キャシーの歌
Ⅰ
降り続く雨の音が聞こえる。
私は朝食の後片付けを終えぼんやりと居間のソファに凭れている。薄暗い窓の外の雨の景色を眺め、「梅雨が始まったんだ」と改めて思う。
庭の飛び石やナツツバキの幹までもがすっかり濡れた色に変わっている。ヤマボウシの木陰になるあたり、アスチルベの葉叢からは何本も花茎が伸び、赤を帯びたやわらかい花穂が雨の雫を孕んでいる。庭の一番奥では、毎年梅雨の半ばに淡い桜色の花を咲かせるル・レーブという品種のユリが、伸ばした茎の先に大きく膨らんだつぼみをいくつもぶら下げ重そうに茎を傾げている。降り続ける雨がそれらのすべてを包んでいる。「ル・レーブっていうのはフランス語で夢っていうことなんだよ」と夫がいつかいっていたのを私はかすかに思い出す。でも、私たちの夢は、今ではすっかり雨に降り込められてしまったようだ。
今年の梅雨は夫が暮らす近畿地方では例年より一週間ほど早く始まったのだが、関東地方ではいつまでたってもその気配がなかった。それが昨日の午後になって、私たちが住むここ千葉でも雨が降り始めたのだ。
私は「とうとう梅雨が始まったんだ」と声に出していってみる。居間の時計の針は九時半を指している。私はわずか二時間ほど前のことをずっと昔のことのように思い出している。
今朝のことだ。食事を終えて高校に行く準備を済ませた娘は、靴を履き玄関のドアを開けて「いってきます」といった。今日は土曜日だが、娘は午前中に数学と英語の補習があって出掛けようとしていた。午後からは部活の練習もあるので帰りは遅くなりそうだった。娘の佳代子が通う高校にはオーケストラ部というのがあって、佳代子はそこに所属していた。人数こそ四十人程度と少し小編成だけれど、ブラスバンドではない本格的なそのオーケストラで、佳代子はフルートを担当している。そのオーケストラが来月に入ってすぐに県のコンクールに出場するので、このところ練習時間が長いのだ。夕食までには家に戻るはずだが、夕食後は再び塾での勉強が待っている。
以前は家を出るときに娘の方から、
「今日は遅くなるだろうから、お母さんだけ先に御飯食べちゃっていいよ」
などと話しかけてきてくれたものだが、最近は口数が少なくなった。それで今朝は、家の中から娘を見送りながら私の方から、
「気をつけていってらっしゃいね。午後は何時頃に帰ってくるの?」
と声をかけてみたのだ。しかし娘はこちらを振り向きもせず、
「さあ、どうかな」
とだけいって、さっさと傘を広げ雨の中に歩み出ようとした。その態度に私は何故かむやみに腹が立った。思わず、
「どうして『さあ、どうかな』なのよ」
と、とがめるような口調になった。
娘は驚いたように立ち止まりこちらを振り返ったが、少し間を置いてから口の周りにだけ笑みを浮かべたような顔をして、
「だって、わかんないものはわかんないでしょ。塾に間に合うように帰ってこられるとは思うけど」
といって、さっさと玄関を出て行った。そのいい方が反抗するような口ぶりでもなく淡々としていたので、かえってよそよそしいものを感じた。納得がいかない気持ちのまま居間に戻ると、関東地方の梅雨入り宣言が昨晩のうちに出されたというニュースを、誰もいない部屋でテレビのアナウンサーがやけに落ち着いた口調で告げていたのだ。
私は今、高校二年生の娘の佳代子と二人きりでこの家に住んでいる。夫の西門春夫は奈良に単身赴任中だ。夫の勤める食品会社の工場の一つが奈良県のK市にあって、夫はそこの工場長となったのだ。二人の息子たちは既に就職し、長男の博が宮城県のS市で、次男の敏也は群馬県のT市で、それぞれ勤め先の独身寮に入って暮らしている。
