[短編小説] Close To The Edge

nikolaschika1185

以前@ITで公開していた小説です。通信インフラが充実している昨今ですが、それに対する様々なリスクについて、同僚とのランチ中に話していたネタを元に展開しています。

 キーを叩く音だけが、喧騒から隔離されたコンピュータールームに、タタタンと響いている。
 
 ここは埼玉県の北部。埼玉と云えば、全国で八つしかない、海のない県だ。それなのに、まるで船に乗っているかのような、そんな錯覚に陥っている。
 
「先月、隅田川で食べたハゼの天ぷら、美味しかったな」
 
 揺れを感じている中、ふと思いつきぼそっと放った独り言に、後ろから、どうした、という声がかかる。それに対して、僕は振り向きもせず、手をひらひらと振りながら、某時計メーカーが、以前こんな調査をしていたことを思い出していた。
 
「急用時、相手の携帯電話に伝言を入れてから、折返しの電話があるまで、どのくらい待たされるとイライラしますか?」
 
 結果は、およそ九割の回答者が「一時間以内」と答えていた。まあ、そんなものだろう、と思いつつ、携帯電話が普及する前は、もっと長かったことも事実だろう。
 
 今は、<当たり前のようにある通信インフラストラクチャ>の恩恵を受け、<どこにいてもすぐに連絡を取ることができること>に、誰もが、何の疑問も持たなくなっていた。
 
 便利すぎるのも善し悪しだな、とひとりごち、またキーボードに置いた手を、せわしなくたたき続けた。
 
          *
 
 僕たちがリリースしたゲーム『アイマ』は、最初は知り合いと、その知り合いの程度の間で、ひっそりと使われているに過ぎなかったが、いつしか口コミからどんどん広がり、そこそこプレイヤー人数が増えるゲームへと成長していった。ゲームの内容自体は、よくある位置登録ゲーム、いわゆる「位置ゲー」。設定されたポイントを回り、チェックインすることで、プレイヤーの評価が上がっていくタイプのゲームで、内容自体はありきたりなものだったが、一つだけ特徴的なものがあった。
 
 それは、電波が圏外でもチェックインできること。
 
 技術的な面で正確を期すと、チェックインできない可能性もあるのだが、少なくとも首都圏において、プレイヤー人数が増えることにより、その可能性はゼロに近づいていた。
 
 これは、通常の回線の他、このゲームを使用している人たちの間でアドホックネットワークを形成し、それ利用するという、ハイブリッドな通信方式で実現していることによる。
 
 アドホックネットワークとは、携帯電話の基地局を使わず、端末の通信機能を使用した、一時的なネットワークのこと。消火作業におけるバケツリレーを思い浮かべると、理解がし易いだろうか。
 
 バケツリレーとは違い、次に受け取る人が決まっておらず、また、受け取る人が、その場で待っている訳でもないため、経路の決定アルゴリズムは中々複雑になっているが、それが我が社の技術的な売りの部分と云える。
 
 つまり、電波の届かないところではバケツリレー――アドホックネットワーク―― を使い、電波が通じる人までたどり着いたら、代理でチェックイン情報を、サーバにアップロードする仕組みにしている。
 
 他人の通信網を無断で使うのか、とか、セキュリティに配慮しているのか、という批判も一時は起こったが、チェックイン情報自体の情報量が少なく、また、データ自体の暗号化もしているため、丁寧に説明していくにつれ、その批判も収まっていった。
 
 その結果、利用者が増えていき、社会的注目も高まっていった。そこで、インフラを増強するべく、北関東にある大型データセンターと契約し、先月から、新しいデータセンターでの稼働が開始したところだ。
 
 意気揚々。充実する毎日。希望に満ち溢れる、そんな時に、それは起こった――
 
          *
 
 風が涼しい。九月も終わりに近づき、夜はすっかり過ごしやすくなった。
 
 新データセンターでのサービスインを、無事終えた僕たちは、隅田川で屋形船を手配し、打ち上げを行っていた。数日前に通り過ぎた台風の影響か、少しばかり風が強く、船は軽く揺れていたが、秋口の肥えたハゼと、美味しい日本酒に舌鼓を打った僕たちは、その揺れは全く気になっていなかった。
 
 プロジェクト遂行のプレッシャーから解放された僕たちは、軽い酔いにも後押しされ、将来のビジョンについて熱く語っていた。
 
「今のビッグデータ活用の機運に乗って、行動履歴のデータ、買い取ってくれる企業がありそうですよね」
「それ、どこかのキャリアが既にやっていたよ。位置ゲーの会社と組んで」
「うちはさ、それにアドホックとモーションキャプチャのデータがあるじゃない? もっと面白いことが出来そうだけどね」
「確かにね。 だけど今のデータ構造だと、完全に個人情報と切り離されている、とは云い難いね。ちょっと余裕が出たら考えようか」
「そうだよなあ。まずは一息入れたいよなあ。個人情報保護法に関しては、周りの見る目が厳しいしね」
「そうしよう。僕は来週、またデータセンターに行ってくるよ。今後の拡張計画について、打ち合わせしたいしね」
「俺も同行するよ」
「私も!」
「二人とも居なくなるとオフィスに誰もいなくなるでしょ。リョウタは付いてきて。アキちゃんは留守番」
 
 ニヤリとするリョウタと、頬を膨らますアキの顔を交互に見ながら云った。
 
「よし、また来週から頑張るとするか」
 
 川の上とはいえ、夜ということもあり、僕たちは控えめに気勢を上げ、引き続き大将の揚げるハゼにかぶりついた。
 
          *
 
 データセンターでの打ち合わせを終え、リョウタと二人で、遅めの昼食を取っていた時のことだった。
 
 店の中の携帯電話が一斉に、ティロン、ティロンと不快な音を出し始めた。
 
 緊急地震速報だ。記載されている予測震源地は東京都。
 
 東京都? 東京都心?
 
 一瞬悪寒を覚えるも、すぐに我に返り、とっさに身構える。数秒経った頃、店の外を、大型のダンプカーが通ったかのような揺れが、小刻みに起こったかと思うと、次の瞬間、ぐらっと大きく揺れた。揺れは一分ほどだっただろうか。大きく、長い揺れではあったが、店の中は、一部のどんぶりが、床に落ちただけだった。
 
 思ったほどでもなかったな、と思った後、震源はどこだ、と考え始めたとき、先ほどの悪寒が蘇ってきた。
 
 やはり震源地は東京都と出ていた。首都直下型か?
 
 テレビをつけ、NHKを選曲すると、そこにはスタジオが映し出されていた。少し上ずった声の、白髪の男性アナウンサーが、大きな地震が発生したことを伝え、落ち着いた行動を促していた。
 
 スタジオにはつながるのか。少なくとも、一瞬で壊滅するような地震ではなかったようだ。
 
 ほんの少し、胸をなでおろしたところ、入ってきた震度速報に、千代田区を始めとした多くの区で五強と表示されていた。
 
 この様子だと、大惨事が予想されている首都直下型ではなさそうだ。
 
 それでも、電話は繋がらないだろうな、と思いながら、電子メールとSNSで、港区にあるオフィスにいるメンバーに状況を尋ねてみることにした。
 
 日本の建築物の耐震基準なら、震度五強では壊滅的な被害にはならない。大丈夫だ。
 
 焦燥感を抑え、返信を待つ。五分、十分、十五分……。返信はない。
 
 テレビを見る限りは、大規模な倒壊や火事等の発生は伝えていない。ただ、局地的には分からない。
 
 電話を掛けてみる。やはり繋がらない。
 
 もう少し待とう。
 
 強くなる焦燥感を紛らわすため、SNSを見ると、衝撃的な文字が飛び込んできた。
 
 <【拡散希望】港区で大規模な火災が発生している模様>
 
          *
 
「なんだ……、これ。本当か……」
 
 ショッキングな情報を伝える文字列は、かなりのダメージを自分に与えた。
 
 これは、自分が思っている以上に、大変な事態になっているのかもしれない。
 
 体中の血流が、一気に逆上していくようだった。動悸が激しくなり、汗が噴き出て、めまいがする。目の前が暗くなり、ふらっとしかけた時、リョウタに肩を支えられた。
 
 ありがとう、と答えようとするも、うまく声が出せない。それでも振り絞ろうともがいていたところ、背中を強く叩かれた。
 
「しっかりしろ、お前らしくない! よく見ろ、そのSNSの投稿、画像も、リンクも、何も付いてないじゃねえか!」
 
 はっとした。確かにそうだ。
 
 リョウタの一喝で我に返った僕は、その情報の詳細を確認し始めた。似たような情報はたくさんあるが、どの情報も画像が付いていない。たまに画像付きもあるが、どう見ても今の東京ではなさそうな画像ばかりだ。さらに、『NHK倒壊!』というショッキングな投稿も散見されるが、テレビでは、NHKのスタジオから中継が続いている。
 
「ガセ、が混じっているな」
「おそらくそうだろう。実際にはボヤとかはあるかもしれないが、明らかに愉快犯も混ざっている」
「……、こうしちゃいられない! おばちゃん、お金置いておくよ。釣りはいらない」
 
 まだ支払っていなかった昼食代をテーブルに置き、僕は一目散に走り始めた。
 
「おい、どこに行くんだ!」
 
 リョウタの質問には、手でついてこい、とゼスチャで返し、全速力で駆けていった。
 
          *
 
「ここは、データセンターじゃねえか。どういうつもりだ?」
 
 五分ほど走り、僕たちは元のデータセンターに戻ってきた。
 
「テレビでは大規模な被害は起こっていないように見えるが、SNSでは大災害が起こっているような投稿が相次いでいる。そして、電話網は物理的な問題なのか、混雑のためなのか、東京方面では全く繋がらない。となると、このままでは不用意なパニックが起こるかもしれない」
「パニック?」
「テレビは大災害を隠している、と考え、電話をしまくったり、現地に駆け付けて安否確認しようとしたりする行動が増えてくる可能性だよ」
「それはそうだけど……、何をするんだ?」
「それはな……、アドホックネットワークだよ――」
 
          *
 
「アドホックネットワーク?」
「そう、うちらの虎の子。そのデータを解析し、行動履歴の可視化をすれば、実体が見えてくるはずだ。それと……」
「それと?」
「その話は後だ」
 
 僕たちは、データセンターへの入館手続きを行い、再度入館した。サーバの前に立ち、コンソールを開くと、見慣れたプロンプトが表示された。
 
「実はな」
 
 キーボードでコマンドを打ちながら、リョウタに話しかけた。
 
「もう、行動履歴をGoogleMAP上に表示するマッシュアップは作ってあるんだよ」
「え、マジか?」
「ああ。でも個人情報の絡みがあって、正式にはリリースしていなかったし、これを作っていること自体、用途外の個人情報利用ということで、個人情報保護法違反とも云えるな」
「いや、行動履歴だけだろ?」
「ご丁寧に、携帯の電話番号で検索できるようにしているんだ」
「……」
「一応、アイマ内でのフレンド限定しか、検索できないようにはなっているんだけどね。そして」
「そして?」
「つぶやき機能があるだろ? あれも、アドホックネットワーク経由で、サーバにアップロードされているんだ。だから、行動履歴とつぶやきを連動させると、その人と、その周りの状況が分かるはず。そして、このデータは、回線がパンクしていても、いつかは届いてくるんだ」
「なるほどな。だが、それをやると」
 
 ここまで云い、リョウタは天を仰いだ。僕は、そんなリョウタの肩
 を叩きながら、口を開いた。
 
「厳密には、いや疑いの余地なく法律違反だ。だが、やらないと確実にパニックになる。やるしかない。十数分で立ち上げる。立ち上げた後は」
「後は?」
「メディアにURLを連絡し、SNS上で拡散してくれ。僕の名前でやってくれていい」
「なるほどな、分かった。ただ」
「ただ、なんだい?」
「拡散と連絡の責任者は俺の名前でやる。広報担当は俺がやる。だから、お前はこのシステムの御守りに専念してくれ。ここまで来たら一蓮托生だぜ、コウヤ」
「……、ありがとうな、リョウタ」
 
 まだ、余震が続いているようだ。データセンターは免震構造になっているため、屋形船のように緩やかに揺れている。この揺れは、先週の平和だった隅田川での宴を想起させ、少し感傷的になったが、自分でできることに邁進しようと覚悟した。
 
          *
 
「よし、サービスが立ち上がった。見てみよう」
 
 コンソールでFireFoxを立ち上げ、立ち上げたサービスに管理者権限でログインした。GoogleMAPに青い線が表示されている。
 
「これが全ユーザの行動履歴だ。空白地帯がなさそうだから、大きな被害はなさそうだな」
 
 そして、オフィスに待機しているアキの電話番号で、絞り込みをした。
 
「これがアキの行動履歴だな。アドホックによるタイムラグがあるだろうけど、数分前の履歴がある。そしてここにメッセージが表示されているだろ? 『余震怖い』って」
「確かに。無事そうだ。この機能、使えそうだな。よし、メディアに連絡してくる!」
「一つ、相談がある。一分で決めよう」
「なんだ?」
「このサービス、本当に公開していいのか……」
 
