界はそんなに甘いものではない。かつてあった情熱はすっかり熱を奪われていた。挫折を味わい、これからどうすればいいのか分からない。だけど、何もしなくていいやと考えてしまう。
 朝、教室に向かう途中で視線を感じた。見つめ返すと、そこに佇んでいたのはアイドル部の人だった。三年生で、ライブのときだけ黒縁の眼鏡を外している人。今は眼鏡の奥の瞳を見開いている。
「わたしの顔に何かついてますか?」
 尋ねると、ますます驚愕したように瞳孔を開く。真ん丸な黒目で、綺麗なそれだと感じた。
「思い出した――」
 新垣彩葉ちゃん、札幌の、と続けて呟いた。確かめるように、ゆっくりと。
 どうやらわたしが何をしていたのか知っているらしい。まるで表舞台に出なかったわたしを知っているなんて、そうとうなアイドルオタクだろう。
 何も言わずにいると、それを肯定と受け取ったようだ。
「それじゃあ、誘っても、わたしたちとは活動しないよね」
 諦めたような口調になる。わたしの思いは何一つ伝えていないというのに。
「あなたからしたら、わたしたちは遊んでるように見えるよね。ひょっとしたら、許せないかもしれないよね」
 でも、と紡ぐ。
「でも、もしよかったら、一緒にスクールアイドルをやりませんか? あなたが入ってくれたら、心から嬉しい」
 声は小さかったけど、確かな意思がこもっている。安易に答えられそうになかった。
 ありがとうございます。少し考えさせてください。
 自分でも戸惑うくらい、しおらしい返答をしていた。

 放課後になって、時間をかけて帰る支度をする。部活に入っていない私は、みんなが部活に散ってからいつも帰る。はしゃいでいる風なのが煩わしいのだ。
 中学のときも友達が多いわけではなかったけれど、高校では自ら交わりを絶っている。必要最低限の話しかしない。おかげで友達はいないが、不思議と寂しさは覚えない。
 考えさせてください、なんて。わたしはいったいどうするつもり? まさか、スクールアイドルを始めるの。信じられない。アイドルはもう――もう、こりごりだ。
 教室に誰もいなくなった。さっき、こちらの様子を窺っている奈良さんと小関さんの視線を感じたけど、気づかない振りをしておいた。荷物を持って、教室を後にする。
 校庭に出て空を見上げる。わたしが夢を見ているときも、情熱を失ったときも、空の大きさは変わらない。あの青は変わらない。――できることなら、透明なあの頃に戻りたい。
 好きな歌を口ずさんでみる。乃木坂46の『失いたくないから』。

  水道の蛇口 顔を近づけ

  冷たい水 喉に流し込む

  斜めに見える あの青空が

  どんなときも僕の味方だった

「蝉の鳴き声に、ぐるりと囲まれた」
 続きを引き取られて、慌てて歌声のした方を振り向く。すぐ傍に、美崎さんが立っていた。関心ないとか言っておきながら、わたしは彼女たちの名前をよく把握している。
「彩葉ちゃん」
 何もかも見透かしている笑顔だった。
 もう、こりごりだというのに。どうして入った学校に彼女たちがいたのだろう。どうしてわたしを誘うのだろう。ほんとうに、どうして。
 てっきり、家と学校の往復に嫌気がさして、なんとなく飛びついたと思っていた。だけど、そうじゃなかった。わたしは好きだったのだ。歌って、踊って、誰かを笑顔にさせることが。そんな存在になれることに憧れていたのだ。強く。
 もしかしたら、透明なあの頃に戻れるかもしれない。一縷の可能性を掴むように、差し伸べられた手をそっと掴んだ。

   六 君と出会って僕は変わった

 好きなものは、と訊かれたら、心揺さぶられるもの、と答える。
 マグリットの絵でも、名久井直子さんの装丁でも、アイドルの衣装でも。絵はわたしを不安にさせるものがいいかもしれない。装丁は独創性が心を打つかもしれない。衣装はとにかくかわいいのが一番。いいな、と感じられる瞬間が何よりの至福。
 昔から絵を描くことや裁縫が好きだった。イメージを膨らませて何かを作り出すこと。変なしがらみに囚われず、思いつくままに表現するのが大事。わたしにしかできない、なんて特別な捉え方はしない。好きだからやっているだけ。
 母親の影響だと言われればそれまで。長い時間一緒にいて、それが家族というものなのだから、少なくない影響はある。それに、わたしはお母さんの作るものが好きだ。ただ華やかなだけではなく、さまざまな感情を抱かせるような。そのくせ、見せられたときには素敵、としか呟けない。一種の魔力を有している。
 中学までは一人で黙々と絵を描いて、独創的だね、と美術部の部員に言ってもらえた。自分で服やスカートを作って学校に着ていき、それかわいい、どこで売ってるの、と訊かれ、自分で縫ったのと返すと、すごいと褒めてもらえた。それはわたしの創作の一部分に過ぎなかったけれど、そんな風に評価されることは嬉しかった。
 誰より、千歳はいつもわたしが作るものをかわいい、素敵、と必ず言ってくれる。曇りのない笑顔で。わたしは彼女の笑顔に惹かれていた。いつからか、千歳がいいと言ってくれるのを期待して作るようになっていた気がする。
 だけど、高校生になってから、それは内側に留まらなくなった。アイドル部に入り、衣装担当になって、人前に晒されることを前提に作ることを覚えた。みんなに似合うもの、踊っているときに映えるもの、いろいろと考えるきっかけを与えられた。時間が限られていて、苦しいと感じる瞬間もあるけれども、でも、楽しい。最近は毎日がほんとうに楽しい。
 オリエンテーションで二年生三人のライブを目の当たりにし、心を揺さぶられた。紅亜さんたちがかわいくて、まっすぐな瞳で、気づいたら手をぎゅっと握っていた。隣の席を見たら、千歳も分かりやすいくらい興奮していた。そこでわたしたちの高校生活は方向づけられた。
 次は増田明さんという人が主催のイベントに出演する。曲は決まって、もう練習は始まっている。衣装のイメージも固まっていて、あとは細部を仕上げるだけ。舞台でどんな感じに映るか心弾む。わたしも舞台に立つのだけれど。

 どういう経緯があったのか詳しいことはよく分からないが、先週から彩葉がメンバーに加わった。学校で話題になるくらいの容姿をしているから、アイドル部に入ってくれないかな、という話は度々していた。わたしと千歳も、同じクラスだからそれとなく様子を窺っていた。でも、いつも静かに――というよりも、周りを隔絶している雰囲気があって、とてもスクールアイドルをやってくれそうになかった。
 最初に誘ったのは緋菜さん。実は、その現場には居合わせた。彼女らしからぬ大胆な文句に、驚いたよりも戸惑った。
 そして、入部を決めさせたのは舞子さん。
 何はともあれ、有望な新人が加わったのは確か。練習を一緒にやって衝撃を受けたのが、彩葉はダンスも歌もかなりできること。それに、教室では大人しくしているのに、実際の彼女は明るさと誠実さを併せ持っていた。
 正直、謎は残ったけれど、千歳をはじめ、メンバーが手放しで喜んでいるため、わたしも歓迎している。
「おー! 彩葉ちゃん、ダンスがほんとに上手いね」
 紅亜さんに褒められて、彩葉は照れ笑いを浮かべた。
「そんなことないですよ。まだまだです」
「ダンスの経験があるんですか?」
 美桜さんが尋ねると、
「昔、ちょっとだけ」
 と短く答える。
「歌も上手だし、こんなにすごいんだから、わたしなんかよりセンターに相応しい気がするなー」
 紅亜さんの口ぶりは軽い。前回は緋菜さんをセンターに抜擢したけど、今回はやはりまた紅亜さんに任せることになっていた。
「それは違うと思うよ、紅亜ちゃん」
 さくらさんが首を横に振る。いつものように、語尾を柔らかくして。
「そうよ。たとえ彩葉が優れたメンバーだとしても、すぐにセンターとはならない。真ん中に立つ人間は、みんなに認められて初めてセンターになれるはず。発起人であり、わたしたちの精神的支柱であるあなた以外に相応しい存在はいないわ」
 美波さんが朗々と語った。
「えへへ、なんか照れちゃう」
「もう、しっかりしてください」
「それにしても、」
 舞子さんが何かを言いかける。メンバー一人ひとりを見渡し、「最初は三人で始めたのに、いつの間にか九人にまで増えたね」と考え深げに続けた。
 メンバーが増え、ライブを経験し、学校での知名度が上がっていくと同時に、わたしたちの実力もついてきた。これから、どこまでいけるのかな。まだまだ、いけるはず。
「さ、本番も近いから、練習に励みましょう」
 美波さんの呼びかけで、再びポジションに分かれる。そんな風景を、彩葉は少し離れたところで満足そうに眺めていた。

