オリジナル小説「空中要塞「髑髏館」」(全年齢対象BL・無料)

西崎宮都(にしざきみやと)

 いのまたむつみさんの、「月の声星の夢」という画集の中にあった一枚の絵をものすごく気に入ったので書こうとした話である。
 浅黒い肌、波打つ黒髪を持つ筋肉りゅうりゅうの戦士が、美しく白い肌に、青い瞳、少し色素が薄いが金色のふわふわした髪を持つ少年に剣で腹を貫かれている。背中から突き出した剣からは血が滴り落ちているが、戦士の顔は比較的穏やかである。彼の手は剣を握り締めた少年の手に添えられているが、自分の腹にひきつけているようにも見えるし、反対に押し返そうとしているようにも見える。反対の手は少年の首に置かれていて、少年をくびり殺そうとしているようにも見えるが、自分のほうに抱き寄せているようにも見える。単純な構成のようで、彼らの瞳が語っているものはものすごく深い。
 ……と絵から私は感じた。
 まさに、その絵をラストシーンに置きたいがために書いた話なのだ。気がついてみると男同士の禁断の愛になっていた……。
 書いている途中で、「髑髏館」を題とする小説を応募すると言うものがあり、名前も何もなかった浮遊城砦を「髑髏館」という名の空中要塞にし、他にも「髑髏」「髑髏」とちょっと大量に使いすぎた。また、原稿用紙50枚というのに二万文字書き(約70ページになっていた)、それを何とかいろいろと削り、削りすぎて加え……とするうちに、はじめのコンセプトとは微妙に違うものになった。少年を神がかり的なものにするつもりはなかったのに、最後には何かがとりついたようになっている。戦士はもっと強い人間で、少年を虐待でもさせようと思っていたのに、どうもただの死にたがりやの男となってしまったようでちょっと残念である。

 乾ききった山脈が囲み、延々と砂漠が連なっている。そんな住むのに適さない場所でも人は日々を送っているものだ。ここスカプラー砂漠でも、貴重なオアシスを囲むように幾つかの小国が存在し、日課のように戦いを繰り広げていた。その中でもここ十年で急激に勢力を伸ばした国があった。山脈から吹き降りてくる風の名前を持つ国、スルト王国である。老いたがまだまだ好戦的な王は、周辺四国を征服しただけでは飽き足らず、さらに南にある国、イラセを手中に収めようと考えていた。
「頼んだぞ、コクサクスよ」
 王の間には幾名かの近衛がそろっていた。その中でもひときわ目立つ大男が、国中の兵を統率する近衛大将コクサクスである。王の言葉を受け、彼はひざをついたままの姿勢で大きく礼をした。
「コクサクス、がんばってね」
 場には少々不釣り合いな子供の声が響く。王座の隣には小さな椅子があり、少年が座っていた。王の一人息子、フィブラである。山脈を越えた国からきた母の姿をそのままうつしたような白皙の肌と少し色素が薄い金色の髪を持つ美しい少年。彼のことは広く知れ渡っており、褐色の肌と波打った黒髪が一般的なスカプラー砂漠の者たちから神の落とし子と呼ばれるほどだった。
 フィブラは赤い絨毯の上を走り、コクサクスの前まで行った。
「王子、もったいないお言葉でございます」
 コクサクスはフィブラの頭を握りつぶしてしまうほど大きな手で頭をなでた。少年は軽く顔をしかめる。
「僕はいつまでも子供ではないよ」
「それは失礼しました」
 コクサクスは微笑んで膝をつき、王子の手の甲に額を乗せた。永遠の忠誠を誓う印である。フィブラもコクサクスの肩に手を乗せる。
「では、行って参ります」
 コクサクスはすっと立ち上がった。フィブラは彼の大きな後ろ姿が扉の奥に消えるまでずっと見送った。
「父王、コクサクスは帰って来るよね」
「あぁ。奴は強い。奴がいる限りこの国は安泰だ。だがお前も後々はこの国を背負って立つもの。王は誰よりも強くなければならないからな」
「コクサクスよりも?」
「あぁ」
「父王って、コクサクスよりも強いの?」
 フィブラは驚いて父の元へと駆け寄った。大柄でたくましいコクサクスと、老齢の父親とは到底比べものにならないように思われたのだ。
「剣の腕ではコクサクスに敵わないだろう。だが、コクサクスはわしに仕えている。強いものをひざまずかせることこそが王の強さだ。王は常に一番強くなければならぬ。お前も強くなれ。髑髏館に乗るためにもな」
 王はゆっくりと幼い息子に言い聞かせた。


