自分の寝言で目が覚める

 最近、自分の寝言で目が覚めることがよくある。
 ちょっとくらいの寝言はたぶん誰にでもあることだと思う。けれど、俺の場合はちょっと酷いらしい。どのくらい酷いかと言えば、ルームシェアしている友人二人を不眠症にさせ、部屋を追い出されるほど酷い。
 にしても、やつらはやつらでなかなか酷い野郎どもだった。俺が寝ていたら鼻を摘まむし、タオルで頭を包んだりもしたし、口にガムテープを貼られたこともあった。ストレス発散のために一発下腹を蹴らせろと言うこともあった。ほんと、暴力で解決しようなんて本当に野蛮だと思う。ガキじゃあるまいし、力に頼らくてもきちんと感情のコントロールくらいしてほしいものだ。
「いや、お前いつもそうやって被害者面するけどさ、こっちの気持ちになって考えてみろよ。ほんと酷いんだって。なあ、寝たいのにイライラして寝られない辛さがどれほどのものか分かってんの? オレここにきてから満足して寝られてないんだけど。夜な夜な殺意を覚えるレベルなんだけど。首絞めないだけでも感謝して欲しいくらいなんだけど」
 そうは言われても、こっちは寝ているのだからしょうが無い。お前らこそ俺の気持ちになって考えてみろ。俺は普通に寝ているだけ。悪意はこれっぽっちもない。家賃もちゃんと払ってるし、家事も掃除も俺がちゃんとしてるからきれいな部屋を保てているって言うのに。いつも料理作ってやってんの誰だと思ってんだ。恩知らずな奴らめ。みんなが幸せでいられますようにって思って丹精込めて作った料理を毎日食べていたくせに、この仕打ちはあまりにも酷いんじゃ無いのか。
「オレたちの幸せは、お前がこの部屋から出て行ってくれることだよ。お前のこと嫌いじゃ無かったけど、たった一つの欠点だけで人のことを心底嫌いになれるんだってことを知れただけでも、お前と出会えた価値はあったのかもな。二度と顔も見たくないけど」
 結局ルームシェアの部屋を追い出され、俺は一人暮らしを始めなくてはいけない羽目になった。ワンルームの狭い部屋なのに、家賃は三倍くらいに跳ね上がったわけで、友人のわがままのせいでとんだ損失を負わされていることが腹立たしくてならない。ほんと、短気な友人を持つと溜まったものじゃない。たかだか寝言を言うくらいで追い出すなんて人としてどうなんだ。友人のたった一つの欠点くらい広い心で受け入れろよ。尊敬できない。けどまあ、これで単細胞並の思考しかできない友人から眠りをジャマされる事も無くなったから、別に良いんだけれど。むしろ、暴力野郎どもから離れられることが出来たということ自体、俺にとっては幸せなんだ。ざまあみろ。俺はこれから、お前らのいない快適な睡眠を謳歌してやるからな。——干した一人分の掛け布団をパタパタと叩きながら、俺はそう思っていた。
 しかし、最近になって、そう開き直ってもいられなくなってきた。
 事態がかなり深刻化してきたのだ。
 毎晩の寝言で、他の誰でもない、俺が目を覚ますようになってしまったのだ。
 中村や横山が眠れなかったのは別に良いとしても、自分自身が被害を被るとなったらさすがに俺も真面目に対策を考えなくてはいけない。このままじゃ俺が不眠症になってしまう。他人事で片付けるわけにもいかなくなったのだ。
 どうやら、日々のストレスが原因の一つらしい。
 ストレス解消には大声で叫ぶのがいいと進めてくれたのはかつてのルームメイトの暴力野郎だった中村で、ヤツは山に登ってはよく頂上から空に向かって叫ぶらしい。初めて聞いたときには失笑した。なんだその青春アニメみたいな青臭い趣味は。
「いいから黙ってやってみろよ。本当に、心の底から震えるくらい気持ちが良いからさ。誰かに迷惑かけるわけでもないし、お前のストレスもあっという間に吹き飛ぶよ。ほら、眠れなくて辛いんだろ? すっげー良いとこあるからさ」
 中村はそう言った。
 だいたい、俺のことを殺してしまうほど嫌いだって言ってたくせにこういうときにはいい人ぶるところが本当に嫌いだけれど、まあ確かにストレス発散には良さそうだし、不眠症に苦しんでいたからわらにもすがる気持ちで始めた。
「よし。決まりな。じゃあ来週の土日開けとけよ。山のふもとまでは夜行バスで行くから」
「夜行バス?」
 そこらの山で良いんじゃないのか、いや山にこだわらなくてもそこらの海で叫べば良いんじゃ無いのか、と思ったが、それは違うらしい。特別な場所があるらしい。まあいい。治るって言うなら、まあまかせてみるのもありだ。

