ワルコフに気をつけない
ワルコフを意に介さない所存。
X・5:ワルコフ爆誕!
「ワールーコーフー! どぉーこぉーだぁぁーー!?」
俺は東京湾から上陸した怪獣のように、ゆったりとした動きで左右を見渡しながら、下宿の2階廊下を北上する。
「ワルさぁーん 怒らないからー、出てきてくださぁーい」
年の割に甘ったるく舌っ足らずな声が後に続く。
「何言ってんすか! 今度という今度は絞り上げてやらなきゃ!」
と俺は、ゴーグル部分の左側に付いてる丸いボタンを、押し込んだ姿勢のまま、振り返る。
「へっくち!」
目鼻立ちの整った美女が鼻をこすっている。
「あ、大丈夫すか? 何か羽織ってきた方が良いんじゃないですか?」
俺はきびすを返して南下する。
「へーきへーき。デバイスで首もと少し暖かいし」
美女は帽子の、星形のつばの尖ったところを、両手で引っ張って目深に被りなおしている。
・・・・・・仕草が、いちいち子供っぽいけど、声には合ってるなーと思う。
「じゃ見つけたら、コレで足止めしといて下さい」
と俺は美女に人差し指を突き出す。
突き出した指に、美女は自分の手のひらを当て、何かを確認する。
「特選おやつ、残数・手羽先2個・・・・・・これだけ!?」
「ええ、死ぬ思いでかき集めた特選おやつ、ほとんど全部食い散らかしたんですよ!」
「あにゃー! つまみ食いって聞いたから、10個くらいかと思ってたんだけどー」 と頭をかかえる。
俺がドアを開け、中を確認して閉める。彼女はその間、廊下を見張る。
クリア。クリア。クリア。
2階は俺の部屋以外、すべて空き部屋なので、時間はかからない。
残るは、左手前のドアが開けっ放しの部屋と、奥の突き当たりの部屋だけだ。
一本しかない廊下を進んできたので、逃げられる心配は無いけど、早いとこ、とっつかまえて部屋に戻りたい。
今の俺たちを人が見たら、何かのコスプレか仮装大会だと思うだろう。
右手に開いたドアをのぞき込む。部屋の中の大きな姿見に写った俺たちの格好は―――
前衛:”サンバイザーと潜水ゴーグルとヘッドセットのお化けみたいなのが、ゴテゴテとくっついた機械”を、頭に装着。
両耳の金色に光るリング部分の下から、細いケーブルと太いケーブルが垂れ下がっている。
装着した機械から生えているような、肩まで伸びたボサ髪、しまりのない口、中肉中背、だらしない印象以外、特に評する所のない風貌。
パスタの絵の付いた面白長袖Tシャツを腕まくりし、学校指定の白線がデザインされたカーゴパンツに、赤い線の入った真っ黒なグローブ。怪獣の足のスリッパ。
後衛:”オレンジ(右脳側)と赤(左脳側)でデザインされたド派手な、魔女みたいな帽子。
横を向いてるので、わずかに見える帽子の後頭部に、金色に光るリングが埋め込まれてて、その下から、無骨な衛星アンテナが短く伸びている。
縁無し眼鏡フレームの両脇に、小さなLEDが灯り、不規則に明滅している。
帽子に隠れてるけどなんかおしゃれなボブ、にこやかな口元。やや細身ながら健康的な体つき。10人にアンケートしたら、7人はキレイに☑するくらいの美人。カワイイというよりも美人。
桃色の事務服にシルクっぽいブラウス。細い腕に不釣り合いなほどの、ごつい腕時計。白っぽいストッキングに来客用スリッパ。
―――後衛が俺のシャツをひっつかんでるから反応が遅れた。
ヴォン!
突き当たりのドアから、なにか、モコモコした物が凄まじい勢いで飛び出してきた。
「うひょはゎーっ!」「きゃあーー!」
俺たちは尻餅を付き、モコモコした物の逃走を許してしまう。
「ワル! オマエは心霊現象か!? 寿命縮むっつうの!」
はーっはーっと胸を押さえながら青ざめる俺をしり目に彼女は、「音声入力:ボイスメモ」「心霊カテゴリ」「お化け屋敷」「ボロもうけ」と、なにか腕時計に向かって口頭でメモを取りだした。
「今、それどころじゃないから! 一階に逃げられたら、もう俺たちの道具じゃ追跡できませんよ!?」
そうね大変と、あわてる彼女に手を貸しながら、廊下を振り返る。
2メートルほど離れた足下で、もがくように手足を動かし、《《まるで1/6の重力下のような》》スローモーションでジャンプ中のワルコフが居た。
スラスターからの噴射が断続的ですぐに、くすぶってしまう所を見ると、エネルギー切れらしい。
「ワールーコーフー! おまえーーーっ!」
すっと背後から近寄り、難なく片手でつかむ。
「鋤灼くん、穏便に・・・・・・あれ? 何かサイズ、小さすぎない?」
「そういえば、最初に捕まえたときは、片手でつかめる大きさじゃなかったな」
今、手の中に有る物は、全長30センチいかないくらい?
前に捕まえたときから見ると、半分くらいの大きさだ。
俺は手に掴んだ”船外活動用宇宙服”そっくりのワルコフに向かって「なんか悪いもんでも食ったか?」と聞いてやる。
ちなみに、数世代前のずんぐりとしたフォルムの船外活動用宇宙服を、更にぬいぐるみにでもしたような丸っこい形状なので、酷似してはいるが、現行のスマートで精悍な船外活動用宇宙服のイメージにはほど遠い。
ばしゅっ! すぽーん!
じたばたともがいていた宇宙服がツタンカーメンの棺のようにパカリと開き、中から何か飛び出してきた!
それは、褐色の太いしっぽをプロペラのように回転させ、ピタリと滞空した。
滞空したままパタパタと手ばたきで、器用に旋回してこちらへ向き直る。
「当方には、」
明るい紺色のワンピース。
両手を腰に当て、空中で仁王立ち。
「『《《ワルワラ》》=《《ミミコフ》》』という」
ポケットの付いた真っ白なエプロン。
両手を胸の前でクロスさせる。
「れっきとした正式名称があるモノーっ!」
カチューシャを押しのけ、パタパタ動く褐色の猫耳。
足をクロスさせ、両手を左へ流す。
「正式な捕虜としての待遇を要求するものであるモノっー!」
スエードのブーツの踵をコツンと当て、腰を落として、がに股に。
遠くを見るときのポーズの両手版、両手で眉毛に手刀を当てるようなポーズ、
最後に勇ましく「ニャオーーーーン!」と咆哮する。
これは……えっと……最後のは敬礼……かな?
などと考えていると、滞空していたそれに、誰かが飛びつく。
「なぁにこれ? どういうことなのぉ? かわいいかわいぃいぃ~」
そのまま廊下にペタンと座り込む。
「ワルさんの中身、こんなにかわいかったんでちゅか~!?」
ぎゅーっと全身で抱きしめるように掴んではなさない。
そうだった、この美人さんは猫とフィギュアが大好物だった。
「ワルちゃん、いえ、ワルにゃん~!」
はぁはぁふぅふぅうひひ。さっきまでの美人がポンコツと化す。
ぎゅーっ! ギィニャアァァァァァァァァ!
しかも彼女の魔女帽子のようなフルダイブ・デバイスはS4規格までのAR対応がなされている。俺のようにデータ・グラブが無くても、意識せずに自身のシルエットをコントローラー化できる。これがどう言うことかというと、彼女のアナログ入力のハグには、AR側へのシステム的な安全弁が効き難いってことだ。
放って置いても死にはしないが、だらりと舌を出して悶絶するワルコフを見てたら、さっきまでの怒りが霧散した。
事の一端は、三日前の俺にもあるわけだし・・・・・・はぁ、しゃーない、助けてやるか。
俺は美人から魔女帽子をスポンと引っこ抜いた。
1:キャリブレーションその1
首都近郊。電子防壁で囲まれた”VR拡張遊技試験開発特区”。
その大きさは、週単位で変動する。
大規模な研究設備設置、基礎開発段階のβサービス運用、年間通しての大規模な賞金付きゲーム大会設営、などに伴い、周辺の立地を切り崩すようにビルド&リビルドしている為だ。
日曜深夜から金曜日まで絶えず作業BOTによる増改築を行っており、金曜午後から週末にかけての新規VRサービスの披露行事やVRゲーム大会の開催を支えている。
しかし、五感すべてを脳内で再構成する、いわゆるフルダイブ型ゲームというのは、現在「スターバラッド・オンラインユニバース」の1タイトルのみ。
特区周辺で毎月のように発表される新規タイトルの殆どは、積層パネル使用の最新型HMDと立体音響ヘッドセットを介し、脳波や視線入力にも対応した、”2・5感”程度の疑似ダイブ型だ。
それでも、ソレを補うための、残り2・5感分の”物理的増設”を実現する大型筐体のアミューズメントパークとの相性は抜群によく、需要も高い。
逆に臨場感をオミットしないと不具合のでるレトロゲームの人気も根強く、それらを現行フォーマット上で手軽にプレイするために疑似ダイブ型の低価格VRヘッドセットも次々と発売され続けている。低価格ヘッドセットはフルダイブヘッドセットの5倍売れている。
フルダイブ中のセキュリティーやマナーなど成熟されていない部分も多く、まだまだフルダイブ環境を個人で持つのは金銭的にも使用スタイル的にも一般的とはいえないため、特区周辺のフルダイブVR専用アミューズメント施設”VRーSTATION”は連日のにぎわいを見せている。
その特区周辺からみて中央側の一角。公園に隣接した情緒ある洋風の大きな建物。厳重に電子防壁で囲まれ、門には「VR拡張遊技特区立ターミナル学園β」とある。
三階建てのうちの、二階部分の窓がすべて、鏡のように青空を反射していた。
門の横に設置してある掲示板には、「講義内容や校内行事により、大規模な画素演算が発生する場合があります。その場合、校舎や周辺建物や車両の窓、データセンター経由のTVモニタが鏡面化する事がありますが、順次解消されますのでーーー」と注意書きが流れている。
「彼の地に万有が降り立ちーーー」
サービス開始前のCMで、よく見かけた一文が、急激に立体的な厚みを伴って迫ってくる。
文字は、水や炎や、崩れ飛ぶ岩、散る草花になって、少年に届く前に四散する。
真っ白い床に、真っ白い一人用ソファー。前方に広い空間がとられ、突き当たりは曲面に凹んでいる。一昔前に流行った体感型シアターと言えばわかるだろうか。特に照明装置は無く、ぼんやりとした、間接的な明るさで満たされている。
スクリーンのように真っ白いコンクリート壁に、印刷された明瞭さで、次々と現在のステータスが記されていく。
「脳波同期コネクト、視差感度フィックス、眼底MAP主観へ移行、画素演算スタート、物理解像度フィックス、BC稼働チャンネル臨界、活動電位スキャン誤差リバイズ、血流重力偏差フィックス」
舌っ足らずで、たどたどしい子供の声に、少年は一瞬だけ首を傾げた。
ステータスは、少年の周りを立体的に旋回する立体アイコンからも、発せられている。立体音響定位のテストが、脳波顕微鏡のキャリブレーションと同時に行われているのだ。
立体アイコンは、鏡のように反射する金属素材の逆涙滴型で、軌道によっては、床に潜り込むように消えていく。
スクリーン状の壁面に、表示する余白が無くなると同時に、少年の眼前でアイコンが静止する。
アイコンに顔が写り込んでいるが、その顔にはパーツがなく、皮膚もペンキを塗ったように薄オレンジ一色。その頭上には左右反転した「LV0:鋤灼驗」という文字が浮かんでいる。
学校指定の制服はソファーと同じように真っ白で、左手首の腕時計の表示板だけがカラフルな色彩を放ち、午後1時34分を示している。
「類像・錯視・ニューロン経路発火テスト開始。」
壁の表示が、まばたきの瞬間にかき消え、子供のような声が響きわたる。
ドン。ガシャン。ゴトゴト。ズドォン!
白い空間に次々と、様々な物体が、現実的な解像度で出現した。
「アナタの複製主観では、○で囲んだ辺りが人の顔に見えていますが、それは現実感を伴っていますか?」と、家の窓の並んでいる辺りを赤で囲まれる。
まだ操作に慣れてないのか、マネキンのような少年は、のっぺりとした眉間にしわを寄せ、「カーソル、脳内選択」などと、ぶつぶつ言いながら右手を動かす。
立体アイコンを上から鷲掴みにし、下を向いていた先端をななめ左前へ向けた。
「はい」の選択肢は無惨にも大爆発し、次の設問であろう、目の錯覚テストによく出てくるような図案に化ける。
少年は次々と回答していく。五分ほどで、「すべての設定が終了しましたぁ」という子供声と共に、同文面の立体文字が飛び出る。
設問の回答ごとに爆発し、転がっていた選択肢や設問の残骸が、天へ上るように光の粒子と化す。最後の文字も光の粒子に浸食される。
何も起こらず、少年がキョロキョロしていると、手に持つ立体アイコンがぶるぶると震え、尖った部分が若干伸びて、縮む。その形状は木捻子のようになっており、尖った所がドリル状に変化していた。
ガツン! ゴト!
少年の手から巨大な木捻子が落ちる。
あっ落としちゃった、壊れてないかな? というリアクションをしている少年の足下で、木捻子が、猛烈な勢いで駒のように回転し出す。
コンクリートの床を数回はねた後、ゴゴゴガガガゴリゴリゴリッ!
と床を粉砕しながら潜り込んでいく。ゴリガリゴリガリ!
コンクリの破片が少年の足に当たってくる。「いて」「なにこれ痛いんですけど」
つるつるの木捻子の上の半球部分を残して
ガチリ! アイコンは停止する。
ぎゅる、アイコンの表面が緑色の細かいトゲの生えた突起に覆われ、
ポコォオオン! という起動音とともに、コンクリートの空間を一気に広がり埋め尽くす。
ざわざわざわざわっ!
緩急の付いたトゲは、相似形を持つフラクタル形状を波打たせるように成長を続け、四方から少年に迫る。少年はのけぞり、手で頭を守ろうとして、気づいたようだ。
自身の体も《《緑色のトゲトゲで覆われている事に》》。叫び声をあげようとしてーーー
「トポロジックエンジン・イグニッション!」
さっきまでの子供のような声ではなく、きらきらと華やかな女性の声で、少年は目覚めた。
1:キャリブレーションその2
風になびく髪、どこからか舞う花びら、踏みしめる板張りのフロア。それらを自然と感じられる事に感心している様子で、少年は深呼吸したり鼻をひくひくさせたりしている。
ガコーン♪
騒々しいSEと共に、猫耳娘の立体ドット絵がフロア中央に出現する。
「みなさぁーん! まずはV.R.IDシステムOSのインストール及び初期起動成功、おめでとうございまぁす。
わーぱちぱちぱち! ここは、すべてのフルダイブ型VRサービスの”元型となるために自動生成された共有世界”を”プールしておくための作業領域”です」
さっきまで、立体アイコンの発していた子供声と同じ声がアイコンから聞こえてくる。
ボクセル・アイコンの大きさは四畳半の部屋くらいあり、かなりでかい。
「本日の特別講義はこれで、終了となりまぁす。このフロアからは、現在稼働中のサービス、『スターバラッド・オンラインユニバース』へ、ダイブオン! する事ができます―――」
ダイブオン! の勇ましい声色に対するリアクションは無く、子供声は楽しげなまま、淡々と続いていく。
少年、いや、頭上の「LV0:鋤灼驗」と言う文字をみるに、彼の名前は”スキヤキシルシ”だ。シルシは周りを見渡すが、ポツポツと離れたところにいる同級生らしき人影の誰ひとりも聞いてないのを確認すると、自分もふらふらと歩き出す。
特に可も不可もない顔立ちのシルシ少年は、飄々と周囲を観察しながら、自身の体の様子も確認しているようだ。両腕は白いブレザーの袖で覆われていて、よく見ればその生地自体のクリーム色が付いている。手のひらを凝視した後、顔をまさぐり、ペチペチと両頬をはたく。髪の毛の束をつかんで延ばし、腰をひねって靴のかかとやグレーの制服のズボンの膝裏のシワなどを注意深く見ている。
やがて、今いるフロアーの先に、何かあることに気づき、ゆっくりと慎重に歩きだし、駆け出す。
シルシは、手すりに両手を付き、息をのむ。
遠景は空気でかすみ、見渡せないほど開けた空間が広がっている。そこは、大自然の中に乱立する城や町や、巨大な生物らしきモノがうごめく様までが一望出来る、とてつもなく高い塔の上だった。
小鳥が肩にとまり、制服の上からでも、足爪のむずがゆい感触が伝わってくるのか、こらえられずニヤニヤし出す。
楽しげな顔で、無造作に小鳥をつかむ。その鳥の頭上に「たこ焼き大介作成:小鳥Ver:1.0.4」とHUD表示されたのを見て、ため息を付きながら小鳥を軽く放り投げた。
小鳥はピチュピチュピチュ!と抗議しながら、大空へと羽ばたいていく。
クスクスクス。
鈴の音のような心地よい微笑が、シルシの耳に届く。
振り返った彼の前には、目を細め笑いをこらえ、シルシを見つめる、少女の姿があった。
少し太めの眉毛と、風に揺れる長いまつげ、切れ長の瞳。切り揃った前髪、両耳の後ろで束ねられた栗色の長い髪は、まっすぐ背中へ落ちている。
シルシと同じ白いブレザーに、紺色のセーラー襟が付いたような制服、セーラー襟と同じ色合いのチェックのプリーツスカート姿。誰がみても完璧な優等生。
シルシは口を半開きにし、少女の口元を押さえる細い指先や、華奢な体つきから目が離せないでいるようだ。
「君さー、いま、小鳥、掴んだわよね? 手で、無造作に」
優等生は、ほころばせていた口元を鋭角に曲げ、ニタニタとノコギリのような歯を見せた。ジトリとした無遠慮な視線を向けたまま、シルシへ一歩歩み寄る。少女の顔の前に何か小さなHUDが現れ消えた。
シルシは、自分より頭一つ小さな少女に、剣呑なものを感じたのか一歩後ずさった。”かわいい小さな花が、よく見たら、擬態したカマキリだった”くらいの狼狽ぶりが見て取れる。
優等生に見えたモノは、どちらかというと優等生とは正反対の性質を備えていたようだ。シルシは少女をポイントするような、視線を向けていたが、彼女の頭の上には何も表示されないままだ。
少女は2歩目を踏みだし、腕を振り抜く。
ピピピピ!
アラートが響き、目の前の空間にHUD表示が現れる。
シルシの眼前に黄金のダガーが浮いている。ダガーの上に「物理0%:特効なし」と文字がーーー
「あっぶねっ!」
シルシは体を半身にし、かろうじて、ソレをかわす。顔は後ろへ飛んでいくダガーへ向いている。
少女は3歩目も、同じ動作でダガーを投げた。
ピピピピ!
再びのアラートで追加された小さなHUD表示に、シルシの体がビクリとはねる。
何を思ったのか、去っていくダガーに腕を伸ばし、つかみ取る。手が滑り、すっぽ抜けそうになるが、腕を伸ばした姿勢のまま、ダガーを追って、飛んだ。
背後からの攻撃を示す、真っ赤な三角形が少年の顎の前辺りに表示されている。
飛んだ勢いのまま、クロールの要領で、上体をひねって向き直る。つかんだダガーを鳩尾の辺りで構え―――。
ガキン!
飛んできた銀色のダガーを防いだ。
「物理100%:自動追尾」というHUDと一緒に銀色のナイフが落ちる。
「ほんっと危ねー! なんだよ―――!!!」
シルシは尻餅を付くはずの地面が、目の前を迫り上がっていくのを見て困惑した顔をしている。
首を傾け足の方を見やり、すごい勢いでどんどんと昇ってくる木の骨組みを眺める。そして、今度は見上げ、手すりの支柱と支柱の間の板がソコだけ外れて大穴があいているのを見て、ウンウンと頷きながら”手のひらを、握り拳の底で叩く”。やっと、目の前を昇っていく物がさっきまで自分が乗っていた物の一部だと納得したらしい。
ばたばたばたばたばたっ! 下から吹き上がる強烈な風がシルシの周囲を突き抜けていく。シルシは硬直したまま動かない。
「うわっうわっうわっうわっうわっうわーっ!」
その落下する臨場感は、どれほどのものだろう。シルシは、涙を流し、叫んだ。
その絶叫を聞きつけ、手すりの辺りに制服姿のクラスメイトが数名集まって来る。
遠くから「では本日は解散! 時間まで好きに遊んでて良いけど、野良NPCが絡んできても、相手にしないでねぇ。ほっとけば直ぐに、どっか行っちゃうから~。なお、このアイコンは自動的に消滅しま―――」
と子供の声がうっすらと聞こえてくる。
塔最上部のフロアが、かなり遠くなったが、かろうじて手すりと人影のシルエットは判別できるであろうギリギリの距離。
フロアの手すりに立つ制服姿一名。
風にたなびくツインテール。
スカートがはためき、周囲の女子が、慌てた様子で、スカートを押さえようと手を伸ばす。
その手を振り払うように、高飛び込みの要領で、クルクルクルと回転ジャンプ! ピッと一直線に足を伸ばす。だが、この空中に水面はない。
「オマエは何がしたいんだ!」叫ぶシルシ。
少女はそのまま、コントロールできずゆっくりと回転し続け―――
シルシはこわばる手足が広がるままに、空気抵抗を全身で受け減速していたため―――
かなりの速度差で、少女は背中からシルシに激突する。
シルシを襲った優等生モドキは、「きゅうっ!」と発し、気絶した。
後ろから抱きつくような形になったシルシは、少女の太股に顔を挟まれた状態。怖いとか言ってられない。
「おい! なんだよ。寝てんのかおまえっ!?」
もがきながら、妙にゴツいブーツを履いた両足をつかみ、少女の体を180度水平に回転させる。
「おい、起きろよ。落ちたって死にゃしないけど、俺一人だと怖いだろっ!」
本音らしきモノを叫びながら、両肩を揺さぶる。
少女に背後から抱きついた形のまま少年シルシは落ちてゆく。
ひゅるるる!
ひゅるるる!
ひゅるるる!
ひゅるるる!
落ちるのにも慣れてきて、いっそのこと早く落ちねえかなあ、という顔をシルシがすると同時に、”ダガー投げ優等生モドキ回転飛び込み風美少女”が、ぱちりと目を開いた。
「んっ!?」シルシの目の前に何か現れる。
つまり優等生モドキの頭の上から、HUD。シルシは一字も漏らさず読み上げる。
「たこ焼き大介作成:米沢首Ver:2.0.0」
シルシは
「何だよ! オマエも、たこ焼き大介謹製かよ! ってか、たこ焼き大介って誰―――」
シルシ達二人は初期フロアの真下に生えていたピンクと青のまだら模様の―――小さいビルくらいはありそうな―――巨大なエリンギを粉砕し、シルシは300EXPを得た。
「ちなみに、このフロアの下は、システム制限一切無しの”魍魎跋扈”《もうりょうばっこ》の阿鼻叫喚、掛け値無しに異界なので、システム権限が全く通用しません。落ちちゃったらログインし直しても、この初期フロアーまで戻ってこられないのですぅ。VRIDを再発行するしかなくなっちゃうので気をつけ―――」
舌っ足らずな声は、アイコンとともに、ボワァンと、巨大な煙となって消えた。
1・5:ウォール・イーター
遙か上の方に開いた穴から青空が差し込んでる。
なにか遠くで反響してる。ココは静かだ。
「現実だったら、無事じゃねーよなー」
チラっとしか見なかったけど、斑色の平らべったいトコに落っこった。花粉とか胞子とかっぽいのが、降ってくるから、植物か菌糸類っぽい、柔らかい中に突っ込んだんだろな。
『たこ焼き大介作成:米沢首Ver:2.0.0』
視界の隅をHUDが横切る。
ちなみに、フルダイブ空間内でも各種AR機能がエミュレートされるため、俺が漢字に注視すると、勝手にルビが追加表示される。
現状:『背中から突っ込み埋まった俺の上に、優等生モドキが、飛びかかってきた猫みたいに乗っかってる』
俺は動揺を悟られぬよう平静を装う。俺を殺す気満々だった奴だが、外見は少なくとも、美少女だ。しかも、潰れるほど押し当てられた双丘は、呼吸のたびに、じんわりとこっちを押してくるし、髪から届くシャンプーの匂いまで再現されてるってんだから、緊張するっつの。
正直言って、フルダイブ環境マジパねえぇー!
「で、オマエ、……何で俺を狙った?」
俺は俺の腹の上で、くつろいでる奴に言い放つ。
「くすくすくす」
優等生モドキが俺の心音を聞くような体勢から、物憂げに頭だけ持ち上げる。
「首って、呼・ん・で」
尖った歯を見せる。ギラーン。
「台詞と表情が合ってねえぞ、オイ」
モドキいや、米沢首さんは、ふと俺の頭の上辺りを見る。細い首や少し開いてる胸元が露わになる。
そういうのいーから。俺をときめかせなくていーから。
あぶない。フルダイブ環境さんマジ危ない。廃人になる。
「シルシのコト、狙ったのわぁー、私のー設計師のー意向―――DETH!」
俺を名前で呼び、モジモジとハニカミながら、親指ナイフで自分の首を落とす真似をし、首を曲げダラリと舌を垂らす。
奇襲かけてきたんだから、理由聞いたって、教えてくれる訳がねえと思ったら、あっさり吐きやがった。それにしても、ホントにコイツNPCなんだなと再び感心する。
「せ、設計師の意向って、『たこ焼き大介』の意向ってコトか?」
迫真のデス顔で、俺の制服に垂れてしまったよだれを、自分の制服の袖で拭きながら、「……わかんないけど、そう言えってメモ書きに書いてあった」と、四つ折りの小さなメモ書きを、投げ捨てるように寄越す。
ペらり。
『何か困った時には、設計師の意向で押し通しなさい』
俺はメモ書きを元通りに折り直して返してやる。
「……設計師と会ったことは?」
面倒になってきたので略す。
「有るわけ無いじゃんガブー」
深い話は何にも知らねえんだなコイツ。それと会話に飽きたっぽい。制服の上から、俺の肩に噛みつきやがった。急所でもないので、安全機能は作動しない。
ぐわ! 近い近い! 顔が近いですから! もー。マジ勘弁。ああああ―――
ガシッ! 放せ清楚系美少女め! グググググッ! スポン!
コウベの両肩をつかみ、バーベル上げの要領で、体からべりっと引きはがす。舞う、ツインテール。
「痛ってえな! 全く!」
痛くない肩を動かして、ニヤけてしまう表情を取り繕い、動悸を落ち着ける。垂れたツインテールが結構重い。
放すと又抱きつかれそうなのでバーベル上げのまま続ける。
「ゲームにサインインする前のプレイヤーを、無差別攻撃すんのが目的か?」
「ちがうよ、シルシを狙ったんだよ。ピンポイントでーキシャアァァッ!」
まっすぐ俺を見据える眼は、薄暗闇の中で発光しているように見える。猛獣のような威嚇をしてくるが、目つきが悪いだけで、概ね美少女の範疇なので問題無い。残念さも含めて、少し慣れてきた。
「え!? 俺狙われてんの? なんで? よっこらせ!」
疲れたので、コウベを壁の方へ、板っぺらみたく立てかける。
そのとき、パタタタタと頭上から羽音が。
「さっきの、小鳥か?」
仲良く小鳥を見上げてると、小鳥は足に掴んでいたひょろ長いものを落とした。
それは、俺がフロアで、はじき返したナイフだった。
刃を下に向け、一直線に加速し、俺の腹に突き刺さった。
あー、コウベの奴を立て掛けないで、そのままにしとけば良かったな。
まあ死ぬことは無いんだが。
ぐにゃり。
腹のナイフは、俺に触れている部分で、直角にひん曲がってる。
フルダイブ空間内では、刃物や凶器の扱いは一律で、武器や道具としての使用以外で予期せぬ当たり方をした場合は、ゴム製のオモチャのように感じる仕組みになってる。刃をしっかり挟んで安全に持てば堅いままなので、ナイフ投げの要領で投げたりも普通に出来るって感じだ。
さて小鳥に殺意が無かったことは、わかったが、一瞬とはいえ、冷たい金属が差し込まれる感覚は余り気持ちの良いもんじゃねえ。
俺は再び、降りてきた小鳥を、無造作に掴んだ。
「ソレだよ! シルシがコウベに狙われる理由!」
してやったと言う顔で、コウベが再び俺に覆い被さってきたので、その勢いを利用して、今度は反対側の壁へ立て掛けてやった。小鳥を手にした腕は上へ回避させたので、小鳥は鷲づかみされたまま元気に囀ってる。
「えっとね、シルシが狙われるのは、”小鳥”を掴んだからだよ!」
いつの間にか手にしていたナイフの切っ先を俺に向けている!
クルン、パシッ、ドカ! グサ、ザクザク!
片手の指先だけでナイフを逆手に掴み直し、手近な壁面を器用にも、ケーキの形に切り取ってる―――あの、何をなさっているのですか?
「しかも素手でさあーガブリ」
そして、ナイフに刺さった壁ケーキをかじりだした―――あのう、何をなさっておられるのでしょうか!?
「VR世界の物を掴んじゃイカンのか!? ……あとそれウマイのか?」
「掴んで良いけどー、普通の人には、ソレ出っ来ないんだよねー! ……この壁は主食」
と、パクパク、ムシャリ。一心不乱に食べていたが、ふと手を止める。
物欲しそうに眺めていたと思われたのか、切れ端を俺に投げてよこした。
俺の制服の上に転がる、壁、もといエリンギ。これエリンギなの? じゃあ、このバカでかい構造物の正体はエリンギ!?
菌糸類は火を通さないとなーと考えながらも会話続行。
「どういうことだ? 正直言って俺はフルダイブ型VRシステムに疎い! やさしく教えろ!」
どちらかと言えば、俺は旧式の2Dゲームに造詣が深く実績もあるけど、VR界隈は一週間前から習い始めたばかりで、ほとんど知らねえ。
「えーメンドいなあ。パクパクパクパク」
コイツ、NPCの存在意義を放棄しやがった。
「ピキュキュ、ピキュキュ、ピキュキュ!」
小鳥が、変な節を付けて鳴き出す。
「なん―――」
『何だ』と言おうとして、コウベに凄まじい強さで、頭をつかまれる。
「だぁ―――」
俺の声の残響が残っている刹那の間に、コウベは俺を掴んだまま、音も無く爆発した。その勢いで、それほど大きくない穴を、俺はぶつかりながらも通り抜け、落下直前に見た、ピンクと青の斑模様の―――小さいビルくらいはありそうな―――巨大なエリンギの直上に飛び出た。
天辺に穴の空いたエリンギは、エリンギよりも少し大きく、ふくよかな人の形をしたモノに四方を取り囲まれている。
人の形をした物は、尖った指の部分を見えないほどのスピードで動かして、外周の部分からエリンギを寸断し、手のひらの穴から吸い込んでいく。
「あっぶないとこだったあ」
俺の頭を左手で鷲づかみの、コウベが、ギラつく尖った歯を見せ豪快に笑っている。声は可憐なのに、化け物みたいな恐ろしい表情で見下ろしている。右足から血が出ているが、声をかけられなかった。
上昇する勢いを重力が奪い、ベクトルが下降へ切り替わる。
このまま落ちれば、絶賛切り刻まれ中の、エリンギビルと、そう変わらない運命をたどる――――――
『はーい! 今日の特別講座は、ココまででーす』聞き覚えのある子供みたいな声。
同時にフルダイブ対応のデータ・ウォッチ盤面にカラフルな猫耳美少女が表示される。
交互に表示されている、現在時刻は午後1時55分。思ったほどには時間がたってない。
周りの空中に半透明のクラスメートたちが立ち上がる。帰り支度を始めているのがわかる。俺たちが落ち始めるのと一緒にクラスメート達も落ち始める。
VR使用中の安全と没入感を天秤に掛けた結果、現実世界で動いている物の輪郭を抽出し、その部分だけVR映像よりもコンマ数秒遅らせて表示しているのだ。
動いている物の輪郭もわかり、通信ラグのような画像の乱れなので、すぐに気にならなくなる。ちなみに学園施設内や地下の地下都市空間で利用できるリアルタイム暗号通信環境では通信による遅延は起こりえない。
2:ハラペコ学園その1
すぽん。ガシャリ。
薄暗い教室内、すり鉢状に並んだ座席中央の最後列。
桃色の事務服の女性が、メガネに付いたLEDで座席を照らす。座席番号を確認し、生徒の頭からVRデバイスを、|持ち上げて取り外す《引っこ抜く》。
フルダイブ型VRデバイスと言っても、脳へのアクセスはあくまで脳波への同調干渉のみで、外科手術や、大がかりな機材は必要ない。
女性の顔の脇で光るLEDは、B級映画のクリーチャー”|悪夢の処刑人”の眼光を思わせる。
「っわわわわわわわわわわ」
薄暗い教室に、VRデバイスを引っこ抜かれた少年の声が響く。
落ちる夢から覚めたみたいに、チョット飛びあがった後、しきりに地面の有無を確認している。
「どうかしましたかぁ?」
悪夢の処刑人は、子供のような声で訊ねる。
備品の最新型VRヘッドセットの|後頭部から、|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》を外し、少年の座る座席の机に置く。
その5センチほどの真っ白い|立方体にはグロテスクな脳の図案が平行投影された形でデザインされており、図案が、上から1センチの厚みで|朱色に染まっている。
「あら? |鋤灼君?だったかしら? |スタバ《STAR BALLAD ONLINE UNIVERSE》に今日はサインインしてなかったよね? |比重減ってるよ?」 だぁーいじょうぶぅー? と、まるで子供に言うような口調で、事務服の女性は、驗を気遣っている。
|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》とは、フルダイブの為の|副脳のようなもので、実際の脳に変わって、各種負担を受け持つ。内部量子状態の劣化により、白い部分が目減りしていき、すべて朱色になると、VR空間へのダイブができなくなる。体調の悪いときや疲れているときにダイブすると、減りが早いと言われており、朱色になってしまった部分の、量子状態を回復させるには専用の装置が必要だ。
女性が軽く腕を持ち上げ、「音声入力」「照明オン」「鏡面化強制解消」と虚空へ宣言する。一瞬の後、室内が白色光で満たされ、薄暗かった窓の外が、鮮やかな風景を取り戻した。メガネのLEDも目立たなくなり、悪夢の処刑人は姿を消す。
壇上に飾ってある、ネコミミ美少女フィギュアの持つプラカードによると、此処は『特別講義:VRエンジン|概論』の教室。
事務服の彼女は特別講師の|笹木環恩。
「はっ!? コウベー!? エリンギがぁ!?」
肩まで伸びたボサ髪を振り回して、|鋤灼驗は
不可解な言葉を発っする。
「え? コウベ牛とエリンギのソテー!?」と、特別講師は聞き間違え、眼の色を変えた。
どこだどこだ!? と周囲の生徒たちまで、一斉に、|驗の”|美味そうな|言葉”に食いつく。
我に返った|驗は、「あ……違う違う、えっと、なんか急にそんな料理が食べたくなって……つい口からぽろりと」
「なんだよー。学食出たのかと思ったぜー」
「私なんて、今日は朝から抜いて来んだからね」
「まったく、名字まで美味しそうって、どういうコト!」
生徒たちは、口々に批難しつつ、戻っていく。
悪ぃ、すまんと、片手をあげて周囲に|詫びを入れる|驗。
「今のは君が悪いよー。なんたって今日は、”自動学食”の日だからねぇ」
自動学食というのは、学園と公園の敷地内に現れる、神出鬼没の|全自動調理機群のコトである。
「あの、先生! もう一回ダイブさせてくれませんか!?」
|驗は講師が手に持つ、ヘッドセットに掴みかかる。
「えっ!? えーっ! 今日はもう、先生、店じまいだしぃ、自動学食さん、そろそろ出そうだって、出没予測出ちゃってるしぃ・・・・・・」
細い手首には不釣り合いなゴツい腕時計には、30分以内に98%の確率で公園東に出没するとの予測が表示されている。
|驗も自分のデータ・ウォッチで確認し、真っ直ぐに講師を見つめ、|取って置きの良い声で、誠心誠意、告げた。
「”自動学食”よりも、使用食材が数段高価な、”自動屋台”のアプリと引き替えではどうですか!?」
気のせいか、見方によっては多少イケメンに見える。
「どこでそんなお宝レアアプリをーーーじゃなかった! 先生は、そんな賄賂には屈しませんよぉ。屈しませんからねぇ」
なぜか顔を赤らめ視線を逸らしながら、年上ぶった子供のような口調で|逡巡している。
自動学食、自動屋台、共に、備蓄食材を廃棄前に調理し、原価提供してくれる学生には有り難いシステム。場所・時刻未定な上に、”|メニュー《献立》が|選べない《ランダム》”という最大の欠点があるが、利用者は特に意に介していないようだ。
「”自動学食”出たってよ!」
「公園南東噴水の近くで、設営始まってるってさー!」
うをををををををっ!
ズドドドドドドドドドドドド!
地響きをたてて、広い教室が、二人を残して空になった。
何しろ、自動学食はそれ自体が、早い者勝ちのところが有る。
メニューがランダムなのに、早い者勝ちとは矛盾しているようだが、ソレには訳がある。
自動学食は、食材分量は大漁に有るので、食にありつけないと言う事は無い。
無いのだが、大人気メニューを作るための食材が切れてしまったら、それ以降、そのメニューは出ないからだ。そのため、まずは即座に現場待機できなければ、お目当ての大人気メニューにありつくことは、難しくなる。
その上、ランダムの名は伊達では無く、先着順で良いモノが重点的に食せる訳では無い。工程数の多い料理は、人気のあるメニューであることが多く、工程数の多い料理は、ある程度、実際の調理工程を経て、食材運用指針が算出されてからで無いと、
メニュー候補にすら挙がってこないからだ。
メニュー候補とは、件の、自動学食アプリの、第二フェイズで使える機能である。
自動学食の現在の調理工程から、次に出て来る、2~8種類のメニューを予測。
その提供順の確率変動を、メニュー候補同士のレース形式で見ることが出来る。
定番大人気メニューと、超格安の目玉メニューの、一騎打ちの場合には、一対一の格闘勝負が繰り広げられ、その勝負自体が、賭になる。
現場配布の整理券を、BETし、勝てば優先的に勝ったメニューを実際に食せるというわけだ。
人気は有る物の、これらすべてを面倒くさく思う層も、存在しており、それらに対応するためにも、自動食堂アプリは利用されている。
なお、自動食堂アプリの開発者は、「VR拡張遊技特区立ターミナル学園β」の卒業生と言う事しかわかっていない。
2:ハラペコ学園その2
「今から、一時間20分後、俺の下宿先の近くで、”自動屋台”が開店します。高級ワインも、滅多にお目にかかれない激レア、バーボンも放出って予測出てますが、どうしますか? あ、お酒ダメだったら、超高級ディナーコースに、上トロ海鮮丼とか、食事も結構……」
イケメンボイスを持続したまま、|鋤灼驗は説得を続ける。
「バーボン、海鮮丼……じゅるり。コホン! 先生こう見えても大人だからぁ、お酒は平気です。むしろ|超平気です。そこまで真剣なら、無碍には出来ませんねー。まったく、しょうがないですねぇー」
「音声入力」「ボイスメモ」「日記」「お給料日前の贅沢」「ステキ」そう腕時計に語りかけ、夢見るような表情で惚ける|笹木環恩講師。
|驗は、フロアの上で美少女にナイフを投げられたところから説明していく。
……。
……。
「……そうです。一気に何十メートルも俺ごとジャンプした位だから、粉砕マシンのまっただ中に落ちたとしても、まだ、何とか凌いでると思うんですよ」
「その謎パワー、気になるわねぇ。どういう構造設計なのかしらぁ……」
……。
……。
「―――状況と|鋤灼君の目的は、わかりましたぁ。えーっと、えーっと」
笹木講師は、握った拳を|顎に当て、考えをまとめている。
「君は、君をフロア下へ突き落とした|相手を、助けにいきたいのねぇ?」
「はいそうです」
「いくら美少女でも、NPCは、人とは違うのよぉ?」
「ソレはもう、わかってます。壮絶に、ぶっ飛んだ性格してたので。でも、ぶっ飛んでるとか、|NPCとか関係無く……あのまま、物騒なトコに置き去りってのは心配っていうか、気が引けます」
「良いわねぇー。先生、そう言う、男の子っぽい男子、大好きですよぉ」
笹木講師は、階段も上り下りできるカートから機材を取り出す手を止め、|驗の頭をなでる。
声はともかく、外見上は、衆目を集める程の、キレイ系美人から、頭をなでられれば、照れないはずもない。|驗は、ニヤける顔を誤魔化すように、手をよけ、言葉を続ける。
「正直、心配なのと、最悪でも、フルダイブVRで死ぬことはないから、もうチョット首を突っ込んでみたいなって……」
笹木講師は、むき出しの基盤が所々くっついてる、|導念ケーブルで、|驗が使う備品の最新型VRヘッドセットと、自分の、魔法使いの帽子のようなデザインのVRデバイスを繋げる。
「君の下宿って近くぅ?」「ひと駅隣の駅前からコミューターで5分くらいです」
フルダイブ機器の末端についている、オーブントースターのような、ダイアルスイッチを”600”にセットする。
「|制限時間は10分。それ以上は無理だからねぇ!?」
「はい、ありがとうございます」
笹木講師は魔女帽子をぐいぐいと目深に被る。
「……もう屋台まであんまり時間無いしぃ、|略式で再接続するわよぅ!」
機器の最終チェックを行っている。
「君はたぶん、さっきと同じ空中にダイブインしまぁす」
|驗もVRヘッドセットを装着する。
「俺は、どうしたら!?」
外部の声は聞こえる様で、隣の座席へ座った笹木講師へ慌てて確認している。
「私が上のフロアから、サポートしまーす。とにかく、彼女と小鳥が無事なら、|コレ《・・》に詰めて保護しましょー。私も是非、会ってみたいしぃー」
笹木講師は、二人の座席の間のカートの天板に置かれた、”逆さにした四角いヨーグルトの瓶が並んでいるような装置”を指さす。四つのヨーグルト瓶の中には、|蛍光グリーン《未使用》の|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》が、それぞれ一個ずつ詰まってる。
ゴーグル|右側の丸ボタンを押して、そちらへ顔を向けている|驗は、何か言い掛けたが、時間が押すのを避けるためか、質問せずに、笹木講師の話を聞いている。
「そのためには、君からの|パーティ《・・・・》|ー申請と《・・・・》、|彼女の《・・・》|受理が必要になるんだけど、」
笹木講師は|驗に二つ折りの紙を渡す。その手はのっぺりとペンキを塗ったみたいな色合いで違和感があった。
隣の座席に腰掛けていたはずの彼女は、二人掛けのソファーのすぐ隣に座っている。
「なにしろ、フロアには、|すべてを《・・・・》|統括する《・・・・》|ゲームク《・・・・》|ライアン《・・・・》|トが無い《・・・・》んだから、|全部手動|で手続き《・・・・》|する《・・》わよ!」
笹木講師の声は、凛とした、大人の女性の響きを有し、普段より口調が勇ましい。
「具体的には、それにサインを貰ってきて下さい」
|驗は二つ折りの紙を開く。
「顧問:笹木環恩殿―――私は『VRエンジン研究部』に入部したく此処に届け出いたします。」
その下には無記名の、氏名記入欄がある。
驗は開いた紙を元通りに折り、制服の内ポケットにしまい、叫ぶ。
「入部届ぇー!?」
その開いた口からトゲトゲした緑色の物が飛び出した。
筋肉の躍動を感じさせる動きで、周囲を跳ね回るごとに、大きくなっていく。
ギシギシと音を鳴らしながら、その表面を鱗のような相似形が増長していく。
ふと、視界の隅で捉えたオレンジ色は、来客用の簡素なスリッパの形をしており、まるで透明人間が、ソレを履いて歩いてくるようだった。
パタパタパタと幾重にも押し寄せ、すぐに白い事務服を着た笹木講師はオレンジ色で埋もれた。
驗は真っ白いソファーから立ち上がり、オレンジ色のスリッパを死にものぐるいでひっ|掴む。
そのころには緑色が跳ね回る音と、オレンジ色が押し寄せる音で埋め尽くされ、驗は、スリッパを持ったまま、耳を塞いだ。
ドドガンドドドドガガガン!
パタタパタタタパタタタタ!
周囲を目に見えないスピードで跳ね回っていた、トゲトゲの鱗持ちは、その全長10メートルほどの巨体を天井に付くくらい反り返らせる。
派手な色のスリッパで埋もれ、見えなくなってるソファーめがけてトゲトゲはその体をぶるぶると振動させながら倒れ込んできた。
世界が静止し、再接続した。
3:サルベージその1
「グァッ!?」
|驗はイキナリ首根っこを|掴まれた。
「どうしておまえは、|直に《・・》俺を持つんだっ!」
制服の襟ではなく、直接、首を掴まれた状態である。
「ドコ行ってタノ? 探しタじゃなイ」
その不損な声を聞き、ほっと息を付く|驗。
「どした? なんかカタコトに聞こえるぞ?」
頭を捕まれたときよりは、自分の意志で首を回せるようで、掴んだ美少女を|驗は見た。
「どう? どんな状況!?」
|驗のデータ・ウォッチに、ネコミミ美少女のドットアイコンが、表示されている。だが、声は聞き慣れた子供声ではなく、精悍な女性の声だ。
「先生っ! 大変だ! |首がっ!」
|驗は驚愕の表情で訴える。
「どうしたの!? 無事なの!?」
まるで、洋画の吹き替えのような声が緊迫感を盛り上げる!
