携帯電話

携帯電話

かなり以前に短篇&日常ストーリーの練習として書きました。
今なら携帯じゃなくてスマホかな。

Epsode1

「うっわ。ヤバイ」
 美怜は心の中で叫んだ。バッグに入れたはずの携帯電話がないのだ。奥底をまさぐってもない。サイドポケットを確かめてもない。
「そうだ。ベッドに置きっぱなしだった」
 昨日雅也と寝る直前まで話していて、そのままベッドの飾棚に放置したままだったのを思い出した。 
 取りに戻りたくても既に電車の中。途中下車して回収しに行ったら確実会社に遅れるし、いくらなんでもそこまでする必要はない。
「ま、いいか。一日くらい携帯なくても」
 どうにかなるさ。そう思った矢先、急行停車駅で電車が止まり、乗客がぞろぞろ降りてゆく。ちょうど空いた目の前の席に美怜は腰を下ろした。
 ……のはいいけれど、なんとなくというか、かなり手持無沙汰の感が否めない。いつもなら携帯をいじくって電車内での時間を潰していたのだけれど、今日はそれができない。せっかく座れたのになんだか落ち着かない。
「どうしよう……もしかしたら雅也からメールが来てるかもしれない」
 なんで忘れてきたかな! 自分のうっかりさ加減が腹立たしい。携帯依存度甚だしいな、と思いつつ、もう一度念のためと往生際悪くバックの中をまさぐってみる。が、やはりない。その代わり掴んだのが一冊の文庫本。バックから引き出して見る。ブックカバーがかかったそれは、何ヶ月も前からヒマ潰しのためにバックの中に常備しておいたもの。
「おおーっ! なんてタイムリーなモノが」
 美怜はすかさず食いつき暫し読みふける。
「……ヤバイ。おもしろいじゃん」
 文芸作品でありながら爆笑シーンの連続で笑いをかみ殺すのがもはや拷問に近い。しっかり小説世界を堪能していたら、あっという間に目的の駅に着いてしまった。電車内での時間の潰し方の新しい発見になんとなく気分が良い。小説が超絶面白かったのか、いつものラッシュ時の憂鬱さが少しは軽減されている気がした。

 かったるい午前中の仕事を終えてあっと言うに間にランチの時間。美怜はいつものメンバー三人と一緒に外に出る。息詰まるオフィスから気分一新したカフェではそれぞれの話に花が咲く。
「あれ? 美怜、もしかして今日携帯忘れた?」
 前に座る涼子が不思議そうに美怜の顔をまじまじと覗きこむ。
「鋭いなあ……なんでわかったの?」
「だって美怜いつもは食べたらすぐ携帯いじってるけど、今日はそうじゃないから」
「熱いよねー。ヒマさえあれば彼氏とメールしてるもんね」
「なによー、亜衣。まじそれ嫌味ですか?」
 ズバリ言われてすこしむくれる。
「いやいや。羨ましいってことよ。付き合い始めの今が一番楽しいころだもんね。メール万歳!」
「ま、亜衣も人のこと言えないしね」
 と二人は応援してくれているのかやっかんでいるのか不明なところだけれど、そのまま流れで突入したそれぞれの恋バナ。 

 涼子は年の離れた別会社勤務の役員の彼。亜衣は学生時代からの腐れ縁だという彼。三人の目下の悩みはひたすら自分の恋愛。想いのたけを吐き出して盛り上がる昼休み。いつもは雅也と他愛も無いメールをしているから二人との話はおざなりだったし、むしろ面倒な気もしていた。けれど今日、自分と雅也を結ぶ大切な携帯がない。涼子と亜衣との会話に集中せざるを得ない状況に陥って、意外にもその会話の楽しさと、今までの自分の無神経さに気がつくと共に、そんな自分を責めることなく見逃してくれていた二人にこっそり感謝した。

 きっと雅也は焦っているだろうな。私からの返信がちっとも無い事に。そんなことをちらりと思ったけれど、美怜は涼子と亜衣との白熱したトークのせいで一瞬にして忘れてしまった。
 だいたい入社して二年も経つと仕事にも慣れて同時に飽きもくる。要領も掴んで残業なんてめったにない。今日も定時であがり、いそいそとトイレでメイクを直していると、同じく退社する亜衣と涼子に冷やかされた。
「大丈夫大丈夫。美怜は充分綺麗だよーん」
 ランチの時の盛り上がりでなんだかさらに二人との距離が縮まった感じ。こうやってちょっとしたコミュニケーションとれたのも、自分が携帯を忘れたせいか。ま、携帯が無いのもまんざら悪くないな、美怜は心の中で密かに思う。

 待ち合わせは渋谷に六時。まだまだ余裕。ちょうど座ることができたのも嬉しい。今日はツイてる。この調子で雅也とのデートも巧くいくといいけど。そんなことを思いながら混み始めた電車内をぐるりと見回してみる。
 隣に座っている疲れた様子の年配リーマンは既に舟を漕ぎ始めていて、ぐらつく頭が美怜の肩にくっつきそうになっている。よせよ、やめてよ、勘弁してよ、と心の中でヒヤヒヤしながら泳がせた目線の先に、制服を着た女子高生のグループがドア付近で溜まっていた。重そうな鞄を下に下ろして脚の間に挟み、屈託の無い笑顔で嬌声をあげている。あの元気と無邪気さと傍若無人さが羨ましくも懐かしい。その隣の座席にはこんなラッシュ時に一体何処へ行くのか、若い母親と三・四歳くらいの子供が何ごとか話しながら頬笑みあっている。いつかは自分もあんな風に自分の子供と一緒にどこかに出かけたりするのだろうか。携帯が無いために、自然と人間ウォッチングをしてしまう。普段見落としがちのちょっとした光景になんだかほっこりしてしまう自分がいた。

