あたしと世界をつなぐもの

 硬い椅子の上で膝を抱えた。
 室内には心電図の電子音と人工呼吸器の空気が抜ける音が規則正しく鳴り響いている。
 それ以外は静寂。
 夜の闇に溶かされそうになる意識をぐっと引き寄せて、どうにかあたしとしての形を保った。
 ベットの上で機械につながれたあたしの身体は、空虚な入れ物のように見える。
 心臓はちゃんと脈を打っているし、触れればきっと温かい体温がそこにあるだろう。
 でも、それはもうあたしの意志を宿していない。きっと声すら発することはない。
 この身体は二度とあたしになることはないんだ。
 あたしと世界がつながることはもうない。
 その機能が壊れてしまったから。
 そう思うと悲しくなってくる。
 あんなに嫌いだった手足の短い小さな身体も、器用さしか取り柄のなり短い指も、奥二重で離れ気味の目も、低くて平べったい鼻も、ぼそぼそと話す口も、癖の強い髪の毛も、そんなに嫌いじゃなかったんだと気付かされる。
 空の青さとか、風の爽やかさとか、眠りに落ちるときのふんわりした感覚とか、家族との何気ない会話とか、上げだしたら切りがないけど、そういう当たり前のことと別れないといけない。
 あたしはそれを知っているのに、現実を拒否するように身体は生かされ続けている。
 どうしてだろうね。
 生物は魂が消えれば朽ちてしまうのに、非生物には魂が宿って朽ちることなく存在し続ける。考えてみるとそれはおかしなことだ。
 もしかしたら、天が与えた生きる者の性なのかもしれない。


 ゆっくりと夜が終わりを迎えて、陽が昇る頃に家族がそっと病室に訪れた。みんな目を真っ赤に充血させて、初めてみる切ない表情を浮かべてる。
 あたしはそれを部屋の隅から眺めた。
 ベットの傍らに立つ医師も疲れ切った顔をしている。それでも気丈に振る舞っていた。
 彼が無言で手を振ると、家族が恐る恐るベットに近寄る。
 それから一人ずつあたしの身体に触れた。
 額に手を置いたり、髪を優しく撫でたり、握り返すことのない手を握ったり。あたしはもうそれを感じることはないけれど、最後の記憶があたしの身体に刻まれていく。
 あたしは寂しさに襲われて泣きそうになるけれど、それはどうやっても叶わない。
 みんな、こんな時に言う言葉なんてわからないんだろう。重い沈黙が病室を満たした。
「そろそろ、よろしいですか」
 黙っていた医者がようやく言葉を発した。
 はっとしたように両親が顔を上げる。額に触れていた手がゆるゆると放れていく。
 耐えかねたように父がぼそりと呟いた。
「またな」
 それを聞いて母が静かに涙を流す。
 あたしはそっと両親に近づくけれど、二人は気付かなかった。
 看護師に促されて家族が遅々と病室を出ていく。
 残ったのは、あたしとあたしの身体と医師。
 彼はあたしの身体につながった機械に向かい合う。
 カチリと音をたてて人工呼吸器の電源を切った。心拍が落ちたことを知らせるアラームが鳴る。
 あたしの身体が緩やかに機能を停止させていく。



 静かな病室の中であたしは呟いた。
「さよなら」
 その声は世界に届かない。



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あたしと世界をつなぐもの

今思えば、十数年前に脳出血で亡くなった祖母は脳死状態だったんじゃないかと思います。
その時のことを時々思い出します。
助からないとわかっていた大人たちは、一生懸命に千羽鶴を折る私をどう思っていたんでしょうか。

あたしと世界をつなぐもの

あたしと世界がつながることは、もうない。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-22

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