並行世界で何やってんだ、俺 (1) プロローグ

未来人の実験台にされた

 魔物討伐のため、廃墟になった洋館に飛び込んだ俺は、10メートルほど先に<ラスボス>と書かれた部屋の扉があることに気づいた。
「なんだ、いきなり最終ステージか。張り合いがないぜ」と肩を(すく)めていると突然、床から無数の魔物が湧いてきて一瞬にして俺を取り囲んだ。
 一匹ずつ現れるのなら()だしも、一斉に現れて取り囲んでくるとは予想しなかった。
 数で勝負というわけだ。
 いくら魔物が勇者にやられる確率が高いとは言え、それに対抗する奴らの作戦にしては反則級である。

(ヤバい! 絶体絶命のピンチだ!)
 歴戦の勇者であっても、この包囲から抜けるのは無理だろう。
 この窮地を如何に乗り切るか考えあぐねていた時、入り口の方から声が聞こえてきた。
「マモル!」
 女勇者ジュリだ。
(おっと、助けに来てくれた!)
 声の方を振り向いた。
 しかし、魔物の肩越しに(のぞ)いても、彼女の姿は見えない。
「おーい! 俺はここだぞぉ! 敵さんは、わんさかいるから気をつけろ!」
「マ・モ・ル!」
「おおよ!」
 彼女の声はするけど、まだ姿が見えない。
 焦りが募り、剣を握る手が汗ばむ。
「おいおい、どこだよ!」

『剣を振り回しながら、魔物の輪の中へ助けに入ってくる女勇者の勇姿と決めポーズ』
『俺とジュリは互いに背中を預けて魔物に斬りかかる』
 そんな絵になる一シーンを頭に描いていたものの、何も起こらない。
 魔物は彼女の声が聞こえないのか、さっきからこちらを向いたままだし、それより肝心の女勇者(ヒロイン)が現れないのだ。
(おいおい……何処だよ……)

 とその時、一段と大きな声がした。
「マーモールー! 起きてー!」
(何!? こんな状況で『起きて』だと!?)
 これには耳を疑った。
 今、魔物と対峙しているのに寝ているわけがない。
 なのに、彼女は『起きて!』と言う。
 その一言に困惑していると、急に魔物の大群も扉も暗闇に飲まれ、目の前に光が差し込んできた。

(ここはどこだ?)
 光の中で、何か黒い物やら肌色の物やらが動いている。
 やがて、ぼんやりとした視界が徐々にハッキリとしてきて、モヤモヤした色の正体が見えてきた。
(ん? もしかして……その顔はジュリ? 今頃登場??)
 視認出来たのは、ジュリはジュリでも女勇者の姿ではなく、黒いセーラー服姿のジュリだった。
 彼女は三つ編みの先端を指で(いじ)りながらニヤけている。

 魔物や勇者の世界にセーラー服とは、おかしな組み合わせだ。
 虚構と現実。
 この世界の区別が付かない時期も昔はあったが、今の俺はちょっと残念だけれども区別が付く。
 あの頃が懐かしい、なんて振り返る(とし)になってしまった。
 なので、虚構と現実を見た以上、ここで遅蒔きながら現実世界へ引き戻されたと認めざるを得なくなる。
「なんだ、……夢かよ」
 深い溜息をついた。特に『夢かよ』に力を込めて。
「何がっかりしているの? マモルの睡眠学習の時間、てかホームルーム終わったよ。帰ろうよ」
 ジュリは、悪戯(いたずら)っぽく笑い、俺の(しび)れた額と両腕を(さす)ってくる。

 俺は君農茂(きみのも)マモル。高校二年生。
 さっきからジュリと言っているのは突猪(とついの)ジュリ。
 幼稚園時代からの幼馴染みで同級生。
 ずっと同じ学校で、時々同じクラス。
 高校に入ると、高一、高二とも同じクラスだ。

 人前で平気で俺と腕を組んだり、こんな風に自然に触ってきたりするが、俺のカノジョではない。
 しかし、周りはそうは思っておらず、完全にカノジョ扱いになっている。
 そうして付いたあだ名は<マモルの虫除け>。
 その名の通り、周りの女生徒が誰も俺に寄りつかない。
 おかげで、実は小学校の時からそうなのだが、ジュリ以外の女の子とどう接して良いのか分からない状態になっているのである。

「今日はどんな夢? イケメンの見る夢だから、ハーレム?」
 彼女は、そう言ってフフッと笑う。
「ラスボスを前にしてお前に見放された夢。孤独な勇者は辛いよ」
「学ラン着たぼっち勇者?」
 そう言われてみれば、夢の中で勇者の俺は学ラン姿だった。
 彼女はなぜ分かったのだろう。
「ぼっち言うな! それより、ケンジは?」

 俺は立ち上がり、席を立つ同級生達の間から首を伸ばした。
 教室の入り口付近の席にいるはずのケンジを探すためだ。
 長身のケンジの頭は他の生徒の頭を一つ抜き出ていたので、すぐに分かった。
「はいはい。続きは二人でゲーセンってわけね。その前に、アイスおごりなさいよ」
 彼女は向き直った俺を見て、人差し指で俺のまだ(しび)れている額をぐいっと押す。
「高二にもなって、まだおねだりか」
「駅前のパーラーにある春限定の桜もちアイスがいいなぁ」
「話を聞け!」

 俺達は帰宅組。
 クラブ活動のため部室へと急ぐ同級生達の間を縫うようにして教室を出て、廊下をダラダラと歩くのはいつものことだ。
 この時間帯のゲーセンは空いているので急ぐことはないし、帰宅組がバタバタと廊下を走って帰るという目立った行動をするのも気が引ける。

