オクリ音
お別れビデオ
「林さん…泣いてるの?」
上司の坂元の言葉で、私は自分が泣いている事に気づいた。
当時の私は まだ入社して間も無かったけれど、それまでにも何度か ”お別れビデオ”は観た事があった。
それでも、その日まで、涙を流して観るような事は無かったと思う。
彼の作ったその映像を観て、私はこの仕事に一層の誇りを感じた。
自分がここにいる意味もあるのかもしれないと思えた。
”お別れビデオ”と呼ばれるそれは 私が勤める 蓮香斎場で人気の高い葬儀のオプションで、遺族の希望により作成される 故人の紹介映像の事を指す。
故人の好きな曲・所縁のある曲に生前のエピソードが添えられる”お別れビデオ”は、物悲しげな音楽をかけながら長々と故人を語るよりも ずっと伝わりやすく ずっと本人らしさが際立つ。
不謹慎かもしれないけれど、坂元さんが作ったあの映像を観てから 私はこの ”お別れビデオ”が大好きになった。
時に切なく、時に温かく、そしていつも優しく 故人を映し出す。
その映像どれを取っても、遺族の想いが 伝わってくる。
そんな ”お別れビデオ”を中心とした話をいくつか、お話したいと思う。
スリラー
8/29
PM 1:00
勤務先である 蓮香斎場の食堂には、夜に 担当の葬儀を控える橋下部長と千秋主任がいた。
橋下部長はこの斎場の創立時からの従業員で、地元の有力者への顔も広い。
どの葬儀も失敗は取り返しがつかないが、中でも橋下部長の抱える案件で何か問題が発生した場合 ゆき のような新人の首など いくつあっても足りない程のスケールの大きさ。
ゆき が手伝える事は まだ ただの1つもなく、主任クラスの従業員がその役割を担う。
今夜の葬儀では、ベテランの佐藤千秋主任が補佐役だ。
冷奴を食べかけた所で ゆき の携帯から着信音が鳴り響く。
ディスプレイ画面に浮かぶのは =事務所= の文字。
「あら、ゆき ちゃん!遂に1人立ち?おじさん手伝えなくてごめんね〜」
そんな橋下の声を、着信音が掻き消す。
正直言って嫌な予感しかしないが、恐る恐る出てみる。
「林さん?佐藤です。こんな時にあれだけど…やっぱり入っちゃった。夕方にはいらっしゃるので、申し込み諸々 よろしくね」
事務局長、佐藤里奈の声がなんだか遠くに聞こえる。
いつもは ゆきが直接依頼を受ける事はないが、ここ数日 葬儀が立て込んでいて 他の先輩達も皆 それぞれの現場にいる時間。
まだ1人で担当を持った事のない ゆきも、坂元の手があく夜までに依頼が入った場合 葬儀申し込みと”お別れビデオ”の大枠作成を担う事になっていた。
「わかりました!すぐに事務所に戻ります!」
PM 4:10
「あの人、マイケル・ジャクソンが好きでねぇ…」
斎場の応接室で、数枚の写真とCDを手に 喪主である 山下スミ子が微笑む。
「マイケル…ですか」
佐藤里奈が準備してくれていた ビデオ作成ノートの 使用アーティスト欄にメモを取りながら、マイケル・ジャクソンの曲を数曲頭に思い浮かべる。
マイケルは ゆき 自身もよく聴いていた。
壮大なバラードも多いし、CDを持っているので改めて購入に走る必要も無い為 比較的スムーズに”お別れビデオ”の作成も出来そうだな…
そう思った矢先、スミ子の口からは思いがけない曲名が出てきた。
「『スリラー』でビデオを作ってくれない?」
数枚の写真とCDを手に、途方に暮れる。
今まで橋下や坂元が作成した映像を観てきたが それはどれも、感動的な内容だった。
果たして 『スリラー』で、感動的なものに仕上がるのか?
夫人からは 2人の思い出の曲だとは聞いているが、
参列に来た他の人達にもそれがうまく伝わるのだろうか?
ストーリーを構成するものの、一向に浮かばない。
アルバムを何度も聴いている内に、日付が変わっている。
「明日 スミ子さんに 違う曲にしてみないかと提案してみようかな…」
諦めかけるが、依頼主の希望にはやはり忠実でいたい…
葬儀と言うのは前もって準備出来る事が稀。
友引などに当たらない限りは 依頼を受けてからの時間がほとんど無く 1分・1秒が非常に重要になる。
ここで迷っている時間はない。
「自分1人で判断出来ない事は 抱え込まずに人に聞く事も大切な仕事」
そう教えてくれたのが 他でも無い 坂元だった。
ゆきは 解決法を見出せず、上司の坂元の助けを借りる事にした。
8/30
AM 2:05
こんな時間…絶対迷惑だ…次のコールで出なければ切ろう!
携帯から耳を外しかけたその瞬間、奥から穏やかな声が聞こえた。
「お、ゆきちゃん?遂に僕を頼りにしてくれたのかな」
「こんな時間にすみません…助けて下さい」
坂元はやはりさすがだった。
「ゆきちゃん、山下さんの馴れ初めは聞いた?」
「馴れ初めですか?『スリラー』が思い出の曲とは聞いてますが、馴れ初めは伺ってないです」
「山下夫妻は職場結婚で、そのキッカケが職場の皆で出場した 仮装盆踊り大会だったらしいよ」
昨夜 現場の仕事を終えた坂元は、スミ子さんと 山下さんの職場の金子社長に いくつかのエピソードを聞いてくれていた。
当時、山下さんとスミ子さんは 建築会社 ホッカイホーム で働いていた。
坂元が聞いた話によると、仮装盆踊り大会に出場した時 ホッカイホーム の仮装テーマが『スリラー』だったらしい。
他の事務員と共に衣装係として社員全員分の衣装を担当していたスミ子さんは、日夜練習に励む社員を見ている内にムードメイカーの山下さんの事が好きになった。
それがきっかけで交際が始まったのだから『スリラー』が2人の思い出の曲という事は 周知の事で、仮装盆踊り大会で審査員特別賞を受賞したこの曲は ホッカイホームの社員にとっても思い出の曲という事になる。
皆を盛り上げながら全力で踊った山下さんの衣装が破れ、真っ赤なパンツが見えた所が子供達に大ウケで審査員特別賞を受賞したのだから。
「スミ子さん、今でもずっと ご主人の事を 子供みたいに元気で やんちゃな人だ って言ってたよ」
早朝、坂元と共に山下宅へ行き 更に数枚の写真をお借りした。
昨日借りていた写真もどれも笑顔が溢れる写真ばかりだったが、そこに 仮装盆踊り大会の写真や 地元の別の建築会社の社員と対戦した野球大会の写真などが加わった。
野球大会の写真の山下さんは 泥だらけのユニフォームに包まれながら豪快に笑っている。
ホームへのスライディングで腕を骨折したそうだ。
この日の通夜で流れた ”お別れビデオ”は 参列者が皆 笑顔で観ていた。
涙を誘うようなものを作らないといけないと思っていたけれど ムードメイカーだった山下さんの周りには 明るくて優しい人達が集まっているんだな…
そう感じる 素敵な葬儀だった。
両親の葬儀の際に”お別れビデオ”を作ってあげたかったなぁ…
帰宅後すぐに姉にそれを伝えたら
「お父さんとお母さんの曲の好みが違い過ぎるから 2曲分作らないといけないね」と言われてしまって2人で笑った。
確かに あの人達なら、そうだろう。
この木なんの木
この木なんの木 気になる木
名前も知らない 木ですから
名前も知らない木になるでしょう
