並行世界で何やってんだ、俺 (4) イヨ編

運命の岐路

 未来人は俺の決心を確認すると、「じゃ、時間を戻すわヨ」と言う。
 ――時間を戻す
 これからタイムマシンが現れて、それに乗れと言われるのだろうか。
 それとも壁掛け時計の針が逆に回って、陽が西から上って東に沈むのを繰り返し眺めるのだろうか。
 あるいは時空を超えるためのトンネルの入り口が目の前でぽっかりと開いて、その中へ入っていくのだろうか。
 昔、SFの漫画で時空を移動するためのトンネルをくぐり抜ける描写があり、その際にトンネルの出口へ向かう光線の束みたいな物が描かれていたような気がする。
(光線? ……光?)
 そう言えば、この並行世界に来た時、光に包み込まれた。
 だとすると、あの(まぶ)しい光の中では目を開けていられない。
 そこで、目を閉じて待つことにした。
 ところが、ジーッと待っていても瞼の向こうには何も変化が見られない。
 飛行機に乗っていて日付変更線を超えても何も感じないのと同じだ。
(騙されたか?)
 目を開けようとしたその時、フッと意識が遠のいた。

 体が揺れているので目を覚ますと、目の前に布団の生地が見えた。
 いつの間にか俺はうつぶせになって寝ていたらしい。
 まだ揺れている。誰かが揺さぶっている感じだ。
 首を後ろに回すと、間近に妹の顔が見える。
 妹は俺の肩から手を離し、「もう学校に行く時間よ」と言い残して部屋を出て行った。
「なんだ、朝か」
 欠伸(あくび)をしながら枕元の腕時計を見た。
 針は8時を指している。日にちも見えたが22日になっている。
 確か学校に復帰したのは1日だったと思うから、3週間ほど立っている計算だ。いつが最後だったか覚えていないほど、未来人からの連絡はない。
(ずっとこの並行世界で生きていくのかな?)
 装置が再起不能になるまで壊れていたら、本当にそうなるのだ。学校生活には慣れてきたが、元の世界に戻れない不安は募るばかりである。

 四時限目の授業中に居眠りをしていた俺は、教師に見つかり廊下に立たされることになった。
 窓から(のぞ)くと教師はこちらを見ていないので、また逃げることにした。
 しかし、廊下でカオル先生ともう一人の先生に見つかり、急いで昇降口へ走った。

 誰もいない昇降口にたどり着いて下駄箱を開けると、中からヒラリと白い封筒らしい物が出てきて下に落ちた。
(何だろう?)
 足下に落ちた封筒を手にとって見ると、裏に<歪名画ミイ>と書かれている。
 その文字に目が釘付けになった。急に、遠い記憶が蘇ってくる。

(この手紙……下駄箱から出てくるこれ……知っているぞ……そう、この名前の読み方……なんて読むか分からないと思ったことも知っている……前に経験したのか?……いつだ?)

 ボーッと考えていると、追いかけてくる先生の足音が近づいてきた。
 慌てて靴を履き替えて外に出るや否や、全速力で駈けだした。
 近くに臍ぐらいの高さで幅が10メートルほどある植え込みが見えたので、その裏に隠れた。カオル先生達は、走りながら植え込みの前を通り過ぎていく。
 ヤレヤレと地面に腰を下ろし、息を整えながら封筒を開けて中をのぞくと、可愛い絵柄の便箋が折り畳まれて入っていた。それを取り出しておもむろに開くと、また遠い記憶が蘇ってくる。

(なんだこれ……『あなたのことが前から好きでした。お話があります。17時に体育館の裏で待っています。』って……これと同じ手紙を読んだことがあるぞ……いつだ?)

 記憶を一つ一つ辿っても、どうしても思い出せない。
 でも、これは経験している気がする。
 こういう気持ちになる現象を何と言ったか? デジャブ、デジャヴー、なんかそんな名前の現象だった気がする。
 おそらくどこかで経験済みのことが、目の前でまた起こったに違いない。
 今はどうしても思い出せないが、この<何とかミイ>に会って話をすれば、きっと何かが分かるだろう。
 俺は会う決心をし、封筒をポケットにしまってポケットの上から手でポンポンと叩いた。

 後でカオル先生にたっぷり絞られた俺は、放課後に反省文を書かされた。
 カオル先生の駄目出しが続いて、どう書けばよいのか悩んでいるうちに、約束の時間が17時だったことを思い出し、時計を見た。
 17時直前である。
 慌てて修正中の反省文を机の上に放り投げ、教室を飛び出した。

 17時に体育館の裏と言われながらも、17時にまだ昇降口で靴の履き替えに手こずっていた。焦るとうまく靴が履けない。
 ようやく昇降口を出ると、3階の方から僅かにピアノの音と女声合唱の声が聞こえてきたので立ち止まった。
 上を見上げると、窓が開いている。聞こえてくるのはあそこからだ。
(何か……懐かしい音楽だな)
 なぜそう思うのか不思議だと思いつつ、体育館の方向に足を向けた。

 指定の場所へ向かってスピードを上げて走っていると、目の前に130~140センチくらいの背の低い女生徒が、体の半分の大きさの人形を持って俺と同じ方角へ歩いているのが見えた。
 ミディアムのヘアスタイル。少し赤毛。
(ああ、廊下でよく見る小学生か)
 あの髪で人形を持っているのは一人しかいない。
 彼女はうちの学校の女生徒だが、背が低いので俺は<小学生>と名付けている。
 すると、その彼女のポケットから何かが落ちた。また遠い記憶が蘇ってくる。

(この光景……どこかで見た……いつだ?)

 俺は彼女を追い越す際に、「落ちたぞ」と声をかけながらその場を走り去った。拾ったところまでは確認していないが、拾っただろう。

 少し行くと渡り廊下が見えてきた。そこに一人の女生徒と四、五人の男子生徒がいた。
 彼女には見覚えがある。ロングのツインテール。つやつやした黒髪。小さい顔に大きな丸い眼鏡。
(あ、あの子。廊下で本を読んでいる<本の虫>だ。男友達が一杯いるのか?)
 男子生徒達はニヤニヤしているが、彼女は深刻そうな顔をしている。またまた遠い記憶が蘇ってくる。

(なんだこれは……この光景も……どこかで見たぞ)

 こう何度もデジャブだかデジャヴーだかが続くと、さすがに気味が悪くなってきた。
(今から目の前で起こることも経験済みなのだろうか?)
 そう思うと同時に、心の奥底から何やら(ささや)く声が聞こえてきた。

(イヨを探せ……イヨを探せ……<本の虫>を探せ)

(イヨ? 誰だ? でも彼女は<本の虫>だ)
 急に足が止まる。勢いが付いていたため、砂の上でズザッと滑った。
 目は彼女へ釘付けになる。
 とその時、一人の男子生徒が彼女に向かって凄んだ。
「この死神野郎! お前がセンコーに言いつけたんだろう!?」
 彼女は返事をしない。
「どうなんだ!」
 奴は彼女の腕を掴んだ。
(これは尋常ではないぞ)
 女性に対して暴言を吐き、暴力を振るう現場を見ると、無性に腹が立ってくる。
 頭に血が充填されるのを感じた。この並行世界で喧嘩っ早い連中をたくさん見てきたので、俺まで怒りっぽくなったのか。
 腕を掴んだ奴、その一点を凝視しながら、拳に怒りを込めて大股で近づいて行った。