 悩んでいる僕の背中を、リョウタは再び強く叩いた。
 
「やる、に決まっているだろ。ここまできたら、やれることをやるだけだ」
 
 一蓮托生だろ、とウインクしてきたリョウタの顔を見て、決心した。
 
「よし、では広報、よろしく頼む!」
 
 任せておけ、と叫び、リョウタはサーバ室から出て行った。
 
 僕は、一人になって、ファン音がより響くようになったマシン室の中で、モニターをじっと見ていた。
 
 十分後から、サービスに対するトラフィックが増え始め、同時にSNSの投稿も増えていった。メディアは公開を渋っていたのか、テレビで見た、という表現は見当たらなかったが、SNS上ではこのシステムを利用し、安否確認が取れた、との喜びの声が並んだ。と同時に、何の権利で個人情報を公開しているんだ、という批判も、同じくらい投稿されていた。
 
 リョウタは、都度都度、『広報の公式見解』として、真摯に回答していたが、賛否は同じくらいの割合のまま、拮抗していた。
 
 更に三十分くらい経ち、アクセス数が伸び続けて、サーバリソースの消費が、危険な領域まで達してきたため、スケールアウトを行い、トラフィックを分散した。そのころになると、メディアもこの動きを無視できなくなったのか、一部で取り上げられてきたようだ。それと同じくして、地震後の正確な状況が分かってきたのか、大災害が起こっている、という情報が減少し始めてきた。
 
 サービスイン二時間後、アキから電話が来た。
 
「手短に。こちらは無事です。社長のお気に入りのオブジェは落ちて壊れましたが。そして、アイマの話題が凄いです」
「そうか、分かった。僕たちは、今日は帰れないだろうから、アキちゃんは自分の判断で動いてくれ」
「かしこまりました。社長とリョウタさんもお体には気を付けて」
 
 電話もつながり、アキの話も聞けたため、この行動履歴閲覧サービスの停止を決断した。広報として孤軍奮闘していたリョウタに、一時間後にこのサービスを停止するよう、広報してほしい、と伝えると、リョウタはすぐに行動した。
 
 <地震に伴う大規模通信障害の緊急対応として提供していた、弊社のアイマ行動履歴検索サービスですが、通信の復旧に伴い、十九時に本サービスを停止いたします。喜びに声に加え、いろいろと本サービスに対するご意見をいただき、大変感謝しております。今後につきましても、まずは安全第一で行動なさってください>
 
          *
 
 アイマの行動履歴を使った検索サービスは、概ね好意的に受け止められたが、やはり個人情報を、同意なしのまま、一時的にでも垂れ流しにしたことで、大きな非難も浴びた。
 
 中には、DV等の被害者のプライバシーが危険な状態になりかねない、というシビアな意見や、会社にサボっているのがばれたらどうする、という自業自得と思われるコメントもあった。
 
 大きな反響を呼んでしまった以上、二十一時には、アイマ自体もサービス停止とせざるを得なかった。
 
 リョウタと僕は、このような事態は覚悟していたため、サービス停止をすんなりと受け入れ、淡々と作業を行った。そのことをアキに伝えると、あんなに皆の役に立ったのに、と叫び、電話口で号泣した。
 
 いつか認められる時が来る、今は雌伏の時だ、と何とかなだめたころには、時計は零時を回っていた。
 
 認められる時が来る。これ自体は強がりでもなんでもない。アイマのアドホックネットワークが、緊急時に有効だ、ということは、図らずも実証することができた。
 
 ただ、足跡というのは非常に重要な個人情報なのだ、ということについては、認識を新たにする必要はあった。
 
 その後、僕たちは、一晩中テレビで情報収集していた。ライフラインの停止はあり、怪我人も多く出ていたようだが、やはり倒壊や大火事は発生せず、亡くなった方もいなかったとのことだ。
 
 ただ、パニックは起きかけていた。実際に起きていたかもしれない。それはデマ、あるいは事実誤認による誤った情報と、それにより電話回線がパンクし、不通になってしまったことで、疑心暗鬼を産んでしまったことによる。
 
 <当たり前のようにある通信インフラストラクチャ>を誤って使った場合、そして使えなくなった場合の怖さを、肌で感じた。
 
 やはり使うのは人間であり、そこにリスクがあるのだ、と。
 
 当日は公共交通機関も停止していたが、翌日になると、間引かれているものの、大半で運転が再開していた。
 
「さあ、帰るか。帰ったら大変だぞ、きっと」
「そうだな。まずはアキをなだめるところからか」
 
 僕とリョウタは、顔を見合わせてから肩を組み、昨日の出来事が嘘だったかのような気持ちいい青空の下、駅に向かって歩き始めた。
 

[短編小説] Close To The Edge

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