にせものリウム 2

ニカの学習能力は高かった。
一度教えれば大抵のことはこなしてしまう。日常の動作は言わずもがな、家事もだ。
だが料理だけは駄目だった。こいつは自分の食いたいものしか作らない。精神年齢は見た目通りなのだろう。こちらも料理をするのは苦でない性質だし、毎日似たような飯を食うのは勘弁だ。
地理や天文現象については最も関心が高いらしく、気が付けば作業机の隣に寝そべって入門書を読み漁っている。捨てようか迷っていた本の使い道が、こんなところで生まれるとは思ってもいなかった。
振仮名の多い本でないと読めないと言われ、仕方なく子供向けの科学雑誌を数冊購入した。
紙媒体はしぶとく生き残っている。ペーパーレスは一過性の流行だったということか。
何と言うか、自分の子供時代を再現しているかのようだ。あの頃は、付録を優先させ雑誌の内容を軽視する友人の気持ちが理解できなかった。成程、そちらに見向きもしないさまは子供らしさがないと感じられるものか。

集中できるのは精々一時間と少し。本や雑誌に飽きてしまうと、犬と戯れたり魚を見つめたりと部屋中を歩き回る。
双紅の日以来、屋外で遊び回る子供はいなくなってしまった。インナ・プレイランドなるものが人気を博していると聞いたことがある。そこへ連れて行くことも考えたがニカは拒んだ。
多くの人間に接するのが不安なのかもしれない。

「きれいなのに。危ないのがもったいないですね」
「皆、最初はそう言っていた」
昨日採取したばかりの砂を機械にかける。余計な汚れを落とすのは手作業だけでは厳しいのだ。
ニカは窓から空を見つめていた。今日は一段と桃色が濃い。線量の高い証拠だ。
壁も床も白い室内とニカの髪と、色相の対比を成している。
「太陽も月もないね。いつからこう?」
「双紅の日は知っているか。あれの後からだ。砂も空も」
「ずっとかー。じゃあ、スイ、ちょっとさみしい」
「なぜ」
顕微鏡から目を上げる。こうした言い方は珍しかった。
「コトノたちといっしょに、がんばって元通りの方法さがしてる。
かわっちゃう前のこと知らなかったら、あーなくなっちゃった、たいへん、って、思わなかったですよ」
「……まあ」
「ニカはだって、お空も砂もきれいって。
きれいだから、このままでも」
「お前がそれを言うのか」
口をついて出た言葉にはっとした。
怯えた表情で振り返ったニカの足元に犬が擦り寄って、小さく鳴いた。
間違った。こいつは中も外も子供なのに。
「あ、……ごめん。なさい」
眉を八の字にしたニカに歩み寄る。片手を挙げると、打たれると思ったのか目を固く瞑った。
「あの」琴野ともすぐ打ち解けられる人懐こさがあるから忘れてしまう。こいつの中で最も身近な人間は自分なのだ。人間に対する印象の善し悪しの責任は、自分にある。
頭に手を乗せる。犬にする要領で撫でてやると、恐る恐る藍色が開かれ、また小さく謝罪が向けられた。

黙り込んでいると、犬がおもむろに玄関に走って行く。遅れてチャイムが鳴った。尻尾を振るさまで誰なのか見当はついた。何の用だろう。サンプルは昨日送ったが。
「やっ、ボクが直々にやって来るなんてレア中のレア! 
元気にしてたかな? さんはいっ、こーんにっちはー、みんなのアイドル、琴野さんだよぉーっ!」
ドアに挟んでやろうかと思った。
「こーっんなおんぼろ賃貸よく我慢できるねぇ。さっさとバベルに引っ越してくりゃあいいのに」
「他人の住処にケチをつけに来ただけか」
赤い方の琴野は我が物顔で冷蔵庫から麦茶を取り出す。頻繁に来ているからな。どこがレアだ。
「ざんねんっ。お仕事が増えましたーの、緊急通知!」
効果音がしそうな動作で取り出したのは数枚の紙。直筆のサインがあるから、ふざけたものではなさそうだ。
形式的な挨拶と労いの文句の下、幾つかの地名が明記されていた。砂の性質や電子線の強さには統一性がない。しかし読み進めていくうち合点がいく。
特徴的な砂が観察された場所、予想が立っている場所だ。