 すると、奴はこちらに気づき、彼女を掴んでいた手を離した。彼女は少し後ろへ逃げた。
「やべっ、鬼棘(おにとげ)だ!」
 ところが、奴の隣にいた男子生徒がニヤッと笑う。
「でも、あいつ最近丸くなったらしいぜ」
 他の連中が(はや)し立てる。
「トゲも抜けて鬼もいなくなったって噂だぜ」
「腰抜けが何か用か?」
「あの女がお前の新しい女か? それともナイト気取りか?」
 俺は連中に5メートルほど近づいてから、威嚇するため、右の拳を左の手の平にパンパンと大きな音を立てるように当てて、さらに指の関節をポキポキと鳴らした。
(何やってんだ、俺……)
 元の世界ではこんなことをしたことがないのに、この並行世界で喧嘩っ早い連中がやっていることを真似している。再現フィルムのように一緒なのだ。

 ところが、ビビるかと思った連中が全員首を(かし)げている。
(しまった、調子に乗りすぎたか?)
 正面の奴がニヤッと笑った。
鬼棘(おにとげ)は喧嘩の前に指鳴らす奴じゃねえし。誰だ、お前? 双子の兄弟か?」
(ヤバい! バレた……)
 連中は徐々に横一列に広がって、無言でジリジリと距離を縮めてきた。
 五人いる。取り囲もうとしているのだ。
 強そうな面構えは二人。真ん中の奴とその右の奴が強そうだ。後はどう見ても雑魚だ。
 背後を取られないよう、校舎に背を向ける位置へ回転移動した。
 連中もこちらに会わせて回転移動する。そして、背後をとれなかったので、扇形に取り囲む。

 正面の奴が「やれっ」と合図する。
 そいつとそいつの右側にいる奴は動かず、残りの雑魚三人が手柄を急ぐように飛びかかる。
 真打ちを温存し、こちらの体力を削る作戦だろう。
 一応俺は、ジュリと一緒に一時期空手を習っていた。
 空手は喧嘩をするための手段ではないと彼女は言っていたが、緊急事態なので使わせてもらった。
 大怪我をするので手加減したが、拳や蹴りは次々と三人の体に鈍い音を立ててまともに入った。三人ともあっけなく倒れて動かなくなった。

 真打ち二人のうち、右側の奴が飛びかかってきた。
 動きが素早い。
 油断したわけではないのだが、相手のズシリとくる重い一撃を右頬に食らった。棒立ちしていたら歯が折れるところだ。
 俺の怒りはMAXになった。
(ジュリ、悪いけどあの約束を破らせてもらう。大怪我させない程度にちょっとだけリミッタ外すぜ!)
 次の左頬への一撃をしゃがんで交わし、素早く右の拳を振りかぶって奴に渾身のボディブローを浴びせる。
 まともに入った感触が拳に残った。
 奴は蹌踉(よろ)めく。
 間髪入れず顔に拳を5発食らわしたところで、奴はドオッと倒れて動かなくなった。

 正面にいた真打ちがそれを見届けると、腕を組んでニヤッと笑う。
鬼棘(おにとげ)。お前、記憶喪失でおかしくなったと思ったが、勘は鈍っていないようだな」
 あの大ボス気取りの態度は無性に気にくわない。怒りで震えてきた。
(あれ?……俺って並行世界の偽の俺になりつつあるのか?)
 奴はボクシングの構えで近づいてくる。こちらは空手の構えだ。

 その後どう戦ったのかあまり覚えていない。
 二人ともメチャクチャになるまで殴り合った。奴の方が先に倒れて動かなくなった。
 それを見届けると、全身の痛みで意識が朦朧としてきた。遠くで女性の怒鳴る声が聞こえたが、言葉がよく聞き取れず気を失った。

悪い死神と良い死神

 気がつくと天井が見えた。
 ポツポツ小さな穴が開いているのは、確か保健室の天井だ。
 その天井をボーッと見ていると、大きな丸い眼鏡をかけた小さな顔が視界に入ってきた。
 <本の虫>だ。顔に怪我はない。無事だったのだろう。
「先生! 気がついたみたいです!」
 彼女が視界から消えると、今度は眼鏡をかけた怖い顔が視界に入ってきた。
 担任のカオル先生だ。
「マモル! またやらかしたな!」
 授業中の優しい声ではない。別人バージョンだ。
 記憶喪失のふりをして(とぼ)けてみた。
「俺、何かしましたっけ?」
「五人治療中」
「記憶がありません。また病院送りですか」
「いや、そこにいる。……おい、お前ら!」
 カオル先生が視界から消えた。
「マモル相手に挑発するな! 自業自得だぞ!」
 へーい、と複数の気が抜けた声がした。
 こんな連中と喧嘩したのかと思うと、こちらも気が抜けた。
 カオル先生がまた(のぞ)き込む。
「お前も挑発に乗るな。また兵隊さんと乱闘にでもなったら、大事だからな」
「へいへい」
 そう言ってヨイショと起き上がった。ベッドが軋んだ。

 五人がちょうど保健室から出て行こうとしているところが見えた。
 ベッドの軋む音で五人全員が振り返った。全員包帯やら絆創膏で治療を受けた跡が痛々しい。
 中央にいた真打ちが口を開いた。
「マモル。俺のこと、覚えているか?」
「いや。悪りぃ」
「だよな。俺はタケシ。昔よくお前と喧嘩したタケシだよ。お前とやり合って、なんか昔に比べてちと違う気がしたけど、今も相変わらずつえーな」
「そうか」
「それはそうと、そいつ、お前のカノジョか?」
 彼は顎で<本の虫>を指す。
 俺は彼女を見た。
 彼女は顔を赤らめて目を逸らす。
 一瞬迷ったが、あの行動の正当な理由を説明しなければいけないと思った。
「ああ、そうだよ」
 俺は彼女をもう一度見た。
 彼女は目を見開き一層顔を赤らめ、照れている顔をした。
「わかった。お前の彼女ならもう手は出さないから安心してくれ」
 彼らはゾロゾロと保健室から出て行った。保険医の先生もカオル先生も続けて出て行った。
 俺達は二人だけになった。

「もう手を出さないそうだ。安心だな」
「こんなことになって、ゴメンなさい。私のために大怪我までして」
「大丈夫。それより、なんで絡まれた?」
「ああ、……あの人達の一人が購買部で万引きをしたらしく、それが先生にばれて。私、そんな事件も知らないので、告げ口など出来るはずがありません」
「言いがかりだな。それだけで絡まれるのはおかしい」
 彼女は言いたくなさそうだ。
「ゴメン、聞いちゃいけないことだったかな」
 彼女はしばらく考えてから言った。
「学校で死神の話が広まっているの、知りません?」
「全然」
「私、その死神扱いされているの」
 彼女は涙ぐんだ。
「ヒドイ話だな。でも、なんで?」
 言いたくないだろうが、理由を聞かないと守ることも出来ないのだ。
「……私、身賀西(みがにし)イヨと言います」
「ミガニシ イヨさん?」
「はい。これでピンときます?」
「全然」
「みんなそういう人ばかりなら良かったのですが……」
 彼女が人差し指を下から上に動かして言う。
「逆から読んでみてください」
 一文字一文字逆からたどって、その理由が分かった。でも納得はしなかった。
「私、自分の名前が嫌いです。だからペンネームがあります」
 彼女はそう言うと、しまったという顔をして両手で口を押さえた。
「ペンネーム?」
 彼女は狼狽(うろた)えた。その狼狽(うろた)えぶりは尋常ではない。
「どうした?」
 しばらく沈黙が続いたが、彼女は諦めたらしく、深い溜息をついた。
「仕方ありません。絶対に秘密にしていただけますか?」
「ああ、もちろん」
 彼女は声を低くして言う。
「……私、学校の誰にも、先生にも秘密にしているのですが、本を書いているのです」
 俺も声を低くした。
「作家さん?」
 とその時、急に遠い記憶が蘇ってくる。

(あれ?……作家か誰か探していたような気がする……なぜ?……どうして?)