「美帆、ちょっといい?」
 活動時間が終わり、下校する段になって、彩葉に呼ばれた。「話があるの」
 どんな内容か見当もつかなかったけれど、断る理由はない。いいよ、と承諾した。無言で歩き出す彩葉に続いて、体育館裏まで歩いた。下校する生徒たちの喧騒が遠ざかる。
 体育館と塀に挟まれ視界が暗い。そのため人が来ることは珍しく、告白のスポットにもなっている。女子校だから同性間の逢瀬に限定されるけど。
 まさか、彩葉がわたしに告白する可能性は万に一つもないと思うけど、それでも、どうやらほかの人には聞かれたくない類の話らしい。
「どうしたの? もうすぐ学校閉められちゃうよ」
「うん、すぐ終わるから」
 両手を後ろで組んで、彩葉は足で地面の土をいじっている。「美帆、わたしが加入したこと、あんまり快く思ってないでしょ」
 単刀直入に聞かれ、どう答えるか束の間逡巡する。迷った末、「どうしてそう思うの?」と逆質問をした。
「そう思ったから」
 しかし、はぐらかされてしまう。
「喜んでるよ。みんな、彩葉が入ってくれないかな、って望んでたから」
「みんな、はね」
 どういうつもりなのか、もう一つ量りきれない。
「……確かに、わたしの知らないところでやり取りがあって、入部が決まったから、経緯が分からない、とは考えてた。でも、快く感じていないなんて、そんなことは決してない」
「そっか、そうだよね。突然だったかもしれない」
 でも、と言葉を継ぐ。彩葉は相変わらず足下をいじっている。「でも、今はまだ話す気がない――こともある。本音を言えるとすれば、わたしもアイドルが好きで、アイドルに憧れている。みんなと一緒に最高のパフォーマンスを披露したい」
「わたしもだよ」
 お互いにやっと笑顔を交わせた。
「美帆は、紅亜さんたちのことが大好きだよね。見てると分かる」
 しばし言葉に詰まってから、ゆっくりと頷いた。最初は千歳の気持ちに合わせた部分もあったけれど、今では紅亜さんらといる時間がほんとうに愛おしい。かけがえのないものだ。
「ごめんね、変な話して。よかったら、一緒に帰ろう」
 先に帰ってと伝えたから、千歳はもういないだろう。
「いいよ。いろいろ話そう」
 連れ立って歩き出しながら、いつか、と胸の内で呟く。いつか、今はまだ話す気がないことを、わたしに話してくれるだろうか。

 家の近所でフリーマーケットをやるというから、散歩がてら見に行くことにした。町興しの一環として開催されているのか知らないけど、広い公園全体を貸し切っているくらい大規模だ。休日の昼下がり、さまざまな世代の人たちが訪れている。
 売られているものはまるで統一感がなく、それぞれに蒐集しているものや自作しているものと一見にして分かる。古着、缶バッチ、骨董品、絵や写真など。でも、眺めているだけで楽しいし、特に古着はいいと思えるものもちらほら。見つける度に手に取って、どんな柄なのか確かめる。
 ふらふらと、気の向くままに歩く。惹かれるものがある方へ。
 外に出たのは、少し衣装のことで煮詰まっていたからだった。家で最後の仕上げに取り掛かっていたのだけれど、どうしても、何かが足りない、そんな風に感じてしまう。しかし、何が足りないのか判然としない。気分転換も兼ねて、アイデア探しの放浪を決行した。
 描いたり作ったりするときに納得がいかないときは、場所を変えて、そこでいろんなものに目をやるようにしている。人工物でも、そうではないものでもいい。きっかけを、ヒントを求めて。今までの衣装製作でも、この方法で最終的なイメージを固めた。
 わたしは衣装のすべてを任されている。それが嬉しくもある一方で、下手なものは作れない、というプレッシャーもときに感じている。学校の部活とはいえ、ステージに立つアイドル。とびっきりかわいくしたい。
 好きなことを好きなようにやる上に、精神的な負荷を背負うこと。母親が常日頃抱えている苦悩は、きっとこの程度ではない。
 ふと、たくさんの絵が飾られているお店の前で足を止めた。風景画を専ら描いているようで、色彩豊かだった。その中の一枚に、吸い込まれるような錯覚を覚える。美しい花畑、なんてことはない真っ白な花。
 どうしてこんなに胸を騒がせたのか分からないけど、これが衣装に使えるのではないか、という確信がいつの間にか生まれていた。
 その絵を手にし、お店に人に差し出す。
「これ、ください。いくらですか?」

 ついにライブの日。イベント名は「これからのアイドル大集合!」。増田さんのユニットやわたしたちのほかにも、たくさんのローカルアイドルが集結する。とはいえ、本気で食べていこうとする人たちと部活としてやっているのでは、意気込みに隔たりがあると思われがち。彩葉が話を持ってこなければ、おそらく参加できなかっただろう。
 それでも、わたしたちはどのグループにも負けないパフォーマンスをするつもりだ。部活だから、って言われるのは一番嫌。
 平日の夜なので、学校が終わって、生徒がまだ部活動や委員会の仕事をしている最中、九人で目的地へ出発する。
 会場となるのは、増田さんがいつも劇場として使っているところ。オフィスビルの地下一階、会議スペースのような場所で、少し狭い感は否めないけれど、ちゃんとしたステージが形成されていた。
「思ったより人いっぱい。緊張するねー」
 紅亜さんが袖から観客席を覗き込んでいる。
「ちょっと、まだ出番じゃないのですから、顔を出してはいけませんよ」
 美桜さんがたしなめ、紅亜さんはしぶしぶ戻ってくる。
「学校外でライブができるのは、貴重な経験よね」
 と、美波さん。
「彩葉ちゃんのおかげだねー」
 さくらさんが同調する。なんとなく、彩葉の方に視線を向ける。彼女は増田さんと何やら言葉を交わしていた。
「そもそも、わたしたちってどのくらい知られてるんですかね?」
「さあ、ほぼ無名に等しいと思うけれど」
「今日知る人も多いだろうなー」
「それなら、いい印象を与えて、これからも応援してもらいたいね」
「もちろんです。――でも、ドキドキしますね」
 ぼそぼそと話している一方、舞子さんと緋菜さんは来ているアイドルのチェックに余念がなく、二人だけで顔を突き合わせている。
 そして、舞台に立つ瞬間を迎えた。
 袖から順番に出ていくと、大きな歓声に包まれた。予想以上に盛り上がっている。わたしたちの前で、既にいいムードができあがっているようだ。手を振って応えながら、さっそくフォーメーションにつく。紅亜さんが前列中央で、美桜さんと舞子さんが左右から挟む。後列は紅亜さんの後ろにわたしと千歳、美桜さんの後ろに美波さんとさくらさん、舞子さんの後ろに緋菜さんと彩葉。新たなメンバーが加入して、何度か検討されたけれど、この立ち位置が一番落ち着く、と至った。
 何より、わたしたちを表現するのにはこれが最適。
 センターポジションの紅亜さんが挨拶をした。
「こんばんは、初めまして。今日は一高校のアイドル部であるわたしたちを、こんな素敵なイベントにお招きしてもらい、ほんとうに感謝しています。見にきてくださったみなさんを後悔させないよう、全力でパフォーマンスさせていただきます!」
 いつもながら堂々としている挨拶を聞きながら、わたしは今日の衣装を見渡していた。お客さんからはどう映っているだろうか。マイクで問いかけたいくらいだけど、そうはいかない。
 学校の制服みたいに襟付き、さらにボタンをあしらい、下はフリルスカートにした。これだけでもかわいかったけれど、さらに先日の絵のイメージを加え、白い花びらを全身に散らせている。頭には花冠。綿帽子でおめかししたよう。我ながら、よくできている。
「それでは聴いてください。NMB48さんの『君と出会って僕は変わった』」
 前奏に入り、練習してきた振り付けに入る。踊りだすと、観客席からの掛け声や手拍子が心地よく、どんどんと楽しくなってきた。
 わたしは歌もダンスも初心者だったから、舞子さんや彩葉がときどき羨ましくなる。でも、最近では、気にしすぎて委縮するのはもっとよくない、と考えるようになった。だって、アイドルは笑顔でいればいいわけじゃなく、笑顔にさせる存在なのだから。
 わたしなりに、今できる全力を発揮する。

  君と出会って僕は変わった

  息を切らし走ってる

  誰かのために 必死になるって気持ちいい

  欲しかったのは答えじゃなくて

  問いかけてみること

  今額に落ちる 汗の分だけ

  清々しい

 爽やかな曲調で、とても好きな曲。何者でもないわたしたち、でも、だからこそ何色に染まることもできる、そんな可能性を感じさせる、相応しい選曲だったかもしれない。
 千歳とアイドル部に入らせてもらって、人数が増え、こんなイベントに参加させてもらえるようになった。アイドルと出会って、少しでもわたしは変わったかな?
 踊りきって、目の前を見据える。流れた汗はわたしが変わってきた証。

