にせものリウム 3

空が何にも汚染されていなかった程度に昔。梅雨をなくしてくれと両親にせがんだ記憶がある。
織女と牽牛の物語に興味はなかった。ただ天の川を観察したくて仕方がなかったのだ。
四季と共に移り変わる星の全てに心は踊ったものだが、夏は特別だ。
昼の熱を引き摺った闇の中、時折吹く風に目を細める。水滴を纏って温くなったサイダーがやけに旨かった。汗でべとつく掌で必死に星座盤を繰っていた。
星を見る、それだけの行為にひどく魅せられた。

「皆様、ようこそおいで下さいました」

帰るなりニカに飛びつかれたのは今日の午前中だ。犬も足元を走り回り、魚さえ心なしか普段より活きが良いように感じた。
「みんな待ってた」と、それだけの歓待を受ければ頷くしかない。昼は炒め飯にし、犬と魚にはやや高価な餌をやった。犬は現金なことに態度が軟化した。
定期購読している雑誌の代金の振込方法を教え、留守番中の出来事を話すニカの声に耳を傾けた。大した内容でもない。何を作ったか、どんな出来事が報道されていたか。冷蔵庫の調子が悪化し、原因を突き止めるのに犬と奮闘してみせただとか。期限が間近の菓子を食べ、一食分を抜くことになっただとか。
「一回くらい良い。むしろ、よくそれで済んだな」
「へへっ、お料理もできる!」
大味になるのが目に見えている。料理だけは任せろ、と言えば素直に従ってくれた。
人間の味覚は複雑なのだ、と愚痴を言った。
「辛い、甘い、あとはどれ? むずかしいね」
そこへ食感などの要素が加わると非常に混乱するらしい。茹で過ぎた麺は相当柔らかかったに違いない。
「空き巣被害だけが心配だったが杞憂だったな。留守番の礼は何が良い」
問うと、それまでの笑顔を消して気まずそうな顔をする。
「言い出せないことなのか」
「い、……ううん」
詰る気はなかったが更に恐縮させてしまった。言い方がまずかった。
「……善処する」
「ニカは、星が見たいのです」

その要望に沿おうとし、今に至る。
即席の天象儀の出番が来た。
不便なここに住んでいるのには歴とした理由があった。
ロフトの天井は高く、球体を半分に切って被せた形をしている。自作の投影機で映像を映せば立派なスクリーンになるのだ。少年の頃の夢を実現できた、と言うと聞こえは良いが、いい大人の道楽だ。しかしこんな世の中なのだ、この程度を咎める者もいないだろう。
実際に使ったのは一度きり。自分で作ったものを自分一人で見て何が楽しいのか。いや犬もいたか。こいつは暗くした途端、速攻で寝入っていたのだった。
ニカは寝巻きにしている古着のシャツを羽織り、犬を抱えてリビングに寝転ぶ。部屋中から集めたクッションや枕、タオルケットを敷き詰めた中に埋もれていた。照明を消した部屋で光るのは、水槽のボンベのランプだけだ。
ロフトに上り、プレゼン用のレーザーポインタを構えた。
「聞こえますか? マイクが準備できず音量が控え目になりますこと、ご了承ください。
では早速始めましょう。今夜はこのように、満天の星空が広がっている筈です」
手元のコントローラを操作する。夕暮れの橙から藍を濃くすれば、瞬く間に星があちこちで光り出す。
「まずはここ、天の川。離れ離れになった恋人は再会できたのでしょうか。皆様の願い事も叶うと良いですね」
即興の説明も案外するりと流れて来る。学生時代に叩き込まれた作法を反芻しながら、目当ての星座をポインタで追った。
ニカの表情は伺えない。故郷を思い出せるだろうか。星を見たいと言った、真意は未だ聞けていなかった。