 同時に、心の奥底から何やら(ささや)く声が聞こえてきた。

(イヨを探せ……イヨを探せ……<本の虫>を探せ)

 イヨなら目の前にいる!
(見つけた)
 俺の後頭部に冷たい何かが走り、それが背筋や肩や腕に広がっていく。

 俺は作家か誰かを探していたらしい。
 イヨを探せ、と心の中で声がする。
 今、目の前にいるのは作家のイヨ。
 ならば使命(ミッション)を完遂できたことになる。
 でも、何故イヨを探さなければいけないのか。
 その理由(わけ)がどうしても思い出せないのだ。

「詳しくは後でお話しします」
「わ、……わかった。じゃ、そろそろ帰らないと」
「大丈夫ですか? その怪我で」
「ああ、タフだから」
「……ちょっと聞いていいですか?」
「何?」
 彼女はモジモジして言う。
「カノジョ……ですか?」
 こちらも彼女の態度が移ってしまった。
「……タ、タイプ、……です」
 彼女は真っ赤になって俺を見る。
「あ、あのー、……お名前を教えてください」
鬼棘(おにとげ)マモル。マモルでいいよ」
「わ、私もイヨでいいです」
「じゃ、帰るか」
「は、はい」
 とその時、忘れ物を急に思い出した。
(そう言えば、17時に誰かと待ち合わせていたはず!)
 しかし、もう待ち合わせ時間はとっくに過ぎているし、この怪我の状態では会いに行けない。<何とかかんとかさん>との待ち合わせは諦めることにした。

 教室へ鞄を取りに行くと、遠くでピアノの音と合唱が聞こえてきた。
 まだ練習しているらしい。
 さっきも気になったので、音の聞こえる3階へ行ってみた。
 合唱は音楽室の方からだ。
 音楽室の近くに行くと、廊下でしゃがみ込んでいる女生徒が見えた。
 大きな人形を抱えている。例の<小学生>だ。
 音楽室の扉の前に陣取り、壁を背にして指をしゃぶっている。いや、爪を噛んでいるのだろう。
 ちょうど音楽室の中では練習が終わったらしく、ガヤガヤと声がする。
「今日は私んちだよね?」
「そだよ。泊めてね。よろしく」
「明日は私んち」
「そだよ、よろしく」
「次は私んち」
「うん、ありがと」
 なんか楽しそうだ。

 扉が開かれて、色とりどりの髪の女生徒が出てきた。
 その中に黄色い髪でマネキンのように美しい女生徒が混じっていた。
 彼女は笑顔で「キャー!」と言って<小学生>の人形に近づいて言う。
「カワイイ~」
 彼女は人形をなでなでする。<小学生>が微笑む。
「今日はクマさんよ。カワイイでしょー」
 アニメに出てくる小さな女の子によくある可愛い声だ。
「ウンウン」
 他の女生徒も二人を取り囲むように集まる。そんな(なご)やかな雰囲気に、満身創痍の俺は場違いなのでその場を去った。

 昇降口に行くと、イヨに会った。
 彼女はちょうど靴を履き替えているところだった。
「まだ連中がうろうろしているかも知れないから、一緒に帰る?」
 彼女は俺の申し出にちょっと迷っている様子だったが、軽く頷いた。

 帰り道に彼女は少し秘密を話してくれた。
 本を書いているとは、小説のことだった。
 学校では普通の生徒の顔をして、学校に行く前と家に帰ってから執筆活動を続けている。
 出版社の担当さんとは携帯電話で連絡を取り、秘密の場所で原稿の受け渡しをしている。
 将来の夢は作家になることだそうだ。

 でも、彼女は絶対に秘密にして欲しいと言う。
 本を書いているという活動は素晴らしいことであるはずなのに、それを何故秘密にするのだろうか。
『私があの本を書いているのです』と鼻を高くするのはどうかと思うが、その本の作者であることが知られても本人が迷惑するとは思えない。
 何か知られては困る内容の本でも書いているのだろうか。
 全く自信がなくて読まれるのが恥ずかしい本なら、公表しないはずだ。

 会話は読書の話題に移った。
「本は読みますか?」
「あまり読まないなぁ。漫画くらい」
「そう」
「書くだけでなく、本を読むのも好きなの?」
 廊下で本を読んでいる彼女を何度も見ているから聞かなくても当たり前の話なのだが、どのくらい好きかを確認したかった。
「本は好き。読むのは小説、随筆、脚本だけ。時代考証等で他のジャンルの本を読むことはあるけど。もう学校の図書館は制覇したの。市内の図書館はもう少しで制覇できるわ」
「凄いなぁ」
「読み過ぎるから、活字中毒者と言われるの」
(そんな中毒もあるんだ)
 彼女と言えば、廊下のとある定位置が前から気になっていた。意地悪に聞こえるかも知れないが尋ねてみた。
「いつも同じ場所で立ち読みしてない?」
 彼女は恥ずかしそうにこちらを向く。
「見られていましたか……あの場所は私のお気に入りで、あそこで本を読むと、もの凄く落ち着きますから」
「チャイム鳴っても読んでいるよね?」
「気づかないの。それでみんなから放置され、毎回廊下に一人取り残されて先生に怒られて」
「帰り道にも本を読む?」
「それはもう」
「今日は読まない?」
 彼女は(にこ)やかに笑う。
「話ができません」

 気がつくと俺の家の近くだ。
「帰り道がずっと同じ方向だね」
 彼女は首を軽く傾ける。
「怪我人を一人で置いていけませんから」
 昇降口にいたのは偶然かと思ったが、そうではなかったようだ。急に頬がポッと熱くなる。
「あ、ありがとう。家はそこだから」
「お気をつけて」
「ああ」
 彼女は一礼して逆方向に帰って行った。
(どう見ても死神に見えない。人を怪我させる俺の方が悪い死神かもな)

 俺は薄暗くなってきた空を見上げた。
 雲はほとんどなく、明るい一等星が瞬いている。
 この時、彼女との出会いがその後の予想外、かつ波瀾万丈の展開になるとは微塵にも思わなかった。
 これから並行世界で俺の人生が全く変わってしまうほどの事件が起こるのだが、その予兆すらなかったのだ。
 なお、家に帰ってから妹に喧嘩のことで散々叱られたことは、波瀾万丈には含めていない。

迫り来る危機

 翌朝登校して下駄箱を開けると、昨日ここから出てきた封筒のことを思い出した。
 今日は入っていない。
(当然だ。無視したから、二度目はないよな。……そう言えば昨日の封筒、まだ持っているな。妹に見つからなくて良かった)
 ポケットに残っていた封筒を取り出し、細かく破って近くのゴミ箱に捨てた。

