導きのライオン

 4歳になった息子に、右と左を教えようと思った。
「右はお箸を持つ方の手だよ」
「今お箸持ってないからわかんない」
 なんて言うもんだから、右手の甲にマジックペンで息子の大好きなライオンの絵を描いてやった。
「右手はライオンが描いてある方だよ」
「ライオン、もう消えちゃったからわかんない」
 なんて言うもんだから、右手の甲には常にライオンが描いてあるように、消えそうになる度に何度も描き続けた。その結果———
「右はライオンが描いてある方だよ」
「右はわかったけど、このライオン消えないよ」
「・・・え?」
 何が悪かったのか、息子の手の甲に私が描いた下手くそなライオンは、まるで刺青のように皮膚に染み込んでしまったようで、何度洗っても消えなくなってしまった。
 そのうち消えるだろうと、最初は軽い気持ちでいた私だったけれど、右手のライオンは、息子が小学生になっても消えることはなかった。
 何ヶ所か大きな病院にも通ったけれど、ライオンは完全に皮膚と同化してしまっているらしく、どの病院でも肉ごと切り取る以外、方法はないと言われてしまった。
「・・・どうする?」
「手の肉ごと切るなんて嫌だよ!」
「でもアンタ、このままじゃずっとライオン消えないよ?」
「このままでいいよ!切るよりはいい!」
 痛みにめっぽう弱い息子の希望もあって、ライオンは息子の右手に残ることになった。同時に、私の心にも深い深い後悔の念が残ることになった。
 私が何度謝っても、息子は「気にしなくていいよ」としか返してくれなかった。気にしないのは無理な話ではあったけれど、彼が女の子ではなかったことには、正直ホッとしたのは事実だった。
 それからも息子は、右手のライオンと共に生活を送ることになった。

———そして今日、息子は結婚式を迎えた

 結婚が決まる前から、私は息子の奥さんとなる娘さんや、そのご両親にも何度も謝っていた。
「私の不注意で息子の手には一生消えない傷ができています。それでもいいんですか?」
 息子の奥さんとなる娘さんも、ご両親も笑顔で頷いてくれたことに涙を流したことを、今でもよく覚えている。
 そして今、息子は堂々と新郎としての大役を果たし、披露宴を締めくくる両家代表の挨拶に臨んでいた。
「―――そして最後に、母に伝えたいことがあります」
「・・・え?」
 それは、当然リハーサルでは全く聞かされておらず、予想すらしていなかったこと。
「ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私の右手の甲には、私が4歳の頃に母が描いてくれたライオンがいます」
 そう言って、息子は右手の甲を掲げた。私は、ただただ鼓動が早くなるのを感じた。
「母は、どういうわけか消えなくなってしまったこのライオンを私の手に描いてしまったことを、未だに悔やんでいます。でも、私はこのライオンに何度も助けられてきました」
 息子の声だけが、耳からではなく、直接胸に流れ込んでくるような感覚になった。
「子どもの頃、内向的だった私が友人を作るキッカケになったのも、このライオンがいたから」
 その時、息子の友人達のテーブルから歓声が挙がった。
「入社試験の時に、自分と、周り同期達の緊張をほぐしてくれたのも、このライオンがいたから」
 今度は、息子の同僚達のテーブルから拍手が挙がった。
「そして、妻と仲良くなるキッカケとなったのも、このライオンがいたから」
 最後に、新しい私の娘が、私に泣きながら手を振ってくれた。
「今の私があるのは、このライオンが導いてくれたおかげだと思っています。母は昔、私に右と左を教えるためにこのライオンを描きました。ライオンは、その後も私の人生をいい方向へ導いてくれました。きっと、このライオンはこれからも私達をいい方向へ導いてくれると信じています。・・・だから」
 涙の滲んだ息子の声を聞くのは、まだ幼かったあの頃、そう、ちょうど私がライオンを描いたあの頃以来のような気がした。
「だからもう、後悔はしないでください」
 私はただ、溢れる涙を止められなかった。これまでも何度も流してきた涙と、同じ味がする涙だった。
「母さん、最高の案内人をありがとう」
 ただ一つだけいつもと違ったのは、まるで私の身体から涙を全て追い出そうとするような、ライオンの叫び声が聞こえた気がした。


お題【右のライオン】にて

導きのライオン

導きのライオン

4歳になった息子に、右と左を教えようと思った。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-10

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