「天の川を跨ぐように、三つの星を繋いでみましょう。
夏の大三角です。白鳥座、琴座、鷲座。織女と牽牛の橋渡しをしたのはカササギですね。白鳥ではありません」
言葉を連ねれば自ずと、かつての日々の泡沫が浮かんだ。
「白鳥は神様が変身した姿です。美しい女性を追いかけて人間の世界にやって来ました。これでは、偉いのかどうかがよく分からないと思いませんか? 私は少しがっかりしてしまいます」
星を見ず、砂を拾う選択をしたのは記憶を塞ぐためだ。
幼い頃からの蓄積を上書きするのは叶わないと思った。だから塞ぐしかなかった。
星の話をしろ、としつこく付き纏う、しかし不快ではなかった記憶を。

「南の空も見てみます。この一際赤く輝く星。不吉な出来事を招くとも、豊作を象徴するとも言われますね。釣り針。籠を担いだ商人。呼び名も様々ですが、最もよく知られているのは蠍の名でしょう。蠍の心臓、一等星のアンタレスです。身の丈を弁えない天上の少年に罰を与える。驕る英雄に力を知らしめる。強そうなお話が多いですね。そこの小さい犬など、すぐ食べられてしまいそうです」
犬の鳴き声が跳ねる。ニカの控えめな笑い声がした。
「それは私達も同じでしょうか。
アンタレスとは、火星の敵という意味だそうです。
相反する光が近付いたあの日、星が降りました。今も降り続けています。昨日も雨でしたから、新しい星が地面を覆っていることでしょう。……私達が分別を失ったために、災厄が降ったのでしょうか。誰も教えてくれません」
幾度目かの双紅の日を前に模索は続く。
幻想だとせせら笑われても、手を止めることはできない。
「確かに、他の生き物を酷い目に遭わせてきました。自分のことしか考えていなかった。罰を受けるのは当然と言われても反論できません。してはいけない。それでも、もう少し待って欲しい。取り戻す時間を与えて欲しい」


「東の空から、太陽が顔を出し始めましたね。
皆様ともお別れとなります。本日はご来場いただき、誠にありがとうございました」
プラスチックのような拍手が響いた。
ポインタと投影機を切り、その場に座り込んでしまう。
力が入らなかった。視界に靄がかかっていく錯覚をする。
ニカが呼んでいる。無様にも返事が出来ない状態だった。
電気が点き、階段を上ってくる二つの足音がした。
「スイ? すごいおもしろかった! ありがとう!」
「……ゆあ」
「っど、どうしたの。なにか悲しいの?」
ニカは同じ目線になろうと膝をつく。
駄目だ。重なってしまう。思い出してしまう。
星を見るべきではなかったし、見せるべきでもなかった。
「悲しくないよ、すごく面白かった。すごくすごく。
またしてくれますか? ニカも、もっと勉強して」
言葉を遮り、顔は手で覆ったまま名前を呼んだ。
そうだ、こいつはニカだ。あいつじゃない。

「親子だのきょうだいだの言われたのを覚えているか。あれは見目が似ているからだ」
「……うん」
「だがそうは思えない。なぜお前は、ユアの姿をしている」
「ゆあ?」
わからない、と顔の近くで声がした。背中へ不器用に手が回る。宥めているつもりか。不愉快に思っても、制する気は起きなかった。
「スイに似てると思ってた。みんな言ってくれたから。でもうれしいじゃないの? うれしいはニカだけ?」
「そういう話をしているのではない」
「わかってるよ。ね、ニカ、スイとちがいますか。ちがってますか。おしえてくださいよ」
「鏡でも見れば良い」
かがみ。反芻する声と共に背中の小さな手が強張った。
「見れない。ニカには、ニカがわからない」
「何を言っている」
「かがみはニカをしらないんだ」
「は。記憶喪失は便利だな」
「だってほんと! ねえ怒ってるのどうして?」
「腹を立ててなど」
そうだとしても、強いて言えば自分にだ。
「うそだよ。スイ怒ってる」
「言っていろ」