今年の火星と蠍座の心臓の接近は、双紅の日と同等かそれ以上の規模になると推測されている。混乱を防ぐため、民間には未発表の情報だ。メディアが不安を煽る報道に走ることは容易に想像できる。派遣増員については聞いていたが、通常調査担当の自分にもお鉢が回ってくるとは。てっきり、臨時職員ばかりが呼ばれるものだと。
「でだね、ここ、特に線量が高いらしいんだよ。水の中はスイちゃんに任せきりっぽくて。万が一に備えての同行者が必須ってので、ボク、選ばれました!」
「は」
呆けた声が出た。
「さてそうと決まったら準備だね! 実はもう済ませてあって、スイちゃんはボクと来るだけでいいんだ! れっつごースイちゃん! とぉーっても楽でしょー? ね、ボクが立候補して良かったと思わない?」
引きずり出される。否、文字通り連行される。ニカはやり取りを把握しきれていないようで、こちらを見つめている。声をかけると大きく返事をした。
「留守番は出来るか」
答えない。留守番、を知らないのか。
「一人でいられるか?」
「……ひとりぼっち?」
「犬と魚はいる。食う物も十分ある。ちゃんと考えて作れば保つ……餌やりはできるな? もし困ったことがあったら連絡しろ。前に教えた番号があるだろう。あれに」
「わかった」
「……出来るな」
「うん。ニカ、るすばんできます」
防護服を着ずに出るのはいつ振りか。無言で琴野を睨みつけると奴は肩を竦めた。階段脇には、バベルのロゴが入った最新型のセグが停車している。
「急務ならば前もって知らせろ。気象課には随分早く通達が来ていたようだが。何の真似だ」
「わお。さっきのアレで、日付までチェックしてるなんて流石だよね。ちょっとびっくりさせたかっただけ」
「ふざけるのも大概にしろ」
「ふぅん、ハッタリはバレるか。……心配なんだよ、スイちゃんのことが、純粋にさ」
後部座席に乗り込む。琴野は長い脚を組み半目を向けた。
「僕は忠告した。「ボク」が、だがね。数少ない友人が心を痛めるのを、そう何度も見たくはない」
「あいつのときのようにはならない」
「はん、どの口が。今の君の顔、あの時にそっくりだ」
「琴野!」
青い目に射抜かれる。
そこに浮かぶ哀れみも蔑みも直視できなかった。
「分かってしまうんだ。皆が僕にばかり言うからね。誰々に似ている、思い出すと。
人は偽物に心を寄せる。本物が手に入らない悲しみを癒そうとする。違うかい? そうだろ、否定するな。
所詮偽物は偽物だと気付き、絶対的な差異に苦しむ。そこにマゾヒスティックな喜びを見出す」
「青いお前は偽物なのか」
「話題を逸らさないで欲しいね。
……うん、そうだよ。僕は琴野で、同時に琴野の模造品、穴埋めのパテだ」
双紅の日よりこれまで、皆別離や喪失を味わったのだ。程度の差こそあれ、錯綜する情報と降り積もる砂に奪われた。
残ったのは、狂ったように明るい空色。
「僕は君のベガにはならない。僕に彼女を重ねるなんてこと、君は絶対しない。ニカも、ベガじゃない」
「……言われずとも。誰が牽牛星だ」
それから目的地までは一言も会話を交わさなかった。
発動機の唸りを聞く。窓の外を眺める。
地面から突き出た鉄塔の先や凝った形の屋根がそのままになっていた。人の住まぬ土地特有の光景だ。各地の砂を面白そうに見ていたニカには見せたくないと思った。

方向感覚を失いかねない砂地が続く中、目に馴染む自然な緑が見えた。苔の色ではない。かつて宝石に喩えられた行楽地の海だ。
琴野が「ここの東ね」と口添えをする。そういやこいつ、青いままなのはなぜだ。普段は赤が多いだろう。
「「ボク」はテンションを上げすぎると疲れてしまう。業務に支障が出るんだ。
何より女性といると、殿方のモチベーションも上がると聞いたよ?」
こいつ、思いやりの方向性を間違えてはいないか。