「|首の髪型が、ショートで、結構イケてますっ!」
ぱたぱたぱたたと小鳥がドコからか飛んできて、コウベの頭に停まる。
「え? 本当!? 是非見たいわね!」
緊張の度合いをさらに高めた声だが、その内容は一気に間の抜けたモノになった。
|驗は自分の腕を持ち上げ、データ・ウォッチへ応答する。
「先生ですよね? 声が違うから違和感、有りますよ。けど格好良い」
「えっ!? そーおー? これねー、ハードウェアレベルで、|増設してあるから、ゲームクライアント、無くても、カスタマイズできるんだよね~」
精悍な女性の声が、おどけた感じに解説してくれる。
「へー。流石に専門家だと、色々出来るんですねって、そんなこと言ってる場合じゃないです」
首を掴まれ、ひょろ高いトコに、ぶら下がっている|驗は、背中をよじってコウベの姿を見ようとしている。
「状況は!?」とネコミミアイコン。
「はい、とりあえず残ってる、ひょろっとしたエリンギの足場にギリギリ立ってます」
正確には、コウベが一人、何とか立てる足場に立ってて、|驗は首を掴まれ落ちずにすんでいる。
エリンギは無惨にも、穴のあいたチーズのように、くり抜かれ、足場にしている部分以外は、ほとんど崩れ落ちていた。
「コウベ! あのデカイ,人型みたいなのは!?」
「もう、ドっか行っタ。―――|怠イ……お腹空いタ」
「なんだよ、さっき結構食ってたじゃねえか。もう腹減ったのかよ」
「チカラ|一杯動くト、ハラ|HELL《・・・・》」
ハラヘルのヘルの部分を、凄みを増して言いたかったようだが、|力なく尻すぼみになる。
「そっか。とにかく、無事で良かった!」|驗の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「|驗が居ナくなっタかラ、あいツ等が飲み込んダと思っテ、全部、フタ開けテやろうトしタ。けド、一つ開けタとコろデ、一斉に逃げらレタ」
|驗が無理矢理、首を回して見ると地面の辺りに、確かに青いズングリした人型が、割れるように粉砕され、倒れている。割れた腹からはエリンギのブロックが大量にこぼれている。
「そいつは、悪かったな。心配させちまって」
「あとやっぱ、あんまり無事じゃねえな。具合悪そうだ。長い髪も、切られちまったのか? いやでも、|それ《ショート》も似合ってるぞ」
褒められたコウベが、|力なく牙をむくが、いつもにまして迫力が無い。そして、コウベの頭からは、うっすらと、煙が立ち上っている。
「先生ー! コイツ、頭から煙出てる!」
|驗は慌てて、コウベの後ろ頭を払おうとするが、この体制では手が届かない。
「煙? ナニそレ? |エリンギ《ごはん》ヨり美味シー?」
本人は全く、意に介しておらず、力なく相貌を|驗へ向ける。
「け、煙!? なんか駄目そうねっ! 入部届にサインを貰ってから、手をつないだまま、ダイブアウトしてっ! そうすればあとは、機械が全部やってくれるからっ!」
|驗の腕から世界の命運が懸かったかのような緊迫した声が届く。
「コウベの目的がなんだかワカランが、話なら真面目に聞いてやる。ここから|外に行くのはイヤか?」
|驗は、まくし立てながらも、かみ砕くように説明する。
「|エリンギ《ごはん》、あるナラ、どコでモ行くヨ……うヒヒヒヒケケケケケケ」
|驗を、腹話術の人形のように持ち上げ顔をのぞき込む。コウベの顔には疲労の色が見て取れるが、耳まで裂けそうな勢いで、牙のように尖った歯を見せている。頭の煙は収まらないが、|燻っているだけで、燃えさかる様子は無い。
「あー、まだ、ギニャギニャ笑う余裕有るな。もう少し踏ん張れ」
「先生質問。コイツ等|実世界につれてって、食べ物って、あるの?」
外というのはヨーグルト瓶の中の|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》の事だ。
「サンプルが有れば、複製も出来るし、NPC用の特選おやつは、分子エディタでも作れるわよ」
動かない首で、|僅かに|頷く|驗。
「エリンギ、念のため、少しちぎってい……」
その声を聞いたコウベは、カラダをよじり、空いた右手で、自分の制服の左ポケットをまさぐり―――
「……かなくてもいいな。持ってるならそのまま入れとけ。出すな。すげー邪魔だから」
コウベは小さなポケットには、とても入りそうもないほどの、でかい白いのを出そうとしていた。|驗は、目の前に現れた、一抱えもあるソレを、ポケットに戻させている。
次いで、|驗は、内ポケットから、二つ折りの入部届を出し、自分の腕へ訊ねる。
「この紙どうやって書けばいいんですか? ペンとかないんですけど?」
「アイテム譲渡と一緒、モノを人差し指で選択して、渡したい対象に指先を当てればOKよ」
この声のアシストが有れば、世界の平和も守れそうな顔つきで、|驗は渋い顔をする。
「つまり、こうか?」
「こうべ、人差し指で、自分の頭の上のHUD触れるか?」
プレイヤーにはHUDに触ったときにも触感があり、UI操作に一役買っている。
コウベは、|燻る頭を自分で突く。
「できタ」ギヌロ。にらみ顔で、得意げだ。
「そしたら、そのまま、ここへ押しつけろ」
|驗は紙を出し、『この辺』と記名欄を指さす。
コウベは指先に|自分の名前と|居眠りこ《・・・・》|いてる小鳥をくっつけたまま、入部届に押し当てた。
コウベの頭の上にいた小鳥も、一緒に選択してしまったのだろう。
「ちょっと待て」と|驗が、止めようとしたが、時すでに遅く。
指先が波打ち、文字と小鳥はプルンと震え、入部届へ吸い込まれる。
入部届の記名欄には、表示フォントそのままの文字と、イラスト化された小鳥が、ならんで|印字された。
「あー。……なんて、アバウトな。ま、いっか、どうせ|おまえ《小鳥》も連れてく予定だったんだし」
「先生、サイン貰いました」
「じゃ、手をつないだまま、ダイブアウトしてね」
笹木講師は、フロアに立ったまま、指示を出した。
ポコン♪
|驗が、ダイブアウトし、|NPC《コウベ達》の|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》への転写が無事成功したことを知らせる。
細い手首に巻かれた、ごつい腕時計に”量子状態の転送に成功”の文字が表示されている
「デバッグ|装備一式、出しちゃったけど、必要なかったわね」
周囲には、|急拵えながら、不測の事態への備えらしい、使用法のわからない、謎の物体が数点、置いてある。
その中の一つ、|羊羹のようなモノが回転する謎機械が、カラフルなレシートを吐き出す。
ジジジジジージジ。
「なにかしら?」
レシートを手に取り笹木講師は、検出結果らしきモノを読む。
「なにか居る……?」
と、背後を振り返り、巨大な”|待ち状態”と遭遇する。
最近はあまりみないが、今よりも数世代前の、OSで使用されていた、処理に時間がかかっている状態を示す|UI《ユーザー・インターフェース》出力である。
キューブが立体的に球の表面をランダムに旋回し、その軌跡で球状が形作られている。その直径は2メートルほどで、わずかにスパークしている効果と相まって、かなりの存在感がある。
「でかっ! 何この|でかい《・・・》『演算中』!?」
特区やフルダイブ空間で、通信|の遅延は起こりえないため、データ処理自体の|オーバーフロー《桁あふれ》だと笹木講師は推測したようだ。
笹木講師は、ひるむ。
ダイブアウトすることも忘れ、手直な道具を掴んだ―――
3:サルベージその2
明るい教室の座席で、気が付いた|驗は、外しかけたVRヘッドセットを、もう一度装着し直す。
「ひょっとして、これで見られるのか?」
と、ゴーグル部分の左側の丸いボタンを押し込む。指の下には『拡張:物理検索』と未来的なイメージのフォントで書かれている。ゴーグルに付いた外部カメラのスルーランプが点灯している。
ヨーグルト瓶の付いた装置を見ていると、数秒後、古い映像のように、横縞のノイズを出しながら、制服姿の人影が出現する。ノイズはあくまで演出であり、実際にはなくすことも出来る。それどころか、デバイスを必要としない、完全ホログラフィーも可能なのだが、現在、特区内での使用は制限されている。
「コウベかっ!?」
ヨーグルト瓶の上に、袖や裾が少し破けた制服姿の、|米沢首が浮いている。|確認用のためか、全長約20センチほどだ。
丁度1/8スケールになったコウベは、パクパクと口を開けている。
|驗が近づいてよく見ると、ギッザギッザな歯をガチガチ噛んで威嚇しているのだが、音が聞こえない。
「えっと、音声入力?」「拡張音声検出」
コウベの頭と、教室の天井のスピーカーと、笹木講師の頭にサークル状の描線が張り付く。|驗は指で、瓶の付いた機械のちょっと上辺りを、ポイントし続ける。
「……なた、だぁれぇ? 変な顔! あと何そのでかさ! ギャハー!」
年頃女子の声が、サイズに見合った、ボリュームを絞った大きさで聞こえてくる。|滲んだり垂れていた血は消えて、血色も良くなっている。|燻っていた髪の毛も、カタコトなのも直ったが、制服の少し破けたトコは直っていない。
変な顔というのはVRヘッドセットの事で、”でかさ”というのは、コウベから見た|驗の身体のサイズのことだろう。
ちなみにコウベ|が見ている《の主観》映像は、教室内のカメラ映像から、他ならぬコウベのホログラフィー風の|AR画|素自体が、算出し、足下の|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》を介し処理されたモノだ。
音声、室温、風向なども最寄りの座席の|物理検索から自動的に|画素へ送られている。
まあ、この辺の理屈は|笹木講師ですら完璧に把握しているわけではない※。”正式な手順を踏めば機械が全部やってくれる”とは、疑似・フルダイブ問わず、VR界隈で真っ先に聞かされるお約束ごとである。
「俺だ俺」
|驗は、ゴーグルと一体化したバイザー部分に、自分の顔を印刷|品質で表示させる。ちなみにこれは、裸眼でも視認可能だ。|完全ホロ《・・・・》|グラフィー《・・・・・》の技術を利用し、材質表面に投影している。禁止しておきながら、物体表面に投影するなら|可というアバウトな運用指針も特区故かもしれない。
「|驗だっ! ぎゃははははははばばばばばばば!」
ウケている。笑いすぎて、苦しんでいるが体調に問題は無いのが見て取れる。
「何とか、こっちにこれたな。小鳥は?」
「ばばばっ……い……いないよ」左右を見回して、腹を押さえながら返答する。
「そっか小鳥は、入部届に|書き込ん《・・・・》|じまった《・・・・》んだっけ。あとで先生に何とかしてもらおう……」
「ボサボサ!」腹をよじって、|驗を指さす。
そう言われた、|驗はVRヘッドセットの下から、はみ出るように伸びる襟足を指でつまんでみせる。
「わかった、わかった、ボサボサだなー」
ダイブ中は、詳細なスキャンデータを元に自動調整された初期ボディーが、自身の身体モデルになる。ゲームクライアントが立ち上がれば、もっと自由が利くが、”初期フロア”では、強制的に初期ボディーが適応される。
つまり、実世界での|驗は、数ヶ月前の詳細スキャン後、一度も散髪に行っていないのか、伸び放題で、ボサボサである。
「それにしても、先生遅くね? えっと、こっちも押せば、見れそうな―――」
|驗はゴーグルの、右側の丸ボタンも押し込んで、隣の座席を見る。指の下には『仮想:外部スケール』と未来的なイメージのフォントで書かれている。ゴーグルに付いた外部カメラのポジショニングランプが点灯している。
「先生ーどうしたんですか? 無事、コウベを保護できましたし、そろそろ……」
―――軽い目眩のようなバランス感の喪失の後、|驗は、初期フロアへ立っていた。といっても五感変換のない、通常の疑似VR状態である。
有線接続状態の、VRヘッドセットならではの、裏技だ。|驗は通称ARボタンで、コウベが見れたから、通称VRボタンでフルダイブ中の笹木講師も見られるだろうと、押してみたようだ。
「あれ? まだ10分っ……えい! 過ぎてっ……おりゃ! 無いよね?」
|笹木環恩講師は戦っていた。
ぶんっ! ゴツ! ばりばりばりばり! ズドン!
ぶおん! ドガ! ばばりばりばりり! ズドム!
手に、30センチほどの、|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》いや、パーソナルとは呼べない、巨大な|BC《ブレイン・キューブ》を持ち、なにやら|放電している|丸いモノ《・・・・》へ次々と投げつけている。
ぶつかった巨大BCは一瞬で朱色に染まり、超重力に引かれるように、一瞬でフロアの床に落ちる。丸いモノはそれに抵抗するように、スパークの度合いを激しくしている。
「ワルコフ!!」
|驗の横に浮いている、ちょうど、1/8スケールフィギュア|大のコウベが小ボリュームのまま叫んだ。
「ん? なんだコウベも、付いてきたのか?」
知らぬうちに、|正式な手|順を踏み《・・・・》|機械が全|部やって《・・・・》|くれた《・・・》のだろう。|驗の|有線接続に、さらにリンクする形で、VR空間にコウベも出現していた。
|VR《仮想》/|AR《拡張》問わず、表示されていれば、その|キャラクター《NPC》の顔らしき位置からの|VR/AR映像が自動的に演算される。
|驗が、コウベの方へ身体ごと振り向くと、コウベがソッチへ逃げるように移動してしまう。|驗は首だけを、そーっと、コウベの方へ向けた。
「ワルコフ! ワルコフ!」
コウベは、両腕をつきだし、全速力で走っているが、いかんせん、今のコウベは、単純に笹木講師のフルダイブ主観を、別視点から|参照しているに過ぎない。|驗の右斜め後ろという固定位置から、自分で動くことが出来ない。
「わるこふぅ? なんだそりゃ?」
コウベは笹木講師の闘っている相手を、わるこふぅと呼んで、今にも飛びかからんとしている。
|驗は、着席したまま、足の筋肉をちょこちょこと動かし、VR空間をスタスタと歩いていく。笹木講師の横まで歩いて―――
「先生、大丈夫? あれエネミー・モンスター?」
「ちがうわ。フロアには、プレイヤー以外入ってこないモノ。|廃棄された《捨て》
|NPC《ノン・プレイヤー・キャラクター》とか、|作りかけの《野良》NPCとかが、紛れ込んでくることはあるけど」
姿形はいつもの事務服姿で、特に代わり映えはしていないのだが、とても様になっている。
「先生、いつもの|アイコン《ネコミミ》じゃ無いんだ。なんか格好良い。まるでアクション女優かと思った」
「えっ!? なぁに? ほめても何も出ないわよ」
以外とまんざらでもないのか、しきりに格好良さげなポーズを取りだす。
いつもと違う颯爽とした|佇まいに加え、いつもと違う大人の女性の声が合わさると、|ただ《・・》のVRエンジンの|特別講師には、とても見えない。|映画の中の、”|吹き替えの《日本語を喋る》”、凄腕の秘密エージェントか、要人警護の女性SPだ。
桃色の事務服も、むしろ|潜入捜査っぽくて、逆にキマって見える。
ただ攻撃手段は、”巨大|BC《ブレイン・キューブ》を、砲丸投げで投げつける”、と言うもので、あまりスマートとは言えなかったが。
スパークする物体の周りには、真っ赤になった巨大|BC《ブレイン・キューブ》がゴロゴロ落ちている。
「それで、|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》投げて何してんの先生?」
「えっとねー。どう説明すればいいかしら?」
普段よりもキリッとした顔で、拳を|顎に当てること数秒経過。丸い物体は、スパークが弱まり、丸い輪郭をくっきりと|顕す。
「あれは、トポロジック・エンジンの、”|待ち状態”ってことなんだけど、あそこにある、|何か《・・》の処理データが|大きすぎる《・・・・・》って事なのね。だから、|コレ《・・》、ぶつけてデータを強制的に転送して、データを軽くしてあげようと思ったんだけど、全然、解消されないのよね」
笹木講師は巨大BCを手に持ち、丸い物体を指さす。
「強制的に転送する? コウベにも入部届じゃなくて、それ使えばよかったんじゃないすか?」
「無理無理! コレは通称|EC《イレイザー・キューブ》っていうVR空間内部でしか使えない模造品。一時的に量子状態を転送できても、保持できないもの」
「”|消しゴム《イレイザー》”か。そりゃ駄目だな」
※『モニタなどに表示する|画素を、|空間定位する|課程において、発生する余剰ビットを演算に利用する。そのプロセスは、仮想空間内に置いても効果を発揮する』というジオフロント内部と、その地表都市でのみ可能な、もはや魔法。その根幹技術はブラックボックス化されており、ジオフロントに必ず設営されている、量子データ・センターがもたらす恩恵の一つ。
4:ウェイト・ア・モーメントその1
足元に開いたトランクケースのフットペダルを踏む。内部のジェネレーターから飛び上がった|E《イレイザー》|C《・キューブ》を|掴む。そして投げる構えのまま、質問を投げかける。
「|鋤灼君、さっきから誰と話してるの? 音声チャット?」
「いえ、ボタン押しっぱなしにしてたら、コウベが付いて来ちゃって」
後ろ髪のさっぱりしてる|驗の、初期ボディーは、カメラのシャッターを押すポーズを両方の手でしている。
「あら、大丈夫!? 調子悪いんじゃ―――」
顔を|驗の横の辺りに向けたまま、|E《イレイザー》|C《・キューブ》を、|力一杯、”待ち状態”へ投げつける。
虚を突かれ、不意に力が入ったのか、かなりの速度で飛んでいく。
”|待ち《ウェイト》|状態”の、ちょっと上の方、北経で言えば50度の、極寒の地域に|めり込んだ《・・・・・》。
バチバチと放たれる、凄まじい放電を見もせずに、|驗達の方へ歩み寄る笹木講師。
「よーい……」
と軽く手足をブラブラさせた後、
「どん!」
と自分で言ってスタートし、猛然とダッシュ。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
と|嬌声を発しながら、3メートルも無い距離を、全速力ですっ飛んで来られれば誰だって避ける。
「―――っぶなっ!」
|驗は、|咄嗟に足先をググっとリズミカルに動かし、横っ飛びにジャンプした。
当然、|驗にリンクしているだけのコウベも、|追従するので、笹木講師から遠ざかる。
|驗は、データグローブもコントローラーも持たないまま、VRボタンを押すことで、通常疑似VR状態へ移行した。そのため、上半身はヘッドセットを操作した姿勢をモーションキャプチャされたまま、下半身は通常疑似VRのポピュラーな操作系の一つ、身体フリック入力による”自動移動”が適応されるという面白状態で、フロアに立ち、歩き、ジャンプしている。
「|鋤灼君、なぁにぃーその、ちっさい天使ちゃんわぁー?」
なんか声に凄みというか、映画のクライマックスで、姿を現した真犯人みたいな猫なで声。もはや|笹木環恩特別講師(美人声)とは呼べない。垂れてもいない|涎をデフェフェと|拭っている。
「シルシ、アレは、何なのかしら?」ガチガチガチ!
なんか、シンパシーでも感じてるのか、はたまた普通に警戒してるのか、コウベの目がつり上がり、ギザ歯を噛んでいる。
「そういや、教壇にネコミミフィギュア飾ってたな。 こういうの好きなのかな?」
と気もそぞろな、|驗では到底太刀打ちできるわけもなく。
ズサァァァ! ガッシ!
一瞬の隙を突き近づいた、|笹木環恩特別講師は、身動きできないNPC|米沢首(全長20センチ)を、両手でガッチリと掴んで、目を|爛々と輝かせている。
「えーへーへーへー。怖く無いでちゅからねぇぇぇぇぇ」
妙齢の女性の、|ガチ《重度》のマニア属性を目の当たりにし、怯んだ|驗が一歩後ずさる。
するり。少し引きつった顔のコウベが、苦もなく|掌を通り抜けた。
ほっと息を付く|驗。今、コウベとリンクしているのは、あくまで|驗なので、いくら”手順さえ会ってれば後は機械が全部やってくれる”といっても、単純な合成像|でしかない《と処理されている》モノを、掴むことは出来なかったようだ。
ジリリリリリリ! ジリリリリリリ!
教室の座席にある、ダイアルスイッチがゼロを指した。
「はっ!? 私はなにを!?」
我に返ったのか、ビクリとする笹木講師。正気に戻ったらしく、時刻を確認したりしている。
「あっ! 10分過ぎてるじゃない! |鋤灼君。今日はここまでにしましょう!」
キラキラと輝く瞳には、左右それぞれに『|自動』『|屋台』と書いてある。
バリバリ!
「はい。コウベは救出、出来ましたし、ソレはいいんですが……アレは放っといていいんですか?」
バリバリバリバリ!
「え!?」
顔を上げた、笹木講師の眼前に、放電の度合いを激烈に増した、”|待ち状態”が、どっしりとした存在感を放ち、浮いている。
バリバリバリバリバリバリバリバリ!
「ぎゃっ! 何なの? |鋤灼君、何かしたー?」
「俺は何もしてませんよ。さっき先生が凄まじい勢いで、ECをブン投げてクリーンヒットさせたんじゃないですか」
”|待ち状態”の、ちょっと上の方、北経で言えば50度の、極寒の地域に、ECが、めり込んでいる。
「えーやだ怖ーい。覚えてなーい」
親指以外の指先を全部口につっこんで、取り乱している。
さっきまでの、格好良い姿は微塵も残っていなかった。
「ど、どうすんですか? なんか怒ってる? っぽいですよ!?」
|驗も、ずっと、両手カメラポーズのままなので、ますます緊張感はない。
丸い球体自体が、ブワン、ブワン、ブワン、と脈動しながら、少しずつ大きくなっている
「もー、とっととダイブアウトしとけば良かったわ」
笹木講師は、崩れるように倒れ込む。
「|VR空間管理者の仕事で、アレを何とかしないと、いけなかった訳じゃ、無いんすか?」
「いえ、別にやらなくて良かったんだけど、あんなでっかい”|待ち状態”見たこと無かったから、反射的にEC投げちゃったのよねー」
「……あのまま、放っとくわけにはいかないんすか?」
「あんな風に、突き刺さったりしてなかったら、平気だったんだけど。ECはデバッグ装備だから|管理者権限が付いてて、先生のECだってバレちゃうのよね」
「……なんか、面倒ですね」
「せめて、あの中身が稀少なモノとか、|自|己|進|化|A《ブ》|I《ダ》|搭|載|型|NPC《マシン》とか、高価なものじゃ無ければ、普通にレポートだけですむんだけど~」
「|自|己|進|化|A《ブ》|I《ダ》|搭|載|型|NPC《マシン》なんて、凄いNPCいるんすか?」
「何言ってるの? コウベちゃんも、|鋤灼君から聞いた話だと、その一種よ」
「コウベが高価!? ばかな!?」
驚愕の表情で、再び首(と両手)だけをそっちへ向ける。
悩む二人を|余所に、コウベが
「ワルコフー! ハッ! ドンドコドコドコ!」
と空中を叩き、陽気な太鼓の音を出し、変な演舞を、踊りながら呼びかけをしている。
「ちょっと待て、変な踊り踊ってないで、いい加減教えろ。ワルコフって何だ!? NPCか!?」
「ワルコフは神じゃん! 何言ってんの!?」
バカなの!? シルシはバカなの!? と言わんばかりの|嘲りの表情をし、何度も拳を天に向かって突き上げる。ハッ! ドンドコドコドコ!
「このやろ」
シルシは腹をぷるぷるぷるっと大きく凄いスピードで回転させる。
ポジショニングの基点は腹部にあるようだ。
「やーめーろー」ギャッギャッハハ!
シルシの腹の、右斜め後ろの床から1メートルの高さに、ポジショニングされたコウベの主観視覚は、トルネード系のエグいジェットコースターのような有様だと、推測できる。
「仲良いわねー」
「シルシ、いいぞ、もっとやれ! 面白い!」
「くっ、3D酔いにでもさせてやろうかと思ったのに」
キーボードを叩くような音が、”|待ち状態”から聞こえてきた。
4:ウェイト・ア・モーメントその2
■t コッ
■タノsh_ コココッ
■楽シソウデスネ_ コカコカカコカカカ、タン
「ん? なんだこの音?」音に気づいた|鋤灼驗は、両手カメラまま、そちらへ向き直る。
”|待ち《ウェイト》|状態”は放電を止めている。球状のUI出力に突き刺さって角が見えている|E《イレイザー》|C《・キューブ》は、見方によっては”種からでた芽”か、”卵を内側から突くクチバシ”にも見える。 UI出力に、埋もれた部分のECは透明で、その透明球の表面が波打ち、鏡面化した。
「処理が終了したみたい」状況が進んだ事で、安堵の表情を浮かべる笹木環恩講師。 |E《イレイザー》|C《・キューブ》が押し出され、フロアに落ちる。笹木講師は慌ててECを回収する。
「よーし、まだ時間は大丈夫ね。屋台行くわよー!」
懸念が晴れたからだろう、実によい笑顔である。
ブウゥゥゥゥゥンと音を立て、鏡面化した球が、形を変えていく。とてもなめらかな変形だったので、二人が見とれてしまっていると、それは高さ2メートル、幅1.5メートル、奥行き1メートル程度の直方体の鏡となった。
踊り続けていた|米沢首が、ヒートアップする。
「ワ・ル・コ・フ!」ギャー! ドカドカドドドンカカカ!
「ワ・ル・コ・フ!」ギニャー! ドンドカドドンカドッカッカ!
五月蠅かったのだろう、|驗は、腹をさっきの倍のスピードで振り回す。
|驗の首(と両手は)まっすぐに、鏡の方を向いている。ちょうど|驗の全身が写り込んでいる。
鏡の中の|驗は、両手ともカメラのシャッターを押すポーズのまま、腹を一心不乱に振り回している。
鏡の中の|驗が、色の付いた霧になって霧散、一瞬後に元の形に凝縮する。
|驗の顔がツルンとした滑らかなモノに変わる。
|驗の身体が無機質で直線的なモノに変わる。
|驗の、いや、もはやソレは|驗ではなく、宇宙飛行士と言って差し支えないモノだった。
「わ、俺が変わったっ!? 気持ち悪っ!」
「……宇宙飛行士かしら?」
宇宙飛行士は、|驗よりも幾分大きい。
宇宙飛行士は、|驗の動きを真似するのをやめ、鏡にぶつかるように、前進する。
バッリリリリリリリリリリィィィィィィィン!
ガシャンガラガララパリィン!
鏡でできた直方体の箱は壊れ、破片は光となって消える。
ソコに残されたのは、白地にオレンジ色のラインや金色のパーツをくっつけた|船外活動用宇宙服を着たヒトだ。
「コレがワルコフゥ!?」
|驗と笹木講師が声をそろえて驚く。
ヘルメットに付いた丸いバイザーはミラーグラスのように二人を写し込んでいて、中は見えない。
「ワルコフー! ギャー! イェーイ!」ドンカッカッドドドドン!
コウベはまさに最高潮を迎えている。
ワルコフから再びキーを叩く音が聞こえてくる。
■h コ
■ハイ、ソウデs コカカ
■ハイ、ソウデス。私ガワルコフデs コカコカカコカカカカ
「はい、そうです。私がワルコフです」
笹木講師が、突然、話し出す。
「わ、一瞬、先生が操られてるのかと思った。これ現実じゃないんだっけ! いや現実でも、そんなの有るわけ無いけど!」
フルダイブではない、従来の技術を駆使した疑似VRでも、必要十分な水準で仮想現実感を味わう事はできる。
「|鋤灼君の制服の袖のところに、文字が流れてる」
笹木講師は、自分の腕に沿って、指を沿わせる。
|驗が、カメラ手のまま、手と顔の隙間から袖を見ると、制服の縫い目に沿って、肩口までうねうねと文字が流れては消え、袖口から再び流れ始まる。
文字の前には、四角いアイコンの中に宇宙飛行士のヘルメットが描かれている。
制服の袖には、表示機能が付いている。普段はデータ・ウォッチで事足りるので使用することはないが、フルダイブ・疑似ダイブ両対応なので、VR空間内部でも利用することができる。
「アナタ。 制服の袖は、腕章とか表示するためのモノで|オープンチ《非暗号》|ャンネル《回線》仕様とはいえ、いきなりハッキングなんて……やるわね」
笹木講師は、専門的なことを誉め出す。
|ワルコフ《宇宙服》はその外見とは裏腹に、かなりの機敏さで、誉められた事へのお辞儀をする。そして、|驗の方を向き、ついさっきまで鏡の中でしていた、両手カメラポーズをする。そして、がに股になって重心を落とした。
「ぷっ」笹木講師は吹く。
「っやだ、|鋤灼君みたい! あははは」
|驗はここへダイブしてからずっと、両手カメラポーズのままだ。
「だってこれ止めたら、接続切れそうで……」と言い訳をし、
「なんだよオマエ、フザケてんのか?」とワルコフへ遺憾の意を表明する|驗。
「……いいえ、我が宇宙軍の……正式な、最敬礼には……最敬礼で返さねばと……」と|驗の腕を読みあげる笹木講師。
「思う次第であります。……だって」プフーッ。
「|鋤灼君さ、言おう言おうと思ってたんだけど、そのVR・ARボタンはもう一段階押し込むと、押しっぱなしにもなるし、音声入力|って《・・》言った後で、ボタン持続|って《・・》続けて言えば、手を離しても接続しっぱなしになるよ」
「は、早く言ってくださいよ」
|驗の声がうわずっている。
「ポリシーかと思って……」
「そんなポリシー無いですよ!」
|驗はグリっと力を込めてから、手を下におろした。
ワルコフからキータッチ音。
「ポリシーは……大事だぜぇ。……へっへっへっ」と|驗の腕を読む笹木講師。
■ポリシーハ大事ダゼェ。ヘッヘッヘッ_
声と同じ文面が袖を流れていく。
ワルコフへ首だけ向けて怒鳴る|驗。
「うるせえよ! だからポリシーじゃねえ! あとなんでキャラ変わってんだよ!」
ワルコフは凄まじい機敏な動きで、バカにしたようなポーズの最敬礼? を返す。
「あ、先生に言ったんじゃないですからね、ワルコフのやろうに言ったんですからね
|驗は大きく向き直り、弁明する。コウベが大きくブレる。
「大丈夫、判る」と|驗を|宥めつつ、ワルコフの丸い顔? を指さす。
「ポイントしても、プレイヤー名も、NPC名も、表示されないから、|スタバ《スターバラッド》の|廃棄データか何かが野良化したのかしら」
「ワルコフー、アレくれー! アレくれよー!」
コウベは、たかるように、何かを要求している。
ワルコフは、最敬礼を止め、コウベへ向き直る。
聞こえてくるタイプ音。
「おう! 又、アレくれよ」ギザ歯を見せるこうべ。
「えっと、君は……この間……お会いし……ましたね」
|驗は袖をつかみ、笹木講師と自分に見やすいようにし、ワルコフの台詞を読み上げていく。コウベは、明らかに|驗が読み上げるよりも早く応答している。
「この間よりも……小さくなりましたね……コレではモノを……持つのも大変でしょう」
ワルコフは、少し屈み、映像でしかないコウベを、|手で掴み《・・・・》|持ち上げた《・・・・・》。
「「んなっ!?」」
便宜上、コウベの姿は表示されているだけで、本来の接続とは無関係な状態である。現に、ついさっき、笹木講師は捕まえることが出来なかったはずである。
驚く二人を|後目に、ワルコフは、コウベの頭と|踵を|摘んで引き延ばすようにして、放り投げた。
グワッっと、実物大のサイズになったコウベは、地面に降り立ち、そのまま床を踏みしめ体の具合を確かめている。ついでに足元の何もない空中も、けっ飛ばす。
さっきの変な舞踏が作用しっぱなしなのか、ドドドンと太鼓の音が響く。
破れていた制服はキレイに元通りになっている。ベリーショートなので、活発な優等生といった感じの美少女がそこにいる。
■コレデ、イインジャネー_
キャラ違いの台詞が、|驗の袖を、流れていく。
「どうやって、実世界の|P|B|Cにアクセスして、コウベちゃんの接続を確保してるのっ!? わかんない! あとコウベちゃん、カワイイ!」
フロアへ再接続するだけでも結構な手順が必要なのに……ブツブツブツあと、コウベちゃんカワイイカワイイとつぶやきながら、考え込んでしまう笹木講師。
|驗に至っては、驚いたモノの、具体的に何を驚けばいいのか判らないのか、口を開けたままだ。
■ソレト、アレヲ、ゴ所望デシタワネ_
次いで流れた台詞もキャラが違っていたが、誰も見ていなかった。
ワルコフは、何もない空中から、木槌と木の杭を|つまみ《・・・》|出して《・・・》、コウベの足元に打ち込んだ。
特別講座で、|笹木環恩特別講師が、木の板っぺらにしか見えないフロアの硬度を、理論値最大の立方晶窒化ホウ素と同じと、説明したのは|一昨日の事だ。すべての物体構造を分子レベルで再現する事が、|売り《・・》のトポロジック・エンジンの根底を覆す|所業である。ワルコフの持つ、木の杭の分子構造が、同じく理論値最硬だったとしても、一撃でめり込んでは立つ瀬がない。
「先生!? コウベとか、床とかどうなってるんですか!?」
振り向いた|驗の目の前で、笹木講師は、フロアにぺたりと座り込み、腕時計に向かって口頭でメモを取りはじめた。
「音声入力」「ボイスメモ」「VRカテゴリ」「リアルタイム通信介入」「分子構造改変」「一攫千金」「悠々自適」
|驗は、肩をすくめ、時計をみる。午後2時34分。
■ドウゾ、ゴ査収下サイ_
|驗の袖に文字が流れる。
顔を上げた|驗の前に、大きく、とても肉厚で立派な椎茸が生えていた。木の杭から生え育った椎茸は、高さ3メートルの幅4メートルくらい。
コウベはその上に、ぺたりと座り、早速千切って、かじり付いていた。
5:VRE研究部発足その1
ザクザクザク。
コウベは、銀色に光るナイフで、自分の座る焦げ茶色の表面を、切り取っていく。
|厚みのある円盤状に切り分け、ソレを8等分。出来たケーキ型の謎椎茸を、ナイフで刺してガブリ。
「凄くおいしそうね」ダラリ
「そうですね」ダラリ
二人とも出ていない|涎を、袖で|拭う。
「フロアの底で、かじった、謎エリンギは、全く味しませんでしたけど、こう目の前で、旨そうにパクつかれると」
「|謎食をかじった? フロアの底は”異界”だって言ったのに……」
気の毒そうな顔を向ける講師。
あれ? 何かまずかったですか? とうろたえる|受講生を、言い伝えの類だから問題無いわ、と|宥める笹木講師。
「そんなことより、”自動学食”に備えて朝は、コーヒーだけで済ましたから、もうだめ。お腹空いた」
「そんなことよりって、まあ、いいですけど、俺も、朝、バナナ一本だけなんで、もう無理です」
すでに午後2時半を大きく回っている。”自動学食”に有り付くつもりで、二人とも朝から食べていない様だ。自動学食の日は生徒はおろか教職員の大多数も、朝食抜きで来るというアンケート結果が購買部横の掲示板に表示されている程だ。
「先生、もう学校出ないと、”自動屋台”に絶対に間に合わないですけど、どうしますか?」
グゥーーーーー!
「……ワルコフさんの、|圧倒的な技術水準の一端でも垣間見られれば、”自動屋台”じゃなくて、本物の高級料亭も目じゃないのよねぇー」
グキュルルーー! 片手で腹を押さえ、もう片方の手で魔女帽子の頭を押さえる。
|埴輪の様なポーズで、|頸を左右へ傾け苦悩の表情。
ぐぐぐぐーーー! |再三鳴り続ける、腹の虫に、意を決したような笹木講師は宇宙服へ一歩歩み寄った。
「あのう、ワルコフさん? アナタについて技術的な興味が有ります。ちょっと時間がないので、率直に聞いてもいいですか?」
■ハイ、何デショウカ? ナンナリt_
直立不動だった宇宙服が機敏な動きで、モミ手をし、首をわずかに傾ける。
|驗は、笹木講師と自分に見やすいように、位置を入れ替わり、制服の袖を持ち腕を水平に伸ばす。コウベはもう自身の接続で、ここに存在している様で、|驗がいくら動いても、椎茸の天辺から微動だにしない。
「あなたは、プレイヤーではなく、NPCでもないみたいだけど、一体何なのかしらっ?」
笹木講師は、目の前の宇宙服へ指を突きつけた。
人間、空腹には勝てない。もはや一刻の猶予もなく事態を収拾し、一目散に”自動屋台”出没予測地点へ|出発せねばならないのだろう。
■イイエ、私ハ、NPCデス。|人造人格βナンバー0002ノ、世界最古ノ、会話型アブダクションマシン、デs_ カチャカチャチャカチャララララッ!
先ほどまでよりも、かなり早いタイピングで、即答してきた。
「|人造人格βナンバー0002!? わ、ほんとにお宝じゃないの!」
と笑みがこぼれる。公表されてない、未発見のナンバリング・NPC。
正式稼働には至らなかったモノの、”初期フロア”のみ成らず、スターバラッド内部でもその存在が目撃されていた。
βナンバー終息後、公式なNPCとして開発された、ゲーム内を自由に行動できるワンダリングNPCとしての、|メインヒーロー《REVOLVERーSWORD》や|メインヒロイン《PLOT-AN》などがいる。
「あらでも、さっき、ポイントしたのに、何も表示されなかったわよ!?」
■ソレハ、息ヲ止メテイタカラデス_ カチャラララッ!
「息を止める?」
そんな機能有ったっけ? とブツクサ言いながら、すーっと息を吸い込み、笹木講師は、自分の頭の上をしきりに指さす。
腕を水平に保ち見やすくすることに専念していた|驗は気づくのにワンテンポ遅れた。
「あ、待って下さい」
|驗は慌てて、笹木講師のきめ細やかで膨らんだ、頬の辺りを|ポイント《指さ》した。
「ほんとだ! HUD表示、出ませんよ!」
すはぁ! と笹木講師が大きく息をすう。
「へー! 知らなかったわね、トポロジック・エンジンの、こんな機能。というかダイブ中に息を止めるなんて、必要ないから絶対にしないものね」
「そう言えば最初に、コウベと有ったときも、HUD出ませんでしたよ」
「あら。じゃあ、NPCはソレを知っていて、意図的に|ソレを使う《息を止める》事が出来るのかしら」
■ハイ、|NPC《開発コード付》ハ、ソレヲ知ッテイテ、プレイヤートノ円滑ナ、関係ヲ築クタメニ、役立テテイマs_ カチャララララカチャララララ
■奇襲イベントヤ、プレイヤーニ知ラセル必要ガナイ、単ナル移動中ナドハ、息ヲ止メテイルコトモ多イデス_
「それは初耳だわ」
音声入力、ボイスメモ、VRカテゴリ、息止めでHUD消える、NPCは日常的にソレを使う。先生はボイスメモをせっせと取っている。
「それで、何で、オマエ、”処理落ち”? なんかしてたの?」
|驗は何となく聞いてみた。
■先ホドモ、申シマシタトオリ、最古参ノ、NPCトモ成ルト、稼働時間ガ膨大ニナリ、必要ノナイ|経験ヲ圧縮スル必要ガアリマス_
■ソノタメ、定期的ニ、スリープ状態ニ入リ、リソースノスベテヲ使イ、全ソースノ精査ヲ、全力デ行ワナケレバ成リマセン_
「夢をみて重要な記憶を定着させたりとか、デフラグみたいなものか」
■ソノ両方デス。ワルコフデータベースに、入力サレタデータハ、”|量子メモリ内部デ実際にコラム構造”《P(パーソナル)B(ブレイン)C(キューブ)》化サレマス。ソシテ、人間ト同ジヨウニ、新シイ入力、特ニ対話ニヨル想起デ、呼ビ起コサレ、入力サレタ事ノナイ帰結ニ辿リ付イタリシマス_
「ふーん。でもオマエ、こんな人通りのある、”初期フロア”の、ど真ん中で、そんな、無防備な事してて平気なの?」
現に、笹木講師にちょっかいをかけられている訳で、|驗の懸念は正しい。
■ハイ、本日ハ、”|自|動|学|食”ノ開店ニアワセテ、|メンテ《・・・》|ナンス《・・・》ヲスルコトニシタノデスガ、生憎アナタタチト出クワシテシマイマシタ_
「そっか。俺たちも、本当なら”自動学食”行ってたからなー」
「そうねー」
とボイスメモを取り続けていた、笹木講師は、ゴツい腕時計に表示された時刻を確認し、
「あー、もうダメねー! 流石に、今からじゃ、間に合わないわー」
と両手をついてガックリとうなだれた。
5:VRE研究部発足その2
「せめて、”自動屋台予測追跡アプリ”は、ちょうだいね」涙目である。
「いいですよ、でも、このアプリ、”オー|プン《軸》|チャ《索》|ンネ《さ》|ルま《ん》とめ”で、出回ってたアルゴリズムを元に、俺が組んだ奴なんで、動作の保証は出来ませんよ」
「あら? |お手製? 講座に来てるくらいだから、こう言うの苦手だと思ってた」
「VR界隈に疎いだけで、必要なものは結構自分で作りますよ。つか、2Dゲーム周りでは|デバイス《・・・・》|から何から《・・・・・》、|自作しな《・・・・》|いと対戦|も出来ない《・・・・・》暗黒の時期があったので、出来るようになるしかなかったって言うか」
「ふうん。さすが|ゲーム《・・・》|特待生ね。先生、見直しました」
と|驗の胸ポケットのドット絵アイコンを見て、頭をなでようとする。
|驗は、笹木講師のしなやかな指を、|ダッキングし《ボクサーの様に》今度は完璧に避けた。
「いや、見直さなくても、いいですよ、実際、フルダイブはおろか、疑似VRだって、さっぱりです。だから先生の講座取ったんだし」
と不甲斐ない自分に言うような面もちで、言葉を吐き出す。
「拙者にも……拝見させて……いただきたく候」
「わ、なんすか? 大丈夫すか? 今すぐ購買行って、何か食べましょう!」
心配げな表情で、狼狽する|驗の袖を、|驗が見やすいように、引っ張る笹木講師。袖に文字が|流れている《リピート表示》。
■拙者ニモ、拝見サセテ、イタダキタク候_
「あ、ワルコフか! 紛らわしいな、また、キャラ変わってるぞ」
ちょーだい。と両手の平を|驗へ向ける、機敏な宇宙服。
何だオマエもほしいのか? 別に構わんが……と、表示中のアプリを、指先で摘み、ワルコフの手の平へドロップしてやる|驗。
■|鋤灼驗殿ノ使用サレタ自動屋台予測アルゴリズムハ、拙者ガ公開シタモノデスゾ_
「えっそうなの!? |オープンチャンネル《非暗号接続》IDが確かに|『warkov』《ワルコフ》だった気がする……しかし、キャラが安定しないな|オマエ《ワルコフ》」
「ワルさんは、恐らく、最初期の実験段階のころからの|初期フロア《プロシージャル・アーキタイプ・バックステージ》の生き残りですよ。プレイヤーの成りきりプレイや、廃棄NPCたちの会話から色んなキャラ特性を身につけすぎちゃったのかもしれないわ」
「まあ、良しとしますか。自動屋台のアプリも頂いたし、次の機会にチャレンジを……」
ごつい腕時計の盤面を操作した笹木講師の目が、悲壮の色を帯びる。次の出没予定は3週間後だって、と呟きガクリと|項垂れる、笹木講師。
「じゃ、いっそのこと、”自動学食”の残り|物でも……」
自分のデータ・ウォッチを操作しようとした、|驗の腕にアイコンが表示されたので、見ていると、
■自動学食ハ、タッタイマ、3分間ノ、ラストオーダーニ入リマシタ_
いくら、大量の材料が有っても、提供時間というのはあるし、全員が注文済みで、人が並んでいなければ早めに終了することも有る。教室から、設営場所の噴水までは急いでも5分はかかる。自動学食は、ラストオーダー以降の注文はいっさい受け付けず、撤収作業が平行して行われる。あと、ラストオーダーといっても、表示されているメニューを頼むかどうかを決めるだけで、献立が選べる訳ではない。
「うううぅぅぅぅぅぅーっ、オナカ空いたー」ポロリと涙を流す、外見からの推定だと25歳の女性。声を足すと推定18歳。声だけだと推定10歳。
■|僭越ナガラ、オ|力添エシテ、差シ上ゲテモ、ヨクッテヨ_
「だから、なんで、ころころとキャラが変わるんだよ」
「ワルさんの、人格キャラが多彩なのは、会話型アブダクションマシンだけに……|ディープラーニング《深層学習》の弊害かもしれないわね」
顎に拳を当て、笹木講師は、また専門的なことをぶつぶつと考えている。
■オフタリハ、自動屋台ヲゴ利用ナサリタイト?
「はい、ソレはもう」
「俺も、出来るなら旨いものを、たらふく食いたい」
■デハ、バトルレンダ起動ノ承認ヲシテ下サイ_
「え? 何ソレ怖いんですけど」
「ちょっと待て!? 何か危険な感じの単語が入ってたぞ」
「いーよー! 許可するよー! ギャハー!」
余りにも大人しく、ずっと椎茸に取り組んでいたせいで、コイツの存在をすっかり忘れていた。
|驗が振り向くと、石突きだけになった椎茸の上に立ち、|米沢首が、つま先立ちで、くるくると回っている。気持ち下っ腹がポッテリとしている。
そのショートの髪が、回転する度にするすると伸びて、やがて、|驗が最初に出会ったときよりも、長髪になった。
「やっぱり、ワルコフさんのご飯は、栄養が違うっ!」
そう言って腹を叩いて引っ込めながら、飛び降りる。空中で腹太鼓の音がドンと鳴った。
伸びて広がった後ろ髪を、耳の後ろで|纏めるように、赤いリボンが出現し、自動的に結ばれる。
「何かってに許可して―――」
ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ。
ワルコフから発せられる不穏な電子音に|驗はまた、振り向かされる。
■パーティー名『VRエンジン研究部』。パーティー要員『|米沢首』ノ口頭ニヨル”バトルレンダ起動承認……受理サレマシタ!
ワルコフは「目標、自動屋台、目的、VR兵装の無力化」などと不穏な台詞を並べ立てている。
「わ、ちょっとまって、ちょっとまって!」
「何で|コウベ《NPC》の言うこと聞いてんだ!?」
ただただ右往左往するばかりである。
背中のバーニアが青白い光を爆発させる。
ヒュドドドドドドドォォォォォォォォ!
とても小さなスラスターから大きな光球が連続的に放たれ、連続的に消滅する。
幻想的な空の色の中を、ワルコフはゆっくりと旋回しながら高空へ昇っていく。
青白い炎は、今にも失速しそうで、爆発寸前の打ち上げ花火の様にも見える。
上空を見上げていると、何か白いモノがゆっくりと降りてくる。
ヒラヒラリと舞うソレは二つ折りの紙っぺらで、目の前に落ちてきたそれを|驗は掴み、広げた。
『顧問:笹木環恩殿―――私は『VRエンジン研究部』に入部したく此処に届け出いたします。』
その下には氏名記入欄があり、当然のように『Warkov』と書かれていた。
5:VRE研究部発足その3
「ワルコフが欲しがったから、椎茸のお礼に、あげた」
これはコウベの、と自分の記名入りの入部届を大事そうに見せる。口を開けギラリとした歯を見せ、得意満面である。
|驗は自分の制服をまさぐるが入部届は出てこない。
「小鳥の分の|入部届か?」
|驗はコウベを睨みつけるが、空腹のせいか、いつにも増して覇気が感じられない。
じっと、『|米沢首』の文字の隣に張り付いたイラスト描きの小鳥を凝視する笹木講師は、
「記名した時点で、”|ゲームク《手》|ライアン《動》|ント準拠|の初期セ《パ》|ーブデー《ー》|タ作成及|びパーテ《ー》|ィークラ《申》|ス登録”は通ってるわね。よくわからないけど、ワルさんは、|パー《準》|ティ《管》|ー要|員か《者》|らの《権》|承認で、なんか色々出来るみたいねっ」
不意を付き、入部届を|2枚とも|受け取る笹木講師。桃色の事務服のポケットに仕舞う。
「はい、正式に受理しました。詳しいことは追々ヤって行きましょ!」
なんて言いつつ、出しっぱなしだった、デバッグ装備を次々と終了させ、光の粒子に変えていく。
コウベが入部届を返せと抗議するが、小鳥も出してあげないといけないし、どのみち預かります、とにべもない笹木講師。
代わりに、特選おやつあげると言って、デバッグ装備の中から『特選おでん』を|掴みだし、コウベに手渡す。
コウベは早速袋を開け、かじり始める。はんぺん|竹輪大根と順に|齧っていく。
「わっ、何だこれ? 口の中が楽しい!」ギャー! ドコドコドドン!
