自転車置き場の恐怖

これは妄想ではありません。現実です。現実の恐怖です。

正直だと馬鹿なのですか?

一、
 正直であることが馬鹿げたことだという常識が世の中にあるとしても、ぼくたち夫婦は、正直である以外の生き方を知らない。それを知っていたら、精神障害者にもならなかったし、立派に働きに行っているだろうし、ましてや生活保護などで暮らしを立てることなんかしていない。
 今住んでいる三階建てのマンションに来たばかりの頃、一階に住むスルメさんの奥さんに、妻が話しかけられた。
 基本的にぼくたちは、自分に話しかけてくる人たちはいい人だという先入観を持っている。人は人を好きにならないと、話しかけることはないと思っている。相手の様子を探るために話しかけることはあるとは知っているが、それはその警戒的な話しかけ方で分かると信じている。にこやかに話しかけてくる人が、こちらの様子を探っているとは、なかなか信じることが出来ない。
 妻に話しかけてきたスルメさんの奥さんは、とてもにこやかだったらしい。にこやかどころか、きわめて友好的だったらしい。
 妻は喜んでスルメさんの発する質問にこたえた。後から入居してきた人が、先に入居している人に対する敬意もこめて、一生懸命にこたえた。
 もちろん、精神障害者であることも打ち明けたし、主人であるぼくが働いていないこともこたえた。その頃はまだ生活保護を貰っていなかったから、将来貰う予定だということは言わなかったにしても、それに近いことは言ったに違いない。
 妻は正直な人だし、相手はきわめて友好的なのだから、何を言っても大丈夫だと思ったのだ。そう思って、何が悪いでしょうか?

二、
 ぼくと妻は、その頃どこに行くのでも、ほとんど自転車で移動していた。だから頻繁に自転車置き場に出入りするのだけれど、スルメさんの部屋は、自転車置き場のすぐ前にあった。
 夜に二人で帰って来て、自転車置き場に自転車を置いていると、スルメさんの部屋から男の人の声がする。きっとスルメさんの旦那さんだろうと思っていたが、その声に異常に怒気が含まれているような気がして、何となくいやな気分になったものだった。
 酒を飲んだりすると、男の人というのは怒気を含んだしゃべり方をしがちなので、きっとそうだ、スルメさんの旦那さんは、酒を飲んで寛いでいるのだ、寛いでいると、その日あった色々な不愉快なことが思い出されて、怒ったような声になってしまう。
 ぼくも時々酒を飲むこともあるから、酒を飲んで怒りたくなる気持ちも分かる──そう思うようにいつも言い聞かせていた。
 まさかぼくたちのことを怒っているのではあるまい、まさか、まさかと思いながら、妻となるべくなごやかに談笑しながら三階の部屋に帰ったものだった。
 しかしどうもおかしいと、だんだん感じるようになってきた。
 自転車置き場のすぐ前がスルメさんの部屋のベランダになっていて、時々スルメさんの奥さんがベランダに立ったり座ったりして、用事をしている。
 妻と一緒の時には、まず妻が挨拶をするのだが、スルメさんの奥さんは「なかなか暖かくなれへんねえ」とか何とかこたえてくれる。相手が友好的だと信じているから、ぼくも「こんばんは」とか挨拶をする。すると反応がおかしい。おかしいというのは、反応がないからおかしいのだ。
 簡単に言うと、無視されている。
 そんなはずはない。スルメさんの奥さんは、妻に対して友好的なのだから、夫であるぼくに対しても友好的であるはずだ。無視しているように見えるのは、ぼくの病気による僻みに違いない、ぼくはそう思うように努めた。