 深夜、窓から空を見上げる。星は見えないが、月が煌々と輝いていた。ライブの興奮が冷めなくて、まだ眠りに就けそうにない。
 成功だったと言っていいのではないだろうか。あれだけの初めてのお客さんの前で、臆することなく披露できた。反省点はゼロではないけれど、飲まれることはなかった。
 帰りの電車、わたしたちの街へみんなで揺られる中、彩葉はわたしだけに打ち明け話をしてくれた。これまでのこと、そして、これからやりたいこと。
 彼女の過去はそんなに驚かなかった。そう遠くないイメージだったし、むしろ、いろいろな面で腑に落ちた。舞子さんと緋菜さんは、打ち明ける前から気づいていたらしい。さすがは、ずっとアイドルを追いかけているだけある。
 わたしがより興味を抱いたのは、これからのことだった。札幌で挫折を味わい、アイドルとちょっと距離を置いていた彼女が、それでもスクールアイドルとなり、これからどうしていきたいのか。彩葉は、わたしたちと最高のパフォーマンスをして、最高の思い出を作りたいと言う。好きなことを穏やかな気持ちで取り組んでみたい、という望み。
 それなら、任せてほしい。わたしたちは既に思い出を作ってきた。一緒にいるだけで、何かが起こせる気がする。だから、彩葉も一緒にいればいい。それだけ。
 そろそろ眠ろうかな。ベッドに体を横たえる。
 学校のみんなにも、満面の笑みを浮かべた彩葉を見てほしい。どんなときの彼女よりも、ステージ上の彩葉は眩しいから。

   七 気づいたら片想い

 人は生まれてからたくさんの出会いをする。その度に、今度こそ運命だと信じる。何かに導かれるようにしてわたしたちは出会った、そう願う。
 先生と出会ったのはこの高校に来てから。ずっと優等生と表向きには言われ、裏では堅物とかノリが悪いとか言われていたわたしは、意外なほど先生に惹かれた。まだ若く、自信に満ち溢れている彼に。陰で言われていたことを気にしたため、だったのだろうか。
 勉強のことを訊きにいくのを手始めに、少しずつ自分の話をするようになり、自然と親しい関係に変わっていった。それでも、そう思っていたのはわたしだけのようで、先生の方では数多いる生徒の中の一人に過ぎないらしい。見ていて分かる。このままでは、きっと想いを遂げることはできない――でも、できなくていいのかもしれない。
 中学生時代、誰かを好きになったことがなかった。スタイルがよく、それなりにかわいい見た目で、言い寄られることはしばしばあったけれど、少しも心が揺れ動かなかった。誰かとの時間を優先する気が起きない。それくらいなら、わたしは自分のやるべきことに溺れていたい。
 先生を好きになったのはその反動だったのだろうか。だけど、この種の感情は言葉で説明しきれるものではない。見えない力が働いて、どうしようもなく意識を傾けてしまう、それが恋だ。

  気づいたら片想い いつの間にか好きだった

  あなたを想うそのたび なんだか切なくて

  気づいたら片想い 認めたくはないけど

  強情になっている分 心は脆いかも……

 乃木坂46の『気づいたら片想い』。今の自分を思い、何度となく口ずさむ。

 ――先生。
 背後からそっと声をかける。ゆっくりと、先生が振り向く。
 ――おう、高城か。
 人の少ない朝休みの廊下、二人きりで話すまたとない機会だ。窓側に寄って、向かい合う。女子の中でも背の高いわたしだけれど、先生は少し見上げる形になる。
 ――アイドル部、始めてたんだな。知らなかったから、ライブ見て驚いたよ。
 何も知らずにステージに立つわたしを目の当たりにしたら、きっとびっくりするだろうと思って、敢えて黙っていた。楽しいことが好きな先生が、いつも学期末の催しに来ることは織り込み済みだった。
 ――先生、どうでした?
 照れるようにして、俯いてしまう。実際、印象を尋ねるのは恥ずかしかった。それでも、訊きたい。
 ――かわいかったよ。
 わたしを褒めてくれる言葉が。
 ――高城、歌とかダンス、得意だったんだな。かっこよかった。
 ――ありがとうございます。いっぱい練習したんですよ。
 きっと、いい風に言ってくれるだろうとは予想していた。でも、想像と現実に伝えられるのとでは、心に響くものが異なる。わたしの胸は満たされた。
 部活に入っていなかったわたしがアイドル部に入ったのは、先生に振り向いてもらうためだった。普段の真面目なわたしだけじゃなくて、こんな一面もあるのだと驚いてほしかった。こんなこと、紅亜たちには絶対に言えないけれど。
 それとなくさくらを誘って、上手いことメンバーに加われた。最初の動機はちょっと不純だったかもしれないが、しかし、次第にアイドルであることが楽しくなってくる。みんなの前で歌とダンスを披露することが、この上ない快感だった。今までに感じたことのないときめき。
 だから、今では真剣に取り組んでいるし、もっとよくしていくために意見も述べている。やはり生来の気質が、ここでもわたしを優等生にしてしまうらしい。みんなも同じくらい真剣だからいいけど。
 いつか。
 先生と話しながら、言葉にならない呟きを漏らす。
 いつか、美波って呼んでくれたらな。

 先日のイベントも無事終了し、次は二学期末のライブに備えている。九人になったわたしたちを学校のみんなに見てもらう初めての機会だ。せっかくだから、あっと言わせる内容にしたい。しかし――
「さくらさんと緋菜さん、今日も部活来られないんですね」
 舞子がぽつりと漏らす。屋上に集まっているのは七人。大学受験が控えている三年生は、休みがちになっていた。推薦で行けることがほぼ確定しているわたしは、二人に比べたら出席率が高い。
 ほんとうは、三年生がライブに参加するかどうかも迷った。ほかの部活はとうに引退している。わたしたちも人生の懸かった大事な時期。だけど、決め手となったのは紅亜の言葉だった。
 九人でステージに立ちたい。一人でも欠けたら、ライブはしなくていい。
 三年生に遠慮しながらも、そこには確かな意志を感じた。だから、強く頷き返した。九人で出よう。合わせる機会はかなり限られるだろうけれど、絶対に間に合わせるから。
 現在のところ、なかなか練習に来られないさくらと緋菜に教えられるように、振り付けを覚えるのが早い舞子と彩葉が二人分覚えている。わたしはなんとか、自分でやっている。
「大丈夫だよ!」
 紅亜が明るい声を上げる。
「大丈夫だって。――特に根拠はないんだけど」
 メンバーのみんながいるから、きっと大丈夫。そんな台詞が続くような気がした。

 それから数日。
「増田さんと彩葉ちゃんって、どういう関係なのかなー」
 部活が終わり、なんとなく教室に残っている時間。美帆、千歳、彩葉は寄りたいところがあるとかで、先に帰っている。いるのは二年生三人と三年生三人。今日は久しぶりに全員が揃ったけど、おかげで全体の完成度の低さが露呈してしまった。これから、急ピッチで仕上げていかなければならない。
「どういう関係って、いきなりね、さくら」
 冗談なのかと思って笑った。さくらはのんびりしていて、掴みきれないときがある。
「いや、前から気になってたんだけどね。変な意味じゃなくて、イベントの話を持ってこられるなんて、すごいなー、と思って」
「確かに、確かに。なんで知り合いなんだろうね」
 紅亜も気になっていたようだ。
「ほんとに、付き合っているのかしら」
「それはないと思いますけど。――それに、あまり深入りするのも、どうでしょうか」
 美桜が眉を寄せている。
「分かってるって。ひとときの冗談に過ぎないから。それに、アイドルの恋愛はご法度でしょう」
 自分で言ってから、はたと気づく。アイドルは恋愛禁止だというのに、わたしは先生に振り向いてもらうためにアイドルを始めた。根本から間違っているような感がする。
 それにしても、どうしてアイドルは恋愛を禁止されてしまうのだろう。恋の歌はたくさん歌うというのに。恋愛をしていた方が、実感を込められるのではないかな。
 だけど、スクールアイドルはいざ知らず、プロのアイドルにはたくさんのファンがついている。誰か一人のアイドルでいるわけにはいかない。大げさな言い方だけれど、平等に愛を振りまく必要がある。だからか?
 一方で、男性アイドルには恋愛禁止なんてルールはない。恋人が発覚するとファンは落ち込むけど、依然としてアイドルとしていられる。女性アイドル特有みたいだ。
 スタートの時点で先生と生徒、という恋をしてはいけない間柄なため、どうにかなろうと本気で考えはしなかったが、もし、そうじゃなかったら。わたしは恋愛禁止の掟を破って、付き合っていただろうか。そうしたら、アイドル部を辞めないといけないのかしら。
「……彩葉ちゃん、プロのアイドルをやるつもりはないのかな。増田さんの下で」
 緋菜の声がした。それはみんなに対して言った、というよりも、独り言に近かった。
 視線を受けて、緋菜は慌てた様子で否定する。
「いや、彩葉ちゃん、テレビに出ていてもおかしくないくらい、かわいいし。増田さんと知り合いなら、勧誘されたこととかないのかな……」
「緋菜さんのお眼鏡にかなうなら、彼女のかわいさは間違いないね」
 紅亜が微笑む。
「今はまだ、そのつもりはないと思いますよ」
 緋菜の見立てを退けたのは、舞子だった。どこか、真剣な眼差しをしている。
 ちょっと気になる言い方だったけれど、深く気に留めないでおいた。