「それは|味って言うんだ。オマエも”|美味しい《・・・・》”って言葉使ってたじゃねえか」
上空を見上げながら、|驗は、コウベの相手をしている。
|驗たちを見下ろすワルコフの丸いバイザー部分の外周。小さな光点が時計回りに回っている。
ワルコフは重量感を感じさせる、ゆっくりとした動きで、上空をぐるーっと回り続け、やがて、|驗の下宿先のある方角を向いてピタリと止まった。
ワルコフが、身構えると、右手首から、ナックルガード風の手甲が飛び出す。そして、なにもない空中を突き破る様に殴る。
音もせずに、初期フロア、の空が割れ、教室のAR対応塗装された天井が出現した。
「うわっ!」「きゃっ!」いきなり、現実に引き戻された二人は慌てるが、ヘッドセットは装着されたままだ。笹木講師の帽子もバイザー部分が降り、補完映像が投影されている状態だ。
「ワルコフは!?」|驗はVRヘッドセットを
「ARボタンで見えるわ」笹木講師は、かけているメガネのLEDのついている辺りを指先で摘むように押した。メガネを外側から覆っている、バイザーのスルーランプが点灯している。
|驗も、ゴーグルの左側のボタンを押し込み、離す。
魔女帽子を目深にかぶった、笹木講師の見ている方向を向く。
音もなく飛んでいくワルコフが、教室天井に、学園の建物を|透過する形で映し出される。
便宜上、ワルコフを、映し出すスクリーンと化している、教室の天井。その端まで行ったワルコフが、左右を見回して、一度は仕舞ったナックルガードを、再びガシンと飛び出させる。
そして、教室の天井と、窓の向こうの外の境目を、突き破るように殴った。
ガツン! ビキ! ゴシャ、ガララッ!
教室の天井と、その上の3階部分を、一瞬で粉砕する。
初期フロアの空とは違って、破壊された3階がぐずれ落ち、降り注いでくる。
「「!」」|驗と、笹木講師は咄嗟に両腕で自分の頭をかばう。
瓦礫がすべて、教室に落ち―――
不意に|驗の横から、巨大な顔が突き出される。
「うわっはっ!?」
「|鋤灼ィ~。 何、笹ちゃんと二人でダイブしてんのさぁ~」
両サイドを刈り上げ、幅の広いモヒカン頭にした、同級生らしき少年。
「LV2:|刀風曜次」
AR表示が、少年の姓名及び、|スタバ《スターバラッド》内のキャラレベルを告げる。
「そうよ、|鋤灼、なに姉さんと2ショット・ダイブかましてくれてんの! あと刀風! 姉さんに気安い」
反対側からも覗き込むように巨大な顔が突き出される。
「LV14:|笹木禍璃」
先ほどの少年よりも高いキャラレベルと、笹木講師と同じ名字が表示される。
二人は|驗の両サイドに立ち、ゴーグル部分を覗き込んでいる。
「|禍璃ちゃーん! ちょうど良いところにーぃ!」
笹木講師は情けない声で、妹らしき女子生徒へ助けを求め手を伸ばす。
|笹木禍璃は、姉らしき事務服講師の魔女帽子を、頭から引っこ抜いた。
次いで|驗も、装着していたVRヘッドセットを何の宣言もなしに、引っこ抜かれる。
「姉さん、ヨダレ、出てる」
ムググ、と笹木講師は、ハンカチで、口元を拭われている。
ボケっとしている、笹木講師と違って、|驗は、即、反応する。
「いだだだ! 刀風! 髪の毛掴んでる!」
あ、スマン、と、手にしていたVRヘッドセットを離す刀風。制服の胸ポケットには、|驗のと同じ、ドット絵アイコンがついている。
「なんだよ、|鋤灼、自動学食に来ねえから、笹ちゃんにお説教でも食らってんのかと思って、来て見りゃ」
|驗が持つ、VRヘッドセットを受け取り、座席の定位置へ仕舞っている。外見に似合わず、マメな性格のようだ。
「そうよ、納得のいく説明を、聞きましょうか!?」
まるで映画の吹き替えのような凛とした響きを持つ美声で、顎を突き上げ振り返るジト目の、ロングヘアー。頭にきらめくブルーのカチューチャには、何かのアイコンが3個並んでいる。
「―――説明は私がしまぁす!」
やや髪の乱れた、凄い美人が、まるで子供のような声で、起きあがる。
「その前にぃ、これドウゾ」
事務服のポケットから取り出したのは、文庫本のしおり程度の短冊状。
|トランプ《カード》の様に差し出される。
「えー? またなんか始めたの?」
面倒くさいわねと、それを受け取り、片手で両耳にかける|ロングヘアー《ササキマガリ》。所作が逐一、格好良く、堂々として見えるが童顔で非常に幼児体型なので、学芸会を見ているような気恥ずかしさを醸し出している。
「え? なんすか? なんすか? 面白そう!」
両手で丁重に受け取る、|幅広モヒカン《カタナカゼヨウジ》。上半身を大きく左右に揺らしながら、受け取った物を両手で両耳にかける。制服の袖にはタトゥーのような意匠が表示されている。
笹木講師の手には、最後の一枚が残っており、「俺もすか?」と受け取る|ボサ髪。それを両耳にかけ、眉間のあたりをクイッと指先で持ち上げる。
みんなぁ同じコマンドを復唱してぇ、と前置きし、笹木講師は、
「音声入力」「物理検索」「ギルドカード検索」と続ける。
「わっ、誰アナタ!? ちょっと、なんでかみつこうとするの!?」
とは、ロングヘアーで童顔の少女。
「うをわぁ! なんで天井無くなってんすかっ!? 面白れーっ!」
とは、幅広モヒカンでガタイのよい、かなりのイケメン。
「アレ? コウベどこ行った!? あれ? 天井もそのままだし……」
とは、肩より伸びてるだらしない、ボサ髪で、口元がニヤケ気味の中肉中背。
3人、いや4人を、見回し、笹木講師は子供のような声で告げる。
「これから、一分一秒を争う、|作戦を開始しまぁーす」
6:ワルコフ追跡その1
「これからぁ、一分一秒を争うぅ、|作戦をー開始しまぁーす!」
反応がなかったからだろう。笹木講師は涙目になりながら復唱した。
美人が涙目で訴えているというのに、悲痛さは無い。子供のような声が、ソレを強烈に打ち消しているからだろう。総体として微笑ましい雰囲気の方が勝っている。
「なに作戦って?」
腕組みし、仁王立ちの、ミニスカ制服妹は、童顔の眉毛を吊り上げる。
「失敗したらぁ、先生は学園長直々に怒られますぅ。たぶん」
一体、なにしたの姉さんっ! と桃色事務服の袖にすがりつく童顔少女。
「成功したらぁ、あのー、幻と噂のー……”自動屋台”さんに、有り付けまぁす。お代も先生が、全額持ちまぁす!」
マジカヨ、俺、今日、”自動学食”で、オニギリだけだったから、ラッキー! と早くも乗り気なイケメン。
「|驗君は、ゲームクライアントをまだインストールしてない様なので、これに記入して下さい」
え? 手渡された|二つ折り《・・・・》|のフィル《・・・・》|ム・シート《・・・・・》を開く。
そこには入部届が表示されていた。
|驗は、かけている|使い捨て《やや不格》|のAR《好な》メガネを外してみる。
笹木講師の座席から伸びたケーブルが緑色の小さなフィルム・マットに繋がっている。
|驗は、自分のデータ・ウォッチを見る。
午後3時6分の表示。
”自動屋台”出現予定変更なし、というアプリの表示。
交互に表示されている。
|驗は、雑多な感情を、押し殺す様に鼻から息を吐き、笹木講師の差し出したデ|ジタイ《ペン》ザで、記名した。
それを覗き込む童顔少女と、空間が40センチほど空いて、イケメン。
「なに!? 笹ちゃんと部活だとっ!? 許さんぞ! 俺も入るぜ!」と|イケメン《幅広モヒカン》。
「だから|刀風、気安いわよっ! 姉さんっ、部活なんて聞いてないわよっ!? 私も入る!」と|童顔。
|驗のペンを、ひったくる妹様。
|驗の制服の胸のドット絵アイコンの隣に小さなアイコンが出現した。
『VR研』の文字の背後にでかいエリンギ、手前に小さな椎茸があしらわれている。
数秒後、古い映像の様に、横縞のノイズを出しながら、制服姿の人影が出現する。
「……ザッ……だよ、シルシー。何かしゃべれよー」
ソノ人物は実物大で、|驗の腕に取り付き、肩を|噛もうとしてくる。
「ふーっ」
|驗は観念したように、背後の窓を振り向く。
まだ、ワルコフは、それほど遠くないところをドドドドドと飛んでいた。
「先生、アレ何とかするとして、追いつくと思う?」
「大丈夫ーぅ! 力強い味方が出来たものぉ!」
と|デジタイ《・・・・》|ザと紙を取り合っている、幼児体型と筋骨隆々を指さす。
「―――さー、行ってちょうだいぃ!」
|笹木環恩の号令とともに、一行はワルコフの漂う方向へと発進する。
「ピンポーン♪ 発車イタシマス」
半球タイヤ仕様の~♪ 安心街乗りコミューター♪ で有名な、電動コミューターである。
安全を重視しているため、最高時速は40キロ。それでも歩くよりずっと早い。
ジオフロント敷地内ならどこまででも100円、もしくは900宇宙ドルで利用できる。
目的地入力後、自動作成される|ルート《道順》を承認するだけ、という簡単さ。
ただし、ルートの直接指定は出来ない。パスすると次のルートか作成される。
基本的に搭乗者は操縦しない。好みで速度をコントロールし、必要に応じて急停止などを行うだけだ。
本来一人乗りだが、男女や、親子の組み合わせなら、何とか2人乗れる。特区条例で、親子や”仲むつまじき恋人同士”の場合において2人乗りが認められている。|男男や、|女女の組み合わせでも、”|仲むつま《・・・・》|じければ《・・・・》”条例違反では無い。ただし、|座席から落ちそうになっていると、厳重に注意される、その場合は4人乗りの超伝導カーが即座に手配される。
ルルルウーーーー。|唸る超伝導モーター。
「俺、もう、死んでも良い!」
|筋骨隆々イケメン《刀風曜次》は、ハンドル部分に座った、|笹木環恩の尻の下に手を置いている。
「こらぁ、モゾモゾしないのぉ」と環恩。
「ハイすみません」ピシリと微動だにしなくなる刀風。
ル・ル・ル。|唸らない超伝導モーター。
「何ですって!? 姉さんにモゾモゾするなんて、このアタシが許さないわよっ!」
「威勢はいいけど、もう少し急がないと、引き離されるよ」
「わかってるわよ!」
乗り捨て電動コミューター、『マクデブルク』は、大きめの平イスにハンドルが着いた様な乗り物である。名前の由来は有名な真空実験、『マクデブルクの半球』からで、単に『半球』つながりである。
|驗の前に、|笹木禍璃が座っているのは、先行する環恩・刀風チームと変わらないが、ハンドルの前に足を出さず、|驗同様、シートに|跨がっている。
がに股になるので、女性は、特にスカートの女性はとても嫌がるものだが、|禍璃は気にしていなかった。
学校横の、コミューター乗り場で、「姉さんと一緒に乗れないなら、せめてアタシが運転するわ」と譲らず、さっさとマクデブルクに跨がってハンドルを掴んでしまったのだ―――
「ちょっと、変な物押しつけないでよっ!」
「え!? これ、コウベが……NPCが入ったヨーグルト瓶―――」
小型のヨーグルト瓶のような装置だ。
|角型の瓶の付いた装置を1基タイプに替え、コウベ入りの|PBC《パーソナル・ブレイン・キューブ》を装填。
連れて歩けるようにと、首から下げられるストラップを付けて貰ったのだが、
紐が長すぎて、へその下くらいまで落ちてしまっている。
あわてて紐を調節する|驗。それでも邪魔になることに代わりはないので、じゃあ、そっち側に垂らしておくけど良い? と確認してから、禍璃の肩から前へ垂らす。ちょうどセーラー襟に少し隠れた校章のあたりに接地……せず、コツコツと禍璃にぶつかり続ける。
「何よこれ、うっとーしーんだけど―――」
びゅわ。禍璃の顔の横に、|米沢首が横縞のノイズとともに出現する。
「うっとーしとは、何よ!」
コウベは背伸びして、耳たぶをかじろうとしている。
「また元の確認サイズに戻ったな」
「あ、|驗めっけ! おーい!」
コウベは|驗を見つけ両手を振り回す。ドドドドドドン♪
うるっさい! 禍璃が抗議の意を示す。
「コウベ、その太鼓の音、何なんだ? うるさいぞ」
「これは、衝撃波じゃん」とバカなの? |驗はバカなの? と例のあざけりの表情を、細い肩越しに返す。
「……えっとコウベだっけ? アンタ……自由ねー」
顔の横でバタバタされるのを、ウザがってはいるが、印象は悪くないらしい。
「そういう……マガリも……」コウベが言いよどみ、マガリの制服に刺繍された校章が一回だけ明滅する。相対的に巨大な姿を、特に胸のあたりの断崖絶壁を、眺め見てからひと言。
「……体型が、|自由だな」
マガリは瓶をひっつかんで投げようとしている。
「あぶねー倒れるっ」|驗の首も引っ張られバランスを崩し、コミューターはスローダウンする。
2人と1体は同時に上方を見る体勢になった。
「「「あ」」」
「キャーッ! ワルコフさぁーん!」ドンドカンドドドドン!
上空50メートルほどを、陽光をきらきらと受け、宇宙服が飛んでいく。全くノイズが無いので、映画か、ゲームのワンシーンかと錯覚する。
|驗はコミューターを降り、歩いている。
「オマエ、それウルセエぞ。謎衝撃波は止めらんねーのか?」
「何言ってんの!? 熱い思いは止められるわけ無いじゃん!」バカじゃん。シルシはバカじゃん。とすぐ目と鼻の下から、こちらを見上げるコウベ。
「仲良いのね~」ウルルルルルル!
大股を開いて、一人乗りで、ウルルルルと超伝導モーター音をたて、横を付いてきた|禍璃にも声をかける|驗。
「それ、見せてんのか?」ハンドルに制服のスカートが引っかかってる辺りを指さす。
「んなっ! 見せてないわよっ!」片手でスカートを押さえる|禍璃。
「|禍璃ちゃぁーん、|鋤灼くぅーん!」
先行していた、環恩・刀風チームが、路地の一角で停止している。
「どうしたの、姉さん?」「どうしたんですか?」
「この段差越えるのに3人いや、やっぱり4人必要なのよねぇ」
環恩は路地と先に続いている細い路地との境目を指さした。
6:ワルコフ追跡その2
ジオフロント敷地の都市設計は、中央に基幹施設。その周囲が研究棟や実験設備で埋め尽くされ、外周に公園や学園や各種管理窓口などが点在している。更に外周に、若干の緩衝エリアをはさんで、住宅街、イベント会場や常設のVR施設などが有る。
|笹木環恩が指し示しているのは、ちょうど、緩衝エリアの|内縁側の境目だ。
高さ30センチほどの、”鋼鉄製の柱と油圧システムのような横円筒で埋め尽くされた謎の文様を描いているようにも見える段差”。それがギザギザと不規則につながり、3メートル幅くらいの太さの線で、直径2・5キロの巨大な円を描いている。
正式名称は公表されていないが、土地の者は、『モールド』つまり鋳型などと呼んでいる。緩衝アリア終端の|外縁側境目にも、内側と同じ構造の、『モールド』が埋め込まれている。『モールド』で囲まれた緩衝エリアには何もない平地が、900メートル続いている。
|刀風は、いまだ、顔を赤らめながら、両手の甲を見つめ、ワキワキさせたりしている。
「緩衝エリアは、ルート外になるから、マニュアル運転しないといけないんだけど、|驗君も私も特区内カートライセンス持って無いじゃない」と|環恩。
「アタシ、先週取った!」はいはーいと|禍璃が挙手。
「俺も、先月取りました!」我に返る|刀風。|禍璃の横に整列し、挙手。
「また、ゲーム始めんなら、|鋤灼も取っといた方がいいぜ!」
|刀風はそんなことを言いながら、|マクデブルク《コミューター》を掴み、片側を持ち上げる。
「わっ、おまえ、それ、200キロ以上あるだろっ」
シート下の細かい実測値などが書かれている所に、約230キロとある。
|驗はあわてて、駆け寄り、降ろさせようとするが、
「腰の重心で掴んで、自分ごと持ち上げる。楽勝だ」
多少プルプルしているが、確かに大丈夫そうに見える。
「じゃ、じゃあ、『モールド』越えられる?」
|環恩は鋼鉄製の文様を指さす。
「お安いご用でさぁ!」ふんぬ。
|刀風は、そのまま、マクデブルクを引きずっていき、ギュムギュムと半球タイヤを凹ませながらも、『モールド』の30センチはある、かなりの段差をフンフンフンと鼻息を荒くし、乗り越えた。
おぉーー! 感嘆する一同。
「えっと、ヨージー? はシルシと違って、|筋力・|体力にステータスが振ってあるな。ギャッハー!」
|刀風の制服の校章が、一瞬明滅する。
使い捨てのARメガネのスピーカーから、コウベの声が漏れている。
さすがに、”500円ショップ”で売られてそうな、使い捨て前提の安物では、隠密性重視の指向性・骨伝導タイプのスピーカーを望むのは酷と言うものだ。
「おうよ、俺と違って、|鋤灼は、|器用さ《・・・》にステータス|全振り《・・・》だからな!」
勝ち誇ったように言う|刀風。
「それほめ言葉じゃねえし、何で|刀風が、ドヤ顔してるんだよ」
|驗は|刀風に習って、ハンドルを掴んで持ち上げてみる。 ピクリともしない、コミューターから手を離す。
「じゃあ、こっちは3人で持ち上げるわよぉ」
|驗がシート下の窪みを、|環恩が左ハンドルを、|禍璃が右ハンドルをそれぞれ掴む。
せーの、ぎゅむ。せーの、ぎゅむむ。
|驗は腕を曲げヨタヨタと、尻を向けて進むのに対し、笹木姉妹は掴んだ両手、つまり|驗の方へ胸を突き出す格好になる。
|驗から見て左側は、全く何の問題もないが、右側からは|環恩の両腕で挟まれ強調された、弾けんばかりの弾力が、|驗の右|頬 へ迫ってくる。
ヨタヨタと3人が『モールド』に乗り上げたところで、真っ赤な顔をした|驗は、「い、いったん降ろしますよ~」と宣言すると同時に、コミューターをゆっくりと降ろす。
ふー。息を付く3人。
「なによー。筋力はともかく根性無いわねー」腰に手を当て、あきれ顔の妹様。
「そうっ! シルシは根性ーが足りない、ギャワー」とスピーカーから漏れてくるが、|驗は聞こえていない振りをしている。
「違う、先生の……」
ハンドルを掴んだままの先生を見やる|驗の視線から、|禍璃は気づいたらしく。
「このっ! 代われっ! アンタだけに良い思いなんてさせないわよ!」
と鼻息荒く、|驗のすねを蹴り、場所を空けさせ、|禍璃が中央に陣取る。
「それ、何か違う気がするが、俺が凶弾されないなら、……いいか」
と|驗は場所を変わる。
ヨタヨタと、へっぴり腰で、|禍璃は、「ぱにゅんぱにゅん」と、奇妙な呪文を発しつつ、何とか運びきり、『モールド』の最後まで行き着いた。
「|鋤灼、代わってヤる」と|刀風は、頼もしいところを見せる。
3人が運んだコミューターを、|刀風は一人で掴みあげ、引きずるように『モールド』から降ろす。
そして、既に、緩衝エリアに止めてある、もう一台の横に並べる。
「笹ちゃん、大丈夫でしたか、こんな重いもの」
と、|環恩の手を取り、”さすさす”している。
|環恩は、私より|禍璃ちゃんの方が大変だったわよう、とその手を振り払っている。
平静を装い、にこやかな表情の|驗の頬を、冷や汗が落ちる。さっきの、ぽにゅんぽにゅんハプニングの所は見られていなかったようだ。
ぜーはー。汗だくで、コミューターに、しなだれかかる|禍璃。
「大丈夫か? 無理すんなよ」
「う、うるさ、いわね」
息も絶え絶えに言葉を吐き出す女子高生は、両足を地面へ投げ出している。上着を脱いで、シートへ架けるが、落としてしまう。
|驗は、落ちた上着を拾ってやり、緩衝エリアを見渡す。
緩衝エリアは見た目、従来のアスファルト製道路が一面続いていて、一見広大な駐車場だ。もしくは見方によっては、900メートル幅の巨大な一本の周回路ととらえることも出来る。
素材は|自己修復型プラスチックで、磨耗など通常の劣化は、|ジオフロントサイド《地下》からのマテリアル供給だけで自動的に修復される。基材もマテリアルも、再|生プ《高純》|ラス《度プ》|チッ《ラス》|クの《チッ》|材料で|賄える。
特に入場制限はされておらず、自由に利用できるが、『モールド』を越えなければならないので、大型車両は入ってこない。
6:ワルコフ追跡その3
「あれ? ワルさん、どこ行ったーぁ!?」空を見渡す|環恩。
「なんか、妙に加速してましたよ、……あれ、あそこの電波塔のちょっと右辺り」
|驗は寄り添うようにして、指さしている。
「結局、あの、|宇宙服が、どうしたの?」コミューターのシートを持ち上げ自分の生徒バッグに脱いだ制服の上着を仕舞っている|禍璃。
「そうだな、まだ俺らは、詳しい話を、聞いてねえぜ」
カラダを細くして、|驗と|環恩の間に割り込む|刀風。
「一言で言うとー、|鋤灼君がー、コウベちゃんを初期フロアの底から拾ってきてー、コウベちゃんの友達のワルコフさんもー付いて来ちゃってー、”自動屋台”間に合わないっー、て言ったらワルコフさんがー飛び出して行っちゃった。まる。おわり」
そう言って、|環恩がコミューターのハンドル部分に座る。
「|驗が小鳥を掴んだから、ワルコフさんは神!」ドドドドン!
|驗の顎の下で、牙を見せ、|太鼓を《天を》叩くコウベ。
「……一応、合ってる……か?」難しい顔でコミューターへ向かう|驗。
「小鳥? 神? 聞けば聞くほど分からなくなるわね」
と|環恩の後ろに座ろうとする|禍璃。
「さっぱり分からんが、俺たちはそのワルコフを、止めりゃあイイってのは分かったぜ」
|刀風に、ブラウスの襟を掴んで引っ張り上げられる|禍璃。
「なによ、アンタ、さっき姉さんと乗ったじゃない」
「俺と|鋤灼が、2ケツして、どうやったら”仲むつまじく”見えるんだ!?」
|刀風と|驗を交互に見やり、吐き気をこらえる口をしてから「わかったわよ」と渋々、|驗の乗ったコミューターへ大股開きで座る。
「おまえまた見せてんのか?」
「見せてないわよっ!」とアクセル全開にする。
急発進することはなく、とてもスムーズに加速していくコミューター。
リュルルルウーーーー。唸る超伝導モーター。
放課直後のこの時間帯では、緩衝エリアに人はおらず、まっすぐ横断出来るので、すぐ|モールド《終点》へたどり着く。
さて運ぶぞと、肩を回す、|刀風。
真ん中を掴んで陣取る、|禍璃。
チッ!
|驗のデータウォッチが、音で何かを知らせてきた。
|環恩のゴツい腕時計からも、同じ知らせが発せられた。
|刀風と|禍璃は、そろって、|驗の方を、「仲良く鳴った、ソレは何だ!?」という顔で、振り返る。
|驗と|環恩はそれぞれ、自分のアプリを見る。
午後3時17分の表示。
”自動屋台”出現予定地点変更あり、というアプリの表示。
”自動屋台”出現予定時刻変更あり、というアプリの表示。
次々に表示されていく。
|刀風は、|環恩の肩越しに、妙に鼻息を荒くし、アプリ表示を見ている。
|禍璃は、立ち上がり、|驗の腕をひねって、アプリ表示を見る。
「これワルコフが、なんかやったんじゃ!?」
緊張した声で|驗は|環恩へすがるような視線を向けた。
「はぁ!? |鋤灼、まさか、|宇宙服が”自動屋台”にちょっかい出すなんてこと無いわよね?」
「ええ!? 笹ちゃん、まさか、|宇宙服が、”自動屋台”にちょっかい出すなんて事無えよな?」
「……ワルさん、妙に好戦的な感じするのよねぇ。こう、常にバズーカ持参って言うかぁ……」
筋骨隆々と童顔ロングは、|俯き、顔面蒼白である。
「もう、”自動屋台”が、設営場所、つまり俺の下宿近くに、着いてても良い頃だ」
小さい表示面の中の、|標的マークを押す。
|驗が操作するのを見て、|環恩もそれに習う。
ビュカン! キラメくような|効果音とともに、|驗と|環恩の腕から一点を示す緑色の光線が照射される。
ARメガネに表示されている、行き先案内機能によると、”自動屋台”は、ここから7メートルの地点に居る事になる。
指し示されている地点は―――
「あー、ワルコフー! おーい!」
何!? と|驗の胸の辺りで、指を指しているコウベを振り返る3人。
|驗は、コウベが指さす先を見上げる。
ずっと先に行ってしまったはずの宇宙服は、高度を地上1メートルに下げ、なぜかUターンして、こちらへ戻って来ていた。
ワルコフはもう既に、目と鼻の先にいて、今にも緩衝エリアの外から中へ突入しようとしている。
「ひょっとして、さすがの、ワルコフでも、”自動機械”を相手にするのは、|躊躇われたんじゃないですかね」
|環恩を見る|驗。
二人の腕時計から伸びていた光線は、上空を指し示し、弧を描いて、ワルコフのすぐそばの、モールドへ垂直に突き刺さっている。
ワルコフが、構えのポーズを取る。
ナックルガード風の手甲が飛び出す。
又もや何も無い空間を突き破ろうというのか、ワルコフは速度はそのままに、拳を突き出し―――
ピンポォン!
ゴォォ!
ドガッガガガッ!
ガキュン!
ワルコフが突き破ろうとした、何もない空間を守るかのように、地面から巨大な爪のような柱が何本も生えた。
ノイズが無く、現実に存在しているようにしか見えない|ワル《空飛ぶ》|コフ《宇宙服》は、柱に挟まれ、パリーンという|効果音とともに粉砕された。
「ワルコフー! ギャーッ!」
一同は言葉を失い、コウベは悲痛な声を上げている。
爪のような柱は、柱ではなく爪だった。
モールドに空いた穴から、せり上がり姿を現していく。
爪は、平べったい長方形から伸びた3本の腕に繋がっていた。
樽のような物を、十数個程も背中にくっつけて、あちこちから湯気を立てている。
「子持ちの平蟹みたい」
緊張感に耐えられなくなったのか、|禍璃が言い得て妙なことをつぶやく。
やがてソレは全身を露わにし、|驗達のいる緩衝エリアへ、小さなタイヤの付いた足を一歩踏み出す。
ピーカンの青空のような、ドジャー・ブルーに彩色されたその、細長い側面には、
『D|inne《ディナー》r×V|ende《ベンダー》r』と楽しそうなロゴが付いていた。
「これ自動屋台!? 強えぇなっ! 自動屋台!!」
その場にいた全員が叫んだ。
6・5・1:ワルコフ対自動屋台
「先生、とりあえず、最悪の事態は回避って事でいいの?」
俺は、深刻そうな顔して言葉を絞り出す。
「そうねー、ワルさんが滅多な事してぇ、自動機械の|群体シ《マシン》|ステム《OS》にぃ異常でも起こしたらぁ、大変な事になったかも知れないけどぉ」
先生は、子供のような声で返事をしながら、小皿を人数分、並べていく。
ヴァリヴァリヴァリ!
先生の背後で、凄まじい|放電が放たれる。
「アタシ知ってる、ソレ、前に姉さんが、かり出された奴でしょ?」
|禍璃はテーブルに並んだ小皿に、”分厚いカリカリベーコンとアスパラがゴロゴロ入っているポテトサラダ”を取り分けている。
なんか妙に手際が良いなコイツ。
シュシュルルルルルルッ!
”自動屋台”へ向かう先生の目と鼻の先を、白い円筒が一瞬で通り過ぎる。栄養ドリンク剤くらいの大きさで、ドジャー・ブルーのラインが入ってる。
「そぉー、2年前のぉ、”|自動機械群OS事件”はぁ、けが人一人でなかったけど、完全復旧まで3カ月かかったからねぇー」
次に先生は、出てきた”魚の煮付け”の乗った皿をつかむ。
「コレも貰いまぁす」
ゴツい腕時計のパネルを、金目鯛の、バカでかい目玉に向ける。
俺たちは緩衝エリアのほぼ中央、自動屋台と、すぐそばのテーブルを行き来している。
ピッ! チャリーン♪
ふつうの端末決済じゃ、”チャリーン♪”なんて鳴らない。
これは、|スタ《スター》|バ《バラッド》内通貨の、”宇宙ドル”で払った時だけ出る|効果音だ。ジオフロント内部や、その敷地都市の一部では、ほぼ公用通貨と化している。
”|特区外”で、先生って呼ばれてる人が、”チャリーン♪”させてたら、白い目で見られるトコだけど、ここ”|VR《ゲーマー》特区”では逆に、ステータスとさえ言える。
先生の前を通り過ぎた円筒は、複雑な軌道を描いて旋回する。吹き出す白煙を風に流しながら、テーブル下の|禍璃の足の間を通り、飛び去っていく。
「でも、|仮想空間からワルコフにいくら攻撃されても、実世界の自動機械には傷一つ付かねえんじゃねえの?」
と、|刀風。
ドドドドガガァン!
爆発したっぽいので、そっちを見たが、ワルコフ健在。オットットットと、歌舞伎の”見栄”を切り、爆煙をかわしている。
「ソレがねえ、んーっとね。簡単に説明すると……」
先生は顎に握り拳を当てる。
”自動屋台”から、次々と発射されていく、少しずつデザインの違う|白い《何か》|ドリンク《ちっさい》|瓶。
「私たちにはぁ、|身|体|性って有るじゃなーい?」
先生は、右手に”煮付け”の乗った皿を持ち、左手をニギニギさせ、テーブルへ歩いてくる。
目尻を下げた|刀風が、先生と同じように左手をニギニギしてやがる。
ワルコフは四方八方から飛来する、複雑な軌道のすべてを読み切り、かわしてやがる。
赤い魚の乗った皿を、俺たちが座るテーブルの上に置き、「先週ぅ、講座でぇやったところですよぉ。覚えてますかぁー?」と言って、空いた席へ座る。
その時、遠くの方から、ガシャガシャガシャンと、重いモノがぶつかる音がしたので、一斉に振り向く。ワルコフが細長い棒を地面に突き立て、周囲に雷撃を放ってた。トポロジックエンジンの”待ち状態”の|放電とは比べものになんねえ範囲に飛び散ってる。
何だ、ワルコフか、と俺以外全員がテーブルへ向き直り、会食準備が再開される。俺も自動屋台の|端に、くっ付いてるドリンクサーバーから、お冷やとオレンジジュースを見繕う。
さっきの重い音は、白いミサイルが地面に次々と突き刺さりひしゃげた音だ。見た感じよりも重量設定が大っきーのかもしれねー、なんて考えるのをやめ、先週の講座内容を頭の中で|検索し《思い浮かべ》た。
「目を閉じて、自分の腕を伸ばしたときに、頭の中にある伸ばした腕の感覚、の事で良いんですよね?」
俺は、オレンジジュース3杯、お冷や1杯をテーブルに置いていく。
「んー、大体、合ってるわね。そう。その頭の中にある、素の状態の体の形や大きさや、|曲が|る《由》角|度ナンカの事だと、思ってちょうだい。……あれ? 先生のジュースは!?」
先生は自分の前に置かれた、お冷やを不思議そうに軽く持ち上げて見ている。
「左端のドリンクバーの所に、お酒も有ったから、そっちがいいかなと思ったんで、とりあえ……」
先生は、|禍璃の顔を一瞬見て、いきなりダッシュ!
外で飲むのは止めてー! 姉さんの事、おぶって帰るのもう|嫌ーよ!
先生に負けじとダッシュする|禍璃。
こう言うところは、ふつうに姉妹っぽい。
ヴァリヴァリヴァリヴァリヴァリヴァリ!
またバリバリやってんのかと再びワルコフを見た。
さっきまでの、ワルコフの身長程度の金属棒じゃなかった。
それは、モールドの向こうに生えてる|非暗号|回線用の電波塔と同じくらいの高さがあり、最上部に何かノズルのようなモノがついてる。
爆煙と土煙が晴れ、テクテク走る”自動屋台”が丸見えになる。
ちなみに、緩衝エリアに土は無え。
「あ……」俺の口から声が漏れた。
またもや全員がワルコフを見る。10メートルほど離れた所に”自動屋台”が逃げるように走っている。
「アレが、彼ら、自動機械さんの、いわば|身体性ですぅ。便宜上ぉ、リグ・モデル・スキーマとかリグ・スキーマ、仮想空間の記述言語によってはリグ・コントローラなんて呼びまぁす」
先生はテーブルに座り、黄金色の液体をなみなみと注いだコップを大事そうに置く
「それ、一杯だけだからね」
|禍璃の厳しい声が先生の声に続く。
トントントーーーン!
とワルコフは棒を持ち、その場で、ジャンプした。
頂点で、スラスターに点火。
ドドドドド。
全く同じ仕草で見上げる笹木姉妹、オレンジジュースを一気飲みしながら見上げる|刀風、口を半開きにして見上げる俺。
ワルコフは30メートルほど上空から、槍投げの要領で巨大な五寸釘のような……巨大なら|五寸じゃねえけど―――
古い映像みてえな、横縞のノイズを出す、”自動屋台”が、巨大五寸釘に、撃ち抜かれた。
満足したのか決着が付いたのか、ワルコフは、空中で背泳ぎをしてその場から距離を取ってる。
「「「「終わった!?」」」」
口をそろえた瞬間。
五寸じゃねえ巨大な釘の|耳から、天空に向かって噴射開始。
シュドドドドドッドドドドド!
噴射はワルコフの推進力と同じ色だ。けど、その勢いは凄まじく、噴射と言うよりも天空へ向かっての砲撃と呼んでもいいぐらいだ。
巨大五寸釘は沈降を開始し、”自動屋台”は無惨にも小さな爆発に包まれてく。
ぼかんどんばんどっかん!
五寸釘が地面に埋まり、”自動屋台”は地面に縫いつけられたまま、緩衝エリアの幅と同じくらいの大爆発を起こした。ソレは、破壊以外の機能を持つとは到底想像できねえ代物で、頭の中を真っ白にするには十分だった。
呆気にとられたままの俺たちに、先生が言葉をかける。
「仮想空間にー、|構造|身体性をー、|別名|保存してぇ、そこから先はぁ|AR映像|そのものが《・・・・・》|思考します《・・・・・》ぅ」
|刀風でさえ、ビビって微動だに出来ない、凄まじい爆風の中、先生は、全く気にせず、説明を続けてくれる。暴風の中でも聞こえるのはそう言う調整機能が多少、効いてるんじゃねえかなと思う。
「そして、仮想空間からの攻撃に対し|迎撃|・《子》|防衛する仕組みですぅ。まあ、コレは講座で来月くらいにヤるところだからぁ、まだ、覚えなくていいんですけどねぇー」
子供みたいな声だけど、まがりなりにも、大人すげえなと、俺は、素直に感心し、先生を見直した。
その顔には……その顔には、トレードマークのメガネが無かった。
俺はARメガネをいったん外してかけ直す。
爆煙は消えたのち、再びノイズ混じりに復活した。
俺はARメガネを外して、制服の胸ポケットに畳んで仕舞う。
|禍璃と|刀風も俺に習う。
「やーいい天気ねえー」と|禍璃。
「本当だな。一時はどうなることかと思ったぜ」いや、|刀風、問題は解決してないぞ。”自動機械の|群体シ《マシン》|ステム《OS》異常”って、こう言う事で起こるんじゃ無えのかぁ!?
「そういや、コウベはどこ行った!?」
俺は、顧問や、部員に習って、当たり障りのない話題を振った。
6・5・2:ワルコフ対自動屋台2
そういやテーブルの隅に置いといた、コウベの入った|P《パーソナル》|B《・ブレイン》|C《・キューブ》が無くなってる。
「ワルコフの応援に行くって言って、|自分で《・・・》|ラジコン《・・・・》|操作して《・・・・》走って行っちゃったわよ」と並べ終わった食卓を見て満足げな|禍璃。
ラジコンてのは、オープンチャンネルで操作も可能な簡易給仕ロボだ。
テーブルに|PBC《コウベ》を、ワイヤーもかけずに、置いといたのがまずかった。まあ、自力で逃げ出すとは思っても見なかったが。
俺はグウウーーっと腹を鳴らしつつ、辺りを見回した。少し離れたところを、腕の付いたカートみたいなのが、元気にキュラキュラと走ってる。
「とりあえずほっといても大丈夫かなー」
周囲に誰もいないし、広い範囲を使う場合の白線表示も出てねえしな。
「まず食わねぇっ?」と言う|刀風の意見に全員が|頷く。
見たら、フォアグラの唐揚げ、特上牛ヒレステーキ、上トロ海鮮丼なんかが追加されてる。ちゃんとしたメニュー名が、テーブルの空いてるトコに表示されるので、わかりやすい。グウウウウウウ。キュルルルルゥ。同時に腹を鳴らす先生と俺。
「でわぁ、みんなお疲れー。かんぱぁーい」
黄金色の飲み物をお冷やで割って、2倍に増やした先生は、そのうちの一つを軽く持ち上げる。俺たちもそれに習ってオレンジジュースを持ち上げる。
|禍璃は、さあ、気合いを入れて戴こうかしら、とポケットから取り出した結束バンドで、キュギッと、後ろ髪をひとまとめにした。
使う? と手渡されたので、蛍光グリーンの荷造り用の|ソレ《・・》で、|禍璃のように、後ろ髪を、キュギッっとまとめた。
向かいに座る|禍璃はフォアグラの唐揚げを、その隣に座る先生は小皿の”ポテサラ”をおかずに”上トロ海鮮丼”を食べ始める。俺同様、やっと飯にありつけた先生の目尻には涙なんか浮かんでる。
「あれ? 俺の”地鶏の丸焼き”が無い?」
さっき確かに、先生に頼んだはず。あれ?
「あれじゃねえか?」
”腕の付いたカートみたいな奴”を、ステーキナイフで指す|刀風。
「ん? 天板の上には|PBC《コウベ》が乗ってるだけだったろ?」
俺は、遠くの走行音を聞きながら、誰も手を伸ばしてなかった、上トロじゃない方の海鮮丼に醤油を垂らす。
「ひたのはん」
|刀風は、ステーキを|口に詰めたまま、フォークで|カート《コウベ》をもう一度指し示した。フォークの先には、形よく面取りされた、ちょうどよい大きさのニンジンが刺さってる。
俺は海鮮丼を一口かっこんで、コウベの操るカートを見ようとしたんだけど―――
「う、うんめぇぇぇぇぇぇぇ!」
俺は、ヤギのように叫んで、米粒を飛ばす。
この空腹状態で、この高級食材使用のメニューだ。|美味ぇ、ひたすら|美味ぇー。
ちょっと! キタナイわね! と自分が確保した皿を手直に引き寄せる|禍璃。
「フマン、フマン」
モグモグン。俺はもごもごと返事をしながら、|咀嚼する。
モグパクモグパクモグモグゴクン。俺は海鮮丼の半分位を、一気にかっこむ。はーっ、美味ぇーっ! 強烈な腹の虫もコレで一段落してくれるだろう。オレンジジュースを飲みながら、今度こそカートを見た。
ちょっと遠くまで行ってしまってるが、何とか見える。確かに、天板下の棚に、まるまるとしたシルエットの地鶏の丸焼きが乗っている。
テーブルに向き直り、俺はひとまず目の前の”上トロじゃない海鮮丼”を平らげる。
「次、近海魚のお造り出るけど、欲しぃーひとぉー?」
”上トロ海鮮丼”を平らげた先生は、空になったドンブリを”自動屋台”後方の、流し台へ突っ込みながら、聞いてくる。
「量はいらないけど、ちょっとだけ食べたい」と小さく挙手する|禍璃。
「俺も少し食べたいっす」食べ終えて空になった鉄板皿を持って、|刀風が立ち上がる。
「じゃ、|お造り《コレ》もシェアしましょー♪」
先生は表示板へ腕時計をかざす。
ビッ! チャリーン♪
”自動屋台”には、天板が3枚付いてた。ソレは自動屋台の設営とともに、中央の1枚が高い位置で、薄く広くスダレみたいに展開して、風雨除けの|幌になった。
もう一枚は客用テーブルになり、自分で客のそばに寄って来たので、ちょっとキモかった。コレにも大きなパラソルが開いたけど、食卓が薄暗くなるので、手で押し戻して閉じた。
最後の一枚はさらに半分に分かれ、リアルタイムのメニュー表示やテレビにもなる表示板と、|ラジ《オープン》|コン《チャンネル》操作も出来る自動給仕ロボになった。
先生は|リムレス《縁》|フレーム《なし》の自分のメガネをかける。周囲が明るいのでLEDは点灯してない。メガネの左端を指先で摘む。
「まだ、ズゴゴゴゴって言ってるわね」
俺たちの使い捨てARメガネと違って拡張映像のオンオフも可能だ。けど、どんなデバイスを使っても、一度リンクした拡張音声は、対象がログアウトかロストするまでオフに出来ないって講座で聞いた。
先生はメガネを再び外す。俺は断然、メガネ有りの方が、頭良さそうに見えるから好きだ。実際、頭は相当に良いらしいけど。|刀風は|絶対に《・・・》”どっちでも良い”って豪語してたっけなー。
「まあ、でも実際、自動屋台にありつけているわけだし、ワルさん大手柄よぉ」
先生は黄金色の飲み物をコップに注いで、後ろ手に隠し戻ってくる。
「ね・え・さ・ん!」
「いーじゃなぁーい! お給料日前のぉ贅沢はぁ至宝ぉー!」
きゃはははは。いくらか、出来上がってきてるのか、はしゃぐ子供みたいな声がいつもにまして甲高く響く。
「今日は、運んでくれる人だって居るんだしぃー!」
こっち側に座る男二人にやや赤くなってきた顔を向ける先生。
「ほへに、ははせてふははい! ほおまへへもほほふりひはふほ!」
|刀風は、イカリングとオニオンリングを口一杯に詰め込んでいる。
「|刀風、なに言ってるかわかんない」
ジト目で立ち上がった|禍璃の手には空になった皿。
……俺も、折角だから、食い溜めしとこかな。
”自動屋台”の表示板によると、”お造り”に多少時間がかかるので、|副内蔵調理機ではデザート作りが始まってる。デザートの品目は分からないが、コレにも時間がかかるだろうし、ソレまで食い物が無いのも寂しい。
となるとさし当たって、コウベが持ってった、”地鶏の丸焼き”を回収せねば。
俺はARメガネをかける。
「ほんとだ、まだズゴゴゴ言ってる」
ズゴゴゴゴゴゴ……。”自動屋台”のディープコピーが大爆発した名残だろ。
キュラキュラキュラ。コウベがカートで走り回ってる、|実世界の音だろ。
ブブブーーーーーッ。そうブブーーッって、この音はクイズ問題で外れたときとかタイムアップの時とかに鳴る音だ―――
「ワールッコフ! ワールッコフ! 頑張れ頑張れワルコッフッ!!」
わー! ドドドドドドドドドンドドン!
一人応援団と化している|米沢首、|20センチ《サムネイル》。
俺はコウベの|側まで、歩いて行った。地面のあちこちに大穴が空いてたけど、足を取られることも無くたどり着く。車内販売用のカートみたいなソレの天板に|P《パーソナル》|B《・ブレイン》|C《・キューブ》が置いてあり、転がらないようにアームが押さえている。
「コウベ」
「シルシ! シルシも応援しなさいよ! ワルコフさんマジピンチだよガブーリ!」
|頬でも|突いてやろうかと突きだした指に、噛みつかれた。
俺はデータグローブも無く、使い捨てARメガネで参照してるに過ぎないはずなんだが、げに恐ろしきは”|手順さえ会|ってれば後|は機械が全|部やって《・・・・》|くれる《・・・》”だ。さて―――
『2年前の、”|自動機械群OS事件”で完全復旧までに3カ月もかかってしまった主な原因は、”|構造|身体性”と|別名保存の実質的な差異を、機械的に検知できなかったからである。
◯か×で答えよ。』
勢いよく掲げられた、びっしりと書かれたプラカード。
ソレを持つノイズ混じりの”|自動屋台”。
あれ? あなたついさっき、大爆発してませんでしたっけ?
ま、ソレを言ったらワルコフだって初撃くらって|粉砕し《迎撃されて》たけど。
その真ん前で、キーボードを打ち込んでるっぽい|宇宙服。
俺たちはもう少し近くまで行ってみる。
m_ カッ
まr_ コカッ
まる_ タンッ
丸_ タンッ
円_ タンッ
。【句点】_ タンッ
.【ピリオド】_ タンッ
満留_ タンッ
巻_ タンッ
團_ タンッ
Malle_ タンッ
ワルコフと”|自動屋台”の間の|地面に、入力された文字がそのまま表示されていく。
俺の制服の袖をハックして表示してたやつだ。
たぶん、状況から察するに、マルバツの◯を表示させたいんだろう。
CIRCLE_ タンッ
㊤_ タンッ
①_ タンッ
◉_ タンッ
あーなんか使わない、訳わかんない記号が先に来ちゃってて、中々目当ての普通の◯にたどり着けないらしい。
◯_ タンッ
やった! ワルコフやったぜ!
そこだ! ワルコフさん! マジパネェ! ギャーッ!
俺まで、本気で応援してしまった。
◍_ タンッ
あっ! 行きすぎたっ!
なにやってんの! ワルコフ!? ギャギャー!
ワルコフは俊敏な動きで、なんかアタフタしている。
「ワルコフ! 上矢印で戻る!」
俺は助言してみた!
◯_ カッ
よし戻った! 『Enter』押せ!
ワルコフ! そこだ!
ブブブーーーーーッ。タイムアップ! どこからともなく合成音声が響き渡る。さっき聞いた音はコレか。
”自動屋台”の表示板を見ると、デジタルカウンターが”00:00”って表示されてる。むむむ。全く意味はわからねえけど、俺たちが旨いモノ食ってる間にもワルコフは闘っていたのかと思うとなんか悪い気がしてきたので、真面目に助けてやることにする。
「|◯×《マルバツ》答えるだけならジェスチャーでも良いんじゃねーか?」
6・5・3:ワルコフ対自動屋台3
ワルコフは機敏な動きで、|ちょっと《30°位》だけこっちを振り向き、親指を立てた。
「ズッチャッ♪」|どこか《AR》|らとも《メガネ》|なく《から》出題音。
『2年前の、”|自動機械群OS事件”は、最初期の人造人格の1個体が、それまで不可能だと思われていた、”人造人格”が自身の”|構造|身体性”を|別名|保存、したために発生した。
◯か✕で答えよ。』
掲げたプラカードに問題文が表示される。
ワルコフは自分の体の前で、ガチンと鈍い音を放つ。
ガッチンガッチンガッチン!