 そのまま教室へ行くと、同級生達がジロジロとこちらを見ている。
 席につくと、彼女らが周りに集まりだした。
 そして、席の後ろの女生徒が俺の背中を鉛筆で突くので振り返った。
 彼女はニヤニヤして言う。
「ヒューヒュー」
「俺の顔に何か付いているか?」
(とぼ)けなくていいよ。あんた、イヨの彼氏だって?」
 なるほど、タケシ達が今朝広めたのだろう。この手の噂は30分もあれば野火のように学校中に広まるのだ。
 こうなったら嘘を盾にしても効果はなく、開き直るしかない。
「バレたか」
 周囲を取り囲んでいた女生徒が、一斉に「エー!」と声を上げる。やっぱり本当だったんだ、とザワザワし始める。

 そこにカオル先生が入ってきて助かった。みんながガタガタと音を立てて着席する。
 カオル先生は俺の方を見た。昨日とは別人バージョンで話しかける。
「マモルくん、もう大丈夫?」
 そのギャップに吹き出しそうになったが、必死で(こら)える。
「平気、へーき」
 俺の席の前にいる女生徒が挙手をして大きな声で言う。
「先生! マモルはイヨの王子様で、昨日イヨの窮地を助けたそうです!」
「知っているわ」
 先生も先生だ。クラス中がどよめいた。
「はいはい、あなたたちも喧嘩は駄目です。マモルくんはもうしないと約束しました」
(嘘つけ!)
 それから俺はしばらく、みんなにサカナにされた。

 一時限目が終わり、休憩時間にトイレへ行った。そこへ行くには、イヨがいつも立って本を読んでいる場所の前を通らなければならない。
 行くと彼女はいつも通り本を読みながら立っていた。
 噂が広まっているし、廊下を歩いている連中がこちらに期待の目を注ぐので気まずくなり、黙って彼女の前を通り過ぎた。
 次の休憩時間の時も同じく、彼女の前を通り過ぎた。
 三時限目が終わった時は、さすがに3回も無視するのは悪いから、購買部へ行くついでに彼女の前に近づいて「やあ」と声をかけた。
 彼女は少しの間目で活字を追っていたが、切りが良いところまで読んだのか、顔を上げて微笑んだ。
 笑顔が爽やかで(まぶ)しい。ずり落ちた眼鏡を指で上に持ち上げる仕草がキュンとする。
「昨日はありがとうございました」
「ああ」
「お昼はお弁当ですか?」
「いや、持ってきていない。これから買いに行こうかと」
「よかった。お礼にお弁当、といってもサンドイッチですが、よろしければ」
「そこまでしてもらわなくても」
「いいえ、受け取ってください。後で持って行きます」
「あ、ありがとう」
「何組ですか」
「2年6組」
「私5組です。隣でしたね」

 彼女は昼休み時間に小さな手提げ袋に入ったサンドイッチを持ってきてくれた。
 俺の周りにいた同級生が(はや)し立てる。サンドイッチをのぞき込む奴。どこまで進んでいるんだ、と聞いてくる奴。
 またしばらくの間、サカナにされた。
 あの咄嗟(とっさ)の機転が、思いもよらぬ方向に進んで行くのが少々不安だった。

 昼休み時間が終わる頃、彼女が手提げ袋を取りに来た。(はや)し立てる同級生の視線が痛いので、俺は廊下に出て視線から逃れた。
 彼女はちょっと眉を(ひそ)めて言う。
「嫌いなもの入っていたらゴメンなさい」
「いや、全部おいしかった」
 彼女は安心したようで、ニコッと微笑む。
「よかった。明日はおにぎりでいいですか?」
「え? そんなにお礼してもらわなくても」
「いえ、お礼させてください」
「今、物が不足しているから悪いよ」
 彼女は声を低くして言う。
「印税がありますから」
「そう?……でも無理しないで」

 こうして次の日は彼女のおにぎり、その次の日は彼女の巻き寿司が昼の弁当になった。
 おにぎりの日から妹の手弁当が再開したので、早弁して昼に備えた。
 同級生の間では早くも俺達は<夫婦>にされてしまった。
 巻き寿司が入っていた空の容器を彼女に返すと、彼女は俺の耳元に口を近づけて(ささや)く。耳に当たる彼女の息がくすぐったい。
「放課後、お話がありますので、門で待っていてください」
(秘め事か)
 胸がキュッと音を立てるくらい締め付けられた。
「な、何時頃?」
「17時で」
「あ、ああ」
 それから気持ちが高ぶって午後の授業は授業どころではなかった。

 17時に門のところに行くと、誰もいなかった。
(まさか、担がれたかな?)
 しばらく待っていると、門に向かって走ってくる女生徒が見える。
 イヨだ。
「ゴメンなさい。話が長引いて」
「友達?」
「出版社の担当さん」
「学校に来ているの?」
「ううん、携帯で」
 俺達は歩き出した。
「駅前のパーラーでいいですか?」
「ああ」
「ケーキ大丈夫?」
「甘いのOK」

 パーラーへ行くには、学校からだと商店街を通るのが近いのだが、なぜかイヨは遠回りの住宅街の方へ行く。
 しばらく歩いて角を曲がると、焼け跡が残り空き地の多い場所に出た。
 すると、道の向こうに三人の学ラン姿が見えた。
 タケシ達だ。
(あいつら、なぜここにいる?)
 俺はイヤな予感がした。
 すると、俺の左横にいたイヨが動いた。もしタケシ達の方向に走るなら、俺は謀られたことになる。しかし彼女は俺の後ろに隠れた。
 タケシ達が近づいてきた。5メートルほどの距離になると、今度はタケシだけが近づいてきて3メートルほどの距離まで詰めてきた。
 奴はニヤニヤ笑っている。
「おうおう。今日のマモルは彼女のボディガードかい」
 奴の声に身構え、声に力を込めた。
「そうさ」
「そんなにリキ入れて、誰を警戒しているんだ?」
「お前らみたいのが道の真ん中でうろつくと歩けやしないからな」
「おやおや、俺達が通り魔扱いされるとは困ったもんだぜ」
「なぜここにいる?」
「偶然さ。ダチと散歩をしたくてね」
「偶然にしては出来すぎている」
「ち、……バレたか。この道は彼女のお気に入りの道でね。お気に入りって奴は、行動パターンが読めて分かりやすいからな」
「謀ったのか?」
「いやいや。約束通り、俺達はお前の彼女には手を出さない。安心してお通りください」
 奴は左手を胸に当てて少しお辞儀をしながら、右手を斜め下に降ろすとそれを少し後ろに回し、どうぞお通りくださいという態度を見せた。
「ああ、手を出すなよ」

 俺達が歩み出そうとすると、急に奴は顔を上げて右の手の平を前に突き出した。止まれということだ。
「今日は話があるのさ」
「俺にはない」
「まあ聞いてくれ。お前が入れ込んでいる彼女、死神の過去の話をね」
 後ろの彼女が学ランを引っ張っている。小刻みに震えているようだ。
「俺には関係ない」
「そう言わず、聞きたいだろう?」
「名前を逆に読んだだけじゃないか」
「いや、それもそうだが、本当の意味での死神なんだ」
 奴は胸の前で十字を切りながら言う。
「そいつと一緒にいると、誰かが死ぬ」
 その言葉を聞くと、遠い記憶が蘇ってきた。