 帰りはさくら、緋菜と一緒だった。三人ですっかり暗くなった通りを行く。
「勉強は、どう? はかどってる?」
 二人に訊いてみると、長い間を置いて頷いた。
「うん、まあまあだねー」
「がんばってるよ」
「三年生はこの時期に部活を続けていると、両立が大変よね」
 しみじみと呟く。
「ほんとに、そう。でも、美波だって、推薦とはいえ、面接や課題作文があるんじゃないの?」
「うん。大丈夫よ。わたしが手抜かりをすると思う?」
「――そうね」
 さくらが表情を緩ませる。
 とぼとぼと歩みを重ねていく。「両立といえば、」と緋菜が沈黙を破る。
「今では学生がアイドルをやること多いけれど、彼女たちも学業との両立に苦しんでるみたいね」
「じゃあ、わたしたち、プロっぽい悩みを抱えているね」
 なぜかしら、さくらが嬉しそうな顔をする。
「笑い事じゃないわよ」
「でも、さくらの言う通りだと思う。わたしたちの苦しみは、彼女たちに通ずる。本来、日々の勉強をこなすだけで精一杯なのに、アイドルとしての仕事もやっていこうとするなんて、不可能な気がする」
 わたしは首肯した。
「学業を優先するのを理由にグループを辞める人も多いわよね」
「ああ、確かに」
「そうなの。あれって寂しいし、悲しいけれど、学業のことを出されたら諦めるしかなくなる」
 ずっとアイドルを追ってきた彼女。緋菜は、たくさんの卒業を見てきたのだろう。
 アイドルが輝けるのはほんとに若いときに限られるのに、それは将来に向けて学ぶ時間とほとんど重なる。恋愛も禁止されていて、何かと不自由な職業だ。表面上は華やかだけど、現実的には楽しいだけじゃない。
 アイドルは一瞬の光だ。輝きを放ってたくさんの人を惹きつけるが、過ぎ去っていくのも早い。数えきれない光が瞬き、消えていく運命。
「わたしたちの卒業も近いけど、あとこれくらいだ、っていう実感はある。でも、アイドルの卒業は突然に降ってくるよね」
「そうねー。何歳まで、って決められていないからね、アイドルは。長く続ける人もいれば、早々と辞めてしまう人もいる」
「だけれど、わたしたちの卒業だって、そのときになってみないと実感が湧いてこないと思うわよ。正直言って、今はここから旅立つ日のことなんて想像できない」
 わたしが言うと、二人は同意を示した。
 高校を卒業したら、先生に会わなくなってしまうのだろうか。連絡を取り合うくらい、したいものだ。
 先生は若いからそんなでもないと思うけど、学校にずっといる人は卒業を何度も目にすることになる。それぞれに思い入れは異なっても、だんだんと過去は遠ざかる。――わたしは、先生にとって、たくさんいる中の一人に終わりたくない。それには、どうしたら。
「今は、一つひとつのライブを大切にして、後悔のないようにしたいね」
 さくらの言葉に、わたしと緋菜の返事が揃った。三人で笑い合う。
 いつまでもこうしていられたらいいのに。

 夢を見る。
 先生の手に自分の手を絡める夢を。甘えるように耳元で囁く夢を。熱く抱擁され、その胸板の厚さに驚く夢を。濃密な口づけを交わす夢を。ブラジャーを外され、物心がついてから誰かに触れられたことのない乳房を優しく愛撫される夢を。ベッドの中で先生と一つになる夢を――。
 遠目に現実の先生を見やる。せかせかとした足取り。女子校の中だからか際立つ、大きな背中。
 夢は夢のままでもいい。わたしは先生のことがおかしくなりそうなくらい好きだけど、でも今は、アイドルがある。友達がいて、楽しい時間がある限り、なんとか踏みとどまれる。
 いつか、と考えるのは許してほしいけれど。

 冬を迎え、また寒さに怯える毎日がやってきた。いつ雪が降っても不思議じゃない、と思う。
 二学期の締め括りのライブ。三年生も間に合わせ、全員でステージに立つことができた。みんな信じていただろうけど、誰よりも信じていたのは紅亜だった。
「ここにいる九人で最高のライブをしようね!」
 ステージ裏で出番を待っている。歌やダンスはまだまだかな、とときどき感じるが、紅亜の天性の明るさはアイドル向きだ。中心で光を放つ、それこそ太陽。
 今回もセンターは紅亜。異論はまるで出なかった。彩葉や舞子が務めてみたっておもしろいのに。思いを巡らせるだけで、言葉にすることはない。彼女が真ん中にいなければ落ち着かない。
 ある意味、緋菜はセンターを経験できたから幸運だったかもしれない。
「順番に抱負を言っていこうよ」
 円の形で集まった矢先、紅亜がそんなことを提案する。
「じゃあ、美桜から」
「わたしですか? 抱負――そうですね、もう極度の緊張はしなくなりましたし、見ている人を惹きつけるようなパフォーマンスをしたいです」
 いきなり振られたわりには、素直な言葉がすらすらと出ていた。
「次は、舞子」
「人数も増えてきて、その中でフロントに立たせてもらうわけだから、相応しい歌とダンスを披露できればいいかな」
「千歳ちゃん」
「とにかく、笑顔で!」
「美帆ちゃん」
「えっと、自分にしかできないパフォーマンスを心がけます。ステージ上でも表現者でありたい」
「彩葉ちゃん」
「わたしは学校では初ですから、みんなをびっくりさせたいです」
「さくらさん」
「そうだなー。あんまり目立ててない気がするから、そろそろ暴れちゃおうかな」
「緋菜さん」
「うん……みんなと出会えて、こんなにライブもできて、ほんとうによかった。わたし、アイドルに昔から憧れていたから、まさか自分がって思っていたんだけど、でも、みんながいてくれたから。臆病な自分でも一歩を踏み出せて……」
「待って、緋菜。長くなりそうよ」
 わたしがストップをかけると、はじけるような笑いが起こった。
 緋菜は顔を赤らめて、居心地悪そうにしている。緊張しいだから、本番前はあがるのだろう。それでも、いざ舞台に立つと、ちゃんとアイドルの顔になるから、彼女は偉い。
「わたし、見ている人を笑顔にします」
 紅亜はこちらを向く。「美波さん」
 どうしよう、人にちょっかいを出している場合ではなかった。何も考えていない。
「わたしは――」先生に振り向いてもらうため、じゃなくて、「みんなと一緒にスクールアイドルをできるこの瞬間を大切にしたい」
 悔いの残らないパフォーマンスをしよう、そう思えた。
「紅亜は?」
 美桜が訊くと、彼女は明らかにびっくりした顔をした。
「わ、わたしも?」
「言いなさいよ。あなたが提案したんだから」
 舞子もそう言い、紅亜は眉を寄せて思案する。その表情がかわいかった。
「わたしは貪欲になる」
「貪欲?」
 誰からともなく、鸚鵡返し。
「そう。――センターポジションを誰にも譲らないよう、一番輝いてみせる」
 呆気にとられた。ふふふ、と小さく笑う。「いいと思うわ、紅亜らしくて」
「それなら、みんなで奪いにいきましょう」
 彩葉が不敵な笑みを浮かべる。敵に回したら怖そうだ。
「さあ、いこう!」
 ステージ上では、わたしたちの前の吹奏楽部が演奏を終えたようだ。拍手が鳴り響いている。歓声が聞こえる中、揃って一歩を踏み出した。

   八 君の名は希望

 印象的なピアノの旋律から曲が流れだす。ファンの間で「神曲」と称されるものは数多くあっても、「名曲」と称されるものはそれほど多くない。乃木坂46の『君の名は希望』はその一つ。アイドル部をスタートさせたときから、いつかこれをライブでできたらと願っていた。
 ダンスナンバーではないため、しっかりと心を込めて歌いたい。今回は歌の練習を重点的にしてきた。

  僕が君を初めて意識したのは 

  去年の六月 夏の服に着替えた頃

  転がってきたボールを無視してたら

  僕が拾うまでこっちを見て待っていた

  透明人間 そう呼ばれてた

  僕の存在 気づいてくれたんだ

  厚い雲の隙間に光が差して

  グラウンドの上 僕にちゃんと影ができた

  いつの日からか孤独に慣れていたけど

  僕が拒否してたこの世界は美しい

  こんなに誰かを恋しくなる自分がいたなんて

  想像もできなかったこと

  未来はいつだって新たなときめきと出会いの場

  君の名前は「希望」と今知った

 胸の前で両の掌を組み、想いを打ち明けるように歌う。未来は、のところで人差し指を斜め上に伸ばす。
 気持ちよく歌えていた。声も練習通り、いや、それ以上に揃っていた。歌詞の言葉を届けられるよう、遠くへ向けて声を投げた。
 そして、あっという間に終わりを迎えてしまう。――もう、終わってしまうのか。わたしは寂しく感じた。もっともっと、踊らせて。
 だけど、動きを止めた瞬間、達成感を覚えた。さらに観客席からの拍手で、胸はいっぱいになった。みんなに喜んでもらえている。
 一年前のわたしがいたら、こんな風にスクールアイドルをやれている己を知ったら、きっと驚くだろう。未だに、これが当たり前になっていることに対して実感が湧かない。