 翌日、フィブラは馬車で王都の端まで行った。目的地にある灰色の物体は、王宮からも熱い日の光を浴びて蜃気楼のように揺ら揺らと見えている。幼いフィブラはそれがどういうものかほとんど理解できなかったが、飛空要塞「髑髏館」という名前、そしてそれに乗ってコクサクスが戦いに出ることは知っていた。
 下から眺めると、空を隠してしまうほど大きな要塞の姿は銀色に煌き、どんな場所へでも行くことができ、どんなことでもできそうだった。そこには国中から集められた兵たちが一列に並び、次々に階段を登っては吸い込まれるように消えて行く。コクサクスの姿を見つけたフィブラは真っ先に駆け寄った。
「見送りに来てくださったのですか」
「コクサクスのことが心配だったし」
「本当は髑髏館が見たかったからでしょう?」
 フィブラはくすっと笑い、コクサクスの腕に抱きついた。
「僕も髑髏館に乗って戦いに行きたいな」
「王子にはまだ早いですね。もう少し大きく、強くなられたら嫌とおっしゃっても無理やり乗せてさし上げますよ」
 陶磁のような肌に浮かぶ穢れなき蒼い瞳に見つめられると歴戦の勇者も顔をほころばせた。
「でもコクサクスはどうして強いの? この大きな剣が強いの?」
 フィブラはコクサクスの後ろに回って、彼が背負っている剣の鞘に触れてみた。使いこまれた皮の鞘はささくれだっており、小さな手では触るだけで切れてしまいそうだ。
「持ってみますか」
 コクサクスは剣をすっと抜いて差し出した。フィブラは剣の柄に手を添えてみた。コクサクスが少し力を抜くだけでフィブラの手にがくっと重さがかかる。
「これを振りまわせるなんてやっぱりコクサクスは凄いんだね。僕もこの剣が使えるようになるかな」
「えぇ。なると思いますよ。では王子、そろそろ行ってまいります」
 コクサクスは王子の前でひざを突き、手の甲をとって額を乗せた。フィブラは手をすっと抜き、両手でコクサクスの首を力一杯抱きしめた。
「僕、コクサクスが一番好きだから、早く帰ってきてね」
「分かってますよ」
 コクサクスも両手で王子の背中を抱いてやる。少しでも力を入れると細い背中は折れてしまいそうだ。
 準備が整った合図として、髑髏館の動力部分がひときわ高い唸り声を上げた。フィブラはその音に驚いて手を離す。コクサクスはゆっくりと王子を押しもどした。
「王子、中へ」
 御者がフィブラの元へ駆けてきて、早く馬車に乗るようにせかした。
「もう少し」
「駄目ですよ。髑髏館のそばにいたら吹き飛ばされてしまいます」
 御者がフィブラの手を取っている間に、コクサクスは髑髏館へと通じる階段へ足を乗せていた。彼が最後の乗員だったようで、半ばも昇らぬうちに階段はするすると髑髏館の中に吸い込まれた。
 御者はフィブラを馬車の中に押しこんできっちりと扉を閉め、すぐに馬車を走らせた。樽のような髑髏館は徐々に空へと浮きあがっていくのが砂霞の中でぼおっと見える。フィブラは小さくなっていく髑髏館を窓からいつまでも見送っていた。


 髑髏館が旅立ってからスルト王国の上を二つの月が二回ずつ回った。フィブラはコクサクスを待ちながら、少しづつ剣を学んだ。まだ少し幼さが残る顔立ちに浮かぶ心からの笑顔、純真な心をそのまま映し出したような眼差し。幼い子供は白皙の肌と湖の瞳をそのままに少しだけ成長した。
 時は緩やかに過ぎていく。髑髏館がまだ戻って来ないことだけが気がかりであった。周辺国を制圧してしまったとは言え、今は国を代表する近衛の大部分や兵、そして何より一番の武器としての髑髏館がないのだ。
 そして、前置きもなくその恐れは現実になった。
 
 
「敵襲です!」
 夜も遅く、門番兵が王宮に走り込んできた。迎えた家臣たちは慌てて王を起こす。
「南方から、軍隊が。セス国に違いありません」
 セス国とは、スルト王国を取り囲む四つの国の中で一番強大であり、最後まで抵抗を続けていた国である。髑髏館からと地上からの総攻撃でようやく制圧したのだ。兵の報告を聞き、王宮中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「すぐに兵を集めよ」
 王の命令が王都中に飛ぶ。だが兵の大部分が髑髏館に乗って国を出ているのだ。召集に集まった兵は通常の十分の一にも満たない。
「敵軍はどれくらいだ」
「ざっと、通常の我が軍の半分ほど」
 老齢の王は思わず咳き込んだ。フィブラが慌てて王の背中をさする。
「大丈夫だ、フィブラ。我が国がセスごときに引けを取ると思ってか。髑髏館はまだ戻らぬのか?」
 まだ連絡なしと兵が叫び返す。
 王は正面のバルコニーに立った。下の広場に集まった人々にはすでに王宮の武器庫に残った武器のすべてが放出されている。王が姿をあらわすと歓声とともに真新しい武器を持った手が上がり、王をたたえた。
「スルト王国は永遠なり」
 王が叫んで指揮杖を高く上げると、再び歓声が巻き起こる。バルコニーの仕切りは高いのでまだ背が低いフィブラは外を見ることができなかったが、側の花壇によじ登って何とか顔を出した。王子を見て更なる歓声が巻き起こる。
 
