いたずら

「シンゴ！あんたいつまで漫画読んでるの！？さっさと宿題終わらせちゃいなさい！」
「ぎゃはははは！へーい」
「あんた来年から中学生なんだからね！いちいち言われなくても自分でやりなさい！」
「なははははは！へーい」
　ウチの息子は、とにかく勉強が嫌いだった。
　テストでは５０点より上を取ってくることの方が珍しく、半年後に中学校入学を控えて、さすがに担任の先生も心配し始めたくらいだった。
「あんたはいつも返事ばっかりじゃないの！だいたいね———」

　ピンポーン

　いつものお説教を始めようとした矢先、玄関のチャイムが鳴った。
「母ちゃん、お客さんだよ」
「わかってるわよ！また来るから、ちゃんと宿題やってるのよ！」
「うわっはっは！へーい」
　私は、後ろ手で思い切りシンゴの部屋の戸を閉めると、大股で玄関へ向かった。
「はーい」
　いつものようにしっかりと声色を切り替えて、玄関を開けると・・・
「トリック オア トリート！」
　意味のわからない言葉を発する、小さなかぼちゃのオバケが二人、立っていた。正確には、笑っているオレンジ色のかぼちゃのお面をかぶった子どもが二人、立っていた。
「・・・とりっく、なに？」
「トリック オア トリート」
　私が訊くと、一人の子がさっきよりもゆっくり言った。
「それ英語よね？どういう意味なの?君たちはどこの子？」
「お菓子くれなきゃ、いたずらしちゃうよ」
　今度はもう一人の子が言った。
「お菓子？ちょっとおばさんにはわからないなぁ」
「お菓子、くれないの？」
「ごめんね、お菓子ちょうど切らしちゃってて」
　それは本当の事だった。
「じゃあ、いたずらしちゃおう」
「うん、いたずらしちゃおう」
「え？」
　二人はお面の顔を見合わせながらそう言うと、お互いポケットから紫色の風船を取り出した。器用にお面の内側風船を入れると、にその場でプーッと膨らませた。そして———

　パンッ！

「きゃあ！」
　私の顔の前で同時に割った。予想外のいたずらに、私は年甲斐もなく恥ずかしい悲鳴をあげてしまった。
「こらー・・・って、あれ？」
　すると、もう玄関には誰もいなくなっていた。
「・・・変な子達」
　私は首を傾げながら、シンゴの部屋に戻った。
「シンゴ、ちゃんと宿題やってる？」
「宿題？」
　私が部屋に入ると、シンゴは机についたまま、振り返らずに言った。
「母ちゃん、さっき宿題しなさいって言ったでしょ？」
「母ちゃん？宿題？・・・母さん、何の事言ってるんだよ」
「・・・か、母さん？」
　こそばゆい呼ばれ方に、急に鳥肌が立った。
「模試の追い込みで忙しいんだから、冗談遊びならよそでやってよ」
「・・・も、模試？？」
「来週の全国統一模試だよ」
「・・・あんた、さっきから何言ってんの？」
　私があんまり口うるさく言うものだから、シンゴが変なこと言って嫌がらせでもしているのかと思った。
「母さんこそ何言ってるんだよ。いいから邪魔しないでくれよ。今回こそ全国５位以内に入るんだからさ」
　全国模試なんて、受けさせたはずはないし、”あの”シンゴが受けるはずがない。けれど、その声は間違いくシンゴのものだったし、その後ろ姿も間違いなくシンゴのものだった。
「・・・」
「勉強の邪魔はしないでって、いつも言ってるじゃないか」
　シンゴは勉強が嫌いで———
「・・・」
「母さんはいつも返事ばっかりで」
　漫画ばかり読んでいて———
「大人なんだから、いちいち言われなくてもわかるだろう？」
「・・・」
　いつも私に叱られている———　
「・・・あれ？」
　いや、違う違う。シンゴは前回の統一模試で全国７位だった。それが悔しくて、あれからずっと勉強を頑張ってきたのだった。
「そう、だった。ごめんね。母ちゃ・・・じゃなくて、母さんちょっとボーっとしてたみたい」
　そうそう、シンゴの勉強の邪魔をしてはいけなかった。そういつもシンゴから口うるさく言われていたのだった。
「じゃあ、頑張ってね。母さん、応援してるからね」
　私はシンゴの部屋の戸を、静かに閉めた。
　私が勉強好きの息子にしてあげられることは、邪魔をしないことだった。

　そうして、その日もシンゴは夜遅くまでずっと部屋で勉強していた。私はいつも通り部屋までご飯を運び、ご飯を下げ、その他の時間はずっと静かにしていた。
　次の日も、またその次の日も、シンゴは寝る間も惜しんで勉強を続けていた。もちろん私も、シンゴの邪魔にならないようにずっと静かにしていた。声をかけるなんて、出来るはずがなかった。

　気が付けば、もう何日もシンゴと一緒にご飯を食べていない
　気が付けば、もう何日もシンゴと話をしていない
　気が付けば、もう何日もシンゴの笑い声を聞いていない

　それでも構わない。だって、シンゴが模試で５位以内に入って喜ぶ顔を見たいのだから。それこそが、母親である私の、最高の喜びなのだから。
「・・・ねぇ、シンゴ」
　それなのに、私はまた我慢ができなくなっていた。
「何？邪魔しないでって言ってるじゃないか」
　またシンゴの邪魔をしてしまい———
「母さんはいつも返事ばっかりで」
　またシンゴに邪魔をしないでと叱られる。邪魔を、しないで、と。
「・・・あれ？」

　———邪魔、って、なに？

「・・・ねぇ、シンゴ」
「何？」
「・・・たまには、一緒にご飯食べない？」
「いいよ。時間がもったいない」
　違う。シンゴはこんなこと言う子じゃない。私の作る唐揚げが大好きで、お父さんの分まで食べてしまって、いつも私に叱られるような子だ。
「・・・たまには生き抜きに出かけない？一緒に買い物行く？」
「いいよ。時間がもったいない」
　違う。シンゴはこんなこと言う子じじゃない。私の買い物に付き合ってお手伝いをすれば、お菓子や漫画を買ってもらえるからって頼まなくてもついてきて、勝手に荷物を持ってくれるような子だ。
「・・・ねぇ、シンゴ」
「何？母さん」
「・・・あんた、誰？」
「・・・」
　その時、ずっと机に向かって背中を向けていたシンゴが、初めて私を振り返った。
「ッ！？」
　思わず私は息を飲んだ。その顔には笑っているオレンジ色のかぼちゃのお面がかぶされてあった。そして———
「トリック オア トリート」

　パンッ！

　どこかで聞き覚えのある声と、どこかで聞き覚えのある音がした。
「・・・あれ？」
　私は一人、玄関に佇んでいた。目の前には誰もいない。そういえば、誰かがいたような、いないような。誰かと話していたような、いないような。誰かに何かをされたような、されないような。ずごく嫌な夢を見ていたような、いなかったような。
「・・・あれぇ？」
　頭の中に濃～い霧がかかった、そんな気分だった。
「どわっはっは！」
　そんな私のもやもやを、シンゴの部屋から響いた豪快な笑い声が一瞬で吹き飛ばした。
「シンゴー！あんたいつまで漫画読んでるのー！！」
　気が付けば、私は大股でシンゴの部屋へ向かっていた。

お題【優秀な反逆】　必須要素【ハロウィン】　にて