 わたし、紅亜、美桜の三人は昔から仲がよかった。性格が異なり、好きなことも違うのだけれど、かえってバランスが取れていたのかもしれない。いつも一緒に過ごした。
 高校生になり、紅亜は家の手伝いが忙しいからと部活に入らなかった。一見、楽しげに接客しているように見えたけど、どこか物足りなさを感じているのではないかな、そう思わされる瞬間もあった。
 美桜はバスケ部に入った。彼女はバスケが好きだと公言して憚らなかったけれど、その思いほど上達しなかった――こういう言い方をしては失礼か。次第に物憂げになり、部活は辞めてしまった。
 わたしは高校生になってからアイドルにはまった。元々、かわいいものに飛びついていく性格だったから、それは行き着くべくして行き着いたのかも。学校のこと以外は時間もお金もアイドルに費やし、イベントに一人で足を運んでいた。なんとなく、部活には入らなかった。
 わたしは楽しかった。彼女たちを追うことに生きがいを見出していた。同時に、物足りなさを感じている紅亜が、物憂げな美桜が気になった。二人を救ってあげられるのは親友のわたしだけだろう。
 初めは、その場の熱気を全身で受けて、気持ちを新たにしてほしい、くらいの目論見しかなかった。二人をアイドルのイベントに誘ったのは、別にこちら側に引き込むつもりがあってのことではない。
 気軽に誘い、出かけたのに、二人は雷に打たれたように、恍惚とした表情でステージを見上げていた。パフォーマンスに見入り、いたく気に入った様子だった。嬉しかったけれど、意外に感じた。
 それぞれの道を歩んでいたのが、この日を境に同じ道を進むようになる。アイドル部を始めようと言い出したのは紅亜だった。それもまた予想外の提案だと思ったが、わたしはすぐに乗った。やがて、美桜も一緒にやることに。
 どれくらい続けられるのか分からなかった。そのうち、一人のお客さんも来なくなり、自然解散を余儀なくされる可能性もあると踏んでいた。それでもよかった。少しでも、目的意識を一つにして、三人で何かをしてみたかった。それだけで満足できたのだ。
 人生とは容易に先行きの見えるものではない。いい風にも悪い風にも簡単に転がる。
 一年生の前で初ライブを敢行し、これからも何かの機会にパフォーマンスをしたいという望みを抱いた。そのライブを見た一年生二人、千歳ちゃんと美帆ちゃんがアイドル部――当時はまだ同好会か――に加わった。次には美波さん、さくらさんもメンバーになり、緋菜さんに至っては、いきなりセンターを任せた。
 最後には彩葉ちゃん。みんなは気づいていなかったけども――まあ、知らなくてもしょうがない――彼女が元アイドルだということはすぐ分かった。アイドルに関しては情報収集を徹底している。まさか同じ学校になるなんて、と驚いたけど、アイドル部には決して入らないだろうと決めつけていた。彼女からしたら、わたしたちなど――。
 緋菜さんも何かの拍子に気づいたらしい。彼女はわたしと違って、進んで手を差し出した。
 静観しているつもりだった。でも、彩葉ちゃんの様子をそれとなく観察していると、イメージしていた人物像とはズレがあることに思い至った。彼女はわたしたちを見下しはしない。札幌で苦しんできて、傷を抱えたまま、どうすればいいのか分からないのだ。
 もし、アイドルに未練があるなら。
 わたしはその、もしも、に賭けて誘った。結果的に彼女の背中を押してあげられたらしい。
 九人になった。でも、実はこうしていられる時間は残り少ない。これからどうなっていくのか、いい風にも悪い風にも転がる人生だから予想がつかない。感傷的になることはないけれども、不思議な巡り合わせだな、ときどき、そう感じる。

 冬休みに入った。
 二学期最後のライブで充実感を得、満たされた状態で過ごせそうだ。もう年内は練習もないけど、また三学期、みんなと一緒にできることを心待ちにしている。
 明日はクリスマスイブ。女子校だからか焦りはなく、ロマンチックな予定は特に入っていない。ただ、最高に楽しみなイベントが待っている。
 わたしの好きなアイドルグループの一つが、クリスマス限定ライブを行うため、それを見に行くのだ。今回は一人ではなく、アイドル部のメンバー全員。なんだかんだ、九人で活動してきて、アイドルのイベントに足を運ぶ機会は少ないな、と感じていた。部を結成する前、紅亜、美桜とは行ったし、緋菜さんはよく見に行ってそうだけど、九人揃っていたのは増田さんの企画のときだけ。それは、わたしたちもパフォーマンスする側だった。
 勉強も兼ね、クリスマスを楽しもうというわけだ。
 今は自分の部屋で一人、パソコンと向かい合っている。推しているアイドルのブログを軒並みチェックしている。大切な、わたしの日課。
 学校で話していると、男性アイドル好きと女性アイドル好きは、理解し合えても、結局のところ交わらないな、と思う。わたしだってかっこいい異性に惹かれる瞬間はあるけれど、所詮そこまでだ。同じアイドルでも、それぞれには隔たりがある。女性アイドルは、何より同性であること。かわいさに見惚れ、ダンスや歌の上手さに憧れると同時に、親近感も抱いている。だから、より応援したくなる。がんばれ、って思うのだ。ブログを読んでいるとそれを実感する。
 もっと昔のアイドルはいろんな面でベールに隠されていたのかもしれないが、今のアイドルは自然体だ。ブログで綴られるのは、日々の活動のほかは趣味や、食事のことや、学生なら学校のこと。わたしたちと同じように生きていることに気づかされ、そう遠くない存在に思えてくる。
 近くに感じる一方で、彼女たちは選ばれている。やっぱりブログに上げられる写真はかわいいし、動画や画像を見ていると、うっとりしてしまう。
 アイドルについて語ると際限がなくなる。
 わたしは子どもの頃からまあまあ容姿を褒められ、服装や髪型にも気を遣っている。群を抜いてかわいいと思わないから、かわいくあろうと努力する。自分がアイドルになろうなんて微塵も考えなかった。
 だけど、始めてみて、もっとアイドルたちを近くに感じた。同じようにステージに立っている。信じられない部分もあるけど、嬉しい。

 人波に揉まれながら、感想を話す。いずれも興奮した口ぶりだった。
「ライブ、すごくよかったですね。本物はやっぱり違う!」
 と、千歳ちゃん。
「一糸乱れぬダンスは見ていて気持ちのいいものね。見習わないと」
 と、美波さん。
「でも、握手会は緊張しちゃったなー。気を遣わせてしまった気がする」
 と、さくらさん。
 クリスマス限定イベントでは、ライブの後に握手会があった。二人一組に分かれているので、自分の推しがいる列に並ぶ。わたし、緋菜、彩葉以外は事前に決めていなかったから、ライブで印象に残った子に会いに行ったようだ。
 握手会は現代のアイドルに欠かせないものになっている。限られた時間の中で、握手をしながら話をする。ファンはどんなことを話そうかと真剣に悩む。いざ会うと、その距離の近さに圧倒される。わずかな時間なのに、かなり心に刺さってくるのだ。
 過去には刃物でアイドルが傷つけられる事件があった。事件性がないものでも、暴言など、心無いことをする人も少数いる。
 簡単に会える、というメリットは、裏を返せば容易に危険に曝される、というデメリットを孕む。それも含めての握手会だと認めざるを得ないが、わたしはそんな不安、本気で応援しているファンの良心で吹き飛ばしてしまえ、と強く願っている。ファンがいてこそのアイドル。
「わたしもどんなことを話せばいいのか分からなかったけど、でも、どのメンバーも優しいですね。こちらを笑顔にしてくれる」
 と、美帆ちゃん。
「そう。彼女たちはいつでも明るくて、だからまた会いたくなる」
 緋菜さんはさすがによく知っている。
「女性アイドルは男性ファンの方が断然多いから、女の子が来ると喜んでくれますよね」
 わたしがそう言うと、緋菜さんは強く頷く。
「ね。こっちの格好をかわいいって褒めてくれることもあって、そうしたら、その服装が何か特別なものになる」
 緋菜さんはアイドルの話をしているときが一番生き生きしている。
「わたしたちが握手会をやったら、どうなるだろうね。美桜は絶対にあたふたしちゃうよねー」
 紅亜がからかうように笑いかけると、「やってみなければ分かりませんよ」美桜はふくれっ面で抗議する。
 頭の中で思い描いてみる。やるとしたら、学校開催だろう。CDとかは出していないのだから、もちろん無料。会いたい人に一度だけ会える。
 千歳ちゃんは元気いっぱいだから、人気が出そうだ。紅亜も然り。美帆ちゃんは硬くなってしまいそうだけど、彼女みたいに飾らない性格は好かれる。同性のファンが多くなりそう。美波さんやさくらさんはスタイルがいいから、男性ファンが押し掛けそう。緋菜さんや美桜さんは男心をくすぐりそうだな。はにかんだ笑顔に、きゅんとくるだろう。わたしは――ちゃんと話せるかな。どうせなら、お決まりのポーズとか台詞を考えたい。
 彩葉ちゃんは、と彼女に目を移す。さっきから言葉少なで、その表情は読めない。元アイドルとしては、アイドルのイベントに参加するのは不思議な感覚なのかもしれない。
「彩葉ちゃん、どうだった? 今日のイベント」
 話しかけると、彼女は長すぎる間を置いてから、にっこりと微笑んだ。
「楽しかったです。ライブはかっこよかったし、握手会ではかわいい子たちと近くで話せたし」
 アイドルはやめられない、ですね。悪戯っぽく笑う。
 彼女は小悪魔系というか、そういうところがあるから、これまた男性人気がありそうだ。