第二の双紅の日に備えると言えど作業内容は変わらない。砂の採取と検証。新品の器具は使い辛かったがすぐ慣れた。貰えるものではないのが残念だ。
琴野の気象図は各方面で絶賛されていると耳にはしていたが、成る程、普段の言動に似合わず正確無比だった。オープンメディアの予報など頓珍漢ではないか。あれは顔の良い芸能人を拝むものだ。
転職しないのか、そっちの方が給料も弾んでくれるだろう、と出かかった言葉を飲み込む。立場を放棄できないのはこちらも同じだ。バベルに籍を置く以上投了はしない。蔑称を受け止めつつも前進しなければ、この不可解な現象に屈したことになる。矜持がそれを許さない。
「目立った変化はなさそうだが」
「でも、今夜は降るからね。それでどう変わるか」
宿泊地には、観測点からやや離れた気象課の施設を借りた。簡易ビスケットを囓りつつ琴野は液晶を指差す。時代がかった数字の羅列はともかく、雲の画像は理解できる。暖色の地図の上を、悠々と大きな白いものが横切っていた。降水確率を確認するまでもない。
雨が降れば砂が溜まる。そうなれば再び拾うのみだ。
手元に広げた砂粒に取り掛かろうと、顕微鏡に顔を当てたところで端末が震える音がした。メッセージだ。
「おやっ! もしかしてもしかするかなっ!? んっ?」
「こんなときだけ赤になるな」
「いいんだよ、青ちゃんだって疲れてると思うし」
「そんな呼び方があるんだな」
「スイちゃんも呼んでくれていいんだからね?」
開封する。
否定できないのが惜しいが、案の定ニカからだった。添付画像がやたら重い。縮小まで求めるのは酷か。コンピュータが操作できたのだから及第点だ。
『スイ元気ですか。ニカはるすばんです。今日のお昼は、めんをしっぱいしました。ゆですぎた。雑誌のふりこみわかんなかったです。本屋さんが待つ。いぬもおさかなもみんないるけどスイみたく話せない。ざんねん。だからスイ帰ってくるといいと思います。じゃあね。ニカより』
画像は犬や夕飯、魚と共に写るニカなどだった。
横から覗き込んだ琴野は無遠慮に吹き出す。
「一生懸命打ったんだね……写真も、味があってステキだ」
「下手と言え」
「うっわ、遠回しな感じにしたのに」
返信は簡素にする。読めなければ意味がない。
『読んだ。ふりこみはすまない。かならず教える。元気そうで安心した。あと一週間ほどでこちらでの調査は終わる。くれぐれも健康に注意。スイ』
返信のマークが消えたのを見、ベッドに端末を投げたところで再び振動音が響いた。気の利くことに琴野が取り上げて寄越してくる。催促の眼差しには沈黙を返した。
『へんじ! 元気。まってます。ニカと犬とおさかなより』
連名。添付はその三者が一度に写ったものだ。ぶれているのは急いだからか。少し悪いことをした気分になった。返信はよそう。あいつらはもう寝る時間だろう。
今度はベッドではなく机の端に置く。戻ると、琴野がこちらの顕微鏡を覗き、適当過ぎる相槌を打っていた。同じ課題に取り組んでいるとは言え、専門が異なればそうなるか。こちらも気象図の読み取りは素人同然だ。
「結晶の形が均一だろう。これまでの採取地点に共通している特徴だ。色の分布も近似している」
「大きさも揃ってるんだね。欠けたりは?」
「……地域によるが、最近は脆いものは見ないな」
砂の形状が安定しつつあるのだろう。長い年月を経たことで、初期観測にはない特徴が多く発見されている。殊に今回指定された座標の砂は安定性が高い。それゆえに採取を滞りなく進められ、予定より早く調査を切り上げられそうだった。
いくら防護服があっても、高線量地への長期滞在は褒められるものではない。リスクを被る必要のない琴野まで電子線に晒すのは流石に申し訳なかった。
「キレイな形の粒がいっぱいあると、それがくっついて大きくなったりしないのかな」
両手を握り合わせる仕草で尋ねる。
これまでも解れにくくなっている砂は存在した。結合が強くなれば、そうなる可能性もなくはない。一つの塊となって、
「人間の大きさになってもおかしくはない、か?」

空から降ってくる星。
空色の髪の「落ちてきた」ニカ。

「ニカに、もしかすると」
荒唐無稽だと切り捨てられない。もしも砂とニカの正体が同一だとしたら。
あいつとならば意思疎通ができる。無理にでも話を聞き出せれば、あるいはこの現象を。
「君にできるかな。理論じゃなくて感情の話だけども」
青色の声で琴野が囁いた。
「よっぽどのやつでないと出来やしないさ」
「どういう意味だ」
「優しいスイちゃんには無理、考えるだけ無駄ってこと」
思考を読んだかのような言い様に鼻を鳴らしてしまった。だが反論すればぼろが出そうだ。黙るしかない。
「前もボクの冗談にひっどい顔してたくせに。君、ついさっきまでめちゃくちゃ穏やかーな顔してたんだよ? もう自分の子供みたいなもんじゃんか。諦めなって」
「自分の?」
「そう。似てるでしょ? 散々言われた、って」
「あいつには似ていないか」
あいつ。それが誰を指すのかは通じる筈だ。
しかし琴野は首を横に振った。電灯の下で赤と青が光る。
買い出しの際も宅配物を受け取った際も、血の繋がりがあると勘違いされた。否定すれば謙遜するなと笑われた。気に留めてこなかったが、ここに来て鳥肌が立つ。
どういうことだ。なぜ、自分にだけはあいつに見える。

にせものリウム 2

にせものリウム 2

つづきです。 星が降る。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-31

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