三、
 ぼくたち夫婦は仲がいいので、たいがいは一緒に出掛けたが、たまにはぼく一人で出かけることもあり、妻一人で出かけることもある。
 ぼく一人で出かける時は、当たり前のことだが、帰って来る時もぼく一人だ。ぼくは一人で自転車を自転車置き場に入れに来る。その時に、スルメさんの奥さんがベランダにいる時がある。
 年はぼくより上か下か知らないが、先に入居している先輩住人なのだから、無視するわけにはいかない。それにぼくも無視するつもりはない。何の恨みもない人を無視するほど、ぼくは人の悪い男じゃない。
「こんばんは」となるべくなごやかに挨拶をした。するとこちらを見もしない。
 あれ、聞こえなかったのかなと思って、今度はもう少し大きな声で「こんばんは」と挨拶した。
 今度はこちらを見てくれた。ぼくは同じマンションに住む人間として、きわめて友好的な笑顔を見せていたが、向こうはただ無表情にこちらを見るだけで、何とも言ってくれなかった。
 何度も言うように、その時にはぼくは、スルメさんの奥さんに向かって何の悪意もなかったから、あくまでも彼女の顔を見つめて、もう二度ばかり「こんばんは」と言った。
 しかし相手は何も言わず、一度怖いような咳払いをしただけだった。
 ぼくはひどいショックを受けて三階の部屋に帰った。妻にはすぐには何も言えなかった。あまりにもひどいショックを受けた時というのは、人は誰にも相談出来ないものだ。それに、ぼくたちのように、精神の病気になる人というのは、他人に悩み事を相談することがとても不得手だ。相談しようと思うと、ちゃんと理路整然と穏当に相手に述べなければならないと思ってしまう。そうすると、こういうことを人に打ち明けるのは恥ずかしいことではないのだろうかと思ってしまう。それで結局黙り込んでしまう。

四、
 結婚して十一年と少しになる今となってみれば、少しは知恵がついて、相談というものの意味が分かるようになった。
 相談は、綺麗に相談しようとしてするものじゃないのだ。その時に心にある不満や愚痴などを相手にぶつけることが相談なのだ。
 小学校の先生などは、よく「人の悪口を言ってはいけません」などと子供に説諭するが、あれはぼくたちのような正直な人間にとっては、毒にしかならない言葉だ。
 不満や愚痴に、人の悪口のまざらないものがどれだけあるだろう。郵便ポストの悪口や電柱の悪口を言って、悩み事が消えたなんてことがあるだろうか。人は人々の中で生きているもので、その心の中にある不満や愚痴は、ほとんど全て人に関することだ。人を褒めたくて褒めたくて仕方なくて悩むということも滅多にない。たいがいは人に対して何かしら腹が立ったから、不満や愚痴が発生するのだ。
 その時のぼくは、明らかにスルメさんの奥さんに腹を立てていた。でもぼくはその気持ちを抑えた。また病気が原因で、何かの勘違いをしてしまっているのだと、思い込もうとした。
 しかしそれから自転車置き場に行く時は、内心恐怖の塊になっていた。また挨拶をして無視されたらどうしよう。
 どうするもこうするもない。無視する人には無視をし返したらいい。し返すことを考えるのは人間として間違っていると、また小学校の先生なら言うだろうが、ぼくはいつまでも小学生じゃない。別に小学生であっても構わないが、世間が許さない。五十を過ぎたおじさんは、決して小学生ではなく、出来るだけ大人らしい顔をして、往来を歩いていなければならない。

五、
 大人というのは、人からされた嫌なことは、し返すものだ。『半沢直樹』の『十倍返し』という言葉が流行したくらいだから(それにしても、あのドラマは見ていてスッとした)、十倍くらいのし返しが出来るものなら、是非ともやってみたいと考えるのが大人というものだ。
 でも、ぼくたち精神の病を持つ者というのは、「やられたらやり返す」という単純な人間関係的反応というのが、気質的にどうも苦手だ。「やられたということは──ぼくが悪いのだろうか……」と心の中で欝々と悩んでしまう。そしてそのことを誰にも相談出来ないし、ましてや不満や愚痴として表現することなど、エベレスト山の頂上くらいに高くて手の届かない話なのだ。
 ぼくはそのように人がいいから病気になったのだが、ぼくの妻はぼくに輪を二十も三十もかけたくらい人がいい。はっきり言って、今まで命を落とさなかったのが奇跡だと言えるほど、人がよ過ぎる。
 それでぼくはよく妻に向かって説諭する。
「人の悪口を言ったらあかんなんて、思ったらあかんよ」と。
 さらにこんなことも付け加える。
「人なんて、みんな自分の都合しか考えてないんやから、こっちかて自分の都合だけ考えとこうくらいの気持ちでおったらいい。人に対する思いやりなんてぼくたちに要求するんやったら、それなりの地位を与えてくれ、そうしたら少しは人のために働く。もちろん、地位にふさわしい報酬も要求する」
 妻は、半信半疑という顔でぼくを見ているが、妻にはこれくらい言わないと薬にならないのだ。いや、正確に言うと、薬ではなくて毒だろうか。彼女は人に対して毒を吐くというのが、何故必要なのかなかなか分からないほど、人に対して親切なのだ。