「サッカー、やってんじゃん」
 2階の空いている窓からジュリが外を(のぞ)き込んで言う。
 明らかに俺に対しての発言だ。
 彼女の横に並ぶと、彼女はあるポジションの動きを熱い視線で追っている。
 おそらく、視線の先は俺の交代要員だろう。
 あの時のこと、コーチから補欠宣告を受けて目の前が真っ暗になったことをまた思い出してしまった。

 急に気分が悪くなったので、吐き捨てるように言う。
「レギュラー外されたから、もう顔出さねえし!」
 ジュリは俺の物真似をする。
「補欠なんてクソ食らえー!」
「それ俺の台詞」
 この台詞は昨日も言ったなと思いつつも、繰り返した。
「まだ続けていればよかったと言いたい?」
「うーん……」
 彼女は下を向く。
「面倒臭がり屋の性格は、いいことないよ」
 俺は彼女に背を向けて呟いた。
「面倒臭がり屋は時と場合による」
 早くこの会話から逃げたい気持ちで一杯だった。

 そこで、ケンジに逃げ場を求める。
「それより、なんでケンジは部活やらないんだ?」
 ケンジは、長身で肩幅もありバスケットボールか柔道の選手かという体格。
 しかし、その体格からは想像できないほど気が弱い。
 彼はボサボサの頭をかきながら蚊が鳴くような声で言う。
「自信ないし……」
「格ゲーやらせたらお前は最強なのに」
「そう?」
「ああ。……しっかし、お前がゲームやっている時の前のめりの姿、体格と似合わないよな。筋肉がもったいない」
 そう冷やかすと、彼は苦笑いをする。
「格ゲーは、体格関係ないし……」

 すると、ジュリが俺達二人の間に肩をグイッと突き出して割り込んでくる。
「はいはい、格ゲーは後。アイスが先よ」
 ここで試しに、彼女の目の前へ見えない練り餌を垂らしてみた。
「駄目。お前もゲーセン付き合え。縫いぐるみ取ってやるから」
 彼女は目を見開く。餌に食いついたらしい。
「じゃ、あのピンクのパジャマを取ってくれたら許す!」
 速攻で快諾された。いや、条件を付けられたと言うのが正しい。
(まあ一応、魔物に取り囲まれた悪夢から助けてくれたし)
 そこで、学ラン勇者よろしく胸を叩いた。
「俺に任せろ!」
 それから俺達は、お互いにいろいろ冗談を言い合いながら昇降口を出た。

 学校からゲーセンのある商店街までの間は、梨園などの果樹園が広がっている。
 季節ではないので、梨狩りの観光客もいないし静かである。

 見慣れた立て看板。
 たまに通る車。
 たまにすれ違う老人。
 再び訪れた静けさ。
 俺達の足音。
 まだ咲いている桜の木からこぼれ落ちる花びら。
 時折、頬を撫でる風。

 その風につられて、俺は後ろを振り返る。
 俺達が通う花道丘高校は部活を奨励している学校ということもあって、帰宅組は希なため、この時間に道を歩いている生徒の姿はない。

 とその時、ヒューッと風が吹いた。
 ゾクッと何かの予感がした。
(とんでもないことが起こる……)
 側にいる二人を感じない。募る孤独感。
「俺このまま、異世界に行ったりして……」
 何故かそんな言葉を口にした。

 右横で歩いていたジュリは、俺の脇腹に拳を突きつけて笑う。
「ぼっち勇者の夢の続き? まだ夕方だよ!」
 また現実に引き戻された。
「ぼっち言うな!」
 俺も笑った。

 とその時、前を歩いていたケンジが急に立ち止まる。
 急には止まれないのでケンジの背中にぶつかり、しこたま鼻を打った。
 ケンジは、蚊が鳴くような声を振るわせながら言う。
「なんか光った……」
「どこ!?」
 鼻をさする俺とジュリはハモった。

 ケンジの震える右手が指さす先を見ると、100メートルほど向こうにある果樹園の駐車場付近にうずくまっている黒い人影が見えた。
 でも、光は見当たらない。
「光ってないじゃん」
 また俺とジュリはハモった。
 ケンジが震える声で言う。
「光ったら、あいつが現れた……」
「マジ!?」
 今度は俺が先に叫んだ。
 黒い人影は動かない。
「本当に人だよな」
 近づこうとすると、後ろから肩をつかまれた。
 俺の後ろに回り込んだジュリだ。
「待ちなよ。きっと、やばいよ」と震える声で言う。

 その声が聞こえたはずがないのだが、人影がひょいと立ち上がり、こちらを見たように思った。
 とその時、人影はフッと消えた。
「消えた! 確かに、やばいかも」
 俺は、ジュリの方に振り返って答えた。
 すると、ジュリが「わぁ!」と叫ぶ。
 俺の顔に驚いたんじゃないよな、と思いながら駐車場の方へ振り返ると、目の前に全身黒タイツの男が立っていた。
「うわぁ!」
 お化け屋敷やホラー映画くらいでは驚かない俺も、さすがに驚いた。
 黒い人影が瞬間移動したに違いない。
 あそこにいたのは、今目の前にいる全身黒タイツの男だったのだ。

 男は、全身で露出しているのは顔の部分だけ。
 指先まで真っ黒だ。
 ペンシルで()いたようなキリッとした眉。細くて垂れ目。高い鼻。つり上がった口元。薄い唇。
 ちょっと化粧をしたらピエロが似合うかも知れない顔だ。

 男は、愉快でたまらないという顔をしながら口を開いた。
「私、未来人よ。ウフゥ!」
 倍速テープのように早口だ。
(未来人。しかもオネエ)
 笑いのツボを押されたが、恐怖のあまり固まっていて声も出ず、笑いたくても笑えなかった。

 その未来人はケンジに顔を近づけた。
「違う!」
 俺の肩越しにジュリを(のぞ)き込んだ。
「これも違う!」
 そして、俺を見た。
 ニーッと薄気味悪く笑うと、「ビンゴ~!」と叫んだ。

