君の名は。~夢の中の~
先日映画「君の名は。」を見てきた余韻で、勢いのまま2時間くらいで書き上げました。
触発されただけで内容も作品自体も映画とは一切関係はありません。
原稿用紙1枚半程度の分量なので空き時間でも気軽に読めると思います。
楽しんでいただけたら幸いです。
目が覚めると、泣いていた。
――思い出せない。
夢の中で出会ったあの人の名前が。顔や声はぼんやりと覚えているのに、名前だけがさっぱりと思い出せない。しかしその後の夢には、何日経ってもあの人が現れる事は無かった。もう一度だけ、あの人に会いたい。その想いに憑りつかれた私は、ある場所にたどり着いた。
『夢魅つ宿』
そこの主人は、人を望む夢に導く不思議な力があるという。「夢見屋」などと呼ばれて、その不思議な力を求める常連の客もいるらしい。にわかには信じ難い話だが、藁にもすがる様な気持ちで、事情を説明した。
「ええ、わかりました。では夜にまた、お伺いしますので。」
宿やの主人はそう言って去っていったが、慣れた様子で受け答えするのですっかり拍子抜けして、山深い森の奥に佇む宿の趣を楽しむ余裕まで出来てしまった。
そろそろ床に入ろうかというとき
「失礼します。」
と声がして、宿の主人がやってきた。
「それでは、始めます。」
布団の中で、まるで手術みたいだな、と思いながら目を閉じた。私が眠りに落ちるのを、枕の左側では主人が正座で待っている。こんな状況では眠れるはずもないと思っていたのに、不思議にもあっさり、息を吸って吐くように、意識は夢の深淵へと導かれていった。
そして私はもう一度、あの人に出会った。そこは輪郭が曖昧な世界だった。シンプルで広いリビングに窓から白い光が差して、少ない物々を淡く浮かび上がらせた。とても幸福な世界。涼しくて春の陽気を感じるような、希望の世界。二人掛けのソファがあって、隣に君がいて。微睡みながら、君の他愛のない話に気持ち半分の返事をする。そんな世界。君の顔の輪郭も、弾けるような笑みの表情も、柔らかな声の形も、ほのかに温かい肌の感触も、はっきりと分かる。それなのに……。
「ねえ、どうしても思い出せないんだ。」
これを聞いたら壊れてしまう。
「すごく今更なことなんだけどね」
分かっている。
「君の名前を、教えて?」
少し驚いたような顔をして、それでも君は笑って、太陽のように笑って。
窓から差していた白い光が徐々に広がり、世界と君を少しずつ侵食していく。
(やっぱり聞かなければ良かったかな。)
壊れ物に触れるように、そっと、やさしく君の手を握って。お別れだと、忘れないように君の顔を見上げて、目が合って。見つめ合って。
(でも、これで良いか。)
凝縮された時間が永遠のように感じられた。そうだったら良いのにな、とも思った。それでもやっぱり最後の瞬間はやって来て、君の唇が短く動いた。そしてまた笑った。
翌日宿を後にするとき、主人が訪ねた。
「もう、いいのかい?」
「うん。」
短く頷いて、私はその不思議な宿を後にした。
君の名は。~夢の中の~