俺は一歩ワルコフの前へ回り込んだ。コウベもキュラキュラと付いてきた。
ワルコフは右手の平に、左手の指先を突き立てている。
何だ? 俺も同じポーズをしてみて、思い|至る。|斜めってるけど。
「……タイム|したいの《アウト》か?」
カタタ。即座に地面に”否”と表示される。そっか、タイムじゃないのか。
手先で、しきりに漢字の”|入”の文字を作っている。
力の入り具合によって、”|人”みたく逆の手の平に指先を突き立てたりしてる。
そのポーズのまま打鍵音。最初期|NPC《人造人格》ということで、いろいろと性能的な制約はあるのかも知れないが、十分に器用な気はする。
『私ノ自由度限界ヲ越エテイマス。』
地面に表示された文字を読む。
「自由度……? あっ|✕《バツ》っ! |✕《バツ》出来ないのかオマエ!」
あの|面白い形の敬礼が出来て、槍投げも出来るのに、両手をクロスすることは出来ねえのか。最初期|NPC《人造人格》ということで、やっぱり色々と、器用じゃ無いのかもしれない。
「ワルコフ、体、堅ったいなぁー」ギャハハハッ! ダメじゃん! プグフヒヒッ。
指を指して、体をくねらせるコウベ。ワルコフは”神”じゃなかったのか? 少しで良いから|敬ってやれ。
どのみち、|自動|屋台の表示板の、カウントダウンはタイム申請を受け付けず、非常にも―――ブブブーーーーーッ。タイムアップになった。
|自動|屋台は何を思ったか、プラカードで思いっきり叩いて、|宇宙服を粉砕した。プラカードも同時に粉々になった。
「しっかし、|脆いなー、”|自動|屋台”みたく大爆発もしねえしなー」
俺は光の粒子になって天へ上っていく、|最初期NPCを不憫に思い―――背後から歩いてきた新しい|宇宙服の腕を掴んで止める。やっぱり、ワルコフもコウベも、どこか特別製なのが判ってきた。俺はデータグローブを|装着し《付け》てねえ。いくら”|手順さえ会|ってれば後|は機械が全|部やって《・・・・》|くれる《・・・》”って言っても、こうも正確に|ポイ《つ》|ント《か》|出来るのは不自然だ。先生の講座じゃ”発生するズレを不自然な動きで|補完される《つなぐ》”って話だったんだけど。
えっ? なぁに? と言うように|顔を向けるワルコフは意外と小さく感じた。
「オマエが”自動屋台”に|電子戦仕掛けてくれたおかげで、旨い飯にありつけた。サンキューなっ」
実世界の”自動屋台”と、|テーブル《そのソバ》でデザートをパクついてる部員達をアゴで指す。
俺の分、ちゃんと残しとけよな~。と、念じたら、先生が手旗信号のようにフォークを振り始めた。|禍璃は、新しいケーキに手を伸ばしてる。それ、俺の分じゃねえだろうな~。
カタカタタ、タンッ
足下の地面に『|仮想|電子戦ハ、オ手ノ物デス。』と、表示し、照れるようにモジモジする|宇宙服。何か気持ち悪ぃので、掴んだ手を払うように離す。『|仮想|電子戦ハ、―――人生。』なんか追記してたけど、面倒だったから|無視した。
「この通り、目的は果たしたし、もう休戦しようぜ?」
実際、”自動屋台”も”ワルコフ”も、戦う武器が残って無ぇっぽいし。
”|自動|屋台”の白い筒が並んでたトコが空になって、蜂の巣みたいになってる。
ワルコフも、背中のバックパックの両端に付いていたらしい棒はもう無い。
『ソウ言ウ問題デハナイノデス。コレワモウ、”自動屋台”ト、|ワルコフ《ワタシ》ノ、全力戦闘ニヨル、絶対評価ノ場ナノデス。』
”|自動|屋台”は、さもありなんというように、新しいプラカードを取り出した。やる気だ。プラカードはどっから出してるのか判らないが、未だストックが尽きる気配は無い。
『2年前の、”|自動機械群OS事件”の―――』
「ちょっと待て。戦闘続行するなら仕方ない……けど どうせなら、なんか、もっと楽しい題材にしようぜ。何か無ぇのか、気の利いた陽気な出題テーマは?」
プラカードに表示されていく文字を、俺は言葉で遮った。
延々と同じ話題が続きそうな予感がしたからだ。
俺の制服の校章辺りをコウベが見てる。どした? と聞いてやったら、コウベはべっつにー、と言って、俺の肘の辺りを噛み出した。
「ズッチャッ♪」
『|鋤灼|驗は”VR拡張遊技特区立ターミナル学園|α《アルファ》”の生徒である。◯か✕で答えよ。』
「”俺”は陽気な出題テーマか!」
答えは✕だ。開発版”学園α”は二年前に無事、運用実績を認められ、評価版である”学園|β《ベータ》”へと再編してる。
ワルコフは、”|自動|屋台”へ向き直り、タイピング音を出し始める。
ばt_ コカッ
ばつ_ カチャ
罰_ タンッ
抜_ タンッ
閥_ タンッ
末_ タンッ
伐_ タンッ
筏_ タンッ
跋_ タンッ
あ、ダメだこりゃ。やっぱりワルコフIMEの学習機能はオフになってるっぽい。
「ワルコフさんの実力はこんなもんじゃねぇーっ!」ニャギャーーーー! ドドンドコドコッ!
「おまえはワルコフのなにを知ってるんだ。聞いた感じじゃ、おまえ、ワルコフと数回会って|飯ごちそうになっただけじゃねえか」
「おもしろいことヤってんな」
|刀風の声に振り返ると、近くまで、テーブルが瞬間移動してて、ビビった! ゆっくりと滑るように近寄ってくるテーブルは凄くシュールで、キモかった。三人はテーブルにくっついてるイスに座ったまま、ケーキ風のモノをスプーンで削るように切り取って口に運んでる。
コウベはソレを見て、「ゴハンだっ」と|息巻いていたが、
「このケーキはオマエには無理だ。それにさっき巨大シイタケ丸ごと喰っちまったばっかりじゃねえか」
簡易ARメガネをかけた、|刀風は、ケーキをパクつきながら自分の携帯ゲーム端末で何かを操ってる。たぶんテーブルを操作してるんだろ。オープンチャンネルでのラジコン操作は|NPCのようにスムーズにとは行かないみたいだけど、|邪魔|なモ《衝》|ノが《エ》|無い《リ》|平面だから問題無い。ワルコフが殲滅した”|自動|屋台”の爆発も、ようやく消えて、視界良好だしな。
その後ろを少し離されながら、|子鴨のように|追従する”|自動|屋台”。テーブルと比べると、脚部も太く、動きは滑らか。|自動屋台は、それほどキモい感じはしない。
カチカチカチッ。
”|自動|屋台”は表示板を凄まじいスピードで、明滅させる。
カチカチカチッ。
”|自動|屋台”は、それに答えるように、同じく表示板を凄まじいスピードで明滅させた。
なんだ? なんか、|通信してる。”|自動|屋台”の表示板が元の”|残り《デジタル》|時間”に戻る。|通信中はタイマーはストップしていたらしく、幾分、残り時間があった。
ワルコフは、例の凄まじく俊敏な動きで、俺とコウベを迂回し、テーブルへ駆け寄った。そして、|刀風の携帯ゲーム端末の表示板から、”何か”をつまみ出し、即座にバイザー部分に押し当てた。
一瞬目に入った”何か”は箱型で、レトロゲームのボックスアートが描かれていて、バイザー部分に吸い込まれて消えた。
”|自動|屋台”の表示板が”00:01”を示し、プラカードをピクリとさせた瞬間―――
ワルコフは振り向きざまに、いつの間にか手にしていた、”銃”をぶっ放した!
6・5・4:ワルコフ対自動屋台4
どっから持ってきたんだ、あんな|拳銃―――
ブブーーーーーッ!
タイムアップ!? |拳銃ぶっ放しても、|効果無しか《効かねぇ》!?
……っていうか、銃声したっけ?―――
バッカアァァァァン! プラカードが真っぷたつに割れた。
さっきのブザー音は|タイムオ《・・・・》|ーバーの《・・・・》|じゃなくて《・・・・・》―――
「YOUR WIN♪」 どこからともなく、陽気な合成音声が流れた。
パパパッパパパーッ♪ 正解をたたえるファンファーレが鳴り終わった瞬間。
|自動屋台の横っ腹が、透明の鉄球に押しつぶされたように凹み、ひしゃげた。ぼむん。小爆発のおまけ付き。
ワルコフの引いたトリガが、リリースしたのはカートリッジが内包した運動エネルギーではなく―――『|✕《ばつ》』だ。
ワルコフが|早|撃ち《ドロー》した、円盤に『✕』が描かれてる。もちろん裏側には『◯』が描かれてる。円盤は|寸足らず《ショートバレル》な拳銃から|屹立したアームに支えられてる。
ケーキを平らげ、食い物の無くなった|刀風は携帯ゲーム機を持って寄ってきた。
カシャッ! ワルコフはトリガを緩めて◯✕円盤を|水|平に|戻す《畳んだ》。
「それ、◯✕|銃じゃんか!」
ワルコフの、手の中のオモチャのような拳銃を指さし、詰め寄るイケメン。
その|響き《名前》には聞き覚えがある。たしか2Dレトロゲーの|自機標準装備だった気が。|刀風は慌てて携帯ゲーム機を操作してる。
「嘘っマジか!? 無くなってる! ワルコフてめえ! 俺の『クイズ! ◯✕ガンマン!』喰いやがったな!?」
|喚く|筋骨隆々。
さっき、ワルコフが|刀風のゲーム機から引っこ抜いて|吸い込んだ《喰った》のはソレか。
ワルコフが2個有るトリガを両方とも引き絞ると、『✕』がブブーーーッと跳ね上がった。トリガの一つは跳ね上げる役で、もう一つは◯を✕に裏返す役っぽい。小さなグリップに縦に並ぶトリガは、決して操作しやすいように見えないが、ワルコフは自在に操ってる。宇宙服の腕周りの不自由さと比べると、指先は器用に動くっぽい。
ちなみに、|現在では、印刷された『◯』を『✕』に瞬間的に変えることも当然可能だ。どのみちAR空間上のアイテムなんだから、自在ではあるのだが、元のゲームが発売された時代の技術や、デザインにあわせて、出来るだけ再現してるっぽい。 VR空間で扱うアイテムと比べると、AR空間内で扱うアイテムの方が、”再現度”を重視してるって、先生も言ってたっけな。
元ネタがあると、”再現度”に|拘るのは分からなくもねえけど、この場合、元ネタってドット絵だからな~。
|刀風は、携帯ゲーム機の|表示板を、俺達の方へ向けて突き出した。
『ライブラリ/テーブルゲーム』という見出し。リスト左端に並ぶゲームアイコン。その中に空いた一個分の|空白と、その列に書かれた文字。
『データがありません。』
「♪~ <(゚ε゚)>」カタタッ 地面にスットボケた顔文字を出すワルコフ。
パシャコン ブブーッ♪ カシャン
パシャコン ブブーッ♪ カシャン
パシャコン ブブーッ♪ カシャン
|小躍り《ステップ》|しながら《ふんで》、実にタイミング良く、腰溜めで”✕”を3連射するワルコフ。
「……ふざけてやがる。怒って良いぞ|刀風」
「フン」
スカッ。宇宙服の脳天に軽くチョップをくれてやろうとした|刀風は、一切の触感を受け無かったらしく、バランスを崩した。
「おっと、やっぱ、データグローブ無ぇと無理か。……笹ちゃんの手前、今回は許してやるが、ちゃんとアーカイブで買って返せよなっ!」
先生がすぐ後ろで、見てるからってのも有るだろが、寛容なところを見せるイケメン。よろけた制服の校章が|瞬き―――
ズッチャッ♪
『|刀風|曜次の所持するゲームアーカイブの総数は13本である。
◯か✕で答えよ。』
歪んだ筐体にムチ打って、斜めになりながらも、|毅然と、出題する。
しぶとい。|自動|屋台さん、超しぶとい。
ワルコフは|自動|屋台を振り返りもせずに、◯✕|銃を|向け《エイミング》―――
パシャコン ピポォォォォォン♪
『◯』を|提示する《撃ち込む》ワルコフは宇宙服のくせに、アクション俳優っぽくて格好良かった。くそう、ワルコフのくせに。
コウベも、ワルコフ文字を視る前に、内容を把握したりしてたから、NPC同士で、行う処理を、一瞬で相殺したり出来るんだろか。具体的にどうすんのか、判らねーけど、対|プレイヤー《人間》対策として、”ボスクラス・モンスター”が、そういうのをバンバン使ってくるってスタバのパンフに書いてあった気がする。
バガシャァン! |自動|屋台の掲げたプラカードが割れる。
「YOUR WIN♪」 どこからともなく、陽気な合成音声が流れた。
パパパッパパパーッ♪ 正解をたたえるファンファーレが鳴り終わった瞬間。
|自動屋台の天板の、まだ平らな部分が、透明の鉄球に押しつぶされたように何カ所も凹み、全体が、まんべんなく潰れた。
ヒュゴン。
|自動|屋台から光が漏れる。
強い光のせいで、影が強く出て、まるで、黒い光が放射されてるみたいだった。
カカカカカカカカカカッ!
カタタタタンッ!
ワルコフが何か文字を地面に打ち込んでたけど、光と影に埋もれて、とても見えなかった。
ズドドドドドドドドドドドドッドドドッガアァァァァァァァァァァァン!
「うっをわ!」「ぬぁーーっ!」
俺たちはあわてて、ARメガネを外した。あまりの|大音量のせいで、手に持ってるだけでもズゴゴゴゴゴって、聞こえてくるから、さっさと畳んでスリープ状態にした。
光と炎と噴煙と、|宇宙服と|確認用コウベが消える。
かわりに地面に印刷品質の文字が表示されていく。コレはホログラフィー技術を応用した画素表示だから、ARメガネが無くても見れる。
『MISSION COMPLETE:
Dinner×Venderノ残存DeepCopy = 0
仮想電子戦闘終了。_』
びろびろろと表示された文字の、|後ろのカーソルが明滅している。
―――えっと、「……と、とりあえず飯の続きだ」
俺は|PBC《コウベ》が乗った|簡易|給仕|ロボ《ト》の、下の段に置かれっぱなしの、とっくに冷めた”地鶏の丸焼き”の皿を慎重に取り出した。
データ・ウォッチの表示板には、|自動|屋台稼働中の文字と交互に検出NPCのリストが表示されてる。
・DinnerVender<Host>
・米沢首<PBC>
・Warkov<Remote>
「なあ、ワルコフって、金持ってっかな?」
フルダイブVR導入期な今、前時代的なレトロゲーは、その扱いは余り良くは無い。だが、扱いに反して、評価・人気が高いから、実は結構高い。
「爆発収まったら、聞いて見よーぜ」
両手がふさがった俺は、肘で|刀風を|突く。
周囲を、ふと見渡す。
緩衝エリアの|帯中央で、|未だ周囲には誰もなく、俺たち四人と|自動|屋台と|PBC《コウベ》の操る|簡易|給仕|ロボ《カート》だけだ。緩衝エリア外周側モールド近くに、|マク《コミ》|デブ《ュー》|ルク《ター》は置きっぱなしだ。
こんな開けた屋外で、鳥の丸焼きの乗った皿を大事に抱えてる。俺一人だったら、相当シュールだったろうな。
俺の|側まで、笹木姉妹もやってきた。
「あれ? 君ぃ、良いぃの持ってるねぇ」と、姉の方。
「そうね、姉さん、次の|料理まで、3分かかるしー」と妹の方。
舌っ足らずなOLさん然とした妙齢の女性、及び、幼い印象ながらも凛とした現役女子高校生。彼女らは、両手をわきわきさせながら、ジリジリと、にじり寄ってくる。
ARメガネは外したままだ。俺たちの様子から、今まさにココで大爆発中だと分かったのかもしれない。
いや、地面のワルコフ文字が、爆発の影響でブロックノイズを出していれば気づくか。爆発の影響を表現してるワルコフの”芸”は、さっき一回見てるし。仮に、実世界で大爆発にさらされても、画素表示は、暗号通信と同じく停電でも起きなきゃ外部からの介入を受けない。大規模な画素演算発生中に、画素不足で鏡面化する事は有るけどな。
ピッ!
先生と俺の腕から|通知音。
再び、|禍璃と|刀風が俺を睨む。
俺は皿ごと腕を持ち上げて表示を確認した。
『<自動屋台>からのメッセージが 1件 有ります。』
なんだ!? 俺は両手がふさがったままなので「音声入力」で「メッセージ確認」し―――。
『緊急事態発生につき、本日の業務を強制終了させていただきます。ご利用まことにありがとうございました。』
えっ!? 終わり!? なんで? ディナーって名前に付いてるくらいだし、暗くなる位までやってたはず。食材在庫がある限りは、客が途切れるまで営業するのが”自動屋台”の良いとこなのに。まだまだ、食い溜めにはほど遠いぞっ。
ごつい腕時計に指を伸ばした先生も口をパクパクさせてる。
ピピピピ!
|警告音。今度は全員のデバイスが鳴ってる。同じ音だが、デバイス環境に|因って、ちょっとずつズレていくので、ウネリというか不協和音みたいな感じになる。
今度は、自分たちのウェアラブルデバイスからも同じ|警告音が発せられたため、|禍璃と|刀風も|訝しみながらも、手元を確認してる。
そして、先生含めた全員が困惑の表情で、俺を見る。なんだこの状況?
◎ びゅわ
◎◎◎ びゅわわっ
◎◎◎◎◎◎◎ びゅわわわわわわわっ
緩衝エリア内を、実験・催事等で広範囲に使用する際に、2重線で囲われる”エリア内占有”表示。俺の周りの地面を次々と、無数の2重丸が覆い尽くしていく。正確な円で描かれ、直径1メートル程度から、大きいのは直径|5メートル《2トントラック》くらいまで。
何だ何だ何なんだ!?
再びデータ・ウォッチを見た。今度のは、|警告音、つまり|自動機|械群からの|追跡|通知だから、アプリよりも優先されて、自動的に表示されてる。
『自動屋台からのお知らせです。<プレイヤー:|鋤灼|驗>を|驚異と認定し、接敵行動に移行します。※この通知が届いた方は、直ちに該当エリアから退避してください。』
6・5・5:ワルコフ対自動屋台5
ギュワァーーーーン!
俺の足下の2重丸が、水滴が起こした波のように広がってく。
すぐに何倍もの大きさになり、周囲の2重丸を押しやる。
ガシガシガシンと|小刻みで《まるでワルコフ》|素早い《のような》動きで、こっちに正対する|自動|屋台。
なんかおっかねえ! けど……も、問題無いはずっ。
|自動機械の|頭脳は、正式な作法で基幹フレームから|ローカ《地域》|ライズ《特化》された特注品だ。
大規模な実験設備運用及び、特区都市の|希少な《ライブ》ログを継続するために、通常の数十倍の災害対策がなされてるからぁ、とーってもぉ安全ですぅって先生言ってたし。
ココに住んでる俺たちや、日帰りの客の安全を、最優先で考えてサービスを提供してくれているはず―――。
『ごく一部の”自動機械”の、利便性を全く無視した遭遇率の低さは、安全に|遠因する』って、難しい言葉で、特区の|取説に書いてあったはず―――。
つまり、”|自動屋台”は安心・安全を体現してるはず―――。
「プレイヤー、スキヤキ・シルシ、ヲ、カテゴリ3ノ驚異ト認定シマシタ」
近くに居る、”|自動|屋台”から合成音声が出た。
パパーン♪
あれ? 小さくファンファーレ鳴った? あれ? これ褒められてる?
「プ、プレイヤーって何の!? カテゴリ3って、な、なんだっ!?」
俺は、震えた声を絞り出す。
『処理中ニ付キ、オ答エ出来マセン。―――|バトルレ《・・・・》|ンダ《・・》起動』
|轟く|合成|音声。
「また、不穏な響きの宣言がぁっ!」
|戦慄く|先生。ばとるれんだぁってなぁにぃ? 聞いたことないしぃー! そんなの、|取|説のドコにも載ってないしぃーと、取り乱す。テーブルへ戻り、コップをあおるが、黄金色の液体は、もう無いっぽい。ひっくり返したコップを舌で突っついてる。
刀風は見ないふりをしている。刀風偉いな。
姉さん落ち着いて、コレでも飲んでと、|禍璃は、ドリンクサーバーからオレンジジュースを注いでいる。つまり、今まさに、|なんか《・・・》起動中の|自動|屋台にピッタリより沿って注いでる。なんつー|豪胆さだ。
『目標、プレイヤー、スキヤキシルシ、目的、VR兵装の無力化』
|轟く|合成|音声。
あ、これ駄目なやつだ。狙われてんだから、俺も危ねぇけど、|禍璃! ゼロ距離で何やってんだ。何でオマエ、自分の分まで注いだりしてんだ。
キュルルルルッガシャッパリーンガララッ!
ひっ|掴もうと思った、その手を、|刀風がさらっていく。
片手で携帯ゲーム機を操作しテーブルを旋回。空いた手で|禍璃を引っ張り、テーブルに付いたイスに登らせてる。先生も振り落とされないよう天板の|縁にしがみついている。スピードは出ていないが、旋回速度は中々あるっぽい。
|禍璃の落とした、底と縁だけドジャー・ブルーな、透明コップが、旋回した|テーブル《イス》に蹴飛ばされ転がってく。
「|鋤灼も乗れっ!」
カッケー! |刀風、マジ、カッケー!
俺たちの足下は、普通の|ハイ・プラスチック《アスファルト風》の地面だ。
俺たちを遠間で囲む大きな2重丸の外側には小さい2重丸が無数に敷き詰められてる。この白線は、透けない”完全ホログラフィー”の技術を転用したモノだ。初めて見た時、ものすごく驚いたけど、1週間で慣れた。|地下都|市空間やその直上都市周辺で|死角無く《どこにでも》投射できるらしい。
◎
◉ フッ
「っきゃ」「わっ」「ぎゃっ」「んなっ」
その大きな2重丸に囲まれたアスファルトが消える。
2重丸の内側の丸が、塗りつぶされたのだ。眩しいくらいに真っ白だ。
俺はテーブルに向かう足を緩め、上半身を|捻って振り返る。
>> ビビッ! ”|自動|屋台”の表示板に何か出た。
ぎゅちっ! 止まっていた2重丸はさらに膨張。
>>>>>>>> ビビビビビビッ! それは音量を示す断続的なバー表示に似てて、いきなり最大になる。
くるくるーぎゅるるん! バー表示が猛スピードで回転し出す。なんだこれ?
”|自動|屋台”は微動だにしない。
地面の|表示も変化なし? いや、周囲のちいさい2重丸が時計回りに、そのさらに外のが反時計回りにゆっくりと旋回し出す。
「今のうちに来い! 皿すてろバカッ!」
見ると、少し遠ざかってるテーブルから、|刀風が手を伸ばしてる。
俺は未だに”地鶏の丸焼き”を後生大事に抱えてる。
「えーっ! これ、店で食べたら、1万円くらいすんじゃね?」
「じゃ、持ってこい!」「そうする!」
ひゅっ! 足下のでかい白丸が、縮んだ。なんだよ次から次へと。
俺がまた振り向くと、白丸は”|自動|屋台”の下へ吸い込まれてスポッと隠れた。「きめぇ」「キモ」「広範囲描画は難しいのに~」
口々に感想を述べるテーブル組。
空いた余白に、なだれ込むように、小さい2重丸が入り込んでくる。
ナンカやばい? 俺はドタドタと加速し、テーブルに皿を叩き付けるように置いた。そして距離の空いたテーブルへ向かって再加速し、何とかイスへ飛び乗った。
振り返ると”表示板”の中央からオレンジ色の|●《まる》が膨張―――
再び一気に押しやられた周囲の丸は、逃げ場を求め、事も有ろうに、バキバキと平面から飛び出した!
「んなっ」|禍璃は頭上を見上げ、|刀風は、驚愕の表情のまま舵を切り、先生は俺と一緒に皿をしっかりと押さえている。皿は深さがあるので、皿から|中身が転げ落ちたりしないのが救いだ。
跳ね上がった|輪の『太さ』は俺の顔の横幅くらいか。見上げるほどの頭上で、直径1メートル位の2重円がバラけ、ゆっくりと降ってくる。
あれ? なんで、何で平面に表示された画素が、消えずに飛び出してくるんだ!?
俺、ダイブ中だっけ? いや違う。簡易AR眼鏡すらかけてねえし。
「先生っ! 何で、ハイ・プラスチックの地面に投射されてるだけの光の粒子が―――」
”悩んでます。先生は悩んでますよ”と言わんばかりの、|藪睨み。
―――今の状況すべてがイレギュラーっぽいことは理解できた。
|刀風は、そんな|藪睨み、ですら、愛しく感じるようで、チラチラと気にしながら、テーブルを操作してる。
ちょっとウゼェ、と思ったら、案の定、テーブルの下で|禍璃に蹴られたらしく、「痛っ、蹴るな、危ねー」と抗議してる。
テーブルに付いたタイヤはとても小さなもので、旋回に特化しているため、直進性が弱い。
時にはスイッチバックの要領で、時には切り返したまま一回転したりして、器用に走らせている。走った方が早いかと思うくらいだけど、緩衝エリアは結構広く、全力疾走では、止まった時に追いつかれないとも限らない。
俺は、危なくないんだとしても、なにか武器がほしいと思い、テーブルの横とかさすってみる。
取っ手があったので引いてみると、トングが二つ引き出され、取り出しやすく、ぶら下がった状態になる。ソレを「|刀風、これっ」と渡そうとしたら、|禍璃に|奪わ《インター》|れた《セプト》。
「じゃ、オマエ、ちゃんと、たたき落とせよ」と、頭上1メートルになった”輪”をトングで指す。
まかしときなさいと振り回してみせる|禍璃。
「危ねえ!」食材を掴むだけの、小さなモンだけど当たれば怪我する。
先生はそんな俺たちを見て、「そうね、悩んでたってしょうが無いよねぇ、出来る事しましょー」と、掴んでいたポールに付いた大きなパラソルを開く。
お、こりゃいい。と思ったのも束の間。
かなり分厚い合成生地で出来ているにも関わらず、すぱりとスリットをあけ白い輪は難なく進入してくる。
めちゃくちゃ振り回した|禍璃の活躍で、何とか、飛び込んできた輪を粉砕した。
だめだ視界が遮られる分、よけい危ねえ。
「先生、コレ駄目だ、畳んでっ」「はぁーい」
地面に落ちた輪は、接触と同時に、粉砕され、消えてる。
フオオオォォォォォォン!
うらっ! シャリンッ!
えいっ! シャリンッ!
次々に、跳ね上げられ飛来する、白い輪を俺と|禍璃が、粉砕していく。
なんつったっけ、こういう武器有ったよな。
水平に切った薄切りのタマネギみてえな―――
俺は|刀風が喰ってたイカ&オニオンリングを思い出した。
やっぱり普通サイズの海鮮丼一人前だけじゃ、朝からの空腹は押さえきれねー。
この、白い輪っか、壊れて、丸焼きにかかっちゃったら、食べられなくなったりしそうだなぁ。せめて、一口だけでも―――
片手で押さえた、皿に乗った”地鶏の丸焼き”に、|齧り付く。
ガブリ。旨ぇ! 炭火の香ばしさと、皮に擦り込まれたスパイスのハーモニー。レモンみたいな香りもして―――
シュルルルルッ! ちょうど俺の頭があったあたりをかすめて、薄っぺらの輪が落ちていった。
「はっふへー」モギュモギュリ。
後ろを見れば”|自動|屋台”が、滑るようにこっちを追従してる。向こうは、時々、角度を変える|度に停止してるから、このままなら追い付かれることはなさそうだ。……けど足下でオレンジ色の●が、でかくなったり小さくなって引っ込んだりしてて、不気味っつうか……怖ぇな。
6・5・6:ワルコフ対自動屋台6
キュルッ!
……キュルルルルルルッ!
|刀風はテーブル操作の、切り返しの時に、暫く止まって様子を見てる。
”|自動|屋台”は、オレンジ色を俺たちの方に、先行させたり、脈動するタイミングを変化させたりしてる。生物的な威嚇行動っぽい感じで、スゲェ不気味だ。実際、一定の距離を取って、それ以上、近寄ってこない。
つうか、輪が飛んで来ねーぞ? 止んだか? 周囲に表示されてた、小さな輪がすっかり無くなってた。撃ち尽くしたのかもしれねえ。モギュゴクリ。
「|鋤灼君ー、先生にもー、一口ちょうだぁーい!」
よし、先生に余裕有るうちは何とか成る気がする。平皿を片手で|笠のように被り、空いた手で、しっかりと俺の丸焼きの皿を掴んでる。
「手、汚れますよ?」
俺のギトギトになった手を見せる。
「平気平気ぃー」
俺が|齧り付いてない方のモモを、手で千切ろうとしたけど、中々千切れない。
「はい」とウェットティッシュで、拭いてから、ステーキナイフを差し出す|禍璃。
「お、気が利く」と有り難く、受け取ろうとしたが、|禍璃は、ナイフを放さない。
グ、グググ。
「私の分は?」|禍璃は、笑顔で自分の取り分を要求してくる。
「……判った。みんなで分けよう」俺一人で食うつもりだったんだけど、コレが最後の一品になっちまったからな。
ステーキナイフは小振りだけど、鳥の丸焼きを切るには十分。
先生は自分の被っていた皿を、ウェットティッシュで拭いてる。
俺は丸焼きをザクザク切り分け、平皿に一人前×2つ、取り分けた。
|禍璃は「それ、ちょっと多くなーい?」と俺の分にケチを付けてくる。
「でも、もう俺のドンブリに盛っちゃったもんね」と、俺は取り分を主張した。確かにチョット多く取った。配膳が手慣れてたり、妙に食事の配膳にコダワリを見せるな|禍璃。
「刀風の分は、大皿に残しとくからな」
これ以外の器は、最初の旋回で落ちてもう無ぇ。
|刀風は緩衝エリア内だってのに、携帯ゲーム機に向かって話しかけてた。緩衝エリア内では、エリア外との通信に|課金かかるから、普段の|刀風なら絶対に、外に出てから通話する。つうか、|都市に居る全学生がそうする。広くて色々使えそうなのに、人通りの無い原因の一つが課金だ。近距離のオープンチャンネルや、クライアントを介したクラウド使用はできるけど。
「やっぱりダメだ。緊急通話も落ちてやがる」
|刀風は携帯ゲーム機の、1センチくらいの長さの緊急通信アンテナを、押し込んで本体に仕舞う。
通話が出来ない時点で、やはり異常事態だって事が判る。こんな状況じゃ無かったら、『|通話で《・・・》|きない《・・・》』なんて言ったら、|金一封モノ《・・・・・》だったのに。
テーブルの|縁を|弾いて、果物用っぽい平たい楊枝を、取り出しながら言ってくる。ほんと、そつが無ぇ|筋骨隆々だ。
「あ、|さっき《はっひ》、モグモグモグ、|システム《ヒフ》|管理者にぃー、開発者|コンソール《ホンホーウ》から|メッセージ《ヘッヘーヒ》送っはんはへほぉー、モグゴクリ、ふはぁー。|応答|無しぃ《ゼロ》~」
手づかみで食べてた先生が、ゴツい腕時計をかざす。
「だから、姉さん。何言ってるか分かんな―――」
受け取った楊枝の一本を、俺に差し出す、|禍璃の手が止まる。またなんか要求があんのかと思ったけど、|禍璃|眼は緩衝エリアの出口を凝視してる。
俺も見た。
緩衝エリア出口の外周側出口が無くなってた。
正確には、”|鋳型|がブロック《・・・・・》|玩具のよう《・・・・・》|に盛り上が《・・・・》|り、立ちふ《・ ・・・》|さがってて《・・・・・》|向こうが見|えない《・・・》”だ。
とにかく、緩衝エリアを這ってでも出ちまえば、どうにでもなると思ってたけど、建物を囲む塀やフェンスに囲まれて、通路以外からは出られそうに無い。
全員慌てて、鶏肉を口に詰め込む。そうだ事態を飲み込む前に、口の中の食事を飲み込もうぜ。
しかし、みんな食い意地張ってんなー。俺みたいな、苦学生じゃ有るまいし
なー。ま、でも、食事の趣味が合うってのは、悪く無ぇと思った。
あと、やっぱ、この丸焼き、冷めてても超旨ぇ!
|禍璃も目を丸くして「|結構いけ《へっほーひへ》|るわね《ふはへ》」と絶賛してる。
ヒュィーーーン。キュキキッ!
来た。一斉に振り返る。|刀風と|禍璃はまだ地鶏が残ってるから、手に持つ皿ごと振り返った。
スグ後ろに”|自動|屋台”が停止する。
◎ びゅわ
◎◎◎ びゅわわっ
◎◎◎◎◎◎◎ びゅわわわわわわわっ
緩衝エリア内を、実験・催事等で広範囲に使用する際に、2重線で囲われる”エリア内占有”表示。俺達の周りの地面を次々と、無数の2重丸が覆い尽くしていく。正確な円で描かれ、直径1メートル程度のソレは、前回の比じゃなく―――
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ びゅわわわわわわわわわわわわーっ
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ びゅわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわーーっ
「うわわわっ」声が漏れた。
たぶん900メートル幅の緩衝エリアを全部埋め尽くしてる。
同じくらいかそれ以上に長い範囲で、横にも広がってるだろう。
「わ、姉さん、どうしよう」
「とりあえずぅ、こうしましょぉう!」
「そうだな、ソレがいいな!」
まだ、どうすんのか聞いてねえけど、|刀風に習って俺も先生の意見に賛成だ。もう、どうすりゃいいのかわからねえ。
前 |刀風 後
後 俺 前
前 先生 後
後 |禍璃 前
|刀風を先頭に、テーブル下に、体育座りで横並び。交互に向きを変えてるのは、省スペースを|図ってのことだ。
妙案が、浮かぶまでぇ、コレで|凌ぐわよぅ! とは先生の談。
パップルペップルピルルルレリッ♪
「あらぁ、通話ぁ? 誰かしらぁ?」
「いいから姉さん出て出て」
「もしぃもしぃ?」
俺は先生の声に集中しながら、”|自動|屋台”の様子をうかがう。
”|自動|屋台”は四股を踏むように、のしっガシン! のしっガシン! と、その場で足踏みを開始する。
そのたびに、俺たちの周りだけ空いてた余白部分に小さい輪が滑り寄ってくる。
まるで、”|自動|屋台”に吸い寄せられてるみたいだ。
ブラックホールとか、蟻地獄とかそんな単語が脳裏に張り付く。
『最適化完了シマシタ―――バトルレンダ|再起動』
”表示板”の中央から赤色の●が膨張―――
「どうも、どうも、コチラ、|システム《シス》|管理者の|白焚と申しますぅーーっ!」
漏れてくる声に、聞き覚えがある気がしたが、―――ソレどころじゃねぇ!
「はぁい、それはぁどうもぉ、ご丁寧にぃー」
「姉さん、いいから、早く用件を―――」
「来るぞっ!」|刀風が叫ぶ。
同時に、”|自動|屋台”の足下から毒々しさを感じさせる、血の色のような”赤”が血だまりのように広がってきた。
それに近寄ってくる白い◎。接触と同時に、瞬時に赤く染まり、ヒネるように立ち上がる。赤い車輪は軸に沿って、その場で回転し出した。地面を跳ねあちこち移動しながら回転のスピードを増していく。やがて、地面から火花が、発せられると、俺たちの方へ猛烈なスピードで転がってきた! その軌跡から火花が立ち上り、閃光を発してる!
ギャギャギャギャギャギャッ!
2重丸は空中を飛んできたときと同じように、二つの輪になって、バラバラの軌道を描いて的確にテーブルを狙ってきた。
目と鼻の先から、こんなのが突っ込んできたら避けよう無ぇー。
死んだと思った瞬間!
カカカカカカカッ! ガンドカン!
駆け込む人影、猛烈な勢いでサッカーキックッ! すっ飛んでく、赤い狂輪2つ。
蹴った勢いのまま|膝を振り上げる。俺と|刀風が一瞬反応するくらい大きな足の動き。
血だまりのように広がる、赤い円を、ショートブーツのヒールで―――
バリーンと踏み抜いた!
ハイ・プラスチック製の地面には1メートルもの亀裂が放射状に入り、赤い●は、踏まれた穴からインクが流れ落ちたかのように急激に色を失う。
更に、「音声入力」「こら! ”|自動|屋台『|飯櫃2型』”」「コマンド入力」「いい加減にしなさい」と立て続けにまくし立てた。
ばかん! ぼむん!
さっき蹴られた火花の車輪が、かなり遠くの方で、爆発してる。
ピュピポポポプスン。6肢のトルクを抜かれた様に、クッタリとする”|自動|屋台。迫ってた、白い◎も、|滲むように消えた。
「……マシンOSをシャットダウンさせるなんて」
先生はあわわわと、右手の人差し指から小指までを、全部、口につっこみながら、テーブルの下から、這いだしてく。器用だ。
這いつくばって、今まさに立ち上がらんとしている俺たちの前に、タイトスカートから伸びた生足が、そびえ立つ。
くるりと、踵を返す、タンジェリンオレンジのカーディガン。黒のリクルートスーツに、リーフ・グリーンのショートブーツ。なんとなく先生に似た出で立ち。肩くらいまでのフワフワモコモコの|巻き毛。この一見優しそうな女性には見覚えがあった。
「私、|システム《シス》|管理者の|白焚です」と名刺を出した。
6・5・7:ワルコフ対自動屋台7
「|シタラキ《白焚》|ルウイ《畄外》さん……?」
名刺を受け取った先生が、書かれた名前を読み上げる。
「……フリガナ、でかっ!」
横から覗き込んでる|禍璃が感想を漏らす。
俺も見た。確かに、|フリガナ《ルビ》が漢字の倍のでかさだ。
「よく言われます」
|白焚女史は掛けてもない眼鏡を、指で持ち上げる仕草をする。
この”出てない涎を、袖で拭いたり”する|類の、一連のコネタは、|VR《ゲーマー》特区内でのお約束みたいなもんだ。
何もないところで、様々なジェスチャーに興じる、|VR《ゲーマー》特区ならではの、文化と言っても良いかもしれない。滞在3日で|容認、一週間も居れば、|自然に、ついやってしまう。
カッカカカッ!
ハイ・プラスチック製の地面を踏み抜いたヒールが、ステップを踏んで華麗にターン。腰に手を当て―――
「|立ちな《Stand》|さい《Up》。”|飯|櫃|2型”」
そして、それほど|流暢でもない英語で、命令した。これは音声入力の正確さを重視した話し方で、自販機や発券機相手にメンテナンスしてる横を通りかかったときとか、よく聞くヤツだ。初めて聞いたときはちょっと笑ったけど、今はプロの仕事の象徴、いや勲章? みたいなもんだと分かる。
そして、強制終了は日本語で良いのに、強制起動? は英語じゃないとダメなのは、2Dゲー周りのツールも、GUIが立ち上がるまでは英語じゃないとダメっだったりするのに似てると思った。
ビクリと”|自動|屋台”は立ち上がり、何事もなかったように、|即、開店した。グググッガシッウゥンピピピッ♪、6肢にトルクが戻り、グラグラと自分で調整して水平を取り戻す。
「イラッシャイマセ。ゴ注文ハ出来マセンガ、オ任セデ、ディナーメニューを―――」
「今回の件は誠に申し訳有りませんでした。コンソールからの|緊急通報を確認次第、駆けつけて良かった。見た目ほど危なくはないんですよ。ほんとですよっ?」
いささか挙動不審に、俺たちに説明する|白焚女史。
俺たちは、テーブルから生えてる、穴のあいた|傘を広げてみせる。
「そーですよねー。あの”輪投げ”、始めて見たとき、|私なんて、”なんて実用兵器なのかしらっ♪” と胸躍らせたものですが。生体には一切効果ないんですよー」
勝手に色めき立ち、すぐさま肩を落とす|白焚女史。
なんか、争点っつうか論点っつうか、着眼点が盛大にズレてる気がしたが、タイトスカートをめくって、”ほらさっき輪っかの一個を|脛で蹴ったけど、傷一つ無いでしょう?”と太股のあたりまで見せてきた。俺と|刀風は一瞬も食い付く事なく、目をそらした。さっき、つい一瞬、反応したからな。あぶないあぶない。
|禍璃がこっちを凝視する気配が無くなってから、俺と|刀風は視線を戻した。
「つきましては、お詫びといっては何ですが、こちらを、お受け取りください」
|白焚女史は、45度、きっかり頭を下げ、ラブレターを渡すかのように、何か差し出してきた。
それは、ちょっと高級な質感の厚紙だった。
「そうは言っても、お預かりしている生徒たちに、もしもの事があったりしたら、ましてや|リファレン《・・・・・》|スにも載っ《・・・・・》|てないバト《・・・・・》……」
と先生はそこまで言って何か思い当たったようで、素早く眼鏡を掛けた。周囲を見回し、一瞬たじろぎ、俺たち三人を振り返る。眼鏡を流れるような動作ではずし、人差し指を口に当て「しぃーっ」をした。そして、またすぐ、|白焚女史へ向き直る。
なんだ!? 特別講座初日に遅刻して、代理講師の背後の換気窓からコソコソと入ってきた時のジェスチャーそのままだ。
俺は、だらしない顔で「しぃーっ」してる|刀風と、ソレをウザそうに肘でツツく|禍璃に|目配せする。ここは先生に|倣おうぜ。二人も、”了承”の|目配せを返す。
先生は、人数分の高級そうな厚紙を素早く受け取り、「―――お、お預かりしている生徒たちがぁ……、無茶な注文の仕方をしたせいかもしれませんしねぇー」
と態度を爆発的に軟化させた。
当然、俺たちは、特に無茶なんてやってない。やったとしたら、そりゃワルコフだ。
「そう言っていただけると、助かります~」
がばっと起きあがった|白焚女史は、そそくさと、”|自動|屋台”に近寄り、|肢の一本をショートブーツのつま先で蹴飛ばしながら|命令する。
「調理中の料理の中で、ほぼ出来てるものを急いで、|調理完了して、|お持ち帰り《おみや》にしなさいっ」
ガチャガチャ、ガララン、ゴトゴト、ガサガサ、クルクル、パチン。
|白焚女史は、あら、何か|処理が遅い? といぶかしんでいる。”|自動|屋台”の脚を今度は尖ったヒールで蹴って急かす。足癖悪いな。
チャカチャカ、ガサガサ、クルクル、パチン。
お、手際が良くなった。目に見えて早い。
”|自動|屋台”と同じ色の包装紙に包まれ、輪ゴムで留められていく、高級折り詰め。
先生は、あらぁ、いいわね、いいわねと上機嫌だ。
どんどん積みあがっていく、折り詰め。|蓋する前の中身が、ちらっと見えたが、実勢価格1万円はしそう。今4個目が、天板に置かれた。まだまだ出てきそうだ。
特区近郊の食糧備蓄を賄う為のシステムで、尚かつ|廃棄ゼロ《・・・・》を|謳ってる以上は、調理に入っちゃった分は、全部、出しちゃうしか無いのかもしれないけど、こんなに食べきれるか?
”|自動|屋台”の情報は、基本的に、ほぼすべて特区外秘で、ソコソコ重要な機密だらけ、と言って良い。
えっと、なんだっけ、確か、音響冷蔵の功罪で、”新鮮な食材が、生のまま3年は保存できるけど、調理したら、2時間以内に食べないと急激に味が落ちる”。
調理にも、最新技術が不必要な程、使われてて、分子構造改変を駆使した無刀切断や、音響調理法なんてのも有るらしい。
|自動機械群|システム《シス》|管理者はすかさず、別の厚紙みたいなのを差し出す。厚紙はA4位は有って、あの細いシルエットの、どこに隠されてたのか、さっぱり分からねえ。
でも、特徴的な明るい赤の地色に、白色で書かれた、あの文面の内容は、読まなくても分かる。”今回の情報を、特区外へ漏洩しないことを条件に、特区内に限り、様々な便宜をはかりますよ”っていうアレだ。
特区内に半年住めば、いや、住んでなくても、一年通えば、必ず一度は、どこかで『了承』ボタン押させられる。厚紙に書いてあるボタンを押すと、|画素|表示技術で|即座に《遅延ゼロで》量子データセンター内の担当プログラムが受理するっていう見慣れた風景だ。
特区外では絶対にお目にかかれない、試験運用中の魔法みたいな最新テクノロジーが間近にゴロゴロしてるんだから、ココに居る以上はやむなしだ。
「こんな、カスタマーサポートっていうか、対外折衝みたいな事に、システム管理部署の人間が直接来るものかしら」
|禍璃が、|顎に拳を当てて、ぼそっと確信を突く。
深刻な口調は海外ドラマの、吹き替えみたいに聞こえる。
「にーしーろー……そうだな」
|刀風は、詰み上がってく高級折り詰めを遠間で数えるのをやめて
「あの緊急事態を、蹴飛ばせる人材が一人とは思えねえ。管理者なんて重要なポストが|出張ってくるのはちょっと不自然っちゃ不自然かもな」
と、小声で、コレ又、確信を突く。
|刀風まで、どうした、なんか、カッコイイぞ。
俺は、気になってた、|白焚女史の見覚えの確認をとる事にする。
「それなんだけどな」俺は手を口元に当て、ヒソヒソ話しかけた。
「何だよ、顔、近ぇよ……」
「いいから、あの顔、よーっく見てみろ。見覚え有るだろ?」
俺は眼と顔で|白焚女史を指し示す。
「なに、いちゃついてんのよ、キモッ!」
「|笹木、茶化すの無しで頼む。マジ緊急」
むっとした顔を俺たちに向けた後で、俺たちを隠すように仁王立ちになる。
俺たちを隠してくれるらしい。
「火の輪っか、蹴っ飛ばした、怖ぇーねーちゃんが、どうした?」
|刀風も声のトーンを落とす。
「俺たちが最後に出た大会覚えてるだろ?」
「んあぁ? なんだ突然……又ゲーム始める気になったか!?」
声のトーンを跳ね上げて、色めき立つ。
「声でかいわよ」ぼそっ。
ごん! |禍璃が肩を背後に跳ね上げ、|刀風の|顎先をヒット!