 家でのんびりと「紅白歌合戦」を視聴していた。ブームと言われているだけあって、アイドルグループが数多く出ている。どのタイミングで歌うのか、何を披露するのか、ワクワクしつつ、画面を見つめる。
 彼女たちは年の瀬もゆっくりできないのだ。それだけ人気があるということだけれど、きっと休みを望む思いもどこかに潜んでいるはず。アイドルは苦しさを見せない。ステージ上ではいつだって笑顔で、全力で、楽しんでいる。それが役割だから。
 番組のフィナーレが近づいてきた。時計を確かめると、もうすぐ年が変わる。立ち上がって、部屋に戻る。外は寒いだろう、防寒具を忘れないように。
 いってきます、と家族に声をかけて、出かける。風が冷たかったけど、雪が降るほどではない。
 初詣にみんなで行く約束をしていた。去年の年末にはまったく接点のなかった九人が、年の終わりと初めを共に過ごすなんて、ほんとに不思議。高校生にとっての一年は光の速さで過ぎていくけれど、その一年でいろんなことが起こる。
 いい一年だった。来年も、みんなと。
 待ち合わせ場所の駅は混雑していた。同じように初詣に向かう人や、飲み会の帰りらしき人たちで溢れている。上機嫌で、新たしい年を待ち望んでいる。
「舞子」
 紅亜と美桜が先に来ていた。
「二人とも。――って、紅亜、寒くないの? その格好」
「大丈夫。なんかね、内側が熱くて、ぜんぜん寒くないんだよ!」
 年の瀬でかなり浮かれているようだ。
「まったく、風邪引かないでくださいよ」
「うん」
 わたしと美桜は顔を見合わて、思い出し笑いをする。そういえば、去年も同じようなやり取りをしている。
 去年の年末は三人で初詣に出かけた。あの頃は、まさかスクールアイドルを始めるとは考えもしなかった。それは予想外だったけど、変わらず三人一緒なのは、お願いした通りだ。
「みんなー!」
 メンバーたちが集まってきた。混み合う道を進み、神社へと向かう。
 夜空の下を歩いている間に、日付が変わった。あちこちで新年の挨拶が交わされる。わたしたちも、「あけましておめでとう。今年もよろしく」をちゃんと伝え合った。
 神社に辿り着いた。お賽銭箱の前で立ち止まる。お願いすることは決めていた。お賽銭を投げ、手を合わせる。
 目を閉じると、これまでの活動風景が目に浮かび、思わず涙が滲んだ。溢れ出る感情を抑えつけるように、両手に力を加えた。
 思い出は消えなくても、別れは絶対に訪れる。あと三か月しかない。アイドル部は存続するかもしれないが、三年生の三人が卒業してしまえば、この九人で活動することはなくなる。そんなの、分かりきっている。みんな、口にしないだけだ。振り返るにはまだ早い。わたしは涙を流さないように気をつけた。
 願う。
 今年も親友の紅亜、美桜と一緒にいられますように。そして、この九人で、最後まで最高のライブをできますように。
 目を開けると、みんなが一歩引いたところで笑っていた。
「舞子、お願い長すぎだよー」
「欲張りですね」
 変わらないな、と思う。変わらないでほしいな、ずっと。
 笑顔で応え、みんなの輪に加わった。

 誰にも話していないことが一つだけある。紅亜と美桜にすら話していない。
 わたしは高校一年の夏、とあるオーディションを受けた。札幌を拠点に活動しているアイドルグループで、ほかでもない緋菜が所属していたところ。緋菜は一期生としてレッスンに励んでいたけど、わたしは早くもあった二期生の募集に応募した。いい結果が出ない限り、誰かに明かすつもりはなかった。
 書類審査は通り、次の審査へ。歌やダンス、演技を披露し、最後には面接。たくさん練習してきたから、それなりに自信があった。周りを見回しても、突出した子が数人いるけど、総じてわたしと大差ない。
 それなのに、面接できっぱりと言われてしまった。
 ――君は個性がない。
 アイドルとして優等生かもしれないが、歌って踊れればいいわけじゃない。かわいいだけでは、アイドルになれない。なる人には、普通の人にはない輝きを内側に宿している。そんなようなことを告げられた。
 もしかしたら、自分の個性をアピールするチャンスだったのかも、としばらく経ってから思った。でも、そのときのわたしには、この言葉は堪えた。だって、思い当たる節があったから。
 昔からかわいいと褒めそやされ、勉強も人並み以上にはでき、友達もちゃんといた。学校生活で何不自由なく生活し、でも一方で、わたしには圧倒的に何かが足りないと感じていた。
 その正体に、アイドルを応援するようになってから気づく。わたしには、彼女たちみたいな個性がない。あらゆる面で平均点を上回っているけれど、人間としての魅力が皆無だ。
 そんなの、魅力に溢れている人間は少数ではないか、と言われてしまうだろう。でも、その意識はいつも胸の奥に沈殿していた。それが、審査員の一言によって胸を占めた。
 結果を受け取るまでもなく、合格通知が来ないのは分かりきっていた。なんのために札幌まで足を伸ばしたのかしら、そう思いながら、そのグループのメンバープロフィールを眺める。どんな子が選ばれているのか、改めて確認した。わたしの必要とされなかった場所にいるのは、どんな子か。
 そのときに彩葉の名前を憶えた。そして、会ってみて痛感した。彼女はアイドルを知らなかったのに、アイドルを目指した。それだけが決め手ではないだろうが、つまりそういうこと。わたしにないものを、一つ持っていた。
 もう二度と、アイドルをやろうなんて望まない。そう自分に言い聞かせていたのに。
 学校でやるくらい、いいか。軽い気持ちで始めたのが、こんなに続いた。
 集まった人たちは、それぞれに個性があった。紅亜も美桜も、緋菜さん、美波さん、さくらさん、千歳ちゃん、美帆ちゃん――そして、彩葉ちゃんも。その中で、わたしはただのちょっとかわいくて、アイドルに詳しい子。
 だけど、今はそれでもよかった。ここではわたしにも与えられた役割がある。みんなに振り付けを教え、アドバイスをするとき、必要とされている、そう思えた。

 三学期の学校でのライブが、わたしたちの最後の活動になりそうだった。そこに向けて、また練習を積み重ねる。今までと同じく。

   九 桜、みんなで食べた

 美波に誘われたときは、そういう運命の星にあるのかな、という感想を抱いた。
 前々から気になっていた。アイドルに憧れる人、アイドルを応援する人、実際にアイドルをやっている人、そんな人たちの心理が。どんな思いで活動し、どういうきっかけでファンになったのか。それらの人間を観察していると、性格がさまざまなのだ。明るい人も暗い人も関係ない。それがなんとも興味深かった。
 昔から人間の深層心理に関心を抱いていて、ちょうどアイドル周辺の人らをリサーチしようと考えていた頃、美波からの誘いは渡りに船だった。
 ところが、実際にスクールアイドルになってみて、余計に分からなくなった。アイドル部に集結した九人に共通点はない。動機も経緯もそれぞれに違い、結論が出るに至らない。そして活動していくうちに、自分自身もそこに楽しさを見出していた。振り付けを覚え、人前でパフォーマンスすることはこんなにいいものなのか、と。
 おかげさまで無事に大学進学が決まり、春から心理学について学ぶ。そこで、この感覚を言葉にできるかもしれない。
 終わりはすぐそこまで迫っている。次のラストライブで、わたしはスクールアイドル活動に別れを告げる。ステージに立てるのは、あと一度きり。

 ビデオカメラを手にしたのはほんの思いつきだった。家にあって、これは使えるのではないかと思った。
「ど、どうしてカメラを回してるんですか……?」
 校内を歩いているときに見つけた美帆ちゃんに近寄ると、戸惑い気味の声を上げた。いい反応。
「もうすぐラストライブだから、アイドル部のメンバーをカメラで撮っておこうかなー、と思ってね」
「え、そうなんですか。じゃあ、これ残るってことですか?」
「大丈夫。わたしが残しておきたいだけだから。でも、全員分撮ってから、みんなで見てみてもおもしろいかもねー」
 さて、と。気を取り直す。日常を映す一方で、インタビュー形式にしたい、と少し考えていた。
「ではでは、さっそく質問です」
「は、はい」
「小関美帆さん。どうしてあなたは、スクールアイドルを始めようと思ったんですか?」
 美帆ちゃんの表情から戸惑いの色が薄れた。真面目に答えてくれるらしい。嬉しいことだ。
「わたしは、新入生向けのステージで見た、紅亜さん、美桜さん、舞子さんのパフォーマンスに心を動かされて、アイドル部に入りました。わたし自身がアイドルをやれるかどうか、正直不安だったんですけど、千歳もやるって言うし、挑戦してみました」
「挑戦してよかったですか?」
「――はい。とっても」
 その表情は充実感を漂わせていた。
「活動で特に印象に残っていることは?」
「そうですね……。なんだかんだ、入って最初のライブかもしれないです。まだ七人の頃で、七色の衣装を作ったんですけど、その期間のことは忘れないと思います。これからも」
 わたしも、よく憶えている。
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「ファンのみなさん? えー、そんなの――うーん」しばらく両手を腰に当ててから、首を振った。「わたしは、衣装担当だけじゃなく、ステージ上でも表現者でありたいです。進級しても活動を続ける予定なので、より表現を磨いていきます。よろしくお願いします」
 いったんカメラを切った。
「ありがとう。いやー、いきなりいいのが撮れちゃったよー」
「いえいえ、そんな。これから、ほかのメンバーにも訊いていくんですか?」
「そうだよー」
「じゃあ、終わったら見たいです。みんながどんな風に答えるのか気になります」
 わたしは頷いた。