親子五人の暮らしから今のように二人きりになるのはあっという間だった。ちょっと前まで私たちは家族全員がこの千葉の家で賑やかに暮らしていたのだ。それが、一昨年の四月に長男が宮城県にある化学関係の会社に就職して最初に家を離れた。長男は元々、勤めるなら地方がいいといっていたので、これは予想していたことであった。次に、昨年の十月には夫に単身赴任の辞令が出た。これもいつかはあることだと私たち夫婦は覚悟していた。ところがさらに追い討ちを掛けるように、今年の五月には次男も群馬県に行ってしまって、千葉の家には結局私と娘だけが取り残された。次男は今年の四月に医薬品関係の会社に就職した。私は次男が東京の本社勤務になるものだとばかり思っていたが、新入社員向けの研修が終わって家に帰ってきた次男は、群馬県下の研究所への配属となったといきなり私に告げ、ゴールデンウイークが終わらぬうちにT市に引っ越してしまったのだ。
子供たちを育てることに精一杯だった時期、私は子供たちが大きくなって親元を離れ夫婦だけでゆっくりと過ごせる時がくるのを心のどこかで待ち望んでいたと思う。しかし今の自分はそんなことを少しも望んでいない。
長男がS市に赴任したときに夫は、「あちこちに遊びに行ける場所ができていいじゃないか。温泉にでも宿を予約して、一度みんなで遊びに行こうよ。宮城は牛タンや、魚なんかもきっと美味しいぞ」などと暢気なことをいって私をあきれさせた。子供が家を出て行くことに対する感じ方は、男親と女親ではどうもかなり違うらしい。
この家に引越したのは今からちょうど十年前だ。親子五人で暮らすことを考え、私たちは子供部屋が三つ確保できる家を探した。狭いながらも庭付きだ。家を選ぶとき夫はマンションでいいじゃないかといっていたのだが、私は子供たちのためにも庭付きの一戸建てがいいと主張した。しかしいざ庭付きの家に住み始めると夫のほうが庭に木を植えることに乗り気になって、堆肥や腐葉土を庭の土にすき混んだり近くの園芸店で植木の苗を買ってきたりした。植えた当時はせいぜい腰の高さほどしかなく鉛筆ほどの太さだった苗木が、今では人の背を遥かに抜いて大きく枝を広げている。
一戸建ての二階にある三つの子供部屋のうち二部屋は、たまに息子たちが帰ってくるとき以外はもう使うこともなくなってしまった。息子たちのベッドや本棚は昔のままだし、クローゼットの中には息子たちの服が今も何着かハンガーに掛けて吊るしてある。夜になれば娘は二階の自分の部屋で、私は一階の和室でそれぞれ眠る。夜中に目を覚ましたときに、この家が広すぎると感じるようになった。娘を高校に送り出せばこの家に私は一人暮らしと同じだ。
私は結婚前に夫と同じ会社に勤めていた。そのころの私は別に仕事が生き甲斐だったわけではなかったが、自分の出したほんの小さな成果(例えば回されてきた書類の内容に誤りを発見したり、事務仕事の手順についてちょっとした改善策を提案したりといった他愛のないものだった。)が上司に誉められ嬉しく思ったことがあった。
社員同士で結婚すれば妻は退社するというのがその頃の会社の暗黙のルールだった。私たち夫婦もそのルールに従った。家庭に入ってからは、毎日の家事を完璧にこなしても誰かから評価される訳ではなかった。いくら洗濯物を洗っても、いくら床に掃除機を掛けても、いくら食事を用意しても、半日もしないうちに洗い物は溜まり、部屋には常にほこりが積もり続け、次の食事の時間はやってくるのだ。まるで賽の河原の石積みのように、主婦は家事を毎日繰り返し続けねばならない。子育てだけは結果が残るようにも思えたが、子供を一生懸命育てれば大人になって家から出て行ってしまうだけだということにやがて気付いた。子供がいつまでも大人にならないのはもちろん困るが、大人になったらなったでそれで終わりなのだ。佳代子が大学に進学し、もし家を離れてしまったら、その後の私には何の生き甲斐が残るだろう。
しかし夫は違う。定年まで生き甲斐や誇りを持ち続けられるよう、階段を上って行くシステムが職場の中に用意されているのだろう。工場長を無事務め終えたら、夫には次にどんな椅子が用意されているのだろうか。
実は私たちが結婚して半年ほど経ったころにも夫は奈良工場に転勤になって、二年七ヶ月の間、私たちは奈良で暮らしたことがあった。奈良にいられる期間はそんなに長くないだろうからといって、ガイドブックを買ってきて休日に片端から名所を回った。私たちは車を使わず、電車と徒歩で移動した。夫は「歩いてみないと気付かないものがたくさんあるからね」といった。
奈良の観光地めぐりは、夫と二人きりで始まった。長男が生まれてしばらく散策は中断したが、長男の首が据わった頃から三人で再開した。我が家のアルバムには長男が生まれる前、そして生まれてからの奈良での思い出の写真が次々に貼られていった。その頃の写真をたまに取り出して見ることがある。初夏の萌える若葉を背景に、私に抱かれたままの長男が近くで遊ぶ鹿を興味深げにじっと見下ろしている写真がある。写真の中の私は長男の顔を覗き込んでいる。夫はきっと、カメラのファインダーを通して私と長男の表情を見ていたに違いない。長男と私の表情には一点の翳りもない。おそらくカメラを構える夫の表情にも。その頃の私たちは家族いっしょのこのような生活がずっと続いていくということを無邪気に信じていたのだろうか。それから三十年近く先のことなどは考えても見なかったのか。
夫は今、あの頃に勤めていたのと同じ工場の工場長として単身赴任している。住んでいる場所も、あの頃に住んでいたのと同じ社宅だ。しかし、夫が単身赴任してから、私は一度も奈良に行っていない。佳代子は平日に学校に行くのはもちろんのこと、休日も毎週のように部活で学校に行ったり時には演奏会やコンクールで遠くに出掛けたり、そうでなければ実力テスト、模擬テストといった試験があったりするので、私は弁当を作ったり時には車で演奏会場や試験会場まで送り迎えしたりしなければならず、長い間家を空けることができない。娘に何か買って食べるようにいっておけば私が留守にしても差し支えないのかもしれないが、そこまでして奈良に行かなくてもいいかなと思ってしまう。
今年の四月初めに夫から電話があって、「新婚時代に奈良にいたときは、あちこち遊びに行ったよね」といわれた。私が「うん」とだけいってその後は黙っていると、少し間を置いて夫は、「もうすぐ当麻寺でボタンが咲くよ」と付け加えた。
「もしかして、私を誘ってくれているの? 私といっしょにボタンを見に行きたいの?」と私は訊いてみた。
「佳代子がいるから無理なんだろ」
そういった電話の向こうの夫の声はそれほど残念そうでもなかった。夫は私や子供たちのことをどう思っているのだろう。子供たちや夫が次々と家を離れ家族がばらばらになっていくことを私がどう感じているかを、夫は知っているのだろうか。私は夫の気持ちを知りたいと思った。でも、夫は私の気持ちを知りたいと思っているのだろうか。
ソファに座ったままいつのまにか物思いに耽っていた私は、洗濯機が洗濯を終えたことを知らせるブザーの音で我にかえる。風呂場の隣の脱衣所に置いてある洗濯機のふたを開け洗濯物をかごに移して、二階に持って上がる。ベランダには干せないから、空いたままになっている次男の部屋で部屋干しにする。男女五人分の洗濯物を毎日干していたころと比べ、洗濯の手間は僅かなものでしかない。たくさんの洗濯物を干していた頃は毎日の洗濯をうっとうしく思っていたのだが、今は洗濯物が少ないことを寂しくて残念なことに感じてしまう。ついこの前までは洗濯物の多さに疲れて私はため息をついたものだが、今日はその寂しさがため息となって私の口から漏れた。でもため息の理由を認めるのが嫌で、私は窓の外の梅雨空を見ながら自分をごまかすように、「洗濯物が乾かないのよね」と小さく独り言をいう。その声は雨音にかき消されてしまう。
