にせものリウム 1
藍の中を泳ぐ。
光が届かない中では勘だけが頼りだ。
ゆっくりと掻き回した水の流れで「砂」を浮かせる。手の平程の大きさの網で掬い、すぐさま回収器具に払い落とした。この地域の砂は粗く、重い。塵同然の地域に比べれば採取は容易だ。色形は確認できないが、手の感触から上質の砂だと想像はついた。人間も機械も立ち入らないためであろうか。
そういや近くに崩れた車庫があった。住民は移動を済ませたのだろう。賢明な判断だ。居残って酔狂な真似を続けている科学者とは違う。ただ、その酔狂も一定数いるのだから不思議なものだ。
酸素供給機に余裕があったので採取量を増やすことにした。水中作業に携わる者はごく僅かだ。多めに採っておくのに越したことはない。
と、前方に伸ばした指が何やら異なる触感のものを突いた。
やや温かみがあって柔らかい、ということは岩ではない。無論砂でも。
ならば? まさか。
回収器具をしまい込み移動する。先程は生体反応が見られなかったが、生物が存在していたのだろうか。ソレはある程度の大きさがあるらしく、周囲の闇が濃くなっている。手を這わせれば人間と同じ形だと確認できた。
抱えて水面に向かう。もし息があるなら奇跡だ。使い古されたフレーズは好まないが。
「おい、聞こえるか」
ソレの正体は子供だった。
耳元で叫んでもぴくりともしない。何なんだ、厄介事は勘弁してくれ。しかし命を厄介など、罰当たりに過ぎるか。
「聞こえるか! 返事しろ、おい」
「はい」
返事をしろとは言ったが驚かせてみろとは言っていない。
ぱっちりと目を開いたソレ、もとい子供は弾みをつけて起き上がった。嘘臭さのない笑顔はどこか、この場所にそぐわない印象を受けた。
「おにいさん、おはようございます!」
いや。果たしてその挨拶は適しているのか?
子供はニカと名乗った。
どう綴るのだと訊くと文字を知らないと返された。人間ではないのだという。
「馬鹿なことを言うな。今まで何をしていた」
「わからないです。気づいたら、あそこでねてたんです」
性別も年齢も不明、言葉が通じるのは会話の練習を「故郷」でみっちりやらされていたからだとか。
そこはどこだ。早く帰れ。
言うと天井を指差した。
「お空からおっこちたのは覚えてる。でも、それだけだ」
「他に覚えていることはないのか」
「ほかに? うーん……わかんない!」
つまり記憶喪失。
頭痛がしそうになり、質問は早々に切り上げた。
長い間水の中にいたことに説明をつけるには、こいつが人外だと認めねばなるまい。だが非科学的なことが罷り通ってたまるか、と反駁したい気持ちの方が強かった。
それに、話す内容の珍奇さと妙な生命力を除けばまるで人間と変わりがない。空想上の動物めいた尻尾もなければ、空中浮遊をしたり呪いをかけたりする能力もなかった。その代わりと言いたいのかよく食う。中性的でマネキンのような体の癖に大人並みに食う。
お陰で非常食も底を尽き、予定にない買い出しに行く羽目になったのは、ニカが来てから三日目のことだった。
「お前も行くか。見て思い出すものもあるかもしれん」
「行く! 服をください」
一人暮らしで子供服を持っている訳が無く、貸したワイシャツは袖も丈も余っていた。確かに見栄えはしない。
「……だな。だが、それ相応の働きをしてもらわんと」
当初は、ある程度回復したところで何らかの施設に預けるつもりだった。しかし自称「非」人間である。後に問題が生じ、こちらに飛び火されても困るのだ。
ならば元より預かってしまえば良い。犬と魚がいる、養う動物が一匹二匹増えたところで。故郷とやらに帰すまでの辛抱だ。
と、思っていた。
考えの甘さがこうして露呈している。浅薄だった。
「書類整理が一気に終わる能力もないんだろう」
自分にないものを得体の知れぬ子供に求める、というのも情けない話ではある。
「家事をやらせるのは流石に恐ろしいし」
「おさかなのえさやりはできる」
「割に合わん」
観賞魚には初めに興味を示していたか。犬とも互いに警戒していたものの、今やすっかり懐かれているようだ。
「えさやりはだいじだ。ごはんはみんな食べるでしょ」
「……まずいいから、これを着ろ」
外出するには特殊素材の編み込まれた上着と遮光グラス、線量記録計を身に付けねばならない。予備を引っ張り出して着せた。袋を被っているような見た目になった。
「お仕事は? 集めるの、ニカにもできますか」
指差したのは窓際、作業机脇の戸棚だ。そこには採取した砂の小瓶を並べている。提出分とは別に個人的に保管しているものだ。近寄り、ガラス戸につきそうなほど顔を近付ける。
出来るとはどういった根拠があって言っているのか。水中に漂うどころか、沈んでいただろうが。
