神様の一食

 人間にはあまり知られていない話ですが、1年に一度だけ、神様は食事をするために下界に降り立つ日があります。
 普段では空腹感や味覚を持たない神様ですが、この日だけは人間と同じ感覚を持つことができるため、神様は毎年この日を“一食”とお呼びになり、大変楽しみにしておられるのでした。
 そして今年も、神様は一食の日を迎えられたのでした。

「さて、ここが日本という国か、傍(かたわら)よ」
「左様でございます、神様」
神様と私は、日本のとある場所へ降り立ちました。申し遅れましたが、私は神様の身の回りのお世話をさせていただいております、傍という者でございます。
「では傍よ、さっそく寿司を食しに参ろうか」
「はい。時に神様」
「なんじゃ?」
「なぜ、今年はそのような若い娘の御姿をなさっておられるのですか?」
 国によって顔立ちは違えども、毎年神様は初老の紳士の御姿で下界に降り立たれるのですが、今年はなぜか若い娘の御姿をしておられたのでした。
「毎年ジジイでは飽きるからの。たまには若い娘も楽しかろう」
 そう仰りながら、神様は丈の長いスカートの裾をつまんで見せました。
「そういうお主は、なぜ毎年ババアなのじゃ?」
 申し遅れましたが、国によって顔立ちは違えども、毎年私は初老の淑女の姿でお供させていただいておりましたので、今年もまたこの国に合った初老の淑女の姿をしておりました。
「それは、神様とのバランスを取るためでございます」
「つまり、わしとお主は毎年夫婦として下界に降りていたのか?」
「左様でございます。その方が何かと都合がよろしかったので」
「気付かなんだ」
 無理もありません。神様にとって下界に降り立ったときの御姿は、取り換えの効く服のようなもの。その気になれば赤ん坊から青年まで、どんな御姿にもなれるのですから。
「では、いつものジジイに戻すか」
「いいえ、それには及びません。今年は孫娘と祖母として参りましょう」
「そうか。では、参ろう」
「はい」
 神様が寿司を召し上がりたい仰られた時から、私は下界の情報をかき集めておりました。この時代の日本のことならば十二分に把握しておりましたから、神様が若い娘の御姿で街中を散策されても危険はないだろうと判断しました。


「時に傍よ」
「はい」
「この国で、美味なるものを食した時は何という言葉で表現するのじゃ?」
「日本は言葉の種類が大変豊富な国でございます。美味だけでも複数の表現がございます。“美味しい” “美味い” “最高” 。それに、今の神様のような若い娘達独特の表現もあります」
「ほう。それはなんと言うのじゃ?」
「“ヤバい”です」
「・・・ふむ、なかなか強そうな響きじゃ。ぜひ使ってみよう」
 重ね重ね申しますが、私はこの時代の日本のことならば十二分に把握しておりました。


「時に傍よ」
「はい」
「あの小僧が泣きながら食しているものはなんじゃ?」
 神様が歩きながら指された先には公園がありました。その公園のベンチには少年が座っており、神様が仰られたとおり、泣きながら何かを食しておりました。
「あれは・・・恐らくおにぎりかと」
「おにぎり?」
「はい。寿司と同じく、この国を代表する郷土料理、の様な物でございます」
「ほぉ、それはあのように泣くほど美味いものなのか?」
「・・・それは返答しかねます」
「聞いてみるが早いか」
 そう仰ると、神様は少年の元へ歩いて行かれました。
「おい小僧、それは泣くほど美味いものなのか?」
「うわあ!?」
 少年が驚くのも無理はありません。神様はベンチにドンと片足を乗せると、膝の上に片肘をついて少年を間近で見降ろしていたのですから。もちろん、普段の神様の御姿ならばさほど違和感を感じることはありませんが、若い娘の御姿をされている今では、随分と迫力がありましたし、“本物の”あの年頃の娘ならば、見ず知らずの少年を相手にあのような格好をすることはないでしょう。
「そのおにぎりという物は、泣くほど美味いのかと聞いておる」
「な、泣いてなんかないよ!」
 少年は手の甲で目を擦りながら、膝の上に置かれたバスケットに覆いかぶさるように身を縮めました。
「いや、お前は泣いていたではないか」
「・・・泣いてない!」
「傍、どう思う?」
「恐らく、おにぎりの味とは別の理由で泣いていたものと思われます。私が調べた限り、おにぎりという食べ物はそこまで美味なものとは記載されておりませんでしたので」
「そうか。美味くないものなら用はない。邪魔したな、小僧」
 神様はベンチから足を上げると、少年に背を向けました。
「待てよ!」
 神様と私が立ち去ろうとした時でした。突然、少年が声を荒げたのです。
「母ちゃんが握ったおにぎりをバカにするな!」
 つい先ほどまで身を縮めていた少年が、すごい形相で神様を睨んでいました。
「バカになどしてはおらん。わしは美味いものを食したいだけだ」
「母ちゃんのおにぎりは世界一美味いんだ!」
「ほぉ、世界一と申すか」
 その時、神様の目つきが変わりました。私には神様が “読心※心を読むこと” をされるのだとわかりました。もちろん、少年はそんなことに気付くはずもなく、神様にその心を読まれておりました。
 その記憶は、神様を通して私の頭にも流れてきました。