六、
 もちろん、妻だって人間だから、人に対して悪意を抱くこともある。普段そんな気持ちは悪いことだと抑えているから、いったんそういう気持ちを抱いてしまうと、その悪意は一般の人よりも強大になる。しかし彼女は人がよくて優しいから、その悪意を相手に対して吐くという発想がない。どのようにして吐いたらいいのか知らないばかりではなくて、何故そんなものを吐かなくてはならないのか、理解出来ないのだ。
 しかしそんな人のいい彼女にだって、心の許容量というものがあるので、吐かない毒は彼女の中に溜まって、溜まって、ついに爆発する。爆発して怒りとして表現されたとしても、相手はただ彼女がおかしくなったと思うだけで、自分に何か悪いことがあるのだなどとは全く思わない。
 実際彼女は病気がひどくなり、時には入院しなければならないことになる。
 そういうことがぼくにもある。ぼくは彼女ほど純粋ではないけれど、同じように人がいい。妻に対して、「人の悪口を言え」と推奨しているから、ぼくは時には人の悪口を彼女に対して述べることがあるが、それは人として生きるにはそうしなければならないと、自分自身に言い聞かせる方便としてやっている行為なのだ。
 だからスルメさんの奥さんに無視されたというような、ぼくにとっては本当に恐ろしく思える腹立ちに関しては、妻に何の悪口も言えなかった。

七、
 やがてぼくたちの持っていた貯金もなくなってしまい、主治医の先生に相談して、生活保護を貰うようになった。
 そうなると、スルメさんの奥さんは、ぼくのことをあからさまに睨みつけるようになった。妻はあくまでも妻であり、夫であるぼくの稼ぎで養ってもらう立場にあるから責めないが、ぼくは生活保護受給という国民として最低の事態を招いた主体であるという論法なのだろう。
 ぼくにもその論法は理解出来る。ぼくはさっそく生活保護受給などという道を振り捨てて、どこかに働きに行って、自分と妻を食べさせなければならない。それは分かる。
 精神障害者が何故働くことに無理があるのかということについては、話が長くなるので、また別のところで述べたいと思う。
 ただ一つだけ言っておきたいのは、精神障害者が他の障害者とは明らかに見た目が違うのに、何故障害者として認定されたかというと、その一番の理由は『働けない』ということだ。
『働けない』とはどういうことだ、日本国民として、勤労の義務を果たすのは当たり前じゃないかという、お叱りの言葉がこちらに飛んでくるかも知れない。
 そのお叱りの言葉の一つの現われが、スルメさんの奥さんのぼくに対する態度に現われているのだろう。
 だったら、ぼくたちは、スルメさんの奥さんに向かって、「あなたたちの税金で食べさせていただいてありがとうございます」といつもお礼を言って歩かなければならないのだろうか。もしそんなお礼を言って許されるのなら、ぼくは道行く人たち全員にお礼を言って歩いてもいい。
 しかし道を歩いていたら、いきなり知らないおじさんに、「あなたたちの税金で食べさせていただいてありがとうございます」と謝られたとしたら、誰でもびっくりするだろう。それこそひどい精神異常者だと思われて、警戒されてしまう。