 
 すべての兵が動き出してから長い一日が過ぎ去った。王の元に入る報告はその顔を険しくさせるばかりである。フィブラも腰に剣をつけ、王の前とバルコニーとを行ったり来たりしていた。
 夜のとばりが降りた王都は随分と静かだった。フィブラが外を眺めていると、突然真っ黒な空からふっと小さな光が舞いおりた。目で追うと落ちた付近がぽっと光る。
「父王、星が落ちてきた」
「星なぞ落ちるわけはない。もう眠いのだろう」
「いえ、確かに」
 フィブラは食い入るように空を見つめた。王もバルコニーにやってくる。
「ほら、あそこ。また」
 フィブラの指差す方を見て王は身を乗り出し、次にフィブラの頭をなでた。
「星ではない、あれは髑髏館からの炎だ」
 飛空要塞「髑髏館」は遠くの国まで兵を安全に運ぶことが目的で作られたが、地上への攻撃手段として火壷と呼ばれるものを使っている。油を入れた壷に火をつけて落とすだけという原始的な兵器だったが、敵国の都や兵の集団に対しては圧倒的な力を誇っていた。
 知らせはすぐに王都中に舞い、危機は去ったとその夜のうちに宴会の準備が進んだ。
 だが、それがぬか喜びだと王が知ったのは二つの月がまだほとんど動かないうちだったのである。
 闇に紛れて忍び寄った銀色の悪魔はあっという間に王都を飛び越し、王宮までやってきた。間近で落とされた火壷は庭を直撃し、植え込みを灰と化した。その炎に照らし出されたのは天から降りてきた岩、いや、飛空要塞だった。目覚めてその存在に気がついた者は皆それがまだ悪夢の続きだと思った。だが、空に浮かぶ樽型の鉄塊を見間違えるはずはない。銀色の救世主、髑髏館。王宮へ第二の火壷が投下され、夢ではないと人々は身をもって知らされた。
「いったい、どうしたことだ」
 王を守るために残っていた次将が顔色を変えて飛んできた。
「あれは髑髏館に間違いありません。敵に乗っ取られたのでしょう。早くお逃げ下さい」
「私は逃げるわけにはいかぬ。だが、フィブラだけは連れて逃げてくれ」
 王はフィブラを次将の元へ押しやった。次将はフィブラの手を掴み、反対の手で王の手もつかんだ。
「そんなことをおっしゃっている暇はありません。すぐに火が回ります。ひとまず外へ」
 突然、バルコニーに通じる開け放たれたままの窓から突風が吹きこんでカーテンを垂直に舞い上がらせた。がたがたと耳が潰れるほどの爆音が間近で聞こえる。
「髑髏館!」
 誰からともなく悲鳴を上げる。耳をふさぎ、突風に耐えながらバルコニーの外を眺めると、外を覆い隠しているのは灰色の姿。幾つも並んだ丸い窓が妖しく光りながら流れていく。轟音とともに髑髏館は接近し、バルコニーの仕切りが崩れ落ちた。
 縄梯子につかまって人影がバルコニーに降り立つ。揺れた炎でその精悍な顔がはっきりと映し出された。
「コクサクス!」
 フィブラはその姿を見て叫び、喜びのあまり飛びあがった。
「コクサクスか? どういうことだ」
 次将はそう問うたものの、答えは半ば分かっているようなものだった。コクサクスがまとっている服はセスのもの。動きを妨げない部分鎧の上からたすきがけにしている布は緑。セス国上位兵を意味する色だ。
「よかった、無事だったんだね」
 コクサクスに駆け寄ろうとしたフィブラを王は後ろ手で止めた。コクサクスはバルコニーから部屋へすっと入り、太い剣を背中から抜く。飛びかかっていった次将の剣を軽く打ち返し、胴をなぎ払った。あっけなく次将は床に倒れる。真紅に染まった剣をコクサクスは王の方に真っ直ぐ向けた。
「王よ。民のため、そしてスルト王国のために死んでもらう」
「わしはまだ死ねぬ。国のためにも、フィブラのためにも」
 王は足にしがみつくフィブラを振り払い、剣を抜いた。だが、次将でさえ一瞬で打ち倒したコクサクスに老齢の王がたちうちできるはずもない。コクサクスは向かってくる剣を軽くあしらい、王の肩から腰まで真っ直ぐに切り裂いた。王はゆっくりと膝をつき、人形のようにばたっと前に倒れた。
「どうして、どうしてなの……」
 フィブラはよろよろと血だまりの中を歩いて王を見下ろした。コクサクスは血で染まった片手でがたがた震えているフィブラの左頬から右頬にかけてなでる。白皙の頬が赤く染まり、少年はその臭いを鼻一杯に嗅いでしまい目を見開いた。そのままコクサクスは少年の首を掴み高く持ち上げる。
「コクサクス殿、終わりましたか」
 入り口からセス兵が幾人か入ってくる。血の海の中、赤く染まった剣を片手で持ち、美しい少年を反対の手で持ち上げて殺そうとしているコクサクスの姿は、揺らめく炎に照らされて壮絶な印象を兵たちに与えた。
「王子は連れて戻れというお達しが……」
 コクサクスに睨まれて、兵たちは敬礼もおざなりにいそいそと部屋から出ていった。
「どうして……」
 フィブラはコクサクスの手首を両手で掴み、声を絞り出した。熱い涙が焦点を失った瞳から止めどもなく流れ落ち、コクサクスの手を濡らして床に落ちた。コクサクスはフィブラの首からすっと手を離した。少年は血だまりの中に倒れこみ、こほこほと乾いた咳をしながら必死で王のそばに這い寄った。こときれた王を揺さぶるたびに体中が王の血で染まっていく。
「王は、死んだ」
 コクサクスはフィブラの肩を掴んで立ちあがらせた。
「痛い。でも、父王の方がもっと痛いよね」
 フィブラはコクサクスを上目遣いで見た。その瞳は何も映していないかのようにただ深く、青い。
「王は死んだ。もう二度と痛がることはない」
 コクサクスはフィブラをつかんだまま王の体を蹴飛ばした。仰向けになった王の瞳は大きく見開き、コクサクスを睨んだ。その目に気圧されるようにフィブラの肩を突き飛ばす。
「髑髏館に戻る。お前も来るのだ」
 タスペトリからバルコニーのカーテンへ、そしてたっぷり血を含んだ絨毯へと徐々に炎はその勢力を広げていた。よろよろと立ちあがろうとしているフィブラをちらっと見てコクサクスは暗い階段へと踏み出した。数歩降りて振り返るが、少年の姿はない。
「王は死んだと言っているだろう。早く来い」
「コクサクス、父王、どこにいるの……」
 コクサクスはふらふらとさまよっている少年の姿を目で追った。血に濡れた腕でゆっくりと空気をかきながら歩く姿はまるで……。
「フィブラ、どうした」
 コクサクスは必死で手を伸ばすが一瞬の差で間に合わない。フィブラは死体に足を引っ掛け、手もつくことができず炎の中に倒れた。絶叫が王宮に響きわたる。