———これは、少年の心の記憶

「お友達の誕生会?こっちに転校してきてから、アンタ呼ばれるの初めてじゃない!良かったねぇ!」
 そう言って嬉しそうに笑うのはきっと、少年の母親。
「母ちゃん早起きして、腕によりをかけて特製おにぎり握ってやるからね!」
 そう言われて恥ずかしそうに笑うのは、目の前にいるこの少年。

「え~!誕生会におにぎりなんか持ってくるかよ普通。お菓子とかだろ?」
 そう言って馬鹿にしたように笑うのはきっと、この少年の友人達。
「お前の母ちゃんが素手で握ったんだろ?そんなの食いたくねぇよ」

———そして記憶の最後、少年は泣きながら友人の家を飛び出して来た

「・・・そういうことか」
 静かにそう仰ると、神様は少年の隣に腰を降ろされました。
「お前、その残ったおにぎりをどうするつもりじゃ?」
「・・・お姉ちゃんには関係ないだろ」
 もはや少年の目に怒りの色は宿っておりませんでしたが、代わりに戸惑いの色が深くなっているようでした。開いていないバスケットの中身を、神様がおにぎりと言い当てたことに、少年は驚いていたのでしょう。
「お前一人で、その全てを平らげるつもりか?そうして母親には“皆が美味いと言って食った”と偽りを話すつもりか?そんなことをして、母親が本当に喜ぶと思うのか?」
「・・・」
 少年の戸惑いの色は更に色濃くなりました。なぜ見ず知らずの相手に、今日起こった出来事が全て見透かされているのか、少年には分かるはずもないでしょう。
「母親はお前の喜ぶ顔が見たくて、丹精込めて作ったのではないのか?お前を泣かせるために作ったのではないだろう」
「だって!アイツらが———」
「その時お前は何をした?戦うこともせずに逃げ出したのではないか?」
「・・・」
「そのおにぎりはそこいらのおにぎりとは違うのだろう?お前にとって世界一なのだろう?ならばその名誉のためにも、お前は戦うべきだったのではないか?わしを睨みつけた、あの時のようにな」
 少年は唇を噛みしめたまま、ジッと膝の上のバスケットを見つめていました。その目には、再び涙が滲んでいるようでした。
「まぁ、起きてしまった過去を変えることはできぬが、未来は変えることができる」
 そう仰りますと、神様は少年に手を差し出しました。
「わしに一つ、その世界一のおにぎりをくれまいか?」
「え?」
 少年は、戸惑いながら神様と私を交互に見ていました。
「よろしいのですか?」
「構わん」
 私が口をはさみますと、神様は直ぐにそう仰いました。
 神様が一食で召し上がれるのは、一度の食事のみでございました。もしも今、少年のおにぎりを召し上がってしまわれますと、今年の一食は終いになってしまいます。しかしそれは、私がわざわざ確認するまでもないことでありました。
「どうだ小僧、ここに一人、世界一のおにぎりを食したいと申しておる者がいるのだぞ?」
「・・・別に、いいけど」
 そう言うと、少年はバスケットからおにぎりを取り出して、一つ、神様に手渡しました。
「ほう、面白い形をしておる。米を丸めて海苔で巻いたものだな」
「・・・おにぎり知らないの?」
「まぁ、細かいことは気にするでない。では、いただくとしよう」
 そう仰りますと、神様はこれまた本当のその年頃の娘ならばしない程大きく口をお開けになり、おにぎりを頬張られました。
「・・・うん、うん」
「・・・」
 その様子を少年はジッと、それでもどこか不安そうに見ていました。
「・・・うん、美味い、ではなかったの。ええと、何だったかの?」
 神様が私に視線を送ってこられたので、私はすかさず神様に耳打ちして差し上げました。
「うん、これはヤバい」
 そう言って、ニッと歯をむき出して笑われた神様。その瞬間、少年の顔がパッと明るくなったのでした。
「これも美味いよ!この梅干し、田舎のばあちゃんが漬けたんだ!こっちの鮭はね———」
 それから、神様は少年に勧められるままに、おにぎりを3つ召し上がりになられたのでした。

