歪な薔薇③
気づいてあげられなくてごめん。
君はずっと、ずっと泣いていたのに。
「おかえりなさい」
僕と由奈が、使うようにと言われた(普段使われていないようで、かび草いが、がらんとした)一階の和室で荷物の整理をしていたら、暁仁兄さんが帰ってきた。暁仁兄さんは開け放した襖の向こうから、僕らに笑顔を向けてくれた。
昔の印象のとおり、穏やかな、繊細そうな男の人だ。
あまり話したことはなかったので、僕は暁仁兄さんのことはよく知らない。
彼は近くの店で美容師をしていると聞いた。
「おなかすいただろう?」
暁仁兄さんは部屋に入ってくると、僕たちに向かって言った。
開け放した窓から、ぬるい風が入ってくる。
「すぐ晩御飯作るから」
彼の言葉に僕は驚いた。
「暁仁兄さんが作るの?」
暁仁兄さんは困ったように笑うと、
「母がああだからね。料理の腕は確かだよ」
夕飯はシチューとサラダだった。
僕と由奈は食器を並べるのを手伝った。
流し場に花の絵のついた小さなお盆が乗せてあり、その上に湯気のたったシチュー、小さなお皿にフランスパンが一切れ、ハムとトマトのサラダが並べてある。
「これは?」
僕が尋ねると暁仁兄さんは、
「ああ、梓の分だよ」
と、僕らのぶんのシチューをつぎながら言う。
「え?梓姉さん、ここで食べるんじゃないの?」
「梓は、なかなか下に来たがらなくてね」
僕は心底驚いた。
自分の家では食事の時に誰かが欠けるなんてありえないことだった。
みんな揃って、みんなでいただきますを言うのだ。
「じゃあ、彼女はいつもひとりでご飯を食べてるんですか?」
「ああ、いや、ひとりで食べるのも嫌がるから、食事の間はいつも僕がついているんだ」
単なるわがままじゃ、ないと思った。
きっと何か理由があるんだ。それはいろんなことのなかに少しづつ隠されている。
薔薇の棘や梓姉さんの傷や暁仁兄さんの優しさや伯母さんの赤茶けた髪や雑草やウイスキーグラスや白いワンピースなんかに。
青い屋根のこの家の中に。
「仕方ないんだよ」
暁仁兄さんが悲しそうな顔でそう言った。
僕はこの人の笑みも、「なんだか歪んでいる」と、そう思った。
伯母さんはソファでだらしなく眠っている。
歪な薔薇③