この木なんの木 気になる木
見たこともない 木ですから
見たこともない花が咲くでしょう
人は来てたたずみ 鳥は翼を休めて
風はそよぎ 星が回れば宇宙
その日も その日も あなたに会いましょう
この木の この木の 下で会いましょう
「千秋主任…この曲、こんな素敵な歌詞だったんですね」
思わずそんな言葉が口に出る。
ゆき にとって初となる担当葬儀。
入社して半年に満たない ゆき が担当する為、上司である 佐藤千秋が 補佐役でついてくれる事になった。
今回は稀なケースで、まだ 葬儀主 本人は入院中。即ち ご健在だ。
通常、葬儀というのは急なもので 時間に追われての作業になる為 遺族は勿論のこと 斎場側としても あまりじっくりと考える時間が無いというのが現状である。
ゆき の勤める 蓮香斎場 には会員システムがあり 法事のプランニング・お悔やみ お供えの花ギフト・家族や本人の葬儀のプランニング・日頃の備品 線香や数珠などの購入を会員価格で行えるシステムだ。
その 葬儀プランの1つに、生前から”お別れビデオ”を 考案出来る というサービスがある。
今回 ゆき が担当するのはそれで、入院中の 斉藤トシ さんの”お別れビデオ”の考案をしているワケである。
斉藤家の葬儀や法要は代々 蓮香斎場が執り行ない、2週間後に 80歳の誕生日を迎える トシ も 蓮香斎場での葬儀を希望されている。
初めにプランニング依頼のあったのが9月。
2回目の打ち合わせは トシの体調があまり優れなかった為 娘の 倉田陽子 さんと斎場の応接室で行った。
陽子から『この木なんの木』のCDを探して欲しいと依頼があったのがこの時だ。
「この木なんの木 気になる木〜、ってCM 観た事あります?」
陽子からそう切り出された時、ゆき は 広い大地に 大きな木がゆったりと映し出されるあの有名なCMが瞬時に思い浮かんだ。
「この木なんの木 気になる木〜 見たこともない木ですから〜」
そう口ずさむと 陽子が
「見たこともない〜花が咲くでしょう〜」と続けた。
「あの木って 確か ハワイにあるんですよね?」
「そうなの、オアフ島!両親の還暦祝いの時に 家族皆でそこに行ったの」
陽子がとても可愛らしく微笑む。
「主人と 娘2人も連れて 6人で行ったんだけど、本当に素敵な場所だったわよ」
トシ は10年程前にご主人を亡くしてから、毎年 命日には 陽子を連れて お墓参りに行っている。
必ず あの時の家族写真を持って。
「父があのCMの会社を定年退職した年だったから…退職祝いも兼ねてたのよ」
陽子の父。つまりはトシのご主人がその会社に勤務していた頃、ここまで皆の記憶に残るCMになるとは思っていなかったらしい。
今ではCM自体 9代目にもなるそうで、初代CMはオアフ島の木ではなく アニメーションだった事に驚いた。
「すごく昔の曲だから、いざCDを探そうと思ってもなかなか無いんじゃない?って子供達が」
その読みは正しく、ゆき がCDを探し出し購入するまでに1週間かかった。
亡くなった当日に ”お別れビデオ”の依頼を受ける事がほとんどなので、もし今回がそれであれば どんなに急いでも希望の曲での制作が間に合わなかった計算になる。
10月に入り ゆき は斉藤家の葬儀プランと”お別れビデオ”の大枠の作成を終えた。
「誕生日までには元気に退院する」と宣言していた トシ は見事その公約を果たし、陽子と共に 斎場に訪れた。
葬儀プランの見積もりと ビデオ制作用にと預かっていたCDを渡すと トシ が嬉しそうに言った。
「この曲が聴けると思うと 病院で休んでなんかいられないって思えちゃった」
「林さんに色々プランを考えて貰ったけど、お母さんが実際にそのプランを使うのはまだまだ先かもね」
可愛らしく微笑み合う親娘に、ゆき の心の奥深くが温かくなった。
蓮香斎場で勤務して学んだ事がある。
必ず来るべく 死 に対して 前もって準備出来る事もあるという事。
こんな風に 穏やかに 笑い合いながら 自分の最期を家族で語れるという事。
その日も その日も あなたに会いましょう
この木の この木の 下で会いましょう
11月のご主人の命日には いつもの写真と CDを持って 5人でお墓参りに行くらしい。
オアフ島に行った時 あのCMで映されている木がどれかはわからなかったそうだか、それがわからなくても 充分過ぎる程に 幸せな想い出となったのだろう。
大きな木の下の 6人の笑顔が それを物語っていた。
ゆき の休日
AM9:00
「お休みの所ごめんね、佐藤です」
「!」
「林さん、今日 出掛ける用事とかなかったかな?と思って」
「里奈さん、おはようございます! あれ?私何かやらかしましたかね」
「林さんのお財布…事務所に置いたままだけど…」
「うわぁ、すみません。午後から用事があるのでその前に寄ります」
AM11:00
「おはようございます…」
「あれ、ゆき ちゃん おはよ。今日休みだったよね、どした」
「坂元さんー、おはようございます…お財布を事務所に忘れてしまいまして…」
「それは可哀想に、これからお出掛けかい」
「この辺で軽くお昼済ませてから 姉と映画でも行こうかと」
「今からお昼?じゃあ 一緒にどうかな、俺これから休憩」
「是非!ご一緒させて下さい」
PM0:30
「ご馳走様でした!坂元さんオススメのランチ 美味しかったです。しかも奢って頂いてしまって…ありがとうございます」
「これ位でそんなに恐縮しないでよ、ここのランチ 安いのに美味しいよね」
PM2:00
「で、財布は?」
「すみません、事務所に置き忘れたままで…映画代立て替えて下さい…」
「あんたは本当に…私と待ち合わせる前に事務所行くって言ってなかったっけ」
「事務所には寄ったんだけど、お財布持ってくるの忘れた」
「はぁ?何しに行ったのよ」
「本当、何しに行ったんだろうねぇ」
「…その割に なんか嬉しそうだし」
「そんな事ないよ!ただ…お姉様すみません、映画代…」
「はいはい、今日は映画と晩御飯奢ってあげる」
「ありがとうございます、優しいお姉様」
「来月の誕生日プレゼント 期待してる」
PM8:30
「し…失礼しまーす」
「あら、林さん 遅かったね」
「あ、里奈さん 電話ありがとうございました」
「今日、林さん宛に何件か連絡来てたけど 坂元さんから電話行った?」
「特に来てないです、出掛ける って話してたから 遠慮したのかも…」
「そうなんだ、じゃあ 明日にでも聞いてみて」
「はい!では、お疲れ様でした」
「お、ゆき ちゃん」
「橋下さん!お疲れ様です。これから編集ですか?」
「そうそう、町内会長様々の 泣けるビデオ作らないと」
「急でしたよね…」
「そうだねぇ、ゴルフ友達が1人減っちゃって おじさん寂しいよ」
「そうですよね…橋下さん、長生きして下さいね」
「ゆき ちゃん、気が早いよ」
PM10:00
「ゆき 今年中にこっち遊びに来る予定ある?」
「んー、今月中には1度帰ろうかと思ってるよ」
「日程決まったら教えて、久しぶりに皆で集まろうよ」
「了解、あ、誰か近々 こっちに遊びに来る人はいないの?」