 金曜日の夜、仕事を終えた俺たちは夜行バスに乗り込んだ。
 昼間はどれだけ賑わっていても、深夜十二時を回ったパーキングエリアは当然真っ暗で、俺たちはトイレを済ませてからわずかな休憩時間を缶コーヒーを飲みながら費やした。
「座席が狭くて死にそうなんだが」
「すこしの辛抱だよ」中村が苦笑した。「キツい仕事の後のビールは最高にうまいだろ? それと同じさ。消灯してしまえばすぐに眠たくなるし、寝てしまえばあっという間に朝になってるよ」
 さっそく損した気分を味わいつつ、俺はバスに戻った。
 俺は寝苦しいシートにもたれて、ずっと目をつむっていた。シートの狭さにイラだっていた俺だったが、中村の言うとおり消灯してしまえば眠気はあっさりとやってきた。どうやら最近の寝不足が祟っていたらしい。昨日も満足して眠れなかったので、バスの揺れに次第にまどろんできて、俺はやがて、深い眠りへと、落ちていった。

  * * *

 ぶつぶつと、誰かの話し声が聞こえたのは、夜も遅い、三時を回った頃だった。
 バスは高速を直進していて、カーテンの隙間からオレンジ色の街灯の光が入り込んでいる。まさか俺の寝言で目が覚めたのかと思ったが、どうやらその声は俺の口からでは無く、すぐ横の男が話し込んでいる声だったようだ。
 俺は寝返りを打つようにして、声がする方を見た。
 ニット帽をかぶった男と、マスクをした男がなにやら話をしていた。
 最初こそ無視していたが、その二人は周囲に声が漏れていることに気付いていないようで、なにやら楽しそうに話をしている。クスクスとした笑い声は、こんな深夜ではあまりいい気はしない。何か真剣な打ち合わせならまだしも、ただの談笑で寝られないとなったらすこし腹が立つ。
「あの、すこし静かにしてもらえますか?」
 俺は小さな声で言った。できるだけ柔らかい口調になるようつとめた。別に責めるつもりはない。とりあえず声が聞こえていることに気付いて、話を押さえてくれたらそれで良かった。
 けれど、
 私のほうを振り返って、ニット帽をかぶった男が一言。
「はあ?」
 俺は耳を疑った。
 なんと言ったのか。いまこいつは何と言ったのか。迷惑だからやめてくれと、夜行バスの中で話をしているとうるさいから気をつけてくれと、そういうつもりで言った俺の忠告に対して、こいつは一体何と言ったのか。
 ——はあ?
 なんだお前。なんなんだお前。こっちが「はあ?」だバカたれ。お前、ここどこだと思ってんだ。周りの人がこれから何をしようとしているのか、ちょっとくらいちょっと周りを見渡してみたら少しは自分の状況がどんなものか分かりそうなものなのに。みんなの迷惑になるかもしれないなあってこと、少しくらい想像できそうなものなのに。そういう気遣いが少しもできないのだろうか。
 できないのだろう。まあいい。
 百歩譲って、気付かなかったとしよう。確かに話に熱中していたら周囲に対する注意が散漫になることもある。声のボリュームの調整を誤ることもある。うん。そういうこともあるだろう。じゃあそれは仕方ないとしよう。だけど、人から注意されたら普通悪かったなって思わないのだろうか。咄嗟に「ごめんなさい」ってなるのが普通ではないのか。人の迷惑になっていて、あまつさえ人に注意させてしまうほど気を遣わせたと思ったら申し訳なさで胃がすくむ思いになるけれど。こういう公共の場で、みんなの優しさによって成り立っている環境でそんなことすら気付かないなんて、俺にはちょっと理解できない。想像もつかない。
「いや、ですから、ほかの皆さんの迷惑になりますから、話すのを控えてもらえませんか?」
 奥のマスクが吹き出した。
「なんて?」
「聞こえんよな」
 くすくす。くすくす。くすくす。
「寝られないので静かにしてくださいって言っているんです」
「ん?」
 おちょくられてる、と思った。口調からそれを察した。
 イライラしていた。消灯された夜行バスの中で、話をすること自体がもう非常識だ。おかしい。人として間違っている。なめている。世の中をなめている。それでなくてもこっちは寝不足で辛いというのに。睡眠を他人からジャマされるほど苛立たしいことはない。
「静かにしろって言ってるんです」
「聞こえないなあ?」
 俺の堪忍袋の緒はすでに切れている。
 聞こえない?
 よろしい。ならば聞こえるように大きな声で言えばいいだけの話だ。後悔してももう遅い。この俺を怒らせたバツだ。こんな公共の場で、迷惑行為をするそいつらは、痛い目を見るべきなんだ。心に忘れられないほどの恥をかかせてやる。
 俺は肺にめいっぱい空気を入れた。腹に力を込める。容赦はしない。声に芯が残るようにして、バス中に響き渡るような大きな声で、
 俺は言った。

  * * *

「静かにしろって、言ってるだろ!!」

 そして、——目が覚めた。

自分の寝言で目が覚める

自分の寝言で目が覚める

寝言のせいでルームシェアを追い出された。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted