ノンアルバー
最近の三十代の女性には珍しく、庄司朝子は全く酒が飲めなかった。なので、会社の同僚たちから飲みに誘われても極力断っている。同じ課の今村美穂からは、せっかくの婚活のチャンスを逃すなんてもったいないとか言われるが、そんなチャンスなどいらないと思っている。さすがに歓送迎会などには参加するが、いつも少し損をしたような気持ちになった。飲み放題と言われたところで、ウーロン茶ばかりでは、おなかがタプタプになるだけだ。
その日は十年ぶりに高校の学年同窓会に参加したのだが、最初から、なるべく早く帰ろうと思っていた。
「どうした、庄司。盛り下がってるじゃないか。会社でなんかヤなことでもあったのか?」
そう言って、朝子の横に座ったのは猪原という大きな男だ。同じクラスだったが、ほとんど話したことはない。潰れた耳を見て、柔道部だったことを思い出した。
「そんなことないけど」
「そうか。じゃ、良かったら、二次会に参加してくれ」
「ああ、ゴメン。それは遠慮するわ。あたし飲めないから」
猪原はニヤリと笑った。
「わかってる。だから、声をかけたんだ」
「え?」
「こんな鬼瓦みたいな顔してるが、実は、おれも全然飲めない。飲める連中は向こうに集まってて、もうすぐ二次会に行くらしい。だから、おれたち飲まない人間は、連中とは別の店で二次会をやろうということになった。ところが、ちょっと困ったことになってて、おまえに助けて欲しいんだ」
意味がわからず、朝子がポカンとしていると、猪原の周りにゴツい体格の男たちが集まってきた。顔だけはなんとなく知っている。柔道部だけではなく、ラグビー部や体操部の面々も混じっているようだ。
「見てのとおり、こんなメンバーばかりで、女性陣が参加を渋ってる。そこで、元生徒会長の庄司が仲間に入ってくれたら、女の子たちも安心して一緒に行くと思うんだ。何だったら、おまえの料金はおれたちで持ってもいいぞ。なあ、頼むよ」
朝子は困ってしまった。料金うんぬんより、あまり知らないメンバーとでは、盛り上がりそうにもない。朝子の気持ちを察したのか、猪原が自分の胸をたたいた。
「大丈夫。めちゃめちゃ盛り上がる。というか、絶対、おまえも喜ぶと思う。飲まない人間のパラダイスみたいなバーなんだ」
結局、朝子が行くことにしたのは、『飲まない人間のためのバー』というものに好奇心を抱いたからである。ただし、行く以上は自分の勘定は自分で払うからと、猪原に念を押した。
朝子が声をかけたので、男女合わせて二十名ほどが集まった。タクシーに分乗し、『マイスイーツホーム』というその店に行った。見た目は普通のバーと変わらない。ただし、入口の横には『当店ではアルコールの入った飲料は一切提供いたしません』という注意書きが、目立つように出してある。
店内に入っても、照明・インテリア・従業員の制服、どれをとってもバーそのものである。カウンターもあるが、朝子たちはテーブル席の方に案内された。猪原たちは慣れているらしく、ノンアルコールのビールやカクテルを次々に注文している。
「お飲み物はいかがしましょう?」
わりとイケメンの店員に聞かれ、逆に、朝子は聞き返した。
「何があるの?」
「普通のバーでお出しするような飲み物のノンアルコール版もありますし、紅茶・コーヒー・日本茶などもございます」
「うーん、どうしよう。あ、もしかして、お抹茶とかもある?」
「ございますよ。わたくしがお立てします」
同じ歳ぐらいの店員はニコリと笑い、カウンターに入るとシャカシャカと茶筅を鳴らし、ガラスの器に入った抹茶を運んできた。
「どうぞ。普通の抹茶碗だと店の雰囲気に合わないので、耐熱ガラスで特別に作らせました」
「へえ、そうなんだ。もしかして、あなたがこの店のオーナーなの?」
「はい。神子沢と申します」
その時、猪原が「マスター、おつまみお願いします!」と声をかけた。神子沢は「かしこまりました」と応え、朝子に軽く会釈をすると、カウンターの奥に戻った。
(おつまみって何だろう。まさかピーナッツとかスルメとかってことは、ないわよね)
やがて、神子沢は他の店員たちと共に銀色のプレートを何枚か運んできた。もちろん、朝子が心配したようなものではない。プレートに乗っているのはスイーツで、それを見た同級生たちが歓声を上げた。ガトーショコラ・モンブラン・シフォンケーキなどのケーキ類、アップルやチェリーなどのパイ、フランボアーズや白桃などのムース、マドレーヌやフィナンシェなどの焼き菓子、それらがすべて普通の十分の一ぐらいのミニチュアサイズで作ってあるのだ。
「お客さまには、こちらを」
神子沢が朝子に差し出したプレートには、色鮮やかな和菓子が乗っていた。もちろん、こちらもミニチュアサイズである。
「ありがとう」
添えられた黒文字で、プルンとした葛餅をひとつ食べてみた。上品な甘さが口に広がる。
「おいしいわ」
「ありがとうございます。お抹茶のおかわりは、いかがですか?」
「お願いします」
カウンターに戻る神子沢と入れ替わりに、猪原が来た。
「どう、気に入った?」
「ええ」
「だったらさ」
猪原は、少し恥ずかしそうに視線を外した。
「今度、二人で来ないか?」
すると、朝子はカウンターの方を、ちらりと見た。
「そうね、また来たいわ。今度は一人で」
(おわり)
ノンアルバー