「今年は北海道行く予定は無いかなぁ…雪まつりに行きたいって息子が騒いでたけどね」
「雪まつりかぁ。私もまだ観た事無いな、冬の北海道は初めてだから。」
「しばらく仕事続けるんでしょう?」
「うん、職場の人もいい人達だし やり甲斐もあるし」
「そっか…身体に気をつけてね、お姉さんにも宜しく」
蓮香グループ 慰労会
年に1度の 蓮香グループ慰労会。
4月に入社した ゆき にとっては初となる グループ会社合同の大きなイベントが 毎年11月の友引に開催される。
会長や社長・副社長らの家族を始め、蓮香斎場の職員・隣接する花屋・仕出し屋・レストラン2件・子会社である江別斎場からも集まり その数は総勢 100名。
仕切りは毎年交代制で2名が行う。
蓮香斎場の部長職である 橋下・坂元・内藤の中からの1人と 江別斎場の部長職 高田・伊東の中からの1人。
今年は 坂元・高田の同期チームの仕切りとなった。
「ゆき ちゃん、緊張してるでしょう」
坂元から そう声をかけられ、少しだけ気持ちが落ち着いた。
蓮香グループ慰労会では 各社の新入社員の余興コーナーが設けられ、その出来次第で会長から大入が出るらしい。
アルバイトは含まれない為、今年は 蓮香斎場から 林ゆき・花屋から 森みどり・江別斎場から 杉山聖が余興を行う事になっていた。
余興コーナーはそれぞれ5分。
3人でジャンケンをして、ゆき は最後の出番に決まった。
まずは 杉山聖。
江別斎場期待のイケメン新人という事で、花屋チームやレストランチームの女性陣からの声援も多い。
そして何故か 蓮香斎場の事務局長 佐藤里奈が女性陣の応援を仕切り 掛け声が飛ぶ。
「コ・ウ・キ!コ・ウ・キ!」
「さて、これから新人社員による余興コーナーをスタートします」
高田のアナウンスでスタート。
曲が始まり 杉山がおもむろにシャツを脱ぐ。
後から聞いた話では、BGMは 有名な洋楽をフィットネス用にアレンジしたものを使用したらしい。
上半身 裸でドヤ顔。
少しずつ動いてポーズを決める度に 応援チームが沸きに沸く。
「うわぁ、私 マッチョ系苦手なんですよね…」
全く同じ事を考えていた ゆき は、思わず無意識のうちに自分で発言してしまったかと驚いた。
どうやらその声は すぐ隣にいた 森みどり から発されたものらしい。
今まで仕事以外の会話をほとんどした事が無かったが、気が合いそうだな と突然 親近感がうまれる。
「入社したての時くらいのままの方が良かったですよね」
こっそりそう答えた。
杉山は 学生時代にスポーツをしていたという事もあってか 入社した時にはほどよく筋肉がついているような体型だった。
プロレス実況さながらの高田のMCが終わり、森みどり の番が来る。
「杉山くんの肉体美と 高田くんの熱い実況にお腹が一杯の方も多いかとは思いますが…次は フラワー蓮香 のアイドル 森みどり ちゃんの ダンスです」
坂元 がアナウンスすると同時にEDMの音楽が響いた。
フラワー蓮香だけではなく 蓮香グループの”アイドル” とも言える 森みどり は子供の頃 芸能事務所に所属していた事もあるらしい。
クリッとした眼が魅力的な 快活な女性である。
短大卒業後 フラワー蓮香 に就職した為、大学卒業後 就職した ゆき や 杉山 の2歳年下にあたる。
みどり はその可愛らしい見た目と歯に衣着せないトークから、男性社員の人気はバツグンだ。
「森みどり でっす!昔習っていたダンスを披露しまーす」
みどり のダンスは非常にキレがあり 格好良いダンスだった。
大入を狙っていたわけでは無いが、ゆき は内心「森さんで決まりだな」と思う。
「素晴らしいダンスでしたね!さて、最後は 蓮香斎場のクールビューティ 林ゆき ちゃん!」
高田 のアナウンスに ゆき は思わず苦笑する。
「蓮香斎場の林ゆき です。地味な出し物ですみません…」
お願いしていた 東儀秀樹の音楽をBGMに、深呼吸して気持ちを整えた。
「百人一首の歌番号を僕が言うので、歌を ゆきちゃん に詠んで貰います」
高田 が説明を続ける。
「僕が言う番号はランダムなので、公正を保つ為に皆さんにも10枚程 番号札を引いてもらいますね」
そう話した後、会長夫妻・副会長夫妻…と 前方にいる10人が次々に 番号札を選んだ。
「さて、始めましょう」
一呼吸置いて 高田の声が響いた。
「17番」
「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」
おぉ…と会場から 感心ととれる息がもれて ゆき は少しホッとする。
そのまま 高田は自分で決めた番号や 10人に選んで貰った番号を次々に読み上げる。
ちょうど5分が経つ頃
「では、最後になります!50番!」
「君がため をしからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな」
「個人的には1番好きな札が最後に出て嬉しかったです。皆様、ご協力 ありがとうございました!」
言われた番号全てを間違えずに詠む事が出来、プレッシャーから解放された ゆき は 満面の笑顔で余興を終える事が出来た。
その後の慰労会は 会食・ビンゴ大会・子供達のカラオケ披露・仕切り担当の 坂元・高田によるデュエットと 滞り無く終了。
最後に 会長から 年間売上やお客様アンケートを元にした 各賞が発表され 旅行券が贈呈される。
営業賞 蓮香斎場 橋下
おもてなし賞 蓮香斎場 坂元・フラワー蓮香 小林
そして本日の余興から、会長選出の 新人賞が発表された。
「新人賞 蓮香斎場 林ゆき」
おおお!と蓮香斎場一行が沸く。
当の ゆき は、まさか自分が選ばれると思っていなかった為 副社長の娘に質問された、百人一首での各地における 札の取り方の違いの説明をしている所だった。
あとから聞いた話では、会長は市内の百人一首協会にも関わりをもつ程 百人一首愛好家だったらしい。
社名を出さず 個人的に関わる程度だったようで 百人一首協会との関連を知る社員はいなかった為 皆も ゆき の受賞を大きく喜んだ。
会長からの大入は、翌週 蓮香斎場のメンバー皆で行った食事と 二次会とで綺麗に無くなった。
二次会に関しては少し足りないくらいで、残りは全て橋下が支払ってくれた。
二次会終わりに、坂元がこっそり
「折角の大入、全部使わせてゴメンね」とプレゼントをくれる。
ゆき の好きな 藍染の袱紗だった。
「ありがとうございます!すごく嬉しい、大切にします」
「うちの娘にも 百人一首させたいな、って思ったよ」
坂元の言葉に ほんの少し 寂しくなる。
坂元の事を 頼れる上司と思うのは勿論、ゆき は気さくで 優しい 坂元自身にも惹かれていた。
坂元は 蓮香グループ 副社長の次女 零 と結婚していて、1歳の娘 ありさ がいる。
零 は蓮香斎場の系列レストランのオーナーで、慰労会にも参加していた。
「もう少し大きくなったら、是非 ありさちゃんと一緒に百人一首しましょう」
そう答えるのがやっとだった。
ゆき と百人一首
「ただいまー」
あ、ママが帰ってきた!