「いって!」
同時に振り向く、VR専門家と、自動機械群システム管理者。
「な、何でもないわ、姉さん、よしよし」
「よし、ゲームか、そうだな、ゲームやろうな~|刀風~よーしよし」
俺と|禍璃は揃って、|刀風の顎をさすってやる。
「触っんな! 俺ぁ猫かっ!」
青春を謳歌し、じゃれつく若者達を、一瞬眩しそうに眺めた後、すぐに興味をなくす、VR専門家と、自動機械群システム管理者。
テーブルを操作して、”|自動|屋台”に格納したりしてる。
「なんだよっ、いってーな、で、大会がどうしたって?」
「ゲーマー世界選手権、東京予選で俺たちが負けた相手、覚えてるか?」
「忘れる訳ねえダロ! あの卑怯な|永久パ《・・・》|ターン《・・・》女! ……ああああっ!?」
再び振り向く、VR専門家と、自動機械群システム管理者。
青春を謳歌し、じゃれつく若者達に、ため息を付き、話に戻る。”|自動|屋台”は、出来上がった折り詰めをドンドン積み重ねている。
「|永久パ《・・・》|ターン《・・・》!? そんなの有ったの? |あのゲーム《・・・・・》にムググッ」
|禍璃の口を俺と|刀風が手で塞ぐ。
|三度振り向く、VR専門家と、自動機械群システム管理者。
「|禍璃ちゃぁん。モテモテねーっ! 大丈夫、お姉ちゃん、あっち向いてるからねぇー!」
と先生は、|白焚女史の腕をとり、”|自動|屋台”が自分で天板の上に積み上げた、大量の折り詰めを、どうするか相談し始めた。確かにちょっと多すぎる。
「乙女の|唇に気安く触れるでないわーーーーーっ!」
張っ倒すっわっよっ! と魔王声で怒鳴りながら、俺と|刀風はオデコのあたりを、力いっぱい、平手で|叩かれた。
6・5・8:ワルコフ対自動屋台8
俺は、|禍璃に引っぱたかれたデコを押さえながら、”|自動|屋台”の方を確認。
まだ、先生達は、コチラに背を向けている。危なかった。騒ぐなよな-。
先生は、後ろ手に、何度も緩衝エリアの真ん中あたりを指さしている。
「そういやさっき、先生、何か見てたな?」
俺は簡易AR眼鏡を掛けながら、緩衝エリア中央側を、|視た。
俺はたじろぎ、尻餅を付いた。「ぶっぐひっ!」変な声が漏れる。
「おい、|笹ちゃんに、ちゃんと説明しとけよな。|鋤灼は兎も角、俺は|お前に興味無えんだからな」
|刀風は、叩かれた仕返しも含めてか、|禍璃の二の腕をツネったりしてる。
「いった。なんて事すんのよ!」
鬼の形相で、つねり返してる|禍璃を見てると、とても|笹木環恩特別講師の妹とは思えねえ。
「俺は兎も角って何だよ、俺も|笹木に興味無えよ」
俺もヒソヒソ声で抗議する。
「なによ、アンタ達、随分じゃないの! アタシ|こう見えても《・・・・・・》結構モテるんですからね」
自分の|鳩尾のあたりに、開いた|掌を押し当てる。
「わかった。マジになるな。|お前ら《・・・》がモテるのは俺が一番よく知ってる」
急に、哀れむような視線を、本気で俺に向けてくる2人。
悔しい。悔しいので、脅かしてやる。
「いいからコレ掛けて、あの辺、真ん中辺り、視てみろ、大声出すなよ」
と、簡易AR眼鏡をクイッと持ち上げてみせる。
|刀風もAR眼鏡を掛ける。|倣う|禍璃。
「ぶわぁムグッ……!?」
「きゃぁムグッ……!?」
2人の口を俺がバッと塞いだ。そのポーズだけ視れば、さながら、突っ込んできた巨大牛の|角を|掴んで、止めた人だ。
俺も、|首だけ振り返り、もう一度視る。それは、ココが|VR特区だと言う事を差し引いても、とびきりシュールだった。
目の前に、急に天気が良くなったみたいに、ピーカンの青空が広がって……いや、あれは青空じゃない。ふつう、青空には、『Dinner×Vender』なんて楽しげな|文字が、でかでかと横並んでたりしない。
”|自動屋台”の|筐体側面|がそびえ立ってる《・・・・・・・・》。幅は何かもう視界いっぱい、高さも電波塔よりも高そう。
その下で、対比的に、とても小さく見える|宇宙服が、ちょこまかと何かやってる。あの長い金属棒を突き刺して、おそらく”|悪さ《・・》”を、してる。
”|自動|屋台”の脚が見えないところを視ると金属棒で粉砕、じゃなけりゃ、落とし穴、掘ってズドーンと落とした状態なんだろうか?
更に、よく見りゃ、スラスターを|噴射し、軽快に動き回るワルコフの背後を付いて回ってるヤツが居る。後ろ髪ツインテの優等生風の美少女が、キョンシーよろしく、カートに乗って直立不動のままフラフラ動き回ってる。
口を押さえた両手を、そっと離し、ちゃんと振り向く。ワルコフに向かって怒鳴ろうと息を吸い込んだトコを―――
「ワぶっ!」
後ろ頭を|禍璃にひっぱたかれた。いかん、ワルコフ事になると、どうも我を忘れ気味だ。
データ・ウォッチの表示盤を弾き、パーティーチャットコンソールへ会話を打ち込む。
具体的には手の甲でフリック入力。コレはワルコフの使った、|謎ハッ《オープン・》|キング《チャンネル》じゃないから、もし視られても、”部員”以外には見えない。まあ、システム管理者がやろうと思えば視られるだろうが、建前上は、”理|論上宇宙最堅|牢|の暗号通信規格”だ。無いよか100倍イイ。
シルシ :ワルコフ 何やってんだ!
コウベ :あれっ!? シルシだっ!! 生きてる!? キャッホーイ!
ワルコフ:オヤァ? ゴ無事デシタカ!? ソレハ|僥倖!
シルシ :そんなのどうでも良いから! 何やってんだよ!?
ワルコフ:モチロン、部員ノミナサマノ、|弔イ|仮想|電子戦デスガ? 何カ?
シルシ :今すぐ止めろ!
ワルコフ:ソウ言ワレマシテモ、現在、バトルレンダ、再スタートシタバカリデ、モッタイナイデスワ
シルシ :多分、ブレたキャラ作りなんて、やってる場合じゃねえぞ!
ワルコフもコウベも、瞬時に、全文送信してくるから、俺だけチャットに慣れてない人みたいになってる。
俺の眼前に表示中の、パーティーチャットログを、|刀風と|禍璃も、顔を付き合わせるほどの近くで視てる。自分でパーティーチャットコンソール開けよって思ったけど、言ってる暇がねえ。
この状況、恐らく、どう、都合良く解釈しても、|システム《シス》|管理者サイドから見て、喜ばしい光景じゃ無ぇー!
ワルコフは、気ままに、金属棒を、バックパックから取り外して2刀流とかやって、ふざけてる。こうしてる間にも、|白焚女史、もとい、|システム《シス》|管理者に見つかるっつうの!
「では、そろそろ、お|暇しなくちゃ」
対外向けの、よそ行きだとしても、|白焚女史の優しげな声が逆に恐怖を駆り立てる。
カツカツン!
背後でヒールが振り向く気配! もう、運に天を任せるしか無ぇー!
スススス。俺は一文入力して振り返った!
シルシ :シスアド来てる
500円ショップで売ってる、板っぺらみたいな、ちょっとコミカルすぎる、簡易タイプのARグラスをお揃いで掛け、中腰のまま膝をそろえて振り返る、若者三人組。この|様は、加工無しで、コミックバンドか、ロボットダンスチームの宣材写真に使えると思う。
青春を謳歌し、じゃれつく若者達を、一瞬怪訝そうに眺めた後、すぐに興味をもつ、VR専門家と、自動機械群システム管理者。
「なあにソレ? 今、|流行ってるのかしら? うふふふふ」
俺と|刀風から見れば仇敵だが、向こうは大人だ。
俺たちは|焦燥と|諦観が同時に押し寄せる複雑な感情に押しつぶされる。
微動だにできず、不甲斐ない。けど有る意味、それが功を奏した。
「なぁにぃ君たちぃ? おバカみたいよぉ? ぷははぁー!」
ああ、もう先生め。さっき、自分で、”ワルコフのワルさ”を見て慌ててた癖に。
自分で、こっちに丸投げしといて、フォロー無しか。つか、本気で、ほんの一瞬前の事、忘れてそうだなおい!
ふと、何かに気づいたように、空を眺めヘッドセットに手を当てる、|白焚女史。
「「「ああっ!」」」
|白焚女史は非常にもヘッドセットの、|AR《拡張》ボタンらしき物を押した。流石に俺たちの挙動で、なにか不振に思ったのかもしれない。
いや、レンズっつか、ガラス部分が出てないし、単にヘッドセットのモードを切り替えただけかも―――
一瞬の沈黙。
「な、なあに!? コレは一体何なの!?」
叫ぶ|白焚女史。
レンズとか、ガラスとか飛び出てないけど視えてるっぽい。最先端の技術を惜しげも無く使ってるんだろう。先生の|魔女帽子のバイザーも視界全部を覆ってるわけじゃ無いモンな。
「このでっかいの、どう言うことなのー!?」
叫ぶ|白焚女史。
終わった。コレは怒られたあげく、問いつめられるままに、コウベ登場の|件から、長々と説明するしかねえなー。
俺は、|諦め、両脇のクラスメイトと、大きな|溜息をついた。
「君たち、イイね! 造形はまだまだだけど、このウネリと、逆に枯れてない感じ!」
「は? ほめられてる?」と|禍璃。
「何かそう聞こえるな」と|刀風。
3人揃って、振り返ってた上半身を、元に戻す。
眼前には、なんか、養分を吸われたように、つぶれて小さくなってる”|自動|屋台”。
小さいって言っても、小振りの体育館くらいはありそうだけど。
表面が|萎びて、そういう模様の平たい|器みたいに見える。とても、あれが”ディナー×ベンダー”のディープ・コピー》”だとは気づかねえだろう。
そして、その鉢に生けられているのは、巨大な巨大な椎茸だ。
大きくなりすぎたせいか、所々ほつれるように、枝分かれしてて、作りの雑な、松の木のように見えないこともない。
何かほんと、盆栽みてぇ。あの曲がり具合なんて、ちょうど俺たちの今のポーズそっくりだ……し―――。あ。3人揃って、再び、振り返る。
「そして何より、この、身を挺した、|体現」
偶然、いやんいやんのポーズのまま固まって、くっつき有っただけの俺たちを、指さす女史。イイね♪ イイね♪ イイね♪ ぽん、ぽん、ぽんと、満面の笑みで、肩をたたかれた。
「先生! 実におもしろ……いえ、有望な生徒さん達ですね」
「常日頃からのぉ、私のぉ教育のぉ|賜ですぅ」
あれか! 良く、公園でやってる、AR技術を使った大道芸とか、創作ダンスみたいなモノだと思ったのか。つか、ワルコフめ、とっさに”|自動|屋台の全養分(?)を使って、謎椎茸を、|促成いや、|即製栽培しやがった。
どっと冷や汗が流れる。
君たちにも名刺をあげよう、と言って懐から、ドジャー・ブルーの地色に、白い文字の書かれたカードを取り出す。さっき、先生が貰ってたのと同じヤツだ。
|禍璃と|刀風、そして俺にも、それぞれに、作法に|則り両手で、丁寧に手渡してくる。
あれ? これ、くっついてたのか2枚ある。
「あの、これ2枚―――」
返そうと思ったが、女史はさっさと、”|自動|屋台”の|縁に、ぴょんと飛び乗ってしまった。ま、いっか。大して重要な物でも無いだろうし、有り難く2枚貰っとこう。
「シルシー! |良いの持ってんじゃん! くれっ!」
いつの間にか、スグ側に来てた、”|PBC” |の乗った《オン》 ”|簡易給仕ロボ《ラジコンカート》”。
俺は慌ててカートの|腕から、”|PBC”を引っぺがした。
野良NPCくらい、特に問題ないだろうけど、なんか、”永久パターン”の事もあって、一応用心しとこうと思ったのだ。後ろ手に隠し、|角張った《ヨーグルト》瓶に付いたスイッチを切った。
「何だよー! ドケチか―――」ブツッ。
何か言ってたけど、ちゃんと切れた。|因みに、切断中も、制限は有る物の、AR、又はVR空間内部で、|連続性を保ってる《元気な》はず。|接続先が無くて《オフラインで》も数日は、|自身の|P《パーソナル》|B《・ブレイン》|C《・キューブ》保有の|僅かな|画素だけで保つはず。
「もし又、|自動機械群が、ヤンチャした時は、機械に向かって、|名刺を|提示してください。最優先で、その|自動機械|に《の》、”|特権発動し《コントロールを奪い》”ますので」
なんか、聴き方によっては|物騒なことを、|自動屋台の上から言ってくる。
「あら、”|簡易給仕ロボ《カート》”ソコにあったのね。それ、邪魔じゃ無ければ、差し上げますよ。折り詰め運ぶのに使って下さい。|非暗号回線で、操作できますので」
よし、女史はコウベに気づいてない。
「え? 助かるぅ。じゃぁ、有り難く頂きまぁす」
”|自動|屋台”の天板の上の最高級折り詰めを、持てるだけ抱えて、”|簡易給仕ロボ《カート》”に移す先生。
俺たちも慌てて、手伝う。
「飯櫃2号、お手伝いして。保守課の分と合わせて8個、頂いていきます」
先生と分け方を決めてあったんだろう。”|自動|屋台”は、産業用ロボットの様にアームを動かし、女史の近くに積み上げる。
俺たちが、”|簡易給仕ロボ《ラジコンカート》”へ、積めるだけ積む。全員手にも数個ずつ持って、ようやく天板上の最高級折り詰めが無くなった。
「では、本日はコレで失礼いたします。先生、今度、飲みに行きましょう」
ガシッウゥンピピピッ♪、6肢が自分で水平を取り、|自動屋台はゆっくりと歩き出す。
なんか、ラクダみたいねと|禍璃が、又、言い得て妙な事をつぶやく。
「はい是非~♪ では、こんなに沢山、ご馳走様です~」
先生が両手に抱える、最高級折り詰めは4個。上機嫌である。
俺たちも、先生に習って、手に抱えた最高級折り詰めをチョット持ち上げ、「「「ご馳走様です~」」」と挨拶した。
”|簡易給仕ロボ《ラジコンカート》”には、数え切れない程、山積みだ。先生が何故かゴム紐を持ってなかったら、とても乗せきれなかっただろって、くらいの山積み。
先生も給料日前に、身銭を切らんで済んだし、そこそこ良かった気もしてくる。
と言う事で、取りあえずの問題は、どうやって食べきるかって事を除けば、|たった一つだけだ《・・・・・・・・》。
「いくよ! |飯櫃2号」
|白焚女史は、まるでラクダのように”|自動|屋台”に乗ったまま、モールドから|迫り上がった両開きの扉の中へ入ってく。
バタン、ピンポォン♪
ガチンガチンガチンガッチィン。ズゴゴゴゴッゴ、ガッシイイィイィン!
モールドが、溶けるように沈み込んで、元の平坦になるのを待ってから、俺は叫んだ。
「ワァルゥコォフゥ! どこだぁー!」
シィィィィィィィィィィィィィィィィィン!
さっきまでの騒々しさと比べると静かすぎて耳が痛ぇ!
くそっ! ワルコフの野郎め! 逃げやがった!
「管理者怖い怖いって言って、どっか行った」
んコウベ? どうやって|確認用の電源入れやがった!?
|ベルト《腰》に下げた”|PBC”が無えので、振り返ると、先生が片手で折り詰めを持ち、片手で、”|PBC”を持ってた。
「ひとまずはぁ、無事難局を乗り切りましたぁ、後はアレをどうにかすればぁ、今度こそぉ、|作戦|終了でぇす」
最高級折り詰めの山を抱えた俺たちの前には、巨大な巨大な椎茸が曲がるように|聳え立っている。……どうすんだコレ。
7:シラタキ対自動屋台
高さが高く、幅も乗用車が|擦れ違える程度はある。内壁が強化コンクリート製の長大な空間。ご丁寧に2メートル間隔で、目盛りが振ってあるので、正確には、幅6メートル、高さ8メートルの車両用地下通路。
通路の壁側の床面に、白い2重線で長方形が描かれる。床面の目盛りによると、正確には4メートル×8メートルの平面が切り取られた形だ。
ガチンガチンガチンガッチィン。ズゴゴゴゴッゴ、ガッシイイィイィン!
白い2重線で指定した空間を埋め尽くすように、”モールド”と呼ばれる油圧サスペンションの固まりのような壁面が|迫り出してきた。
迫り出した後で、ガシガシガシガシと上下に波打つような挙動を見せる。
ガチャリ、ピンポォン♪
モールドと同じ色の両開きのドアが開く。
薄暗い非常灯に加えて、天井から緑がかったLED光が投射される。
迫り出したモールド部分が溶けるように壁に吸い込まれていき、ドジャーブルーの直方体を通路へ取り残した。
|白焚畄外は、まだ若干薄暗い通路へ向かって命令する。
「音声入力」「|飯櫃2号」「ライト点灯」「選曲:小粋なBGM:スタート」
自分の尻の下から、流れ出すBGMを聞きながら、両腕を天井へ向かって突き出す。ブルブルと体を猫のように伸ばし―――
「んぁーーーーっ! 疲っかれたー!」
その脱力ベクトルに逆らうことなく、後ろへゴロリと寝転がる。
『ゴ命令ヲドウゾ』
”自動屋台”は表示板に付いたアームを動かし、|白焚女史へ見せている。
「とりあえず、さっき踏み抜いた|パネル《ハイ・プラスチック》の、リペアしとこうかしら」
寝ころんで|仰向けのまま、腹の上で両手を重ねる。鼻で深呼吸を3回。自分たちが出てきた、モールドが点在している壁側とは、逆の方向を首だけ回して見る。
壁が途切れて向こう側が見えている所の、少し奥の天井が、赤く明滅している。通路と段差もなく続いているので、天井までの高さは、8メートル。奥行きは見渡せないほど広い。
|刻みの付いた鉄柱が、縦横に等間隔で張り巡らされている。
赤く明滅している周囲に、関節を持った作業ロボットが集結している。
”自動屋台”は壁が途切れたところにある非常駐車帯のような所へ勝手に歩いていく。
「音声入力」「おーい、おいでー」
|白焚女史は膝から下を、”自動屋台”の|縁からブラブラさせたままだ。タイトスカートの、脚が開いていて、そちら側から見れば丸見えだろう。もし|此処に、|鋤灼驗少年が居たら「それ……見せてんのか?」と間違いなく|溜め気味に言っただろう。
ピッ!
人差し指で、赤く明滅している天井の辺りを指さす。
”ひょろ長い”と言うには、寸足らずな、間接を持った作業ロボットの1基が格子の中を多少、遠回りしながら、下りてきた。
「管理者権限:行使」「緊急修理:10|M《メートル》以内」
ピピプゥン、プピピプゥゥン?
直径1メートルのサッカーボールが5個くっついて、小さく突き出た手足にはタイヤが花咲くように密集している。形容する要素としてはコレで全部で、コレ以上は無い。
「エリア指定:あの辺」
と再び天井を指さす。
ピプィウゥン♪
サッカーボール5連星は、|仕事がうれしいのか、無いはずのサウンド機能で返答した。おそらく、|サーボ《モーター》音を超高速で発生させ、音階を奏でているのだろう。
「|そういうの《会話芸なんて》、教えてないんだけどな~」
と言って、自分がヒールで踏み抜いた穴の、修理作業を眺める。
ギギギギギギッバゴンッ!
流氷の鳴く音が響いた。
新しい|自己修復型プラスチック製のパネルを下から押し当て、穴の空いた|地表と一緒に、切断している音だ。完全ホログラフィー技術で位置決めして、|立体印刷の要領で分子構造を積層変化させる。そして、フラーレン化した垂直面の、強度差で任意に切断する。
「……まあ、モーターを酷使し続けたとしても、|筐体の、実質耐用年数の100倍は保つから、構わないけど……」
|白焚女史は、誰に聞かせるでもなく、ぶつぶつと一人ごちる。
新しいパネルを押し上げ、1秒保持。すぐに支えていた手足は離れてしまうが、新しいパネルの繋ぎ目は無く、落ちる様子はない。サッカーボール4個の、さっきよりも短い作業ロボットが、最短経路で、下りてくる。リペア作業が終了したことを伝えに来たらしい。
ピプゥン♪ ピプゥン♪
「はーい。ご苦労、ご苦労」
ピピピッ♪
天井の赤い点滅が消え、半透明の新しいパネル部分の|向こう《地表》を、大型の作業ロボットの影が通っていく。|緩衝エリア《地表》へ展開した片づけ班が、穴の空いたパネルを回収したのだろう。四角い透明窓のようになっていたパネルが、周囲と同じアスファルトの|質感に変化する。
「そういや、『|飯櫃2号』、アンタやりすぎよ、いくら相手が|規格外の強敵ぞろい《・・・・・・・・・》だからって、生身の人間相手に、|バトルレンダ《・・・・・・》なんて!」
”自動屋台”は仕舞っていた表示板の、アームを伸ばして展開する。
『|彼ラ《・・》ヲ殲滅スル、千載一遇ノチャンスヲ、逃シタカモシレマセン。』
「そうねー。でも、今後は、|ゲーム《・・・》のレギュレーションに乗っ取って、ケンカする事。いーい?」
コンと、天板を叩きながら小言を言うように命令している。
「最優先コマンド:レギュレーションヲ|順守。設定シマシタ。」
ピピピッ♪
「はーい。それで行きましょう。向こうの存在自体が、どんなにレギュレーション違反でも、こっちはあくまで、量子データセンター維持が最大目標だからね」
「了解デス。デハ、対バトルレンダ行動ハ、ドノヨウニ設定シマスカ?」
「え? 変わらないわよ? バトルレンダ検出時には、こっちもバトルレンダ自動承認で迎え撃ちなさい」
「ピィーーーーー♪ |論理エラー《・・・・》ガ発生シマシタ! 修正シテクダサイ!」
表示板を真っ赤に点滅させて抗議する”自動屋台”。聞こえていた”小粋なBGM”が止まっている。
「え? 何!? どういう事?」
ガバッと起き上がり、天板の上で|胡座をかく|タイトスカート《シラタキルウイ》。もし|此処に、|鋤灼驗少年が居たら「それ……見せてんのか?」と間違いなく|溜め気味に言っただろう。
<♪>
<<♪>>
<<<♪>>>
凝視したとたんに、表示板が着信を知らせる。
ヘッドセットに付いている、小さなパネルにも、着信を示す同じ表示が|点く。
「音声入力」「通話」
「はい! |白焚ですーー!」
「……あら? |鋤灼Pから掛けてくるなんて、珍しいですね」
「…………」
「えーっ! ダメですよ? 締め切りは守っていただきます。|新エリア用の《・・・・・・》|ボスデザイン案2点、本日中でお願いします!」
「…………」
「お約束通りに、|驗君たちには、私の名刺を渡しておきました」
「…………」
「わかりました。はい、折り詰め持って、スグ帰りますから~。はいー。じゃー」
「音声入力」「通話終了」
はぁぁぁぁーーー。深く長い|溜息を|吐く巻き毛の、一見、優しそうに見える女性。
その眼に、凍てつくような、色が浮かぶ。
「|飯櫃2号! さっきの”論理エラー”って何!?」
|苛立った口調でまくし立てる。
『該当データは削除されました。』
表示板の文字色は通常のモノに戻っている。
「ちょっと、どういう事かしらーーーーーーーーー!?」
天板の上に立ち上がり、ハイ・プラスチックの地面を踏み抜いた時のように、膝を蹴り上げ―――
ヴォブゥン。ソレまで、見せたことのないノイズが表示板に走る。
通路天井に付いたLED光までもが、切れかかった、古い電球のように、チカチカと明滅し出す。
「外部からのアクセスを確認シマシタ。→→→→→追跡できません。」
カタカタカタカタン。ギュピュピプンガタン。
サーボ切り替えと高速な作動音による音階。寸足らずな、作業ロボット達のように、何らかの意思表示をしているようにも見える。
カタカタカタカタン。ギュピュピプンガタンガッギギギ。
それは、恐らく、”恐怖”とか”萎縮”とか呼ぶモノであろう。
―――振り上げた脚を、そっと降ろす|白焚畄外。
チカチカッ……パッ! 明滅していたLED光が点灯状態に戻る。
「……なんか、面倒。とりあえず、現時点の量子状態全部”|別名保存”して追従させといて」
|白焚女史は”自動屋台”の背後の何もない空間を指さし、|肯く。
「ここじゃ何にも出来ないわ。発令所に一旦帰るよ。折り詰めの賞味期限にも間に合わせなくちゃ」
ストンと、|その場に|座り込む《あぐらをかく》、|白焚女史。
|自動屋台は、小さなタイヤの付いた6肢を、波打つように動かし、通路側へ歩き出る。
巻き毛の、一見、優しそうに見える|タイトスカート《白焚女史》。もし”自動屋台”の進行方向に、|鋤灼驗少年が居たら「それ……見せてんのか?」と間違いなく|溜め気味に言った事だろう。
「BGM止まってるわよ」「ランダム選曲:アップテンポ:スタート」
|自動屋台は、昔、流行ったCMソングを奏でながら、滑るように加速した。
8:小鳥ファイル解凍その1
「オカエリナサイ……マセ」
玄関の引き戸が|僅かに開いていて、床から1メートルくらいの所から、角張った頭らしき物が、飛び出している。
その頭は、ロボット然としており、……どこから見てもロボットだった。
隠れるように体を引っ込めたまま、|驗達を、じっと見ている。
ちょっと見える、サッシに掛けた手が、いじらしさのようなモノを演出していた。
「うん。ただいま~」
|鋤灼驗は、にこやかに応答する。
|鋤灼驗御一行様を、まず出迎えたのは、玄関サッシのすぐ横に打ち付けられてる、『The下宿』と書かれた小さな板張りの看板だった。そう、ココは|驗少年が、絶賛間借り中の、特区立ターミナル学園βの指定施設、『The下宿』だ。
月額、3万円の破格のお値段。さらに各種経費無料の上に、3食付きで、頼めば弁当にもしてくれる。至れり尽くせりの、|驗にはうってつけの物件だった。
|驗の声を聞き、安心したのか、ロボットは何度か左右を確認した|後、キュッキュッキュと音を立てて、玄関の外まで出て来た。
目の覚めるようなマリン・ブルーを基調とした、先鋭的なフォルム。
武装こそされていないが、|武装を取り付けるアタッチメントプラグが、多数設置されている為、戦闘的なイメージを想起させる。
手首と|膝に、エアインテーク。取り込んだ空気を爆発させ排出する終端部分、つまり、|肱と|踵に付いたカウル一体型のエンジンノズル。
一般的な印象からすれば、どんな相手にも、勇猛果敢に突撃しそうな、”|超高速戦闘型”なイメージと言えよう。
だが、彼もしくは彼女は、どうも、そういう人格設計では無いようだった。
「オ客サマ……デスカ?」
発声自体は流暢だが、どこか|辿々しい|合成音声。
「学校の友達と、特別講師の先生、あと今日は、晩ご飯いらないよ」
|驗は、丁寧な言葉を返して、折り詰めを抱えたまま、カートを指さす。
ちょっと前に、アミューズメント系の施設で、似たようなロボットを見たことがあると、|刀風曜次。
へー、と相づちを打つ|笹木禍璃。
|笹木環恩特別講師は、ロボットの頭上の突起や、脚部のトルクホイールの動きに注目している。
「コレハ、”|飯|櫃|2《iner》号”ノ、折リ詰メ……デスネ」
|青い人型は、折り詰めに巻かれた、ドジャーブルーの|包み|紙を指さす。
「うん。そう。沢山あるから、1階の人達にも、良かったらお裾分けしたいんだけど……」
「ピピッ♪ 賞味期限ハ、……アト1時間27分……デス」
「えぇ? そんなの分かるのぉ? へぇー、さぁすが、”メイドイン特区”のぉ|家ロボねぇ、良いスマートセンサ使ってるぅー」
と興味津々の笹木特別講師。|白焚女史との会話で、マシンOSへの興味が湧いたのかもしれない。
「イエ、包装紙ノ隅ニ、デジタル表示サレテイマス」
えっ? そーなのう? なぁんだ、とまるで、10年来の友人のように会話をしている笹木特別講師。
『賞味期限切れまで―――01h26s』白い点描で印字された数字が一つ減る。
そして、『The下宿』の|管理ロボ《・・・・》、『|ルフト《・・・》』さんですと、|驗は、一同に紹介した。
「初メマ……シテ、”ルフト”デ……ス。以後オ見知リ……置キ……ヲ」
「あらどうも、ご丁寧に。笹木|環恩です。学園βの特別講師をしています」ぺこりと一礼する先生。
「先生、ウチのルフトさん、見たら飛びかかるんじゃないかと思ってたんだけど……」
「|鋤灼君は失礼ですねぇ。私にだってぇ、節操ぉと言うモノが、ちゃんとありまぁーす」
ぶるんっと胸を張る笹木講師。|驗は瞬間的に首を|禍璃の|平たい所へ向け凝視する。笹木講師から目を離せずにダラシナイ顔を見せる|刀風。
笹木|禍璃は、一瞬考えた後、二人共、張り倒した。
「アナタの事がぁ、気に入らないと言う訳じゃぁ、無いんですよぉ」
中腰になって、”ルフト”の頭部をぺたぺたと触りながら語りかける笹木講師。
「むしろ、この、かわいらしい性格の上、サイズまで小っさめだったら、先生もう……ダメ……だったかもしれませんが」
若干震える指先から、現段階で、多少耐えている様が見れる。
「姉さん、……本っ当に、小っさカワイイものに、メガNASA杉~」
|禍璃が、どうでも良さそうに、言う。
大好きな姉の事とは言え、こう、日常的に、猫やフィギュアやカワイイ物にすっ飛んで行かれると、いちいち相手にしていては身が持たないのだろう。
「小サメノ……サイズ? 1/6サイズノ……|小型端末機ナラ、ヒト部屋ニ……1体ズツ配備サレテ……オリマスガ?」
ああっ! ルフトさん! 余計なことをっ!! 慌てる|驗。
「え? どういう事ぉ? ちっさいルフゥトさぁん居るの? しかも動くのぉ? さぁ、早くぅ|鋤灼君のお部屋ぁ、拝見させて頂きましょぉ!」
むぎゅぎゅ、すぽーん、ズダダダダダッ!
玄関横の、2階直通の入り口の前で、パンプスを一瞬で脱ぎ捨て、手すりも使わずに急な階段を登って行ってしまう笹木講師。4個の折り詰めを抱えたままでだ。2階の唯一の住人である|驗でさえ、狭い階段入り口で折り詰めを落とさずに靴を脱ぐだけで一苦労だというのに。
放り投げられたローズレッドのパンプスは、磁石が付いているのか空中で合体し、ゴツゴツとキッチリと揃えたように着地した。
じゃ、コレ置いたら、スグ降りてくるよ、と言い残し、慎重な足取りで|驗は階段を登っていく。
カートを操作し、玄関先へ横付けする|刀風と、コミューターから全員の荷物を取り出して玄関先に並べていく|禍璃。
ごめんなさい、……玄関先、お借りします。と|辿々しく会話する|禍璃。自動機械群とは別の、|キャラクタ《個体名》を有する|人型ロボットと触れ合うことなんて無かったのだから当然だろう。
日常と化した|驗は別としても、笹木|環恩のフレンドリーさの方が異質なのだ。
「……じゃあどうすっかな? えっと、俺たちは一人4っつが良いとこダロって話してたんだけどよ」
笹ちゃんと|驗の分は、もう2階に自分で持って行ったから、俺たちの分8個貰うとして、残り……12個くらいか、とルフトに告げる|刀風。
カートに12個残し、8個全部を抱える。
「おい、早く上に行かなくていいのか?」
「え? 何が? 早く荷物下ろしてコミューター解約しないと、チャーター料金加算されちゃうじゃない」
「……そうだけど、笹ちゃんと、|驗を二人っきりにしていいのかっつってんだが?」
「もーー、なに言ってんの。―――もっと早く言いなさいよっ! 超バカッ!」
「姉さーん!」とスッ飛んでいく、幼児体型にして、威風堂々とした立ち振る舞いでおなじみの”笹木<妹>|禍璃”。
|禍璃は、姉と同じフォームでローファーを脱ぎ捨てる。
おらぁぁぁぁ! ズダダダダダッ! っと急勾配を駆け上っていく。
ローファーは|環恩のパンプスと同じ放物線を描き、裏返しに落ちた。
「はぁ。それで、コレ、貰ってくれる当てが有るっぽいこと、|鋤灼が言ってたけど……!?」
『賞味期限切れまで―――01h22s』白い点描で印字された数字はどんどん減っていく。
「わーっ! 先生っ! ダメだって! そんな強くしたらぁ! こ、壊れちゃうだろっ! あっはぁーっ」
2階から|驗の気色の良くない声が聞こえてくる。|刀風は、「どうせ、小さい何か見つけて、笹ちゃんがまた、暴走してるだけだろ……」
と|高を|括っている。
「いいじゃないのいいじゃないの!」「だめだってばぁぁぁん。はあぁぁぁぁん!」
ドタバタと|忙しなく、気色の良くない喧噪が続く。
「なにバカやってんだか……」
抱えていた折り詰めを、一端カートへ戻し、コミューターから学園指定のスポーツバッグを取り出してる。
|禍璃が途中で放り出した、荷物出しを引き継ぐ|イケメン《刀風》だったが……。
「ね、姉さん! なんて格好してるのっ!? もっと慎みって物を―――」
という|禍璃の声が、直上から飛び込むに至り―――
うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
|驗の1・5倍はありそうな、長いコンパスを使って、一瞬で階段に消える|筋骨隆々。
荷物のすべてを玄関に降ろし終わって、空っぽになっていたコミューター。
開いたシートの中を確認し、パタンと閉めるルフト。
手には|紐の付いた|P《パーソナル》・|B《プレイン》・|C《キューブ》。
「「ピンポーン♪ 御利用誠ニ有り難う御座イマシタ」」
2台の発音タイミングがズレたため、いつまでも終わらないかのように聞こえる。
ループしている様に聞こえた挨拶がやがて終わり、2台の長いすは、ウリュリュリュと、独りでに去っていく。
|此処がハイテク満載のVR特区でなかったら、その、若干不気味な光景に、新たな都市伝説が誕生していたことだろう。
ルフトは階段の前に何かが落ちているのに気が付く。
ルフトは|紐の付いた|P《パーソナル》・|B《プレイン》・|C《キューブ》を他の荷物の上に置き、階段の前へ行く。
ルフトの左目がチカチカと明滅を繰り返している。
「あはははははははははははっ! |鋤灼ぃ! バッッカじゃん! アファファファファファファファファファッ!」
ドカンガタン!
2階から、”悪ふざけ”にイケメン参戦の|狼煙。
狼煙直下の、荷物がぐらりと倒れ、|P《パーソナル》・|B《プレイン》・|C《キューブ》が転がり落ち、スイッチが入る。P・B・Cから茶色の盆栽が、ビュワッと飛び出した。
ルフトはオレンジ色で|台形のカードのような《・・・・・・・・・・》|物を手にしている《・・・・・・・・》。
ルフトはその台形を|読み上げる《・・・・・》。
「顧問:笹木環恩殿―――私は『VRエンジン研究部』に入部したく此処に届け出いたします。」
台形をじっと眺めるルフト。
「―――鳥ノ……絵?」
台形を更に繁々と眺めるルフト。
「―――|Warkov《ウォー……コブ》?」
台形を透視するかのごとく見つめるルフト。
「―――牙ヲ剥ク……怪人ノ……絵?」
ルフトは|台形を下駄箱の上に置き、その横に設置してある、最新型の黒電話に手をかけた。
8:小鳥ファイル解凍その2
キュッキュッキュッと音を立てて、階段を上がってきた”ルフト”は、開きっぱなしの扉から|驗の部屋の中を覗き込んだ。
フローリングの6畳部屋の一角に、畳が一枚だけ敷かれ、その上に、寝袋が出しっぱなしになっている。
壁の一面が収納になっている他は、無骨な作業机が2台並んでいるだけと言う|佇まい。思春期の少年の部屋にしては簡素と言える。
寝袋の上に体育座りの女性陣に対し、男性陣は、オフィスチェアに陣取っている。
オフィスチェアの足にはコロコロしたタイヤでは無く、軸が斜めになった複雑な形状の、小さく平たいキャタピラが5個くっ付いている。新しい特許を使用した製品には、特区指定の割引制度が利用できるため、安く購入することが出来る。
かくして新入生の部屋は、珍妙なモノであふれることになる。
|鋤灼驗は、頭の上からネコミミを生やし、震えたような声を発した。
「ざざぁぶぶぅととぉんー、だだぁししぃままぁすすぅかかぁー?」
|笹木環恩は、裸エプロンと言う格好で、開かれた文庫本に指を走らせながら答える。
「コレで良いわよ。キレイみたいだし」
と寝袋を撫でた。
文庫本は、本置き台により、床から20センチ浮いた状態で、保持されている。
その本置き台は、|ルフト1/6サイズ《・・・・・・・・・》だ。基本的に、フルサイズのルフトとは独立しているが、いつでも、同期可能で、住人のサポートだけでなく、副系統として、下宿運用システム保守に一役買っている。
ちょこまかと動く様が、とてもかわいらしく、|環恩の視界に入ると、事態が進まないので、|作業に必要なマニュアルを持ってて貰うことにしたのだ。
|驗の文庫本に|DL《ダウンロード》した、マニュアルは、スクランブルが掛けられており、|環恩のメガネでしか|読むことは《デコード》出来ない。当然、|驗達からは、全部の文字が塗りつぶされた、発禁本にしか見えない。
補足だが、この”電子ペーパー”を数百枚束ねた、『|電子ペーパー・ブック《ぶんこぼん》』は、本来、完全ホログラフィー技術の|粋を集めたもので、一度DLした書籍は半永久的に再表示可能だ。
例外的に無料で”画素表示”出来るが、その演算能力は、電子ブックとしての機能を実現するために必要な最低限に押さえられている。それでも、8量子ビットマシン同等の能力を持つので、ふつうの、旧世代パソコンとして、事務仕事や趣味に使う人も多い。もちろん通常の使用とは言えないので、それなりの手順や、リスクを伴うが、それ自体を|趣味としている人も多い。
|笹木禍璃は、制服の上着を脱ぎ、両腕に、肉球付のフサフサ長手袋を付けている。
「鋤灼、テーブルくらい無いの?」
|禍璃は足を崩し、上半身を起こす。収納スペースが格納された壁を、しきりに猫手で指す。
|刀風曜次は、制服の上着を脱ぎ、腰のベルトの後ろから、クネクネ|蠢く長い尻尾を生やしている。
|刀風は器用にも、尻尾で、壁面の横木を突っつく。
「そこ、強めに押すと、作り付けのテーブル、飛び出るぞ」
|禍璃が|膝立ちで、壁へにじり寄って行く。
一枚敷かれた畳の大きさからすると、6畳部屋だが、耐震機構付の|梁が渡らせてある下の空間が、多少おまけで広くなっている。その空間に作業机を押し込んでいるので、|手狭な感じはしない。
|驗が座る作業机から、伸びた2本のアームの先には、”|鏡”が取り付けられている。夕日に染まりつつある紫色の空を写し込んでいるが、|陽炎のように|蠢いている。
鏡の表面には、沸騰するお湯の様な、浮かんでは消える泡構造が見て取れ、その激しい|斑に呼応するように、強烈な熱を発していた。
「|笹木……|環恩サン、階段ノ……入口ニ、コレガ落チテ……イマ……シタ」
ルフトは、拾った|台形”を水平に突き出したまま、背中に4人分の荷物を抱え、キュキュキュと歩いて、入ってくる。
「え? うそぉ!? 」
|環恩は脱いだ事務服の上着のポケットを探り、―――あら無い! 危なぁい! 無くす所だったぁ! と慌ててルフトへ駆け寄る。
よく見れば、|環恩は、ブラウスを脱ぎ、キャミソールの上からエプロンを掛けていた。エプロンには『水冷エプロン』と、パイプの中を水が流れていくロゴで描かれている。エプロン生地の表面に浮き出た、迷路のような|モコモコした線は、循環水冷パイプの通り道だろう。くび紐に繋がった水冷パイプは、首の後ろの形にフィットした、スプレー缶のようなモノに繋がっている。
ああっぶぶねねぇー、と|驗は|環恩に駆け寄る。
よく見れば、|驗の頭に付いた三角形は、ネコミミではなくて、個人用空調装備の|エアインテーク《空気取り込み口》であり、首の後ろから、洋服の中へと風を送っている。声がブレているのは、襟元から風が断続的に吹き出すため生じる、空気の疎密のせい。襟元をきっちり閉じて置くか、逆に開けて置けば、声がブレる事は無い。
|環恩は、|驗のタイを、引っ張ってギュッと閉める。
ぶわぶわぶわっ、ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。
「わ、涼しい!」
「こら、鋤灼、近づきすぎ!」
釘を指す|禍璃。指を刺すが、猫手では、迫力がない。
「そうだ、俺と代われ」
尻尾をクネクネさせ、タイを|緩める|刀風。
「それ、コウベを、圧縮して|仕舞った|積層メモリー《やつ》?」
同級生を無視し、話を続ける|驗の宇宙人声が、ふつうの声に戻る。
「そうぅ。『削除反対! |勿体ない!』」
ってしきりにコウベちゃんがぁ、|鋤灼君の事ぉ、本気で噛むもんだからぁ、つい仕方なくー、”文書化”しちゃったけどぉ、ホントはしたくなかったんですよぉ、とグチるVR専門家。
「仕方ないですよ。もう、腹一杯で食えないのに、『|嫌だい、|嫌だい、お化け椎茸は全部アタシのだいっ』って、言い張るんだから」
|驗はこうべのマネをしているのか、握った両手をぶんぶんと上下させる。
「そうよね~。あの|小っささで、あんなに、駄々をこねられると、もうカワイくってカワイくって。……お化け椎茸? 盆栽? も、あのままにしとけなかったし……」
受け取ったオレンジ色の|台形を、文庫本に挟んで、閉じるVR専門家。
姿を現した1/6のルフトさんをガシリと掴んで抱き上げるVR専門家。
小さいルフトさんは|環恩を見上げ、両目を点滅させる。
「小さいルフトさんが出してくれた、防暑グッズ、結構効いてるわよ。ありがとう」
AR対応メガネの指向性スピーカーから、出ているらしい声と会話して眼を細めている。
「カワイイモノに執着するの、程々にしないと、その内、大ポカするわよ」
|環恩はテーブルを引き出して設置し、ルフトから荷物を受け取っている。
その手をよく見ると、毛皮ではなく、放熱効果の有るナノファイバー製長手袋であり、手袋の長いところを折り返しているのは、寒いといって、調節したためだ。
ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥュュン!
熱を発していた、鏡が音を発して、元のコンソール画面へと戻っていく。
部分的に鏡の部分が円形に残っているので、CGみたいに見える。
「二人とも、今よ!」
|環恩は、妹の小言を無視して、指示を出した。
「はい! よろこんでぇーっ!」
|驗から渡された毛布を、満面の笑みで、鏡へ掛ける|刀風。|腰から生えた尻尾は、よく見れば、それは、気化熱を利用した、熱中症予防機であり、伸ばすと首筋まで届く。冷却効率500%アップと、ゴミ箱に捨てられたパッケージに、記載されている。背中の動きを読みとって、自在に動くが、それ自体に意味は無い。
|驗も、毛布をもう一つの鏡へ、ばさりと掛けた。
毛布の中から、ミシミシと何かが収縮するような音が聞こえてくる。
|驗の作業机に付いた、鏡は、積層パネル搭載のTVモニタである。
演算と表示の両方を、切り替えなしに、平行して出来る、そこそこ性能の良いもので、VRヘッドセットの代わりに使えるようにと、|驗が最高に調べ抜いてたどり着いた製品だった。|空間認識用アダプタ《ドングル》をモニタに付けるだけで、量子コンピュータにアクセスできる様になる。
通常の完全ホログラフィー技術による物体表面表示と、モニタへの表示とで、何が違うのかと言えば、個人使用の際に、料金がかかるかかからないかという一点だけだ。”各種座標指定に関する|煩雑さ《・・・》が、1番お金がかかる部分”と特別講座”VRエンジン|概論”のテキストにも書かれている。
今、彼らは、|この《・・》|驗愛用の、”|モニタ端末”、を|VR技術者の持つ、権限の一部を譲渡することで、”|開発者コンソール化”している真っ最中である。
8:小鳥ファイル解凍その3
量子コンピュータの特性を利用した、完全ホログラフィー技術、”画素”。
光分子を投射し半永久的に定着させる事が出来る。
”発生原理が解らないまま使い方だけ|収斂した”、特区を代表する|謎技術のひとつ。”完全ホログラフィー技術”と言われるのは、やろうと思えば、|何もない空中に《・・・・・・・》、|物理的な解像度で《・・・・・・・》、|表示出来る《・・・・・》からだ。
現在、様々な理由から、特区内でも”物理解像度での空中投影”は、禁止されている。
”画素”を表示する際に、表示要素以外の情報を入れ込むことで、情報を処理することも出来る。
しかも、映像解析技術や圧縮プロトコル、ひいては、量子的特性を複合的にリソース化していった結果、飛躍的に処理速度を上げることが|出来てしまった《・・・・・・・》のである。既に、謎技術以外の部分は、”量子描画プロトコル”として公開されている。
”画素”技術が公表された当初、複雑で入り組んだ狭い所へ投影するのに、量子演算を持ってしても、膨大な解析時間を必要としていた。
だが、投影すればするだけ増す|処理速度を獲得したことにより、むしろ、|不得手なほど、効率が良いという、|不気味なポテンシャルを開花させるに|至る。
特区周辺なら、たとえ密閉された空間内でも、なんの装置もなく物体表面に、印字品質の精細さで、投影できる。
個人|使用としては、固定映像用の画素面をあらかじめ、物理的に|位置決め《ポジショニング》し、精査し整列させ、バックライトを搭載したモノを、モニタ兼量子|コンピュータ端末として使用するのが一般的である。
具体的には、対応モニタや対応平面構造に、|空間認識用アダプタ《ドングル》を付ければ良い。
大規模な演算発生中や、映像チャンネル混雑時などに、周辺の固定映像用の画素面が、|鏡面化してしまうのは、演算中のデータ保護を優先させるためだ。
|驗達が、今しているのは、画素面の、物理的な|位置決め《ポジショニング》だけでは不可能な、情報のリフレッシュレート自体の高速化、つまり|下回りの補強だ。
より|物理的に《ハード上で》高速処理させるために、|専用の回路図を|直接書き込んでいる。
VR界隈での呪文、”正式な手順さえ踏めば、あとは機械が全部やってくれる”の、
”|正式な手順”と”|機械”を繋ぐ部分なので、厳密な作法で|一遍の誤りも無く行わなければならず、工程は、かなり複雑になる。
1:高出力で内蔵の”|画素”を多重点灯させる。
2:その発熱で転写した光|回路図を、”画素”上に|永久定着させる《焼き付ける》。
3:定着した上から、別の反転した様なパターンを転写して重ねる。
4:分子レベルでの積層化により、数十枚重ねられているパネルの内の、1枚の中に、”機械作動式”の、計算機を作る。
―――ざっと説明した|VR専門家に返る言葉は、当然こうなる。
「「「「さっぱり解らない!」ないわ!」ねえぞ!」なぁいぃ!」
説明した|VR専門家までもが、声を揃えて”解らない”と宣言するほどの、複雑さだ。
実際には、既に用意されているプログラム”画素”の1枚目を、|VR専門家の個人用クラウドから、開発者権限で表示し、|実行するだけで良いので、理解する必要は全くない。
|因みに、当然失敗すると壊れる。それと、量子データセンター直通の画素は、どんな表示をしても発熱しない。
|カーネル《スーパーバイザー》として、量子ビットの監視をさせるため、積層パネルの一枚を占有する。本来、このTVモニタの持つ、256量子ビットマシンとしての|性能を、多少スペックダウンさせてしまう事になる。
しかし、|下回りの補強により、それを補って有り余る性能を引き出せたと、豪語する|VR専門家。彼女の言う事が本当ならば、個人で、量子コンピュータへアクセスする環境としては、フルダイブ型VRヘッドセット以外では、最高のモノが出来上がった事になる。
◇◇◇
ココまでが、|開発者コンソール化に耐えうる|環境づくり。
ココからは、実際の、|開発者コンソール化の|作業に取りかかるわけですがぁ、モニタに、ヒビが入らないように、ゆっくり冷ましてるぅ間に~、折り詰め、頂きましょぉうかぁー。たぶん、賞味期限ぎりぎりだしぃ。と汗を拭うVR専門家。
ルフトは、室温が下がるのを見計らって、残りの折り詰めを抱えて持って来てくれる。部屋が暑くなるので、隣の部屋に待避させて置いた分も、1/6ルフトが1個ずつ運んでくれている。
|付箋紙が張られた、折り詰めを手に取る|驗。
「ソレハ階下ノ、住人達カラノ伝言デス」
補足するルフトから、折り詰めをどんどん受け取る、|刀風。
1/6ルフトから1個ずつ、折り詰めを受け取る笹木講師。
箸や紙皿を出して、テーブルを整える|禍璃。
会食の準備に関しては2回目なので、非常に手際が良くなっている。
『自動屋台のごちそう、こんなに沢山有り難う。遠慮なく頂きます。』
大きめの付箋紙に、偉く達筆な筆致で書かれており、小さくも、立派な御礼状の様に見える。|驗は付箋紙を外し、テーブルの真ん中へペタリ。
「|鋤灼君? 1階にも学生さん達いるのぉ?」と笹木講師。
「学生さんは居ないけど、外周のアミューズメント施設で働いてる方達が、何人か」
「連絡シタ所、先ホド、沢山ノ同僚ノ方ヲ引キ連レテ、オ戻リニナラレマシタ」
気の利くルフトは、開いている窓を閉めながら、言葉を続ける。
「沢山!? そんなに居るなら、足りねーんじゃ無ぇの? 下に置いてある分だけじゃ」
|刀風は折り詰めに付いた、小さな醤油入れ(鯛)のフタを、回して外している。小刻みにピクピクと動くフサフサの猫尻尾を|禍璃が鋭く睨み付けている。
「でも、コレ、結構ずっしりと、重いし、ふつうの駅弁とかよりは、量有ると思う」
と猫手を脱ぎながら|禍璃が言う。各人の前に4つずつ置かれているテーブルを見て彼女は顔を少し赤らめているようだ。
ルフトは、1/6ルフトと見つめ合い静止する。
チ・チ・チーと、小さな発信音が漏れているので、どこかと通信している様子。
砕けた感じの男性の声と、明るい声色の女性の声で、
「えぇーー!? 十分十分、美味しく頂いてまーす!」
「ちょうど人数分足りてるよー! シルシっち、サンキュー! ブツッ」
と1/6ルフトから、返答が帰ってきた。
「ダソウ……デス」
フルサイズルフトは、|流暢で気弱な合成音声で締めくくる。
部屋付きの|小型端末機同士は、電話の子機のように通話する事が出来る。恐らく、1階にいる別の|小型端末機と通話したのだろう。
「あらぁー。小さいルフトさん便利ねぇー」
ムギュリ。胸の谷間で1/6ルフトを抱える、笹木|環恩特別講師の顔には、「コレ欲しい」と書かれている。
シルシは、引ったくるように1/6ルフトを取り返して、隣にいた|刀風へ手渡した。
ガシーン。|刀風は、笹木特別講師と同じポーズで、1/6ルフトを抱えて、ニヘラっとしている。|刀風は外見的には、非の打ち所のないイケメンで有る。
|禍璃は、脱いだ猫手袋を、残念なイケメンに投げ付けた。
「痛って! やんのかっ!?」
筋骨隆々の少年が、血気盛んに立ち上がり、抱えていた1/6ルフトを、フルサイズルフトへ、優しく手渡す。
「良いわねっ! もう姉さんに気安くしないで欲しい所だったしねっ!」
やや、ミニマム体型の、ロングヘアーをカチューシャで|纏めた少女が、威勢の良い振る舞いで、立ち上がる。|驗は、その声を聞いて|頷いている。笹木姉も、やっぱり|禍璃ちゃん、イイ声~と|頷く。
2人とも揃って、後ろ手に構える。
「彼の地に万有が降り立ち―――」
|此処まで、”|簡易給仕ロボ《ラジコン・カート》”を操縦してきた、携帯ゲーム機を取り出す。型番は最新型の|RRGMDー4000|OR。
「彼の地に万有が降り立ち―――」
まるで聖剣を掲げる女騎士のように、大げさに携帯ゲーム機を取り出す。型番は最新型の|SSGMR400ー|RD。ほぼ、同形状だが、こっちの方が薄型に見える。
|音声入力による、高速起動、それぞれのキャラクタが即座にロードされる。ゲーム機の表示パネルから、はみ出る形で、半透明のHUDが幾重にも重なって表示されていく。表示パネルを含め、直径15センチ以内の半透明ホログラフィーは目視可能なので、AR眼鏡をかけていない、|驗達にも見える。
「ア、アノ……」
今まさにゲームとはいえ、殴り合いの喧嘩をしようって2人の間に、事もあろうか、気弱なルフトが割って入った。
「おう、ルフ公、止めんなよ! コレはぁ、|歴とした、男と男の勝負だぜぇ!」
と言いつつ、ルフトを気遣い、横に|逸れようとする|男前。
「どわれがぁ! 男かぁあ! 付いとらんわぁ!」
|禍璃は回転し、|刀風へ背を向け、飛び上がる。
「なんだ!? 今更止め―――」
背を向けた相手を、追う形になった|刀風の腹を、|射貫くように、後ろ足を振り上げる|禍璃。
舞い上がる|制服のプリーツスカート。
回し気味にピンと伸びた足の下で、ルフトは「賞味期限ガ……迫ッテイマ……スヨ」と言葉を続けている。
|刀風はスタイルも抜群である。筋肉多めのモデル体型と言って良い。足なんて半分よりも上から生えてる。
対する|禍璃は、立ち振る舞いこそ、舞台役者だが、|如何せん|身長が無い。こちらも|足は半分よりも上|から生えているが《抜群だが》。
キィィィィィィィィィィィィィィィィン!
