君守る薔薇
これはある貴婦人の、人生超絶奮闘記。
私の生まれは京都。父は古物商を担い、母は自慢の美人だった。
私は京都の町で育ち、父は古物商をしていていつも着物に煙管と洒落た格好をし、母は笑顔が素敵な、二重瞼の美人だった。
私は8人兄弟の4番目。下の弟と仲が良く、いつも世話を焼いてやっては、お連れの友達と一緒に鴨川で遊んだ。
夏になると、みんな鴨川へやってくる。私たちのように水に入って泳ぐ人もいれば、足を付けて想い人と食っちゃべって楽しむ人も、洗濯をする人も貝や魚を取る人もいた。
私はいつもリーダー格。けんかの仲裁や、または先頭切って敵陣に殴り込み、二、三発引っぱたいて相手の男子を泣かすこともあった。
そんな私も母に似てくりっとした二重なのが自慢で、いつも美人の秀子ちゃんともてはやされ、それなりに自慢に思っていた。
性格はいたって勝ち気で負けん気が強く、働き者でみんなの花形。学芸会なんかでも主役のお姫様なんかをして、体育祭でも駆けっこで負けたことは無い。
そんな私にも、乙女の季節がやってきた。
私は紫小袖に桃色の慎ましやかな半纏を羽織り、毎日友達と甘味処でお喋りした。
「秀子さん、今度お見合いなさるんですって?」
「どんな方?素敵な方?」
みんなが私の見合い話に興味津々。私は父の持ってきた見合い写真を見て、正直まだ好きとも嫌いとも、どちらでもないなと思っていた。
この人は、私を見てどう出るだろう。
男ぶりを見極めてやろう。私はそう勇ましく、また女傑らしい感慨を持って、見合いに励んだ。
小料理屋での会席。
窓の外を桜が散る中、雲は霞、太陽を半ば隠しているが、その輝きまでは隠せない。
小川が流れ、かっぽんとこけおどしがなる中、紅の宴席で、私たちは向かい合っていた。
私は自慢の二重を大きく見開いて、相手をじっと見つめた。
あなたは私に見合う人かしら。
そうしたら彼は、つと外を眺め、余裕の表情で笑っている。
顔はどちらかといえば知の理が勝つしょうゆ顔。私は典型的なソース顔。私の顔を一目見るなり、彼はずっとこの調子で、口元に穏やかな笑みを浮かべて庭の様子をしきりに眺め、お酒を飲んでいる。
「君、飲むかい?」
私が退屈しだした頃、彼が口を利いた。私は突然だったので、「あ、はい」と思わず右手に左手を添えて、椀を差し出していた。
彼はしばらくぽかんとして、次にあっはっはと大きな声で笑った。
私は、注いであげるよという意味でなく、飲める口かと聞かれたのだと知り、俯いて赤くなった。
彼は胡坐をかいて座り、「堅苦しいのは無しにしよう、君、銀幕は好きかい?」と、煙草を取り出してすぱすぱと吸いだした。
私は少し小さくなっていたが、だんだん彼の世の中への知識、造作の深さ、そして器量の大きさが露見してきて、私は「私は断然、市川雷蔵が好き」と、遠慮なく足を崩しながらほほ笑んだ。大輪の薔薇の笑顔。私たちは順序良く、こうして結婚した。
その後、子供が四人生まれた。
長男は彼に似て男前で賢く、長女は私に似て大輪の薔薇の美人顔。次女は彼の顔で小顔の色白で可愛らしく、次男はさて、誰に似たのかわからないと話題になったが、これも二重の男前。
幸せの絶頂だった。彼は家庭に入っても全く手を上げたりせず、「君君、ちょっとここへ座り給え」と叱りつける時はカーペットを指して呼び、知的な彼らしい講釈を垂れてとても納得のいく説教をした。
私は子供と舅、姑の世話で忙しく、また土建業で従業員まで家族のように外で鍋をして毎日食べるものだから、いつも騒がしく、お祭りみたいな日々を送っていた。
長男は医者にする、長女と次女はいいところへ嫁にやり、赤ん坊の次男は終生可愛がって仕事を教える。