「おかえりなさーい」
つい先日、7歳の誕生日を迎えた ゆき は玄関に向けて声をかけた。
「お姉ちゃんは?」
「まだだよー、ゆき、ひとりで、おるすばんしてた」
「そっか、ありがとう」
ママがお菓子を一つくれる。
「お姉ちゃんには内緒だよ」
「だいじょぶ、ゆき、ないしょできるよ」
引っ込み思案の ゆき とは異なり、9歳歳上の姉 このみ は明るくて活発だ。
友達と遊ぶ用事や 部活動に忙しいらしく、ゆき は専ら 1人で遊びながら 留守番をして 両親や姉の帰りを待っている。
「ゆきちゃんは、今日は何して遊んでたの?」
「ひゃくにんいっしゅ」
最近の ゆき のブームである。
「今日は みぎてさんがかって ひだりてさんがまけたんだよ」
7歳の誕生日プレゼントに貰った 下の句かるた というのが ゆき のお気に入りだ。
ゆき の住む東京と北海道とでは、百人一首の遊び方が違うらしい。
百人一首がすきな ゆき はその疑問を担任の先生に話した所、先生の故郷 北海道での遊び方を教えてくれた。
後日先生が下の句かるた を見せてくれ、ゆき はその 下の句かるたがひどく気に入って 珍しくプレゼントをねだった。
下の句かるた を気に入った理由は ゆき 曰く
「ゆき がとるほうの おふだが 木だから」
ゆき はまだ百首それぞれの歌の意味もわからない頃から
「君がため をしからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな」
という歌を気に入っていた。
「命」という言葉が入っていて格好いいな という程度の理由ではあったが、図書室の 『マンガで学ぶ 百人一首』で調べて ふじわらのよしたか という作者名を知った。
藤原義孝 の生涯や この歌に込められた想いを知ったのはそれから随分先で ゆき が中学校を卒業する頃だったが、それを知ってから 一層 この歌を気に入っている。
「きょうは みぎてさんが いのちのうた とったからかったの」
ゆき はいつも、自分で詠み札をひき 自分でそれを詠み 札をとる という遊び方をしている。
右手と左手 交互に札をとり、藤原義孝の歌をとった方の手が勝つというルールを作って遊んでいた。
「ゆきちゃん、今度パパに おうたじぶんでつくるのを教えてもらったらどう?」
「むずかしそうー」
「パパが教えてくれるから大丈夫大丈夫」
その後から ゆき は10歳まで 父と和歌を詠み合う遊びを続けた。
高校の古典の教師だった父は それはそれは 熱心に和歌のルールや美しさを教えてくれた。
8歳の頃、新聞で募集していた 親子和歌あそび に投稿した際に 賞を受賞し 翌週の紙面に掲載された事が1番の思い出だ。
10歳でやめてしまったのは ゆき の中で 「自分で考えるよりも 他の人の和歌を詠む方が楽しい」 という結論に達したからだった。
もう少し 父とこの遊びを続けても良かったな、と今になって思う。
ゆき の高校時代
「林さん…泣いてるの?」
入社して間もない頃、ゆき は坂元が作成した”お別れビデオ”を観て泣いた。
「林さんって あまり表に感情を出さないから誤解されやすそうだけど…実は結構 感受性豊かだし 優しくて涙もろいよね」
坂元のその言葉に、ゆき はただ純粋に 驚く。
この短期間で そう判断してくれた事が嬉しかった。
そして、昔 同じ様な事を言ってくれた 中島大輝 の顔が浮かんだ。
帰宅後 ゆきは 高校時代の事を思い出してみる。
手元には 数枚の写真。
卒業アルバムは 引っ越しの時に捨ててしまった。
ゆき の高校時代の思い出のほとんどは 1年生から2年生の終わりまでに凝縮されていて、高校3年生にはそれほど思い入れが無い。
普段 クールビューティ と称される 林ゆき は 実際の所 かなりの美人である。
ゆき は学生時代でも まわりから 綺麗な人 と言われる事は多かった。
それでも ゆき 自身は 容姿に関してのその評価があまり好きでは無かった。
人見知りがちで クラスの中では 必要事項以外はあまり話す事のないゆき は、意識していない内に 冷たそうな印象を与えていたらしく いつの間にか”高嶺の花”扱いされていた。
それでも マイペースな ゆき はその事をあまり気にせず、高校時代の休み時間や放課後のほとんどを図書室で過ごす。
そこで 一つ上の先輩 中島大輝 と出会った。
出会いのきっかけは 一冊の本。
ゆき の通う高校の図書室では、本を借りる際 表紙の裏につけられているカードに名前を書いて提出する。
誰かが借りるたびに カードに名前が足されてゆくのだ。
週に2〜3冊 図書室で本を借りていると、ゆき が借りる本に 割と同じ名前が書いてある事に気付いた。
高校1年の夏。
この日も ゆき は、本を借りようと思い 放課後に図書室へ行く。
目当ての 中島敦の本が置いてある棚へ行った時に1人の男子生徒に軽くぶつかった。
「おっと、ゴメン!大丈夫?」
背が高く、日に焼けた健康的な肌。
「こちらこそすみません…あ、その本…」
彼が手にしていた本は ゆき が借りようと思っていた本だった。
「もしかして、これ借りようとしてた?どうしようかな…返す時連絡するって事で、今回は譲ってくれない?」
「急いでないので全然大丈夫です」
「ありがとう、俺、2年の 中島大輝」
「あ!いつも本、借りてますよね?私が借りる本のカードで、よく 名前を見かけてました」
思わず口にする。
「本当に?じゃあ俺も君の名前 知ってるかもね」
「林…1年5組の 林ゆき です」
「おお!知ってるよ!林さん!この前、中島敦の違う本借りてなかった?」
「あ、それ、さっき返しました」
「マジか、じゃあ俺 それを今日借りようかな…そしてこの本は 林さんが借りてよ」
「そんな…良いんですか?」
「勿論!そして この本 返す時にさ、俺の教室に教えに来てくれない?2年7組だから」
約束通り ゆき は本を返す前に 2年7組へ行く。
大輝 を探したが、なかなか見つからない。
先輩の教室を あまりジロジロと見る勇気も無く、入り口近くにいる男子生徒に声をかけた。
「あの…中島先輩はいませんか?」
「あれ、君1年生?」
男子生徒が、制服につけている ゆき の学年章に目をやる。
「あ、はい、1年の 林 です」
「大輝だよね?ちょっと待ってて」
クラス内を見回し、後ろの方に向かって大きく声をかける。
「大輝ー!なんか、美人の後輩ちゃんが呼んでるよ」
一気にクラス内がざわつく。
あまりの出来事に言葉を失った ゆき は、思わず一歩後ろに下がった。
大輝 は急いで入り口まで駆けつけ
「慎吾…お前 ちょっと 呼び方 考えろよ、林さん 困ってるじゃん」
少し不機嫌そうに 慎吾 という男子生徒に話す。
「うわ、怒ってる。ゴメンゴメン。えっと、林さん?大輝 に告白とかだった?」
ゆき は無言で 首を横に振る。
クラス全員の視線が集まっているように感じられ、逃げ出したくなった。
その出来事以降、ゆき は 大輝 の教室には行った事がない。
大輝 はサッカー部のエースで ゆき のように連日図書室を利用しているわけでは無かったが、サッカー部の練習が終わるまで ゆき が図書室で待っている事も増えた。
大輝が卒業するまでの間 図書室は2人の待ち合わせ場所になる。
ゆき と 大輝の本の趣味は非常に似ていて、感性も近かった。
この本はどうだった…この結末には驚いた…この作者のこの表現が好きだ…などなど、話は尽きない。
2人が好きな小説家や 脚本家の映画も観に行った。
部活動が忙しい時は ゆき が観に行き、感動したり 面白かった映画は 後日 2人でDVDを観た。
大輝 と過ごす日々は楽しく、今までよりも キラキラした時間が過ぎてゆくように感じた。
高校1年の冬、ゆき の誕生日。
冬休み中ではあったが、大輝 から映画の誘いがあった。
帰り道に告白され、この日から 正式に 付き合う事になる。
寒さの中 初めて繋いだ手は 暖かかった。
冬休みが明けると 穏やかな日常に 暗い影が落ちる。
手を繋いで歩いていた所を見たと言う誰かから、2人が付き合っているという噂が流れたからだ。
少し前から始まっていた サッカー部のマネージャー達からの嫌がらせが加速する。
『ちょっと位 顔はいいかもしれないけど 性格は最悪だよ、男子は皆 騙されてるよね』
化粧室では 1年生のサッカー部マネージャーがそう話すのを聞いた。
机の中から、物が無くなる事も増えた。
教科書に 落書きをされている事も何度となくあった。
それでも ゆき は1人で耐えた。
時には落ち込み 傷つく事もあったが、大輝 と過ごす キラキラした時間の方が大切に思えたからだ。
毎日のように続くマネージャー達からの嫌がらせに気付いたのは サッカー部の副キャプテン でもある 大輝 のクラスメイト 慎吾 だった。
2年生のマネージャーが ゆき の上履きを捨てようとしている所を目撃したらしい。
バレンタインデーに 大輝 の家の近くの公園で ゆき は手作りのチョコレートと大輝 の背番号と同じ番号が刺繍された シューズ入れをプレゼントしたのだが、その時に 大輝 からこの話を切り出された。
ゆき は 大輝 や 慎吾 からは 彼女達に何も言わないで欲しいとお願いをする。
部活でも クラスでも 人気者の 大輝。
そんな人気者の 大輝 に 彼女が出来たら 良い思いはしないだろう。
それに 副キャプテンの 慎吾 や 大輝 本人から 嫌がらせを止めるように彼女達に忠告するのは 逆効果にも思える。
ゆき は大輝 に そんな素直な気持ちを話した。
大輝 は ゆき のそのお願いの真意を理解し、こう言った。
「ゆき は、俺や 慎吾 と違って 慣れない人の前ではあまり感情を出さないから誤解されやすそうだけど…感受性豊かだし 優しくて涙もろいよね」
「そうかな…大ちゃんや 慎吾先輩 の方が優しいよ…」
「いや、俺は結構 嫌な奴だよ。正直言って、ゆき に嫌がらせするとか 許せない」
「嫌がらせっていうか…ちょっとイライラしちゃっただけだよ」
大輝 が少し微笑んで、まっすぐな目で ゆき を見つめた。
「ゆき は心が綺麗だよね。俺は 嫉妬もしてるよ。怒ってる。ゆき が傷つくような事を、俺は全然気付けてなくて 慎吾 が先に気付いた事にも怒ってる。」
「…今まで言わなくてごめんなさい」
そう言って 涙がこぼれる。
「ゆき や慎吾 に怒ってるんじゃない。気付かなかった バカな俺に怒ってる。本当、ごめん…」
大輝 の声も震えた。
「大ちゃん…私は全然 大丈夫だよ。大ちゃんといられなくなる方が嫌だから、全部 我慢出来る。だから言わなかったんだよ、ごめんなさい」
「俺が守るから、ゆき、泣かないで」
「ありがとう、でも、大ちゃんも泣かないで」
2人で泣いたまま笑って、キスをした。
ゆっくりと ゆき を抱き締めた腕の力強さが、大輝 の決意に感じられた。
大輝 や 慎吾 の学年が卒業するまで続いた嫌がらせには、ゆき 1人ではなく 大輝 と 慎吾 の3人で耐えた。
大輝 や 慎吾 の卒業式に撮った写真は、ゆき を中心にして 3人がアップで写っている。
慎吾 が腕を伸ばして撮ったもので、今でも ゆき のお気に入りの1枚だ。
球根
11月。
今日は朝から 身体が重かった。
前日まで、姉と 強行スケジュールで地元に帰っていた為 心身ともに疲れが溜まっていたのかもしれない。
東京に着いたその日に両親のお参りを済ませ その日の夜から翌日の夜まで 生前にそれぞれが深交の深かった数人に会い 今朝早い飛行機で北海道に戻ったというのも大きく影響している。
高校の古典の教師をしていた 父。
お茶とお華の教室を開いていた 母。
仲の良い夫婦で、逝く時も一緒だった。
1年前。
高速道路で突如横転したトラックにタクシーが追突。
あわせて5台の玉突き事故が発生した。
タクシーの後ろに トラック・バス・トラック と続く。
トラックの間に挟まれた形になったバスの衝撃は相当大きかったらしい。
バスは 大破し、エンジン付近から炎上。
火は早めに消し止められたそうだが、乗客の半分以上が 損傷の激しい状態で発見された。
就職活動中だった ゆき にとってその日は、最終面接の日だった。
最終面接の直前に大学から緊急の電話が入り、その後の事はほとんど覚えていない。
夫婦水入らずの旅行に行く途中の事故だった。
普段は自分達で運転して出掛ける両親だが、たまには2人とも運転せずにのんびりしたいという事で 珍しく バスツアーに申し込んでいた。
朝早くから楽し気に出掛けて行く2人の姿を見たのが 最期になった為、すぐにでも「ただいまー」と帰宅しそうな錯覚を起こす。
辛うじて 父の弟と 母の妹が 遺体を確認したが、姉の このみ も ゆき も 両親の姿は確認させて貰えないほどの状態だった。
それもあってか、年が明けてからも なかなか両親がいない事実を受け止めきれなかった。
当時 ゆき には別の大学に彼氏がいたが、両親の死を説明する気力が生まれず 連絡も取れない。
2月。
このみ は 婚約者である 登の札幌への転勤をきっかけに 北海道に移住する一大決心をして、ゆき にも北海道での就職を薦めた。
事故のショックもあり 就職活動がストップしていた ゆき も、姉と共に北海道に行く事に決める。
大学の友人からはかなり遅れたが、学校サイドの協力もあり 蓮香斎場 への就職が決まった。
相続諸々の手続き・マンションの解約・北海道での新居探し…そのほとんどを このみ がやってくれたのだから ありがたい。
3月。
このみ は一足先に札幌へ引っ越し、登との同棲をスタート。ゆき の住む事になるアパートの契約もしてくれた。
ゆき は卒業式を終え、その日の内に北海道へ向かう。
数日前にようやく彼にも連絡を取り、一方的に別れを告げた。
事故の事も 引っ越しの事も 何も話せなかった。話したくもなかった。
その時の ゆき は、まだ全てを 受けとめきれていなかったのかもしれない。
北海道に向かう機内は空いていて ゆき の隣には誰も座っていない。
窓側の席の為 空港の滑走路の光が綺麗に見える。
離陸の頃から少し雨が降り始め、窓に当たる雫で 夜景が滲んだ。
音楽チャンネルでは THE YELLOW MONKEY特集 をやっていて、昔 母の引き出しから CDを借りた事を思い出す。
「あぁ、夢じゃないのか…」
目を閉じ 音楽チャンネルをゆっくり聴きながら、ゆき は機内で 少し泣いた。
今日。
羽田からの便が新千歳に着いて、そのまま快速電車に乗る。
帰宅後すぐに準備をして 蓮香斎場 へ出勤。
今日の ゆき の役割は 坂元の補佐役だ。
”お別れビデオ”の楽曲が THE YELLOW MONKEYの『球根』だとは聞いていた。
世界はコナゴナになった
でも希望の水を僕はまいて
身体で身体を強く結びました
永遠の中に生命のスタッカート
土の中で待て 命の球根よ
魂にさあ根を増やして 咲け…花
この日の葬儀は ”お別れビデオ”で紹介されたプロフィールによると、坂元と同い年の男性だった。
進行性のガンで余命が半年と宣告を受けてから、勤めていた会社を退職。
体調の良い時には、夫婦で旅行に出掛けたらしい。
結果的に、宣告を受けてから 1年半後に亡くなった。
亡くなる3日前。
このCDをかけて欲しいと奥様に頼んだらしい。
病室に持ち込んでいたラジカセで2人で聴いたそうだ。
その時に手を握ってきたご主人の温もりは この曲と共に 一生忘れられないものになる、と話してくれた。
「ゆきちゃん…」
帰り道。
従業員用駐車場で 坂元 から不意に声を掛けられた。
「え?呼びました?」
「うん。今日は本当にお疲れ様。ゆきちゃんにも、希望の水が あるハズだからね」
「ふふ、ありがとうございます」
「うまく言葉が見つけ出せなくてごめん、お疲れ様」
一礼して坂元 の車を見送る。
坂元 の優しさが、この日は少し 苦しく感じた。
「希望の水…根が枯れる前に 探し出せるかな」
1人きりになった駐車場で、思わずそう呟いた。
ゆき の誕生日
AM0:01
大学生の頃とは違い 随分減りはしたが、日付けが変わるタイミングから 続々とお祝いのLINEやメールが届く。
AM0:10
このみ からランチの誘いがきた。
待ち合わせ時間を返信しようとした矢先に
「ごめん、こんな日に誘ってしまった…予定あるだろうから また今度にしよう!お誕生日おめでとう」
と追加のLINEが入る。
特に予定は無かったが 今更 その返答はし辛い為 了解 とスタンプを返す。
「てか、お姉ちゃん…私の誕生日 忘れてたのか」
AM9:00
「おはよう、そして誕生日おめでとう!ゆきちゃん にとって素敵な一年になりますように」
坂元さん からのメールに 思わず笑顔になる。
もう一度読み返そうと思った時に 電話がきた。
「誕生日おめでとう!林さん 今夜 出てこれない?森さん も誘ってるんだけど、同期で誕生パーティでもしようよ」
「杉山さん、なんで私の誕生日知ってるんですか」
「まぁ、それはいいじゃん。夜、どう?」
断ろうかと思ったが、みどり の事も誘っているのであれば 断るのも少し申し訳ない気がして 行ってみる事に決めた。
「杉山さん や 森さん の誕生日祝いしてないので 割り勘なら行きます」
「了解、じゃあ 8時に ジュンさんの店で」
AM10:00
毎年 1番先にお祝いの連絡をくれる 智子 に電話をしてみる。
「LINEありがとう、今 電話大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、ちょうど 悠人もテレビ観てて大人しくしてるから」
「11月、東京帰ってたんだけど 忙しくて連絡出来なくてごめんね」
「やっぱり来てたんだ」
「お父さんとお母さんの事もあって 全然時間取れなくて…今年また帰るから その時は連絡するね」
「わかったよー!あ、あのね、ゆき…」
智子が少し 言いづらそうにしている。
「この前、慎吾先輩から連絡きて ゆき が今どこにいるのか聞かれたよ」
「え、慎吾先輩?」
「あまり細かいこと言わない方がいいかな、って思ったから 就職して北海道にいます とだけ言ったんだけど…」
「気を使わせてごめん、ありがとう」
「なんか、慎吾先輩も北海道にいるらしくて…江別?って所にいるって言ってた」
「そうなんだ!慎吾先輩、江別にいるんだね」
「江別って 札幌に近い?」
「結構近いよ、うちの系列店もあるし」
「そっか、じゃあ偶然会う事もあるのかな」
「んー、どうだろうね…でも、大丈夫だよ!もし偶然会っても、私はもう大丈夫。大輝先輩とも、嫌いで別れたわけじゃなかったし…」
「そうだよね、良かった。それがちょっと気になってたんだ」
PM7:30
「こんばんはー」
「おお、ゆきちゃん、早いね」
ジュンさんの店は 今日も暇そうだ。
料理もお酒も美味しいけれど 店内はいつも常連客しかいない。
混雑している所が苦手な ゆき は、この店のそんな所も気に入っている。
ジュンさん とたわいもない話をしている内に、みどり がやって来た。
「こんばんは、あ、ゆきさん もう着いてたんですね!」
言い出しっぺの 杉山 は、8時を少し過ぎた頃にやって来た。
明らかにプレゼントとわかる 大きな紙袋を持って。
「杉山さん、なんか色々…ダダ漏れですね」
みどり の鋭いツッコミが入り 場が和む。
3人で飲みに行くのは初めてだったが、それぞれの部署の話や休みの過ごし方などを話していると ここに来る前に想像していたよりもずっと盛り上がる。
杉山 の通うジムの話になった時には、みどり と ゆき で もう鍛えるのはほどほどにした方が良い と提案した。
ジュンさん も「これ以上鍛えたら なんかちょっと気持ち悪いよ」と杉山 をイジる。
「うわー、俺、嫌われてる」
皆で笑い合い、楽しい時間が過ぎた。
11時になる頃に、ジュンさん が スティーヴィー・ワンダー の『Happy Birthday』をかけてくれる。
この店には ジュンさん 拘りの音響設備があり、店内に音楽がひろがった。
周りにいた 他の常連客数人も 拍手で祝ってくれた。
「ありがとうございます、最高の誕生日です」
素直にそんな言葉が出る。
杉山 がくれたプレゼントは女性向けのフィットネス器具で、そこでも皆で笑った。
0時になる直前に帰宅した ゆき は、久しぶりに昔の写真を眺めた。
家族での 誕生日会の写真や、智子達 数人の大学のサークル仲間で撮った写真もある。
そこには 慎吾 も写っていた。
アルバムに挟んでいた 一枚の写真が零れ落ちた。
大輝 と旅行に行った時に撮ったものだ。
当時、あまり 飛行機に乗るのが好きではなかった ゆき にとっては 大輝 とのたった一度の旅行だった。
AM1:00
「大ちゃん、おやすみなさい」
そう 呟いてから 眠りについた。
シャコンヌ
荘厳で 落ち着きのある 楽曲は、ゆるやかさの中にも強さがある。