八、
 それに、スルメさんの奥さんは、ぼくが謝ったからといって許す気はない。
「そんなこと、つべこべ言うとらんと、働きに行き」と怒るだろう。
「それでは働きに行きましょう」と言って、次の日から会社に普通に通うことが出来るのなら、何も今まで精神障害者の看板を首から下げて歩いてはいない。
 そんな看板はない方がいい。
 あるいはスルメさんの奥さんは、ぼくが精神障害者だと詐称していて、市役所からお金を不正に取っているのだと思っているのか。見たところ、どこも悪いことはないようだから。
 だとしたら、見た目普通に見えるのに働きに行かなくてすみません、とさらに謝らないといけない。
 さっきも言ったように、ぼくには精神障害者としての看板なんかいらないのだから、見た目普通に見えるから働きに行きますと、市役所に告げて、生活保護は打ち切りにしてもらいたい。是非打ち切りにしてもらいたい。ぼくは好きで生活保護を貰っているわけではない。心底、いやでいやでたまらないのだ。
 お金を稼いで、「そんなにたくさん払ってもいいの?」と人にびっくりされるくらいの税金を、死ぬまで払い続けたい。税金をたくさん払うのは、ぼくたち夫婦の切なる願いだ。
 あるいは、働けないということが問題なのじゃなくて、精神障害者というのは危険な犯罪予備軍であり、ましてや男となるともっと危ない。それでぼくを無視するのかも知れない。

九、
 何か凶悪な事件が起きて、その犯人が「精神科に通院していた」と報道されると、一般の正常だと言われる人たちは、「ああ、やっぱりな」と納得するみたいだ。
精神障害者は人殺しをしても罪に問われないから、いくらでも好き勝手に人殺しをする。そこまで極端に思っていなくても、心のどこかにそういう意識はあるはずだ。
実は、正常だと言われる人の中で人殺しを行なう人の割合と、精神障害者の中で人殺しを行なう人の割合を比べると、正常な人の中で人殺しを行なう人の割合の方が多いという統計があると、ある所で聞いた。
そんなこと信じられない、とんでもないデマだとお怒りの方がいたら、是非警察なり市役所なりに問い合わせてもらいたい。
とは言っても、精神障害者という名前だけでも、すぐに包丁を振り回して暴れ回るというイメージがあるのは致し方がない。
ことによると、スルメさんの奥さんは、そういう恐れを持っているのだろうか。
自転車置き場に行くのは怖いが、自転車に乗るためには、自転車置き場に行かなくてはならない。
ある日の朝、ぼくと妻はいつも通っている精神科の病院に行くために、自転車置き場に向かった。するとスルメさんの奥さんが、どこかの奥さんと二人で、自転車置き場の中に立って訝しそうにこちらを見ている。
ぼくはまだ相手を無視する勇気を持てなかったので、ペコリと頭を下げて「おはようございます」と挨拶をした。
スルメさんの奥さんは、当たり前のように無視をして、もう一人の奥さんに向かって小声で何か言っている。何か言いながら、チラチラとぼくの顔を見ている。
ぼくのいない所で陰口をきくのなら構わない。精神障害者に限らず、人というのは、誰かしらに陰口を言われて生きているものだから。
しかし目の前でこちらの顔をチラチラ見ながら陰口をきくのは、全くこちらの存在を無視した所業で、こちらを人間以下のものとしか思っていない態度だ。
ぼくはさらに心を傷つけられた。