 それから二日。近衛大将、髑髏館という両戦力を奪われた上に王をも失ったスルト王国は、抵抗らしき抵抗もできずにセス国に占領されていた。失われた命を嘆く声が耐えぬ王都ではセス兵が我が物顔で歩き、人々から容赦なく略奪した。
 髑髏館はセス国王城の上で所在なさげに漂っていた。右腕、肩、そして頬から額にかけて包帯で覆われたフィブラは髑髏館の一室に幽閉されていた。床は常に震え、時々大きな揺れが襲う。振動で傷がきりきりと痛んだ。
 いつか強くなったら、コクサクスと一緒に髑髏館に乗りたい。広い甲板に立ち、世界を上から眺めたい。そんなことを考えていたのはいったいいつのことだったのだろう。目を閉じると包帯が少し動いて額に疼きが走り、フィブラは手で頭を押さえた。
 時間の感覚もないフィブラは何が起きたのかを呆然と思い出しながら時を過ごしていた。コクサクスが自分の父を殺したことは知っている。彼が自分の首をつかんだ感触も覚えている。苦しくて、苦しくて、どんどん力が抜けていった。自分も父と同じようにコクサクスに殺されるのがはっきりと分かった。
 自分が最後に見たのは彼の瞳だった。その目に映っていたものは一体何だったのだろう? それだけはいくら考えても理解できなかった。
 数度の食事の後、フィブラの目を覆う包帯は外された。だが、その瞳は光のある場所を見つけることはできない。目が見えなくなったと分かっても、もうどうでも良いことのようだった。

 同じ頃、コクサクスはセス国王以下高官たちと向かい合っていた。
「御苦労だった」
 コクサクスと年はさほどかわらない壮年の国王は、王座から立ちあがってコクサクスを少し前に呼んだ。
「そなたと髑髏館の働きにより、我がセスは長年の雪辱を晴らすことができた。これからも我がためにがんばってもらいたい」
 コクサクスは謁見の間を出てすぐ、壁に手をそえて大きく息をついた。気がつかない間に冷や汗があふれているのが分かる。自分の決断で故郷であるスルト王国を見捨てセスについた。この手で王を殺した。決心し、迷いもないはずだったのにこうして終わってしまうと自分は大変な過ちを犯してしまったような気がしてならない。
 自分と部下の身を守るためだとは言え、犠牲はあまりにも大きすぎた。


 フィブラは廊下側の壁に持たれてみた。薄い壁を通して兵たちの声を聞いていると、髑髏館の向かう場所、そして向かう運命までも少年は知った。夜が訪れても何も変わらなかった。目を閉じても開いても、前にあるのはただの闇なのだから。夢だけは色がついていた。思い出の風景がいくつも現れては消え、フィブラは幾度となく枕元を濡らした。
 幾晩か過ぎ去った後、小さなかつかつという音で彼は目を覚ました。足音がやんだ後すぐに鍵を開ける音が響く。足音の主が近づいて来るのを聞きながら彼はそっと目を閉じた。
 その人物がベッドに座ったらしく、ベッドが少し傾いた。両肩が軽く掴まれ、そこからの温もりが全身に回って来る。手が火傷を負った頬に乗せられ、ゆっくりとなでられる。
「この目から光を奪ったのは、俺だ。この肌から潤いを吸い取ったのも……」
 フィブラは驚きのあまりごくっとつばを飲み込んだ。顔中に熱い吐息がかかる。耳元で響く声はかすれているが確かに聞き覚えがあった。
「すまない、フィブラ……」
 今すぐ目を開けてその瞳を覗きこみたかった。痩せ細ってきた腕を、首に回したかった。だがフィブラは動かなかった。頭の中でぐるぐると回りつづけている疑問を今すぐに投げつけたかったが耐えた。
 突然手が止まりすっと頬から離れる。がたっと音がしてベッドが揺れた。
「俺は……」
 コクサクスは暗い部屋を飛び出し、自分の部屋へ走り戻った。一度はこの手で殺そうとし、自分のせいで光を失った王子。そんな彼に対して自分は何をしようとしていたのだろう。頭を下げて謝ろうとでもしたのだろうか。
 彼の姿を見た途端、自分が失った物すべてが走馬灯のように頭の中を駆け巡ったように感じた。自分が犠牲にしたものはどれだけ大切なものだったのだろう。
 割れるように頭が痛み、コクサクスはその晩何度も悪夢を見ては飛び起きた。


 翌日、セス国高官たちはコクサクスを王城へと呼びつけた。部屋へ入ったコクサクスを全員で囲んでから高官たちは話を切り出す。
「フィブラ王子の公開処刑をそろそろ行いたいと思うのだが」
 一瞬コクサクスはびくっとしたが、すぐに平静を装った。
「王子を連れて来いといったのはそのためだったのですか」
「神のように美しい王子だと噂に名高いではないか。神を処刑することで我が国は永遠なる力を手にすることができると伝説にある」
 確かに、王子はたぐいまれな美しさをもっている。だが、しょせんはただの無力な、盲目の少年だ。そんな彼を殺すことで永遠の力が手に入るのだと本気で考えているのならばセス国の人間は馬鹿者ぞろいだ。コクサクスはそう思ったが、正面きって否定できなかった。彼自身もフィブラのことを神のようだと思う時があったからだ。
「それよりも、王は心配しておられるのだ。お前が王子と共に我が国に歯向かうのをな」
 高官はいやらしい笑みを浮かべてその反応を楽しむようにコクサクスを下から眺めた。
「まだ俺を信じていないのか。この国のために、祖国をも滅ぼしたというのに!」
 思わずコクサクスは叫び、一歩大きく踏み出した。高官たちは逃げるように数歩引く。
「そうだ、お前のその反抗的な目だ。突然祖国を滅ぼすような者をそう簡単に信用できるのか? 王は信じきっているようだが、我らの目は欺けぬ」
 高官の一人が紙切れをコクサクスの前に付き出した。
『コクサクス以下髑髏館にイラセ国討伐を命ずる』
 酷く簡単な文面に、国王のサインがついている。
「お前が滅ぼしそこねたイラセ国を滅ぼすのだ。成功すれば忠誠を誓った印と認める」
 イラセ国討伐とは、コクサクスがスルト国王から受けた最後の命令であった。南方にある大国で、髑髏館並みの飛空要塞を持ち、かつてスルト、セスに攻めてきたことがある。スルトは髑髏館で何とか撃退したが、セスは壊滅的な打撃を被り、その後スルトからの軍を防ぎきることができなかったのだ。
「王子の処刑はイラセ国制圧後の祝賀会で行なう。それまでは城の地下室だ。スルトの兵はしばらくこの国で休息を取らせるとよい。代わりに優秀なるセス兵を遣わそう」
 コクサクスは簡単に握りつぶすことができそうな老人の頭を睨みつけた。
「もしお前が帰ってこなければ、どうなるか分かっていような。準備ができしだい出発し、すぐに髑髏館をその名の通りイラセ兵の髑髏で一杯にしてくるのだ」
 コクサクスは一礼して部屋を出た。