 こちらはまだ固まったまま声も出ない。
「はいは~い。今から実験。ちょっと、これを指にはめてネ~」
 未来人は俺の左手中指に筒のように太い指輪をはめた。
 あまりの素早さというのもあるが、体が固まっていたので抵抗できなかった。
 されるがままでは悔しいが、どうにも体が動かない。
「は~い。次は、アクシュ~」
 未来人はいつの間にか右手にタブレットのような装置を持っていて、左手で握手を求めて来た。
 釣られたのか、催眠術に掛かっているのか、俺はこれにも抵抗なく握手をしてしまった。

 と突然、周囲が(まぶ)しい光に包まれ、目を開けていられなくなった。
 音も聞こえなくなった。
 何が起きたのかまったく分からなかった。

   ◆◆

 マモルが未来人と握手をした途端、彼の周囲が閃光に包まれた。
 数秒で光は消えたが、見ると彼も消えていた。
 正確に言うと、彼の着ていた衣服がそこに抜け殻のように落ちていて、体は消えていた。
 ジュリもケンジも呆然と立っていると、未来人は倍速テープのような早口で自分のことを話し始めた。

 彼の話によると、彼は200年後の世界から来た研究者で、並行世界の住人を交換する装置を開発したらしい。
 たとえば、マモルと並行世界にいるマモルとが交換できるというのだ。
 この装置が過去の人間にも使えるか実験するため、未来人から見て200年前のこの世界に来たらしい。

 その未来人がウインクをして、ジュリとケンジに言う。
「あんた達、数学得意? 実はネ、複素3次元をある軸で切り取ると複素平面が現れるんだけど~、それって4次元空間なノ。いろんなところを切り取ってできた4次元空間の間を自由に行き来できるのが、この装置。あの指輪とセットになっているのヨ」
 数学と聞いただけで虫ずが走るジュリとケンジは、意味不明なので「ハァ!?」と聞き返す。
 未来人は、溜息混じりに肩を(すく)める。
「まあ、本当は違う理屈で交換するだけど~。あんた達が分かりそうな、たとえ話にしてみたのに、分からないノ? この時代の人が分かる言葉を使っても駄目だったのかしら~」

 ここで、ようやく正気を取り戻したジュリが「何すんだよ! マモルを返せ!」と未来人に殴りかかった。
 彼女は一応空手を習っているので、多少は手加減したらしいが、殴られた未来人はヘナヘナと倒れ込み、タブレットのような装置を地面へ落としてしまった。
「オオ、こわ~! 野蛮人ネ!」
 未来人は彼女を睨み付けると、立ち上がって汚れた全身タイツを両手でパタパタとはたきながら、「マモルって子? そこにいるわよ」と梨園の一角を指さす。

「並行世界の子だけどネ」

 彼が指さす先を見ると、全裸になった男が腹を抱えるようにうずくまっていた。
 彼女は「マモル!」と叫んで駆け出しそうになったが、『並行世界の子だけどネ』の一言で立ち止まった。
「何、その並行世界の子って?」
「分からない~? 交換されたノ。マモルって子が」
「交換してどうすんのよ!」
「大丈夫ヨ」

 未来人はニヤッと笑い、「とにかく実験成功~! じゃ、もう一度交換して、元に戻すわネ」と言って、右手を見る。
 しかし、あるはずの装置がない。
「どこ~! ……あった」
 彼は慌てて、地面に転がった装置を拾い上げると、急に青い顔になった。
「石にぶつかってるし! これ、衝撃に弱いのヨ! 壊れたらどうしてくれるノ!?」
 衝撃に弱いという割に(こぶし)で装置を叩き、カチャカチャ触っていた彼だったが、しばらくするとガックリと肩を落とした。
「駄目、壊れたわヨ……。あの子、並行世界から元に戻せないじゃないノ~!」
「えええええええええっ!!」
 ジュリとケンジはハモった。

◆◆

記憶喪失を貫いてみた

 眩しい光が消えたので、恐る恐る目を開けた。
 夕暮れらしく、あたりは薄暗い。
 雨がしきりに左頬を叩いている。
 地面と水たまりが顔の右半分で縦方向に見えるので、右を下にして横たわっていることが分かった。

 震えるほど寒い。
 たぶん、寒いのは雨のせいだろう。
 それにしても震えが止まらない。
 いやいや、これは雨のせいだけではないはずだ。
 思い切って上半身を起こし、自分の胸から下を見た。

 そこには、地面の上では初お披露目となる自分の恥ずかしい姿があった。
(ええええっ?)
 いつの間にか全裸なのである。
 だから震えが止まらないのだ。
 いや、ここで納得している場合ではない。
 急に血の気が引いた。
(ヤバい、こんな格好、人が来たらどうしよう……)
 焦りながら周りを見ると、少し離れた所に衣服らしい物が見える。
 幸い人影はない。
 服を取りに行くため、ヨッコラショと立ち上がった。

 とその時、後ろから急ブレーキの音がした。
 振り向く間もなくドスンと何かがぶつかり、ショックで(うつぶ)せの向きに投げ出された。
 地面へ倒れた際に、しこたま頭を打った。
 何が後ろで起きたのか分からない。
(急ブレーキってことは、車に()かれた?)
 音から判断するにそうだろう。もちろん、初体験である。

 ぶつかった背中や頭等は火が出るような痛みだ。
 しかし、耳は無傷で冷静。
 そのおかげで、周囲の状況を音で把握出来た。
 車のドアが開く音とたくさんの靴音が聞こえてくる。
「軍曹! 人であります!」
 甲高い女の声がした。
(軍曹とは古い時代の階級だな。いつの時代だ?)
 頭痛が(ひど)いが、こういう判断は冷静に出来た。
「貴様! ブレーキが遅い!」
 これも女だが低い声だ。
「おい、大丈夫か!?」
「目を開けません!」
「なぜか裸です!」
「服がここに脱ぎ捨ててあります!」
 違う女の声が次々と頭の上を飛び交う。
「変態か。連れて行け」
『ブレーキが遅い』と言った女の低い声だ。
(ああ、俺は変態にされた)と思ったところで気を失った。