「……ゆあに似てるのは、ゆあに会いたいからですか」
顔を上げた。
間近にあった夜藍の二対は、風に靡くように揺れている。
「ニカをゆあの代わりにしますか。それでいいですか」
「何を……知った風に、」
「にてるは、にせものってことだ」
人は偽物に心を寄せる。青い琴野も言っていた。
「それでもいいってするの?」
「……作り物の星空を美しいと言っておきながらそれか」
「つくっ」
「お前だって空へ帰れないから代替物に縋ったんだろう。違うか。
紛い物に慰みを見出そうとしたのだろう?」
手が、体が離れる。
唇を噛み締めニカは震えていた。その背後、カーテンを引いていない窓に写るものはない。
人間ならばそこに、鏡と同様の影がある筈だ。
ニカは勢いよくロフトの階段を駆け下りる。犬を抱き締め、自室として与えた部屋に走っていってしまった。
追いかけてドアノブを回すが動かない。ノックと呼びかけにも反応はなかった。

あいつ、ユアのことが絡むと思考が短絡的になってしまう。以前琴野にも指摘されたことだった。ニカは自身に関する知識が殆どない。加えて中身は子供だ。だのに何ということを口走ってしまったのだ、全てを否定したのと同然ではないか。子供騙しの星空にさえ笑顔を見せる感受性を、わざわざ潰してどうする。ああも喜んでいたのに。
「…………大人気ない」
リビングに放置されたままのクッションの類を拾う。
薄暗い中、魚達が鮮やかだった。砂のように、昼空のように。

結局リビングのソファで寝入ってしまった。首が痛かった。
アラームはまだ鳴らなかったが、シャワーを浴びて着替える。遠方への調査が続いていたため、多めの休暇をもらったのだ。せめて休日らしく過ごそう。
スーツでも特殊服でもない衣服に袖を通すのが随分久し振りに思える。実質久し振りの行為だった。
新規メッセージを確認してから朝飯作りに取り掛かった。日の経ったパンを焼くだけでは芸がない。牛乳と卵も残っているし、砂糖は大量にある。ニカがとりわけ好んでいる料理を作ることにした。
他は手間の少ない野菜や汁物にする。盛り付けの皿を出そうと屈んだところで、床に粉のようなものが落ちているのが目に入った。砂糖を零したか。しかしやや青い。大方、留守番中に変わった調味料を使いでもしたのだろう。
「今日はお前も早いな」
犬が足に鼻先を押し付けてくる。
控えめに足音がしているのには気付いていた。早く何か言えと言いたげなその仕草に従うと、偉そうな鼻息を吐き出された。
「お早う。昨日は済まなかった」
目を擦っていたニカは動きを止め、緩慢に首を振る。まだ怒っていると思われているようだ。
「取り敢えず食え」
甘い卵液に浸して焼いたパンに解凍した果物を添えて出す。
向かいの席に座って無言で食事を始め、終えた。特に会話はしない。決めた訳ではないものの、そうするようになっていた。
ニカの表情は咀嚼するごとに明るくなっていった。苦手な汁物の海藻も完食している。

「ごちそうさまでした。……あの、きのうは」
「もう良い。こっちが悪かった。
食い物もなくなってきた頃だし、一緒に都の方へ行くか」
ご機嫌取りのようで後ろめたさはあるが、食料がないのは事実だ。それにあまり外出させないでいるのもどうかと思う。子供は学校に通うものだ。それができない手前、他のことをさせなければならないのかもしれない。
犬と魚に餌をやる手つきは慣れたものだ。食器洗いと洗濯を分担し、休んでから防護服を着込む。何度目かになる複雑な構造に戸惑いは見られない。ニカが来てからそれなりの時間が経っているのだ、意識していないだけで。
戸締りを確認しに行くと廊下にも青い粉が落ちていた。調味料ではないのか。ニカに尋ねると首を傾げられた。
「ぼろ賃貸にもガタが来たか、とうとう」
砂や電子線の影響もある。郊外で建物の形を保っているだけでもなかなかの奇跡だ。文句は言うまい。