 同じ一年生のフロアで千歳ちゃんを捕まえた。
「じーっ」
「わ、何か撮ってるんですか」
 驚きながらも、すぐに顔をこちらに近づけてくる。美帆ちゃんとは異なる反応。
「アイドルが創部して一年、その足跡を映像に残しておこうと思って」
「なるほど! でも、照れますね」
「さっそく、質問!」
「来いです!」
「スクールアイドルを始めたきっかけを教えてください」
 千歳ちゃんは顎に手を当てて考えた。
「アイドルのことはよく知らなかったんだけど、紅亜さんたちのライブを四月に見て、すごく楽しそうだな、って感じたのが最初です」
 やはり、美帆ちゃんと同じタイミングで、きっかけを与えられている。
「わたし、毎日楽しければいいやって、なんとなく生きてきたから、本気で取り組みたいこと、そんなになかったんです。だけど、アイドル部に入って、それが見つかった気がします」
 いつもははしゃいでばかりの彼女の真面目な回答は、新鮮だった。
「活動で特に印象に残っていることは?」
「合宿かなー。楽しかったし、練習きつかったし、みんなとの絆が深まりましたし」
「では最後に、ファンのみなさんに一言」
「ファンのみなさん?」
 誰もが、スクールアイドルだから、ファンと言われてもあまりピンと来ないのだろう。実際、校外でどれほどの知名度があるのか。でも、わたしが訊きたいのはそういうことではない。
「一年間、ダンス初心者なりにがんばりました。春からはたぶん後輩が入ってくるので、ちゃんとリードできるようにしていきたいです」
「オッケー、ありがとう」
 また、いい言葉が聞けた。
 千歳ちゃんと別れを告げ、別のフロアに移動する。

 休み時間がもう少しで終わりそうだったから、自分の教室に戻った。美波か緋菜がいないかと探すと、美波が自分の席に座っていた。そっと近寄り、ビデオカメラを構えたまま、肩を叩く。
「わ、さくらか。どうしたの、それ」
 目を見開いているけれど、ちゃっかりピースしている。個人的な撮影だと思っているのだろう――いや、まあかなり個人的なものなのだけど。
「アイドル部が創部してから一年。そこで、スペシャルインタビューやっちゃいます、みたいな」
「おー、それはいいアイデアね。次はわたしの番、ってわけね」
「最初の質問。あなたはどうしてスクールアイドルになろうと思ったんですか?」
 美波の沈黙は長かった。どう答えようか迷っているようだった。
「――わたし、そもそもの動機は、好きな人に振り向いてもらいたくて始めたの。わたしにだって、かわいいところがあるのを見せたくて」
 まったく予想していない返答だった。わたしはカメラを外し、自分の目で彼女の表情を確かめた。
 美波は苦笑いを浮かべて、「そうなのよ」と呟く。
「ほんとうに? というか、今の撮ってしまって平気? あとで、メンバー全員で見ることになってるけど」
「うん、もう卒業だし。誰かは言うつもりはないけど。――さくらにも」
 わたしはまたカメラを構えた。
 美波が続ける。
「でも、それだけじゃ、こんなに長く続けられなかった。活動に参加していくうちに、アイドルってほんとに楽しいなって感じられた。動機はなんであれ、わたしはスクールアイドルになる運命だったのだと思う」
「――うん。では、活動で特に印象に残っていることは?」
「そうね……。二学期の最後にやったライブかしら。九人で曲を披露して、ここまで来たんだって、感無量だった」
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「あら――。高校生活最後の一年で最高の思い出が作れました。卒業しても、みなさんの記憶に残っていてくれたら嬉しいです」
 さすが。録画を中断した。
 改めて、美波をじっと見つめる。あまりに突然の告白で、どんな言葉をかければいいのか分からない。
 美波はうっすらと笑みを浮かべているだけ。「ほら、緋菜のところにもいってきたら? 休み時間、終わっちゃうわよ」
 うん、と小さく頷く。ほんとうに、詳しく語るつもりはないのだろう。

 女子校で生活をしていると、恋愛というものが分からなくなる。付き合っている人も周囲にはいるのかもしれないが、そもそもあんまり話題に上らない。その分、趣味に没頭する傾向にある。わたしたちもそう。
 誰かに恋したことはない。その感情こそ興味深い。
 なんて思いを巡らせながら、緋菜に歩み寄っていく。緋菜は一人、本を読み耽っていた。
「緋菜」
 急に視界に割り込むと、彼女はびっくりして、続けて咳をした。かわいらしい。
「な、何? ……それは、ビデオカメラ?」
「そっ。今、アイドル部のメンバー全員にインタビューして回っていて。あ、別に外に流出させないよ。わたしが個人的に持っていたいだけ」
「う、うん」
「というわけで、質問いきますよー。高遠緋菜さん、あなたがスクールアイドルになった理由を教えてください」
「理由――。わたしは、アイドルが大好きで、憧れていました。でも、好きだからこそ、私には無理だなって諦めてました。そうしたら、みんなが誘ってくれて。ほんとうに、貴重なチャンスをもえたなって、そう思います」
 俯きがちに訥々と語る彼女は、いい絵になる。
「活動で特に印象に残っていることは?」
「そうだなー。わたしの初舞台は、とても緊張して、よく憶えてる。まさか、いきなりセンターを任されるなんて、夢にも思わなかった」
 あのステージだけだ。紅亜ちゃんがセンターポジションに立たなかったのは。緋菜をセンターに据えるよう提案したのは、紅亜ちゃんだった。
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「ファンなんてそんな……。でも、わたしはこの活動で、少しだけ自分に自信が持てるようになりました。卒業は寂しいけれど、大切な思い出とかけがえのない仲間たちを胸に、大学でもがんばります」
 緋菜も志望校への進学を決めている。わたしたちは活動と受験勉強の両立に苦労した二人だ。それもまた、いい思い出。
 お礼を言って、撮影を終えた。あとは二年生たちと、それから彩葉。放課後集まったときに撮らせてもらおう。