 コクサクスは髑髏館へ部下を遣わせ、自分と共に故郷に刃を向けた近衛たちを内密に街へ呼び出した。話をすると小さな宿屋の一室は怒りで包まれる。
「そもそも、俺たちがセス国についた理由は、イラセ国に戦いを挑んでも勝ち目がないということが十分に分かっていたからだ」
 近衛中将が真っ先に拳をテーブルに叩きつけた。
「スルト国王は戦いを望みすぎた。我らはもう戦いなど望んでいないというのに。戦いを望む国はやがて滅びる」
「こんなことになるのならば王に進言すべきだったのだ。無駄な戦いはやめてくれと」
 近衛の地位についていた者たちは、コクサクス以外全員がセス国一般兵と同じ橙色の布をたすきがけにしている。それはセス国が近衛としての彼らを認めなかったことを意味するので、近衛たちはセス国に頭を下げたことを完全に後悔していた。その上、民は傷つけないという約束でスルト王都制圧にも参加した彼らの目の前で、セス兵は王都に幾つもの火壷を投下したのだ。王だけを殺して王宮を制圧し平和的解決を望んでいた彼らにとって大きな誤算だった。
 セスはかつてスルトに壊滅の危機にさらされたことがあり未だ恨みを持っている者が多いということに気がつかなかったのは、かつて勝利者だった彼らのおごりだろう。
「どうすればいいんだ!」
 口々に叫ぶ近衛たちを押さえ、コクサクスは静かに言った。
「一つはっきりしていることは、もう俺たちは引き返すことができない、それだけだ。道は、二つに一つ。このままセス国に従い、イラセ国に攻め入るか。それとも、この服を脱ぎ捨てるか」
 セス兵の象徴であるたすきがけの布をコクサクスはぐいと引っ張った。


 イラセ国討伐用の武器や火壷などは既に運び込んであった。あとはフィブラとスルト兵を髑髏館から出し、代わりにセス兵たちを乗せるだけだ。
 髑髏館へ戻った近衛たちは、一つめの月が山から顔を出す時間を待った。コクサクスは髑髏館の中にいる隊長クラスのセス兵を出陣前の晩餐と称して一つの部屋に集めた。食事を乗せた台を押して部屋に入ってきたコクサクス直属の部下たちは、彼らを叫び声一つ上げさせずに一掃した。後は入り口を完全に固め、中央の部屋にとったばかりの首を並べるとそれでかたがついた。
「抵抗する者は髑髏部屋にぶち込む」
 コクサクスの大声が要塞中に響くと、大部分の兵はそれだけで黙ってしまったのだ。
 髑髏部屋―――これこそが、この飛空要塞が「髑髏館」という奇妙な名で呼ばれるようになった由来である。後方入り口、動力炉のそばにその部屋はあった。他国に攻め入り制圧した際に兵たちが持って帰った首、情報をすべて喋り尽くした捕虜などを分厚い扉の中に入れてしまう。一見普通の部屋だが、一度髑髏館が空に舞い上がると動力炉に通じている床がぱっくりと開く。そして動力炉から出る熱で燃やされ、更なる動力となる。帰還の際の髑髏館の動力は大部分が死体を燃やす際に出る熱で賄われていた。燃え残った骨は髑髏管理室と呼ばれる別の部屋に移される。
 髑髏部屋に生きたまま入れられると、首だけになった仲間たちと共に乾燥機で体中から水分を奪われ、ゆっくりとした死を迎えるのである。たとえ乾燥に耐えたとしても、その後襲い来る炎によって焼け死ぬのだ。
 この飛空要塞を開発したのは山の向こうにある大国である。スカプラー砂漠の小国でしかないスルトに姫を嫁がせる際の護衛かつ贈り物として渡ってきたのだった。大国を背後につけ、砂漠で最高の性能を持つ要塞を手に入れた王は、周辺国を次々に制圧していった。髑髏館にはその名に決して負けることのない血生臭い話が付きまとっている。
 簡単に髑髏館はスルト兵の手に戻った。幾人かは髑髏部屋へ送られ、次の旅への動力となることが決まった。次の旅はの目的地は目と鼻の先にあるセス国王城である。十分過ぎるほどの食事を準備された髑髏館はその夜のうちに舞い上がった。

 戦いが繰り広げられている間もフィブラは壁に持たれて座っていた。その手には一本の細身剣がある。今朝の食事を運んできた兵が、いざと言う時に自分の身を守るようにとフィブラに渡したものだ。手を切らないようにすっと刃に手を触れてみると研ぎ澄まされた美しさを感じることができるようだった。剣をベッドのそばに隠してから横になった。
 この剣を振るうべき相手を、彼は一人しか思いつかなかった。父王を殺し、国を滅ぼした相手だ。目が見えない自分が本当にそんなことができるのか。だが、何としてもやり遂げなければいけない。少年は目を閉じて策を練りはじめた。
 しばらくすると徐々に大気が熱を持ち始めた。髑髏館が飛び立つ前触れである。ベッドは彼を落とそうとするように飛び跳ねる。大地から離れるとき髑髏館はひときわ大きな声を上げ、喜びで体を震わせた。


 その夜のうちに、セス国への攻撃が始まった。火壷を王城に次々に投下すると明日からの戦いのためにと準備された豪華な晩餐会は火の海と化し、再建されてまだ十年も経ていない小さな王城は簡単に燃え上がった。混乱する王都に乗りこんだスルト兵は、慌てて飛び出してくるセス兵を正面玄関で迎え撃った。あっという間に勝敗は決まった。
 髑髏館は再び膨大なエネルギーを得て、意気揚揚と飛び上がった。