十、
さすがにこれはひどいと思ったので、妻に苦しみを打ち明けた。すると妻は案外普通の顔をして、「ふーん、そうやったんか」とこたえた。そしてこう続けた。
「わたしには愛想がええって言うけど、スルメさんの奥さん、わたしにかってきつい顔するよ。挨拶するのはきまぐれでするだけで、本心はわたしのことも怒ってんねんで」
 なるほどそうかと腑に落ちた気になった。
 ぼくは働きに行っていない自分に対してコンプレックスを持っているが、妻は料理が出来ない自分に対して強いコンプレックスを持っている。
 ぼくだって以前は働いていたのと同様に、妻だって昔は料理が出来た。何故今働けないか、何故今料理が出来ないかを説明しようとしたら、それだけで大変に長い本になる可能性がある。
 この短い紙数の中でぼくが一番書きたいのは、自転車置き場における恐怖のことだ。その自転車置き場における恐怖を決定的にしたのは、妻の料理に関する事件があってからだ。
 精神障害者の人は、毎日の日常の動作を何とかこなすだけでも、大変な労力を必要とする。簡単な動作すら苦役になるのに、毎日メニューを考えて、買い物に行って、時間をかけて調理するという作業が、果たして簡単に出来るだろうか? そんなことが出来るのなら、ぼくと妻は二人で働きに行った方が余程効率がいい。そうしたら、生活保護から脱出出来るから、ばんばんざいだ。
 料理なんか、毎日どこかで弁当を買えばいい。ご飯を炊いてお惣菜を買えばいい。この頃の店で売っているおかずというのは、以前のような無味乾燥なものじゃなくて、とても質のいいものが多い。

十一、
 ぼくは、妻が料理が出来ないことを、全く苦にしたことがない。料理のレパートリーを増やす暇があったら、ぼくと楽しくしゃべっていて欲しい。ぼくは妻と楽しくしゃべっているのが嬉しいから結婚したのであって、妻を飯炊きおばさんとしてこき使うために結婚したのではない。
 だから料理が出来ないことを悩んで欲しくはない。そう思っていつも、安い店で外食をしたり、弁当を買ったり、インスタントラーメンを食べたりして毎日を過ごしていた。
 あまり健康的な食生活ではないが、それでもいいと思っていた。妻が悩む姿を見ているよりははるかにいい。
 自転車置き場の恐怖なども影響して、ぼくはついに調子を崩して入院した。ある日の診察の時、主治医の先生がケースワーカーさんに向かって、「入院したら、あれ、あれ、あれが使えるやろう?」と訊いた。
「あれって、区分ですか?」
 ぼくも妻も『区分』という言葉が何を意味しているのか分からなかった。
 この頃だんだん分かってきたが、それは障害者のための訪問介護のことを指すのだ。それが五種類ほどに区分されているから、簡単に『区分』と呼んでいるのらしい。
 その『区分』を使って、ぼくたちは訪問介護のヘルパーさんに来てもらうことにした。ヘルパーさんにしてもらうのは、料理だ。
 市役所に登録をして、事業所を決めて、ヘルパーさんに来てもらうことになった。もちろん細々とした手続きはぼくたちには出来ないから、みんなケースワーカーさんにしてもらった。

十二、
 精神障害者として認定されているぼくたちが、料理のヘルパーさんに家に来てもらうのは、悪いことだろうか? 悪いことなら悪いことだと言ってもらいたい。ある日、ケースワーカーさんにその問いについてこたえを求めると、「へっ?」と怪訝な顔をされた。
 精神障害者がヘルパーさんに助けてもらうことが悪いことかどうか、そういう問いを発すること自体、不思議なことだといった顔をされた。そしてその人は、こうこたえた。
「当然の権利やから、別に気にせんでもええんとちゃいますか」
 ぼくのそうした問いは、ヘルパーさんがどうのこうのと言う前に、精神障害者という定義そのものも否定しかねないものであり、そうなると、ぼくたちは生活保護を貰えなくなり、路頭に迷う。そして精神医療のケースワーカーさんも、今の仕事を失い、別の仕事を探さなければならない。
 制度というものを否定するということは、一個人ではやっても無駄なことだし、ましてやその制度によって庇護されている立場の者がその制度を否定するというのは、タコが自分の足を食べるようなもので、本末転倒も甚だしい。
 ヘルパーさんというものに二人が慣れてきて、来てもらう曜日も増えたので、新しいヘルパーさんが我が家にやって来た。
 とても明るいヘルパーさんだったので、相手をする妻はとても喜び、隣の部屋で本を読んでいるぼくも喜んだ。
 それまでのヘルパーさんは、自転車で来る人ばかりだったが、この新しいヘルパーさんはバイクで颯爽とやって来た。

