あの家の思い出

あの家は丘とは呼べないけど
平坦よりは少しだけ高い
そんな場所にあったのだ

すっかり使われなくなり
もはや風景と化し庭の片隅にある
ローラー付きの洗濯機を横目にトト、と歩き

庭の一番見晴らしの良い所から
見下ろすと
はるか眼下に拡がる
広大な柿の木畑

いったい何本あるのか見当もつかない

とにかく先へ急がなくては

そう、早足で下り始めると

柵の向こうには
豚たちが泥に塗れて寝転がっている
近寄ると豚たちの気立しい奇声が喧しく
そしてやっぱり怖い

少し距離を取りながら
道幅いっぱいの外側をおずおずと進む

豚たちは
また泥で垈をうち始め
奇声が収まった事に少しホッとして

また急ぎ足に戻る

その小さな歩幅には
なだらかな坂道も
ちょっとしたジェットコースターみたいだ

その道すがらにある

高くまるで黒い壁の様な生け垣には
ギリギリ手の届かない高さで
小さな葡萄が如何にも美味しそうに
ぶら下がっている

一生懸命に背を伸ばすのだけれど
どうしても届かない

いいや、あとで
おじいさんにお願いしてみよう

おじいさんはとても優しい

昨日も布団の中の
足の間に挟まれて
がっちりロックされてしまった

寒いだろう
こうすればあったかいぞう

おじいさんは
どういう訳か私と一緒に寝たいみたいだ

マチ

マチ

そういって私を見詰める目は
他の誰よりも優しい

柿の木を抜けると
拡がる落花生畑

ほら、やっぱり
おじいさんはここにいた!

マチ

この草を見てごらん

マチ

ほら、バッタだ

私を抱き上げ
掠れた声を絞り出しては
あちこちを見せてまわる

他の大人たちは
あまり私を好きでは無いようなので

それがとても嬉しい

博愛、平等、聖人

・・・は、少し大袈裟かも知れないが
おじいさんは、そういう人

不公平を誰よりも嫌ってはいたが
明らかに
私をひいきしていたように確信できる



質素に堅実にまっとうに
何よりも真面目に
自分の考えは自分でつくるものだ

勉強はとても大事なもので
視野が広がるものだが
それ以上に
惑わされてはならぬ


そんな人


大人になった今でも
あれほどの人はみたことがない

教科書には
けして載らない
私の偉人


私はよく知らない ずっと前の事だけれど

おばあさんと
まだ結婚する前くらいの昔のこと

若かったおじいさんは
戦争の時に
戦場にどうしても行きたくなくて

人を殺したくなくて

赤紙が来る前から
家族にも何も告げず

山の奥の奥の奥に隠れて

ずっと人目に触れず
半年以上も野人の如く
暮らしていた

そんな 敬虔なクリスチャン

でも山狩りで見つかってしまい

嫡男だったけど

結局は家を追い出され

お嬢だったおばあさんと
ほぼ駆け落ち同然で

見知らぬ土地を開墾して
ここまでの家を1から作り上げたのだ

(本人は自ら出たのだよ
といっていたのだけれども)

二人とも
当時田舎出身では珍しいほどの

立派な学校を出たのに

一生を土と共に生き抜き

名声や地位には縁がなく

豚と柿の木ばかりが

どんどん増えて



でもいつも記憶の中の

おじいさんは本当に嬉しそうに
笑っている

おばあさんは
いつもおじいさんを怒っている

おじいさんが遺言で遺したのは
自分が死んだら

この身体は
眼でも腎臓でも心臓でも
恵まれぬ人の為に
使って下さい



大事に使ったつもりだが
老いぼれた身体で
それも叶わぬのなら


せめて医学の進歩の為に
若く立派な医学生さん
その方々の解剖の勉強に
お使い下さい

という言葉

親戚中から大反対にあったけれど

もうドナー登録だの
法的書類だの

そんな事はすっかり
済ませてあって

私は

おじいさんの身体が
無くなってしまうのが
やっぱり
どうしても悔しくて



まだまだ
身勝手な子供だったのですよね


ランニングシャツに
痩せた身体で
麦わら帽子の下の強い眼のひかり



そんなおじいさんの若かりし頃の写真が
ひょっこり出てきました

あらためて見てみると
かなり
整った顔立ちをしている…

いやほんと
身内びいき無しにしても

格好はアレだけども
本当に今でも立派に
通用するような俳優さんみたい

おばあさんは
顔に惹かれたのかもしれない…

・・・・・なんてね!


これは母方の実家のおはなし

父方の方はまたの機会に。

つまらない話に
お付き合いくださり感謝至極なのです

それではまた。

あの家の思い出

あの家の思い出

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-28

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