そして僕の指は落ちた

 指をつめる夢を見た。

 僕は高層ビルの中を歩いていた。高級スーツを着こなして書類を片手に歩く男達に混じり、トレーナーにジーンズというラフな格好をした僕は、さもその会社の一員であるかのようにすまして廊下を歩いていた。すれ違う社員たちの、ほがらかな会釈。僕はジーンズのポケットに忍ばせたキーカードを布越しに撫で、上層階のある部屋を目指してガラス張りのエレベーターに乗った。何らかのデータを、この堅牢な会社から盗み出すためである。

 僕は小さな頃から、妙な夢を見る。自家栽培のその夢を、ムフフと笑いながら見るのが好きだ。
 しかし夢は儚いもので、母に叩き起されたり、学校に行って「今日の給食に冷凍ミカンが出るらしいぜ!」という友の言葉にヒャッホーと言い返せば夢の余韻などあっさりと消える。儚い。さよなら、忍者の里の藤四郎。サバンナのカエルとオアシスで語らった『今オナラをすべきかどうか?』討論。ゆえに僕は壁に話したり手記に綴ったりしてなるべく手放さないようにしている。最近はツイッターに投稿することも多い。

 ツイッターといえば、「ツイッターを使いこなす!」「使えない奴は遅れてる!」という煽りでビジネスマンを焚きつける「ツイッター攻略本」とやらが書店に並んでいるが、ただの娯楽ネットサービスがえらそうに脅迫するんじゃありません、世間のお父さんを何だと思っているのチョット頭冷やしなさいとショッキングレッドの帯ごとひっ掴んで清めの滝などに放り込んでやりたくなる。「これが出来ないと遅れてる」「常識と外れてる」を煽りに使われやすいこの世の中。食わず嫌いせずに色々やってみる事はとても良いことだとは思うが、それほど必需品でもない技術やサービスがさも「必須科目」の顔をして情報に疎い人々を煽り焦らせるのは如何なものか、およしなさいと、つい眉をひそめてしまう。
 
 だが思う。ツイッターはいつか必須科目になるのかもしれない。
 
 いつか宇宙の果てが見つかって、僕が宇宙と呼んでいた空間はどこかの世界の海底だと分かるのかもしれない。
 
 僕らが一日と感じる時間は、実はとある宇宙人とっては認識できないくらい一瞬の出来事で、僕らは「計測できない時間を計測出来る時計(すぐ死にます)」として一箱三百円で売買される時が来るのかもしれない。
 
 未来のことは分からない。
 
 話を戻そう。指をつめる夢を見た。僕はスパイとして、とある会社に乗り込んでいる。目的の階でエレベーターを降りた。黒と白のタイル状の廊下。黒服の男たちが、スーパーの特売コーナーに群がる主婦のようにワアワア押し合ってベニヤのドアを護っている。耳に埋め込まれたイヤホンから、ノイズと仲間の声が聞こえてくる。顔も名前も分からない、複数いるらしい仲間のやりとりが。どうぞ。どうぞ。僕が報告する事柄はない。ベニヤのドアのすぐ隣、誰ひとり護衛のいない金細工のドア前で、僕はカードキーを取り出した。そのカードには、緑の猛々しい龍が描かれている。ヤクザの刺青のデザインにありそうな、龍である。
 
 僕は一時期、ヤクザを嫌う人を嫌っていた事がある。
 
 僕は小さな頃、刺青を背負った見知らぬおじさんと話した事がある。彼は目つきが悪く、言葉遣いが荒い面はあるものの気の良い気さくな男性で、僕がまとわりついたこともあって長く話し込んだ。後でそれを知った周りは僕をバカだアホだ、二度とするなとこっ酷く叱ったが、当時非常に頭にきたのを覚えている。
 
 あのおっさんは、わるい人ではなかった。
 おっさんがヤクザだというだけで、大人は二度と関わるなと鬼の形相で僕を叱る。解せない。彼は悪い人ではなかったのに。「俺、ヤクザ!」という記号を背負って堂々歩いている人よりも、こっそりアリの巣を埋めて笑う優秀な同級生の方がよっぽど恐ろしい。この世に悪人と言い切れる悪人などいないと、本気で思っていた。
 