 電車が目的の駅に滑り込んだ途端、少し乱暴に停車した。その反動でとなりの居眠りリーマンオヤジが目を覚ましたらしい。ありがたいと、美怜はちょっとほっとした。
「ただいま××駅と○○駅の間で人身事故が発生いたしました。処理のためしばらくの間停車いたします。乗客の皆さまにはお急ぎのところ大変申し訳ありません」
 ──なに?
 車内アナウンスに美怜は愕然とした。よりによって帰宅ラッシュのこの時間に人身とは。まったく人騒がせもいいところだ。それどころか多大な迷惑だろう、日本中の帰宅者に対して!
 車内の空気は一転してひりつく。隣のリーマンオヤジがチッ、と舌うちする。扉は開いたままで数人の乗客が降りて行き、そのまま駅員に事情を聞きに行くのだろう。美怜もさて、どうしようかとため息をつく。出て行く者、そのままじっと情勢を静観する者。二手に別れた状況の中で車内アナウンスが再び流れる。
「振替輸送を行っていますので……」
 これだ! と思った。というかこれしか手段はない。タクシーに乗るといっても駅のタクシー乗り場は長蛇の列できっと捕まえるまでに相当な時間を要することだろう。ここからだったらバスを乗り継いで他の駅から渋谷に行くことが可能だ。美怜は急いで電車から降りた。待ちあわせには完全に遅れる。やっぱり携帯がないと困る!

Epsode2

 待ち合わせはいつもの場所で。
 渋谷の駅前にあるレンタルDVDと書籍販売の大規模チェーン店の中にあるカフェ。めずらしく二人の観たい映画が一致したから、映画館も遊び慣れた渋谷と決めた。
 映画は六時半の回。今はもう七時過ぎ。雅也はいなかった。振替輸送を利用しての移動は思ったよりスムーズだった。それでも歩くべきところをすべて走りまくって急いでこの場所に来た。なのに、とっくにいてもいいはずの肝心の雅也はいない。
 ──もしかして帰ったの?
 一時間くらい待っていてくれてもいいじゃん。美怜はそう思ってむくれる。でももし反対の立場だったら完全に自分は帰っているけれどね、と都合のいい事を考えたりもする。とりあえず喉も乾いたことだし、一杯ラテを買ってカウンターに座ってしばらく待つことにした。

 携帯があればこんなときメールでも電話でもできるのに。すぐに雅也の声が、男子にしてはちょっと高めの、それでいて優しいあの声が聞けるのに。ワンプッシュで繋がる気軽さに携帯番号を控えておかない、覚えていない自分に後悔してもあとの祭。なんとももどかしい想いが脳内を駆け巡る。店の入口付近に人影がチラつくだけで色めきたってしまう。不安と焦燥でどうしようもなく動揺している。三十分待ち、さらにもうすぐ八時になろうというところで美怜は諦めて席を立った。

「美怜!」
 店を出たところでふいに声をかけられた。今日一日で何度も何度も脳内再生した、男子にしてはちょっと高めのあの声。
「雅也!」
 今まさにエスカレーターから上がってくる雅也を美怜の瞳が捕えた。
「大丈夫だったか? 人身だったんだって? 携帯ニュースで知って、こりゃ美怜遅れるなと思って連絡したけど全然繋がらないから……お前、今日、携帯忘れただろ?」
 メガネの奥の心配そうな瞳。それでいて優しく見守っていてくれる瞳。美怜は力がするすると抜けていくような気がした。やっと会えた。声が聞けた。
「そうなの。ゴメン。昨日の夜雅也と話してそれっきりベッドに忘れてきちゃって……」
「バッカだなあ。そそっかしいのは相変わらずだし。ま、いいよ。こうやって会えたんだから」
 雅也の大きな掌が美怜の頭を優しく撫でた。その優しい重みにほっとする。
「雅也は今までどうしてたの?」
「ん、まあ……下で本見てたりCD買ったり。適当に時間潰してた。あ、一緒に聴けそうなヤツあったぜ」
「そっか……」
 こっちはかなり焦ってたのにこの呑気さ加減。でもまあ、いいか。行き違いにならずにやっとこうやって会えたことだし。美怜は甘えるようにぎゅっと雅也の腕を掴んだ。
「映画、ダメになったね」
「なんの。ラスト回が八時五十分からだって知ってた?」
「ほんと?」
「そ。だから今から急げば何とか間に合う」
 二人は目を見合わせた。そしてにんまりと笑う。美怜はさらに腕にしがみつき、雅也は美怜の肩にしっかりと手をまわす。
 ああ、やっと会えた待ちわびたこの瞬間。長かった一日。もし携帯があったならこんなに待ち遠しくてもどかしい思いはしなかったのに。
「行こ、雅也」
 だけど、携帯がなかったからこそ、雅也と会えたこの安堵感と恋しい想いは一層勝る。がっしりとした腕に甘える美怜の額に、そっと雅也の唇が触れた。

携帯電話

何気ない日常の何気ない出来事をストーリーにしたつもりですが……。
うまくまとまっているのか不安です。
お読みいただきありがとうございました。

携帯電話

普段何気なく使っている携帯電話がなかったら。 そんなテーマで恋愛ストーリーを創ってみました。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-24

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  1. Epsode1
  2. Epsode2