歪な薔薇⑥
あたしの心にあるこの感情はなんだろう。
暗く深い水の底に沈んでいくような。
薄闇の中に太陽の白い光が混じり始める。
薄く開けた窓から風が入って、あたしの前髪をやわらかく揺らす。
睡眠の足りない頭は、きしきしと軋んでいるようだ。
また眠れなかった。
ここのところずっとだ。眠っては目が覚め、眠っては目が覚め、意識はうつらうつらと現実と夢の間を彷徨っていた。
ああ夏は嫌だ。夏は嫌い。
あたしは体にかかっていた水色のタオルケットを床に落とすと、のろのろと立ち上がった。
黄ばんだ壁紙、くすんだグレーの絨毯。
あたしの部屋は何年も前にその時間を止めてしまったかのようだ。
鏡の前に立つと青白い幽霊のようなあたしが映った。
寝不足で目の下にくまができている。
部屋の中にはわずかな光しか届いていない。
鏡に映ったあたしは影のようだ、と思う。
途端に激しい感情がわきあがる。
きらいきらいきらい、こんなあたし、見たくもない、だいきらいだ。
醜くて、吐き気がする。手を振り上げて鏡をドンドンと叩く。
叫びだしたかった。叫ぶのを我慢していたら涙が出てきた。
あたしは壁に掛かっていた額縁を剥ぎ取ると、鏡に向かって思いきり投げつけた。
鏡はおそろしく大きな音をたてて割れた。破片がばらばらと崩れ落ちる。
気持ちは鎮まるどころか、ますます激昂し、あたしはそこら中のものを手にとっては鏡に向かって投げつけた。
「梓!」
ドアが開き、パジャマ姿の暁仁が飛び込んできた。
床には鏡の破片と、あたしが投げた時計や植木や本なんかが散らばっている
「梓、落ち着いて」
「うるさい!放っておいて!あたしのことなんて放っておいてよ」
拒絶したつもりだったのに、嗚咽のせいであたしの言葉は弱々しく響いた。
CDを投げたらがしゃんと音がしてケースが割れた。
もう投げるものは何も見当たらなかった。
あたしの体は後ろから暁仁に押さえつけられた。
暁仁の匂いに包まれて、あたしは安心すると同時に、途方もなく悲しくなった。
悲しくて胸が痛い。
大声で泣く代わりに、あたしは暁仁の胸に顔を埋めて声を殺して泣いた。
「いかないで」
あたしは懇願するように、濡れた声で訴えた。
「どこにもいかないで、はなれないで」
あたしがそう言ったら暁仁はどこにもいかないよとあたしの体を強く抱きしめてくれた。
あたしには暁仁が必要だ。
でも、暁仁と一緒にいるとあたしの心の中は寂しさでいっぱいになる。
傍にいればいるほど、心の中は寂しさでいっぱいになる。
いっそ本当の兄妹だったらよかったのに。そうしたらきっとこんなに寂しくなることはなかった。
「暁仁、アタマ痛いよ」
あたしは暁仁に抱きついたまま、彼の顔を見上げながら言った。
暁仁はあたしの涙をてのひらで拭うと、
「薬を持ってくるよ、ひとりでいられる?」
と、言った。
あたしは黙って頷いた。ああ、暁仁は優しい。
いつだって、あたしの心が寂しくなるほどに。
「そこのベッドに座っておいで。危ないから」
そう言うと暁仁は部屋を出て行った。
いつの間にか窓の外は明るくなっていた。
汗でびしょびしょになったあたしの髪の隙間を、涼しい風が吹き過ぎていった。
歪な薔薇⑥