ニカはどうも徒歩で行きたいらしい。今日の空は青みが強かった。幼い頃の夏空とはまるで異なる、ぼやけた色だ。
「るすばんのとき、たくさん本読んだ」
科学雑誌を読み返し、本棚に突っ込んである専門書にも手を出したのだという。ついでに整理もして欲しかった。
「写真。はじめてなのにはじめてじゃなかった。知ってました。
空で生まれて、ずっと見てたんだね」
「思い出せたのか」
「ちょっと。仲間がいたの。でもニカみたく落っこちてこれなかった。悲しくて泣きました」
「それは……寂しいな」
「ん。今はちがうよ? スイたちがやさしいので」
「そうか」
「ゆあに似てるからやさしい?」
口篭る。
昨日の今日で思い当たることが多過ぎた。
「当て嵌まらん」
「ん。そうなんだ。
スイは、むずかしいことばたくさん知ってるなあ」

検問所を通り抜けるパスは、最初の臨時のものから一般用に変更していた。これも琴野の働きかけだ。架空の住民コードの偽造行為は日常茶飯事だという。
「そんくらいの見た目の子だと、双紅の日の年の生まれでしょ? あのへん、行政対応もメチャクチャだったから。そのせいで、今も手続きに困ってる人とか結構いるんだよ」
未成年のパス機能が本人確認に限定されているのも一因らしい。周囲の目を気にしながらも使わせていただくことにする。
「あの雑誌以外にも何か読むか」
今回は髪が目立たぬよう帽子を被せていた。これなら顔見知りの多い市場以外にも連れて行ってやれる。
バベルの近くには複合型商業施設があるのだ。
まずは書店に向かった。平日の午前中という時間だからか店内は空いている。
入口の平積みになっている一冊を手に取った。線量が低く、野外での天体観測が可能な地域を紹介したものだった。双紅の日以来、よほどの愛好家しか観測などしないと思っていた。
学術書の棚を一巡し、奥の児童書に辿り着く。靴を脱いで座るマットのスペースがあった。
ニカは「探してくる!」と威勢良く消えていったので、腰掛けて待つ。
表紙が見えるように絵本が置かれている。家族旅行でひと悶着起きる話。蛍とそれを追う少年の話。一番星を争う、戯画化された星座の話。圧倒的な色彩のそれには現実性を伴わせる必要はない。星座と同じだ。あると思えば存在する。虚構だろうが事実だろうが、気にする者はいない。
ニカが持ってきたのはそれなりに本格的な天体の写真集だった。ページを捲ると、随所に子供向けの物語が挿入されていた。わざわざ児童書のある場所に来たというのに一般書を持って来るか。こういった本は部屋にもありそうだったが、言わない。こいつが選んだことに価値がある。

上階の書店から下階の飲食店街へ。ニカが目を留めた店には一通り入店した。文房具店や模型店はまだ良い。若者が好みそうな雑貨屋では少々、かなり居心地が悪かった。甘ったるい匂いと自己主張の激しい色に酔いそうだ。果たして自分もこういった店に出入りしていただろうか。そう考えるとやや切ない。ジェネレーションギャップというやつだ。
「こういうの、つけない」
飲食店街に続くエスカレーターは別の場所にあった。途中にあった貴金属のショーウィンドウ、カフスやタイピンが収められている一角を指差す。商品入れ替えのセール、と記載がある。半額以下の商品が目立った。
「スーツ。のとき、つけるっていってたよ」
「邪魔になる。紛失して気落ちするのも不都合だ」
「そう? スイ、なくしたりしなさそう」
「買い被りだな。よく物を失くす方だぞ」 
「へー。……あーあ、ニカにもお金、あったらなぁ」
「小遣いが欲しいのか?」
違います、と不服そうに返された。出会った当初よりも語彙が増え、表情も豊かになっているのだと思った。
「砂みたくきらきら。黄色とか緑の。にあうよ」
「……お前もだな。空から来たのだから」
「そう? じゃ、おそろい!」

