奇す短編

旱のこと

大変暑かった日。
背中や首元もひどいが、特に目元の汗は面倒である。
拭っても拭っても同じだった。
そのときはよその畦を抜けて近道をした。
かなり喉が渇いていた。
かんなの咲いた薄暗い木陰を過ぎて、
あとは日照りの下を歩く。

向こうになにかが立っているものがある。
暑苦しい黒色が不愉快だった。
脇ではなく道の真ん中を塞いでいる。
これでは困る。
にたにたと笑うので、なおさらである。

「御前は  おに  なのか」

そのとき私はこう聞いたように思う。

そう言うと、あれはにたにた顔のまま、
おうおい、おうおい と啼いていた。
大変暑かった日のことである。







ひらり


 子供の頃は外で走り回って遊んでいた。
鬼ごっこもしたし、缶蹴りもした。
男子も女子も一緒になって遊んでいた。
いろいろと楽しかったな、と思い返せる。
自分たちで考えた遊びもたくさんあった。
“ひらりひらり”も仲間でよく遊んだ。
ほとんど鬼ごっこと同じようなものだが、
違うのは鬼が、「ひらり、ひらり」と言いながら
大げさに手を振り回して追いかけるところである。
私もけらけら笑いながら遊んでいた。

 ひとつ覚えていることがある。
よく遊んでいた公園に、見かけない子供たちが来ていた。
少し遠くの学校の子なのだろうか。
無邪気なものであるから、いつのまにか一緒になって遊んでいた。
そして、“ひらりひらり”をやることになったのである。
その子らにやり方を教えると、ひとりが嫌がった。

「わたしそれいやだ」
「えー面白いよぉ、こう鳥みたいに手をさぁ」
「こわいからやらない」
「なんでぇ、なにがこわいの」
「ねこをたべるから」

その子たちとはそれきり遊ばなかったから、それ以上のことは分からない。






 近くにずいぶん前に家をつぶした空き地があります。
雑草がかなり生い茂っています。
腰あたりまで延びているものばかりで、刈り取られる様子もありません。
歩道へ植物がはみ出してしまっているのです。
土地が売れなければずっとこのままなのでしょう。
いつも通る道なので、はみ出た草をよけて通らなければなりません。
葉や種や、あるいは虫が服につくかもしれません。
草むらの中になにか動物が入り込むことも考えられます。
とにかくできることなら早く手入れをしてほしいと思います。

 今日はその草むらの中になにか大きないきものがいました。
あれだけ茂っているので、姿形などわかりません。
でも動いていたので、たぶんいきものでしょう。
草を刈らずに放っておくから、ああいうものが棲みつくのです。
わたしにはあれに歯が生えているのがよくわかります。
だからよくないのです。
ですからすぐにでも草を刈ったほうが善いのです。
ああいうものが隠れられないように。






がんぎ


 川を覗き込むと、なにかがしゃがんでいる。
小柄な男の背中のように見える。
私は土手を降りて、そこに近づいた。
草履が濡れて、ぞっとするほど冷たい。
日照り続きの浅い川でも足元は当然悪い。
月明かりではよたよたとしか歩けなかった。
男はやはりひとではなかった。
けむくじゃらの猿のようだが、頭に毛はない。
しゃがんでいたのは魚を食べていたからだ。
まだこちらには気がついていない。
もっと近づくことにした。

 ここまで来ると、しゃぐしゃぐと魚を咀嚼する音も聞こえる。
食べているのはなんだろうか、
鯉か鮒か、
スッポンか、あるいは蛇かもしれない。
川底の丸い石が転がり、すねに泥がまとわりついた。
水が濁っているのは魚の血だろうか。
魚を飲み込むたびにそれの背中がぐうと動く。
葦の茂みから水鳥がばさばさと飛び去った。
 
 私はそこで気づいた。
川で魚を獲っていたのはわたしで、
いまそれをそのまま齧っているのもわたしだと。
わたしの口元はうろこと血にまみれていた。
すぐに強烈な生臭さで、ひどく吐いた。

濡れた着物を引きずりながら、夜の川辺はもう歩くまいと思った。







ノウマ

()(くら)である。



ひい いひい ひい 

がさがさがさがさ

ふう、はあ、ふうふう



おう何処(どこ)だどこだア


ざざざざざ ざざざ

ひゆう、ひゆう ひゆうう

ほお、ほう、ほー、ほう


ぎひひひひ、()げたツてえ無駄(むだ)だア、

()てえきやがれエ、この阿呆(あほ)