十三、
 何かの用事で一階に行くことがあり、そのバイクをチラリと見た時、少し嫌な予感がしたことを覚えている。
 バイクの横腹にとても大きな活字で何か書かれてあり、その中で『介護』という文字がとても目立っていた。
 そんな大げさな横断幕をつけたバイクで来られたら、ちょっと恥ずかしいという思いがあった。傷つくほどのプライドもないが、少しばかり残っていたプライドの処置に困る。
 何気なくそう思いながら用事を済まし、自転車置き場から出たところで、スルメさんの奥さんにバッタリと出会った。
 ぼくはとても驚き恐れたが、その時の彼女はとても機嫌が良かった。ぼくが挨拶をすると快く挨拶を返してくれたので、とても嬉しくなり、心の中が開放された。
 ちょっとした挨拶の言葉が終わり、スルメさんの奥さんは、
「あの、バイク、あんたとこに来たバイク?」と訊ねた。
「はい、そうです」
「介護って書いてあるけど、何か介護してもらってるの?」
「介護ですか、ハハハハ、介護ってほどやないんですが、ヘルパーさんに来てもらって、料理を作ってもらってるんです。ぼくの奥さんが、料理作るの、苦手やから」
「介護って、介護保険の介護のこと?」
「いやあ、それは、老人の介護のことで、ぼくらの受けてる介護は、障害者の介護やと思います」
「ああ、そう」
 そのような会話をしたと記憶している。
 スルメさんの奥さんはとてもにこやかだったので、ぼくも精一杯のにこやかさでこたえた。これだけ親し気にしゃべってくれるのだから、これからはなごやかに挨拶してくれるだろう、自転車置き場も怖くなくなるだろう、そう思うと、ぼくはとても嬉しかった。

十四、
 何と、お前は馬鹿なんだ、間抜けなんだと、呆れる方も多いとは思うが、ぼくは心底嬉しかったのであり、嬉しい時に嬉しい反応をするというのは、まっとうな人間の反応ではないだろうか。
 人を疑うのが大事なことならば、学校の授業の中に『人の疑い方』という科目を置くべきだ。科目として置くのは不適切だったとしたら、個人懇談の時などに、先生が極秘で教えるべきなのだ。
 しかし、学校で教えられなかったから知らないというのは、不勉強な人間の言いぐさかも知れない。大学受験などでは、学校で教わらなかった事がバシバシ出てくる。そのように、社会でも、学校で教わらなかったことが出て来ても、一向差支えがない。
 無邪気なぼくは、三階の部屋に戻り、ヘルパーさんの陽気な声を聞いた後、妻と二人で料理を食べた。
 それから数日後に不思議なことが起こった。
 ヘルパーさんが帰りぎわにドアを開けた時、その隙間の向こうに、まさしくスルメさんの奥さんが立っていた。自転車置き場においてと同じように、もう一人の奥さんと並んで立っていて、こちらの部屋をチラチラ見ながら何か囁いている。その目は以前自転車置き場で見た時のように、険悪であった。
 一回だけなら、偶然うちの近所で誰かとしゃべっているのを見かけただけと思えるのだが、どうも偶然ではない。ヘルパーさんが帰るたびに、何回もその光景が見られるようになった。
 大声で陰口を言われるのも怖いが、何もぼくたちが見える所でコソコソ言わなくてもいいのに。世の中には人の影の部分ばかり探って、それでスッとしている暇な人が多いとは噂には聞いていたが、この場合、まるで漫画のようにあからさまだ。
 しかしコソコソ言っている分には、見ても見ないふりをしていればいいと、高をくくっていた。
 ところがスルメさんの奥さんはあくまでも放っておいてはくれない。