「簡単に出来ることじゃない」
「でも、できたら楽しそう。きれいだ」
放っておくといつまでも見ていそうだったので、力ずくで引き剥がして玄関に向かう。
犬が見送りに来てくれた。滅多にないが、これも一人―正確な数詞が不明だ―増えたからだろうか。愛想を使っているのか。
安い賃貸の一室は三階にある。昇降機は越してくる以前から機能を停止しており、崩落寸前の階段を使わざるを得なかった。
ニカは階段を使うのも初めてらしい。来たときには背負っていた。踏みしめる足取りにはもどかしさより危なっかしさを感じる。手を引いて共に降りてやった。
「ありがと……っと、人間はすごい。大変ですね」
「慣れればどうということはない。何でもそうだろう」
「そっか、じゃーニカもそのうち……うわあっ!」
地に足をつくなり飛び跳ねる。
何事かとこちらが身構えると、今度は上を見上げて叫び出した。グラスや布で覆われて表情は見えにくいが、声のトーンが明るい。
「すごいすごいすごい! 地面もお空も!」
「……あぁ」
はしゃぐニカの手をもう一度取った。やはり連れて行くのは間違いのような気もするが、今更だ。どんな文句を浴びせられるか分かったものではない。
綺麗か。久しく聞いていない感想だった。
もう十年が経つ、「双紅の日」にそれは起こった。
火星と蠍座の心臓の大接近。その日は、大規模な天体ショーが起きる年に一度の日だったのだ。
この土地にも相応の観測施設があり、勤めているのも自分を含め経験を十分に積んだ者ばかりだ。見逃しがあったとは考えにくい。そうであるから、完全な予想外だった。
空から星が落ちてきたのである。
隕石の落下とは別物だ。夜、雨が地面あるいは水面に届くなり、星の砂に変化する。
色は天体写真でお馴染みの幻想的な混合色。形は場所により異なるが、どれも一般的な砂とは異なる質感を持っていた。掬っても手に付かず、また固まることもない。柔らかさをも有しているが、砂、としか表現し得ない。
当初は珍しがられていたこの現象も、次第に疎まれ忌避されるようになった。ゲリラ豪雨によって住居や車が埋まってしまったのが発端だ。
調査が進むにつれ、動植物の生育に影響があることが判明し、その対策について議論されている最中。今度は空の色が全国各地で変化し始めた。
高濃度の放射性物質が検出されると共に、人口が瞬く間に減っていった。
「お空これ何色? ニカのに似てませんか」
淡い桃色や青に、薄い黄や紫を散らした空模様。ニカの髪は薄い水色だ。目は夜藍。好ましいと思った。
「お前の話も、少しは信じる価値があるのかもな」
「そうだ、ニカ、信じてくれなくっちゃ困るんです。ほかのことをおぼえてないんだから」
ひとしきり騒いで満足したのか、ニカは無言でついてくる。
自分達の足音以外に聞こえるものはない。杭を適当に打ち込まれた、名ばかりの道を直進すれば、程なくして都が見えた。煌々とした明かりが見える。曇っているにせよ、そこまで照らす必要はないと思うのだが。
塀に囲まれた都の入口には検問所が敷かれている。身元証明のパスを準備しようとし、はたと思い立った。
こいつのことはどう説明すれば良いのだ。パスが不要な幼児、ペット……無茶だ。
係員も訝し気にニカを見ている。都は郊外とは異なり、電子線などの影響が少ない。防護服を脱いでいたため、髪が露わになり、目を引く状態だ。
「気象課の琴野に話を通してくれ。スイと言えば分かる」
琴野は苦手だ。しかし背に腹は代えられない。まず、奴とまともに付き合えている人間を知らない。
休憩室でしばらく待っているとヒールの音がした。階段を打ち抜くような鋭い歩幅。今日はどっちだ、と身構える。それによりこちらの出方も変わる。
「ちょっと、連絡寄越さないのヒドくない? ボク何回もやったじゃん! あのサンプルだけどさぁ―あれ」
勢いよく扉を開けた奴は動きを止める。今日は赤色だ。ニカは縮こまって会釈を返した。左右で染め分けた髪に独自のセンスを施した白衣姿。驚くのが普通だろう。
「こんにちは……っと、え? 子供おっきいね?」
「いてたまるか。違う、拾った。それで呼んだ」
「誘拐犯」
「…………」
「冗談! 分かったよ、それを含めて話が山積みだ」
一日限りの仮パスを即発行させるという暴挙をかました琴野と共に、中心部のビルへ向かう。多分野に跨る研究が行われているそこはバベルと呼ばれていた。皮肉だ。砂の現象を食い止められないでいることへの。
「で、要するに空からやって来た宇宙人なんだ。了解っ」
「やけに飲み込みが早いな」
「スイちゃんだって。どうせワンコみたいなもんだと思ってたんでしょ? んん、図星?