ざざざざ ざざざ ささ ざざざ

ひい ひい ひい 

がさり、がさがさ


こんな(ところ)()やァがつたか、犬畜生(いぬちくしょう)

()れで手前(てめ)エを()つて仕舞(しま)いよォ


ほう、ほお、ほー、ほー

ざざざ

うぐう、ぐぐ、

ごりごりごりごりがりがりがりがり



ぶちり、と(おと)()りますと、
其処(そこ)には(ひし)ゃげた草鞋(わらじ)()ちておりました。

(あと)は、夜明(よあ)けを()つばかりです。







鹿の顔

雑木林で鹿の顔に逢った。

椚、楢、椎、杉と、
落葉と土と雑草と、
小さな羽虫と石ころ、そして羊歯たちがあった。

この林の道はよく通るのである。

昨日は烈しい雨だったから、地面はぬかるんでいた。
独特の森林の冷気がひやりとさせる。
衣服が僅かに湿る、汗がゆっくりと冷える。

確か、そのときは下を向いて歩いていた。
考え事でもしていたのだろうか。
ぞぞ、と茂みが動く音がした気がした。

その場所である。
丸い黒いどうぶつの眼に見られていた。

濡れた鼻先がひくひくうごめく。
獣の油だろうか、剛毛は露を弾いている。
ぬらりと伸びた長い角が方々に分かれてぐにゃぐにゃと生える。

その鹿は、ぴぃぴぃ、と啼いたように聞こえた。

私はすごく嫌になった、嫌悪感である。
気持ちが悪かったのだ。
いや、もしかしたらもっと怖ろしい感情かもしれない。

きっと、私は酷い表情でその顔を睨んでいたのだろう。
そうすると、あれはにゅうと動いて林の中に消えてしまった。

それから、私は一度も、この林を出たいとは思わなくなった。

それでは仕方がないので家には帰る。
だが、幾度もこの林の道を通って、

その度に、あの鹿の顔を見ずにはいられないのだ。








釣果

夜釣りをしていた。

霧雨が降ってきてしまう。

ああぁ、と思う。

水だけのバケツを見つめる。

後ろを何人も通り過ぎる。

みな釣りを諦めたのか。

小さな折りたたみイスが尻に刺さるようである。

ぐっと冷えてきた。

はあぁ、と思う。

憂鬱になる。

竿を引くものはない。

もう餌を撒く気も起きない。

みな帰ってしまったのか。

霧雨が小雨に変わる、ポタポタと肩が濡れる。

だめか、と思った。

そこで竿がにゅうにゅう、と揺れた。

ぐうと釣り上げると、枕ほどもある大きな蛞蝓であった。

塩水に蛞蝓とは不思議である。

ぬらぬらと粘液が光る、緩慢に身をうねらせる。

バケツに蛞蝓を入れた。

すると蛞蝓は角を震わせながら言うのだ。


「おや、あんた、俺を釣るのははじめてか」

わたしは、ああ、そうだ。ナメクジなど初めてだ、と言い返した。

「ほうほうそれは大したこった。」

意味の解らないことを言う蛞蝓である。
バケツから粘液を吹きながらこう続けた。

「俺を釣ったということは、あんたも、もうじきってことさ。
これに懲りたらこんな寂しい雨の日に釣りなんかしないこった。」


そういうと蛞蝓はそれきり黙ってしまった。
持ち帰るわけにもいかず、そのあたりに打ち捨ててきた。

雨でずいぶん濡れてしまった。
風邪をひかぬうちに引き上げることにする。








渥地鐙沼膝迄浸之話





渥地鐙沼膝迄浸之話
あくちあぶみぬまにひざまでつかるのこと


- い -


びたびたと汗が飛び散り、胴の皮を湿らせる。
草臥れた落人が沢を川上へ逃げ延びているのである。

雑兵ゆえに身を守る皮革はごく軽く、少ない。
もう駄目だ、そうなってから、兎に角奔って奔って奔ってきた。
腕脚を林木にぼこぼこ打ちながら、倒けつ転びつ、
それでも怖れが勝って止まらなかった。
尖った岩に足をかけながら上ると、流れに濁りが溶け滲んできた。
直ぐに血だと分かる。においがする。
色は赤くはない、黒いから直ぐに分かる。