窓際に置いたラジオが音楽からニュースに変わった。一人で家事をする時はラジオを聴くという習慣がいつの間にか身についてしまった。聴くというよりも、部屋の中の音の空白をラジオの音で埋めるといった感じ。今日は朝から雨の音が聞こえるが、雨音は部屋の中の音の空白を埋めてはくれない。むしろそれは街の音をさえぎり、家の中の音を吸い込んで、音の空白をより耐え難いものにするようだ。ニュースを読むアナウンサーの声も、今日はすこし湿り気を帯びているように聞こえる。私はラジオの音量をいつもより上げなければいけなかった。
その時私の耳は、いきなりラジオのニュースに引き寄せられた。
「……M市内の高校で、野球部員が部室で飲酒をしていたことが分かり、同校野球部は夏の高校野球県予選大会への出場を辞退することを決定しました。千葉県M市のM中央高校では、野球部員が自宅から部室にビールやワインを持ち込むなどして……」
「これって、佳代子の通ってる高校じゃない。でも、まさか佳代子には関係ないよね……」そう思ったとき今朝の佳代子の声が頭の中で響いた。「さあ、どうかな」
洗濯物を干し終え階段を下りてきたとき、急に我が家の玄関前でオートバイのエンジンの音がして、郵便受けの金属の蓋が開閉される音がした。雨の中でそれらの音も少しくぐもって聞こえた。オートバイは郵便配達員のもので、我が家に郵便物を届けていったらしい。
オートバイがひときわ高くエンジンをふかして行ってしまうと、それまで以上の静寂が戻ってきた。その静寂を埋め合わせるかのように、一瞬、雨の音が大きくなったような錯覚がする。雨音は窓の外から室内に洪水のように溢れて入ってきて、私の耳に、そして心にまで流れ込もうとする。私は雨に濡れきったような気持ちになって、力なく室内に視線を巡らせた。
部屋の中はいつもより暗かった。夫が使わなくなって閉じたままになっているラップトップコンピュータの黒い蓋の上にはうっすらと埃が積もっている。家の外では、この部屋全体を雨音で埋め尽くそうとするかのように激しく雨が降り続いている。この家の屋根や壁を飽きることなく濡らし続けている。
Ⅱ
放送の終わった深夜のテレビから流れる灰色のノイズのような音で目が覚めた。この部屋にテレビは置いてなかったはずなんだが、そんなことを寝ぼけた頭で考える。枕もとの目覚まし時計を見ると、六時半を指している。その時刻にしては部屋の中は薄暗い。ノイズのような音の正体は雨音だった。窓のカーテンを開けると、厚い雲に覆われた空から絶え間なく激しい雨が降り続いていた。
今日は土曜日だ。三週間連続で雨の週末となってしまった。しかし、だからといって別にどうっていうことはない。雨であろうが晴れようが、どちらにしろ週末はたいしてすることもなしに手持ち無沙汰に過ごすのだから。雨は社宅の窓や壁を容赦なく濡らしている。雨音に混じって遠くでかすかな雷鳴まで聞こえる。
私の住む奈良県K市はとっくに梅雨入りしているが、妻の直美と娘の佳代子が住む千葉県M市は、昨夜遅くにようやく梅雨入りしたようだ。このところ娘は部活が忙しいらしい。雨の中を今日も娘は学校に行っただろうか。
私の住む社宅は三階建てで、私はその最上階の東端に住んでいる。六畳の和室、四畳半の洋間、八畳ほどの立派なダイニングキッチンの備わった住まいに一人暮らしだ。
奈良工場には以前にも勤めたことがあった。私は二十二歳でこの会社に就職し、先ず本社に配属された。勤めて五年後に結婚した。社内結婚であった。妻は総務部で会計事務などをして働いていたが、出張旅費のことなどを相談に行くうちに親しくなり、私が食事に誘って付き合いが始まった。結婚と同時に、妻はいわゆる寿退社をした。そして結婚後半年して、私は奈良工場への辞令を受け、私たち夫婦はこの社宅に引越すことになった。
