微笑み返し

自分で自分を認めるために。

ふと出会った人と、笑いあいたい。そう思う。

母が退職してから、ふと今日暇になったので、午前中に久しぶりに二人で出かけた。

商店街に出ると、わくわくするでもないが、私はふと人間愛が湧いて出てしまう。
なにかこんこんと、心の奥からあたたかなものが湧き出てくるのだ。

昼餉を食べたマクドナルドなどで、散髪した髪で久しぶりに化粧した私は見れたらしく、向かいのおじいさんがずっとほほ笑んでこちらを見ていた。
何かチャップリンのように手でジェスチャーして気を引いてくるので、ふと見てにこっとしておいた。

私はリアルと言うバガボンドを描いた人の漫画を読んでから車いすの方や体に欠損のある方に、何かしら惹かれるというおかしな部分があるのだけど、今日見た女性は車いすの車輪がディズニーで、やはり障碍者であっても元気に生きておられる、と尊敬し、目を合わせて挨拶すると、恥ずかしそうに視線をそらされたが、嫌な感じはせず、その後も近くに来られたりと何かの触れ合いはあった。

私は生来、人好きの性格であった。
それが今の私を作り、最悪の状態から今の健全な状態へと引き戻してくれた所以かもしれないが、まだまだ、頑張らねばいけないと思う。

今日、夕方のニュースで今の高級老人ホームに住んでおられる方が映っていて、やはり洗練されたというか、苦労されてきたのだという貫禄があり、やはり人間とは常に学んで磨かれなければいけないと、読書くらいしかできない青二才だが強く思い、何か読む本は無いかと探している最中だ。

これからも、書き続けるだろう。
考え続けるだろう。動き続けるだろう。
自分ルールで生きていくしかない。

しゃきりとし続けられるよう、何かを探し続けるだろう。
それでいいと思う。私は所詮、何かに縛られなくては不安で生きていけないのだから。

何かに励めるということは、憧れられるということは、それだけで尊いと思う。
なかなか自由の利かない体だが、完全に健康体でないということも、何かを悟るために得られたものなのだと今は思う。
私の知らない苦しみが世にはあって、それを私は知らなければいけないのだ。他者の痛みや共感、だからこその理解など、私の仕事がこの世にはごまんとあったということなのだ。
神様からの宿題。この病を解いて見せよ。
私には、まだまだ挑戦すべき何かがある。

それを得るか得ないか、決めるのは自分だ。

褒められる生き方をしなければならない。
妙に善人ぶるでもなく、ただストイックに生きていく。それを実現せねばならない。今はそう思う。

これは一つの小説も見事に仕上げられない、青二才の手記だ。
私の人生、無学歴のずーっと青二才。かじっただけで物を書いている。

今後もお金になるような、立派なものは書けないだろう。
しかし、自分の人生の指針くらいは決められる。

このサイトがあって良かったと思う。今はただ感謝だ。
読者数はもはや見ない。意味がないんだ。

ただただ、探し続けよう。挑戦し続けよう。腐らずに続けよう。そう思う。

微笑み返し

所詮まじめです。

微笑み返し

所詮これは、青二才の手記だ。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-24

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