 目を覚ますと、病室によくある照明器具と薄汚い天井が見えた。
「おや、目を開けたね。注射が効いたようね」
 年寄りのような女の声がした。
 と同時に、白衣を着た老女が(のぞ)き込む。声の主か。
 次は軍帽をかぶった軍服姿の女が(のぞ)き込む。
 面長できりっとした顔。
 どこかの歌劇団の男役で見たことがある。
「おお、やっとお目覚めか」
 その聞き覚えのある低い声。
(兵隊だったのか)
 周りを見渡すため少し上体を起こそうとしたが、頭痛が(ひど)くなったので、諦めて動くのを()めた。

「軍曹! 準備が出来ました!」
 甲高い声がする。
 姿は見えないが、他にも人がいるらしい。
 軍曹と呼ばれた女が、ふぅと溜息をつく。
「さてさて、何から聞くかね、鬼棘(おにとげ)マモルくん」
 その聞いたこともない名前にキョトンとした。
 俺の本名は、君農茂(きみのも)マモルだ。
「それって、俺の名前ですか?」とボンヤリ答えた。
 女軍曹は眉を(しか)めた。
 逆に、「すみません。お名前は?」と相手の名前を聞いた。
 単に、聞かれたら聞き返したくなっただけだ。
『関係ないだろ』と言われるのかと思ったが、女軍曹は意外にも、下を向いて一層声を低くして答える。
「サイトウ」

 サイトウ軍曹は顔を上げ、火のついていないタバコを口に(くわ)えて質問する。
「ま、それはいいわ。君ねぇ。なんで、あそこで服を脱いで倒れていたの? 今、(ちまた)流行(はやり)の追い()ぎ? でも生徒手帳も財布も、金も取られていなかったしね」
 白衣の老女は、「ここは禁煙」と言ってサイトウ軍曹からタバコを取り上げた。
「分かりません。まったく記憶がありません。あそこはどこの町ですか?」と本当に困惑しながら答えた。
 そして、「で、俺は誰なんですか?」と付け加えた。
 これは、咄嗟(とっさ)についた嘘だ。
 サイトウ軍曹は冷たく言う。
「よそ者? んな訳ないよね。これ、身分証明書。写真の顔も同じだし、書かれた住所は倒れていた場所の近くだし」
 それを聞いて泣きそうになってしまった。
「でも、何も分からないんです。覚えていないんです」
「じゃあ、私の部下達と大立ち回りをやらかしたことは? あの乱闘事件を起こしたことだよ」
 サイトウ軍曹は、グイッと顔を近づける。
 ほんのり、香水のにおいがした。
「知りません。本当に知りません。何も、何も覚えていないんです」
 叫び声がか細くなっていく。

 サイトウ軍曹は、ふぅと溜息をついて振り返る。
「カトウ。反応は?」
「はい! 何もありません!」
 サイトウ軍曹が振り返った方向から甲高い声がして、右手の指先から何かが外された。
(嘘発見器か?)
「本当に知らないみたいだな」
 サイトウ軍曹はそう言いながら体を起こし、また火のついていないタバコを口に(くわ)えるが、白衣の老女は後ろからそれをスッと取り上げて、優しく言う。
「大怪我ではないけど、頭部を強く打っていて、軽い記憶喪失でしょう。」
 そして、白衣の老女は何かを片付けながら言った。
「そのうち、思い出しますよ」
「先生がそう言うなら仕方ない」
 サイトウ軍曹は、諦めてその場を離れた。
 そして、言い忘れていたことをハタと思い出したように手を打って(つぶや)いた。
「そういや、妹さんが来ていたな」

(妹!)
 その言葉に驚いて、心の中で叫んだ。
 実は、俺には妹がいて、妹が生まれた直後に両親が離婚。
 俺達を母親が引き取ってから、妹は3年前に10歳で病死、母親は去年病死。
 それで、独り身になった。
 それから、君農茂(きみのも)の叔父さんに引き取られたのだ。
 もし妹が生きていたなら13歳、中1になっているはずだ。
 ギィとドアの開く音が聞こえる。
「おーい、兄さんが目を覚ましたぞー」
 サイトウ軍曹が外にいる妹を呼んでいるのが聞こえる。
「そうですか。なら帰ります」
 遠くの方で妹らしい女の子の声がする。ちょっと怒っている様子だった。
(帰りますはないだろ)
 見舞いに来てくれた相手にそう言われると、少しガッカリした。
「妹さんと仲悪いの?」
 サイトウ軍曹が近づいてきて、そう言ってまた(のぞ)き込む。
「妹って、誰ですか?」
 これは、半分本心だった。
「あちゃー、こりゃマジで記憶喪失だ」
 サイトウ軍曹は首を左右に振る。
「先生、この子、頼むわ」
 そう言ってサイトウ軍曹は、カトウを連れて部屋を出て行った。
「ゆっくり寝ていなさい」
 白衣の老女も出て行った。

 一人取り残された俺は、心の中で叫んだ。
(マジで、ここどこ!?)

