歪な薔薇⑦

僕は何もわかっていなかった。
何も、わかっていなかったんだ。

目覚める瞬間、何かが割れるような音が聞こえたような気がした。
しかし寝起きでぼんやりとした頭は、夢だろうとそれを片付けた。

僕が体を起こすと由奈はとなりの布団でまだ寝息をたてていた。
由奈を起こさないように、静かに着替えを済ませると、洗面所へ行こうと廊下に出た。
顔を洗い、歯を磨くとさっぱりとして気分がよくなった。
洗面所の窓を開け、外気を吸い込む。
涼しいけれど、どこかもう真昼の暑さを孕んでいる気がした。
 
階段の下で暁仁兄さんと会った。
兄さんは手にちりとりを持っていて、その上には山盛りの、鋭いガラスか何かの破片がたくさん乗っかっていた。
「それ、ガラス?」
「いや、鏡だよ」
 
そう言うと暁仁兄さんは台所の方へ行ってしまった。
僕も何の気にも留めずに部屋に戻った。
 
六時ごろリビングに行くと、朝ごはんが作られている最中だった。
部屋にはトーストの焼ける香ばしい匂いが漂っている。
暁仁兄さんが台所でてきぱきと働いていた。僕は台所に行くと兄さんに何かできることはないかと尋ねた。

「じゃあ、飲み物出してくれる」
伯母さんはトマトジュース、暁仁兄さんと伯父さんはコーヒー、梓姉さんはココア、僕たちは牛乳というように、それぞれ飲む物が違っていた。
僕は誰が何を飲むかを頭の中に叩き込むとそれぞれを作り出した。
 
流しの上に花柄の小さなお盆が乗っかっている。
僕はそこに、できたてのアイスココアを乗せた。
グラスの中の氷がからんと音をたてて揺れた。
 
暁仁兄さんがお盆を持って二階へ上がると、僕たちは朝食を食べ始めた。
静かな食卓だった。和子伯母さんはソファに寝そべりながらトマトジュースを飲んでいる。
 
目玉焼きをつついていたら、男の人がやってきた。
伯父さんだ。帰りの遅い伯父さんとは夕べ会うことができなかった。
「やあ、おはよう」
伯父さんはにっこりと微笑んだ。柔和な笑顔だ。僕は思わず立ち上がり挨拶した。

「おはようございます。このたびは…」
「ああ、いい、いい、堅苦しいのはなしにしようじゃないか。杏子さんのことは大変だったね。きっと元気になるんだから、あまり悲観するんじゃないよ」
 
僕の心は春風が吹いたようにあたたかくなった。
母さんのことを、僕たちのことを心配してくれた伯父さんの優しさが嬉しかった。
母さんのことはずっと、今でも心配で仕方ないし、不安でたまらない。

「ありがとうございます」
僕は頭を下げた。
「梓とも仲良くしてやってほしい。中学を卒業してからずっと家にこもりっぱなしでね、暁仁以外の誰にも心を開こうとしないんだ。昔は素直な、いい子だったんだがね。梓は、私や暁仁とは血のつながりはないんだ。和子の連れ子でね。でも私は本当の娘だと思っているよ」
 
初耳だった。十年前に来たときすでに伯父さんも暁仁兄さんも家にいたし、そんなこと考えてもみなかった。
突然、大きな声がした。甲高い叫びのようなその声は、梓姉さんのものだとすぐにわかった。
「さっさと行けよ…あたしのことなんてほっとけよ…」

食器の倒れるような音も聞こえた。
僕と由奈が耳を澄ましていたが、聞こえたのはそれだけだった。
「梓は、癇癪もちでね。こういうのはよくあることなんだ」
 
伯父さんはそう言うと、自分の分の食器を台所へ持っていくと、そのままリビングを出て行った。
間を置かずに暁仁兄さんが降りてきた。

「梓姉さん、どうしたの?」
僕がそう尋ねると、暁仁兄さんは困ったように笑い、
「気にしないで、よくあることだから」
と言った。僕は途方にくれてしまった。

歪な薔薇⑦

歪な薔薇⑦

壱星は相楽家に来た翌日、仕事で遅く、昨日会うことのできなかった伯父と再会する。 伯父との会話で、梓と暁仁には血のつながりがないことを知り驚く。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted