自然体は乱反射する
Twitterでの創作版深夜の真剣文字書き60分一本勝負参加作品。大幅に遅刻してすいません……小説を書くことを現在リハビリ中です。
9月15日のお題【乱反射】をお借りしました。
悩む事を、無駄だと言わないで。
――報われなかった想いというのは、処理する時が意外に難関だ。
カラン、とアイスコーヒーの氷が溶けて音を立てた事でやっと現実に少し心を戻した僕は、手元のタブレット端末の画面から視線を上げて前方を見た。
自分の席はレジの目の前の1人席だ。お中元にどうぞ、とリキッドタイプのアイスコーヒーが3、4本程入ったギフトのコーナーの先にはカウンターの席があり、その先はガラス一枚を隔てて外の世界だ。駅前の立地だからか、自動ドアが開閉する音は絶え間ない。
流れるように人が過ぎる中で、ふらりと知らない誰かがこのコーヒーショップに入ってくる。それを見ながらただただ小説を書くことが楽しかった昔を想い、少し前までそれを忘れていた自分の状況も振り返って少々落ち込んだ。
(筆が進まないなあ)
今日は久しぶりの休日だ。一人で珍しく出歩いている。と、言っても長くはいられない。今は隣の県に住む親戚のご機嫌伺をした帰りで、本当は家に帰ろうと思っていたのだが何となくガクッときてこの店に入ってしまった。他にも休むところがあるのにこの店にしたのは高校生の頃からこの系列のコーヒーショップを僕が気に入っているからだ。このグループ会社は色々な名前でカフェを出しているが、大体入っている。楽しい思い出よりは、苦い思い出をしたときに良く利用していた記憶がある。コーヒーの苦みと一緒に色々噛み締めた事を覚えていてそれが辛くないわけではないけれど、そういう経験は大事だったと思っているから、僕にとっては大事な場所だ。それに加えて僕の移動手段は専ら電車かバスだから、必ず駅に系列店があるのは好ましく、コーヒー豆やリキッドのアイスコーヒーも買うから結構頻繁に利用していると思う。パン党なのでホットドッグやサンドイッチがあるのも助かる。紅茶も気分で飲むからコーヒー以外のラインナップも充実していて良い。交通系ICカードが使えるのも、電車利用の僕には嬉しい親切設計。
(何より五月蝿く無いし)
辛い事を思い出すのに何故此処に来るか、と問われれば答えは一つだ。此処で自分が苦い思いを噛み締めて、消化して、乗り越えたからに他ならない。その糸口があったのだ。僕の心が悩みの解決を図る時、僕はコーヒーショップに入るか、豆を探しにフラフラする。
今日の行動の原因は、単純に最近人付き合いに疲れていてショックなことが重なって心が折れてしまい、今までしていた人付き合いをパタっとやめたからだ。その事は僕に相当のショックを与えていた。筆が進まなくなるほどには。
(せっかくの空き時間なのに)
僕はせっかくの休日に得た自分の為の時間を持て余していた。今まで人付き合いで消えていたものが無くなってやっと自分の時間が出来たというのに、だ。勿体無いこと極まりない。それは溜まったストレス――いや、伝わらなかった想いが行き場を失って、それを無理やり処分したからストレスが溜まったせいだ。
はあ、とため息を吐いてから僕は視線をアイスコーヒーに戻す。冷えたアイスコーヒーを飲みながら、その液体の色と氷の表面を見てああ綺麗だな、と思ってから同時に癖で全く関係の無い事も考える。
(氷って多分透過光だよなあ。でも、今自分が見ているのは乱反射に近い光に見える。この氷、細かいし)
雪やかき氷が白く見えるのは乱反射して居るからだと聞いた事があるから、合っているはずと思う。ミルクもガムシロップも入れないそれを飲みながら昔凍結した細胞を顕微鏡で見ていた時代を思い出した。
――あの時代と同じ気分だ。
僕はどうも周りと見ていることも考えていることも違っていて、人付き合いが苦手だった。
僕はただ、あの頃も今も体力が無くて疲れていて。それでも、自分のその時出来ることをやっていたし、その先も考えていた。先を考えていたから、その場をやり過ごすことは、苦手だった。
(それが間違っていたとは思ってない)
それでも、理解できないと態度に出される事や自分が昔傷ついた言葉や行動を信じた相手に言われたりするのは、結構辛いものがある。同じ意味合いで使われれば、更にその傷は深い。
(……それはきっと、向こうも同じはずだろうし)
知らなくて自分がそうしてしまったことだってあるだろうから、とは思ったものの価値観の違いのようなものは薄々感じていてきっとどれだけ傍に居ても価値観の違いを埋めるのは無理な気もしていたから、自分の忙しさも加味して、様々な人付き合いをやめてしまった。繋がっている人はもう殆どいないし、遠方の人だけだ。実質、今僕は一人である。
周りから見れば僕の人生は寂しいように見えるのかもしれない。でも僕から言わせると意外に今は幸せである。
今までに溜まった徒労感や疲れは中々抜けないけれども、自分の時間は得てこうやってコーヒーショップで休憩する位の自由はある。ただ、その時間を生かせていないけれど。
僕の身体は強く無い。仕事を含めて日常生活を営むと限界なのだ、と改めて気が付いた。それではいけないのでは、と思って人付き合いをしたし寂しいとも少し感じたからしばらく自分なりに頑張ってみたけれど、やっぱり自分にはそんな余裕はなかったらしい。酷い徒労感だった。それが抜けないまま体調の悪い親戚にご機嫌伺をしたら、逆に心配されてしまった。地味にそれもショックらしい、と座ってコーヒーを飲んでいる今は感じている。僕はぼうっと見える外の景色の中で人は急ぎ足で過ぎていくのを見つつ、コーヒーショップに居るとガラス越しに見る外の世界に自分は確かに暮らしているけれど、一時的にそこから離れている気分になるのだな、と考える。
(人間はいつだって自分が見たいものしか見ない生き物だ)
自分を含めてそう思う。自分が今見ているものは光の反射で見ているだけに過ぎない。光が無ければ認識すらできない生き物なのに、自分がみたものが全て正しいと思い込むのは人間の業だろうか。皆が同じ反射光を捉えているかなんて誰にも分らないのに。
――何時まで僕は今まで溜め込んだ人付き合いでの疲れをここで抱えているのだろう?
もう様々なアカウントは消したし、端末とPCからはアプリも消した。僕は自由になって、今は一人だ。此処にコーヒーを飲んで休んでいるのに、全然休めていない。好きな小説を思いっきり書こうと考えていたじゃないか。実際にタブレットのメモを開いて書こうとした。でも進んだのはたったの三行。冒頭にすら満たない。もう今まで割いていたことに時間を割かなくて良くなり、今は自由のはず。まだ自作の小説を繋がっている友人にだけ進呈する予定だってあるのに。
「何をやっているんだろ……」
人付き合いは元々疲れるものだ。だから大事な人とだけ付き合うのだ。そんなことわかりきっていた。自分が人選を誤っただけだし、失敗は悪い事じゃない。やり直すときはいつだって一人だけど、それは良い事。そんなことは今までの経験上わかりきっている。それに完全に一人と言うわけでもない。家族もいる、心配してくれる親族も少しいる。天涯孤独ってわけでもないのだから悲観する必要もない。友人も遠方にはいるのだし。
今、僕の繋がっていたい友人は遠くだ。この繋がりも何時まで続くかわからない。でもそれは、近くに居ないから続かないのでは無い。
(近くに居たって、このコーヒーショップに居る人と今すぐ友人になってずっと繋がるかって言うと違うのだし。同じさ)
物理的な距離は心の距離って言うのは確かにそうだと思うが、継続した時間を加味したらまた心の距離の感じ方は違うのではないかな、と思う。要は続くように頑張れる様な心の交流が出来るか、なのかもしれない。
(僕の性格もこの氷みたいだ)
どこからでも見えるのに、表面が滑らかじゃない。細かいでこぼこがあるから、それを綺麗と判断するかは、個人差があるだろう。好き嫌いは、最終的には個人の生きてきた世界の価値観で決まるから好かれようと努力しても、その人の世界を変える位の良い出来事を起こさないと無理なのかもしれない。そんな誰かの世界を変える様な良い出来事を起こすなんて、ストレス発散が上手く行かず原稿も進まないままコーヒーショップで燻っている今の僕には、残念ながら無理な話である。
カラン、ともう一度氷が溶ける音がした。は、と目を凝らせばもうアイスコーヒーを飲み終えて居て、残って居るのは白っぽいけど溶けた部分が透明な氷達。でも、何故か僕は底に僅かに残るアイスコーヒーの雫と、氷の色のコントラストが綺麗に映った。
思わず写真を撮る。なんと無く、納得した。
(なんだ、溶ければいいのか)
表面がでこぼこの、砕けた心が集まる様な氷のような自分の心でも、溶かせばこんなに綺麗だ。それに溶けたら表面のでこぼこは消えるじゃないか。
「……自分に合う、表面を溶かしてくれる何かを探せばいいって事かな?」
誰かの世界を変えてどうするのだろう。何故、他人の世界をいじる必要があるのか、と言う基本を思い出す。僕はいつも僕の世界を変えてきたはずだ。僕の世界――僕は僕が知り得ることを増やして自分の世界を変えてきたはず――と思い出す。他人に求めたって、自分が願った通りに想いが返ってくるわけが無い。自分に応えられるのは、自分だけだ。
(忘れていたなあ)
疲れたり、徒労を感じたり、無駄だったと思うとこうなるのだろうか。いや、多分自分の行き場のない感情をちゃんと処理しきれていなかったのかもしれない。でも、流石にもうそんなことをしていたって何も変わらないのは自覚し始めていた僕は一つ大きく深呼吸をする。
(ストレス発散が上手く行かない事を燻っているより、自分のでこぼこを改善する方法を探して、それがストレス発散になればいいのか)
きっと、そうに違いないと思い至ってから勢いよく僕は自分のタブレットと財布を掴んで席を立つ。メニューを色々見て、食べたいものを考える。今日値段は気にしないでいよう。こういう時にケチっても傷ついた心が癒されるわけはない。
(頑張ったのだから、偶にはいいさ)
毎日自分を褒めているわけじゃない。八ヶ月以上友人づきあいが続いたことは近年で長い方だ。自分にしてはかなり苦手な人付き合いを頑張ったほうではないか、とメニューを見ながら自分を褒める。伝える努力もした、相手の要求にも応えられるように自分の最大限で頑張ったではないか。悩むことはない、ただ僕には――労いが必要だっただけだ。
(無駄じゃあ、無かったさ)
苦手な事を頑張ったことは、無駄じゃない。多少はマシになったはずだ。上手くは出来なくても、それはどこかで役に立つさ、と思ってから食べたいメニューを決める。簡素なサンドイッチとコーヒーのセットだ。期間限定品でも何でもない、常時のメニュー。だけど、僕はこのハムとレタスとざザワークラフトのサンドイッチを食べるのが昔から好きだった。いつの時も。高校から変わらない味覚を少し笑いつつ、辛かった時の慰めと言うのはやはり自分の安心できる好きなものなのだろうな、と思いながら自分の籍の目の前のレジに並んで、注文をした。
「Cセットを1つ。ホットコーヒーでお願いします」
いつもは小さい声で言うのを、最近覚えた癖でなるべくゆっくり言えば意外にはっきりと発音出来て自分でも驚く。店員さんが女性か男性かもいつもは覚えていなかったが、今日は覚えた。女性だ。その人がふんわり笑って丁寧に対応してくれることに若干感動する。人付き合いを頑張った成果はこんな些細な発音かも知れないが、今は良い事だった。丁寧な対応をしてもらえるのは傷ついた僕には有難い。
注文をICカードで済ませてからお腹が急に空いて、自分が空腹だったと気づいてちょっと笑いたくなった。
――そう言えば、このところご飯も頑張って食べていたな。
遊びに行くのに少し健康になろうと料理やら、生活習慣の改善は頑張った。元々眠れないタイプだけど、寝る努力もした。身体の為にと様々控えて自炊をして――でもそのせいか体重は落ちてしまっていた。人付き合いをやめた今は少しだけ太って一定である。多分、ストレスで食べられなかったのだ。
昔から僕はストレスがかると食べられない。苦手なことに向いていないのだ。でも、こんなに人付き合いを自分は頑張ったし、もうそのストレスはないのだからちょっと位食べたっていい。今日は。
(今日はコーヒー豆を買って帰ろう)
セットのパンを待ちながら考える。僕は頑張って疲れて悲しかったのだ。自分の悪い所を見て反省して考え混んでいた。治そうとしていた。そう言う時はまず、今まで頑張っていた部分を認めてから自分の心を向けて次の新しい事に挑戦すべきだ。今みたいに。だって今僕は、疲れが多少軽減し始めてさっきよりはましな状態になっているから、これからの事には今までよりは良い成果が出るだろう。
「お待たせしました、Cセットでホットコーヒーです」
と言われて渡されたセットを貰い席に戻る。タブレットは置いておきたかったが、大事なネタ帳だし、ぬすまれたくなかなかったので持ってきていた。慎重にテーブルに置いてから、ホッとして息を吐いて微笑む。
「腹が空いて戦は出来ぬ、ってね」
僕はストレス発散を上手く出来ないだろう、これから先も。僕は悩んで戸惑って、またコーヒーショップで燻って、何かを見つけて自己完結していくに違いない。
昔を思い出しては凹み、人付き合いで失敗しては凹むのだろうけれど。
(それでも、同じところで止まってはいないのだからいいじゃないか)
悩んで何が悪い。燻って何が悪い。関係ない他人に当たり散らすより、1人でひたすら悩んで落とし所を見つけて、またやり直すことの方が害は少ないでは無いか。考えないで後回しにして、どうにもならなくなってから悩むよりいいに決まっている。
セットのパンに齧りついて、広がる淡い酸味になんと無く、涙が出そうになったが堪えた。泣くのは家にしよう、と思いパンを食べきりホットコーヒーに口をつける。
――原稿は泣いた後だなあ、と静かに瞼を伏せる。
ポロっと少しだけ水滴が目尻から溢れたが、直ぐに乾いた気がした。
自然体は乱反射する
自然に存在するものは表面に凹凸があるので光を当てると乱反射してどこからでも見えるそうです。艶や光沢があるものは光が一定方向に反射しているからそう見えるので、それ以外の方向からは存在が認識できないということになります。どこからでも見えるもの、一定方向から見えるもの……どちらが美しいと感じるかは個人差があると思いますが、時間がたてば研磨されて凹凸がなくなっていくとすれば結局乱反射するものもたどり着く場所は艶や光沢がある美しいものだと考えることができるので、どちらもそのままで美しいと私は思っています。