 それからは、誰も見舞いに来てくれなかった。
 怪我は順調に回復し、3週間ほどで退院できることになった。
 白衣の老女に「粋な物つけているね」とからかわれた指輪、未来人から左手中指にはめられた指輪は、なかなか抜けないので諦めていた。

 退院の日に白衣の老女が、病室へ妹を付添人として連れてきた。
 妹との初対面にドキドキした。
 濃紺のセーラー服。
 胸元にアクセントのような白いリボン。
 お下げが似合う小柄な女の子だ。
(これが妹か)
 遺影で見た妹の3年後、生きていたら確かにこうなっていたんだろうなと思った。

 白衣の老女は「お兄さんは元気になったけど、ちょっと記憶喪失なの。助けてあげて」と妹に優しく言う。
「ゴメン。誰だっけ?」と頭をかいた。
 本当は死んだ妹はマユリという名前なので、目の前にいる妹が同一人物ならマユリのはずなのだが、知らないと嘘を言い、記憶喪失を貫くことにした。
 妹は信じられない様子でこちらをずっと見ていたが、やっと口を開いた。
「マユリ。覚えていないの?」と言って、妹は眉を(ひそ)める。
(やっぱり妹だ)
 しかし、嘘を突き通す。
「ああ。本当にゴメン」
「母さんが死んだことも?」
「ああ」
(嘘をついてゴメン!)
「事件も?」
(えっ、事件?)
「……ああ」
 ここで、さらに駄目押しした。
「みんなが俺を鬼棘(おにとげ)マモルというからそうなのかな、と」
 それを聞いて妹は、哀れむような顔をして言った。
「一緒に帰ろう」

 妹に連れられて家に帰ると、見たことがない佇まいに驚いた。
 今までアパート暮らしだったはずが、みすぼらしいながらも平屋の一軒家。
 見たこともない家具。
 薄汚れた壁紙。
 所々雨漏りの跡が見える天井。
 丸い小さなちゃぶ台。
 汚れてぺちゃんこな座布団。
 ごちゃごちゃしているのが好きな俺の部屋は、スッカラカンになっていた。
 あるはずの仏壇も、妹の写真も母親の写真もない。
 ここでは妹の写真、つまり遺影がないことは当たり前だ。妹は死んでいないのだから。

 叔父さんの家も随分と変わったものだと困惑して辺りを見回していると、妹が言った。
「本当に覚えていないの?」
 しかしそれには答えず、自分が気になることを質問した。
「ここに来るまでに見たけど、道を歩いているのはなんで女の人ばかりなんだ? なんで軍人が町にうろうろしている? しかも女兵士が」
 妹は、ふぅと溜息をつく。
「記憶喪失だからと言われても、何から何まで全部、一から説明できないわ。……ええと、伝染病、なんとかというウイルスが蔓延して、戦争も起こって、こうなっちゃったの。男の人は、いることはいるけど少ないわ。戦争はまだ続いているけど」
 そして、ちょっと安心したように付け加える。
「覚えていないならましよ。……何かとね」
「それって、恐ろしいこととか?」
 その含みのある言葉の意味が分からなかったので、具体的に聞いてみた。
 妹は、軽くはぐらかす。
「こっちのこと。……それより、ご飯にしましょう。好きな食べ物とか覚えていないでしょう? ある物でいいわよね?」
 そう言われても、納得はしていなかったが「ま、いいけど」と返した。
 何かと記憶喪失は話の都合がよいが、こうなると不便である。

 もう一つ気がかりなことを聞くことにした。
鬼棘(おにとげ)って誰?」
 妹は呆れた顔をして言う。
「叔父さんの名前も知らないの?」
「ああ。他に叔父さんはいない?」
「他に……」
 妹は、ちょっと考えて答える。
「ハヤシとかキミノモとかサイトウとか叔父さんがいたけど、お母さんが亡くなる前にみんな亡くなったわ。」
 これで合点がいった。
(俺を養子にした叔父さんが違うから、名前が違うんだ)
「で、鬼棘(おにとげ)の叔父さんは?」
「先月、亡くなったわ。お兄ちゃん、あんなことがあってお葬式に出ていないから分からないのね」
(あんなこと? なんだろう?)
 全く覚えがなかった。

 妹は答えながら、セーラー服の上から割烹着を着始めた。
 俺は後ろから近づいて言った。
「料理手伝うか?」
 一人暮らしの俺は面倒臭がり屋だったが、料理には自信があった。
 こだわりがあった、というのが正しいが。
 この問いかけに対して、妹はギョッとしてこちらを見つめた。
「いやいやいや……、お兄ちゃんは無理でしょ! そこに座っていて、お願い」
 妹はそう言いながら、両手で俺の胸を押す。
 押されるままに、ヨロヨロとちゃぶ台の(そば)に座った。
(俺、何かしたか?)
 こうまで拒絶されると、されるがままにした方が無難である。
 仕方なく妹の後ろ姿をじっと眺めていた。
(母さん似だ、俺の妹)

 1時間後、妹の手料理で食事を済ますと、妹は俺の部屋に布団を敷いてくれた。
 硬いベッドから柔らかい布団。こんなに嬉しいことはない。
 水中に飛び込むように布団へ倒れ込んだ。
 まだ腑に落ちないことがいくつもあるが、長く歩いた疲れのせいですぐに眠り込んだ。

初登校で洗礼を受けた

 翌朝、妹に連れられて、俺が通っていたという学校に行ってみた。
 十三反田(じゅうさんたんだ)高校。
 名前は知っているが、ジュリ達と一緒に通っていた高校とは名前が違う。
 門をくぐると、女子校に男が迷い込んだような錯覚に陥った。
 周りはグレイのブレザーにグレイのチェック柄のスカートの女生徒ばかり。
 スカートの丈は妹よりもずいぶんと短い。
 辺りをよく見ると、確かに妹の言うとおり、男子生徒がいないことはないが、かなり少ない。
 男子生徒は俺と同じ学ラン姿。女生徒に合わせたブレザーではない。
 そんな生徒達の中に混じって歩く妹のセーラー服が珍しいのか、俺達二人はしばらく注目の的になっていた。