(死ぬ……誰かが……イヨ……そうだ、イヨと誰かが戦争か何かで死んだ気がする……助けなきゃ……そう、助けなきゃ)

「まず、そいつの家族だが、ご両親と三人のお姉さんは、全員従軍して戦死。可愛そうに今は独り身だそうだ」
 学ランが後ろからグッと引っ張られた。
「そして、マモルは記憶喪失で思い出せないだろうが、昔商店街が空襲にあってね。と言っても敵さん、こんな何もないところに軍需工場でもあると勘違いしたのか、たった1機で乗り込んで来て爆弾を落としたり機銃掃射したりと暴れ回って。その時、20人くらい乗ったスクールバスが襲撃に遭ったんだが、奇跡的に一人だけ助かったのがそいつなのさ」
 奴は俺の方を指さす。もちろん、彼女のことだ。
「まだ続きがある。バスから逃れてそいつが逃げ込んだビルに爆弾が投下されて、ビルは崩れた。そこに運悪く学習塾があって100人くらいの生徒や教師がいたが、そいつ以外の全員が死亡」
 奴は可愛そうにという顔をして首を横に振った。
「偶然だろう。言いがかりだ!」

「いやいや、まだあるんだな。今一番ホットな噂は、そいつの正体。お前、賀東(かとう)身間坂(みまさか)って作家知ってるか?」
「カトウ ミマサカ?」
 学ランが一層強く引っ張られた。それを通じて彼女の震えまで伝わってくる。
「今ね、正体不明の賀東(かとう)身間坂(みまさか)の家がやっと見つかったという噂が立っていて。その家の表札がお前の彼女の名前と同じ身賀西(みがにし)で、なんか作家の名前をひねった感じで似ていると。今(しゃべ)っている言葉じゃ分からないだろうが、漢字に書くと東と西の違いがあるけど、ちょっと文字をずらすと上の名前が一致するんだな、これが」
「だから何だって言うんだ!」
「知らないのか、賀東(かとう)身間坂(みまさか)の2年前の有名なSF小説『マジで鎮まれガイヤさん』って。作品では最初にOとUという町を震源地とした大地震がほぼ同時に発生、半年後にSという町を震源地とした大地震が発生と書かれている。そしたら、出版後1ヶ月してOとUの頭文字に一致する震源地で大地震がほぼ同時に発生し、さらにそこから半年後にSの頭文字に一致する震源地で大地震が発生したんだぜ。どちらも被害甚大で多数の死者が出た」
 奴は自慢げに話を続ける。
「作品では、次はちょうど1年半後に前と違うOの町を震源地とした巨大地震が発生すると主人公が予言しているんだ。つまり、後1ヶ月経つとこの国でも前と違うOで巨大地震が発生する。これでちょっと世の中ザワついていてね。これは予言書だと。そのお告げ本を書いた正体不明の作家のお家探しが始まっていたというわけ」
 彼女は俺の背中にグッと顔を押し当てて言う。
「OとUとSとOで<大ウソ>なのに……」
 彼女の息遣いまで背中に感じた。

 とにかく、奴の話を止めないといけない。
「作家の家探しとはプライバシー侵害も甚だしい。だいたい、全部偶然だろう? そんな話に付き合ってられん」
 ここで、ふと気づいたことがある。
 家の表札を見て、そう簡単に作家の家だと分かるのか。
 ペンネームは本名をひねっているから、一目で分かるはずがない。
 ここで鎌をかけてみた。
「正体不明の作家の名前と彼女の家の表札をどうやって結びつけた?」
「似ているじゃないか」
「全然似ていない。熱烈なファンでも気づかないはず」
「ほほう」
「誰が彼女と作家を結びつけた?」
「さあね」
「そういう情報は関係者しか知らないだろう」
「誰かが尾行したんじゃないか」
「尾行したとして、表札を見てアッと気づくか?」
「気づくんじゃね?」
「いや、気づかせた奴がいる」
「……チッ、お見通しか」
「やっぱりそうか。お前か?」
「ああ」
「彼女のことがどうして分かった」
「前から死神と編集者が打ち合わせていることを知っていてね。場所はいつも喫茶店。そこで会話から聞いちゃったんだよ、過去の作品名を。だったら、どう考えても賀東(かとう)身間坂(みまさか)は死神本人じゃん」
「地獄耳だな」
「そしてこないだ、たまたまお前の彼女の家の近くを歩いていたら、俺が知っている編集者を尾行している奴がいて、そいつが表札を見ていたので、知っていることを耳打ちしただけ。噂なんて一人に言えばそれから爆発的に広がる」
「何故そんなことをした!」
 タケシが不敵に笑う。
「お前の彼女だからさ」

 今ここで(かたき)を討とうとして拳で戦っても、彼女の身まで守れる自信はない。
 俺達はこの場を立ち去ろうと歩き出した。
 タケシが横目で睨む。
「おっと待ちな。これは親切心から忠告するんだが、お前の彼女の家の周りには今変な連中が見張っているから、近寄れないぜ。気をつけな」
「親切心だけ受け取る」
「忠告も受け取らないと痛い目に遭うぜ。ま、精々そいつのボディガードにでもナイトにでもなれよ。ただし、敵さん結構な数だから、こないだの俺達との喧嘩みたいにはいかないぜ」
 奴の言葉を無視し、連中を遠巻きにしてその場を去った。

 駅の近くにあるパーラーに入った。
 狭い店で、10人も入れば一杯だろう。
 パーラーと言っても古びた喫茶店の構えで、テーブルも椅子も古ぼけて相当年季が入っている。よく分からない音楽が流れているが、店主の趣味か。
 そばにいた女店員に案内されて、俺達は奥の席に座った。
 イヨはフルーツパフェと紅茶を、俺はモンブランとコーヒーを頼んだ。

 彼女はしばらく黙っていた。何かを言い出そうとして言い出せない様子だった。沈黙を破る必要がある。
「あいつ、人の気持ちも考えないでヒドイことを言うな。俺、死神って信じてないから」
「あ、ありがとうございます」
「そう言えば、担当さんと話してたみたいだけど、仕事の話?」
「いいえ、さっきあの人が言っていた話です。担当さんに謝られました」
「やっぱりそうか」
「実は私の担当さん、出版社から出たところを跡つけられたらしいの。出版社の何人もの社員が尾行されていたみたい。家に来ることなんて滅多にないのに、私も迂闊(うかつ)だったけど家に来るのOK出したの。どこかのお店で待ち合わせれば良かったのね」
「これからどうする? 家行くなら一緒に行くけど。やつらなら俺がとっちめてやる」
 彼女は黙っている。
「大事な物はすべて鞄の中にあるので、家にあるのは布団とか茶碗とか、後でどうにかなる物だけ」

 彼女はそう言うと、ハッとした。
 何か忘れてきた、という顔をしている。
「他にも大事な物があるんじゃない?」
「だ、……大丈夫」
 よほど大事な物なのか、狼狽(うろたえ)えぶりが気になって仕方がない。

「本は? 大事な本が家にあるんじゃない?」
「本は買わないの。一度床が抜けて大家さんに怒られたし」
「そうだ、ご家族は?って、あ、ゴメン-」
「あの人が言ったとおり、私一人。全員戦死したわ」
 一瞬、死神のことを思い出したが、そんな連想はすぐに振り払った。
「本当にゴメン。言いにくいことをまた聞いちゃった」
「ううん、いいの。家に家族がいたらって心配してくださったのでしょうし」
 彼女はまた黙った。目が下を向いた。顔まで下を向いた。
 沈黙が続く。
 フルーツパフェのクリームに刺さっていた棒状のクッキーがゆっくり傾いた。
「あのー……」
 彼女は顔を上げ、意を決したように言う。
「何?」
不躾(ぶしつけ)なことを言うようでゴメンなさい」
「いいよ。何でも聞くから」
 彼女はテーブルに頭をつけるくらい深くお辞儀をした。
(かくま)ってください」
 俺はその言葉にビクッとした。『(かくま)って』という言葉に驚いたよりも、周りで誰かがこれを聞いていないか警戒したからだ。
 幸い、店内の騒々しい音楽が邪魔をしてくれたらしく、こちらに顔を向ける客はいない。
 これは緊急事態だ。迷ってなんかいられない。
「分かった」
 彼女は安堵の顔を上げ、ずり落ちた眼鏡を指で上に持ち上げる。この仕草に少し萌えるのだ。

 パーラーを出ると、すっかり暗くなっていた。
 二人で俺の家に行く途中、彼女の鞄が重そうに見えた。
「持って上げようか?」
 彼女は首を横に振る。
「ううん、家財道具一式入っていて重いから」
 気を遣われた。重そうだからこそ持ってあげたいのだが。
「大丈夫?」
「慣れているから大丈夫」
「一式入っているって凄いな」
「トランク一つで宛てのない旅に出る物語があるけど、私は学生鞄一つで世の中を渡れるの」
「服も入っているの?」
「全部。下着も歯ブラシも何でも」
「魔法の鞄ってわけか」
「そうね」

 家の前に近づくと、俺はハッとした。
 台所付近に明かりが(とも)っている。トントンと音がするが、あれは妹が夕食の準備をしている音だ。
(しまった、妹の許可を得ていない!)
 どうしようかと迷ったが、緊急事態を説得するつもりで玄関をくぐった。
「ただいまー!」
 動揺を抑えるためわざとらしい声を出すと、それを聞いた妹は台所から顔を出してニコッと笑う。
「お帰りなさい」
 妹はセーラー服の上に割烹着を着たいつもの姿だ。
 イヨは「ごめんください」と言って玄関に入ってきた。
 それを見て、妹は俺を睨み付けた。
「誰連れてきたの?」
「ちょっと訳あって、しばらくここに……」
 イヨは俺の前に出て、「私から説明します。」と言って1、2分で事情を説明した。
 小説を書いていること、人前に出ない主義だがそれを探し出そうと家までつけられていること、今家の周りが取り囲まれているから(かくま)って欲しいこと。
 もちろん、肝心な話には触れなかった。

 妹はしばらく考えていた
「迷惑な人達がいるものね。警察にでも頼んで追い払えばいいのに」
 それも一案だが、小説の騒ぎが収まるまでには1ヶ月以上かかる。
「顔を見られたら困るから追い払っても駄目だ。1ヶ月。1ヶ月経てば(ほとぼ)りが冷めるはず。それまで(かくま)ってあげたいんだ」
「1ヶ月も!? 物価が高いから1人分の食費は出せないわ」
 イヨは頭を深々と下げる。
「お金ならあります。自分の食費は自分で何とかします」
 しばらく妹は下を向いて考えていたが、ゆっくり顔を上げた。
「いいわよ。1ヶ月ね。自分のことは自分でしてください。ただし、掃除、洗濯、炊事も手伝ってね」
「ありがとうございます」

試練の道

 イヨは次の日から学校にも登校しなくなった。
 身賀西(みがにし)という名前は珍しいので、学校の生徒にいると分かれば、今度は学校に張り込まれる。
 登校時に捕まるかも知れない。そういう最悪の事態を警戒したからだ。

 彼女の部屋は、ダイニングルームが宛がわれた。
 彼女の日課は、朝5時に起床し8時まで執筆、それから学習と読書と家事の手伝い、17時から23時まで執筆と、時計のように規則的だった。
 時間が来たら、文章の途中でもピタリと()める。
 途中まで書いた尻切れトンボのような文章を放置しないで、もうあと一寸なら最後まで書けばいいと思うのだが、彼女は8時と23時の時計の長針が0を指した途端、必ず筆を置くのだ。
 その潔さには恐れ入る。
 原稿は万年筆で書いているが、ほとんど修正した形跡がない。これは漫画以外活字本には興味のない俺でも凄いことだと思った。作家と聞くと、何度も書き直して原稿用紙を丸めて放り投げる姿を想像していたからだ。

 彼女は 中学1年から推理小説、冒険小説、時代小説、SF小説、ファンタジー小説を2冊ずつ書いていて、今は恋愛小説を書いているという。
 中学2年の時の初出版に際して、旧作は全面書き換えて出版したらしい。
 問題となったのはSF小説の2作目とのこと。
 SF小説の地震予知のことは、彼女は大嘘だと言ったが、本当は未来人と交信して未来の出来事を警鐘として書いていたのではないか。
 そう思うと、彼女が時々左手で頬杖を付いてブツブツ言っているのだが、左手に隠し持っているマイクで未来人と交信しているのではないかと疑えるのだ。

 彼女は執筆している最中は一切口をきかない。
 背中に鬼気迫るものを感じるので、こちらも何も言わなかったし、近寄ることもしなかった。
 彼女は時々天井を見つめているが、急に一気に書き始める。手が止まると、今度は頭を抱えてジッとしている。
 息を止めているのではないかと心配するが、突然堰を切ったように書き始める。

 そんな彼女は家から一歩も外に出ないので、インクや原稿用紙の買い出しは俺が手伝ってあげた。彼女の役に立っていると思うと、この種の手伝いは何も苦にならない。
 漫画の場合はアシスタントがいるが、彼女の場合はこの俺がアシスタントである。と言っても原稿には何も触れず、付き人みたいだが。

 机に向かっている時は飲食厳禁なので、差し入れも不要だ。
 23時までにお湯を沸かしてちゃぶ台の上にお茶とお菓子を用意(セッティング)するだけで良い。
 お菓子を美味しそうに頬張り、お茶を啜る彼女の姿は可愛い。
 この彼女の指先から壮大なストーリーが書かれていくのかと思うと、畏れまで感じる。
 寝るまでにちょっとした世間話をするのだが、深夜に及ぶ。このため、妹に『眠れない』と怒られるので、小声で話すことになるのは残念だった。

 今書いている恋愛小説のネタはどうしているのか聞いてみたら、彼女は真っ赤な顔をして答えてくれなかった。
 想像でどうやって書くのか気になって詮索してみたが、茹で蛸のように顔が赤くなるので、気の毒になって聞くのをやめた。
 もし『好きな人は?』なんて質問したら、彼女は卒倒したかも知れない。

 あるとき、彼女が風呂に入っている隙に、悪いと思ったが、書きかけの原稿を見せてもらった。
 原稿は裁縫台の上にある。その脇によけている2、30ページ分の原稿が大きな罰点の文字で消されている。没ということだろう。彼女にしては、没は珍しい。
 裁縫台の上の原稿は整然と書かれている。清書のように修正がない。
 その原稿の1ページ目を読んだ。
 劇的な始まり。
『この先どうなるのだろう』とグイグイ引き込まれる。
 脇目を振る隙を与えない。
 思わずページを(めく)った。
 しかし、新作の恋愛小説をこれ以上読んでは悪いなと思ったので戻そうとすると、(めく)った1ページ目の裏に何か書かれていることに気づいた。
 裏返すと以下のように書いてある。

  マモルさん → 私
   ↑↓  ✕  ↑
  妹さん  ← 悪者、偽善者、恋敵

 見てはいけない物を見てしまったような気がして、慌てて原稿用紙を元に戻し、端を揃えた。

 ある日、俺は珍しく早めに学校を出た。イヨの好物のコロッケを買うためだ。
 彼女が喜んでコロッケを頬張る姿を目に浮かべ、ちょっとニヤけながら家に向かった。
 家まで20メートルくらい手前の所に来た時、玄関の前に数人の人影が見えた。
 学ラン姿が二人、ブレザー姿が三人。全員うちの学校の生徒である。
(誰だ、あいつら?……もしかして、隠れ家が見つかったか!)
 俺は駈けだした。
 すると、玄関が内側から開いた。
 妹は今日遅いから、開けたのは彼女のはずだ。
 その途端、五人が我先にと中へ雪崩れ込んだ。
(ヤバい!!)