当時、ここは建てたばかりで、空いている部屋など一つもなかった。若い世帯が多く、小さな子供がいる家庭も多かった。社宅に住む家族の間だけでの、ちょっとしたお祭りや運動会のような行事まであった。同じ階段を使う家族同士は特に親しくなった。
あのころ賑やかだったこの社宅も、最近は住む人がすっかり減った。私のところを含め人が住んでいるのは全部で二十四戸あるうちの十一戸のみで、あとは空き家になっている。若い職員が社宅に住みたがらないことも一因だが、工場の人員整理が進んできたのが空き家のできる主な原因だ。
新婚当時に奈良に住んだころはいろんなことが楽しかった。あの頃、私たち夫婦は週末毎に観光地巡りをした。特に奈良公園、春日大社、東大寺の辺りを散策するのが好きで、いろんな季節に何度も訪れた。時には京都や大阪にも足を伸ばしたが、自然と溶け合った古都である奈良の魅力にはかなわないと思った。
しかし今回私は奈良で一人暮らしだ。私が自宅を離れる日には、妻は長男が家を離れたときほどには気落ちしてもいないようだった。私が家族と共にいなくとも、妻は大して困らないのだろう。会社の中でそれなりに責任のあるポストに就くようになるにつれ残業が増え、たまの休日には家でただごろごろとしている時間が増え、やがて私は家庭にはいなくてもいい人になってしまっていたらしい。私が二度目の奈良工場勤務の辞令を受けたその日、私は五十二歳、妻は四十九歳だった。
社宅は工場まで歩いても二十分、JRの最寄り駅までは十五分という便利な場所にある。しかし社宅の周りにはかなり田んぼもあって、自然は豊かだ。この季節は雨音に混じって蛙の鳴く声が低く聞こえる。夕暮れ以降、辺りが静かになると、蛙の声は社宅の三階まで届く。
梅雨の合間の晴れた日の夕方ともなれば、部屋の灯りに誘われて集まった様々な種類の虫が、社宅の窓ガラスや網戸に張り付いた。白や茶色の蛾、金属のように光る黒や濃い緑色の甲虫、長い触角と透明の羽を持った蜻蛉に似た虫もいる。ガラス戸を開けるとたとえ網戸をきっちり閉め切ってあっても、その網目よりもさらに細かい羽虫たちがいつの間にか部屋の中にまで入り込んで来る。羽虫は蛍光灯の傘の下の辺りをくるくると忙しそうに飛び続け、やがて疲れきったように畳の上に落ちてしまうのだが、しばらくして不意にまた飛び上がったりする。この虫たちはいったいこうして何をしているのだろう。朝になると、座卓の上にうえに羽虫がいくつも干からびて落ちていたりする。そして網戸の外を見るとそこにもたくさんの虫の死骸があった。もし、ことわざにいうとおりに一寸の虫にも五分の魂があるのなら、これら虫たちの魂はどこからやってきて、そしてどこに消えて行くのだろう。それともあらゆる生き物の魂などというものは、単に想像の産物に過ぎないのだろうか。
私は朝からコーヒーばかり飲んでいる。朝食は食べなかった。十時を過ぎる頃になっても雨足は衰えない。今日は一日中こんな天気なのだろう。一週間前に図書館で借りた本は全部読んでしまった。気晴らしに電車に乗って大阪まで出て阿倍野の地下街かミナミのアーケードでも歩いてみようかと思うが、やはり止めておこうと思い直す。買いたいものも見たい映画もこれといってないのだ。週末も工場は稼動しているからやたら離れるわけにはいかない、そういうことを自分へのいい訳にして、今日はせいぜい社宅回りの散歩程度で一日を潰すことになるのだろう。
私はこの工場に異動してから暫くは、次々に持ち込まれる雑事に対応する本社の暮らしから開放され、正直なところさっぱりとした気分だった。工場はルーチンの業務だけしていればいいのだから、事故など特別のことがなければ工場長などという仕事はある意味暇なものである。一方で、問題が起これば責任を取るのが工場長の役割だ。日ごろからの職場の安全管理、製品の品質管理など、いざというときのために備えた対策に意を用いることが大切なのはいうまでもない。しかし工場長自身がいくら注意しようとも、従業員の不注意やルール違反などで事故が起こる可能性はある。そしてどんなことにせよ何が原因であれ、一度問題が起こってしまえばその責任は全て工場長が負わねばならない。工場内のあらゆる不始末は工場長の不始末なのだ。