どろどろの解けた髷を掻きあげて見遣ると、
水の流れによろめき、足を引き摺る馬がいた。
刀傷か、深手を負っている。
手綱と胸繋がついているので、一目で軍馬だと判った。
落人はなんだか、その傷ついた馬がほしくなったのである。
もはや乗ることもできないだろうが、
落人は乱暴に手綱をふん掴んで無理やりに引っ張った。
ぐいぐいと体を斜めにして引っ張って、
馬のからだから血がびゅ、と跳んだ。
何度か頭を殴ったりした。馬はぶぅぶぅ唸って首をぐりぐり振る。

それを見ていた落人は急に動きを止めて、
一体何処を見ているのだか分らぬ顔になった。
そして、ひゅっ、と馬の頸を脇差で薙いだ。
何人も刺して、がたがたに毀れた、茶色く汚い刃物である。

沢の大岩からこれを見ていた河童は嘴をひん曲げ、
人間とは全く妙なモノである、と水搔きのある指をふにふにと動かした。





- ろ -


がきの時分にゃあ、よくおっかあに怒鳴れらたもんですわ。
タワケなことばッかりしくされば、座頭に獲って食われるぞ、と。
まぁ、そりゃあ、子どもには恐ろしいこたぁ違いありません。
今思えば都合のいい脅かしでさぁねぃ。
箕で遊んでぶちのめされたり、厩にいたずらしたり、
大雨で戸口がごとごと鳴ったって、
ほれ、来たぞ、お前を獲りに座頭さんが来たぞ、
ほれほれ、この糞がきを連れて行っておくれ、ほれほれ、ほれほれ、ってなぁ。
怖いのなんのって、え。小便を漏らしそうなぐれぇね。

------------------------------------------

柳の葉がひゅう、蘆の茎がじゃあ、
柳の葉がひゅうひゅう、蘆の茎がじゃあじゃあ。

土砂降りが泥をびちびち叩く、水をばちゃばちゃ叩く。
そうすると、沼から座頭が出てくる。
のたうつみみずのように指を動かして、びちょ濡れの掛絡と緑の藻草に塗れて。
誰かの捨てた割竹の釣り竿をみみずが見つけて、
今度は泥にみみずの絵を描きながら、ふらふら這い出てくる。
坊主頭をぐらぐらさせて、耳を左へ右へ上へ。鼻をくうくうと吸って。

悪い子はござらぬか、要らぬ子はござらぬか。
その子供の寝息が聞こえたら、もう戸口を立っている。
泥まみれの指で戸をべっとりなぞっている。

きっと悪い子どもの筋を取って、琵琶にしてしまうのだろう。
きっと要らぬ子供を鍋で煮て、じゅるりと食ってしまうのだろう。



- は -


ぼぼお、ごろお、ぐろお、どごう。
かッと天が閃いて、雷が落ちてくるのです。
生温い風が辺り一面に充満します。

雲がこの世の凡ての埃で満ちたような、黄黒い、
いやに不気味な色になってしまいました。
夕刻のような薄暗さになってしまいました。

また、どこかで稲妻がありました。
空が光ると、
ああ、音がなる、来る来ると思って構える、
そうすると、なかなか音がやってこないものです。

まだか、まだか、今にくる今にくる、と思って身構えてもまだこない。
気づかぬうちに遠くでなったのか、先ほどの光は気のせいだったのか。
そう思って胸の力を少し緩めると。

ぼぼお、ごろお。
ぐろお、どごう。

早く済ませて終わなければ、帰りに酷いことになってしまいます。
きっと雨が降れば、このあたりの杜若の花はもう散るだろうなと思いました。
昨日仕掛けた場所はここで違いない。はたして獲物は入っているでしょうか。

筌をぐいを引き上げると、妙な手ごたえがあるのです。
はて、何が獲れたか、そう思って覘くと、何か見慣れぬものが動いておりました。
おかしいと思って土手に中身をざばぁと空けたのです。
すると、黒々とした髪の毛がひと抱えも転げ出てました。
毛がもぞもぞ動くと中から小さな人の顔が出てきて、此方を睨み、
小さな歯をぎらと獣のように見せつけて威かしている様子でした。