哀れ、|刀風は、足の付け根を、押さえて、崩れ落ちた。
|禍璃は、スカートを、まくり上げながら、若干ガニマタで、ストン。フローリングの床に靴下なので、|蹴った回|転とは逆|へ《で》、30度ほど|回転した《戻った》。着地姿勢のまま、顔を上げる|禍璃の真正面には、座る|驗。
回転ジャンプの瞬間に「それ……見せてんのか?」と溜め気味・・・・に言った|驗も、スタスタと歩いてきた|禍璃のつま先で、オデコを蹴られ、悶絶した。
その惨劇を目の当たりにした、笹木<姉>特別講師は、
「|禍璃ちゃぁん。モテモテねーっ! 大丈夫、お姉ちゃん、あっち向いてるからねぇー!」
と、何か勘違いをしながら、3人へ背を向け、「いただきまぁす」と本日2度目の会食を始めた。
8:小鳥ファイル解凍その4
「さて、一時はぁどうなることかとぉ……モグリ……思いましたがぁ……モグモグ」
「ほんと……ポキッ……ですよ……ガブリ」
「まった……ザクッ……くだわ……モギュルリ」
「その通り……パキポキ……だぜ……ガジガジ」
全員で、最後に残った、伊勢エビに|囓り付いている。
こんな、目立つ|御馳走は真っ先に平らげそうだが、|環恩が、足下に|除けたまま、忘れたため、最後になった。なぜ|除たのかと言えば、特大伊勢エビで箱が|膨れてて、重ねるとグラグラして、|崩れた《邪魔だった》からだ。
「|禍璃! ガジリ……コレ食ったら、……サクッモグッ……勝負すっかんな!?」
豪快に伊勢エビの唐揚げに、|囓り付く。
「バカ風こそ……モギュル……最後の晩餐、……ザクモギュルリ……とくと味わうが良いわぁぁ!」
口の中の物を、少し飛ばし、慌てて口に手を当てている。
「|禍璃ちゃぁん……モグモグモグ……食事中に|魔王声はぁ、……モグゴクリ……お行儀悪いですよおぉ」
と小言を言いながら、殻に詰められたグラタン風の伊勢エビ料理を、一番乗りで完食した。
早い。大人でも、2個も食べたら、苦しくなる程の、量の折り詰めを、伊勢エビも含め計4個、一気に平らげた。しかも、ちょっと前に、同量程度の食事をしたばかりである。笹木|環恩推定25歳独身、侮れない大食漢である。
「オ手製デスガ、……ヨロシケ……レバ」
ルフトが|環恩と同じエプロンをして、スッと屈み込む。
小さいお盆の上には、フタの付いた椀が人数分。
コトリ。テーブルの空いた隙間に置かれる|椀。
「えー? ルフトさんのぉ、手作りぃー?」
|環恩は、飛び上がらんばかりに、破顔する。
「今朝ノ……残リ物デ……スガ」
|禍璃は、エビ殻が山盛りの箱を、素早く持ち上げて、ルフトの置く手が止まらないようにしている。
「笹木は……ガブリ……気が利くなあ」
シルシは、伊勢エビを囓り、残った尻尾を、山盛りの殻の上にそっと置く。
「えー? そっかなぁー! なぁに鋤灼君、先生ほめても、何も出ないよぉ~?」
ビンごと貰ってきた、琥珀色の水はほぼ全部、笹木講師の腹の中である。
「そうです。笹ちゃんはー、日々、俺たちのために、頑張ってると思う! ドン!」
笹木講師の隣へ座り込んだ|刀風が、テーブルを叩く。
手には、ぬるくなった、オレンジジュースの瓶。
「……おまえまで、出来上がってどうする」
と言って、|驗は|刀風の、食べかけを移動してやる。
ルフトの持ってきた、|椀。
|驗は「|椎茸だ」、|禍璃は「曲がり|葱だわ」とフタを開ける前に、口にする。
小さいお盆の表面に、落ちる椀の影から、細い線が伸びている。その先には、『椎茸と曲がりネギの味噌汁』と、印刷されたように表示されている。
|驗はフタを開け、口を付ける。
「赤出汁だ」
「あらぁホント、おいしいぃ! |禍璃ちゃぁん、赤出汁だってぇ」と味噌の種類に反応する笹木姉。
「赤出汁好きなのか?」
|驗が|禍璃に問いかけると、|環恩が答える。
「|禍璃ちゃんわぁ、お味噌汁がぁあんまり好きじゃぁないんだけどぉ、赤出汁のお味噌汁だけはぁ、ちゃんと飲むのよねぇ~」
「姉さん、そんな、情報どうでも良いでしょ」
と言って、椀を持ち、ズズズと|啜り始める。
「……いけるわね」
「うん。こりゃ、うまいぜ」
「だっろー? ルフトさん、のご飯はいつでも美味しい」
「……鋤灼のくせに、いつも良いもの食べてんのっねっ」
「ほんとだな、羨ましーっぜっ」
ほぼ同時に、テーブルの下から伸びてきた2本の足に、蹴たぐられる|驗。
|環恩に負けず劣らずの|大食揃い。食に対するこの執着は、ひょっとしたら、”自動学食”などの一風変わった食事事情も、関係しているのかもしれない。
「痛って! やめろ、こぼすだろっ!」
必死にバランスをとって、なんとかテーブルにお椀をおく|驗。
「まったくーーーつか、|寒ぃ」
首を縮め、頭の上のネコミミと、幅広の送風口を引っこ抜く。
「そうねぇ、ちょっと冷えてきたわねぇー」
と裸エプロンからエプロンを取ろうとする笹木講師。
「わー姉さん! だめ!」
スタイル抜群の、盛り上がりを隠そうとする、幼児体型。
下にちゃんと着ているとは言え、目に毒だっ! と叫び、クルリとソッポを向く少年×2。
「|鋤灼、もうそろそろ良いんじゃねーか? モニタの回路焼き込み? とか言う奴」
「そだな。先生、もう、毛布取っても良い?」
少年達は背を向けたまま確認する。
笹木講師はごつい腕時計で経過時間を確認し、|いーよぉ《O.K.》を出す。
二人とも|環恩の方を見ないように、折り詰めをたぐり寄せる。中を空にし、味噌汁で流し込む。
それをみた|禍璃は、何よ勿体ない。こんなに美味しいのにと、大事そうにチビチビと味噌汁を飲んでいる。
「どれ」「っしょ」
作業台へ向かった2人は、同時に毛布を取る。
作業前と何も変わらないモニタをみて、ほっと胸をなで下ろす|持ち主。
「よし、ヒビとか入ってねえな」
|刀風は、尻尾を付けたまま、再び椅子に座る。
ウリュリュリュっと凄まじく滑らかに、椅子が動く。
|驗も、椅子に座るが、床に張り付いたように動かない。
小さいキャタピラにはストッパーの類は付いていない。|驗曰く、格安理由の”謎の機構”が働いているらしい。|禍璃は、気味悪そうに、OAチェアを睨んでいる。
「じゃぁ、始めましょうかぁ」
立ち上がる笹木講師。
|刀風は椅子から立ち上がり、彼女に席を譲る。
「うん、いいねぇ。|鋤灼君、コレ結構、張り込んだわねぇ」
一応モニタ型番という物もあるが、大きさから、積層枚数や、デザインなど、様々にカスタマイズするのが当たり前だ。型番が同じでも、性能は、掛ける金額によって、雲泥の差になる。
|驗は、積層枚数を最大の64枚にしたことを、ちょっとだけ自慢した。
笹木講師は教室の先生の端末は32枚だよ。良いわねコレェ。とモニタの縁を撫でる。確かに、この部屋のモニタは2枚とも、とても分厚かった。
「えっとねぇー、ちょっと、待ってねぇー」
笹木講師はメガネの両脇のLEDを点灯させた。まるでB級映画のクリーチャー、”|悪夢|の《・》|処刑人”の眼孔が光っているように見える。
パッ。急に室内に明かりが灯る。
「あ、ルフトさん、ありがとう」
|驗が椅子を回転させて、ルフトを振り返る。
薄暗くなった為、ルフトが、室内灯を付けたのだ。
「まってまってぇ、ごめぇーん、|一旦切ってくれるぅ?」
同じく椅子を回転させ、天井を指さし、振り返る。
ルフトは室内灯を消した。
「”画素”抜けが無いかどうかぁ、最初に一回だけぇ、チェックするから薄暗いくらいでぇ、丁度良いのですよぉ」
「さぁてぇ、とっととぉコンソール開けるようにしてぇ、コウベちゃんと、小鳥をレスキューするわよぉ!」
ボキボキと拳をならす真似をするが、音はしない。
「じゃ、まず、|私の《・・》使うわねぇ」
と取り出した、オレンジと赤でデザインされた”|空間認識用アダプタ《ドングル》”を、モニタのコネクタへ差し込む。
即座に、特別講座中にも使っている、技術者専用の開発者コンソールが立ち上がる。特徴的な明るい赤の地色に、白いロゴが表示された。
|驗の話では64枚ある、積層パネルの中を、表示面が物理的階層を沈んでいく。
ピゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッシュバッ!
最後の一枚にプリントされた光回路が、オレンジの地色に、白線で浮かび上がって直ぐに消えた。
ピコンッ♪
正常起動を表すアラームが鳴る。
「積層面にぃ、”画素”抜けは無しぃ」
|驗が安堵の息をもらす。
画面右下に現れた、太めの線で書かれた|□《四角》、に親指を当てた。
四角がフラッシュして、指を離すと、指紋が取り残される。
四角の中の指紋が消え、四角が下に落ちる。下縁に当たると同時に、左端へすっ飛んでいく。
『□command:_』 シシシシッ。
|点滅するカーソルが現れた。
各種アイコンが画面からはみ出る形で多数表示されていく。
アイコンに文字は無く、すべて絵で表現されている。
一見すると、魔術的な|文様を|象った、呪術的な装置のようにも見える。
「わっ、これ教室の黒板で見たのと同じだ!」
専門機能に特化した、高性能のコンソールが自分の家の端末で、起動したことに、少なからず|驗は興奮しているようだった。
8:小鳥ファイル解凍その5
「じゃあぁ、”|SDK《開発者キット》”譲渡のついでにぃ、”画素”を最大までぇ、移植しまぁすよぉ」
画面からはみ出ているアイコンの一つを、入部届にも使った|デジタイザ《ペン》で、|突く。
アイコンがさらに空中に、はみ出して、太い紐のような物を伸ばし始める。
「これが終わればぁ、開発者コマンドォ、使えるわよぅ」
「あ、履歴|参照しても《みても》|良ーいー?」
待ってる間の暇つぶしか、普段、この端末で、何をしているのかを、知りたがる。
「いいですよ」
という少年の返答を待って、アイコンの一つを何回か押す、VR専門家。
ズラーッと|落款のような物が列をなして表示されていく。普通の書道作品の隅に、押されてたりしている、落款とは違い、とてもカラフルだ。
|数字と幾何|学模様の入|り交じった《押し潰れた》|羅列を、歌うように節を付けて、読み上げていく専門家。
『かぁのぉちぃにぃばぁんーゆーうがぁおーーー♪』
あらぁ、なぁにぃコレ? と首を傾げている。
「それっ……暗号化してあるのになんで!?」
焦る様子の|驗。
「んっふっふーぅ! ダテに、|専門家を名乗っているわけではないのですよぅ!」
|ピクトシェル《画素スクリプト》なんてぇ、|ソラ《・・》で|詠めますよぉ。
「流石にー、ファイル名しかぁ読めませんけどねぇー」
とペロッと舌を出す。
侮れない。専門家は侮れないぞ、とブツブツと口の中で言いながら、|驗は返答に悩む姿を見せている。どうも、このファイル名、は余り知られたくなかったらしい。
|刀風は、侮れない、美人講師は侮れないぞ、とブツブツと口の中で言いながら、顔を赤らめている。シュッとしたその顔を、だらしなく|綻ばせ、|ペロッと舌を出した《マネをした》。
背後で、じっとしていた|禍璃が、侮れない、|刀風は侮れないと声に出しながら駆け寄る。そして、あろう事か、|筋骨隆々の少年から飛び出た舌を、”指相撲”の要領でひっつかんだ。
いでででで、てへぇーはひゃへぇー!
何言ってるかわかんないわよ!
などと、聞こえてくるが気にしない様子で|驗は、VR専門家へ返答する。
「それ、……この間出たばっかの、……|荒神話文庫の新刊です!」
|驗は、シドロモドロながらも、なんとか|弁明した。
面と向かっていればウソだと顔に書いてあるので、ばれただろうが、今、専門家は専門的な作業に取りかかっていて、モニタに張り付っきぱなしだ。
え? 小説? なんか、ゲームの|OP《オープニング》みたいだけど……読みたい読みたーい!
コレはダメです。えっと……まだ読んでないんです! 読んじゃった奴なら、どれでも、お貸ししますから。
と、少年は収納壁へ走って、一角を引き出し、中に積み重なってた|電子ペーパーブック《ぶんこぼん》を何冊か、テーブルの上に置いた。
テーブル周りのゴミはすべて、ルフトとルフト1/6が片づけ済みだ。
そんなやり取りがあってから数分後。
「開発者コンソールの負荷にも耐えられることを、確認しましたぁ」
作業台の上にジャララと置かれた、|薄型のキーボード。隅にある四角い縁取りに、親指を当てる。画面に、『外付けアナログキーボードが接続されました。』と表示され消える。やはり、文字までもが”付けすぎた朱肉で、押し潰れた”ようになっている。
「姉さん、これ、読み辛くない?」
「さすが、|禍璃ちゃん。良いところに気が付きました」
”量子フォント”は個人所有の物を使うんだけど、鋤灼君は、量子フォントを一個も持ってないみたいですね。と補足するが、若者3人の顔を見るに、理解した者は居ない様だ。
「なんですかそれ?」
「来週の授業から勉強するのでぇ、まだ知らなくても良いでぇーす。今日の所は、先生が持ってる、”余ってる奴”をー、|鋤灼君にー、進呈しましょぉ」
「え!? 何だよ、|鋤灼ばっかりー!」
|刀風は、ガタイの良さを生かし、|驗の両肩をギュギュギュギュギュと押し下げる。
「いだだだだだっ!」
「こらあぁ! ケンカしないのぉ! |刀風君がぁ、”開発者コンソール”を作った時にもぉ、ちゃんとあげますからぁ」
え? ほんと? やりぃー!
アンタ、ゲームプレイばっかで、開発者コンソールなんて、必要ないでしょうが!
けほけほっ! 痛ってー! などとじゃれ合い青春を謳歌する、若者達には目もくれず作業を進める笹木講師。
しばらく、|落款で、和算数の様な事をしていた彼女は、|驗の”|空間認識用アダプタ《ドングル》”を借り受ける。
歯車の付いた凝った作りのソレを、空いている|差込口へ、差し込む。
「音声入力」「認証コード発行」と全手続きを手早くすませる。
「さぁ、コウベちゃん達を、|解凍しますか」
両手を組んで、天井へ向けて伸ばし、体をほぐしている。
「おう、鋤灼、これ、俺たちのゲームにも、超便利に使えるんじゃねえ?」
|刀風は、やや、声を潜めて話しかける。
「しっ、ソレ、後で話そうぜ」|驗も声を潜める。
集中している笹木講師には聞こえていない。
「なによ? 悪巧み?」
背後に忍び寄ってきてた|禍璃が目ざとく、聞き耳を立てていた。
「そういうんじゃねえよ、そういや、おまえ、決着付けなきゃな」
「そうね! でも、姉さん、集中してるから、こっち、一通り終わってからね」
|笹木講師の背もたれを掴みながら、|禍璃が言う。
「そうだな」と|刀風は|驗の背もたれを掴んで、目の前の端末を見る。
左側に座る笹木講師の前の|端末に遅れて、右側の|端末にも全く同じ画面が表示されていく。
「あれ? 笹ちゃん先生、こっちも専門家仕様にするんだよね? ……鋤灼ィ、これ、大会前の審査通んのか?」
背後霊と化した、|刀風の言葉に|驗は慌てた。
「あああっ! 先生! コレ! ”開発者コンソール”って、ゲームのレギュレーション通る?」
「|公開|鍵|検査の精度によるけどぉ、基本的にダメかもぉ、”|開発者コンソール《これ》”だと普通にぃ、システムファイル開いたまま|実行出来るものぉ」
「こっちの、まだ、いろいろインストールしてない方は、レギュレーション通りますか!?」
いつになく真剣な|少年に、|気圧されながらも、真摯に答える講師、|環恩。
「たぶん大丈夫ですがぁ、ちょっとした|設定が必要なのでぇ、|実機を見せてくれませんかぁ?」
笹木講師を見やり、作業台の引き出しを悩んだ顔で睨む。|数拍の|躊躇の|後、作業台の引き出しから、携帯ゲーム機を取り出す。
ジ。
そのゲーム機は、一目でソレとわかるほど、古いタイプの物で、洗練されておらず、とても巨大だった。
|刀風や|禍璃の物とは、違って、やたらと沢山の、ネジ止めがしてある。
ジジジ。
「これぇ、|GMBr《ゲームブリュー》規格のぉ|自作組立機ねぇ」
ジジジジィーーーーッ!
あちこちに、継ぎ目や、色違いかと思う程のヤケが見て取れる。
不格好に膨らんだ、スケルトンパーツの|筐体から|内部が覗いている。内部には、ケーブルが何本も束ねて押し込められており、基盤などの部品は見えない。数年前まで、主流だった、リング状のシリコンメモリが、|僅かに見え隠れしている。専門家、笹木|環恩は、妙に顔を|綻ばせながら、触らずに、あちこちの角度から、じっくりと見ていく。
ボッシュッ!
「なによさっきから、うるっさいわね」
|禍璃の声に、全員で”開発者コンソール”を見る。
薄暗い画面の奥の方から、羽ばたくような音が聞こえてくる。
音自体は、|驗の部屋に|作り付け《ビルトイン》の、一般的なサラウンドシステムによるものだ。よく見ると緑色のドットが画面中央に点いている。
近づいてくる羽根の音。
緑色の点は、急激に大きくなり、全貌を表す。
改造にも耐えた、|驗の虎の子のモニタ端末を、そのクチバシで、突き破った!
バリィィィィーーーーン!
飛び出たその姿は、まさに抹茶色。首から腹にかけて、朱色から黄緑のグラデーション。
黒目の周りを縁取っている白は、”|自動屋台”の|飛ばした白丸を|彷彿とさせる。
「ピチュチュ! ピチュチュ! ピチュチュ!」
自由を満喫するように大きく旋回している。
……つもりらしいが、モニタの前面15センチしか活動範囲がないので、ほぼその場で、ゆっくりと回転しているだけだ。
|呆気にとられ、大口を開けたままでいる若者たち。
VR専門家は|微塵も動じるそぶりを見せず、|デジタイザ《ペン》で|そいつ《・・・》を、|突き―――
「あっぶなぁい! |下回りの改造ぉ《オーバースペック》してなかったらぁ、|ロスト《・・・》してるとこだったわぁ」
専門家は、|全力で《・・・》動じていた。しきりにオデコの汗をブラウスの袖で、拭いている。
『たこ焼き大介作成:小鳥Ver:1.0.4_qr2』
端末とのリンクを確立した小鳥の|H《ヘッドア》|U《ップディ》|D《スプレイ》が|忙しなく点滅しながら飛び出た。
動じた大人は、その更にちょっと上の辺りも、|突く。
少し太めの眉毛と、風に揺れる長いまつげ。切れ長の瞳に、切り揃った前髪。両耳の後ろで束ねられた栗色の髪は、小鳥の尾羽根より長く|棚引いている。
|禍璃と同じ、白いブレザーに、紺色のセーラー襟が付いたような制服。端的に言って、”清楚系美少女優等生”、以外の何物でも無い。
セーラー襟と同じ色合いのチェックのプリーツスカートから伸びた足は、小鳥のフサフサした胴体を|跨いでいる。
|小鳥騎士は端末とのリンクを確立させ、ギャッハッハッハッハーー! と御満悦の様子。
『たこ焼き大介作成:|米沢首Ver:2.0.0_qr2』
と|サムネ表示の頭上にも、HUDが出た。
「……自己解凍型のぉ、圧縮プロトコルだったみたぁい……」
手に、オレンジ色の台形を持つ、推定25歳は、少しの間をあけて―――
”てへぺろ”をした。
”てへぺろ”とは、猫手で頭を小突き、片目を|瞑り、舌を出す|あれ《・・》だ。
|イケメン《カタナカゼ》も、今だっ! とばかりに、猫手で頭を小突き、片目を瞑り、舌を出した。そして、又もや|禍璃にギュッと摘ままれ、ろれつの回らない雄叫びを上げた。
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その1
「おらぁ! ―――ギガドォーン! 触軸のアウトブレイブ!!」
「なんで!? ―――きゃぁぁっ! カッウンたぁー!!」
「噛めっ! 強く噛めっ! ギャハハハーッ!」
「リサイクルBOXの中に、去年の卒業生が、置いてった|PBC《ヤツ》有りました」
「ピチチチッ♪」
開けっ放しのドアから、入ってくる|部屋の主。
物騒な|効果音の割には、座布団に行儀良く正座し、対峙している2人。
カバーの付いてないドット絵柄の座布団が、テーブルの横を|彷徨いてる。
1/6ルフトが奥の部屋から、人数分の座布団を持ってきたのだ。ぽそりと放り投げるように、|禍璃の横に置かれた、2枚重ねの座布団。1/6ルフトは、その上へちょこんと座る。その姿は、笹木講師の心の琴線に触れそうなものだが、彼女はイスに座ったまま|モニタの辺り《小鳥に乗ったコウベ》をニヤニヤと眺めていた。
「よかったぁ。今から買いに行ってたらぁ、夜になっちゃうところだったぁ」
ニヤニヤ顔をキリリと引き締め、|四角い蛍光グリーン《P.B.C》を受け取る笹木VR専門家。
「でも、本当に|貰っちゃって良いのかしら?」
「一階の、リサイクルBOXは、”THE下宿”住人なら、中の物を誰が|貰っても良い事になってるんで、大丈夫です」
「そうなのー? ……買うと3万5千宇宙ドルくらいするのよぉ?」
『2016年6月16日現在―――|YEN《JPY》=8.617|S$《SPD》』
|驗の、手首に巻かれたデータウォッチが、キーワードに反応して、自動的に日本円で算出表示している。彼はチラリと確認した。
「……4千円くらい? 買うと結構するんですねコレ」
「そうねぇ。必要な機材は全部ー、特区から支給されるけどぉ、予備や追加のぉ増設パーツなんかはぁ自分で買わないとダメだからー、|鋤灼君もぉ上手に|遣り|繰り出来るようにならないとねぇー」
「そうしまーす」
気のない返事をして、|驗は|荷物の上に置かれた、|紐付きのヨーグルト瓶を拾って手渡した。
「じゃ、感謝して|貰っちゃいましょー」
笹木講師は、親指で、キューブの底に有る四角い枠を、ペタリと|触る。次に、”瓶の付いた機械”のフタを開け、中にセットされていた|PBC《モノ》と手に持った|PBC《モノ》を取り替えた。最後に瓶に突いたスイッチを押す。
|コウベと小鳥を|間に挟んで《透かして》、ボンヤリと見えるコンソール画面に、回転するアイコンが表示される。
アイコンの周りを|円形に伸びていく、|紐の様子からすると、少し時間がかかりそうだ。
「そういえば、|これ《・・》名前、何て言うんですか?」
少年は”四角い瓶の付いた機械”を指さす。
笹木講師は、「”|V.O.I.D・チャージャー”って言うのが面倒だから、みんな”瓶”って言ってるわねー」と返答。
ピコン♪ 新しいPBCが接続されました♪
|流暢な合成音声で、|接続確立が知らされる。
『新しいPBCが接続されました』
同じ文面が、未来的なイメージのフォントで、|くっきり《・・・》と表示されている。
笹木講師の手持ちのフォントがインストールされたのだろう。
|落款の様な潰れアイコン以外は、すべて、表示がクリアになっているが、どのみち、|小鳥騎士が邪魔で|驗達からは見辛い。
「音声入力」「|P《パーソナル》|B《・ブレイン》|C《・キューブ》:全チャンネル:クリア」「実行承認」
表示された入力欄に、ゴカカッゴカカカカッダンッ! と、強めの鍵打音で、十数文字打ち込む。
|モニタ《端末》の真ん前に浮かぶ、小鳥騎士が邪魔になりそうなものだが、全く気にしたようすはない。
入力したのは音声入力だけでは足りないPWのようなものなのだろう。画面が見えなくても平気らしい。
「あんた達、かわーいーいーわねー」と又ニヤニヤし出す。
|驗もコウベ達を見ようと近寄るが、「シルシ! 邪魔! 見えないじゃん! キシャァーーッ!!」と|威嚇される。
|威嚇された少年は、スゴスゴとその場を離れ、元の椅子へ座った。
コウベはちょっと離れたテーブル上で、行われている|大スペクタクル《PVP戦》に夢中だった。PVP戦というのは、|スタバ《スターバラッド》内で行える、対戦形式の戦闘クエストだ。主にプレイヤー同士が戦い、その内容によりポイントが累計されていく。そして、週に1回、ランキング順位に見合った報酬が、自動的に支払われる。
”|VR拡張遊技試験開発”特区に置ける、最大の実地試験がコレだ。”|ゲーム内仮想通貨”の、|特区内使用に関する全ログを持ってして、”|複雑系経済”を|可視化しようという|試み。
『特区内の研究施設付属大学では、金融工学と、量子工学の融合が進んでいます。』
|特区の案内には、そう書かれているが、笹木講師の講座中の脱線話しに|因れば、”非常にグレーで、繊細な案件”らしい。
「気になる人はぁ、図書|室で調べてくださぁーい」
と言っていたが、|驗を始め、講座受講者のうち”宇宙ドル”に付いて調べた者はおそらく一人も居ないだろう。
敗北によるランク下降を防ぐために、対戦を避けると、1週間で”ランク電池”が尽き、累計ポイントが減り始める。
実力|伯仲のPVP戦に置いては相対的に、ランクを一気に落とすことになるので、結局、最低でも一週間に一度、ガチで戦闘するしかない。
そして、今行われているのは、勝てばランク電池が充電される、模擬戦みたいなものだ。携帯ゲーム機でもキャラを操作できるように、操作系は携帯ゲーム機の|UI《ユーザー・インターフェース》に準拠している。
テーブルの上には布製の、フィールドマットが敷かれている。
|驗にはチカチカ光る、マット上の各種ステータス表示と、その上に浮いた、あまり動かない、チェスの駒のようなキャラクタ同士の小競り合いが見えているはずだ。
「いけ! そこだ! 噛めっ!」
コウベには、|刀風達の携帯ゲーム機上で行われている、大迫力のバトルが見えているのだろう。
フワフワの羽毛をソファー代わりに、コウベは手に汗を握り、しきりに噛め! と連呼している。
足を折りたたみ、腹を|空中の接地面におろした小鳥は、自分の羽根やコウベの髪の毛を、|毛づくろうの《グルーミング》に忙しそうだ。
「画素充填による、量子的比重の自動更新、……10%終了しました……40%……80%……90%……100%終了しました」
と合成音声ダイアログ。
「はぁい、|励起状態のぉ|目視確認|終了。安全にコウベちゃん達、|仕舞っちゃえるわよぉ♪」
腰に手を当て、片目を閉じ、ビシリと、|驗に指を突きつける。コレが|刀風だったら、突き出された指をつかんで、離さなかっただろう。
対戦ゲームに|興じ、青春を|謳歌している、教え子達に触発されたのか、ご機嫌がとても|麗しい。
普段から、講座後に|スタバ《スター・バラッド》のパーティ募集してる位なのだ。ゲーム好きの血も騒ぐのかもしれない。
「まずー、コウベちゃんたちの事をー、済ませちゃいましょぉ」
|小鳥騎士一式へ顔を寄せる専門家。
「んぁ? なに? ご飯? 食べられるかなあ」
自分の身長よりも伸びた、ツインテールをひっつかんで|弄んでいる。そして、なぜか、飯が入るかどうかの心配をしている清楚系美少女優等生。
「コウベちゃんと小鳥ちゃん。もう一回、この中に入ってくれる?」
と四角い瓶を持ち上げ、蛍光グリーンの|立方体を見せる。キューブ表面に平行投影された脳の意匠が若干不気味だ。
コウベと小鳥の首が、同期したように左右に振られる。
「ぷっ!」あまりのシンクロぶりに、専門家は吹きだした。
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その2
「そもそも、お前が、”お化け椎茸”、欲しがったからこんな、面倒なことに―――」
作業台に置かれた、|剥き出しのPBCを、掴んで、|驗は椅子ごと詰め寄る。
そうなのだ、自動屋台から生えた、お化け椎茸を|量子状態を保持した《おいしさ、その》まま、丸ごと格納できるメディアは、あの場には、コウベの入ったPBCしか無かったのだ。そのため、コウベを入部届に転写し、空いたPBCにお化け椎茸を格納したのである。
「|嫌だい!」 |環恩に背を向け、|胡座をかき小鳥の首に抱きつく、|清楚系前髪ぱっつん《コウベ》。
「|又、特選おやつあげるからぁ」
オレンジ色の台形を手に持ち、ひらひらと振る|環恩。
「入る!」即座に起き上がり、180度ターン。長い髪が体に巻き付く。
「はい、了承ぉ」
しゅるるるる。
小鳥とコウベはモニタから出てきた竜巻に飲まれるように小さくなって消える。
PBCのちょっと上を見て、
「どーお? 小鳥ちゃんと一緒でぇー、窮屈じゃなぁい?」
とコウベ達の様子を確認している笹木講師。
作業台に置かれた、四角い瓶の中にセットされたPBCから、上に向かって何かが投影されている。人格や主観設定されている箇所には、|参照ゼロでも《見えない》画素演算が発生している。
そして、|その参照先が増えれば、画素投射の軌跡も増える。つまり、空間を伝わる|揺らぎ《・・・》が増え、|慣れた者なら、察知できるようになるのだ。
シルシは、胸ポケットから簡易ARメガネを取り出して掛けた。
「うん? ん? ガブッ! ピキューッ! バタタタタッ!」
ドタバタとした物音が、|驗にも聞こえたようで、慌てて四角い瓶を見る。
|驗の目に、古い映像のような、横縞のノイズが写る。ノイズは即座に解像度を増し、制服姿の人影へと|変貌する。
人影は巨大な鳥にしがみついていた。そして、|止めを|刺さんばかりに、ズングリした首に、噛みついている。巨大と言っても、せいぜい十数センチの小鳥だ。若干痛々しい光景に見えなくもない。
ピキュー、ピキュー♪
コウベと一緒に押し込められた小鳥は、やや、抗議の色を示すが、それでも、|優等生に|囓られたり叩かれたり、されるがままにしている。
「だぁーいじょーうぶー! 窮屈じゃないよー! さあ、おやつくれ!」
清楚系噛みつき優等生が、噛むのをやめて答えた。
現在PBCには、コウベと小鳥の2つ分、入っている。人間なら1人分の量子状態複製で、PBCが一杯になるところだ。いくら超高性能のNPCと言っても、容量的には人間より大分コンパクトらしい。
「でも、お前、腹一杯じゃねえか?」
|驗が心配して聞いてやると、いきなり立ち上がった。そして、まるで優等生のような面持ちで、姿勢を正して顔を上げる。
「シルシ、髪の毛、地面に着いてる?」
耳の後ろから左右に垂れ下がる、|纏められた髪。見えない地面に着いて、少し折り重なってる、ツインテールを見て少年は言う。
「……着いてるな」
「ギギャーーッ!!」
飛び上がるポーズ。少し浮いて又もとの位置に戻った。
「どした? 伸びてたらイカンのか?」
「食べ過ぎた! |ダイエット《・・・・・》しなきゃ!」
小鳥の周りを、ぐるぐると走り回る小さな|優等生。
「あっ明日からぁ! 明日からぁやるもんっ!」
コウベの声を聞き、ビクリと肩を震わせた|環恩が、耳をふさぎ、弁解を始める。少年は聞かなかった事にして、優等生との会話を続けた。
「やっぱり、その伸び縮む髪の毛、|HP《ライフゲージ》なのか?」
「……そーなのぉ?」耳をふさいでいた手をどける|環恩。
「ワルコフの椎茸食った直後に、ショートの髪の毛が一気に伸びたし、―――お化け椎茸も少し|囓ってただろお前、だからそんなに伸びちまったんじゃねえの?」
話の途中で、小言じみていく。
|小さい《サムネ》コウベは、走りながら両耳を|塞ぐ。
「ワルさんのぉ、|特異技能なのか、前に聞いたコウベちゃんの謎パワーがらみなのか、はっきりしないわねぇ」
ナゼか、コウベと同じポーズで、再び耳を|塞ぎながら、専門家が|所見を述べた。
「おーい、どーうなんだ? 自分の構造つか機能くらい、解んだろ!?」
「それは……|設計師ノ意向デス」
コウベは小鳥の陰に隠れたまま出てこなくなった。
|驗がそっちへ回り込むと、小鳥の腹の下にゴソゴソと潜って出てこなくなった。
「あー、先生、コイツ、自分の謎パワーのことも解ってないみたい」
「あっ居たぁ! かっ、カワイイィ!!」
”瓶”ごと持ち上げ、小鳥と瓶の間の隙間を、のぞき込んだ|環恩が叫んだ。
「さっき、コイツ等、つか、メジロナイトが―――」
「メジロナイトぉ!? おもしろい言い方するわねぇ。やっぱり、ゲー特は面白い人材揃ってるわねぇ」
「……ゲー特の話はしなくていいすよ。それより、コウベ等が|PBC《こっち》に移ったとき、俺にも解りましたよ。あの、|不可視の演算中画素の|気配って言うか、雑音って言うか、揺らいで見える感じ」
「あら、やったじゃなぁい。先生、専門家だけどぉ、それほど巧く察知できませんよぉ。特区でソレできるとー、いろいろぉ、便利よぉー」
目を細め、受講生の才能を喜ぶ。
そして、師弟の情を台無しにする、騒音が―――
「うおらぁー! 噛めーーーーっ!!」 ドコドコドコドコッドッドンッドン!
応援が再開される。ダイエットとか、小鳥に隠れるのには、飽きたらしい。再び羽毛に寄りかかり、スポーツ観戦状態に入る。
栄養? をため込んでいるツインテールは、だらりと垂れ下がり接地面にトグロを巻いている。それを、小鳥が、|嘴で引っ張り上げ、凝った蝶々結びにしていく。
「くっそ! ふざけんなよ!」
YOU LOSE!
「あら、これが|実力でしょう?」
YOU WIN!
|刀風と|禍璃の勝負に決着が着く。
フワフワと浮かぶ”2ー3”。|禍璃が勝利。筋骨隆々のキャラが、いたいけな少女のキャラを踏みつけている。マット上に表示されているイメージが最高に悪い気がするが、実際には横たわる筋骨隆々の背を、小柄な少女が踏みつけている形なので、とくに嫌な気はしない。そう、|刀風は現実のガタイの良さとは正反対の、魔法少女キャラを使っている。|禍璃は長身で、ボディービルダーのような大剣使いを使っている。
「覚えとけよ! てめえ!」
「おうよ! で、充電できたの?」
負けても、単純維持の為の充電ゲージはいくらか増えるらしい。
ドンドッドン! ドンドッドン!
コウベは勝敗が付いた区切りを付けるように、|太鼓を打ち鳴らし、満足げだ。小鳥は太鼓をいやがったのか、不意に飛び立つ。だが、一向に上昇しない事に諦めが付いたらしく、そっと鳥足を着き、羽ばたくのを止めた。
見た目からは想像出来ない、奇っ怪と言って良いほどの、複雑な工程のせめぎ合いによって、NPC処理は継続していく。
さてと、と言って笹木講師は、事務服のポケットから、ラメ入りで金色がかった乳白色の厚紙を取り出した。
「これぇ、結構ぉ、良い物とぉ交換できるぅ|カタログ《目録》ですよぉ」
一人一人に大事そうに手渡していく、笹木講師。
シルシは受け取りながら、「これ、どうやってそんな小っさいポケットに入ってたんですか?」と聞く。
笹木講師は「特区勤務技術者の持つぅ、スキルのーひとつでぇーす!」
……そういや、あの、足癖の悪い、姉ちゃんも|懐から、これ出してたな。
……B5位あるのに、あんな小さなポケットに入ってたなんて、不気味だわね。
……コウベが、制服のポケットに詰め込んでた、エリンギみてえ。
ヒソヒソヒソ。口々に好きなことをいう教え子達は、厚紙でしか無い|カタログ《目録》に指を走らせる。
「うぉ!? おい、|鋤灼! ”トグル<人鬼入>オーガー”の筐体有るぞ?」
「な、マジかっ!?」
ドタドタと|刀風のカタログを見に行く|驗。
「なによ、折角の高級品ぞろいの中から、また、ゲームー?」
と厚紙の表面を忙しなく操作して、自分の欲しい物を探しながら文句を|宣う|禍璃。
「先生はー……この開発者用の、”VRデバイス”ほしいかもぉー❤」
「姉さんは、仕事ばっかりなんだから、もう」
「そうだぜ、笹ちゃんは、もっと自分に優しくても良いと思うぜ」
「そうですね、そんなの有るんなら、俺も欲しいですよ……」
「えーアタシも欲しいわよ。だって、どんなに安くても30万円はしちゃうじゃ無い……」
「俺も欲しいに決まってんだろ。いくら笹ちゃん相手でも、その手には引っかからねえぜ……」
笹木講師はVRデバイスの写真と解説が書かれたページを、若者達に見せる。
「「―――な、なんだとーー!!」」
「―――な、なんですってーー!」
トントントントントン。
「……ドウカサレマシタカ?」
3人の声は、ルフトが心配して、下から上がってくるくらいに下宿中に轟いていた。
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その3
薄暗い教室内。すり鉢状に並んだ座席には、VRデバイスを装着した生徒たち。
南側の窓が、遮光性のある|模様で覆われている。室内は、かすかな作動音で満たされ、点在する高輝度のARガイド表示と相まって、さながら深海を模したパビリオン展示の様相を呈している。
黒板前の教卓の上を歩き回る、約20センチの|人影は、半透明に光り輝いている。
「ワオン。おやつくれっ!」
舞台役者のように手のひらを、大きくつきだす|人影。
黒板前の空間に表示中の、”機能を模したアイコン”や、”生徒の主観映像を映し出すウインドウ”。それらを、操作していた講師が返答した。
「ちょっと待ってくださぁい」
黒板に表示されたツールアイコン(はさみ)を、ウインドウ内の生徒へ|D&Dし《つかんで投げ入れ》てから、教卓へ向き直る。
教卓の上の小さな舞台俳優は、再び、手のひらを大きく突き出して見せた。
その、堂に入った迫真の”おねだり”に、目を細める|環恩。
グレーのオーバーブラウスのポケットから、光る小袋を取り出す。
細い指先には事務用の|指ぬき《滑り止め》。
|ナノシリコン製の《分子レベルで滑らかな》指先は、より正確にカーソルを操作出来るため、VRアイテムの一つ一つを直接|ターゲットし《つかみ》やすい。
メガネのサイドに灯る、2つのLEDに隠れているが、10人にアンケートしたら、7人は”キレイ”に|☑《チェック》するくらいの美人講師は、
「はぁい、どうぞぉ」と子供のような声を出した。
舞台役者は|30キロの米袋|大の”特選おやつ:手羽先”を、飛びつくようにひっつかむ。
所有権が移った、”特選おやつ:手羽先”は、瞬き、舞台役者の手のひら程度の大きさになった。
|逡巡せず《ノータイムで》袋を開け、中身に|齧り付く役者。その味に大げさな表情で、驚いて見せたのち、講師へ|牙を剥く《100%の笑顔を見せる》。
パタタタッパタタタッパタタタタッ。
そのとき、生徒たちの座る座席の一つから、飛翔する|抹茶色。
上体を起こす男子生徒が一人。
飛び立った、ノイズ混じりの|抹茶色は、北側の窓の明るい風景に、姿を溶け込ませる。
上昇下降を繰り返す、紙飛行機のごとき軌道を描き、|教卓に降り立つ。
ピピピュイッピピピュイッ♪ と自分にも寄越せと、|舞台役者へ詰め寄った。
「うを! 離せ! コレはアタシのだい!」
|鳥獣は、その大きな|嘴で、手羽先の半分を|むしり取った《ばくり》。小鳥へ所有権の移った”特選おやつ”の半分が、|嘴の中で震え、|倍増した。でろーんと飛び出した”特選おやつ”を、満足げに、飲み込んでいく小鳥。
小さな役者は、小さな眼を吊り上げる。そして小鳥の鳥足をローファーの先で、何度も何度も蹴り飛ばした。
「……まぁ、いいか。NPCにもぉ、おやつにもぉ、遺伝情報がぁあるわけじゃないしぃー」
笹木講師は、なにやら困惑の表情をしながらも、生徒たちの補佐及び監督作業へ戻っていく。
北窓に切り取られたグレーの空を、鳩の|群が横切っていく。
ここは、公園に隣接した情緒有る洋風の大きな建物の2階の一角。厳重な|電子防壁で囲まれ、門には「VR拡張遊技特区立ターミナル学園β」と学校名が彫り込まれている。
本日、笹木講師は、グレーのオーバーブラウスに、紺色の|9分丈パンツ《ズボン》、銀色のミュールという服装。金曜午後は各種イベントがらみで、すぐに放課となるので、普段より、ラフな格好なのだろう。
|舞台俳優たち《小鳥騎士一式》の食い意地の張った怪演に、当てられたのか、彼女はズボンのポケットから、|携帯食を取り出した。
細長いパッケージには、デフォルメされ頭身が半分になった、B級映画のクリーチャー〝悪夢|の《・》処刑人〟が|描かれている。
朝、食べてる暇無かったから良いよね~と、教室中を見渡し、|咎める者が居ないことを確認―――|居た《・・》。
別に|咎めているわけでは無いだろうが、VRデバイスを外し着席したまま、教卓を見つめる男子生徒が1名。
教卓の隅に|表示されている《ブリンクする》、ダイブアウトの文字と座席番号。その横には『|鋤灼驗』の文字と、少年が自分で設定したであろう|角の生えたモンスターのシルエット《トレードマーク》。
この薄暗さでは、お互い何をしているかは解らない。それでも笹木講師はバツが悪そうに横を向いた。そっちには黒板横の準備室のドアくらいしかない。
窮屈なパッケージから、白っぽい中身をグリグリと押し出す。そして、今まさに、|ナッツとキャラメルの塊に、|囓り付こうという瞬間、ガッチャリと、準備室のドアが開いた。
それは恐ろしいまでの|実感を伴い、|ドアを開けて《・・・・・・》|入ってきた《・・・・・》。
日常風景にはとても|似つかわしくないはず《異質》なのに、今では見慣れてしまった感がある。
教室内を広角に映し取る、”|船外活動用宇宙服”の丸いバイザーと目が合う。
「ワルさぁん?」
―――声をかけたが、返答は無い。
笹木講師の|額を緊迫の汗が流れ落ちる。
彼女の挙動から、彼女の心境は次のようであったと推測される。
1:ドアの裏表に点灯する施錠ランプが、宇宙服に完全に|遮られ、|目視確認できない。
2:薄暗い中でもはっきりと床に落ちている、宇宙服の影に違和感はない。
3:準備室の非常灯が作る淡い影までも、リアルタイムに再現されている。
4:完全ホログラムにも弱点がある。幾重にも|環境マッピング《反射や照り返し》が発生すると、|現実の演算速度に負けるはずだが、今のところ|齟齬は起きていない。
5:何より、|コレ《宇宙服》は、現実のドアを開けて入ってきたのだ。
6:これが|ワルさんじ《・・・・・》|ゃなかったら《・・・・・》、|何なのかしら《・・・・・・》!?
