Biblioteca 02
エミリーがそのきてれつな少年と面識を持つようになって、まだ一ヶ月も経っていない。
最初に会ったのは雨の降る夜だ。不幸にもブーツの中に通りすがりの自動車の水しぶきが入って、たいそう不快な思いをしたので覚えている。
その夜も石畳の道の途中で例の小鳥を目撃し、エミリーは小鳥について行った。雨が降る暗い夜道に浮かび上がる白は幻想的で美しく、疑問や自分の幻覚ではないかと思う余地もなかったように思う。
一度目は小路に入った瞬間に星空が周りを包み込んだ。上も下も夜空の星ぼしが浮かんでいて、しかし足はしっかりと地面らしきものを踏みしめて小鳥の進路を辿っていた。次に瞬けば、目の前にはすでに店のドアがあった。
開くとあの空間はそこにあって、けれどその時の少年はちゃんとエミリーを待ち構えていた。一見はなにか違う気配がするのだろうか。そこはよく知らない。
いらっしゃいませと微笑んだ少年は、エミリーに簡単な説明をした。
ここは物語を書く書き手のための店であること。
お金はとらない代わりに、客の書き手が同意すれば、客の書いた物語を頂戴していること。
来たい時にいつでも来れること。
最後に、と言って少年は持っていた木箱からエミリーへ栞を差し出してきた。『初めてのお客さまには必ずお渡ししているものです。決してなくしたり、破ったりしないでください。替えはありません』
『これは?』受け取らずにエミリーが訊ねた。
『店を呼びたい時にこの栞を手に持つと――』少年がエミリーの右手に栞を持たせた。
持った瞬間、紙で出来ていた筈の栞が上から徐々に濃煙となって手から離れ、その煙から一羽の鳥が羽ばたき現れた。
『店の中なので今はこれで出てきてくれますが、外にいるときは店に行きたいとちゃんと思いながら手にして頂かないといけませんので、悪しからず』
あっけに取られて栞から姿を見せた鳥を凝視する。
少年の側を離れない白い小鳥よりも大きい。その黒と白のコントラストと、翼にかかる深い青の端にちらりと染まる緑の見事なグラデーションは、昨夜も写真で見ていたとある烏と似ていた。
『Eurasian magpie』
少年が微笑む。
『お好きなんですね』
二度目に店を訪れて判ったが、エミリーが望まずとも少年の白い小鳥と居合わせる機会があれば店へ行く手だてはあるらしい。
「だったら栞は必要ないんじゃない?」
エミリーは用意された椅子に座って言った。「こんなに早くまたここに来るとは思わなかったもの」
少年は塔の上から応えた。「あなたは運が良かった」小鳥の囀りが届く。「彼女が同じ場所に赴くことは今までありませんでしたから」
「でもあったわ」また囀り。
「もうないでしょう」少年が笑った。「二度と行かないと言っています」
エミリーは気まずそうに頭を掻いた。
「もしかして彼女怒ってる?」
「いいえ、恥ずかしいだけのようです」
安堵して小さく息をついた。
傍らのテーブルに置いていた本を手に取ろうとしたエミリーに「あなたは」少年がまた声をかける。
「栞、お気に召しませんでしたか?」
「いいえ」
本の側に添えていた栞を持つ。煙があがる。
烏が羽ばたくのを見ながら口許をゆるめた。
「とっても気に入ってるわ」
それは良かったです。少年のほっとした声がした。
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