 完全にセスを手中に収めた後、髑髏館では宴会が始まった。かつてセス国を破ったことがある兵たちは、二度目の勝利に複雑な思いを抱きながらも盛り上がっている。
 コクサクスもその中に混じってかなり酒を飲んでいた。飲んでいないとやりきれなかった。自分がスルト王国を裏切ってまでセス国と手を結び、ほとんど時が経たないまま相手の手を切り落としたのだ。近衛たちと決めたことだが、兵の中には自分を恨んでいる者も多いだろう。宴もたけなわの頃、コクサクスは酒瓶を手に掴んだままそっと場を離れた。
 足元をふらつかせながらも他に行くところもなく、彼はフィブラの部屋の扉を叩いた。そんなことをしたところで外から鍵をかけている部屋が開くわけがない。気がついた彼は扉を蹴り飛ばしてから鍵を開けた。
 フィブラはベッドに横たわったまま彼を迎えた。
「セスは落ちた。処刑されるはずのお前も救った。次は滅びたスルトを奪回する」
「スルトを滅ぼしたのはあなただ。父王を裏切り、僕を裏切り、その上セスまで裏切るの」
「それがどうした。俺が滅ぼした国は、俺が復活させる。俺が手を握るのは、切り落としやすくするためだ」
 コクサクスはろれつが回らない声でそう言って、ベッドの端に片膝をつき、フィブラの肩に手をかける。そのままの姿勢で手にした酒瓶を傾けて一気に飲み干した。
「そう……」
 フィブラはゆっくり腕を動かして、コクサクスの首に手を回し、引きつけた。
「どうした、寂しいのか? 俺に抱いてでもほしいというのか」
 コクサクスはからかうつもりでフィブラの肩から背中へと手を回した。酒臭く荒い息が顔にかかり、フィブラは身を震わせる。それでも片手でコクサクスの肩から首へ、顎をつたって耳へ、そして首へと手を動かした。くすぐるようになでて大きな喉仏を確認し、反対の手でベッドの端から抜き身の剣を取りだしてコクサクスの首に当てた。
「あなたを殺し、父王の仇を打つ」
「そんなことができると思っているのか」
 コクサクスは片手で少年の背中を抱いたまま、ふらふらしている剣先を反対側の手で握り締めた。刃を赤いすじが流れていく。剣を握り締め震えているフィブラの手に滴が落ちた。
「ためらっていては仇など打てるはずがなかろう」
 コクサクスは剣を握り締めたままフィブラのほうに押しもどした。
「まず、狙いが悪い。自分も共に刺し貫くつもりで背中からいくか、無防備な腹か」
 くくっと笑いながら剣先を体の各部に当ててみせる。
「俺が憎いか、俺を殺したいか。それならば、殺せ。いつでも殺されてやろう」
 コクサクスは剣先から手を離した。握る力を失っている少年の手から剣が転がり落ちた。手の平を眺めてから少年の右頬に当て、口元から左頬まで滑らせた。手の動いた後に血がべとりとつく。火傷の跡を辿るようにゆっくりとなでる。
 この臭い、この感触。フィブラは見えない目を大きく見開いた。嫌でも思い出せずにはいられない。
「そうだ、殺したんだ。愛するあなたが、愛する父王を」
 フィブラは両手でコクサクスを突き放そうとしたが、完全に酔っ払っている男は意にも介さぬように力強い片腕でますます少年の体を自分の胸に押し当てた。血で濡れた手を頬から首元へ移動させ、薄い服を引き裂いた。腕に残った火傷の跡があらわになる。
「愛だと? お前は、愛とは何だと思う? 愛する俺が、愛する王を殺した? それならば、愛するお前に殺されてやろうか? それとも愛するお前を今度こそ殺してやろうか」
 コクサクスはフィブラの首を掴んだまま体をベッドに押し倒し、きつく締め上げた。何の色も映し出さない空虚な瞳がコクサクスの瞳を捕らえる。その途端、コクサクスはそれ以上力を込めることができなくなり、そのままふらふらと少年の隣に倒れ込んだ。
 息が随分と上がっているのを酒のせいにしてコクサクスはゆっくりと立ち上がろうとしたが、フィブラはその肩を体全体で押さえつけた。温もりが直接肌に伝わり、ふわふわとした薄い雲の中にでもいるように全身が心地よい。さらにすがりついてくるフィブラの細い背中をコクサクスは両腕で抱いた。
「お前のことを神だとセス野郎は言った。神はこんな罪深い俺を救うことができるのか?」
「神は、愛することで救うという。でも、僕はあなたを殺すことしかできない。あなたが憎くてたまらないから」
 少年の穢れなき双眸は自分の心の奥底まで映し出しているようで、とても普段の精神を保つことなどできなかった。
「俺を救ってくれるというのならば、お前に殺されてやろう」
 彼を愛撫することで自分自身の傷が癒されるような錯覚まで覚え、コクサクスはますます強く彼を抱きしめた。
 火傷の跡をなめるざらついた舌の感触に耐えながらフィブラは呟いた。
「いつか、必ず……僕が」