それは仰天いたしましたが、なんだか不思議な心地がして、
それをずっと眺めておりました。
ぽつぽつと雨が降ってきて、いよいよ、雷が近くなってまいりました。





- に -


水が張られるばかりの田に、裾を捲った百姓がちゃぷちゃぷと歩く。
水田の中に、草の小さな庵がぽつりとある。
水辺の長草で編まれたぼさぼさの塊のように見えた。
百姓はどうもその小屋が気になったようである。
そばまで来ると、丁度庵を挟んだ向こう側に人がいるようである。
すっかり小屋の高さからその身の丈はまるで見えず、
こちらからはその足が鳴らす水音と、息遣いが聞こえるばかりだった。


「おや。これは気づきませんで」
 「そうか」
「あはぁ、いやァ、どうもこの草の庵が気になったものですから」
 「そうかそうか」
「これを作られたお方で?」
 「いいや違う」
「そうですか、はぁ。ひとつお伺いしてもよろしいですかね」
 「なんだ」
「エエと、もしご存知なら、で結構ですがね、この中には何が入っているのかと」
 「それを聞いてどうする」
「いえ、どうするもこうするも、まぁ、そのォ、アレですよ。
 この酷い臭いですから、誰のものか分りませんができるものなら
 とっとと片づけてしまいたいなと、ね」
 「何か臭うか」
「え。そこにいらっしゃるのでしょう?わたくし今も鼻が曲がりそうでして。
 たぶんこりゃ牛馬か獣かのおっ死んだのが入れてあるような、
 そんな臭いですがね、分りませんか?」
 「さぁ、分らんな」
「あはァ、そりァ、はは。そうですか。
 ええと、あとそのぉ…なぜそちらに隠れていらっしゃるので?」
 「おれは隠れてなどおらん」
「え、はぁ、一向にお姿が見えませぬが。」
 「おまえの心得違いだろう、おれはここにいる」
「ううん?ええ、はァ」

このあたりで百姓は、立ち込める死臭の所為もあってか、
なんだかこの世のものと話している心地がしなくなってきた。

「まぁ、とかく一寸気になったものですから、えェ、では失礼いたします」
 「まて」
「え、はァ」
 「この小屋を開けて行け」
「ははぁ、う、その…何故でしょう?」
 「いいからあけろ」

そのあと水田を出るまで、後ろから開けろ、開けろと声がしたが、
その姿は一向に見えず、ただ腐った臭いがあたりに充ちているばかりでした。





- ほ -

深夜である、たった一人、少女がいて、
背より高い深い草むらの中にいて、
藪こぎをして、どこへ向かうのか。

蔓と蔦が顔にぴちぴちと当たって、シュッと長細い葉が肌に痕をつける。

月も星もない、明かりがない。
手触りだけで前に行く。
持ち物を幾らか落としても、それでも草の中を無茶に逃げる。

そうしてどれほど分け入ったのか。
小さなサンダルが指の皮を噛みついて剥いで捲って。

そこで、たぶん、ひとに逢った。

藪より頭ひとつ背が高い、黒い服なのか黒い肌なのか。
全く判別ができないほどに暗い。
ただ目玉の白が判別できるばかりで、それが少女のつむじを見下ろしている。

しばしの沈黙があって、
少女がひっ、と声を漏らして、
強い風が草むらに吹き付けました。





- へ -

河原でザリガニを釣ってた。
もう夕方だった。
すごい夕焼けで、川が全部オレンジジュースみたいになってた。
虫カゴはいっぱいだった。
町役場のスピーカーが僕の名前を呼んでた。
すぐに役場に来てくださいって。
役場にはおじさんがいるから、きっと呼んでるんだと思って、
自転車に乗った。またスピーカーが僕を呼んでた。
役場は近いからすぐ着いた。
入口のところでおじさんが待ってた。
それで、うちの子にならないかっていうから
僕はいやだ、って言った。
おじさんは足をじたばたさせて、手もぶんぶん振って
怒り出したから、怖かった。
ザリガニをあげるから許してって言って、
カゴをあげようとしたらザリガニが全部死んでた。
おじさんは今度は泣きだして、
ザリガニのカゴを持っていっちゃった。
怖かったから、そのあと家にすぐ帰った。
なんかザリガニが嫌いになった。











奇す短編

奇す短編

こんな処に居やァがつたか、犬畜生 此れで手前エを殺つて仕舞いよォ

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • ホラー
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
  • 強い反社会的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2016-08-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 旱のこと
  2. ひらり
  3. がんぎ
  4. ノウマ
  5. 鹿の顔
  6. 釣果
  7. 渥地鐙沼膝迄浸之話