十五、
 ある日買い物に行ったヘルパーさんがなかなか帰って来ないので、妻が心配して一階にまで降りて待っていると言って家を出た。
 ぼくは何という考えもなく「はい、はい」とこたえて、相変わらず本を読んでいた。
 しばらくして女性のせわしない話し声と階段を昇る足音が聞こえてきたので、ああ、帰って来たと思い、玄関口まで足を運んだ。手こずるくらいの多くの買い物をしたのなら、少しくらい持ったり冷蔵庫に入れたりして手伝わねばならないと思ったのだ。
 ところが入って来たヘルパーさんはとても怒っていて、手伝うどころではなかった。
 妻に向かって盛んに「あんなこと言わんでもいいと思いますよ」とか「いくら何でもひどい」とか言っていた。
 ぼくは隣の部屋に下がって、ヘルパーさんや妻の言うことを聞いていたが、やがてハッと気がついた。ついにスルメさんの奥さんが、妻に面と向かって攻撃をしかけたのだ。
 ヘルパーさんが一通り仕事を終えて帰ると、妻はぼくが問うまでもなく、何があったかを言ってくれた。
 ヘルパーさんが買ってきてくれた荷物を持って上にあがろうとすると、スルメさんの奥さんが現われて、妻にまずこう言ったそうだ。
「あんた、買い物くらい、自分で行けるやろ!」と。

十六、
 行ける。足があるし、自転車もあるから、行けることは行ける。でも買い物って、行けるだけで済むものではない。スーパーに着いたら、「今日は、これとこれとこれとこれを買いなさい」と誰かが教えてくれるわけじゃない。何を買うのかを考えるのは、妻とぼくなのだ。
 ぼくは料理に対する計画を持っていないから、妻以上に何を買ったらいいのか分からない。ある程度料理の計画を考えている妻も、たとえば白菜一つ買うのでも、頭が捻じ曲がるくらいに悩む。悩むだけならいいが、頭の中の幻聴さんが「あれを買え、これを買え」と買う必要のないものまで買わそうとする。
 そういうことを切り抜けようとすると、今度は立ち止まったまま動けなくなる。ぼくがある程度カバー出来るとしても、ぼくも食品の買い物というのは苦手だから、はっきりとした意見が言えない。
 結局、買い物だけでへとへとになって、料理どころではない。第一妻は料理自体が苦手なのだ。
 苦手なことは克服しなければならないと、会社なんかに入ると、いかにもつまらなさそうに仕事をしているおっさんなどがよく言うが、あれも、ぼくたちのような正直な人間にとっては大いなる毒の言葉だ。
 ぼくたちは正直だから、まず『苦手なものを克服して』という言葉が頭の中に納まってしまい、『得意なことを伸ばそう』という言葉が入らなくなる。何故なら、得意なことばかりしかしないのは悪いことだと思い込んでしまうからだ。
 人生とは星飛遊馬の言うように戦いだから、のんびりと得意なことをしている暇があったら、是非とも苦手なことの克服に力を尽くすべきだと思ってしまう。少なくともぼくはそう思っていた。

十七、
 苦手なことの克服ばかりを考えていると、どういうことが起こるか。苦手なことというのはそう簡単に克服出来るはずがないから、ぼくたちはコンプレックスばかりを持つことになる。
 一度コンプレックスを持つようになると、苦手なことがどんどん見つかる。それまで少しはあった得意なことも消えてしまい、「ぼくは苦手なことしかない人間なんだ」と思ってしまう。
 そうなると最悪だ。
 かなり年若いうちから、ぼくたちは挫折ばかりを経験することになる。そして自分自身の存在を否定して、ついには死にたくなる。
 得意なことなんか、もうとっくの昔に忘れてしまい、人生は単なる苦役の連続だと、熱い血のたぎる青春時代に既に決定してしまう。
 そういう人が社会に出て仕事をすると、とても真面目だが、要領が悪いので、周りの人のペースに合わせることが出来ない。仕事だけは出来ても、人間関係では最低の立場に追い込まれるから、会社に来るのも単なる苦しみにしかならない。
 会社という所は、お金を貰う所だから、苦しくて当たり前、もし楽しかったら逆に会社にお金を払わねばならない、などと、人に犠牲を強いるのが好きな妙な経営者などがよく言うが、苦しいばかりでは、まず朝早く起きて出勤前の支度をすること自体が苦痛になり、ついには会社に行けなくなる。
 ぼくは、この年になってつくづく思うが、どうして人は人に対して苦しみを要求するのだろうか? 苦しんでいないと、生きている価値がないとばかりに、「苦しめ、苦しめ」と圧力をかけてくる。そしてその相手が苦しむようになると、「ああ、苦しいのはわたしばかりじゃないんだ、この人も苦しいんだ、よかった、よかった」と安心する。