そう決めて子供たちに勉強や躾をしている私たち夫婦は、傍から見ればまるでおしどりだっただろう。常に仲が良く、いつでも恋愛中だった。
上の子らが高校に上がる頃、彼の顔色があまり良い色とは言えなくなってきて、いよいよまずい、と思っていたら倒れてしまった。
普段から甘いものが好きで、お菓子をちょこちょこと食べる癖が何度注意しても抜けなかった。
彼は死ぬ前に、「お前のことは、万事上手くいくようにしてあるから」と言い残し、本当にお金が上手く回るように手配して、それから亡くなった。
私たちは悲しみ、本家の家族だったこともあって、宗家の者に家督を半ば譲るような形で、家族五人そろって慎ましく暮らしていかなくてはいけなくなった。
夫の知り合いは、亡くなった途端年賀はがきも来なくなり、寂しいものがあった。悔しかった。
そこで私は、名乗りを上げたのだ。
負けるまい。決して死ぬまい、死なせるまい。
お前たちを残して、この母だけは死ぬまいぞ。
そう決断してから、上の子への躾はますます厳しく、兄弟そろって何度も同じ本を熟読させ、ノートに字を書かせた。掃除はトイレから玄関まで、何度も叱りつけてきっちりと叩き込んだ。
子供たちも負けん気があったのだろう、長男の成績は常にトップで、地元で人気の男前、バレンタインには女の子が家の前に並ぶほど。
長女はその美貌猛々しく、しかし決して驕ることなく下の者に優しく、また厳しく規律を守った。次女は生来の才能だろう、常に時流を読み、いつも華のある趣味を持ち、妹らしく甘え上手。この長女と次女、どちらが好みかなんてよく男共の話題に上ったほどだ。三男は根性があり、野球少年だったり、後年のことになるのだが、非情ともいえる条件の中、私を守り、きつい仕事を長年耐え抜いてくれた。
毎日がきつかった。子供らは各々独立し、私は一人になった家でうつ病を患いかけ、長女に一万円を握らされて、「これでパチンコにでもいっておいで」と、くぐったこともないそこに入った。
それから、嘘の様に病状は回復し、私は幼い孫を連れて入るほどパチンコにうつつを抜かした。
煙草も吸い始め、不良お婆ちゃんになった。
孫たちに毎日服を買ってやり、見栄えのする格好をさせるのが楽しみだった。
そして、一年経つごとに、私はマルチ商法を逆に利用して無料で旅行に行って遊ぶやり方や、斯くも見事なピンクの薔薇を咲かせ、お金を出して欲しがられるほどに上手く植物を育てる方法などを編み出し、その頃にはパチンコも辞め、煙草も努力で吸わなくなり、すっかり禅修行が板について、世の中の悪をも手玉に取るおばあちゃんとして大物になった。
社会人になった長女の子供が遊びに来るようになり、また話が合うので車に乗ってよく遊んだ。「家を乗っ取られるよ」と忠告されることもあったが、そんな邪推など不要な、唯々人が良い子で、幼子にさえ舐められる始末。
私は生来の餓鬼大将の気質に女傑らしさを添えて、その子を良い方向へと導いた。よく相談に乗り、他の孫共々可愛がった。
ある日その子がやってきて、何も言わず笑って私の顔を見ている。私は何か胸騒ぎがしながら、「どうしたの?どうしたの?」と何度も聞いたが、笑って「いつまでも元気でいてね」と言った。
その日から、長女一家が街から消えた。
経営難の末の、夜逃げ。夫は最後まで残り、弁護士と打ち合わせをして、勤めを果たし、最後の給料を払って家族の元へ行ったというが、それがどこなのか明かされない。
私は口惜しかった。ここまで来て、これか。
泣きこそしない。これも世の情け、世の非情さ。
しかしあの子が来ない日々は、それなりに寂しい。