滅多にしない外食だからと、バベルの同僚とは決して選択しない小洒落た店に決めた。琴野もだが、あそこの研究者は質より量を取るのだ。一度に多くのエネルギーを摂取しようと思っているらしい。ただの暴飲暴食だ。
野菜と鶏肉がメインの定食を二つ。出されたコップの下には紙を引いた。水滴が広がるのはみっともない。ニカは手拭きで何度も手を擦っていた。
「帰ったら、昨日みたく星のお話、してくれる」
「別に構わないが……が、」
「あ、スイはまちがってましたよ。おうちに帰りたいから見たいんじゃない。今のきせつは、きれいなお星さまが見える。
読みました。聞きたかった。スイの声で」 
手拭きをまだ握っている。感触が気に入ったのだろうか。楽しそうにしているが。
伏せられた睫毛も淡い水色だと今更気付く。帽子の下から覗く髪も大分伸びている。帰ったら切るか。
「だって、スイの声はー。んっとねえ」
「……聞きやすいか」
学生の頃も実習先でそこだけは褒められた気がする。他に褒める部分がなく、しかし取って付けた賛辞程度でも与えねば、と考えた講師の仏心だったのかもしれないが。かもしれないではなく、恐らくそうだろう。
「ことばがわかんないな。好き、かなぁ」
味わうように呟く。
染み込ませるように、何度も。
「すき。すき……たぶんあってます。好きで」
「分かったからもう止めろ」
ややあって、二人分の暖かい茶と小鉢が置かれた。
「……最初は教師を目指していたんだ。天文現象を教える立場になりたいと。人前で話すのは不得手な癖にな。
双紅の日がなければ、あるいは叶っていたかもしれん」
免疫力の低い子供や高齢者が真っ先に避難させられ、教師の数も比例して減っていった。あまりにも狭い門に締め出された。門前払い、要するに実力が足りなかったのだ。
「ユアが大変な目に遭ったのも、変えるきっかけになった」
主菜が運ばれる。手を合わせ、挨拶をして食べ始めた。
「あいつとは幼馴染で。まだ星の見えていた頃、よく見に行ったんだ。家族と共に。田舎に住んでいたから、家の屋根からでも見えていた」
「きれいだった?」
「……あぁ」
 眠気も吹き飛ぶ満天の星が広がっていた。大三角形や天の川、厚みがある惑星の光。その一つ一つが降り注ぎ、刻々と変化する様は、液晶や紙の上では得られなかった。
「今でも見られたら良かったんだがな。肉眼では月も確認できんだろう」
「いいです。ニカの空は、スイの話す空なので」
汁物から口を離すと、ニカは真剣に豆を掴んでいた。来たばかりはままならなかった食器の扱いも、そこらの子供に引けを取らぬほど上達していた。魚の骨に苦戦するのはこちらも同じだ。下手をしたらニカの方が上手い。
箸を置く頃合になって、頼んでいないアイスクリームが一人分運ばれてきた。子供向けのサービスだろう。
「おいしい? かな? 甘いよ」
「まだ食わせたことがなかったか」
「んー。スイにもあげる」
一掬いが眼前に突き出された。甘味は好まない、だが断るのもどうかと逡巡していると、妙に納得した顔をされた。
「こういうのはこいびととするから、ニカはだめか」
「何」
「スイはゆあと、こいびとさんなんでしょ?」
茶が気管に入った。
「お……お前、いつそんな言葉を覚えた」
「てれび。寝るまえに見ていました」
「訂正させろ。
まず、恋愛的な関係にある者同士に限定される行為ではないと思う。友人間でも家族間でも有り得る。それからユアとはそういった関係にあった訳ではないんだ。あいつには相応の相手がいた。今もいる筈だ」
この手の話題を持ち出す年齢になってからは、早く彼女を紹介しろとせっつかれたものだ。
「じゃ、ニカがしてもだいじょうぶだ」
開けた口に匙が放り込まれた。瞬間溶け始めるそれよりも、抜け出した金属の冷たさが舌に残る。噎せそうに甘い。
「かぞくにもするんだったら、ニカもできますね」
残った分を一気に掬って口にする。
おいしいね、と笑うので、曖昧に頷いた。