完全に物理的な解像度で構成されており、映像と見分ける術は無いレベルであるとVR専門家は判断したようだ。|囓り掛けていた|携帯食をくわえ、|包装紙を丸める。
一歩一歩踏みしめ、重心に細心の注意を払う|宇宙服。|見慣れた《・・・・》、|軽快な動きとは違う、重厚な|歩。
宇宙服の手が放れ、閉じていく準備室のドア。ガッチャリ! ピピピ♪
自動的に施錠され、静かな教室に電子音が鳴り響く。
緊張に耐えきれなくなった|特別講師、いや、笹木|環恩さん推定25歳は、行動する。
|掌に乗せた紙弾を、|宇宙服へ向かって、|発射した《指で弾いた》。
放物線を描いて飛んでいく直径2センチの弾丸。それは、絶対的な境界を二分するはず―――
「あっ! ワルコフだ! あれ? なんかデッケーッ!? ギャッハハハハハハ!」
紙弾発射と同時に、飛び込んでくる、|米沢首の一声。
暴風にも似た、|緊迫感は、その場で霧散した。
何もなかったかのように、窓の外を飛んでいった鳩の|群が引き返していく。
紙弾は宇宙服に当たる直前、|見慣れた《・・・・》、|軽快な動きで、|叩き落とされた《・・・・・・・》。
「んなぁっ!?」声を漏らす笹木講師。
|舞台役者は、|羽繕いに没頭していた|抹茶色の羽を掴んで飛び乗った。|小鳥騎士完成である。
無言で”|元・|緊迫感”を指さす|”ナイト”部分。
ピキュキュイ♪ さっきのおやつ分くらいは働こうというのか、素直に飛び立つ|”メジロ”部分。
パタパタタパタタタタッ!
キキュキュキュキュキュウゥン!
コウベに|看破されたためか、一気に以前の|軽快さを取り戻した宇宙服は、教卓へ一気に詰め寄る―――
銃撃のような|キータイプ《打鍵音》。
■通リスガリノs_
■通リスガリノ、シガナイ宇宙飛行士ヲ、演ジテ_
■通リスガリノ、シガナイ宇宙飛行士ヲ、演ジテ見タノデスガ、コウベサンニハ、バレテシマイマスn_
黒板上の、”機能を模したアイコン”や、”生徒の主観映像を映し出すウインドウ”を全て押しのけ、黒板中央で会話を始める”|宇宙服”。
黒板へ、一瞬、視線を走らせた、笹木講師(逃げ腰)は、床にへたり込んだ。
「モグモギュ……脅かさはひでふははひほ、……モグ……はれ?……ほんほにー、……ゴクン……大きくなってるぅ?」
|口一杯の|歯ごたえ《甘いやつ》を飲み込みながら、|宇宙服を見上げる笹木講師。
昨日はちょっと首を向ける程度だったのに、今日は、見上げると仰け反るほどなので、威圧感がハンパない。
|ワルコフ《宇宙服》をヒラリとかわした小鳥は、そのまま螺旋機動する。丸っこい体型からは想像できない俊敏さだ。天井に腹を向けたまま一度羽ばたき、”|下降しながら戻ってくる《スプリットS》”。
床に落ちた紙弾を、タッチアンドゴーの要領で上手につかむ。
パタタタタッ!
そのまま高度を上げながら大きく旋回し、|”ナイト”部分が落ちそうになる前に、水平飛行へ戻る。
一直線に教室最後部へ向かう小鳥は、紙弾を両足でつかみ直す。|標的は、教室後ろの高台に置かれたゴミ箱らしい。
投下された紙弾は見事|ゴミ箱へ《命中》。
ワルコフからキータッチ音。
■オ見事デs_ コカコカカコカ
黒板に文字が流れる。
「そうねぇー、アナタたちー、ほんとぉに色々出来るのねぇー」
ギャッハハハハハハッ―――ピギャッ!
いや、それほど芸達者でもなかったらしい。|”ナイト”部分が|勝ち鬨をあげた直後、|小鳥騎士は壁までの距離を見誤り、―――激突した!
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その4
きゅーっ、ヒュルルルルー!
最後尾に座っていたシルシが慌てて飛び出す!
タタタッ! ぽすん!
|小鳥騎士は、墜落寸前、駆け寄った|驗に受け止められた。
ふーっ。息を吐き、|驗は、|小鳥騎士一式をつかんだまま、凝視する。
左手に掴んだ|確認表示版のコウベ。
その|傾いた頭を凝視し、つぶやく|驗。
「HUD……出ねえ、気絶してる」
右手に掴んだ抹茶色。
羽根が広がったままになっている。
「こっちも、出ねえ」
|小鳥騎士一式をポンポンとかるく持ち上げる。
「|空間定位されてっから、問題無えと思うけど」
|驗のファインプレーの内訳は|こう《・・》だ。
自分の座席の周りをうろついていた小鳥が、教卓の方へ飛んでったのを、ダイブ中の|安全表示で知った少年。何か思うところがあったらしく、VRダイブを切り上げ、一部始終を見ていたのだ。
そして、頭の上を|危険な《オーバー》スピードで飛んでいく小鳥を見上げるに至り、座席から飛び出したのである。
壁にぶつかった時点で、|縮尺的に相当な衝撃を受けてしまっているが、更に無防備な状態で床に叩きつけられるのを防げた事は|僥倖と言える。
|颯爽と振り返る、ニューヒーロー”SUKIYAKI”は、駆け寄ってきた笹木講師に、|小鳥騎士一式を掲げて見せた。
ヒーローの顔には、安物のARメガネが張り付いているため、若干コミカルなのは否めない。
ふつう室内でARキャラクタが、部屋の壁に激突しようが、内部的には、すり抜けるか、表示が無くなるだけだ。行動範囲設定がしてあったとしても、壁にぶつかる衝撃は処理されない。ぶつかったという|行動後、位置や運動のベクトルが変わるだけだ。
けれど、AR・VRに|特化した、この教室には|強力な安全機構が《・・・・・・・・》|施されている《・・・・・・》。つまり全壁面が電子防壁のため、外部との行き来には正式な手順が必要になる。|手順が無ければ強制的に|衝突判定が適応される。
仮想空間内の|座標制限や、画素含む可視光通信阻害、ひいては防壁に対応する|量子メモリ《物理的》|内部区画の隔離切断などが、設計段階で実現されている。と校舎の|取説に書かれているが、VR専門家である笹木|環恩ですら、意識したことはない。
その辺の話が、せめぎ合い”|小鳥騎士は教室の壁に激突し、|驗の活躍により、気絶するだけで済んだ”という結果をもたらした事を理解できれば良いのだ。
特区内での、お約束。
『|正式な手順さえ踏めば《・・・・・・・・・・》、|あとは機械が全部やっ《・・・・・・・・・・》|てくれる《・・・・》。』
―――とは極論を言えば、”|イメージの問題”でしか無いと言える。
笹木講師は、ドヤ顔の|鋤灼受講生の手の中をのぞき込み、無事っぽいことを確認して、はふぅーと安堵の息を付いた。
笹木講師は、|小鳥騎士が激突した壁を見る。
円形に入った|ヒビ割れ《映像》が、|なめらかに修復され、平らな壁に戻っていく。
一瞬のコンクリート、一瞬のくすんだ地の黄緑色、一瞬の防壁区画を表す警告色、それらを塗りつぶす元の壁面の|質感。そして、中断していた、昨日、設営された”自動学食”の献立と収支報告が、再開される。下から上へとゆっくりとスクロールしていく文字は、壁から天井まで、はみ出して繋がっている。
笹木講師は壁の文字を追って天井を見上げ、心情を|吐露した。
「ワルさんがぁ、昨日ぉ、壊しちゃったぁ、|共用仮想空間の教室ぅ、ちゃんと|直ってくれ《自動リセットされ》ててぇ、助かったわぁー」
メガネ両サイドのLED光が天井にうっすらと届いている。
「本当ですよ。昨日、学校の外から見たとき、上の階の生徒が、空中で授業してたの見て、ビックリしましたよ」
「すっごい、凝った空間構造を投射するかと思えば、なんか妙に雑というか……ブツブツ」
実際、VR専門のカリキュラムが多数有るといっても、普段から、AR・VR空間を見ているわけではない。それにワルコフの壊した|共用仮想空間は、制約も多く、普段からあまり参照する生徒も居ない。
そして、いくら自由の利く仮想空間内の出来事と言っても、|この教室の壁を防壁ご《・・・・・・・・・・》|と叩き壊す《・・・・・》なんていうのは、|論外なのだが、それを知るものは、|地表には居ない。
|論外は、|驗の袖をハッキングして、キャラのブレた会話を表示させた。
■昨日ブリデゴザル。ナイスキャッチデスワー_
「……昨日ぶりで……ござるぅ……ナイスキャッチ……ですわぁ」
急に|辿々しく芝居がかる、笹木講師に少年は一瞬ひるむ。
しかし、器用にも結構な速度で階段を駆け上がってきた、|宇宙服に気づき、指を突きつけた。
「ワルコフおまえ! 昨日、教室の天井、上の階ごと吹っ飛ばしやがって! あと自動屋台にも何してんだよ! 何とかなったから良かったけどっ……あれ? お前、何かでかくね?」
見上げる|驗とは逆に、宇宙服は自由度の無い関節を、最大限小さく折り曲げて、|驗の手元を凝視している。
「ん? どした?」
■コウベサ、サン、ト、小鳥ハ、ハ、衝突処理リ、リリ、中ノヨウ、ウデス、ススn
■3秒後ゴ、ゴ、|活動再開シマス、ス_
宇宙服のバイザー部分が、断続的に”特徴的な明るい赤”に染まる。
その|度に、ワルコフの|IME《言語入力機能》がバグっている。|驗の袖を読んでいたため、バイザー部分の不吉な兆候に気づくものは居なかった。
「あらぁほんとぉ? よかったぁー!」
首を傾け、シルシの腕を読んでいた笹木講師は、安堵の表情を浮かべた。
ワルコフの推測通りに、パチリと眼を開けるコウベ。
|驗を見上げる|相貌。
「あれ? シルシじゃん。こんなとこで何してんの?」
「おまえ、壁に激突したんだよ。覚えてねーの?」
|驗の手の上に立ち上がる、|米沢首推定年齢設定15~17歳。
『たこ焼き大介作成:|米沢首Ver:2.0.1』
その大げさに乱れた頭髪から、HUDがポップアップした。
「そーだった! この、抹茶色め!」
転がる小鳥の、首のあたりを平手でひっぱたく。
「ピキュッ!?」
円らな瞳を開き、首だけを縦にしてひと鳴き。
スタッ! とボクサーのように機敏に起き上がる。瞳の|白丸を周囲に向け索敵。めざとく、乱れたコウベの髪を発見。即座に|突いて、整え出す。
『たこ焼き大介作成:|小鳥Ver:1.0.5』
小鳥の頭にもちゃんと表示されている。こちらも問題なさそうだ。
「―――|鋤灼くぅん」
「へ? 何すか!?」
「危ないよぉー? 逃ぃーげぇーてぇー!」
まるで緊張感のない、”友達を誘いにきた子供”みたいな声。
でも、その顔は今まで見たことのないほどシリアスだった。
少年は、その|表情が向いた方向を見る。
|少年を真正面に捉えて、拳を振り上げている宇宙服。
「あー、大丈夫ですよ。またワルコフがフザケてるだけで、|物理解像度で《こう》見えても、ちゃんと、|映像だし―――」
その右手首から、ナックルガード風の手甲が飛び出す。ワルコフの拳は圧倒的な存在感を持って、|驗の顔面を捉えようと迫る。
「アブねっ! これ、映像だって分かってても避け―――」
チッ。
ギョッとした顔で、頬を手の甲で押さえる少年。
頬をかすめた|ナックルガード《手甲》が、突き出された軌道を戻っていく。
ガキン。何かしらの溜めたパワーを|止めて置くための機構が|ロック《作動》する音。
今度は、30センチ位、低い軌道で|KG《ナックルガード》が飛んでくる。
速度は決して早くないが、的確に急所を狙ってきている。
ココン。グオオングオオングオングオングオグォグォ。
近づいてくる拳から発せられる、何かの|作動音は詰まる距離により圧縮され、少年の耳に届く。
ぱしん。
宇宙服が繰り出し、伸びきった拳を、|驗は横から|掴んだ。
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その5
「|鋤灼君ー、今日のぉワルさぁん、|実体ぃ|有る《・・》っぽいよぉー」
宇宙服は堅い関節を最大限に使って、ブルリと|驗の握力から抜け出す。
「|呑気者ですか! そういうの、早く言ってくださいよ」
困惑しながらも、ワルコフから距離をとる|驗少年。
「これって一体どうなって!?」「わぁーかぁーらぁーなぁーいーわぁー!」
結構な大声で会話しているが、|驗以外にダイブアウトする生徒はいない。
ププゥーーンププンピュン。
|宇宙服は、今までと違う効果音を出した。
少年と講師はぎょっとした表情で、見つめ合う。
何よりもまず、色が不吉だった。
薄暗い教室内を半球状に反射していたバイザーが、明るい赤色に発光していたのだ。ここVR特区やジオフロント、ひいては量子データーセンターでは、魔法じみたオーバースペックの象徴として、この、赤色を|冠することが多い。
”|開発者すらその原理を《オーバーテクノロジーや》|理解していない《オーパーツ》”とすら噂される、|謎の技術なのだ。不測の事態が発生したら、その対処法を知らなければ、即お手上げだ。基本的に逃げるしかない。
古いタイプの静電プロッタみたいな音を立てるワルコフの頭。
『□』ジジジジーッ
赤く発光する|ワルコフ《宇宙服》の|顔の中央に、白いアイコンが大きく表示された。四角の枠の中に、丸いバイザーとモコモコした輪郭が描かれた|ヤツ《ワルコフを模した》だ。
すぐに特大アイコンは消え、同じ大きさの文字が表示された。
『プ』
「プねぇ」「プですね」
状況も表情も、緊張の度合いを増しているが、相手はワルコフで、謎が謎を呼ぶ謎のサインは”プ”だ。緊張感も削がれる。
ジジジジジーーーッ
謎のサインには続きがあったらしい。
「レ、イ、ヤ、|ー《ぁー》、|:《コロォン》、鋤、灼、驗、ヲ、驚、異、ト、認、定、|、《てぇん》、接、敵、行、動、ニ、移、行、シ、マ、シ、タ、|。《まるぅ》」
という文面を続けて表示した。※朗読:笹木|環恩。
うるさいほど響きわたった、プロッタ音の反響が消えると同時に、ワルコフの傍らに白い影が出現する。
「|鋤灼ィ! こういう面白そうな事は、俺も混ぜろつってんだろがぁ!」
いつの間にか近寄ってきてた、|筋骨隆々が腰を落とす。
そしてワルコフにタックルをかま―――す事なく、向こう側へ突き抜け、スライディングした。
片手を使うため、|驗は反対の手のひらに|小鳥騎士をバランスよく乗せていた。
「おっと」
|刀風に気を取られ、|小鳥騎士を落とす。
地面にも、設定床面にも落ちることなく、小鳥は羽ばたく。
パタタタタタタタタッ! ピピュイピピュイ♪
「ギィイヤァァァーーッ!」
宇宙服の|天辺に停まった|小鳥騎士の|”ナイト”部分は叫び、舞台役者のように両手を広げ、何かをつかむ仕草で静止した。
明るい赤光を放つ|双眸はまっすぐに|驗を見下ろしている。
「目標、プレイヤー、スキヤキシルシ、目的、VR兵装の無力化」
NPC|米沢首は、|鋤灼驗と、初めて出会ったときのような静かな口調で、淡々と単語を並べていく。口調だけ聞いてれば優等生にしか聞こえない。
「やだっ! 昨日のぉ、自動屋台みたいなぁ事ぉ言ってるうっ!」
大口を開けて、取り乱すVR専門家。
「コウベちゃん、|め《・》っ! |め《・》っだからね!」
へっぴり腰で、両手を振り回している。
「コウベ!?」 |驗は、一歩近寄る。
「自動屋台にウイルスでも貰ったか!?」
「それともさっきぶつかった時、やっぱりどっか壊れたのか!?」
「|驗が、|掴むから、だって言ったよね?」
ぽそりと、発した言葉には、笑うような成分が含まれている。
「バトルレンダ起動」
|”ナイト”部分の静かな宣言の|後、|小鳥騎士は爆発した。
正確には爆発したのは、コウベの後ろ斜め下。
棚引く1対のツインテール。その先端がバチバチと線香花火のように爆発している。|小鳥騎士を包む、爆発の光が異常な軌道を描く。
それは急加速とホバリングを多用しながらも、どこか生物的な挙動と言えた。
全長3M弱の|船外活動用宇宙服は、ハイパー小鳥騎士を目の前で、蚊を退治するように叩く。
コウベっ! 叫ぶ|驗。
|刀風は、あまりの展開に付いていけず、振り向いたまま立ち上がれずにいる。
宇宙服は、以前、|初期フロア《VR空間内》でやって見せたように、|小鳥騎士を引き延ばすように放り投げた。
グワッっと、実物大のサイズになるNPC|米沢首。
まだ火のついたままの|髪と、制服のセーラー襟と、プリーツスカートをはためかせ、スタンッと、教室の|電子防壁された床に降り立つ実物大・コウベ。その姿は半透明ではなく、北窓の明るい風景を通さない、物理解像度で表示されていた。清楚系美少女優等生がまさに顕現したのだ。
サイズアップした|宇宙服と一緒に見ると威圧感のようなモノが出てくる。
コウベの眼の赤光が、暗闇の中でより顕著になり、|傍らをパタパタと羽ばたく小さな鳥を眼で追っている。
やがてコウベの首が止まった。
小鳥は大きくも、物理解像度にもならないようだ。近くの座席の、女子生徒が装着しているVRデバイスに着地して、|驗をじっと見ている。
薄暗い教室最後尾。機材設置や運搬を考え、大きくスペースが取られている。
笹木講師はオロオロと壁際まで下がった。
|刀風は、ようやく起きあがり、VRデバイスに乗った小鳥を手で払ったりしているが、小鳥は、姿をチラつかせるだけだ。
不意にコウベが|驗へ突撃する。
|驗の周囲を、凄まじいスピードで走り回る。その歩調に緩急がつけられ、まるで、分身の術のように光る残像を残している。
膝を高くあげ、上体を前に傾けて走るため、次第に姿勢が低くなる。
バチッバチッバチバチバチッ! 燃える毛先が短くなってきたようにも見える。
コウベの手刀が一閃。「うっわ!」
かわされたコウベは|驗の背後に一瞬で回り込んで、燃えるツインテールを目の前に残し|驗の視界をふさぐ。
シュッゴォォォォォォォォォ! 火花から噴出するジェットが、|驗の髪をジュッと焦がす。
|驗は、火を避けるため、上体を屈めた。
直後、フォォンと空を切るローファー。
コウベは目視せずに、最速で|驗の位置だけを狙ったのだ。
「つおっとととととっ!」
回し蹴りの風圧にあおられ、よろめく少年。決して荒事が得意なようには見えない。
「だいじょうぶぅー!? すきやきくぅーん!」
まるで緊張感のない、”友達を遊びに誘いにきた子供”みたいな声を聞いて、少年は、ちょっとニヤけた。
その|左後方から、ココン。グオオングオオングオングオングオグォグォ
という音が迫る。
うおおおおおおお! |刀風は、|驗を狙う宇宙服を粉砕すべく、飛び込みながらの、2段蹴りを決める。
「あ゛っ!? あれ?」
派手な金属音で吹っ飛ぶ宇宙服と、バランスを崩して、着地と同時にスリップする|刀風。
思ったよりも|鋤灼少年が頑張っているのを見て、心配よりも応援の分量が増してきちゃった様子の|当講座の主。
「ふっつたりともぉ、がぁんばぁれぇーーー!」
スゥ―――――――――
不意にコウベの靴音や、ワルコフの作動音が止む。
笹木講師と|刀風も、何かに気を取られているのか、静かになった。
背後を振り返る|驗。ぺたぺたぺたぺた。
そろえて置かれたローファーに丸めた靴下。ぺたぺたぺたぺた。
「む!? 裸足!?」少年は、軸を小さくして回転するが、|靴音無しでは到底、ネズミ花火と化している清楚系美少女優等生は捉えられるものではない。
「スキヤキくぅーん! うえー!」
上? みるスキヤキ少年。
空中に、少年を見下ろす、|鋤灼驗の姿が小さく浮かんでいる。その姿は血に染まったかのようで、周囲を火花の軌跡が幾重にも渦巻き―――
それは滞空し、今まさに構えたナックルガードを振り下ろそうとしているワルコフの|顔だった。気のせいか、ナックルガードの表面を放電する光が走って見える。
少年は眼をキツく閉じ、歯を食いしばる。両腕をクロスしてガードを固めた。
「スキヤキくぅーん! バトルゥレンダァー!」
「|鋤灼! バトルレンダー!」
「そうだよ! こいつら、一斉に|それ《・・》で飛びかかってきてんだろうが! 先生も何言って……っわっ!」
体勢を崩し、尻餅を付いてしまう|驗。クロスガードの横から壁際をみる。
笹木講師は、至ってまじめな顔で、自分の腕を指先でナゾっている。
その仕草を隠すかのように、|驗の視界へ割り込む細い人影。
ぺたぺたぺたぺたっ!
プリーツスカートがめくれあがるのも、いとわない裸足の優等生。
尻餅を付いた|驗への攻撃チャンスと踏んだらしい。コウベは、恐ろしく低い姿勢から突き上げるように|掌底を放つ。
|刀風の声が轟く。
「|違う《・・》! |お前が叫べ《・・・・・》! ”|バトルレンダ《・・・・・・》”|だ《・》!」
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その6
ゴツッ!
|驗のクロスガードを、コウベの低い打点が、吹き飛ばした。
|両腕のばらけた上半身へ、ワルコフの全体重をかけたストレートが、撃ち下ろされる。
ゴゴン! バリバリバリッ!!
「ぷぎゃっー!? へにゃり」
飼い主の食事に手を出して、叩かれた猫みたいな声を上げ、コウベが床に伸びた。
|驗のガードを吹き飛ばした直後、燃え盛る炎が、急に|燻り、白煙に変わったのだ。失速した裸足の優等生は|驗を突き飛ばし、ワルコフの軌道上に身を|晒した。
ギョウゥン!
拳一本で、自分を支えていた、|ワルコフ《宇宙服》は自由度の低い関節を精細稼動させ、バネのように起きあがる。
「身を挺して、俺を|庇ってくれた訳じゃ、無さそうだな」
|驗は、|傍らにヘタる美少女の背中に|燻る、髪を|掬うように持ち上げた。
「燃料? の供給が途切れたのか?」
導火線のように燃えていた火花が、止まった箇所には、結び目があった。
さっき、小鳥が|確認サイズ《サムネ》コウベの髪を、蝶結びにしていた所だった。
|驗の眼前に構えた宇宙服の全長は約3メートル。
威圧感の有る高さに浮かぶ丸い顔は、まだ血に染まったままだ。
|驗は、起き上がり、倒れるコウベから距離をとるように、南側の奥へ、大きく下がる。
小走りで薄暗い奥へ、走って行った|驗少年は、笹木講師と|刀風の方へ、助けを求めるようにキョロキョロと顔を向けた。
「おい、|鋤灼ィ! 聞こえてねえのかよ!? バトルレンダだって言ってんだろっ!!」
「そうよー、スキヤキィーくーん! ばぁとぉるぅれぇんーだぁーだぁってぇばぁー!!」
|驗の足下をなにかが崩れる。カシャララ。
一瞬気を取られた隙に、ドゴゴゴゴォォォォォォォォッ! と背中のスラスターを青白く|光らせて、|宇宙服が猛スピードで|突撃していた。
その手には、馬上の騎士が構えるように、細長い角棒。先端からは青白い稲妻。
その速度に、|驗少年は、ボクサーのように両拳を構えたまま、微動だにできず硬直した。眼だけを動かして、ワルコフの赤い顔を、倒れたままのコウベを見た。そして最後にもう一度、背後の2人を順に見た。
視線の先で、大きく口を開け、叫んでいる|刀風。その姿は、変身ヒーローの様でも有り、ただの、ボディービルダーの様にも見える。
同じく、大きく口を開け、叫んでいる笹木講師。その指が、袖の先から肩口までを何度もナゾっている。
|驗は口をひん曲げながら、ガードした腕を延ばして、制服の腕を睨んだ。
そして教室中に響く大声で、叫ぶ。
「バトルーレンダァー!?」
何も起こらない。
バチバチバチッ! |棒の先端は止まらない。むしろ宇宙服は少年へ向かって棒を突きだした!
駆け寄ろうとする背後の2人。
「……っ起動!?」
言葉を付け足した|驗少年。
少年は両手で何もない目の前の空間を操作している。
何も起こらないが、ワルコフの速度が若干落ちた。
次の瞬間、ワルコフは棒を持った光球に変化し、急に停止した。
と思ったら、即座に光球は割れ、宇宙服へと戻る。そして停止前の速度で突撃を再開した。
一瞬の|停止が、明暗を分けた。
|驗少年は、横っ飛びに避け、窓際の生徒の座る座席へ突っ込んだ。
ドガンッ! バキバキッ! ガッシャンパリィィィィィン!
「痛ったいわね! なによ! なんて事すんのよっ! 危ないじゃぁないのっ!」
聞き覚えのある張りのある大声。小柄な人影は立ち上がり、大股を開いて、仁王立ち。床に倒れ込んだ、クラスメートを見下ろした。
「……痛っ……おまえそれ、……見せてんのか?」
ぶつけたらしい肩を押さえながら、仰向けになる少年。
小柄な女子生徒は、ひるがえるプリーツスカートを両手で押さえ、
「見せとらんわぁぁぁー!!」と叫んだ。
そのあと、少年を上履きの足でゴツゴツと蹴り始めた。
「痛て、コ、コウベみてぇ。リアル・コウベだ! いやリアル・コウベはあっちかっ……!?」
少年が首を持ち上げると、宇宙服と優等生が、天に昇るように光の粒子と化す。優等生の頭に着地しようとしていた半透明の小鳥も、光の粒子に浸食されて、消えた。
◇◇◇
すり鉢状の教室内を白色光が照らし出した。
南側の窓を|塞いでいた|模様が、かき消え、公園の木々や外灯、特区外周の建物が姿を現す。
「んあぁーっ!? 何だこれ!?」
「一体、何なのこの、惨状は?」
ダイブアウトし、最後尾の座席から立ち上がった生徒たちの前、いや後ろのスペースは、倒れたカートや、3Dプロッタの排出したランナーや、ブロック状のバリの山で、散らかっていた。
「はぁーい、すみまぁせーん!」
パパパンと手を叩き注目を集めた、笹木講師は高らかに宣言する。
「やったのはぁー、このぉ2人とぉ1匹でぇーす!」
教卓の上に半透明に浮かび上がる、小さな|ARキャラクタ《半透明》、3体。
学校の制服を着た髪の長い女の子と、宇宙服と、その辺にいそうな小鳥。
「罪状はぁ次のようになりまぁすぅ。ワルノリがぁ過ぎてぇ、教室をちょおっと散らかしただけなのでぇ、許して上げてくださぁい」
黒板に羅列されていく文字列は結構な分量が有ったが、一瞬でスクロールした。
A:ホログラフィー規格への|介入
B:教室内蔵ナノプロッタの|無断使用及び成果物の搾取
C:オンライン施錠システムへの介入
D:虚偽による優先チャンネルへの|強制介入
E:教室内蔵仮想現実増幅テスト用|整流噴出レベル空調の|無断使用
F:無許可のオープンチャンネル経由の軽車両自律運転
G:教室内蔵|自動モップかけ装置の|予約改変
H:■■■■による■■■の■■行為による立体像投射及び空間定位像解像度違反
I:■■■■による■■■の■■行為による立体音響定位解像度違反
J:ナノプロッタ作成物による銃刀法抵触行為
K:■■■■ー■■■■■■■属第3項違反行為
L:緊急制止項目の自己申告無効化による矛盾解消行為
M:安全義務違反A1~D6
特区立VRエンジン開発属所属 笹木環恩 ■
最後に、ぼすんっ、と|効果音。
VR専門技術者としての笹木|環恩の|電子署名が、押されたのだ。
正式な記録として、証明するには十分すぎるものだが、特に誰も見ていなかった。
「なにそれ先生!? |VRティファクト《野良NPC》!?」
「それ商標名じゃなかったっけ?」
「たしか|別名で保存って言うんだろ?」
ガヤガヤ。教卓に群がる生徒達。
「まあぁ、構造的にはそうですねぇ。正確にはぁ”会話型アブダクションマシン《自立型のNPCモデル》”|本体でぇす」
3体揃って整列したまま、とても大人しくしている。
|裸眼目視可能な《・・・・・・・》定格サイズ。完全ホログラフィーも無し。
「かわいいっ! かわいいっ!」
「おいアレ? スタバのイベントで、とうとう発見されなかった|UMA《隠し》キャラじゃね?」
教卓で開いた、計測アプリで、計測されたりしてる。
ワルコフまでもが、指でツツかれ、翻弄されている。
逆に小鳥はふだんと変わらない様子だ。短くなってしまった、コウベの髪を|突いてる。
がりがりがりっざっざっざっドンガガン。
盛り上がる教卓を|後目に、最後尾の|高台にへばりつき、柄の短いゴルフのパターの様なモノを振り上げている、スキヤキ受講生。
彼が振るっているのは、|化石用ハンマー。ただし、そのハンマー部分はオレンジ色の硬質プラスチックで出来ており、力一杯叩いても、硬質ガラスや、壁面床面には傷一つ付けられない。
ナノプロッタからの出力や、データマテリアル対応の可変構造を扱う器具には、オレンジ地に白の一本線が|冠される。
「ったく、ワルコフどもめ、実体化ねつ造のために、ありとあらゆる手練手管を駆使しやがってっ……疲れた」
ブツブツとグチりながらも、手が止まることはない。
ゴンゴンゴン! ガリガリガリ!
床から生えた、角張ったブロックノイズか、組立ブロックのような盛り上がり。
それを叩いて壊し、床から、削ぎ落としている。
力はいらなそうだが、この広面積では、日が暮れそうだ。
「よくわかんねえけど、|鋤灼偉いな、どれ」
シルシを手伝ってくれるシルシの斜め前の席の男子生徒。
「おう、サンキューな」
シルシは顔を上げ、チリトリを手に持つ生徒に礼を言う。
「ちなみにぃー、この新しいお友達はぁー、鋤灼君がぁー初期フロアーで、|採取してきてくれましたぁー」
背後の黒板にでかでかと表示される|宇宙服&|小鳥騎士一式。
それぞれ、基準サイズ:302センチ、158センチ、15センチと、足下に計測結果まで出ている。
「へーっ、すげーっ!」
「野良NPCって、すぐに揮発しちゃうんじゃねぇの?」
「いや、”我”の強い中に、”作り”と”値段が”|段違いに高級なのが居るって聞いたぜ」
「1度に3体も……おいしそうな名前のくせに、やるわねぇ」
「なので、この2人と1匹が、|戦果を上げたときにわぁー、鋤灼君がぁ、評価されることになりまぁす」
「……ふうん。そうなのか」
シルシを手伝ってた男子生徒は、
「……いいなぁ、あんなカワイイNPCの女の子、俺も欲しかったなぁー」
と言って、チリトリをそっと置いた。
そして|驗を笑顔で見つめ、頑張れよと告げて、帰り支度を始めた。
「……おう、サンキューな……」
|驗少年は、苦い顔で、口元だけ|笑って《曲げて》見せた。
黒板に映し出されている、苦い顔の2体と、|驗を見比べ、やっぱり、飼い主に似るのかしらぁと、チリトリを持ち上げる小柄な同級生。
「なんだ? 手伝ってくれるのか? どういう|風の吹き回しだ?」
「なによ、私は何時だって、優しいじゃぁないの」
「そうだな。ありがとう」|驗は、同級生に向けて、キリリとした顔で素直に礼を言った。
ホウキを手に、片づけ作業に参戦する、|ナイスガイ体型。
「なんだ? 手伝ってくれるのか? どういう|刀風の吹き回しだ?」
「なによぅ、あたいわー、何時どわって、優ヒィ―――ってぇな! 蹴んなよ!」
「あらぁ? ごめんなさぁい! |刀風と間違えたわ。ごめんなっさぁい」
|驗が削って出来た山の前に、チリトリを置く|幼児体型。
「わかりゃあ、いいんだよっ! わかりゃあなっ!」
スゴスゴと引き下がり、ホウキを小刻みに動かすハンサム。
「……いいのかよ」|刀風にツッコム、シルシの声はとても疲れた様子だった。
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その7
「鋤灼君のぉ制服の袖にぃ、『鋤灼|驗殿ハ、”バトルレンダ”ヲ、御利用デキマス』ってぇ文字が流れたときにはぁ、訳解らなくってぇ、思考停止したわぁー」
「いや、まったくだぜ」
同意する|刀風。
「本当にぃ、もう鋤灼君とぉ本気の喧嘩したりしちゃぁダメだからねぇー?」
「ほんっとうに、無しにしてくれよなっ」
念を押す|驗。
「……アタシだけ事態がさっぱりなんだけど」
ジト目で腕を組む笹木禍璃。
「安心しろ、俺たちも、さっぱり解ってねえから」
|驗は困惑する同級生に、助け船を出した。
■イヤア、大変失礼イタシマシタ_
「ピュイピュイチチチチッ♪」
「シルシに負けた! 次は本気で|囓ってやるんだからね!?」
巨大な、しかも大人数に囲まれ、ジッとしていた3体も、教室に、『VRエンジン研究部』部員だけになると、いくらか自由を取り戻した様だ。
「さあ、詳しい話を、聞かせて貰おうか!?」
減ったとは言え、未だ、四方を|人間に囲まれ、観念した風にも見える3体。
■デワ、|僭越ナガラ、我ガ輩メガ―――
「アタシが説明するに決まってんじゃん! 何言ってんの!? シルシはバカなの!?」ハッ! ドンドコドコド―――
「ピピッヒュイー♪」
我先にと、|驗へ詰め寄る、NPC達。
「いざ、質問しろと言われても、有りすぎて、何から聞いたら……」
考え込む|驗を尻で|退かし、割り込むVR専門家笹木|環恩。
「はいはぁい! ワルさぁんにぃ、しっつもぉーん!」
コウベや小鳥のようには、正座が出来ないので、両足を前に投げ出していた宇宙服は、背中のスラスターをボボッと瞬間的に2回光らせた。
立ち上がった宇宙服が、正面にいる|環恩に手のひらを見せた。
指先をクイクイ曲げて、「質問来いよ」と挑発。
「バトルレンダッてなぁにぃー!?」
教卓へかじり付くVR専門家。
■デハ、私ガ、ワ・タ・ク・シガ、オ答エイタシマショu_
|打鍵音と同時に、黒板の中央へ、返答が大きく表示される。
|宇宙服1/20サイズが、|優等生1/12人形サイズと、小鳥実物大を押しのけ、真ん中へ躍り出た。
タタン。
■BATTLE★RENDERING:[バトルレンダ(-リング)]【名】【VR】
|身体管制クラスの余剰リソースを解放し、オーバーフロー遠因となる量子エラーを解消すること。副次的な機能として、余剰リソースを限定的に使用可能。
ワルコフの持つリファレンスファイルを直接参照したのか、長文が一度に表示された。
「身体管制クラスってぇ、人が自分の頭の中でぇ、把握してる自分の体とぉ、仮想空間内部でのぉ仮想体格の位置合わせのことでしょお?」
「さっぱり、わからねぇ……」
「何あの|★《ほし》、ちょっと格好良いじゃない……」
「さっすがぁ、笹ちゃんだぜぇ」
「アンタ全然わかってないでしょ」
「おまえはわかったのかよ」
「わかる訳ないでしょ専門家じゃないもの」
という喧噪の中、黒板を介して、専門家による質疑応答は続く。
■ソウデスネ、特ニ、”|身体サイズ《・・・・・》”ノ、|即時補正ノ為ニ確保サレル|演算パワー《リソース》ガ、大キイノデ、ソレデ得ラレル予定ノ画素演算|利得ヲ、量子モツレ状態ノ収束前に相殺して、解放シマス_
銃撃のような|打鍵音。
「えーっとぉ、量子コンピュータの基本わぁ、多元世界に恣意的な問題を投げるぅ。画素演算の基本わぁ、正解のぉ近似値を先に参照ぉ、後からぁ正解のぉ裏付けをとるぅ。―――だったかしらぁ!? そういうお話ぃー?」
■ハイ、ソウイウ話デスガ……不本意ナガラ、コノ先ハ、概念的な翻訳ヲ兼ネテ、コウベサンニ、オ願イシタ方ガ、ヨイカモシレマセンネe_
「えーっ!? そんな、先生が解らない事を、コウベになんて―――アファファファファファファファファッ!」
壊れたように笑い出す|驗。
「そうだな、笹ちゃん先生をナメたらダメだぜ」
|環恩の細い肩に手をかける、目鼻立ちから何から高スペックな少年。
「だから気安いのよ、|刀風ごときがっ!」
いってーな! 離せ! 耳を引っ張られ、教卓から引き剥がされていく|イケメン《刀風》。
「ふーっ」
|驗に笑われたコウベが、噛みつきもせずに、ゴロリと横になる。
小鳥の尻にしなだれかかり、やる気なさげに、空中に指を走らせた。
「なんだ? さっきまでの、やる気はどこ行った!?」
教卓に顔を寄せ、聞いてやる|驗。
「2番手じゃ、気分、乗ら無いのよねー」
「生意気だなー。いいから、教えろ」
|驗は指でコウベの、後ろ頭を|突こうとしたが、小鳥に|突かれ《迎撃され》、指を引っ込める。
|突かれても|触覚はないが、特区の|お約束で、映像に合わせて体が動いてしまうのだろう。
「もーだから、こんな感じ、わかる?」
静かな優等生声で、語りだした|コウベ《サムネサイズ》。
指先で空中を経由して、画素対応黒板に描いた図解はこうだ。
中央に、『1・実際の脳内マップ対応VRスケール』と書かれた人型。
右側に、『2・人の身体感覚』と書かれた中央の人型の3倍くらいの人型。
左側に、『3・NPCの疑似脳内マップ』と書かれた中央の人型と同じ大きさの人型。
「わ、なんか、専門的っぽいわね」「……コウベのくせに」「へー、やるもんだぜ。それでもさっぱり解んねえけどなっ」
「|特区方式で《必要な部分だけ》説明すると、誰でもフルダイブするときに、『2』の大きさの身体感覚を、VR空間向けの『1』に縮小しないといけなくて、その為の機構が|P《パーソナル》|B《・ブレイン》|C《・キューブ》の量子フォーマット規格に付いてるのね」
1と2の人型を台形で囲む。その上に手書き入力でP.B.Cと書く。
2から1へ矢印を書く。
「はぁーい! 『身体サイズノ、|即時|補正』って、|ビューリンク《視覚野経路》|ダイブ型ドライブのぉ機能一覧に有りまーす」
と自分のゴツイ腕時計型デバイスに指を走らせ確認している。
コウベは|環恩へ振り向く。
「そして、アタシたち、NPCも、一定以上の|複雑さ《語彙軸索》を持つと、人準拠の人格と見なされて、|量子ビット《PBC対応積層》フォーマット規格に|変換されて、人と同じ|扱い《処理》になるのね」
「すげえ、コウベが難しいこと言ってると、本当に優等生っぽい」
若干頬を染める、スキヤキシルシ少年。
「おう、お前とはひと味違うな」
横を向き禍璃を肘で突く、カタナカゼヨウジ少年。
「元から、コウベはカワイイじゃないの! 私と違って!」
握った拳に|掌を打ち付け、力一杯、肘撃ちを放つ、ササキマガリ少女。
肘が肘にクリーンヒットし、悶絶する2人を気にもかけず、コウベは淡々と続ける。
「でもアタシたちには、”身体サイズ”ノ、|即時|補正なんて要らないじゃん。元からVR空間向けなんだもん」
ギャギャギャギャーッと、謎の効果音を|アフレコし《付け足し》、3と1の同じ大きさの人型を台形で囲み、赤色で、3から1への矢印を点線で描いた。
両サイドの人型の大きさが違うが、左右対称に近い図解が出来上がった。
点線で書かれた赤い矢印を、何度もなぞり、グリグリと太くしながら、
「この使わない、サイズ補正分の演算パワーを、解放してやらないと、本来持ってるスペックを維持できない可能性が出てきますよー」
そこで、一度、|環恩達を振り返る。
「そこで、そこで! バトルレンダです! |余った演算パワ《バトル》|ーを解放する《・レンダ》方法は、|量子ビット《PBC対応積層》フォーマット規格の、初期値に書いてありましたー!」
トトォン!
話してるうちに、興が乗ってきたのか、クイズ回答者がボタンを押すような仕草で、衝撃波を鳴らした。
「|量子ビット《PBC対応積層》フォーマット規格の初期値ってぇー、|主観でしかぁー参照出来ないんじゃー無いかしらぁ?」
「それで、なんで、鋤灼が、バトルレンダで殴られなきゃならねえんだ?」
「鋤灼が、そのバトルレンダとかいう必殺技使ったってほんとおー!?」
「おい、あの時、目の前に何か立ち上がったけど、カラッポッで、スグ消えたぞ!? なんで、お前等負けたみたいに消えたんだ?」
一度に詰め寄られ、あからさまにいやそうな顔をした、1/12優等生はちょっとだけ体を起こして告げた。
「ギャギギッ……大丈夫です。続きはワルコフ神から聞いてください。アタシは寝……」
ポフリと、小鳥に突っ伏すように抱きついて、そのまま寝息を立て始める。
「……面倒になりやがったな」
ギャーッギャーッと寝息を立てるコウベを|睨めつける。
コカコカカカッタン!
■デハ、ワ・タ・ク・シガ引キ継ギマショウ_
■鋤灼|驗殿ハ、先天的ニ、私タチト同ジ等倍ノ身体感覚ヲ、オ持チダト言ウコトデス_
「なんだと!? 俺はNPCだったのか!?」
「そんなわけ無いでしょう! ……無いわよね!?」
■偶然ニモ、『|驗殿ノ身体感覚のサイズ』と、『脳内マップ対応VRスケール』ガ、一致シタト思ワレマス_
「俺は、|鋤灼が、NPCでも、気・に・し・な・い・ぜっ!」
■ソシテ、余剰リソースヲ、開放シナイデ、溜メ込ムト、初期フロアニ、永続的ナ遅延ノ可能性ガ生ジルタメ_
「わ、私だって、そんなの、気・に・し・な・い・わ・よっ!」
■|ビューリンク《視覚野経路》|ダイブ型ドライブハ、強制的ニ、余剰リソースヲ、消費サセヨウトシマス_
「お前ら! サ・ン・キュー・なっ!」
■ソレガ、ソ・レ・ガァ! バトルレンダの正体デス! |因ミニ、|B・B《ブラックボックス》化サレテルタメ、改変ハ不可能デス_
「何となく、解って・き・ま・し・た・よぉー♪」
生徒だけでなく、特別講師までもが、飽きつつあったが、本当に大事な所の理解だけは進んだようだ。
ゴトン。
ワルコフも一通り説明が終わるやいなや、また足を投げ出して座ってしまった。人相手に1から説明するというのは、|殊の|外しんどいのかもしれない。
静かになったのを見計らって、小鳥が、俺(又は私)の番だと言わんばかりに|囀り出した。
「ピーピューイ♪ チチチチチッ♪」
……小鳥はリアクションを待つが、一向に通訳される気配がない。
ギャーグォォ、ギャーグォォ。イビキをかいて眠る|通訳。
ならばと、小鳥含むコウベ以外全員が一斉に、宇宙服のミニチュアを、見やるが、
カタタカタタタッタン
■私、鳥語ハ解シテオリマセン。不覚_
「ワルコフに出来ないことを、コウベが出来るだとう!?」
|驗は、そんなバカなという顔をした。
ゴッツン!