十八、
 まさか世の中はそんな人の悪い人間ばかりじゃないだろうと、若い頃は信じていた。しかしどうやらぼくの信念は間違っていたようだ。
 現にスルメさんの奥さんは、にこやかに語るぼくからヘルパーさんの情報を聞き出して、それを基に、ついに妻に対して攻撃をしかけた。
 何を言われたのか、全てを細かく聞いたわけではないから、正確には書けないが、さらに言われたのは、
「わたしら、高い税金や介護保険を払ってるのに、あんたらは、楽してそこから金を取って、ヘルパーさんを雇ってるんやろ」という意味のことだった。
 まだたくさん言われたのだろうが、この際大事なのは細々した内容ではなく、スルメさんの奥さんがぼくたち夫婦に対して悪意を持っているということが、決定的に明らかになったということだ。
 ぼくたちが政府に関係のある重鎮で、大きな既得権益を所有していて、莫大なお金をふんだくっている立場ならば、「お前、ふざけるな!」と文句を言われても仕方がない。
 生活保護などという、最低の立場に落ちて、恥ずかしさのあまり俯いて歩いているのに、その恥の上塗りとばかりに攻撃をしかけるというのは、あまりにも情けない所業ではないだろうか。
 いやがうえにも、自転車置き場における恐怖が増してきた。その上こんなことが起こった。
 妻が一人で帰って来て、自転車置き場に自転車を置いていると、いきなりスルメさんの奥さんの部屋の窓が開いて、そこからスルメさんの奥さんの孫らしい男の子が、妻に向かって大きな声で「悪人!」と罵ったというのだ。
 さすがにスルメさんの奥さんは、孫に向かって「そんなこと言うたらあかんやんか」とたしなめていたが、妻によると、以前からスルメさんの部屋から、ぼくたちを「悪人」と呼んでいる声が聞こえていたらしい。孫の声じゃなくて、奥さんの声でだ。
 ぼくの恐怖は最高潮にまで達した。
 さらにある夏の日、ぼくが自転車でアイスクリームを買いに行った帰りに、後ろから何かがゴツンとぶつかる感じがした。振り返ると、スルメさん家の孫が自転車でわざとぼくにぶつかって来たのだ。ぼくは振り返って彼を見たが、小学四、五年生くらいの彼は、ニタニタ笑っていた。

二十、
 つくづく人間というものがいやになった。ぼくは考えをすっかり改めることにした。そちらが偏見の塊でこちらを見るのなら、こちらも同じように偏見の塊になろうと。
 そちらが、弱い精神障害者を偏見の目で見るのなら、弱い者を偏見の目で見るひどい奴として、こちらもそちらを偏見の目で見る。
 そう決めた。
 ぼくはそれから、少なくとも近所の人たちに対しては、愛想よくすることを、すっかりやめてしまった。自転車置き場に行くと、部屋の中から「悪人」と罵られそうでいやなので、自転車にも乗らないようになった。
 ぼくたちが不当に国からお金をせしめ取っ手いる悪人だというのなら、警察なり市役所なりに行って訴えてくれればいい。少なくともぼくたちは、政府に関係して既得権益で肥え太っているわけではない。月々わずかばかりのお金を貰って、細々と生きている。
 この頃生活保護受給者に対する風当たりが強いから、さらに小さくなって生きている。
 そしてぼくは、自分の住んでいるマンションの自転車置き場にも行けないから、この何年かは自転車に乗ってはいない。
 自転車置き場は、まさに、恐怖のるつぼ以外の何物でもない。

自転車置き場の恐怖

読んでいただいて、ありがとうございました。

自転車置き場の恐怖

短い作品ですが、精神障害者に対する偏見が描かれています。病気で苦しむ上に、偏見で苦しむ姿がここにあります。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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