ある渋谷での出来事
合コン(優子の場合)
20時07分。ユキは遅れて渋谷ハチ公前にやってきた。この子はいつもそうだ。「今日はマジ自信あるから!」コンサバ系のファッションで、如何にも女の子らしい彼女は、優子の地元鎌倉の高校の同級生だ。サバサバした優子と性格は真逆なのだがどういうわけか不思議と昔から馬が合ってこうしてちょくちょく会っている。相手の幹事は外資系コンサルの男らしい。ロクな男じゃない予感しかしない。
宇田川の小洒落たバルで現地集合すると、既に相手が到着していた。瞬間的に女性陣の採点モードのスイッチが入る。まず眼に入ったのは、高価そうなスーツを着て、髪をポマードで昭和の色男風に纏めた男だ。こいつが幹事のコンサル男らしい。いかにも下心丸出しのルックスだ。咄嗟にまたか。と心の中で呟いた。優子は何故かこの手の男にどうしても惹かれてしまう。過去の失敗が幾つも脳裏にチラつき、本能が気を付けろと警告する。隣にいるもう一人は、パタゴニアのキャップにノースフェイスのTシャツ。いわゆる今風のゆるい系ファッションだが、本人の顔が百姓みたいなので、流行のギア達が皆んな申し訳なさそうだ。この人、モテないだろうな。すぐにそう思った。
話が、デートの話になった。
コンサル男はアウディのA4で湘南の海に出掛けるなんて、話をしている。「えぇ〜いいなぁ〜!アウディ憧れる〜。」自宅が豊洲だから駐車場も高くてさ、と眼を真っ赤に血走らせて得意げに語る男の話を、ユキは目を潤ませながら聞いている。これが彼女のやり口だ。正直ユキはかなりモテる。優子もそれなりにモテるのだが、ユキはもはや手口がプロだった。
なんだろこれ。優子は人生に疲れていた。銀行員の総合職から、アパレルの会社に転職したばかりの彼女は、ここ最近雑務に追われ失望を感じ始めていた。同じ場所をグルグル回らされてるみたいだと思った。今は、早く結婚がしたい。優子は結婚して、子供が出来たら何かが変わるかもしれないと思っていた。ひょっとしたら私もカリスマママなれるかしら、なんて淡い期待を抱きながらInstagramを弄ったりしている。優子は表参道でスカウトに声を掛けられた事もあるくらいなので無理もなかった。SNSは優子のような一般人に対し、ぼんやりと甘い夢を語りかける。
宇田川の賑やかなバルの真ん中で、優子はただ一人、この繰り返しの日々から逃れたいと考え続けていた。ユキや友達との時間はとても楽しいし、かけがえのないものだと心から思っている。ただ、彼女は、今はとにかく果てしないこの苦しみから早く逃れたかった。
ユキとコンサル男が仲良さそうに話している。合意済みだな。と直感的に思った。眼の前では百姓顏のノースフェイスが一生懸命、最近見たミニシアター系映画や趣味のサーフィンの話をしている。ユキに猛アプローチをしているようだ。肝心のユキは返事はするものの、心ここにあらずという様子だった。「ヘェ〜下北沢に住んでるんだ。」優子も適当に相槌を打ちながらひたすら白ワインを煽った。頭の中は同じ言葉が再生されていた。なんだろこれ。なんだろこれ。なんだろこれ。
結局、ただ飲んだだけの飲み会だった。
実は帰り際ノースフェイスの男が意を決して、これから下北沢の自宅で飲まないかと誘ってきたのだが、優子もユキもやんわり断った。帰り際の挨拶ももはや、伝統芸能顔負けの、現代のしきたりと化していた。優子は、ふとこの間見た「渋谷の歴史」というNHKの番組を思い出し、ここでは古来から何百年も同じ様に、幾人もの男と女が酒を飲み交わしてきたんだろうなと感慨にふけった。
ノースフェイスもコンサル男も終電やべ!なんて云いながら帰って行った。
翌日、しきたりの続きであるLINEの挨拶は無かった。29歳にもなると、「あれって合コンだっけ?」みたいなふわっとした会が増える。二日酔いの頭で、朝のニュースをつけると、やけに騒がしかった。昨晩、爆破テロが有ったのだ。ニュースキャスターが、仏教と神道を融合させた、新興宗教の仕業だと報じている。「日本でもこんな事件が起こるなんて信じられません。だが、事実なのです。」瞬間、優子の心がざわついた。爆破されたのは井の頭線の列車で、乗客全員が死亡した大惨事だった。
咄嗟に優子はあっと声を上げた。あのノースフェイス、この列車に乗ってる。
LINEにユキからメッセージがきた。「昨日の男の子の片方、あの電車で帰ったよね!?」二人とも名前を覚えていなかった。宅飲み、断って良かった。これが優子の心に浮かんだ正直な気持ちだった。
コンサル男はユキと半蔵門線で帰って行ったから無事だ。そしてきっとそのまま彼らは何処かで一緒に泊まったのだろう。一方あの百姓顏のノースフェイスは、勇気を出して誘ったのに、死んだ。彼は死の瞬間何を思ったのだろう。
怖かっただろうか。人生を振り返ったのだろうか。
それすら感じる間もなく死んだのだろうか。
確か、四国から出てきて、メーカーに勤めてたんだっけ。
兄弟はいたんだっけ、大学はどこいってたんだっけ。
優子は、無性に彼と話がしたいと思った。
それは恋愛感情ではなく、妙だけど人間らしい、不思議な感情だった。
「怖い事件ねぇ。あんたも、街に出たら気を付けないとダメよ。」母親が朝ご飯のトーストを食卓に出しながら、優子を諭した。どうやって気をつけるんだよ、と心の中で思ったが、彼女は何も言わずトーストを食べた。濃厚なバターがカリッとした表面に染み込み、中はふわっとしていて、なんだかいつもより美味しく感じた気がした。
庭ではスズメが昨日の事件なんて無かったかのように、鳴いている。
彼女はこの朝、結婚したいという気持ちを強くもった。
ある渋谷での出来事