……納得はできなくとも理解しなければ。割り切りだ」
「赤」かと思っていたが「青」も混じっているらしい。
琴野は声のトーンを変えたまま話を続ける。
ニカは離れた場所で、惑星の模型やパズルをいじっていた。
「この前送ってくれたサンプル。あの中から微量の人工元素が検出された。君の腕は誰もが認めてるし、検証中に混入は起きない。「僕」がやっているのだから間違いない。
こうなるとますます、砂の正体が判別出来なくなってくる。サイエンス・フィクションは嫌いなんだけど」
「気象変動の一種、では片付けられなくなったな」
琴野の淹れる茶は旨い。これは青い方の琴野の特技だ。奴は二つの人格のようなものを備えている。ハイテンションな赤い男性と理知的な青い女性。元からではなく、砂を長期間研究しているうちにこうなったという。砂の影響を受けたのかと尋ねたことはない。泣き言は言わないが、人間関係に支障を来す場合があるにはあるのだろう。難儀なものだ。
「ニカも同じ湖にいた。何か分かりはしないか」
「へえ? それ、あの子を実験用の生物として提供するって意味に解釈しちゃうよ?」
口を噤む。言わなければ良かった。
「あっはっは、大丈夫、しないって!
ボクは優しいからね。あんまり愛着湧いちゃうのはよくない、とだけ言っておこうかな。それで苦しむのは君でしょ」
赤に戻った琴野が呼び寄せると、ニカは惑星を模した知恵の輪を持ったまま隣に腰掛けた。茶は口に合わなかったのか、顔を顰めながら飲み下す。
「しっかしさ、ほんとよく似てるね。親子じゃなかったら、年の離れたきょうだいみたい」
「そうなの? コトノは、ニカと似てないです」
「んー? そっかぁ。残念だねえ」
こういった類の世辞を言う奴ではないから、よほど似ているということなのだろうか。共通点は微塵もない気がするのだが。
むしろ……いや。今は良い。
「とりあえず、スイちゃんが面倒見なよね」
「上に報告しないのには、些か罪悪感が」
「いーんじゃなーい? 面白そうだしさ」
ね、と微笑む。有無を言わさぬ雰囲気が漂っていた。こいつ、人で遊ぶのも大概にしろ。
それはそうと食料の買い出しだ。
質より量を取るならば市場が一番だ。他地域からの仕入れ品も、希少な近郊産も値段は高騰している。特価品狙いのご婦人方との戦いを制さねばなるまい。気は全く進まないが背に腹は代えられない、これも生きるためだ。
「あらお父さん、可愛らしいお子さんね!」
「お洋服、お揃い? やぁ、目なんか特にそっくりで!」
わっ、と詰め寄る彼女達から逃げるように、ニカは背後へ隠れてしまった。洋服は琴野から支給品を貰っていた。手足を数回折れば難なく着こなせる。
恥ずかしがり屋なのも可愛い、などの賛辞を聞きながら、かごに目当ての商品を投げ込んでいく。さながら伝説の賢者のように、人だかりが割れていくさまは愉快だった。こいつのお陰か。ねだられた菓子を買ってやることにした。
「人間はいろいろがいるね。……少し、つかれました」
帰りを行く歩調は鈍い。あの後立ち寄った服屋でも似た反応を返され、疲労感を覚えているのはこちらも同じだ。腐る食料は無料の輸送サービスを使った。急ぐ必要はない。
「行かない方が良かったか。まるで見世物だったな」
「でも楽しかった! ここが、ほこほこする」
胸の辺りを叩いて言う。
変わった表現をする、と思った。
「お買い物楽しい、おはなし楽しい!
でも、コトノのとこが一番だ。また行こう」
「最初はビビっていただろう」
「こわくなかった。
ん、ちがう、名前! 教えてくれなかったから。彗星のスイ? あそこでスイちゃんもお仕事?」
その呼び方は止せと釘を刺した。こっ恥ずかしい。
「所属はあそこになる。だがデスクワークより、専ら収集作業とその調査を最近は。事務処理は好かんしな」
「ふんふん。あれの使い方は、わかりますか」
あれ、というのは琴野の私物の投影機だった。一般家庭でも使用できる小型の機械。プラネット・シアターという名で市販されているものの一種だ。
模型は触れて理解できたものの、これだけはそうもいかなかったようだ。
「砂集めは他にやる者がいないからやっている。別段それを専門にしているのではない」
第一、「砂集め」は星が降ってくる以前はなかった職である。
元の専門は天文研究だ。それも教育に重きを置いたマイナーな分野の。長らく本来の研究に携われていないが、穴埋めは誰にでも可能なのだろう。職人芸という化石的な言葉が似つかわしい砂の収集作業。
そちらを任せられているのはある意味ありがたかった。思い出さずに済む。
「星が見たいのか。故郷が恋しいか?」
「どうでしょう。ニカは、こいしいのかなぁ」
見たいと即答されなかったことに、人知れず息を吐いた。
満天の星空は今や望めない。投影機の映像では気分が白ける。そんな理由は些細なものだ。
単に、星を見ているこいつを見たくないだけのこと。
女々しいな、と自嘲を吐くまでもなかった。
にせものリウム 1