今回の”お別れビデオ”に使用された楽曲は、故人の指定のものだった。
J.S.バッハ 『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番二短調 シャコンヌ』
これの、ブラームス編曲版である。
葬儀担当である 坂元 から ”お別れビデオ”の編集全てを任された。
それもあり ゆき としては勿論 気合が入っていたのだが、不思議な繋がりがいくつかあり 両親との思い出も沢山浮かぶ ビデオ製作となった。
葬儀の際に、制服姿の学生が多くいた事も ゆき には懐かしかった。
皆、優しい表情でビデオを観ている。
実際の両親の葬儀の際は動揺しており 生徒達の表情や 交わした言葉など 何も覚えていなかったのだが、あの時の生徒達も こんな風に 故人を想ってくれていたらいいな と思った。
故 斎藤実さん は地元の市立高校教諭だった。
遺影を見るに、同じく高校教師であった ゆき の父親とは 少し雰囲気が違う。
斎藤氏が美術教諭というのもあるのだろう。
楽曲指定のあたりも、芸術家気質の彼らしい。
奥様も感性豊かな方らしく、故人のエピソードを聞きに ご自宅に伺った際にもそれが感じられた。
まず、自宅内に 池があった。
何故 室内に池があるのかという質問は、未だに出来ていない。
そして、アトリエもあった。
奥様は陶芸を嗜んでおり、絵と陶芸 温度や湿度の調整もある為 それぞれ仕切りを付け エリアを決めて使用出来るほどに 広さのあるものである。
今回の”お別れビデオ”では、必然的に 斎藤氏が描いた 壮大な絵も披露する事になった。
もともと 画家を志していた彼が 教師を目指す事になったきっかけは1枚の絵。
その絵は ある1人の高校教師が描いたもので、国内のコンテストではあったが 優秀賞を飾ったものであった。
「教師をしていたからこそ、描く事の出来た作品です」
受賞式でそうコメントをしている姿を見て、何故かすんなり 高校教師を目指す事に決めたのだという。
「生徒達との日常で得られた 人間としての深み、又、生徒達から聞く 純粋な感想が 自分の絵を 更なる高みに連れて行ってくれました」
その日聞いたこの言葉は、後に 斎藤氏自身も体感する事となる。
学生時代の斎藤氏は、どちらかというと 人の意見はあまり聞き入れない プライドの高いタイプであったらしい。
それは、個性としては良くても ある時期で伸びが止まってしまう危険性がある。
何度か 学生対象のコンテストで連続して受賞した頃、突如 スランプにぶちあたる。
何を描いても満足がいかず、そもそも何の為に描いているのかとわからなくなっていた。
そんな時にたまたまつけていたテレビで、授賞式の映像を見る。
急な進路変更にはなったが、斎藤氏は教師の道を目指した。
そして見事、それを実現させる。
美術教諭となった彼は、それからの人生が 実に素晴らしいものであったか 自伝に綴っていた。
そして、その自伝を読んではいなかったとしても 作品を観るだけで伝わってくるものがあると思った。
教師になってから、斎藤氏の絵は大きく変わってゆく。
自己を追い込み 人を拒絶し 心の奥底で自問自答して生まれる今までのスタイルから、相手に想いを伝える為の 開かれた絵画スタイルに変わった。
だからと言って、暗い・明るいという単純な事ではない。
昔も今も、斎藤氏の作品には どこか 影がある。
そしてその個性自体は変わっていない。
影が ただの苦しみを表現していたものから、作品としての深みに変わった。
教師になってすぐの頃 製作時に聴いていた音楽が シャコンヌ だったという。
彼は昔から、製作中には クラシック音楽を好んで聴いていた。
無音だと 良いアイデアが浮かばない、と言うのが彼の持論である。
自分の作品へのアイデアが浮かぶと、まるで音が何もかかっていないように感じる。
そして、それこそが 作品に集中出来ている証明になるのだそうだ。
そして、音楽を聴くもう一つの理由。
ふと我にかえる時、無音だと恐怖を感じるらしい。
世界に1人だけ 誰にも認められる事もなく 取り残されたのではないかと。
ただ1人で 自分の才能を信じ 描くことに没頭した年月も、大事な経験だったと 後に話していたらしい。
奥様とは学生時代に出会っていたのだが、学内で少し変わり者扱いされていた斎藤氏とは さほど親しくは無かったようだ。
その後、高校の美術教諭として人生をスタートさせた彼に再会した所で 交際が始まったと聞いた。
昔を知っていたからこそ、彼の変化に気付いたのだという。
「どちらの彼も、魅力的でした」
そう話してくれたご夫人は、これからも あのアトリエで 作品を創り続ける。
後日、ゆき は 夫人から お抹茶用の茶碗を2つ購入した。
引越しの際に 茶器は全て持って来ていたのだが、なかなか落ち着いて お茶をたてる時間が持てなかった。
次の休みには このみ を招待して 久しぶりにお抹茶をたてよう。
茶道と華道の先生をしていた 母は、私達 娘2人にお茶をたてるのも好きだった。
おおまかな作法は習ったが、このみ はせっかちなタイプなので さっさとお菓子を食べては 一気に飲み干して母を困らせていた。
自分自身も そんなやり取りが面白いと思う程度で、そこから先 真剣に学ばなかった事を今更ながら残念に思う。
葬儀部・臨時葬儀部
北海道で迎える 2度目の春。
4月下旬の北海道は 朝晩はまだぐんと冷え込むが、日中は暖かい日も多い。
ゆき にとっては 蓮香斎場での勤務も 2年目。
まだまだ学ぶべき事は山積みだが、仕事自体には大分慣れてきたように思う。
この日 一緒に葬儀を担当する事になった 千秋主任と ゆき は、少し早めの昼食を取る為 食堂へ行った。
午前中 病院から連絡が入り、昼過ぎから 千秋 とご遺族のお宅へ伺う事になったからである。
入社してすぐの頃は 千秋主任の事を少し怖い人の様にも感じたのだが、話してみるとなかなか面白い人で サバサバした性格も ゆき とよく合った。
主任はバツイチで、中学生のひとり息子 広大くん がいる。
広大くん は名前の通り大らかで、普通ならそろそろ母親と出掛けるのを嫌がる年頃だと思うのだが 千秋 の話を聞く限りでは 休みの日に仲良く出掛ける事が多い親子だと思う。
高校卒業後すぐに蓮香斎場に就職した千秋 は、もともとは事務をしていたらしい。
思った事をすぐに口に出してしまう性格から、当時の葬儀部部長にも 形式に囚われない新しいアイデアをどんどん発していたそうだ。
保守派の部長と 形式や慣例に左右されない事務員。
何度もぶつかる内に 部長の「じゃあ、自分でやってみろ」という一言で 部署異動となった。
当時の葬儀部部長 その人こそが 現副社長なのだから、なかなかの強心臓だと ゆき は思う。
千秋 の革新的なプランは多くの顧客から支持され、 部長もそれを素直に認めた。
現在も千秋 の 良き理解者である。
実際に、千秋 の仕事ぶりは今も尚パワフルで 斬新である。
