サプライズワイン

 私がこの仕事を始めて25年たった頃、病気になり廃業した。従業員だったYさんは私の好きな手作りオハギをもって今でも来てくれる。そして帰り際に私の手を握って涙ぐむ。私が難病で余命いくばくも無いのを知って、本心から心配してくれるのだ。「月一回来ます」と言って帰って行く。私は嬉しくて、今度も一ヶ月間生き永らえたことを喜び、次回彼女が来るまで又頑張ろうと思う。                                                                  読書や園芸の趣味が妻と同じWさんも私の病気のことで毎月きてくれる。妻も介護に明け暮れて御近所や友人と接することが少なくなったので、彼女とのおしゃべりが楽しそうだ。そんな妻を見るのは嬉しい。Aさんは人手不足の介護施設に再就職して仕事量が増えてきた。大変でも責任感が強いから一生懸命やっている。彼女は思う存分おしゃべりして帰って行く。ストレス解消になるようだ。Kさんはお孫さんが生まれて世話が忙しくなった。落ち着くまでしばらくかかるだろう。
彼女たちは20年以上勤務し最後まで残ってくれた。今は全員再就職して別々に仕事をしているが、たまに一緒に顔をみせてくれる。お茶を飲みながら昔のことに話の花が咲くこともあって、みんなに私の所に勤めていた時が一番良かった、と言われると嬉しい。
 私は仕事では従業員を全面的に信頼し自主性にまかせた。すると予想外の成果が得られ、全員で協力して職場環境や勤務体制を改善していった。こうなるとどちらが経営者か分からない。安い給料に不満は有ったと思うけど、年休も殆ど取らなかった。私が申し訳ないと言うと、反対に、「ずっと勤めさせて下さい、ここが気に入ってますから」、と返された。  
そろそろ体力低下と年齢を考えて無理しないように、と妻に言われていたので、職場は週3休とし、一日の勤務時間も短縮した。経営が赤字にならなければ欲張る必要は無かった。私はふだんから従業員に、仕事は合理的に、無駄なことはしないように、と言ってきた。余った時間は有意義に、体を休めるのもいい、と話していたので夫々が自由に時間を使った。大概は読書だったが、編み物や園芸、楽しそうなおしゃべりもしていたようだ。買い物や、役所にいくのに支障はなかった。昼時間は家に帰ったし、仕事中でも用事がある時はいつでも早退した。皆が支えあうから出来た事だろう。
トイレ掃除、窓拭き、床磨き、草取り、除雪、器具の故障直しなどは当たり前のようにやり、わたしの代わりに対外的なこともやってくれた。私にお茶を出してくれることはあっても、これらの雑事を私にさせることはなかった。
私も自室で好きな本を読めたし、「碁」勉強もできた。呼ばれた時だけオフィスに出ればよかった。
 私は感謝のつもりで彼女達を旅行に連れて行くことにしていたが、そのうち海外旅行に変えた。食事の時に彼女達がテーブルに置いてくれた「サプライズワイン」ほど美味しいものは無かった。御馳走を前に乾杯し、私も妻もみんなも楽しい気分に浸りながらそのひ一日の旅の話をした。
良い従業員に支えられているという事は、こんなにもいいものかと、「胃」にしみて思った。
2016年6月10日

サプライズワイン