 俺はダッシュして、開いたままの玄関から中に入り、ダイニングルームへ飛び込んだ。ただならぬ物音で中にいた連中は一斉にこちらを見た。その中に怯える彼女もいた。
「誰だ、お前ら! 人の家に勝手に上がり込むな!」
 俺の剣幕に、中央にいた縦ロールの髪型の女生徒が扇子を片手に(にこ)やかに笑う。
「あら、御免あそばせ」
(あ、廊下で見かけるお嬢様だ。とすると、こいつらはお嬢様とその取り巻きか?)
 イヨは「妹さんの友達と言うから玄関を開けたら、急に入って来られて」と言う。
「お前ら、騙したな!?」
「いえいえ、そうでもしないとこの緊急事態に扉を開けていただけませんから」
(緊急事態? 何を知っているのだろう)
北国分(きたこくぶん)! 玄関を閉めていらっしゃい!」
 北国分(きたこくぶん)と言われた恐ろしく背の高い男子生徒は「ハッ! 会長!」と言ってすぐに玄関を閉めに行った。
(会長? こいつが?)

 命令した女生徒は縦ロールの髪をユラユラさせながら軽くお辞儀をする。
「このようにわたくし共がご自宅まで押しかけてしまいまして、ご無礼のほど大変失礼いたしました。実は、イヨさんの緊急事態に生徒会も黙って見てはいられなくなりましたものですから」
「……」
「わたくしを覚えていらっしゃるかしら? 生徒会長の蛾余島(がよじま)ルイですわ」
「ガヨジマ ルイさん? 覚えがない」
「一応メンバーをご紹介いたしましょう。こちらが副会長のメグミ、書記のルミ、会計の北総(ほくそう)、玄関にいるのが会計監査の北国分(きたこくぶん)
「俺は-」
「存じ上げておりますわ、鬼棘(おにとげ)マモルさん」
「たぶん、いろんな意味で有名でしょうが」
「それはもう。マモルさんが兵隊さんと大喧嘩された時などは、わたくし共も事情徴収されました」
「あの時のことは、記憶喪失なので覚えてなくて。……ところで、なぜここが分かった?」
「イヨさんが学校に来なくなったので、イヨさんの彼氏のところに同棲していらっしゃるのかしらと」
 同棲という言葉を聞いて顔が熱くなった。

「そういう仲ではなくて。ちょっと事情が」
「全部分かっておりますわ。もちろん、イヨさんのペンネームも」
 イヨは目を丸くした。俺も同じだった。
(何でもお見通しってやつか……)
 ルイは右手に扇子を持ち、それで左の手の平をリズミカルに叩きながら言う。
「ところでさっき行ってきましたけど、イヨさんの家の周り、凄いことになっていましたわね。イヨさんは顔出しされていないですし、家も極秘ですから、あれは熱狂的なファンのはずありませんわ」
「ストーカー。妄想家の類いだ」
「あの人達のお話では、後1ヶ月で巨大地震が来るそうです」
「絶対に来ない。あれは大嘘」
「分かっていますわ。あの作品、誰が読んでもあの頭文字を拾えば『大嘘』って読めますのに。普通なら冗談みたいな話で済ませるところを、こういう世の中ですから、ちょっとおかしな方向に考えが行ってしまわれる方々が少なからずいらっしゃいます」
 俺は床に座って、吐き捨てるように言う。
「そんな連中のせいで家に近づけないなんて馬鹿げた話だ!」
「本当、馬鹿げたお話ですわ」
「それで、ここで(かくま)っているというわけ。1ヶ月経って巨大地震が起こらなければ、連中も馬鹿なことしたって目が覚めるだろう」
 ルイは扇子で俺を指す。
「ところが、そうも言っていられない事情があるのですわ」
 ルイはイヨの方を振り返る。
「ねえ? イヨさん?」
 呼ばれた彼女は下を向いて黙っている。
「イヨさんは、後方支援部隊に赴任するため、明後日の壮行会で全校生徒の前にお顔を見せた後、すぐ軍の車に乗る必要がありますの。ここにずっと隠れていらっしゃるおつもり? 隠れていらっしゃると、命令違反で営倉行きですわ。いいえ、まだ軍人ではありませんから牢獄行きですけど」
(初めて聞いた)
 俺は固まって言葉が出なかった。もちろん、当の彼女も黙ったままだ。
 ルイはふぅと溜息を付く。
「イヨさん。マモルさんはご存じないみたいですわ。なぜ黙っていらしたの?」
「それは……それは……」
 彼女は目に涙をためた。
「お気持ちは分かりますわ。死神ってヒドいこと言われて。行く先々で誰かが傷ついて。今度の赴任先でまた誰かが、と思ったのでしょう?」
 彼女は目を閉じて頷く。両目からは涙が(あふ)れた。
 ルイは再びふぅと溜息を付く。
「さて、メグミ? 名案は?」
 メグミと呼ばれた女生徒は目を白黒する。問いかけは予想外だったのだろう。
 ルイは扇子でメグミの頭をビシッと叩く。
「名案は!?」
「はい! 会長!」
 でも名案は出なかった。

 ルイが重苦しい沈黙を破った。
「仮に任務に就くといたしましても、学校で全校生徒の前に立つのはそろそろ危険でしょうし、さらに赴任先にまであの変な人達が紛れ込んでいると厄介ですわ。何か良い方法がありませんかしら?」
 しばらく沈黙が続いた。遠くの方で豆腐屋の呼び声が聞こえてきた。また沈黙が続いた。
(彼女を助ける……助ける……このまま行かなければ助かる……行かなければ)
 俺はハッと閃いた。閃いたことをすぐに口にした。
「その任務って、誰かと交代できる?」
 ルイはそれまでリズミカルに動かしていた扇子を左の手の平に置いたまま眉を八の字にする。
「交代ですって?」
「そう、交代」
「まあ……わたくしの権限で校長先生の許可をいただければ出来ないこともないかと思いますわ。軍は正直、健康であればどなたでもよいのですから。で、交代はどなたと?」
 俺は深く頭を下げた。
「俺が行きます! お願いです、彼女と交代してください!」
 ルイは少し考えてから口を開いた。
「分かりましたわ。掛け合ってみましょう。……それから、イヨさんはわたくしの家で預からせていただきますわ。ボディガードがたくさんおりますの。明日お迎えに参りますのでそれまでにご支度を」