ある晩、寝ていたら、夢の中で、「おーい、おーい」と誰かが呼ぶ。はーいと返事すると、「やあ、また会えたな」と、若いころの夫が薄ぼんやりとした明かりの中立っている。「あら、あなた」と言う私は、女学生の姿となって、いつも気に入りだった着物を着ている。
「ちょっと、来てくれないか」と彼が言うので、「まだ、嫌ですよ」と逃げようとすると、「良いから」と腕を掴まれて、どこかへ連れていかれる。
離してください、離してください、と言いながら着いたのは、三途の川でなく、大きな蓮の花の前。
「見たまえ」と彼が言うので中を覗くと、長女とその子が、ぼろぼろの服を着て、すっかり痩せこけてある男の前に立っている。その男は、誰がどう見ても悪人だった。長女は、すっかり様子の変わったその子を諦めるように、男の前へと差し出す。男が不吉な笑みで笑っている。
「ああ、いけない!」と私は叫んだ。
夫は、「あの子を助けないといけない、これは君の使命だ」と言い、次にこう言った。
「いいか、よく聞くんだ。あの子はこの先、とてつもない困難に遭う。とてつもなく、大きな困難だ。世界中があの子に死ねと言うだろう。君は、あの子を導いてやらなければならない。あの子さえ救われれば、やがてあの子はとてつもない幸福をお前に連れてきてくれるだろう。これだけは、保証する。いいか、あの子を助けるには、ただここで、叫ぶんだ」
そう言って、さっと私の目の前で榊の枝を振った。すると、みるみる手にしわが出来、私は元の老婆の姿に戻ったのだと分かった。
「さあ、あの子に向かって、心の底から叫べ!」
私は大きく息を吸い込み、叫んだ。
「美紀ー!負けるんじゃない、闘うんだ!闘って闘って、私も人生切り開いてきたんだ、あんたがここで負けたら、私の人生意味がないんだよ!だから負けるな美紀ー!頑張れ、頑張れー美紀ー!」
そろそろ目覚めるぞ、急げ、と彼が言い、私は焦った。
「苦しくても、悔しくても、負けるんじゃない、あんたには立派な体も賢い頭もあるじゃないか!お母さんを守れー!闘え美紀!美紀ー」
時間だ。彼が言い、二人の足元からにゅるにゅると蔦が伸びてきて、ぱっぱと薔薇が咲く。私の自慢の、ピンクの薔薇。辺り一面、薔薇で染まる。
「安心したまえ、未来は明るい」
そう言って、彼が笑った。
あなた、と手を伸ばして。
そこで私は目が覚めた。
どんな夢だったか覚えていない。ただ薔薇が綺麗だった気がする。
あの香しい、なんとも言えない香り。
ぶおん、と外で音がし、ああ、とうとうやってきた、と私は喜んで起き上がった。
ガラガラと扉が開き、すっかり元気になった声で、一回りも二回りも元気になったあの子が叫んだ。
「お婆ちゃん、ただいま!」
おかえり!
私は喜び、立ち上がった。娘が「お母さん!」と飛びついてくる。大輪の薔薇の子と、太陽の笑顔の子。後ろで日に焼け、すっかり痩せて精悍になった旦那さんが頭を下げた。
うろ覚えだけど、この五年間、電話であの子が言っていたこと。
「そういえば、昨日夢の中でお婆ちゃんの声がして、頑張れ頑張れって言ってて、それでなんだか元気が出て・・・それで私、次の日病気が嘘みたいに治って行ったんだ。信じられる?」
私は「知らないわよ、所詮夢は夢よ、そんなこと気にしてるから病気になるのよ、忘れなさい!」と叱りつけたのを、実はもう、覚えていない。
そんな過去のことより、これからの人生、面白おかしく生きるのだ。
チーンと仏壇で線香を上げ、「御先祖様、ありがとうございます」と手を合わせてから、蝋燭を消した。
孫は私小説家になる、なんて馬鹿言うから、「あんたの小説なんて、ぜんっぜん面白くなんかありませーん!」といつもの通りいじめてやった。
今日も庭にて、薔薇香る。
八月も終わりの頃である。
君守る薔薇
おとぎ話を一つ。