 実は今でもそう思う。
 
 この世に悪人はいない。
 
 ただ。
 
 指をつめる夢を見た。
 
 僕はデータを手に入れ、会社を出る直前に黒服の警備員に見つかり逃亡に失敗、拘束されてしまう。百貨店の地下総菜売り場のようなフロアに連れこまれた僕は、十名ほどの仲間とともにこの会社の社長に会う。社長は白いタンクトップにきつね色の腹巻きをしたスキンヘッドの中年男で、僕の中学時代の担任の顔をしていた。社長は僕らに謝罪の誠意を見せろと言い、そこらの一升瓶を二・三本叩き割り、子猫を誘うように指をちらちらと動かした。仲間の一人が、迷いなく社長の前に出た。彼は僕の実の友人で、本当によく周りを気遣う、心優しい青年だった。僕は黒服の男に腕を掴まれたまま唖然と、事の成り行きを見つめた。
 
 社長は彼に、右手をショーケースの上に出すように言った。咥えていた煙草を彼の中指の先に押しつける。そのあと、砕けた一升瓶の先で何度も何度も彼の指を叩き、ゴリゴリと挽いた。彼の中指はちぎれた。彼は無言で、血塗れの右手をぶらさげて僕の方へ帰ってきた。彼はけろりとしていた。

「次。お前だ。M」
 
 僕の本名を呼んで、かつての担任の顔をした社長は手招きした。その「ファックユー」と言わんばかりに突き出した中指をチラチラ動かして人を呼ぶ仕草は、成績の悪い生徒にネチネチと厭味を言う時の、担任の癖だった。
 
 僕は一時期、とても優秀だった。中学生の頃のことだ。学年で一位だった。とある学校、とある学年、とある定期試験で2回だけ一位だった。そのことについて、大学受験を控えた夏、当時僕と一位を競っていた青年と話した事がある。
 
 彼は苦笑した。

「あの頃はそこそこ地元でも頭が良い、将来有望な生徒だとか教師も親も騒いでいたのに、今じゃどこにでもいる平凡な成績の受験生だよ。なんてことない存在だったんだよ、僕らは。でもあの頃は意外と信じてたんだよね、大人の言うことはさ。本気にした自分が、ちょっと滑稽だよ」
 
 僕も、同じ道化者である。あの「栄光」が続くと信じていた。
 
 僕のかつての宿敵は、凡人だった。ほっとしたし、がっかりした。火花を散らして睨みあったあの頃が、馬鹿らしく思えるほどに。けれど周りの大人は、決して無駄ではないと言うだろう。
 
 よい成績を収める事は、たとえ井の中の蛙でも、美徳だ。
 
 真面目で優しくて、良い成績を取る子供は、美徳の塊だ。
 
 僕らはきっと、美徳にそった「良い子」だった。
 
 でも今はそうじゃない。僕の後ろ盾に、もう美徳はいない。正確には僕らが、美徳の照らす光の道から消えたのだ。
 
 常々思う。この世には良いも悪いもない。絶対的に必要な物も、必要な者も、ない。しかし人間の世界には、美徳という名の一本道が、まっすぐと伸びている。理想とはそういうものなのかもしれないが、ひとつのモデルの独壇場であるなら、それは既に、モデルではないのではないか。

「人」という井戸にぶち込まれた生き物の頭は、正しく一点に向かうように教育される。人に酢酸をかけたり、首を切り裂いたり、女の腹にいる胎児を緻密に解体したがることを美徳とするのは悪。けじめのために人の指を切り落とす事を生業とするのは悪。同性を愛す、異性の服を着る、人形を愛す、その枝分かれした美学は、あまりよろしくない。
 
 何故なのだろう。
 
 何故、よろしくないのだ? 理想が人を、飼い慣らしているだけなのに。同じ家畜の分際で。誰を飼い主としているか、それだけの違いで。
 
 僕は社長の前に立った。

「右手を出せ」
 
 僕は手を出すまえに、尋ねた。

「本当に切るんですか」

「大丈夫だ、切ってもまだ長い」

「どうして指を切るんですか」

「お前が悪い事をしたからだ」

 なぜ、悪いことをしたら指を切るのだろう。

 なぜ、勉強をする子は良い子なのだろう。

 僕には教師とヤクザが一緒に見える。自分の倫理の中で考える限り、自分の倫理に沿わない相手は悪。教師は言う。指を切る? とんでもない! 不良は言う。良い成績を取る? ばからしい!

 倫理の、美徳の違いを善悪で分けるのが、まず悪じゃないのか。

 僕は、ショーケースの上に手を出した。

「社長」

「何だ」

「僕は悪い子なんですか」

 社長は少し首を捻って、めんどくさそうに言った。

「知らねえよ」

 そうしてわりとあっさりと、僕の指は、落ちた。

そして僕の指は落ちた

そして僕の指は落ちた

自分が嫌い。 自分なんて消えればいい。 そんな人は、実は自分が嫌いなわけじゃない。 ある『○○』に誰よりも仕えている、従順で献身的な、従者である証です。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-06-20

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