それから切れかかっている日用品と、肝心の食料を買い込む。休暇が終わればバベルでの実験が始まる。簡単なパック素材を多めに購入した。
市場を出ると、見慣れないテントが端に立っていた。季節感などないにも関わらず、期間限定品は売れるのだ。ニカに手を引かれて向かえば、南国の果物の焼き菓子を売っていた。今時滅多にない手作りだ。目敏い店員は試食のピックを突き出し、勝手に説明を始める。
「もう学校はお休みなんですか? いいですねー、一緒にお出かけなんて! 楽しく過ごせましたぁ? そっかそっか! お父さんも一口どうですかー。これ、甘いの苦手でも食べやすいですよね! 他のも食べる? あっ、こっちのおっきいのにしたげよっか!」
マシンガントークに気圧されて欠片を貰う羽目になった。甘くはないが茶が欲しい。ニカを見遣ると両手にピックを持っていた。橙と赤。橙が先になくなった。
「買うか」
頬を膨らませたまま「いいの?」と尋ねられる。
「…………まぁ」
ここまでセールスを受けて買わないのも失礼だろう。
それに、先程も本以外に欲しいものはないと言っていた。まさか遠慮している訳ではないだろうが、「ご褒美」をやっても罰は当たるまい。セット商品を選び、ついでに「紅茶に合うんですよ!」と勧められた包みも買った。琴野にでもやろう。
赤いリボンで結ばれた袋はニカに預ける。大切そうに胸元に抱える様子は、餌の隠し場所を探す小動物にも思えた。
「ママにもね!」と手を振られたが、老け顔に認識されているのだと考えると若干虚しくなった。

都の中心部から検問所まで道は一本だ。街灯や広場には手製の飾りが下がっている。星や長方形に切られた、または何枚もの紙を組み合わせた立体的な飾りが目を引く。花の形のパーツを集め、球形にしたものなどはとりわけ見事だ。眺めながら歩きたい気持ちは分かるが、足元の注意が疎かになってしまいそうだ。
そう思った矢先、ニカが低い段差に足を引っ掛けた。片腕を掴む。幸い、ざらついた道路に膝を痛めることはなかったようだ。
分担させた荷物が重かったのだろうか。寄越せ、と袋を取り上げたが、ニカは立ち上がらない。
「どうした。怪我でもしたか」
「……立てない。ケガはちがいます」
ハーフパンツから伸びる足に添えた手が震えている。
意地を張るな、と言っても態度は変わらなかった。
埓が明かない。無理矢理手を退けた。
所々が白くなっている。元が標準より薄い色素であるから気付きにくいものの。
明度の高い――青味がかった白。
部屋に散らばっていたものと同じ色だ。
こちらの態度の変化を感じ取ってか、やっと目を合わせてきた。申し訳なさと怯えの併存する表情だった。
「立てないんだな」
荷物を纏めて背中を向ける。意図を理解できないだろうから、より説明的に背負われ方を伝えた。
掌、触れた部分にざらつきを感じた。
もっと早くに勘付いていればと、胸に焦燥が走った。
「バベルに行く。琴野……あいつになら診せても良いな」
「怒んない?」
「怒るものか」
自然と足は早まる。細い腕が首に絡まった。

にせものリウム 3

にせものリウム 3

続き3つ目です。半分です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  2. 2