「美味かった。いや、どれもヤバかったぞ小僧」
「だから言っただろ?母ちゃんのおにぎりは世界一だって!」
「・・・ああ、そうじゃな」
 神様は少し寂しそうなお顔をされましたが、直ぐに笑顔に戻り少年の頭をポンと叩きました。
「これを食わなんだお前の友人は、誠に損なことをした」
「そうさ!」
「小僧、もう一度だけ言うておくぞ」
 神様はベンチから立ち上がりますと、少年の顔を見ることなく仰りました。
「過去は変えることはできんが、このように未来なら変えることができる。求めるならば己で考え、赴くがいい」
「・・・お姉ちゃん、なんか変な人だね」
「通りすがりの変な娘じゃ。馳走になったな。さらばじゃ小僧」
 こうして、神様と私は少年を残して公園を出たのでありました。


「どれ、天界へ帰るとするか」
 一食を終えた神様と私は、天界に帰るべく空の良く見える高台へとやって参りました。すっかり暮れた日が、街中を茜色に染めていました。   
「・・・やはり、悔やまれる」
「残念ですが、寿司はまた来年に———」
「そのことではない」
 神様は高台に設置されていた遊具の周りをゆっくり周られると、鉄棒の前で立ち止まりました。そして娘の御姿のまま鉄棒に飛び乗ると、細い棒の上に腰をかけられました。
「この国の人間は、口をそろえて寿司が美味いと言うておった。だからわしも食してみたいと思うたのだ」
「はい」
「しかし皆、口ではそう言っていても、本当に一番美味いものはきっと別にあるのだ。あの小僧のようにな。なぜだと思う?」
 神様は夕日に染まる街並みに、目を細めていらっしゃいました。その横顔からは喜びと悲しみの両方が感じ取れました。
「心が、そうさせておるのだ。正直、わしにとってあのおにぎりは普通の味でしかなかった。しかし、あの小僧にとっては母親が愛情を込めて握った特別なものだ。それこそ偽りなどなく世界一の味なのだろう。そしてそれは、あの小僧にしか味わえないものに違いない」
 神様の手はまるでさっきのおにぎりを持っているかのように、少し開かれておりました。
「一食の度に思うのだ。例え幾度となく一食を繰り返しても、人間のように心を持たぬわしには、どんなに美味い物を食してもその味がそれ以上のものになることは決してないと。この国だけではない。これまでもそうだったではないか」
「・・・」
「神などと仰々しく名乗っておきながら、心を待たぬ自分が悔やしいのだ。そして、人間が羨ましい」
「そんなことはございませぬ」
 私は神様の傍らに立ち、同じように街並みを眺めました。
「あの少年と母親の心を憂い、道をお示しになられたではありませんか」
「あんなもの、おにぎりを食すための口実でしかない。わしは世界一のおにぎりを食したかっただけじゃ」
「欲もまた、心があるが故でございます」
「上手く言いよる」
 そう仰りながら、神様はククッと笑われました。
「お望みとあれば、私の千里眼であの少年を覗いてみますが?」
「いや、いい。それにお主、わしの泣き言が続かぬよう、わざと話を変えようとしておるのだろう?」
「・・・返す言葉もございません」
 それもまた、神様の身の回りのお世話をさせていただいております、私の役目でありました。
「まあよい。来年こそは寿司を食しに参ろうぞ、傍よ」
 神様は勢いよく鉄棒から飛び降りました。
「はい神様。来年もお供させていただきます」

 こうして、神様は今年の一食の日を終えられたのでした。
 以前、神様がこう申しておりました。「食を探す旅は、心を求める旅だ」と。毎年の一食を重ねるごとに、私にはその言葉の意味が少しずつわかってまいりました。
 一食はたった一日ではありますが、あらゆる時代、あらゆる国々を神様と共に歩き、その中で出会う様々な食事と様々な人間の心。美しい料理があれば汚らわしい心もあり、また、その逆も然り。その度に、神様と私は善しも悪しも人間の心を感じて参りました。そして、その旅はこれからも続くことでしょう。
 そしていつの日にか、神様がその旅の行く末に満足される答えを見つけられることを、私はその傍らで祈っております。


お題【今年の食事】にて

神様の一食

神様の一食

人間にはあまり知られていない話ですが、1年に一度だけ、神様は食事をするために下界に降り立つ日があります。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-05

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