茶店の謎(7) しゃべらない子供
++++死ななくて良かったあ!と、そう思って毎回ホッとして歓びに浸る。子供の時分から、何処かマゾ的な嗜好があったらしい。
8. しゃべらない子供
死ぬほどの痛さの予想が外れる事無く、毎回確実に的中するというのは、子供心に恐ろしいものだ。それだけでも、他の子供達が天国のように幸せに見えた。医者と看護婦は、普段楽しみが少ない。注射の度に、あたかも生死の境にあるように痛がる私を眺めて、密に愉しんでいる風だったから、大人は残酷なものだ。
もっと危険な問題が別にあった。自分の腕ではないから、無責任な医者は先週どっちの腕に注射したのか、完全に忘却するのだ。医者のいい加減さに、私は震え上がった。忘れる位なら、どうしてちゃんと帳面に書きとめて置かないのだ! 医者のルーズさが私を悩ませた。話が飛躍的に複雑になるからだ。
こんな時、今週はこっちだと黙ったまま正しい方の腕を突き出して、私が教えてやるのだが、言うなれば、素人が医者に物を教えなければならない。何と言っても子供の事だから、うっかりして教え間違いというのは起こり得る。万が一私がそんな教え間違いをしたら最後ーーー、顔色が変わるほど恐ろしい事態になる:
硬くなった皮膚にグサッと来た注射針が、ポッキンと折れる。体内に入った鋭い針は、腕から首を抜けて至近距離にある脳に達するのは明白で、この道筋は小ニにも判る。そうなれば、数時間足らずで息をひきとるのは確実だ。
死ぬまでの時間、脳が針にやられて七転八倒して苦しむ自分と、それを眺めて楽しむ医者と看護婦の姿を想像すると、恐ろしさで体が凍り付く。舌が引き吊って、物が何も言も言えなくなる。
そんな私の様子を眺めて、「この子はよく泣きはするが、生まれ付き一言もしゃべらない性質(たち)だ」と、厚ぼったい肉体の看護婦は勝手に誤解した。
子供は大人とは違って、人生を始めたばかりだ。当然未だ肝はすわっておらず、体験する多くが「未知との遭遇」で、「生まれて初めて」。大人なら、それほど大袈裟に思わなくてもと考え勝ちだが、子供がソレを生死に拘わる恐怖の体験と考えるのは、自然なのだ。
どの大人も子供時代にそんな心理を体験しているのに、当時の繊細でデリケートな「幼い心」を大概忘れてしまっている。私には医者が、地獄の閻魔大王の親戚に見えたし、万一の危険に備えて救い出してくれる筈の看護婦は、どこもかしこも感じが鈍そうな女だったから、何の助けにもならなかった。
◎作者:
書いていますが、「誰にも読まれている」ようには見えませんので、書く意味がなく、これ以上のシリーズの進行は中止する事にいたします。読者層が違うようです。悪しからずご了承ください。8月21日。
茶店の謎(7) しゃべらない子供