あの道で生きる。

「右よし、左よし」
 指差喚呼をしっかりと行い、アクセルにまた体重をかけ始める。この指差喚呼も随分と慣れ、体に染み付いている。
私がバスに興味を持ち始めた時、バスの運転手が出発前に何かモゾモゾ言っているなと気になっていた。
 就職して、大型二種免許を取得してから初めて指差喚呼という言葉を知り、モゾモゾの正体を突き止めた。指差喚呼とは運転手が指をさしながら、周りに異常がないか確認するものである。乗客に伝えるというよりかは、私にとっての確認の為、はっきり言う運転手は多くはないのだろうと思った。

 この町は綺麗だ。就職してから10年ほど経ったが町はまったく色褪せず、海と山に囲まれているので、お盆や夏休みには多くの観光客が訪れる。観光客で栄えているのは山の麓である。色褪せたのは私の髪の毛の方である。自分もそこでバスを走らすつもりだった。『あの道』で生涯を終えたいとすら思っていた。

 『あの道』で生きたいと強く願うようになったのは大学生の頃である。もともと乗り物には興味はあったが、バスは自分にとって格別であった。私が生まれた町は、かなりの田舎町であったため、交通手段として電車ではなく、車やバスがそこで暮らす人々の生活を支えていた。それ故、小学校の時から学校に通うのも母親が車で送り迎えをしてくれていて、中学、高校はバスで通っていた。
 そして大学は地方の四年制大学に通った。そう、それがこの町である。観光地でもあるが、学校や住宅街もあり、私が通った大学もある。
四年間という時間は、この町を好きになる理由を探すのに十分すぎる時間だった。


 しかし、それはすぐに叶うことではなかったと知る。
 新入生社員の頃の話である。
 就職が決まってから、四月に新人は希望する路線を出すのがうちの会社の通例であり、その希望通りにいかないことも通例であった。運良く希望が叶うことを祈ったが、うまくいかなかった。うまくいかないどころか、人がほとんどいない山道の路線に配属され、当初イメージしていたバスの運転手を早々と打ち砕かれたのだ。
 だが、その希望を叶える制度がこの会社にはあった。勤務年数と勤務態度を参考にして、優秀な者は上の人から呼ばれ、希望を路線への移動ができるようになるのだ。



 優秀者を目指し山道を走ることになってなら5年ほど経った頃からだった。赤ん坊を抱えた母親が私のバスを毎日利用するようになった。利用する人が少ない故、乗客の顔は自然に覚えてしまう。

 二人を初めて見た日からさらに5年。今日も二人は乗り込んできた。

「出発しまーす! 次は終点、夢見町ー、夢見町です!」

 五歳児の元気な声が車内を包む。母親は静かにしなさいと、人差し指を立て五歳児の口元の前に突き立てる。毎日車内アナウンスの声を真似していてよく飽きないなと、ハンドルを握りながら思う。赤ちゃんの頃から見ていたので、最近は本当によくしゃべるようになったなと感心している。

「幼稚園でね、お芋掘りがあってね、それでね、それでね」

 母親は静かにその子のしゃべり急いでる話を真剣に聞いて頷いている。


 私はなぜかその親子の父親のように感じるようになっていった。あの二人の顔を見るのがとても楽しみでしょうがなかった。二人も私が運転するバスに乗るのを楽しみにしているようだった。



 とある雨の降る日。今日はとても激しい雨が降っている。コンクリートに雨が勢い良く叩きつけてるのがフロントガラス越しに分かる。
二人が乗ってくるバス停に着く。しかし、姿は見えない。今日は天気が悪いから外に出るのを諦めたのかと思ったその時、子どもが走って乗り込んできた。そして、私に向かって言う。

「お母さんが、お母さんが… 運転手さん、助けて、助けて! 」

 雨でびしょ濡れになっている顔から、雨ではない水分が目元から垂れ流れている。
 ただ事ではないと直感的に思った。この天気がそれを助長している。
 今日も乗客はいなかったため、運転席を離れその子元へ向かい、話を聞く。泣きじゃくっていて話がよく分からないが、どうやら家で母親が倒れてしまったらしい。救急車を呼ぼうと思ったが、この山中まで救急車が来るのはかなり時間がかかる。

「お母さんのところまで案内してくれるかな?」

 迷っている暇はなかった。バスを道路の端に路駐して、バスから降りその子と一緒に母親のもとへ向かった。家に着くと、母親が玄関でお腹を抱えてうずくまっていた。妊婦さんであるとお腹の膨らみからすぐに分かった。毎日二人を見ていたはずなのに、お腹の膨らみまでは気がつかなかった。
もう、陣痛が始まっている。母親はその大きな腹を抱えながら私の方を見て、辛い状況の中、声を振り絞って言った。