合わない相手には全く合わないという短所を自分でも理解しているからか、クレームになる前に他の社員に仕事を任せる所も斬新だ。
相手が 古くからのしきたりや 見栄えに拘る 地域の有力者達の場合は、その分野のスペシャリスト 橋下 の横で そっと大人しく 経費の節約に没頭する。
「いかに高そうな葬儀に見せるか」 にモードを切り替えるそうだ。
今ではようやく、ゆき が手伝える仕事も少しずつではあるが増えてきた。
千秋 の補佐を担当すると、オプションの”お別れビデオ”は大抵 ゆき が作ることになる。
「私の性格、細かい作業に不向きなんだよね」
そう居直る様も 清々しい。
細かい事に不向きだとは言いつつも、千秋 は仕上がった”お別れビデオ”を何度も何度も 丁寧にチェックする。
そして、何も説明をしなくても 製作する上で ゆき が拘った部分や 伝えたなった事 をほぼ汲み取ってくれるのだ。
ゆき が込めたその想いをご遺族の心の中にもそっと引き渡してくれるのだから、千秋 は ビデオの製作をしないのではなく ゆき に製作させてくれているのだろう。
そろそろ食べ終える という所で、事務局長 佐藤里奈 がやって来た。
この2人はもともと 事務所勤務時代の同期らしく、割と仲が良い。
当時 事務所内に佐藤が3人いた事から 下の名前で呼ばれるようになったようで、それが今でも定着している。
「千秋、さっき新人くんが青い顔して事務所に来たけど」
「あぁ、やっぱりダメか…今日はもう無理そう?」
「今日は無理。てか、向いてないね。普通の葬儀担当になった方がいいと思う」
今年の新入社員 成田淳一 の話題だ。
内容を書くと グロくなりそうなので割愛するが、所謂 洗礼を受けたのだろう。
蓮香斎場の営業部には、二つの顔がある。
橋下・坂元・佐藤千秋 などが在籍する 葬儀部。
ゆき もここに在籍しているのだが、基本的には 入院先や搬送先の病院から連絡を受け 葬儀を執り行う諸々を仕切る 普通の葬儀担当である。
もう一つは、臨時葬儀部。
主に 警察からの連絡を受けて出動し、粛々と葬儀までを執り行う。
事故や事件など あまり表には出せない状況で 身元引受人のいない方。
措置の済んだ病院にお迎えに行くのではなく、現場へのお迎えから始まる。
故人が会員だった場合は 通常の葬儀担当がお迎えに上がる事もあるが、大抵の場合 ほとんどが非会員だ。
臨時葬儀部は 文字通り 臨時に設けられる為 臨時職 に当たる。
所謂 ワケあり案件だけを扱う部署の為、日頃から 頻繁に仕事があるというものではない。
それにより、契約上 臨時葬儀部は 蓮香斎場と江別斎場 両方に在籍する形をとっている。
あまり顔を合わす事は無いが、働いている社員もやはり ワケありだ。
ベテランの 山口 以外はいつもすぐに辞めてしまい 入れ替わりが激しい。
成田淳一 は、そんな 臨時葬儀部を希望して 4月に入社した。
入社後数回出動の機会があったようだが、どうにも彼にはこの仕事が向いていないらしい。
ゆき の後輩になるのも 時間の問題かな…そんな事を考える内に 出発の時間になった。
「そういえば…」
故人宅へ向かう車内で 千秋 が言う。
「最近、林さん、江別斎場の 杉山くん と親しいの?」
思わぬ質問に驚きつつも 冷静に答える。
「親しいというか…森さん も交えて同期の3人で飲みにいく事もありますね」
千秋 の話では、里奈 はどうやら 仕事の休み時間を利用して 杉山 のファンサイトを作成しているらしい。
「もしかして…私の事を良く思ってないとか、そういう事ですかね」
ドキドキしながらそう問いかけると 意外な答えが返ってきた。
「あ、そういうのは全くない。まぁ いい大人だからね。なんか、頼みたい写真があるって言ってた」
「写真ですか?」
「今度こっそり、酔っ払ってる写真か寝顔なんかを撮ってきて欲しいみたいよ」
「それなら出来るかもしれません、あの人 お酒弱いみたいで すぐ寝ちゃうんですよ」
「それなら話が早い、急がないから その内宜しくね」
翌月 ちょうど休みが合い 久しぶりに開催した飲みの席で 案の定 杉山 はすぐに酔っ払い 寝てしまった。
このチャンスに、ゆき は写真を撮れなかった。
思いがけない出来事に、すっかり写真の事など頭から抜けてしまったのだ。
その日の話は また 別の機会にでも。
来客
「凄く綺麗…」
ゆき は思わずそう 口に出した。
この日は ゆき と このみ が楽しみにしていた来客があった。
この為にゆき は、昨夜このみ の部屋に泊まった。
生前 母が親しくしていた 呉服屋さんが ご夫婦でやって来るという事で、久しぶりに2人で 着物を出して 夜中まで昔話に浸った。
母は成人までを 兵庫で過ごし、藤原夫妻とはその頃からの付き合いになると聞いている。
東京に出て父と知り合い 私達姉妹が産まれてからも、何度か当時の家に来た事がある。
反物を持ってきては、母は 自分と このみ の着物を選んでいた。
「うちの子は 男の子ばかりだから やっぱり女の子がいるといいわねぇ」
藤原のオバ様が そう話しながら 目を細めて ゆき達姉妹を見ている。
藤原のオジ様は商売人には珍しく 寡黙で貫禄があるタイプで その頃の ゆき はあまり得意では無かったが オジ様がくれた 藍染の小物 は今でも大切に使っている。
東京での両親の葬儀にも足を運んでくれたのだが、葬儀の際はそのほとんどを このみ に任せてしまっていた為 軽く挨拶を交わした程度だったように思う。
久しぶりのゆっくりとした再会。
2人は沢山のお土産と 沢山の反物を持って このみ の家へやって来た。
このみ は朱色と桃色の反物が気に入ったようで、手持ちの帯と合いそうなのはどちらか とオバ様と盛り上がっている。
このみ が楽しそうで ゆき も嬉しかった。
姉はいつまで経っても 姉らしく、常に ゆき を気遣い 優しい。
たまに見せる 姉 では無い顔に、なんだかホッとした。
「ゆきちゃん」
オジ様の声で 我に帰る。
「これ、どうだろう」
それは珍しい 青緑色の反物だった。
深く 優しい色合いの中に 強さが見える。
「凄く綺麗…」
ゆき は一目でその色が気に入った。
ゆき の声を聞いて オバ様とこのみ の会話が止まる。
「ゆきちゃん 好きそう って思ったの」
そう オバ様が言うと このみ も賛同する。
いつの間にか このみ は自分の着物を決めていたようで、その後は 少しの昔話と 藤原夫妻の旅の話をしているうちに あっという間に時間になった。
着物が仕上がったら 北海道旅行も兼ねて すぐに来てくれると言う。
新千歳空港で2人を見送ってから、駐車場まで このみ と腕を組んで歩いた。
「なに、急に 甘えちゃって」
このみ が笑う。
未来の話を出来る事が当たり前の事では無いのだと、この数年で痛い程 体験してきた。
だからこそ今と この先の未来を 大切にしていこう。
そんな事を思った夜だった。
オクリ音