 俺が行くことが伝わっていたからか、昇降口の前で先生らしき女性が立っていて、出迎えてくれた。
 丸眼鏡をかけてきつく縛ったポニーテールが可愛い、と思ったが、意外にも冷たい言い方で妹をすぐに追い返した。
 女性は俺のクラスの担任教師で、一応カオルと名乗った。忘れられていると思ったのだろう。
 俺は、妹の後ろ姿を見送った。
 足早に去って行く妹を、すれ違う生徒全員が見ている。
(俺ではなく、妹の何かがよほど珍しいらしい……。そうだ、ジュリとケンジはいるのだろうか?)
 昇降口や廊下で二人の姿を探してキョロキョロしていたが、カオル先生の冷たい「早く来なさい」の一言で諦めた。

 カオル先生に連れられて、2階の教室に向かった。
 廊下を走る女生徒。教室から響く騒々しい女生徒の声。
「ここよ」
 開いているドアをカオル先生が指さした。
 斜め上を見た。
(2年6組か)
 教室からカオル先生の姿を見つけた女生徒達が一斉に席に着き始め、ガタガタと音がうるさかったが、次の静寂の瞬間、俺はギョッとした。
 全員がこちらを睨んでいる。
 その視線が、突き刺さるようで痛い。
 それで二、三歩後ろにたじろいだ。
(何でお前が来るんだ)
(邪魔だよ、お前)
 視線から、そう敵意を感じたのだ。
 カオル先生は教壇に立ち「みなさん、マモルくんは事故で記憶喪失になっています」と優しく言った。
 先ほどまでの冷たい言い方が嘘のよう、別人みたいだ。
 その声に教室中でドッと笑いが起こった。
「記憶喪失!?」
「マモルの記憶が飛んだ!?」
「そりゃ都合がいいぜ!」
 口々に飛び出す言葉を、咄嗟に理解ができなかった。
「席はあそこよ。何突っ立っているの。早くしなさい」
 窓際の列の後ろから二つ目にある空席が俺の席らしい。

 席についてから、『都合いい』の意味が分かってきた。
 後ろの女生徒からは、尖った鉛筆で突かれる。
 右横の女生徒からは、消しゴムのかすが飛んでくる。
 前の女生徒からは、丸めた教科書で頭を叩かれる。
 右斜め前の女生徒からは、丸めた紙が飛んでくる。開くと「死ね」と書いてある。
「本当だ。記憶喪失だ」
「いつもなら、んだよ!って食ってかかるもな」
 女生徒達は、俺を取り囲んで大いに笑った。
 これはいわゆるイジメだな、と思った。
 ここではどう振る舞ってよいのか分からないので、されるがままに黙って様子を見るしかなかった。

 しかし、からかう女生徒の笑いは続かなかった。
 帰宅時になると、からかうのも飽きてきたらしい。
「本当に記憶が飛んだみたいだな」
「大丈夫か、お前?」
「ま、いつものお前に戻ると困るけどな」
 という具合に、朝のトーンが格段にダウンしてきた。

 クラスに二人いる男子生徒は、俺を哀れむように見ていた。
 二人は近づいてきて、言葉をかけた。
「頭大丈夫か? 夜中は痛むか?」
「分からないことがあれば、聞きなよ。教えてやるからさ」
「こんなマモルも調子狂うが、悪くないぜ」
「急に記憶が戻り、俺達を巻き込んでのいつもの悪さはしないでくれよ。女どもとの喧嘩を止めるのが面倒だし」
 どうやらここでの俺は、相当な厄介者だったらしい。

 この世界は何もかもがおかしい。
 そもそも、妹が生きている。
 町は女性だらけ。学校も女生徒だらけ。
 町に女兵士がうろうろしている。
 ようやく、俺は、このおかしな世界、異世界というか並行世界に飛ばされたことに気づき始めた。
 一瞬に時間が経過したのではない。過去にさかのぼったのでもない。よその国に運ばれたのでもない。
 信じたくなかったが、確信せざるを得なかった。
(なぜこうなった?)
「そうだ、あの全身黒タイツの男!」と声を上げて叫んだ。
 後ろにいた女生徒がびっくりして「どした!? そんな奴、どこにいる!?」と笑った。周りにいたみんなもつられて笑った。しかし、俺は笑えなかった。
(あいつ、あの未来人のせいで、このおかしな世界に飛ばされたんだ!)

 学校の門を出ると、妹が鞄を抱えて塀に(もた)れかかっていた。
 待っていてくれたのだ。
 道が分からないだろうから、一緒に帰るという。
 門を出る生徒達がジロジロと妹を見るので、気になって仕方がない。
「あのさ」
「何?」
 妹は横を向いたままだ。
 そこで、生徒達に聞こえないように妹の耳元で(ささや)いた。
「何でお前のことをみんながジロジロ見るんだ?」
 妹は足を速め、「家に帰ってから」と言う。俺も足早について行った。

 家に着くと、妹は着替えもせずに、ちゃぶ台を前にチョコンと座った。
 俺も着替えず、向かい合うように座った。
 妹はチラチラとこちらを見る。
「本当に覚えていないの?」
 本当に知らないので、素直に答える。
「ああ。何も」
 妹は、ふぅと溜息をつく。
 考え考え、ようやく口を開く。
「お兄ちゃんってさ」
「うん」
 急に妹は涙ぐむ。
「お兄ちゃんってさ」
「……」
(道路で裸で寝ていた兄貴の妹だ、ってことか?)
 少し顔が熱くなった。
 妹は泣き顔になった。
「お兄ちゃんってさ。……私のためにあの学校の人達と大喧嘩して、何人もの相手に怪我をさせて逮捕されたの」
 妹の言葉にドキッとしたが、これで今日の同級生達の態度が分かったような気がした。
「その時、止めに入った兵隊さんも怪我させて、大騒ぎになって」
 妹がそう言うと、頭の中で急にサイトウ軍曹の顔が浮かんできた。
 相当な暴れん坊だったんだ、俺。
 いやいや、こちらの並行世界の偽の俺。