 髑髏館は翌朝スルト王国に進路を向けた。スルトにいたセス兵は国が壊滅したことも知らないうちに次々と殺された。反逆者でもあるコクサクスたちは復旧しようとする者もいないまま放置されていた王宮を解放し、足を踏み入れた。
「今日から、俺がこの国の王となる」
 並んだ近衛たちを前に、コクサクスは宣言した。
「しかし、そんな突然に」
「王は死んだ。フィブラは盲目だ。国で一番地位が高いのは、近衛大将であるこの俺だ」
「ですが、王子は」
「フィブラは今頃髑髏管理室だ」
 近衛たちの間にざわめきが広がる。
「何か文句があるか」
 コクサクスは皆を睨みつけた。近衛たちはそのまま押し黙る。
 髑髏管理室とは、髑髏部屋に入れられて動力となった者たちの骨が集められる場所である。さほど大きな部屋ではないが、これまでの戦いの中で生成された髑髏が山と積まれていた。
 フィブラは朝早くからコクサクスによってその部屋に閉じ込められていた。目が見える者ならば部屋を一目見た瞬間に発狂してしまうほどのおぞましい部屋に、盲目の少年は一人座っていた。通気性をまったく考えていない部屋は異様な臭いがたちこめている。埃や灰がたまった空気は吸い込むたびに喉に何かが詰まった。
 少年はじっと耐えていた。光を失った瞳は僅かな光をも逃がさぬように見開かれ、絶え間ない息は肩が上下するほど荒かった。
「俺が次の王だ。俺の罪がこれでまた一つ増えた。こんな俺を救えるか?」
 静寂を破ったのはコクサクスである。髑髏の山を恐れるほど肝っ玉が小さい彼ではないが、背中に震えが走るのをはっきりと感じ取った。闇の中で光る二つの瞳。獲物を決して逃がさない飢えた猛獣の瞳。光を失ったはずの瞳がこれほどまでに光っているとは皮肉なものだとコクサクスは思った。
「さぁ」
 瞳にさえ感情を映し出さないフィブラの冷たい物言いを聞いたコクサクスは、何か弾けたように踊りかかった。


 いつの間に眠ったのだろうかとフィブラはふと目を開けた。仰向けの体は重くて動かすことができない。唯一自由に動く片腕を横から上に動かすと、手の甲が何かに触れ、がしゃがしゃと崩れてきた。一つ手に取り、少年は腕を自分の胸のあたりに動かした。がつっと自分の上で寝ている男に当たる。彼はすぐに目覚め、ぶつかったばかりの手首を反射的に握り締めた。痛みにフィブラは声を漏らし、手から握ったばかりのものがころころと転がり落ちた。
「髑髏か。それで俺を殴り殺してくれるのか」
 コクサクスは周囲を埋め尽くしている物が何かをよく知っていた。視界を覆うのは大多数を頭蓋骨が占めた白骨の山。そんなおぞましい場所で二人は重なり合うように眠っていたのだ。
「俺が憎いか? 俺もこの髑髏の中に混ぜたいのか?」
 男は少年の体をきつく抱きしめ少し動いた。雪崩のように髑髏の山がまた少し崩れ、少年のすぐ横までいくつも転がり落ちる。
「いつか必ず、あなたを殺してあげるから」
 フィブラは痛みに耐えながら低く呟いた。
「愛する父王を殺したあなたを」
「殺してくれ、それで俺を救えるのならば」
 二人は同じような会話をもう幾度も繰り返しているような気がしていた。


 髑髏管理室で、髑髏と戯れながらフィブラは時を過ごした。髑髏の中で埋もれて遊び、髑髏の中で眠る。うずたかく積まれた髑髏は高熱で角が取れていたのでベッド代わりとしてそれほど悪いわけではなかった。背中が少し痛むが、その痛みは妙に心地の良いものだった。この乾いた骨の山がかつて人間としての形をとり生きていたことが少年の頭の中ではまだ明確に結びついていなかったのだろうか。
 だが、確実に死者の怨念は彼に影響を与えているようだった。毎晩のように部屋にふらりと来てフィブラを抱いては去っていくコクサクスもそれに気がついていた。光を失った目はぎらぎらと輝き出し、片時も抜き身の剣を離そうとはしなかった。昼間は狂ったような笑い声、夜には髑髏館中に響き渡るような悲鳴が聞こえた。
「盲目の王子は、気が狂われたのだ」
 それが皆の共通した意見となるまでにさほど時間はかからなかった。


 そして、コクサクスの戴冠式がやってきた。セス国と手を組み、王を殺してスルト王国を滅ぼした男が、新しい王となる。不思議なほど、反対は起こらなかった。王都の端に停泊して動かない髑髏館が無言の圧力となったのだろう。復旧しつつある王宮でささやかな祝杯が上げられ、コクサクスはスルト王国の頂点に立った。
 だが彼の心は乾ききったままだった。王の冠を抱き、スルトのすべてを手に入れた。自分は本当にそれを望んでいたのだろうか。自分に従っている近衛や民が向ける冷たい視線を受けつづけるのもそろそろ限界のような気がした。
 盛り上がっている王宮を尻目に、彼は髑髏館への道を急いだ。息をつきながら髑髏管理室を開く。常に血走った瞳で髑髏の山を見上げていたフィブラはいない。
「フィブラ、どこに隠れているのだ! 早く俺を救ってくれ」
 コクサクスは叫びながら髑髏の山に登り、手足で次々に崩していった。骨の間を這いずりまわったため、戴冠式のために仕立てられた服は汗や埃、骨のかすを浴びて灰色の染みがあちこちにできる。
「僕はここにいるよ」
 吠え声は透き通る声にすっと打ち消された。コクサクスの方とは微妙に違う方向をしっかりと見据え、盲目の少年は抜き身の剣を手に扉に寄りそうように立っていた。
 コクサクスは髑髏の山の上から駆け下りた。途中で足を山に突っ込み、盛大な音を立てて倒れながらもフィブラの元へと一直線に飛んできた。体が掴まれる前に見切っていたようにフィブラは身を翻す。
「髑髏部屋へ行きたい」
 そう言ってフィブラはすべての力が抜けたようにコクサクスの腕の中に倒れた。まだ血走った眼差しのコクサクスはフィブラを両腕で抱き上げる。
「髑髏館はしばらく動かない。エネルギーは必要ないぞ」
「あなたを殺すには、髑髏部屋がいいと思って」
 少年は妖しく微笑み、腕をコクサクスの首に回した。
「いつになったら俺を殺してくれるのだか」
 コクサクスは愚痴るように言ってから歩き出した。
 髑髏部屋の作りは他の部屋となにも変わらないように見える。ただ、その鉄扉は地獄の門で、床は地獄への道標となるだけの話ではあるが。
 コクサクスはゆっくりと足を踏み入れた。こもった空気を嗅いだ鼻は自らその活動を停止し、嘔吐感が全身を襲う。真っ赤な染みが覆う床は元の色が分かる部分はないほどで、壁には人が最後に生きたあかしを残そうとしたのか赤い筋が一面に走っていた。髑髏管理室のようにただ魂がかつて存在したものの抜け殻が眠っている場所ではない。ここは、実際に数え切れない者たちが生きたまま、あるいは死の表情をすでに刻み付けられて、最後の叫びを上げたのだ。尋常ではない臭いが出す警鐘が頭の奥までがんがんと響いて来る。
 