「わざわざ来てもらってごめんなさい。息子には救急車を呼ぶからいいと言ったのですが、言うこと聞かなくて」

 謝らなくていいですよ、と返す。私と子はずぶ濡れであり、玄関は私たちが引き連れてきた雨でびしょびしょになっている。

「私が病院まで送ります」

 そう端的に言い、母親を抱き上げる。
 母親は少し困惑しているが、これ以外に手段はないと理解している。急いで母親とその息子をバスに乗せ病院に向かう。こんな時でも指差喚呼は体が勝手に行ってしまう。


——ああ、これで優秀者にはもうなれない



 病院の玄関を人間であれば二、三日腫れるくらいの勢いでノックする。母親を抱きながらだったので思ったより力が必要だった。
 病院といっても山中であるため、大規模な病院ではなく、普通の家の一階を病院として使っているようなところだ。こんな午前中に何事だといった顔で、五、六十歳くらいの白ひげを適当に伸ばしたままにした、医師がでてきた。
 医師は状況を瞬時に飲み込み、すぐに出産の準備をする。あぁ、物分かりの良い医師でよかったと安心するのもつかの間、バスの業務を怠っていることを思い出す。
 医師に一応自分の連絡先のメモと診療代になりそうな金額を渡して、バスに戻る。


 時間通りに終点の駅まで行かなければ確実に職務を放棄していたことがばれてしまう。急がなければと気持ちは思っていても、交通ルールを破ってスピードを出すことは許されない。
 あの母親は無事だろうか。あの子はもう泣き止んでいるだろうか。そんなことしか頭には浮かんでこなかった。

 そして、無事一時間ほど遅れて終点につき、私の職務放棄がばれてしまった。ありのままを話したが誰もまともに聞いてはくれなかった。バスの運転手が私情でバスの運転を放棄するのはもってのほかだと、皆が口を揃えて言った。


 翌日、早朝に上司である田中さんに山の麓にある会社の会議室に呼び出された。田中さんは私が就職する時に面接をしてくださっていた方である。入社してからも、田中さんとは年齢が5歳ほど離れているが、頻繁に飲みに誘ってくれていた。そんな田中さんにこんなことで迷惑をかけていることは、自分がとった行動が間違いだと言われているように思える。
 だけどもう、後悔はない。あの母親と子どもを救えたならどうなっても良い。病院からも連絡はなかったが、何もないということは無事だったということだろうと勝手に解釈している。


「自分のしたことが分かっているな?」

 目の前に座っている田中さんは悔しそうな声で私に問いかけてくる。そんな田中さんを声を聞くだけで本当に申し訳ないと思った。

「お前が長い間、優秀者を目指してコツコツ努力していたのは知っている。もうすでにお前の名前はリストに上がっていた。確実に優秀者に選ばれていた。私としても非常に残念だ。私の妻を救ってくれたばっかりに」

「え?」

 最後の部分がうまく聞き取れなかった。いや、聞き取った言葉が正しいかどうかがわからなかったのだ。田中さんは続ける。

「私の家族はお前の運転する路線沿いに住んでいる。妻と息子は麓の幼稚園に行くためにバスを使っていたのだ。そして昨日、妻はお前に助けられた。病院にメモを置いて行ったろ? 昨日無事産まれたが、色々急で忙しかったから、お前さんにお礼の連絡できなかったんだよ。だから今改めて言う。本当にありがとう」

 深々と田中さんが頭をさげる。会議室の机に頭がつくくらいに。話を聞いて困惑はしているが、心の底から安堵の気持ちが溢れ出てくる。そして同時になぜか少し寂しくもあった。
 田中さんはまたこう続ける。

「優秀者の件だが、俺が上と話はつけてある。みんなバスの運転手である前に人として立派だと。もちろん、時間通りに運行できなかったのは反省すべき点だけどな」

 そう田中さんは笑いながら、私に一枚の紙を渡す。『希望路線調査票』と書かれた紙だ。入社の時に書いたやつと同じだ。

「書き終わったら出してくれ。いつでも良いからな」

 そう言って田中さんは会議室を満足げに出て行った。

 私は一枚のこの薄っぺらい紙を手に取り、その重さを感じながら眺める。

 希望路線は決まっていた。


 今日も走る。いつもの『あの道』で。『あの道』の上で新しい命とともに生きる。

あの道で生きる。

あの道で生きる。

旅行の地として有名な町のバスの運転手として就職した主人公。憧れの町でお客様を大勢のせ、喜んでもらうのが夢だった。 しかし、配属された道は山中の人の気配がほとんどない通りであった。 勤務年数と勤務態度の総合評価により、定期的に希望の路線に移ることができる制度がある。その制度で自分が夢見た「あの道」で生きるために、今日も山道を走る。

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更新日
登録日
2016-09-08

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