 その日の夕方、妹は俺に抱きついて大声で泣いていた。生徒会の連中は納得して帰って行ったが、一番納得しないのは妹だった。
「もしものことがあったらどうするの! 私の家族はお兄ちゃんだけよ! 行かないって言って!……やめるって言って!……なかったことにして!」
 ワンワンと泣き止まない妹を説得するのに2時間かかった。
「……死んじゃ、いや!」
「大丈夫。後方支援部隊は戦闘にならない。俺は必ず帰ってくる。約束する。絶対だ」
「でも……でも……でも……」
「マユリの写真を一枚くれないか? お守りにするから」
 妹は涙でクシャクシャになった顔をこすりながら自分の部屋へ行った。
 しばらくして、写真を1枚胸に当てて持ってきた。
「これ、私の一番のお気に入り。綺麗に撮れてるでしょう?」
「ありがとう。大切にするよ」
 俺はヘルメットの裏に貼り付けるつもりでいた。
 イヨは涙も涸れた泣き顔で言う。
「……ゴメンなさい……私のために……なんて言えば」
「大丈夫。1ヶ月で休暇が出るらしい。その時は小説の嫌疑も晴れているだろうし。一緒にお祝いできるさ」
 閃きに任せて決めてしまったが、後悔はしていなかった。

いざ、出陣!

 翌日の午後、学校で壮行会のポスターの張り替え作業が行われていた。
 剥がされていない方を見ると以下の四名の名前があった。

  歪名画ミイ
  品華野ミキ
  品華野ミル
  身賀西イヨ

 イヨ以外は見たことがあるような気がする名前だが、どこでその名前を見たのか覚えていない。
 新しく張られる方を見ると以下の四名の名前があった。

  歪名画ミイ
  品華野ミキ
  品華野ミル
  鬼棘マモル

(いよいよ、か)
 俺はポスターを手でパンパンと叩いた。壮行会は明日である。

 当日の朝になった。
 妹は笑顔で送り出してくれた。
 悲しみを(こら)えているのは痛いほど分かる。
 任期は2ヶ月。それが妹にとって倍以上の長い時間に感じることも分かる。
 敬礼の真似でもしようかと思ったが、普段通りに「行ってきます」と言って玄関を出た。
 荷物は着替え等最低限である。妹はその荷物が入ったバッグに新しく買った中古の携帯電話を入れてくれた。電話帳登録は妹任せである。
 1ヶ月経つと3日の休暇が出るので、その時に連絡して、と妹は言う。
 ちなみに、赴任先では携帯電話のような電子機器は一時預かり名目で没収され、休暇と任期満了の際に返される。

 一時限目の授業を潰して、講堂に全校生徒と全職員が集められた。
 壮行会の始まりである。
 舞台の袖に俺達四名が集合した。他の三名は俺と目を合わさない。
 孤立している感じが半端なかった。

 女教頭が舞台の右側で司会進行をする。
 名前を呼ばれたので、俺達四名が袖から舞台の中央に出た。
 ライトが(まぶ)しくて熱い。
 俺が登場すると講堂内がザワザワしていた。

 全員一礼すると、舞台の左側に立つように言われた。
 お互いにどのくらい距離を置いてよいのか分からない。
 三人は、くっつかんばかりに距離を縮めて立った。俺は二人分の距離を置いて立った。
 痛い視線を感じた。全生徒がこちらを見ているようだ。
(それより、なんで俺達、椅子がないんだ? あいつら座っているのに)
 一番手前の奴なんか、足を広げてくつろいでいる。貧乏揺すりしている奴もいる。ガムか何か食っているのか、口をモグモグさせている奴もいる。扇子で扇いでいる奴もいる。自由な奴らだ。

 校長の長い話は退屈だった。
 激励の言葉は有り難いが、話はどんどん脱線するので何が言いたいのか分からず、眠くなる。
 それは講堂内の連中も同じだった。あくび、居眠り、おしゃべり、何でもありだ。
 それを見ているのも飽きたので、斜め上の天井をボーッと見て時間が過ぎるのを待っていた。

 次は生徒代表の挨拶だった。
 最初名前が紹介されたとき眠かったので何という名前かは聞き損ねたが、舞台の袖から大きな人形を手にした背の低い女生徒が出てきたのには心底驚いた。
(あの<小学生>が全校生徒代表!?)
 こういう場でも人形を持ち歩いて教師からお咎めなしとは恐れ入る。
 壇上ではさすがに人形を持ちながら話は出来ないだろうと思ったら、持ったまま話を始めた。
「全校生徒より贈る言葉!」
 全文暗記しているらしい。
 アニメの少女の声で淀みなく贈る言葉を読み上げる。ただただ呆気にとられるしかなかった。

 苦行のような壮行会がお開きになると、軍服なのかよく分からない濃い緑の服に着替えさせられた。
 あてがわれたヘルメットの裏側を見ると、丸い紐とヘルメットの内面との間に写真を挟めそうな隙間があったので、そこにマユリの写真を挟み込んだ。しっかり、テープで留めた。
 それから荷物を持って昇降口に向かった。後の三人は先に昇降口にいた。ここでも彼女らは目を合わせなかった。顔色がほんのり赤いような気もする。
(俺、何かしたっけ?)
 全く身に覚えがなく、先行きが不安である。

 校庭では、幌のかかった軍用トラック1台と小さな軍用車両が2台止まっていた。
 兵士も何人か立っている。
 今からこの軍用トラックに乗り込むのだ。
 近くまで教師達が見送りに来てくれた。それ以外、生徒の見送りも家族の見送りもない。
 荷台に足をかけようとすると後ろから、「よっ、君か。久しぶり」と聞き覚えのある女の低い声がして肩を叩かれた。
 声の方を振り向くと、軍服姿が決まったサイトウ軍曹だった。
 久しぶりの再会である。
 どこかの歌劇団の男役にいそうなキリッとした姿は健在だ。ただ、ちょっと左手を怪我しているらしく、包帯が巻かれていた。
 横にいる小柄な女兵士は、今までチラッと見ただけで今回初めて正面からジックリと見たが、甲高い声のカトウのはずだ。

 サイトウ軍曹は拳で俺の肩をグイッと押す。
「何やらかした?」
「いいえ、何も」
 彼女はニヤッと笑った。
「好き好んでこれに志願する奴はいないが」
「いいえ、志願しました」
「ほほう、それは頼もしい」
 カトウが甲高い声を上げる。
「軍曹! 出発の時間です!」
(この声、懐かしい~)
「よし!」
 そう言ってサイトウ軍曹は、トラックの後ろに待機していた軍用車両の助手席に颯爽と乗り込むと、「行くぞ!!」と号令をかけた。
 全車両のエンジンが唸る。
 俺は慌ててトラックの荷台に滑り込んだ。

--(5) 第五章 救出編に続く

並行世界で何やってんだ、俺 (4) イヨ編

並行世界で何やってんだ、俺 (4) イヨ編

ミイとミキを救出するため、俺は並行世界の過去に飛んだ。しかし、二人と出会うより先に未来の小説家イヨに出会ってしまった。彼女の壮絶な過去を知った俺は、彼女の救出に奔走する。果たして、イヨの救出が二人の救出につながるのか。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-09-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 運命の岐路
  2. 悪い死神と良い死神
  3. 迫り来る危機
  4. 試練の道
  5. いざ、出陣!