 徐々に口を開いた妹から、こちらの世界の俺がどういう人間かが分かってきた。
 学校での俺の評価だけを取り上げると厄介者で暴れん坊だが、妹の話を加えると実は妹思いで、妹がひどい目に遭ったら仕返しに乱闘事件をも平気で引き起こす。
 どこでどう間違ったのか、妹思いは同じだが、それ以外は今の俺の性格とは正反対になってしまったようだ。
(元の世界でも、何かのきっかけに俺の性格は変わるのだろうか)
 考えるだけでもゾッとする話である。

 さて、これからどうしよう。
 よくよく考えたが、やはり、こちらの世界の俺を再現してはいけないと思った。
 記憶喪失にかこつけて、あくまで元の世界の俺を演じることに決めた。
 事件を起こすと妹を悲しませることになるのだ。
 妹の涙なんか絶対に見たくない。

 ここで、妹を通じて少しこの世界の様子を探ることにした。
「そう言えば、兄ちゃんの友達にジュリって名前の幼馴染みの女の子いなかった? 突猪(とついの)ジュリ。あと、スポーツマンみたいでがっしりとした体のケンジという男。歩牛(ほぎゅう)ケンジ」
 妹は、記憶喪失の兄が突然何を言い出すのだろうと思ったのか、眉を(しか)める。
「いないわ」
(しまった!)
 妹が疑い始めたと思って動揺した。
(周りが知らないことを話し始める記憶喪失者なんて、おかしいだろ)

 妹は、俺の頭から下に向かって、じっくりゆっくりと観察を始めた。
(これは、まずい)
「その指輪、何?」
 視線が左手に向けられた妹の言葉に、心臓が凍る思いがした。
「拾った、拾った。落ちていた奴をね。喧嘩なんかしていないから」
 おそらく笑って言ったかもしれないが、どういう顔で言い訳をしたのかはどうでもよかった。
 とにかく、この場を切り抜けなければいけない。
「記憶も混乱しているし、訳が分からないことを言ってゴメン。疲れたから、今日は早く寝る」
 口から出任せのようなことを言うと、妹はまた溜息をついた。
「戦利品じゃないのね。よかった。もう喧嘩はしないでね」
 疑いの目から抜け出せたようなので、安堵の溜息をつきながら言った。
「ああ。しないよ、絶対」
「約束よ」
「ああ約束だ」

未来人、再び接触す

 翌日、頭が痛いので学校を休むことにした。
 妹が、学校に連絡してくれるという。
 妹が学校に出かけると、スッカラカンになっている自分の部屋にもう一度布団を広げ、ゴロリと横になった。
 未来人のこと、車にはねられたこと、病院のこと、サイトウ軍曹のこと、学校のこと。妹のこと。
 いろいろ考え事をしていると、突然、左手中指の指輪がブルブルと震えだした。
 俺はブルブルという振動から、なぜか指輪に向かって「はい! もしもし!」と叫んでしまった。
「電話かよ、おいおい」と一人突っ込みをしていると、指輪の向こうから「そうヨ、電話ヨこれ」という声がする。
 聞き覚えのある、未来人のオネエの声。
 思わず「はい! こちらマモル!」と叫んで立ち上がってしまった。

「やーネ。これ全部は壊れていないじゃないノ。通信機能が動いてよかったワ」
 こうして、指輪兼電話を通じて向こうの世界にいるオネエ声の未来人との交信が始まった。
 未来人は早口でしかも、一方的に難しい話やら近況をまくし立てる。
 黙って聞くしかなかったが、ほとんどの話が右から左に抜けた。

 いい加減飽きたので、指輪に口を近づけて話を遮った。
「あのー、状況がつかめないのですが」
 未来人はプンプン声で言う。
「だーかーらー、さっきも行ったように、あんたは並行世界に飛ばされたノ。分かる?」
「それは、全部ではないにしても、なんとか分かるんですが」
 未来人は、またもや早口でまくし立てる。
「複素平面の話は無視していいわヨ。どーせ、たとえ話で、本当の理屈じゃないんだから。だけど、ゴメンネ~。てか、ジュリちゃん、あんた謝んなさいヨ! あのネ~、肝心の装置がジュリちゃんの鉄拳で壊れちゃてネ~。痛っ! 何すんノ!……このようにお互い通信はできるんだけど、元の世界に戻れないノ。直るまでしばらくそこにいてネ。お願い! あ、電池がない! じゃあネ!!」

 一方的に電話を切られたので、そのまま立ちすくんでいた。
 でも、未来人の話から、ジュリもケンジも元の世界で元気でいること、この世界に飛ばされたのは俺だけであること、どんな装置か分からないがそれが修理できれば元に戻れることを聞いて安心し、座り込んだ。
 でも、よく考えると不安な要素がある。
 俺と交代した偽の俺を捕まえて、握手しながら装置を使わないと交代できない、つまり、俺が元の世界に戻れない。
 どうやら偽の俺は、警察の目をかいくぐって逃げ回っているらしい。これをどうすればよいか?
 うんうん唸って考えてもこちらから手を出せないので、諦めて眠ることにした。

 学校に復帰して7日目になった。
 確か学校に復帰したのは1日だったと思うから、今日は7日になる。
 未来人からの連絡はない。
 まだ修理に時間がかかっているのか、偽の俺が捕まらないのか。
 未来人からの連絡が待ち遠しい日々が続いていた。

 教室では、俺に対するイジメはなくなり、当たり障りのない会話で過ごしていた。
 まだまだ友達はいなかったが、敵対する相手もいなかった。
「何であそこで匍匐前進をしているんだ?」
 自習の時間に教室の窓の外をのぞきながら尋ねると、後ろの席にいた女生徒が「うちら、卒業すると軍隊に配属されるの。だから、今から訓練。在学中に後方支援部隊への協力もあるよ。結構きついよ」と教えてくれる。
「ふ~ん」
 そう言って、校庭に低く張られたネットの下で土埃の中を訓練する生徒達をまた眺めた。

