小説家たるもの
締め切りを破って初めて一人前の小説家となるのである、といった言い回しがあるが、実は小説家の誕生はその少し前に訪れる。これはプロの作家の間では周知の事実であるが、人生で初めて締め切りに追われるという経験は誰にとっても相当な重圧であり、皆がこの重圧に起因する一種の通過儀礼を終えることで小説家として独り立ちしていくようである。
私などはデビュー当時は実家暮らしで、しかも母も小説家であったため、こんなやりとりがあった。
「おはよう、母さん。その…実は…」
「どうしたの?」
「うん、その…シーツを洗っておいてくれないか…」
「まあ!」と母は目を潤ませた。「これであなたも本物の小説家ね」
その日の夕食は赤飯であった。美味であった。
漱石も、芥川も、谷崎も、太宰も、三島も、それから…いや存命の小説家の名を挙げるのは控えるが、とにかく、小説家と呼ばれる人間はもれなくもらしているのである。
小説家たるもの