小鳥の、本気のひと|突きで、|通訳が頭を押さえて飛び起きた。
「ンギャーッ? 」
「ピーピュイ♪ チッチチッ♪」
「……そなの? ふーん むにゃぁ」
再び寝ようとするコウベ。その頭を、|驗が、ホテルのフロントで卓上ベルを鳴らす感じで、そっと押した。そして、何故か、小気味よくチーン♪ と鳴る寝ぼけ顔の卓上優等生。
「おい、小鳥は何だって?」
ピーピューイ♪ チチチチチッ♪
コウベは眠そうな顔をして、眠そうな口調で通訳する。
「むにゃり……健康な野生動物もみんな、NPCみたいに自分の|身体感覚を|等倍で持ってるって―――グォォーッ」
不安定な姿勢で2度寝したコウベは、フワフワモコモコの抹茶色の羽根の上を滑り落ち、教卓へ頭をぶつけた。
小気味よいベルの音が、教室に鳴り響いた。
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その8
ここは学園と隣接している、公園サイドのカフェテリア。座席数はカウンター席も入れて30。4人掛けの丸テーブルが6卓と言ったそこそこの規模。大きめの自販機が3台、併設されている。
向かいにある学園サイドの購買部で買ったものを、食すためにも自由に利用できる。公園の客と学園の生徒が半々くらいで、いつもどこかに空席がある程度の混雑具合。
近くの外灯の柱に表示されてる現在時刻は12:38。本日はすでに放課後ということで、利用客は少なく、|驗達以外に数名の利用者がいる程度だ。
「……なんか、昨日から、食ってばっかじゃねぇ?」
「ひはっ!? 忘れてたぁ! 今日から|DIET《ドワィエット》するはずだったのにぃー!」
かっこんで食べてた、ジャンボパフェの底深の器を大慌てで放り出す、笹木|環恩さん推定25歳。
笹木|環恩さん推定25歳の首には、オレンジのネックストラップがかけられている。
その紐の先には、四角い瓶の突いた装置が取り付けられている。
瓶の中に、|鎮座ましまし《セットされ》ている|P《パーソナル》|B《・ブレイン》|C《・キューブ》は、陽光の下でも蛍光グリーンに光り輝いている。その輝きは脳を平行投影した意匠をしていて、若干グロテスクだ。
カタカタタタタタタン! テーブルの隅で手乗り宇宙服が何かやってる。
■健康管理フレームニ進入シマシタ。笹木|環恩サンノ|腰囲58.9セン
電光石火、バシーンとメニューで叩かれる。宇宙服は手にしてた光る表示面とともに消失する。
「ワールーさぁぁーん? 今後ぉ、健康管理フレームへの進入はぁ禁止しまぁす!」
朱に染まる推定25歳は、子供のような声で命令した。
ペラペラに潰れた宇宙服がヒラヒラと、メニューの下から滑り出てきて、ポコンと形状を取り戻す。
カタカタ
■イエス、ミス環恩_
口調はいつもの|子供声だが、底冷えのする、氷穴のような視線を、宇宙服は見事に感じ取った。通常レベルのAR表示という存在では、なかなか視線入力は敷居が高いはずだ。ましてや、視線の湛える色を評価し、的確な応答を返すっていうのはなかなか芸当として立派だった。
遠くを見るときのポーズの両手版、両手で眉毛に手刀を当てるようなポーズ。そのまま、膝を開いて重心を下げる。
まるでバカにしてるようなその仕草は、彼が所属している、宇宙軍の正式な敬礼らしかった。
|彼は入手したデータ表示を|掴んで、即座に鍵箱へ放り込んだ。鍵箱というのは、宇宙服が左腰に下げた、黒い箱の事だ。側面に|投函口があり、その下に黄色で南京鍵のロゴが書かれている。
「|ソレ《・・》、ちゃんと守らないと、特選おやつの支給も無し、バトルレンダの起動ロック解除も無しです・か・ら・ねぇ!?」
|黒い箱を指さすミス|環恩。
首に下がってる|P《パーソナル》|B《・ブレイン》|C《・キューブ》が、1回|点滅した。
カタカタ
■イエス、ミス環恩。環恩謹製ノ”禁則事項リストボックス”ハ、大変使イ勝手ガヨク、実世界ヲ見聞スル上デ、非常ニ、|防壁、モトイ有益デ有ルト思ワレマs_
ビシッ!
見方によっては数字の”8”。季節によっては雪だるまを|彷彿とさせる。見方によらなくても、9割方、怒り出すこと請け合いの、”宇宙軍式正式敬礼”が炸裂した。
|本人普段はどこかふざけているが、事この敬礼に関しては、至って、まじめに敬意を表している|節があるので、VR|E《エンジン》研究部員及び顧問は、額面通りに”敬意”として受け取っている。
「もぉー! 怒ったら、甘いものが食べたくなっちゃったじゃないのぉー」
ガシリと、放り出した器をつかみ、アイスの層の採掘を再開する。
「だから、笹ちゃん先生は、ぜんっぜんイケてるってば、なあオイ?」
「え? 何で私にふる―――姉さんは、|区画外周のコンパニオンさん達にも引けを取らないくらいに綺麗な|体してるわよ」
「え? は? オマエ、その具体的な根拠をだなあ、ちょっと言ってみたらいいんじゃないか? うん」
鼻息を荒くしている生き物。
コトン。
鼻息が荒い生き物の、頭頂部に、自分の飲みかけのお冷やを置く、あどけないシルエットの颯爽とした生き物。
颯爽とした生き物は、|刀風の使っている割り箸をひょいと掴んで、立ち上がった。
「お、改心してコップ取ってくれんのか? 割ったりしたら迷惑だもんなー」
と制服姿でもガタイの良さがよくわかる少年は、|級友に諭すような口調で言葉をかける。
慎重に割り箸を頭のコップの上に揃えて置く級友。
「ハハハハッ てめえっ! これじゃ俺の箸、使えねえだろうが!」
バランスを取って、顎を引いたまま、わめく|刀風は、非常に姿勢が良かった。ソレを暫く眺めていた|驗と|環恩は、自分の姿勢の悪さに気が引けたのか、ちょっと胸を張る。
小鳥も真似るようなタイミングで、胸を張り首を伸ばした。上からコウベのおやつをかすめ取ろうとしている。
|背筋直立魔神と化している生き物の前には、|6個入り300円。
「私が食べさせて上げるわよ。ほら」
自分の使っていたフォークで、たこ焼きを一つ持ち上げる。
「あーん」
「ばかてめえ、笹ちゃんの前で、なんて事しやがるっ!」
おおよそ、”友好”とか”好意的”とかそういうのとはかけ離れた、意地の悪い笑みを浮かべた、|禍璃が「あーん」を繰り返す。
じーーーーっと教え子や妹の生態を観察していた、姉兼、特別講師は聞き慣れた科白を言う。
「いっつも仲良いわねぇ。大丈夫、お姉ちゃん、あっち向いてるからぁ」
|刀風、は本日もブレることなく大爆発している。
いや、|禍璃が、自爆も|厭わずに起爆させているのだが。
そんな3人を見た|驗は、特に興味がない顔で、首から下げた”四角い瓶の付いた機械”を、手に持った。|環恩の首に下がって居るものと同じものだが、瓶の外側に白いマジックで”メジロナイト”と書かれている。シルシが、時折、点滅する蛍光グリーンを見つめていると画素対応テーブルの上から声が飛んでくる。
「シルシ、シルシ!」
なぜか、|驗に、千切った特選おやつを分けようとするコウベ。
「いらん。絵に描いた餅を、どう食えというんだ? オマエは」
「いや、俺も、|絵に描いた俺になれば《フルダイブすれば》、食えるが、今は無理だ」
意気消沈し、再び座り込むコウベの背後から、抹茶色の丸っこい生き物が、首を伸ばし、よだれを垂らしている。
「小鳥に、分けてやれよ」
「|嫌だい! 小鳥なんかにやるもんかっ!」
「……オマエ等、仲悪いのか?」
|突きあうNPC達を、渋い顔で見下ろす|驗。
「さあー、話を戻しましょうかぁ?」
カラン。ジャンボパフェ980円を完食。
「昨日からの騒動について、多少解ったけど、細かいところが、まだまだ謎過ぎるわね」
|刀風の抵抗に、フォークを自分の口に運ぶ|禍璃。
「てめえ! 俺のたこ焼きっ!」
「モグ……ちゃっちゃと、ハッキリさせて、コレ、決めちゃおうよ」
|禍璃は、フォークを置き、昨日もらった”厚紙”を引っ張り出した。
「そうねぇ、急げば今日中の”|配送”に間に合いそうだしねぇ」
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その9
「まず、あなた達のぉ、バトルレンダ、限定的に使える余剰リソースのぉ種類ってなぁにー?」
カタカタタ
■私のバトルレンダは|量子処理系介入デス_
「ピチュッチチチッ?」
「わかんないよ? そんなの小鳥もわかんないって言ってるよ」
「なんだよ、教室で、難しいことペラペラ喋ってたじゃねーか」
と|驗。
「だって、アレは、頭の中のおーーーーっきな紙に書いてあっただけだもん」
とうとう観念したのか、|背筋直立魔神が重い顎を動かし、たこ焼きを|食む。
そして、|禍璃を睨み付けながら、会話に参加する。
「モグモグモグモグ……ゴクリ……そういや、おまえ等、なんで、|鋤灼がパントマイムみたいなのやっただけで、撃破されて、|再生したんだ?」
■ブラックボックス部分ガ起コシタ強制戦闘態勢ナノデ、強制発動条件ヲ解消シタコトデ、戦闘状況自体ガ、リセットサレタト思ワレマス_
「あのー、パントマイムがぁちゃんと効いてたって事みたいねぇー、|鋤灼君ー」
手のひらを、上下にワサワサと、面白く動かす美人講師。
「|鋤灼の|パントマイム《バトルレンダ》って結局何だったんだ!?」
「なんか、リングアイコンが出たっぽいんだけど、そこには|何にもセットされてな《・・・・・・・・・・》|かった《・・・》んだよ」
■リングアイコン? 私のバトルレンダとは違ったシステムですね_
「アタシのは、|アイツ等とかに出くわして、ギャーッてなったときに、勝手に出るから、シルシの参考にはならないよ」
「そうだな、コウベは天然……いや天才だな。で、アイツ等ってのは、初期フロアの底で出くわした、エリンギを粉砕してガメてた、馬鹿でかい土偶みたいな奴らな」
|驗は憎しみに満ちた顔芸を披露する元ハンサム少年と、|嘲りに満ちた顔芸を披露する元童顔美少女へ、”コウベエンカウントイン奈落”の補足をした。
自分、|刀風、自分、|刀風と、交互に食べたり食べさせたりを続けていた|禍璃が、アンタも食べる? とたこ焼きを|驗にも突き出す。
「俺は、”|フルト《フルットォ♪》”が有るからいいよ」
と少年は串に刺さった、赤と黄色で彩られた妙に長くてカリカリに焼かれたソーセージをかじってみせる。
そお? と言って、|禍璃は再び、|刀風の餌付けに戻った。
フルットォ♪ というのは、カフェテリアのマスコットキャラの口癖である。学園内の至る所で流れているCMである。|因みに、3本150円という価格に見合わない大きさで、これ目当てにやってくる客も居るくらいだ。
「ピーチュチュピィー♪」
小鳥は羽根の下から、ゴミ、いやよく見れば、4つに折り畳まれたメモを取りだし、ボスである笹木講師に差し出す。
だが、今の笹木講師は、VRデバイスもなければ、データグローブもない。トレードマークのARメガネも掛けていない状態である。
「指先サイズのマニュピレートは難しいわねぇー」。
笹木講師がコウベに懇願する。
「コウベちゃぁん、それー、開けてみてくれるぅー?」
小鳥からソレをひったくった小さい手。|文庫本サイズ相当のメモは、開かれ|A4《キャラメル》サイズ相当になる。
ソレを|環恩に向かって広げて見せた。
『小鳥へ。君がピンチの時はぁ、|米沢首に”危ない”って3回言って切り抜けてください』だってぇー。
「ンギャッ!? あの、”緊急警報”ってメモ書きに書いてあったの!?」
立ち上がり小鳥を睨む、卓上の優等生。
一瞬の|隙を突き、小鳥が特選おやつを、|嘴で千切り取った!
「コウベちゃん達はぁ、いつから一緒に居るのぉ?」
「最初からだよ!? ねーっ! コイツめっ!」
返せ-! ピヒュイ♪と、ドタドタと走り始める|小鳥騎士一式。
「じゃ、小鳥の”|緊急警報”ってコウベの、|バトルレンダ起動承認なんじゃねえの?」
コウベが落とした小さいメモ書きを風で飛ばないように、ペンで押さえながらシルシの話に耳を傾ける|環恩。画素対応レベルを問わず、多目的時計の側では、強制的に風向計の詳細なオープンデータが適応されてしまうからだ。
「たぶんー、鋤灼君の言う通りねぇー」
激しくじゃれ合う|小鳥騎士一式に全員の視線が注がれる。
「モグ……そんな仕組みになってんのねアンタ達。いっつも一緒にいるとは思ったけど」
と最後の一個を、自分の口に入れた|禍璃。
「モグモグ……設計師的には、”小鳥”優先っぽいな」
首を|縮め、頭上のコップを難なく取る|刀風。
氷の溶けた冷水を一気に飲み干し―――冷てーっ! と頭を押さえ、|禍璃を睨む。
「お前ー、|1個多く食いやがった《・・・・・・・・・・》|な《・》……」
自分の食べたミルフィーユの皿と|環恩の平らげたパフェの器を重ね、トレーの上に置く|禍璃。
なーんーのーこーとーかーしーらー。|刀風が落とした割り箸も拾って、トレーに乗せている。ソコだけ見れば、とても気の付く、良く出来たお嬢さんに見える。
「どうも、この”設計師:たこやき大介”ってのも、フルダイブVRの|ブラックボックス《根幹》部分に一枚も二枚も噛んでそうな気がするんですが……」
「そうねぇー、でもぉ―――」
「何となくだけど、ようやく見えてきたか? ……モグ……そうでも無いか?」
シルシは残ってた最後のフランクフルトに齧り付く。
「―――じゃ、ワルさんはぁ、誰に承認してもらってたのぉー?」
はっとした顔でテーブルを見る|禍璃。
カタカタカタカタッタンッ
■仮想ノ管理者ヲ作ッテ、準管理者権限ヲネツ造シテイマシタ_
「思いっきりグレーね」
腕組みをし、ドカリと座り足を組む連邦保安官のような|禍璃。
■デモ、1体作ルノニ、36時間モカカッタノデ、『余剰リソースヲ直接、パッケージ出力スル方法』ヲ編ミ出シマシタ_
トレーに発泡スチロールの皿を乗せた|驗が、何かに気づく。
「……それ、あの、椎茸かっ!?」
■ゴ明察_
「バトルレンダ無くても、ハッキングは出来るのね? さっき健康管理フレームにー侵入してたもんねー」
偶然だろうが、外灯の柱に付いた多目的時計の、|外気温が|僅かに下がる。
■ハイ通常ノ小手先ノ、ハッキングハ趣味ノ|仮想|電子戦ノ範疇デスシオ寿司、オ手ノ物デシタシー_
■|仮想|電子戦デ危険回避ハ出来タノデ、コンナニ大キクナリマシタァ_
「伊達に、最古参の|W《ワンダリング》NPC名乗ってないわねぇ」
しみじみと言った笹木VR専門家。
両手を広げて見せる宇宙服を見て、シルシは声のボリュームを下げて言う。
「なんか、また会話の|端々から、ふざけた感じが、滲み出てきてませんか? 一端、お開きにして、こいつ等開放してやった方が良くないですか?」
「ふむ。じゃぁ大体の所は判りましたぁー! 取りあえず、ワルさんの広範囲に及ぶバトルレンダ使用のハッキングは今後、部員プレイヤー|2名の了承を得ること。良い?」
■イエス、ミス環恩_
「コウベちゃん達はぁ、様子見としまぁす」
ほっと胸をなで下ろしているコウベと小鳥。もうおやつは無く、喧嘩する原因が無い様子だ。
「余剰リソースってヤツが、貯まりっぱなしにしたとして、なんか問題あんの?」
スグ横の、トレー置き場に食器とトレーを置いて帰ってきた|禍璃が、追加の疑問を投げかけた。
「髪の毛が伸びすぎて絡まるでしょー。あと、切れば良いんだけど、初期フロアには美容院ってないしー」
などとクネクネとしながら変な声色で、蝶結びのトコでブツ切れた髪をほどくコウベ。
「じゃあー、コウベちゃんの問題にはぁ、私が対処しまぁす。あとぉ、小鳥はー? 何かあるぅー?」
ピチチュイッチチチッ♪
「小鳥にはバトルレンダ無いから、問題無いけどー、オヤツガ欲しいですー♪ ―――だって、生意気! 全てのオヤツはアタシのモノなの! 決まってんの!」
「決まってないぞー。じゃあ、ソレは俺が何とかしてやろう」
シルシが指先を小鳥に向け、|突き返す小鳥。
「「ワルコフは?」」まるで図ったように、|重なる《ユニゾる》刀風と|禍璃。マネすんなとガップリと掴み合う。一歩も引けを取らない|禍璃。むしろ刀風の額に汗が浮かぶ。ググググッ!
■私ノ場合ハ、自身ノ全長ガ増大シマス_
■縮尺的ニ、初期フロアニ乗ルコトガ出来ナクナリマス_
「何だよ、最後に大問題来たな!」「ほんとね!」
片膝を突きながら、叫ぶ刀風。ググググッ!
靴を脱ぎ、イスに登って、最上段から見下ろすように腕力を振るう|禍璃。ググググッ!
「お前等、ほんと、仲良いなー! ……あんまり羨ましくはねえけど」
|驗は温くなったお冷やを飲み干し、立ち上がる。
「なんだと!?」「なんですって!?」
そう言う種類の組み体操みたいになってる2人の怒声。
驚いたかのように、|小鳥騎士一式が横縞のノイズとともに消えた。
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その10
笹木|環恩も、テーブルを立つ。
宇宙服が横縞のノイズとともに胸の辺りに現れ、会話を続ける。
会話の投影先は。もちろん|驗の制服の袖である。
■余剰リソースガ有リ余ッテ自身ノ全長ガ増大シタトキハ、一時的ニ、スターバラッドノ共用サーバーヘ進入シテシノギマシタ_
■スターバラッドオンラインユニバースハ、通常ノ何万倍モ広ク作ラレテイルノデ、チョット位、馬鹿デガイモノガ空ニ浮カンデイテモ、騒ガレルコトガ無クテ良カッタデス_
この|状況にも慣れてきたのだろう。|驗が半歩、先行し、ソレを|禍璃が読み上げる事で、|宇宙服との会話を成立させる。
今は、全員がARメガネを掛けていないため、拡張空間映像・音声、ともに無しである。
ARメガネは、余程の事がなければ、屋外では装着しない。なぜかと言えば、無数に点在するオープンチャンネルから、視界を参照されるため、|累積するとバカにならない課金が発生するからである。
それと、何よりも、総じてARメガネというものは、きわめて、恣意的に格好悪いのだ。装着すると、そういう顔になるジョークグッズを掛けた人みたいになるのだ。
「―――ても、騒がれることが無くて良かったです」
まるで、洋画の吹き替えの、FBI捜査官のような、凛として張りのある女性の声。
「いや、チョット位じゃねえぜ、それ結構騒がれてたぜ」
直接|禍璃に告げる|刀風。
「|空飛ぶ人ってぇ、確かに居たわね。ローンチイベントで」
手首を操作する笹木講師。
「ほらコレ」
ゴツイ腕時計型デバイスから、指で滑らすように空中へ表示を移す。
15センチ四方の表示面が飛び出すが、周囲が明るすぎて見辛いのだろう。顔をしかめて投影面を探す|環恩。ベンチすらない自然区画に入ったため、周りには何もない。
目に留まったのは、ハイプラスチック製の見た目に反して、滑り辛い道路面。
通路にかがみ込む、|環恩。その膝を囲む3人。
通路の真ん中でしゃがみ、円陣を組む迷惑な連中だが、人通りが全く無いため、文句を言う人間もいなかった。
通路に印刷品質で表示されたのはカラフルな色合いの、イベントチラシ。
『”|自動生成され過ぎ!? ワンダリングボスクラス発見&UMA討伐クエスト”に参加して、|宇宙船を手に入れよう!』
ソレは、スターバラッドオンラインユニバースが、オープンベータ開始記念に行ったイベントのフライヤーだった。
大きな写真には、有象無象が入り乱れ、大乱戦を繰り広げる様が写されている。
そこには、我先にと必死の形相で逃げ出す、公式|NPC《メイン》ヒロイン”PLOTーAN”。
そこには、グラマラスな美女エネミーへ果敢に挑む、公式|NPC《メイン》ヒーロー”REVOLVER-SWORD”。
その上空、惑星ラスク上空に浮かぶ、大気に霞む宇宙ステーション。
その隣に、同じ大きさで浮かんでいる、|船外活動用宇宙服。
■イヤァ、オ恥ズカシイ_
|禍璃が、自分の指輪型デバイスから、道路へ計測アプリを|D&Dする《落とす》。
|禍璃が指定した公式ヒロインのプロフィールから、自動的に計測された、|EMUの全長は―――推定約2400メートル!
「2.4キロ!?」「「「でっかい!」」」
■チョット、太リスギマシタネー_
|環恩の膝の上で照れる|宇宙服。
「太りすぎ?」ビクリと肩を震わせる笹木講師。
「でかすぎ! オマエ、|最終ボスより大きい《・・・・・・・・・》だろコレ!」
「まあ、|デブすぎ《・・・・》だぜ」「スタバの|世界定数で、よく、|崩壊しなかった《・・・・・・・》わね」
など、受講生の感想を聞き、肩を震わせ続けた笹木講師は、躊躇しなかった。フライヤーを引っ張り上げ、指先に留め、自分の胸へ語りかける。
「はぁい、ワルさぁん」
■イエス、ミス環恩。コノ、フライヤー記事モ”禁則事項リスト”ヘ入レテ置キマショウ_
|環恩の指先に垂れ下がり、風になびく光のペラペラを、宇宙服は大事そうに、腰の黒い箱へしまった。
「余剰リソースのぉー、詳しい運用はー、後で考えるとしてー、大きくなるまでのぉ時間の目安って有るぅ?」
再び歩き出した笹木特別講師は、前を向いたまま胸元の半透明へ問う。
その足取りはジョギングに近く、ジャンボパフェ980円分のエネルギーを消費させようとしているかのようだ。
カタカタカタカタ。小さく、|打鍵音が|聞こえている《・・・・・》。
「ちょっとまってぇー、ワルさぁん、あなた、外部音声出力って無いのぉ?」
|環恩は、振り返り、ヨタヨタと後を付いてくる、かわいい|カルガモ《受講生》達を待つ。
|驗が、息を切らして、一番最後に追いつく。
「鋤灼君、本気でー、VR周りのことをー、勉強したいと思ってるならぁ、結構体力が必要よぉー。イスに座ってるだけだと、筋力も減るしねぇー」
|驗の袖に表示されていた文字が流れ落ち、新しい文字が手首から肩口まで、滝のぼりをする。
■外部音声出力? 何ヲ言ッテイルノデスカ?
|驗の腕にあわせて、首を傾ける一行。
■|宇宙ニハ大気ガ無イタメ、音声ヲ伝播スル物質ガアリマセン_
「あー、そういう|初期設定なんだなオマエ」
「まあ、宇宙服だし、理にはかなってるぜ」
「まあ、宇宙服だしね」
「そうねぇ、ワルさん、宇宙飛行士だものねぇ」
転んでも泣かない男の子を讃えるような口調で、|顧問及び|部員は納得した。
「じゃ、とりあえず、俺の袖をプラカード代わりにするの、やめろ。ウゼエ」
■デハ、ドノヨウニ、イタシマセウ?_
「おまえ、それ脱いで、地上人になれねえの?」
と|刀風が水を向ける。
■|中ノ人ナドイナイ_
「そういう奴に限って、|種も仕掛けも満載なんだ」
「そーね」「気になるぜ」
ジリジリとスタイル抜群の女性の胸元へ、にじりよる、怪しい生徒3人。
通路を|塞いでいるが、例によって人通りは無く、文句を言う人はいない。
「コウベちゃんがぁ、何か言ってるわよぉー?」
首から半透明の、メジロナイトを下げた男子生徒を、指さすスタイル抜群の女性。
メジロナイトを下げた男子生徒は、両サイドを不審な男子生徒と、不審な女子生徒に挟まれている。両サイドの不審な生徒達は、だらしない顔で、スタイル抜群な胸元を見つめている。
「―――、――――――、―――!」
「―――♪」
|”瓶”《VOIDチャージャー》内蔵の、ブースト機能を作動させることで、バックアップ電池を消費し、限定的ながら画素対応可能になるが、拡張音声へは|接続出来ない。
|宇宙飛行士の言葉を借りれば、”音声ヲ伝播スル物質ガアリマセン”だ。何となく声が響いている気がするのは、”小鳥騎士”一式がオープンチャンネルへ向けて、大音量で発声して、”瓶”の出力系に干渉しているためだ。
基盤に付いている、オンオフ可能なブザー。この小さな圧電ブザーをオフにした状態で、PBC|側からオープンチャンネルへ音声出力すると、微弱な干渉をブザーが拾ってしまう。その振動を四角い瓶部分が増幅し、かすかに音を発するのである。さながら、”|小鳥騎士”一式が発振回路の役割を果たす案配だ。
「じゃあ、ARメガネかけるか……」
|驗が、学生バッグへ手を伸ばす。ARメガネには拡張音声対応のスピーカーが付いている。
「わっ!」
叫ぶ、スタイル抜群特別講師。その首はうなだれて、直下を見ている。
見れば、宇宙服が|驗へ向かって、腕を伸ばし、自由度のない関節を駆使し、ブルブルと、まるで幽霊のような。
「シルシーッ! 聞いてんのかー! おらー!」ドンドンドンドンドン!
「ピチュチュピピーチュ♪」
やや籠もって明瞭さに欠ける音質。
だが、コウベと小鳥と会話できるようになった。
9:優等生と小鳥とブラックボックス、その11
「ワルさぁん!? 何したのぉ?」
カチャカチャタタン
■P.B.Cヲハッキングシマシタ_
「え? それ大丈夫なのか?」
■PBC内蔵画素ノ、表層座標ヲ、発熱サセ所謂、”サーモホン”ノ原理デ、音声出力出来ルヨウニ、シタダケデス_
「コウベ、小鳥も問題はないか?」
うなだれ、直上を見上げる|小鳥騎士一式と、目を合わせる|驗。
「だーいーじょーおーぶー!」
小鳥を蹴り上げ、ビョンヨヨヨヨヨォン!
と、どう言う仕組みなのか、面白い音を立てた。
「ピッピチュチュチューン♪」
|面白い音と同じ節を付けて鳴く小鳥。
「プフッ!」
笹木専門家は、面白い|効果音にも|脆い《・・》様だ。素直とも言える。
「ワ、ワルさぁん、ちゃあんと、量子アドレッシングでぇアクセスしてるぅ? ……それ以前に稼働中のPBCに|介入する《割り込む》なんて、ほんとはぁ言語道断ですがぁ……」
■PBC表層ノ、パイロットランプ部分ノ輝度補正インターフェースヲ実装シマシタ_
「うぬぬぅ」「音声入力」「ボイスメモ」「稼働中カーネルへのIF実装とか」「まじウケるー」「あわよくば」「特許……いえ、やっぱり」「実用新案申請案件」
”スタイル抜群”は、宇宙服を押しつぶさんばかりに、身悶えながら、怪しげな覚え書きをしている。
「……|鋤灼、サッパリ解らねえぞ」
「安心しろ。俺にも解らん」
「あードレッシングでしょ? 知ってる」
「何ってったっけあれ、この間喰ったヤツ……そう、シーザーサラダ!」
「アレ、超、旨いよなー」
「「「…………」」」
やや、冷静に、スッと、立ち上がる若者達。
「そしたらワルコフも、|ソレ《・・》やって、話せるようにしてくれよ」
「そうね世話ないし、|アナタ《ワルコフ》意外とお喋りみたいだし、その方がストレスなくて良いんじゃないの?」
「そうだぜ、いや、何でそうしなかったんだって話かー?」
カタカタカタカタタン
■|宇宙ニハ大気ガ無イタメ、音声ヲ伝播スル物質ガアリマセン_
「またその初期設定かー」|驗が肩を落とす。
「そしたらよ……|オマエ《ワルコフ》のメット内蔵の|通信装置を介して、外の|通信装置と|通話するってのはどうよ!?」
「お!? それだ! やるな|刀風!」
「|刀風君! ナイスアイデアよぉ!」
「見直したわ! |刀風の癖に!」
とびっきりの笑顔で、|刀風の背中をバシンバシン叩く|禍璃。
■シマッタ! ソノ手ガアッタカ_
わたわたする宇宙服。
「コイツ、今、しまったって言いましたよ」
「そうねぇ、確かに言ったわねぇ」
「へへ、観念しろ、設定なんて面倒なもんとはオサラバしようぜ」
手のひらを振る|刀風。
「年貢の納め時かしらね」
逆手で人指し指を突きおろす|禍璃。
■ミス、環恩_
「はぁい?」
■|一時ダケ、物理解像度デ、|視覚化シテモ、|宜シイデショウカ?_
正面の|驗を見上げる宇宙服。本当は|環恩を見上げたいのだが、|関節自由度の問題で出来ないのだと思われる。
「ん~。じゃあ、そっちの木陰で、ソレできる?」
「はい、可能です」
|禍璃がアクションヒロインの様な颯爽とした声色で読み上げた。
◇◇◇
「まあ、こんなこったろうとは思ったんだけど」
「……なんかホラーSFみたいだぜ」
「そうねぇ、結構シュールよねえぇー」
「ワルコフ、お前、|中身はどうした《・・・・・・・》?」
1メートルほど大きいためか、昨日と違い、所々直線形を残した精悍な|フォルム《体型》。白地に、オレンジ色のラインや金色のパーツを付けた、|船外活動用宇宙服。
ちょっと見上げた高さにある、ヘルメット内蔵の、金色がかったバイザーは上へ押し上げられており、その中には|何もなかった《・・・・・・》。
何もしなくても、|勝手に磨き上がる表面構造を持つ、耐圧透過ハイプラスチック越しに見える|空っぽ《空間》。さらに、その向こうにはヘルメットの裏側が見えている。
「コレじゃしょうがねえぜ」
と腕組み。
「そうねぇ、中身がないんじゃねぇー」
と頬に手を当てる。
「まあ、本質は|ソコ《・・》じゃ無ぇけど、徹底した|初期設定に免じて乗ってやる」
|禍璃の小さな手が、|驗の腕を取る。
「あんまり見ないでください。いやぁーん?」
と、恥じらう成分が|1個もない《皆無の》、勇ましい朗読。|禍璃は|驗の腕を掴んで水平にしている。今から腕に食らいつこうとしている訳でなく、ワルコフの流す文字を、読みながら何か作業を始めたのである。
「こうなったら仕方ないわね。音声ライブラリの月額料金かかっちゃうけど、|解説ちゃん《トーカー》使うわよ」
「男の腕ばっか見てるのも、あんまり楽しくねえしな」
「俺だって、好きで見せてるんじゃ、|無ぇんだからね?」
|驗は気のない返事で返す。
「音声ライブラリ?」
そっか、ソノ手があったわねぇ。ふだん使わないから忘れてたわぁ。
と、鞄の中から少し大きめで厚みのある、オレンジ色の台形を取り出す笹木特別講師。
ワルコフはピッ♪と|音を立てて《・・・・・》、鏡のようなバイザーを締めてから|環恩の元へ戻る。一歩ごとに実体が薄まり、全長を縮小しながら、見えない階段を駆け登り|環恩の胸元へ無事到着。
再び、通路上に円陣を組んで座る一同。人通りが以下略。
|環恩の持つ雑多なツール、プラグイン、ライブラリ群が一同に表示される。具体的には1メートル四方に、3センチ角のアイコンが、印刷品質でビッシリ。
「わ、いっぱいある。っていうかコレ、無制限使用可の、製品版ばっかり!」
「うえっ? 始めて見たぜ!」
「じゃ、この渋い声の人のライブラリ良くね?」
|驗が指先で、地面から|積層を引っ張り上げて、目当ての音声ライブラリを選択する。
「いいわね」「なんだっけその顔、確か」「|悪夢の《ナイトメア・》|処刑人のナレーション・トラックとかやってたわね」
「そうそれそれ」
「これに決まりました」
ワイワイと悩む生徒達に、宣言する笹木|環恩特別講師に迷いはなく、生徒達は「あ、うん」「そーお?」「じゃぁ、それで」と賛同する。
その、細い指先がハイ・プラスチックの地面から、つまみ上げたライブラリデータには、ネコミミ美少女の弾ける笑顔がドット絵で描かれている。
ドット絵を顔面のバイザーで、|喰った《受け取った》ワルコフは3秒ほど|瞬き、
「|■《ワルコフゥ》ご主人様、お帰りなさいませニャン♪」
と、着てもいない|エプロンドレス《ピナフォア》の|裾をつまみ上げた。
「かぁわぁいーっ。かぁわぁいーぃ❤」
「……ホントだ! 目を|瞑っていれば愛くるしいわね、発音も|流暢だし」
「おう、|宇宙服は、合ってねえげどな」
「とりあえず、ライブラリのプロファイルイメージに合わせなくていいから」
「|■《ワルコフゥ》そうですかぁ。了解でーす。じゃぁ、このプロファイルデータはぁー、”禁則事項リスト”に入れとくニャン♪」
ああああぁっ! 嘆く笹木|環恩推定以下略。
ワルコフは身をひねり大事そうに仕舞った。
「|■《ワルコフゥ》ってのは、何だぜ?」
「それは、ワルコフIMEのチャットモードがオンになってるんじゃね」
「|■《ワルコフゥ》ハイ。コノサウンドアイコンハ、仕様デスノデ、削除ハ出来マセン」
「まあ、いいんじゃね」|驗をみる|刀風。
「そうだな、とりあえず、これでいいか。俺も腕伸ばして歩かなくて良くなったし」
腕をブラブラさせ、その場で体操する|驗。
「それで、……何の話してたんだったかしらぁ?」
「えーっと、ワルコフが、どれくらいで、バカでっかくなんのか? じゃなかったけ?」
「|■《ワルコフゥ》量子状態二ヨルノデ何トモ言エマセンガ、倍ノ大キサニナルノニ、6時間カラ100日間ノ開キガアリマス」
「そりゃほんとに何とも言えねえぜ」
「でも、|6時間でも、倍の大きさでしょう? 姉さんが監督するとして、朝イチで対応すれば、大丈夫じゃない?」
スタイルの良い姉の、胸元に下がる箱を指さす妹。
「そうだな、急激にでかくなると思ったら、小分けに|椎茸出力して置いてもらえば大丈夫だろう」
「アタシが食べてあげるよ!」牙をむく、|怪獣型美少女優等生。
「ピピピチュイッ♪」羽ばたく、|丸っこい抹茶色。
直下の怪獣と抹茶の、”ニヤリとした表情”が、見えてなくても、見逃さない”|飼い主”。
「昨日の、|お化け椎茸が、まだまだ、死ぬほど残ってるだろ?」
「ソレはソレ、コレもコレじゃん。シルシはバカなの?」「ピチュチュイ♪」
「それと、コウベも、食べ過ぎたらその後ろ髪が、どこまでも伸びちまうんだろ?」
小言と思ったのか、”|小鳥騎士”に|合体して、どこへともなく飛んでいこうとするが、その場でクルクルと回転するだけである。
「……キリがないわね、”|余剰リソース《・・・・・・》”っていうヤツ」
|禍璃がシルシの|胸のあたりを|突く。
不意に、”ネコミミプロファイル”禁止の憂き目から立ち直った、スタイル美女が、子供声で宣言する。
「はぁい。一連の不測の事態の|概要がやっと掴めましたぁ。ということで、安心して今日の目的である、カタログ贈答品の受け取りに行くわよぅ!」
早速、豪華そうな厚紙を、オーバーブラウスの|小さなポケット《・・・・・・・》から取り出す顧問。
部員達も鞄から取り出す。顧問に習って、天高く見せびらかすように掲げた後、両手でしっかりと抱え、左右の安全を確認する。
「みんなぁっ! 着いて来なさぁーい!」
贈答品カタログを大事そうに抱えて、満面の笑みで、行進する”VR|E《エンジン》研究部”の面々。
公園を出て、時には左右の安全を執拗に確認しながら、駅へ向かう歩道を歩く。目指すは、厚紙の裏に書かれた地図によると、最寄り駅からふた駅。VR拡張遊技試験開発特区直営アミューズメントパーク。カラーバーが|意匠されたロゴで、お馴染みの、”VRーSTATI◎N”だ。
『ワルコフに気をつけない2』 10:VRーSTATI◎N/1:TOGGLE<鬼>OGRE’S
「彼の血に蛮勇が降り立ち―――」
GET! DEAD-HORNS! AWAKENING!
「彼の血に蛮勇が降り立ち―――」
DEVELOP! ZOE-TOGGLE WEAPON! REBIRTH A PERSON!
READY―――! FIGHT!
ゴコン。パパンペチペチトタッタタン。
ギャリギャリ。トンタタンパン。
………………おらっ!
…………おし!
………よしよーし。そこだ!
……ふざっけろよ。おし、入ったー!
ゴコン。パパンペチペチトタッタタン。
ギャリギャリ。トンタタンパンゴカカカッ。
ガガットタン。ペチペチペチ。
ドガアアァァァァァーーーン!
「君たち~。1回だけって話だったでしょおー? そろそろ行かないと、今日中に|贈答品もらえなくなっちゃうわよぉー?」
ちょっとだけならと、離れてみていた笹木|環恩講師が、10分を過ぎたところで少年たちを呼びに来た。
笹木|禍璃は壁により掛かり、自分の携帯ゲーム機を操作している。
表示されているのは、自分のランキング。想定よりも|芳しくないのか、口の端が曲がっている。
YOU! WIN!
HORNS HAS SPROUTED!
『ワレワ、アラネコガミ、ニャン♪』
血で血を洗う決闘に決着が付いたゲーム画面が、|煌びやかに勝者を称えている。
「かーっ! ……コレはしゃあねー。今のは|鋤灼が巧ぇ!」
「だろ? だっろー? でも、今のは、|一か|八か|ヒト《カゼ》読みして全部入れ込んだ―――」
フロアの一角、やや空いた空間の中央に、対戦ゲーム機が背中合わせに連結されている。それぞれに白いブレザー姿の男子生徒が陣取り、やや大きな声で、たった今行われた、世紀の決闘を褒め称え合っている。壁により掛かる少女はふと、それを睨み付け、スグに自分のランキング推移に視線を戻す。
ポン。笹木講師のたおやかな指先が|鋤灼驗少年の肩に食い込む。彼女の眼に写るゲーム画面の中央。倒れた牛の如き|体軀の、青いキャラクター。その|厳めしい自動車サイズの|頂点。ねじれた太い短剣を両腰の|鞘に一瞬で納める小柄なキャラクター。勝者らしい、その少女は、グラブに付いた肉球を見せて、飛び跳ねた。
「あらぁ? あららぁらぁ!? なぁに、このカワイイ|娘ぉ?」
はぁはぁ。なんかぁ、どこかでぇ聞いたことのあるようなぁ? はぁふぅん?
敗者から飛び降り、後ろ足で砂をかけている。|倒れる敗者と比べれば、とても小さな|勝者に眼が釘付けである。
「しまった、先生がイチオシしてた、ワルコフ用の音声ライブラリって、”オウガ▲▲ニャン”の中の人じゃん」
「|迂闊だったぜ。つうかアレ、そもそも”オウガ▲▲ニャン”が|モチーフ《元ネタ》なんじゃねえのか?」
男子生徒達は、独り|言ちるが、聞こえてないのか、|笹木環恩はゲームの画面に縫い付けられたままだ。
シルシは鷲掴みされた肩を、するりと引き抜き、ゲーム筐体の対戦者側に隠れた。
じゃあ、そろそろ、行こうぜ。そうすっか。
したたたたっ!
鞄を背負い、逃げるように走り出す男子生徒2名。
えーちょっとまってー、このかわいーいー娘ー、なんてーいうーのぉー?
|ポンコツと化す《取り乱す》、一見、モデルさんかと思うほどの美女。
携帯ゲーム機を鞄にしまい、スタスタと歩いてきた|女子生徒は、子供のように、はしゃぐ美女の腕をとり、ゲーム筐体から引き剥がした。
若干、制服に着られている感のある女子生徒は、かいがいしく、美女のお世話をし、フロア中に響く怒声を発した。
「|ま《む゛わ》てーい! アンタ達だけ、行ったって意味ないでしょーがーっ!!」
張りのある|低音が、少年達を縫い付ける。
「戻ってきなさい!」
ポンコツ美女ご一行様以外には、誰もいない地下フロアに、再び、|低音が|轟く。
「「へーい」」
ちょっと寂しげな店内を、男子生徒達はスゴスゴと引き返してきた。
◇◇◇
「どお? 先生、落ち着いた?」
「まったく。あんな、カワイイ感じのネコミミキャラなんて|反則よ」
「あれ、|角が|落ちた跡なんだけどな」
「しらないわよ。そんなの」
ここは、”VRーSTATI◎N特区本店”、|地下2階の自販機コーナー兼、レトロ筐体コーナー兼、|最新格闘ゲームコーナーのフロアだ。
「重度の|ネコミミマニア《・・・・・・・》っていっても、ひと通り|囓り付いて満足すれば、あとは棚に仕舞って眺める程度なんですからね」
「ネコミミマニア……その手があったか……あ、っそうだ、|鋤灼ィ、昨日お前が、頭に乗っけてたヤツ、あれ、……俺に似合ってたと思わねえか?」
会話に割り込む|刀風をスルーして、会話が継続する。
「わかってるよ。でも、”トグル<人鬼入>オーガ”の|物販有って助かった」
「だっろー? 尻尾だけだとインパクト弱いモンなー。ネコヒゲも有った方が良いかもしんねえなっ」
缶ジュースを開ける、遠目で見れば最高に絵になる、モデル顔でガタイの良い少年。
「……それはちょっと助かったわ。他に愛でる対象がないと、ゲーム筐体に当分、張り付いてただろうから―――!!! 酸っぱい!」
顔をしかめ、威勢良く缶ジュースをテーブルへ置く少女。ブルーのカチューシャで、押さえられたロングヘアーは背中全面をウエストまで覆っている。凛とした美声と相まって、|形は小さいが外から見れば、完璧にお嬢様である。
|お嬢様から、”網戸に張り付く猫動画”のように言われ、|憤慨する|環恩。
「やぁねぇ。先生も大人ですからぁ、最近、|分別というものを覚えましたよぉーっ」
酸っぱいらしい缶ジュースを、グビリとあおる、スタイル抜群の残念美女。
「最近なのかよ」「そういうところも、グッとくるって言うか―――」
残念美女が、|ビタミンCを摂取し《グビリ》ながら、きらきらした表情で、眺め倒しているのは、キーホルダー|程度の大きさ《サイズ》。
肩までの褐色の髪色と同じフサフサのネコ耳。ネコ耳の内側には真っ白な遊び毛が生えてアクセントになっている。背中に魔術的な文様の入った、|生成のチューブトップ。帯剣の為の太い皮ベルトは、ウエストをきつく締めている。正面に大きくスリットが開いた花柄スカートの腰からは、何度も折れ曲がる太い尻尾が生え、尻尾はボタン紐で固定されている。ポシェットから覗くダイナマイトの導火線には、既に火が着いている。スカートのトーンと同じ、ラベンダー色のカチューシャに|僅かに残るレッドゲージ。愛くるしい表情に似合わない、鈍器のように太く、曲がりクネった根菜のような|一対の|曲がり剣。
そして、血塗れた切っ先を正眼へ向ける、ソノ姿はまさに、ミス|物騒。
人生の大半を費やして、ようやく手に入れた骨董を弄ぶ、老齢の紳士の|如き|佇まい。手にはバーボンでなく、カラフルなキャラが沢山描かれた缶ジュース。極めて稀少な材質で出来たチェス駒でなく、ボトルキャップ上の|芸術品。
明るいグリーン地に、オレンジ色の縫い目が描かれた壁。ソコから生えた簡素なテーブルには、禍璃がリタイアした飲みかけ1本。ジュース缶と同じ太さの円柱カプセル4個。
満足げな美女を取り囲んで談笑する|制服姿の側には、高級厚紙が置かれてる。
「でも、”オウガ▲▲ニャン”出てくれて助かった」
「そうだぜ。倍くらい掛かるかと思ってたぜ」
「どう、姉さん? 満足した?」
「んふふふふっ、宝物が増えたわぁ!」
「……よかった」
「じゃー、みんなぁ、どれもらうかぁ決めたぁー?」
|復活した美女が、胸をブルンと揺らしながら、高級厚紙を天高く掲げる。
「俺は、VRデバイス1択だぜっ!」
「えーあたしも」
「俺は、……やっぱり、あの筐体にしようかな」
厳つい体型のキャラクタを掴んだ手で、さっきまでプレイしていた”トグル<人鬼入>オーガ”の筐体を指さす。
笹木|環恩VR専門家にして、スタイル抜群の美人特別講師が、全く興味を示さなかったため、一人1個ずつ分けた、|厳つい逆三角形。
頭部の真っ青な水牛風のツノは片方が折れている。肥大した上腕を、支えるべく隆起した上半身。繰り出す|膂力をうかがわせる、4つのボルトで締められた巨大なアームガード。グリップにバイクのブレーキのようなトリガが取り付けられており、鎖状のケーブルが、派手な軍服の袖を通ってバックパックへ連結されている。バックパックにはダイヤルのような機構が見て取れた。
「なんでっ。そりゃ、俺だって、この筐体欲しいぜ。 けどよ、今日みたいに出掛けてくりゃ、いつだってプレイ出来るじゃんか!?」
「ソレなんだけどな。コイツの|中身を|利用する《借りる》のに、結局、製品版の|使用許諾が、必要になるじゃん?」
「あ、ソッチの話か!?」
「また悪巧み!? 姉さん、コイツ等、なんか、コソコソやってんのよ」
少年達を|睨めつけ、指さす少女。
「昨日ぉ、|鋤灼君のぉ、履歴みたから、先生には、なんとなく解ってますよぉ?」
うふふふふ、と、妹の頭を撫で、|宥める美女に、もうポンコツの面影は無い。
「|鋤灼! どうするよオイ! 専門家にバレちまったゾ!?」
「ギャーーーー! ……って、今更取り乱してもなー」
「それもそうだなー」
取り乱し、やがて諦観する若者2人。
「もっと形になってからって思ってたんだけどな―――」
「……んー先生はぁ、この”量子サーバー|6基”を、貰って、ワルさん達の母艦にしようかと思ってたんだけどぉ」
「母艦? あいつら、PBCに入れっぱなしだとマズイの?」
「まずくもないですけどー、窮屈だったり、退屈させるとー、|闇雲に|暴れ出しそうで、恐いじゃないですかぁー」
「まあ、確かに」シルシはしみじみと頷く。
「姉さん、いろいろ便利だから、開発者用のVRデバイス欲しいっていってたじゃない? いいの?」
「業務上はぁ、現行の魔女帽子でー、必要十分ですからぁ平気でーす。ソレよりもぉ、ワルさん達の謎のー仕様解析の方がぁ、急務ですし、ぶっちゃけ面白いですしおすしー」
「まーそれは解るぜ。アイツ等、無茶苦茶すぎて笑える、……でアイツ等は、カバンの中?」
「一応管理者サイドのぉ、|直営ですからぁ、大人しくしてもらう為にに、”|瓶”のメインスイッチも切りましたぁ」
「……メインスイッチ切っても、ワルコフが居たら意味ない気もするけど……」
腕組みして、首を捻る|驗。
「”おやつ”進呈しましたしー、|内蔵画素のぉー|空間内で大人しくしてくれてると思いますよぉ-」
だと、良いんだけどなぁ-。と逆の側に首を捻る|驗。
「それで、ブラックボックスユニットの件もあるしぃ、管理上の余裕を持つついでに、|君達のお手伝いも出来|たらと考えての《・・・・・・・》、量子サーバー確保です」
「そうね、出来ることは増やしておきたいわね。悪巧みは別にしても、|鋤灼は、何かVRシステムと因縁ありそうだしね」
「この、進呈ポイント、一人、20000Ptsって、余った分、寄せ集めて、使えりゃ良いのにな」
「贅沢言ってもぉ、キリ無いわよぉー」「そうだぜ」「直接、相談しようにも、もう引き替え窓口、締まっちゃったしな」
アファファファと笑う美女と男子生徒2人。
「アンタ|等が、ゲーム止めないから悪いんでしょうが!」
詰め寄る小柄な少女に、座った椅子を、蹴られる|刀風。|傍観して、哀れみの表情を向けていた、|驗には、罰ゲームのつもりなのだろう、
「アンタこれ、勿体ないから飲みなさい」
と、自分の飲みかけを押しつけた。
ワルコフに気をつけない
見出しの関係上、章題が長くなってしまうので、
『ワルコフに気をつけない2』は冒頭一章、1話のみ掲載します。
カクヨム様、小説家になろう様へも投稿しておりますので、
そちらで、続きを、お読みいただけます。
誠に済みませんが、何卒よろしくお願いいたします。