 今度は「敵はどこまで攻めて来ているんだ?」と尋ねると、前の席にいた女生徒が「それは機密事項だけど、市内でテロがたまにあるくらいで、平和よ」と教えてくれる。
「ふ~ん」
 戦争もテロも身近で起きたことがないので実感はないが、それでも平和という意味が理解できなかった。
 俺は、はるか遠くの方で幾筋も煙が立ち上っているのを見ながら言った。
「あれで平和なんだ」
 あれはゴミを燃やす煙ではない。ゴミを燃やす時に爆発音はしないからだ。

 廊下を歩いていると、喧嘩が多い。
 血の気が多い奴らがたくさんいるのだろう。
 たまに面白い奴らもいる。
(コスプレか?)
 赤とか黄色とか緑とか、俺の世界よりカラフルに髪の毛を染めている女生徒がいる。
(似ていない双子か?)
 顔はあまり似ていないが、髪型や髪飾りが全く同じで背格好も同じな二人が腕を組みながら歩いている。
(本の虫か?)
 廊下のいつも決まった場所で本を立ち読みしていて、授業が始まっても動かない。
(小学生か?)
 130~140センチくらいの低い背で、その体の半分くらいの大きな人形を手に持ちながらチョコチョコと歩いている。
(お嬢様か?)
 縦ロールの髪型で扇子を手に4~5人引き連れて練り歩いている。こういう具合で、廊下での観察には飽きが来ない。

 だいたい状況が(つか)めてきたが、未来人が装置を修理して偽の俺が捕まれば、こんな世界ともおさらばだ。
 早く帰りたいという気持ちはもちろんあるが、慣れてくるとこの並行世界も少々名残惜しくなってきていた。

奇妙な女生徒、現る

 8日目になった。
 そろそろ未来人から連絡が来ても良さそうだ、と何の根拠もなく期待して学校に行った。
 朝礼の時にカオル先生から、日直は職員室に行ってクラス全員分の音楽ノートを持ってくるように、と頼まれた。
 今日の日直は、俺ともう一人の女生徒だった。
 朝礼が終わってそいつの席に行くと、いない。
 見渡すと、いつの間にか教室から煙のように消えていた。
(やられたぜ)
 ここにも面倒臭がり屋がいたか。仕方なく俺一人で行くことにした。

 職員室で音楽の教師から音楽ノートを受け取り、一礼して職員室を出た。
 何か廊下が騒々しい。
 来た廊下を戻ると騒ぎ声が大きくなる。
 角を曲がると、向こうの方で取っ組み合いの喧嘩が始まっていた。
 血の気の多い奴らがたくさんいるのは知っていて、こういう事件が珍しくないことは分かっていた。
 しかし、通り道なのに邪魔であるし、こちらにぶつかってこられると困るので、いつもは通らないルートを通ることにした。

 職員室に戻って逆方向の廊下を渡り、突き当たりの階段を上る。
 ここは、初めての道なので新鮮だった。
 階段の下から見上げると、踊り場の上の窓から暖かな日差しが差し込んでいた。
 それを見ながら踊り場に辿り着き、右横に曲がって次の階段を上ろうとしたその瞬間、ギョッとした。
 階段の真ん中で膝を抱え、膝頭に額を置いて座っている女生徒がいる。
 危うくぶつかりそうになったので、すぐに後ろに下がった。
 彼女は俺に気づいて顔を上げた。

 顔を見ると面長で西洋人のような顔立ちをしていて、黄色く染めた美しく長い髪が階段まで垂れている。
 蝋人形のように肌がすべすべしていて白いので、マネキンに見えた。
 女生徒のマネキンが階段の途中で膝を抱えてチョコンと座っているのである。
 いやいや、動いているので、正真正銘、生きている人間である。

「あのー、そこに座られると困るんだけど」
 ぶっきらぼうに言うと、彼女は悲しそうな目でこちらを見て、不思議なことを言い出した。
「紙、ない?」
(紙?)
 一瞬、彼女の座り込んだ姿勢からトイレットペーパーを連想した。
(紙なら、トイレに行けば)と思ったが、その言葉を飲み込んだ。
「何の紙?」
 彼女は、ふぅとため息をつく。
「何でもいいんだけど」
「何に使うの?」俺は切り返した。
 その時、彼女は俺が手にしていた音楽ノートの山をジロジロ見て、おねだりするような声で言う。
「それ、欲しいなぁ」
(図々しい奴だ)「いやいや、これはうちのクラス全員の音楽ノートだから」と言い返す俺の言葉を聞き終わらないうちに、彼女は「音楽!?」と小さく叫んで、ゆっくりとニコッと笑う。
「何?」
「それ、ちょうーだい!!」
 彼女は、バネ仕掛けのようにシュッと両手を突き出した。
(こいつ一体、何者なんだ?)
 音楽ノートを捕られまいと一歩後ろに下がり、ニコッと笑った彼女の顔を睨み付けた。

--(2) 第二章 ミカ編に続く

並行世界で何やってんだ、俺 (1) プロローグ

並行世界で何やってんだ、俺 (1) プロローグ

未来人がやってきて、発明品の実験台にされた俺は並行世界に飛ばされ、並行世界にいた偽の俺?は元の俺の世界に飛ばされた。しかし、実験装置が壊れたため、お互い知らない世界で過ごさなければいけなくなる。戸惑う俺だったが、周囲の証言から、並行世界でとんでもないことをしでかしていたことが分かった。そこに、奇妙な女生徒が現れる。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-08-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 未来人の実験台にされた
  2. 記憶喪失を貫いてみた
  3. 初登校で洗礼を受けた
  4. 未来人、再び接触す
  5. 奇妙な女生徒、現る