 屋上で今までに撮れたものを見返していた。隣で覗き込んでいる美帆ちゃんと千歳ちゃんが歓声を上げる。
「千歳、ちゃんとしたこと話してる」
「美帆も、ファンへの一言、ばっちし決まってるね」
 照れ臭いような笑顔を作る。こうしてカメラを向けると、本人たちの内側にある言葉を引き出せる。――美波も。
「…………」
「…………」
 美波のところで、二人は水を打ったように静かになった。冷やかしの言葉もない。ただ、衝撃を受けている。
 わたしもフォローする必要はないと思った。下手に探らない方がいい。
 当の美波はフェンスに背を預け、クールな表情で空を眺めていた。
「何それ、何それ」
 紅亜ちゃんが興味を示したけど、わたしはガードした。
「まだ見ちゃだめ。紅亜たちにも、これからインタビューするから」
 ほかの人のコメントを聞いてからでは、素直な答えを引き出せない。
「じゃあ、紅亜ちゃんから。奥で撮らせてもらうよ」
「おお、おもしろそう。ほんとうのアイドルみたい」
 彼女はスキップしながら付いてきた。みんなから少し距離を取り、改めてカメラに映す。
「ではでは、山崎紅亜さん。よろしくお願いします」
「お願いしまーす」
 にっこり笑顔。
「まず、スクールアイドルを始めようと思ったきっかけはなんですか?」
「はい。わたしは、一年前まで部活に入っていなくて、家のお手伝いに明け暮れてました。それが嫌だったわけじゃないけど、でも、こころのどこかで、このままでいいのかな、っていう思いはありました。
 そんなときに、舞子に誘われたんです。アイドルのイベントに行ってみないか、って。なんとはなしに行ったら、すごくて、圧倒されちゃったんです。わたしがやりたいのは、これじゃないかなと、直感的に思ったんです。それで始めました」
「今までの活動で、特に印象に残っていることは?」
「うーん。やっぱり、三人での初ライブかな。ほんとに下手くそだったかもしれないけど、全力でやれて、そうしたら入部希望者が来て。あのライブは、わたしたちの始まりです」
 それがきっかけで、千歳ちゃんと美帆ちゃんは突き動かされた。誰かが誰かを動かしていく、その連鎖の過程。
 紅亜ちゃんじゃなかったら、きっとこんな風に活動は広がらなかった。ほかの人ではだめなのだ。そんな気がする。
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「春からもがんばります!」
 顔をぐっと近づけて、そう言い切った。超アップになってしまったけれど、彼女らしいから、このままでいいか。
「ありがとう、紅亜ちゃん。次は、美桜ちゃんを呼んできてくれる?」
 あ、質問内容を話さないでね、と念を押す。はーい、と駆けながら片手を上げて応じた。
 すぐに美桜ちゃんが現れた。カメラ越しにじっと捉えていると、少し恥ずかしそうにした。
「ありのままの自分で答えてねー」
「インタビューなんて、ほんとうのアイドルみたいですね」
 美桜ちゃんでもそういうことを思うのか。
「そうだよ。スクールアイドルなんだから、ちゃんと正直な思いを打ち明けてほしいな」
「はい、分かりました」
 すっと、表情に真剣みが帯びる。体育会系だったためか、スイッチが入ったときの顔が凛々しい。
「どうしてスクールアイドルになったのでしょうか?」
「舞子に連れられ、本物のアイドルを見たときに、少なからぬときめきを覚えたからです。初めは、引っ込み思案のわたしには無理だ、って思っていました。それでも――もう逃げたくなかった。紅亜と舞子が一緒なら、不思議とがんばれる気がしたんです」
 三人の友情は、傍で見ていても羨ましいものに映る。
「活動で特に印象に残っていることは?」
「そうですね。最初のライブ――は、紅亜が挙げていそうなので、夏祭りでのライブを。学校で慣れてきた中で、外に出てパフォーマンスするなんて、もちろん緊張しましたけれど、着実に階段を上っていると感じました」
「最後に、ファンのみなさんに一言」
 それまでは迷いなく回答していたのに、急に沈黙してしまった。こういうのは苦手なのだろう。
「えっと……前向きにがんばります」
 まあ、こんなものだろう。お礼をし、舞子ちゃんを呼んでもらう。
 舞子ちゃんが来るまで、ほかのメンバーの練習風景を撮っていた。みんな、きらきらしている。この楽しい時間も、そう遠くない未来、幕が下ろされる。終わりがあるから、物事に熱中している最中は心満たされる。終わりがあるということは、始まりがあった。それぞれの始まりが、やがて一つになる。
 舞子ちゃんがパタパタと駆け寄ってくる。
「お待たせしました」
「ううん、ありがとう。じゃあ、いくつか質問をさせてください」
 舞子ちゃんはこっくりと頷く。
「お名前は?」
「美崎舞子です」
「スクールアイドルを始められたきっかけはなんですか?」
「ずっとアイドルに憧れていて、でも、好きだからこそ、彼女たちと自分の違いをよく知っていました。そんな頃に、紅亜に誘われたんです。紅亜がいなかったら、きっとわたしの夢は叶わなかったです」
「特に思い出深い活動はありますか?」
「えー、なんだろう。どの活動も思い出深いんですけど、わたしは合宿かな。まだ人数が九人いなくて、緋菜さんも入ったばかりだったけど、たくさん走って、たくさん踊って、たくさん喋って。忘れられない青春の一ページだと思います」
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「わたしのことが嫌いでも、アイドル部のことは嫌いにならないでください――なんて。春からも、多くの人に笑顔を届けにいきます。よろしくお願いします」

 三学期に入ってから彩葉ちゃんは忙しいらしく、たまに姿を見かけない日があった。今日も待っていたのだけど、結局現れなかった。
 彩葉ちゃんにインタビューできたのは、翌日の朝休みだった。
「ふふっ」
 カメラを持つわたしを認めて、口元に手を当てて微笑んだ。その仕草が堂に入っている。
「新垣彩葉、高校一年生。彼女はいかなるときでも、アイドルであることを忘れない」
「ドキュメンタリー風なんですか? インタビューされたって、千歳や美帆に聞きましたけど」
 声を低くしたわたしを遮る。
「練習しているところとか、学校生活の様子も撮ってるよ。それでは、質問入りますか。彩葉ちゃんが最後だよ」
「はい、臨むところです」
 笑顔を作る。彼女が笑うと、あどけない印象を覚える。
「あなたがスクールアイドルを始めたのはどうしてですか?」
「わたしがアイドルになることを待ち望んでいる人がたくさんいたから――これって、みんな、真面目に答えてるのかな。えっと、わたしは挫折を味わって、でも、また自分の可能性に賭けてみたかったんです」
「今までの活動で、特に印象に残っていることを教えてください」
「印象に残っていること、ですか。増田さんの主催したイベントは、ほかのアイドルグループと一緒にやれて、とても刺激的でした」
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「わたしはまだ入部して間もなくて、これからもっと多くの人のハートを掴みにいきたいです。――それと、伝えなければならないことが。さっき言った増田さんに誘われて、彼のグループに所属することになりました」
 わたしはカメラを構え続けながら、大きく目を見開いた。
「でも、安心してください」わたしの心中を察したように、声が柔らかくなる。「アイドル部の活動も続けます。むしろ、そっち優先です。忙しくなるかもしれないけど、いつでも笑顔で乗り切ります」
 最後は悪戯っぽい笑みを見せた。
 わたしがカメラを外すと、「そうなんですよ」と彩葉ちゃんが呟いた。
「それ、みんなには言ったの?」
 彩葉ちゃんは首を横に振る。「まだです。でも、近いうちに必ず」
 彼女の決意は本物のようだ。目が物語っている。アイドル部から初の「兼任」メンバーが誕生か。
 さっと、カメラを奪われる。
「わたしが最後じゃないですよ。さくらさん、まだインタビューされてないですよね」
 自分のことなんて考慮の枠外だった。わたしは、いつも遠くからみんなを見ていた。
「インタビューしてくれるの?」
「いいですよ。みんなの答えを見聞きしてきたんですから、いいこと言ってください」
 苦笑する。カメラの使い方を教え、彼女と向き合った。レンズにわたしらしき影が映っている。こんな感じになるのか。
「まず、内海さくらさん。あなたがスクールアイドルになったきっかけはなんでしょうか?」
 きっかけ。
「友達の美波に誘われたからです。前から、アイドルに憧れというか、強い興味を抱いてました」
「次に、活動の中で印象深いことは?」
 今までの、活動。
「未来の話になってしまうけれど、高校生活最後のライブは、一生の宝物になると思います。いえ、してみせます」
「それでは、ファンのみなさんに一言」
 みんなに。
「出会いや偶然がわたしをアイドルにしてくれました。――わたしをアイドルにしてくれて、ありがとう」
 言い終わってから彩葉ちゃんの表情を覗き込むと、彼女は目を細めていた。
「いいのが撮れました」

 淡いスポットライトを浴びる。何度も味わってきた緊張感と高揚感。もっと、感じていたかった。だけど、最後だって思えば、自分のすべてを出し切れるはず。
「聴いてください。乃木坂46の『何度目の青空か?』」
 さっきまで卒業式が行われていた講堂。再び、生徒たちが集まっている。綺麗に整列することはなく、思い思いの場所でライブを見つめている。彼女たちが目に焼き付けるような、記憶にいつまでも残るような、パフォーマンスを。

  何度目の青空か 数えてはいないだろう

  陽は沈みまた昇る 当たり前の毎日 何か忘れてる

  何度目の青空か 青春を見逃すな

  夢中に生きていても 時には見上げてみよう (晴れた空を)

  今の自分を無駄にするな

 実感を込めて歌う。
 与えられた時間は二曲分。一曲目が終わり、ラスト。
「一年間、ありがとうございました。四月からは新体制でまたがんばります。――最後なので、改めて自己紹介を」
 紅亜は息を吸い込んでから、「山崎紅亜」と名乗る。
 そこからは、順番に。
「西永美桜」
「美崎舞子」
「奈良千歳」
「小関美帆」
「高城美波」
「内海さくら」
「高遠緋菜」
「新垣彩葉」
 せーの、で合わせ、曲名を告げた。
「『桜、みんなで食べた』」
 HKT48のお別れソング。

  桜、みんなで食べた 満開の花びら

  春風に吹かれた 一枚キャッチして……

  桜、みんなで食べた 掌の花びら

  サヨナラつぶやいて 

  思い出と一緒に ゆっくり飲み込んだら

  涙テイスト

  ラストライブの直前、校庭に出たら、桜が見事に咲き誇っていた。卒業式に日に、タイミングよく咲いてくれた。九人で、風に舞う花びらを追いかける。
  誰が始めたのか憶えていないけど、メンバーが手を鳥のくちばしの形にして、ついばむようにつついてきた。わたしばかり狙われる。くすぐったかった。
  そうして、気づく。歌に合わせて、「さくら」をみんなで食べているのだ。わたしたちらしいけれど、最後まで何をやっているのかしら。おかしくって、笑ってしまう。
  講堂の窓からも桜は見えていた。花びらが散ってしまった頃、わたしはもうこの学校にいない。悲しくてしょうがないけど、すべて飲み込むしかない。
  練習通りに、最後の最後まで踊りきる。動きを止めてから、誰にも聞こえないように「さよなら」と呟いた。
  舞台袖に設置しておいたビデオカメラが、泣き顔で抱き合うわたしたちを捉えていた。

前向きな理由でも、後ろ向きなそれでも、「わたし」たちはアイドルに憧れた。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-09-18

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