 コクサクスの腕から降りたフィブラは座り込んでべとついた床をなでた。
「悲鳴が聞こえるよ。あなたに殺された者たちの」
「あぁ。俺にもうるさいほどに聞こえている」
「あなたは父王をもこの部屋に入れたの?」
 コクサクスはどこか違う方を向いている少年の瞳を見つめ、大きく頷いた。
「どうして……」
 フィブラはゆっくりと立ちあがり、手探りでコクサクスの胸に顔を埋めた。
「俺が生きるためだ。生きるために王を殺した。王の命令を聞きこの髑髏館に乗りつづければ、いつか必ず俺は死ぬ。それが怖かった」
「だから、父王を殺した」
 コクサクスはフィブラの薄い金色の髪を手櫛ですいた。柔らかかった髪は今は埃だらけで散々もつれている。
「お前に逢えなくなる日がやって来る。それが一番怖かった。こんな俺が憎いか。殺したいか」
「殺したい」
 フィブラはコクサクスの胸をどんどんと叩いた。だが、その言葉にはもう力がなかった。
「あなたが憎いから。でも、救いたいから」
 片肘でフィブラを自分の胸にさらに押しつけ、その手で首を後ろから掴んだ。細い首は今にも折れそうにぎしぎしと鳴った。
「僕は、どうすればいいの」
 フィブラは苦痛で顔を歪めながらも万力のような手から逃れようともせず、さらにコクサクスにしがみついた。熱い滴が二人の間の隙間を埋めていく。
「愛したいなら愛せばいい。殺したいなら殺せばいい。俺はいつでもお前に殺されてやろう。それで俺が救われるのならば」
 そう言ったコクサクスの腹に冷たい痛みが走った。フィブラの首にかけた手に自然と力が入る。コクサクスは自分の腹を見た。少年が片時も離さず持っていた細身剣が自分の腹に刺さっている。
 血がどくどくと流れ、剣を伝って少年の両手を染めていく。体から溢れ出す血を見ているのにどこか違う世界での出来事のように不思議と痛みは感じなかった。
「いつか必ずあなたを殺す、僕はそう言ったはずだ」
 フィブラの濡れた瞳一杯に自分の顔が映っている。この青い穢れなき神の瞳ならば刺し貫かれても構わない。コクサクスは首にかけた手にさらに力をこめ、背中に回していた手をフィブラの手首まで腕に沿わせて下ろし、その手首を強く握り締めた。その痛みで体中がぎしぎしと鳴るが、フィブラは身動きもせずにコクサクスの瞳を睨むように見つめていた。自然と涙が互いの瞳から溢れてくる。
「俺を殺したいならば、愛しているのならば、もっと力をこめて刺せ。いつでも殺されてやる、俺はそう言ったはずだ」
 コクサクスは少年の言葉を継ぐように言って、ふっと笑った。これで死ねる。これで救われる。
「神を殺して永遠の力が手に入るのならば、神に殺された俺はどうなるのだろう」
 神は罪深き自分にようやく制裁を下されたのだ。痛みが徐々に現実感を帯び、神の容貌を持つ少年の顔がかすんでくる。首を掴んだ手の力をすっと緩め、手首を掴んだ手を剣の柄が腹に当たるまで腹に引きつけた。
「だが、どうなってもいい。これで救われるというのならば」
 コクサクスは最後の力を振り絞るように手を胸まで引き上げた。フィブラはよろけて彼にぶつかる。その小さな衝撃で、彼は後ろにどっと倒れた。フィブラは体勢を保ち、剣を引き抜いて頭上にかかげた。
「あなたは救われて、永遠になるんだよ。神の手の中で」
 どこからか光が差し込んでくる。少年は光に導かれるように剣を引きずりながら歩いた。部屋を出て随分歩き、暖かい手に背中を押されるように甲板に通じる階段を一段一段登っていった。登り切った途端に全身を柔らかい風が覆う。感じたこともないような新鮮な匂い、目の奥まで焼きつかせようと飛びこんでくる真っ白な光。
 フィブラは空と同じ色をした瞳を開いた。世界すべてが自分の網膜に映し出されたような感覚が体を襲う。その中にコクサクスが最後に浮かべた笑顔を見たような気がした。
 新しい瞳に世界のすべてを浮かべ、フィブラはゆっくりと、だが確実にその一歩を踏み出した。


 コクサクスのやり方に何とか反発しようとしていた近衛たちによって、フィブラ王子はすぐにスルト国王へと押し上げられた。若き新王が一番初めに出した命令は髑髏館を処分することだった。
 谷底に落とされた髑髏館は、自らの炎によってその幕を下ろした。コクサクスの柔らかな死に顔と、幾つもの秘密をその胸に抱いたまま。

オリジナル小説「空中要塞「髑髏館」」(全年齢対象BL・無料)

オリジナル小説「空中要塞「髑髏館」」(全年齢対象BL・無料)

オリジナルの、ファンタジーBL小説。いのまたむつみさんの、「月の声星の夢」という画集の中にあった一枚の絵をものすごく気に入ったので書こうとした話。国一番の戦士と、国唯一の空中要塞「髑髏館」の裏切りで、好戦的で勢いがある小国は窮地に陥る。戻ってきた戦士は王子を髑髏館に閉じ込めた。

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