感想「森鴎外の『阿部一族』を読んで~その覚え書き」
森鴎外の「阿部一族」、その他の文章から、
その作者の、人間の誤りに対する一見解と、
決して希望を捨てることのない諦念を、
読み取ることが出来ればと思い、簡単な文章を書きました
(誤りに関する対処方法について書いた文章ではありません。
また、家庭内や一族内の不和を取り上げた文章でもありません。)。
森鴎外の「阿部一族」を読む。使用したテキストは、
集英社文庫の「高瀬舟、森鴎外」に収録されたものである。
物語の前半では、殉死する者やその傍らにいる人間の心に潜む、
狂信的で愚かな心理が描かれている。
忠利が愛用していた有明、明石という二羽の鷹が
井の底にくぐり入って死んだのを見て、
家臣達は皆、それを鷹の殉死であると判断する。
忠利の犬牽である五助は殉死のお許しを受け、
殉死をするに当たり、いつも牽いていた犬の前に
にぎり飯を置き、犬がその飯を食べない時は
それを犬の殉死の決意と見なし、犬の脇腹を脇差で一刀に刺す。
完全な狂信である。
忠利の机廻りの用を勤める長十郎の殉死に関しては、
もしも殉死をせずにいれば、家中の者から恐ろしい屈辱を
受けるに違いないという心配をする長十郎の心理が描かれている。
誰に殉死を許し、誰に殉死を許さないかを決める忠利に関しては、
親しく使っている家臣達の殉死を許さずに生きながらえさせた場合、
彼等には恩知らずの卑怯者という非難が与えられることだろうという
心配の心理が描かれている。
打算の心理を露骨なまでに描いている。
組織や指導者への忠誠を尽くすことが最も大切なことであり、
殉死という行為はその為の手段であるのだろうか?
例え毎日の勤めに問題は無くても、
組織や指導者への忠誠を示すことが出来なければ、
非があるとされるのだろうか?
物語の後半では、阿部弥一右衛門とその一族の悲劇が描かれている。
阿部弥一右衛門ははやくから忠利の側近く仕えており、
その毎日の勤めは万事に気が利いて手抜かりがなく、
実に見事な精勤である。以下に、忠利から殉死の許しを得ることが
出来なかった阿部弥一右衛門と一族の悲劇を書き抜く。
殉死を許されずに生き残った阿部弥一右衛門の耳に、家臣達の
悪口陰口が入る。阿部弥一右衛門は息子達の前で犬死の腹を切る。
阿部弥一右衛門の遺族は一種変わった跡目の処分を受け、
本家を継いだ権兵衛の身分は小振りなものとなる。
忠利の一周忌の時、知行を割かれた事等に不満を募らせた権兵衛は、
武士を捨てる決心をし、一つの珍事を引き起こす。
つまり、妙解院殿の位牌の前に進み焼香をして引き下がるとき、
脇差で髻を押し切り位牌の前に添えたのである。
上をも恐れぬ所行として、権兵衛は縛り首になる。
武士らしい切腹を命ぜられたのならまだしも、
奸盗のような扱いの縛り首に対し、阿部一族の怒り不満が募る。
阿部一族は権兵衛の山崎の屋敷に立て篭もる。もっとも大罪と
された大逆、謀反の罪に相当する。やがて上からは討手が送られ、
戦いの中で阿部一族は滅亡する。
阿部一族を滅亡へと追いやった悲劇の根本の悪、原因、
その分析に関してはここでは書かない(自分の能力では無理である)。
それを悪と知っていながら、計画と意志を持ってなされる悪行がある。
戒め正しめされなければならない。そのためには多くの人間の協力が
必要である。
文庫本の解説では、阿部一族の滅亡の原因を、
「自然」によるものだとしている。利害、名聞、意地、狂気、
ニヒリズム、などでは説明が不可能であるとしている。
ケアレスミスというものがある。
うっかりとした不注意から、精神的緊張や肉体的運動の無理な負担の
連続から、慌しい中の意思疎通の行き違いから、その他様々な原因が考えられる。
ケアレスミスを悪意あるものと見なし、絶えず監視と制裁を与えられる
場所は、まさに地獄以外の何ものでもないであろう
(参考までに書く。森鴎外の文章に、「歴史其儘と歴史離れ」というものがある。
その中で作者は、出版に関する行き違いの誤りをいくつかあげている。
作者はそれを無条件に許そうと努めているように思われる。
また、「自然」を尊重しながらもそれを「観照」ならしめようと努力
するのみであるとも書いている。
それでは、「観照ならしめる」ということは、
どのように解釈することができるだろうか?
自分には、文庫本の解説にある次の文章が最も参考になると思われる。
「鴎外は歴史の中から自然を見出し、そこから自己犠牲の例証を
導き出すことを倦まずたゆまず続けた。」
そして、作者の当時、知られていた伝説の内容とは異なる、
寛容に満ちた鴎外の「山椒大夫」が生まれた。
作者が創作から得た内容を、実生活にも反映させようと努めたと考える事は、
決して不可能なことではないであろう。)。
最後に、もう一度書くが、阿部弥一右衛門ははやくから忠利の
側近く仕えており、その毎日の勤めは万事に気が利いて手抜かりがなく、
実に見事な精勤であったのである。非は無かったのである。
忠利から殉死の許しを得ることが出来ず、生きながらえたという事だけのため、
家臣達からの屈辱を受けたのである。
更に不幸なことには、阿部弥一右衛門にはその屈辱に対して、
善を持って忍耐することが出来なかったのである。
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