問題が起こった時、いい訳をしてはいけない。本人はただ事情を説明したいと思って話しているだけのつもりでも、それを聞く人たちにはいい訳にしか聞こえないこともあるだろう。細かな事情を説明することさえ許されず、すべての責任を負わねばならないのだ。工場長に限らない。責任者というのはそういうものだ。その上で、自分の能力や努力の程度とは関係なしに結果だけを見て、よくやった、失敗した、できる、できないなどと好き勝手に評価されてしまうのだ。
いくら雨だからといって何もせずに一日中部屋にこもっているのは精神衛生上よくない、そう思って午後二時を少し過ぎてからようやく社宅の部屋を出る。傘を差して歩いて国道沿いの店まで食事に行く。いわゆる大衆食堂の店頭にはガラスの向こうに蝋で作ったカレーライス、きつねうどん、カツ丼、オムライスなどが脈絡なく並べられている。それぞれの見本の前には、黒塗りの木片に白い塗料で料理の名前と価格を書いたものが立ててある。
店の中に入ると、私以外の客は奥の方に二人ほど座っているだけだった。店の入り口を入ってすぐ右手の棚に置いてある新聞をつかんで奥に進む。案内されるまでもなく空いている席に自分で座り、手持ち無沙汰に新聞のページをめくる。
社会面の右下に小さく「宮城の化学工場で爆発」という小さな見出しが出ているのが目に飛び込んだ。私は思わず長男の博の勤める会社ではなかろうかと心配して、慌ててその記事を読む。しかし爆発があったのはS市よりももっと内陸の別の会社の工場だった。原料タンクを清掃するため空にして、タンクの中に気化した原料が残っているままの状態で装置の電源を入れたため、モーターからの火花か何かが引火して爆発したらしい。従業員二人が怪我をし、うち一人は重体だという。原料タンクを清掃する際の作業手順が文書化されていなかったと記事には書いてある。ここの工場長は処分だな、労働基準監督署が立ち入って刑事告発されるかもしれないぞと私は思う。人が怪我をして苦しんでいるということと、そのことで責任を負う別の人がいるだろうという事実に、私は二重に暗い気持ちになる。新聞記事は簡単な事実関係だけを淡々と伝えている。怪我で苦しむ人にも事故の責任を負う人にも、それぞれの生活や家族というものがあるに違いないのだが、そのことに記事は触れていない。
間もなく、四十歳前後の女性が注文を取りに来る。私は新聞記事のせいで滅入った気持ちのまま、メニューを少しだけ見てその人の方はほとんど見向きもしないで、「うどん定食」と一言伝え、また新聞に目を落とす。見出しを一通り眺めてから、二つ、三つの記事を斜め読みして、ていねいに畳んでテーブルに置く。
やがて奥の厨房からは昆布の出汁の匂いと湯気が漂い、食器を置いたりうどんの湯を切ったりする音が聞こえてくる。私の注文したものを作ってくれているのだ。その匂いや音を感じながら私は、「さっき注文を取りに来た人に悪いことをしてしまったな」と少し反省する。それで、先ほどの女性が次にうどん定食を持って現れたとき、
「いい匂いですね。関西のうどんは出汁が利いていて美味しいですよね」
と声を掛けた。
「有難うございます。お客さん、東京の方ですか?」
「家族は千葉にいるんだけど生まれは神奈川でね。まあ、こっちの人からすれば東京も千葉も神奈川も同じようなもんなんでしょうけど。あなたはこちらの方ですか?」
「いえ……、実は私も以前、神奈川に住んでいたことがあるんですよ」
「神奈川のどちら?」
「大船っていう駅があるでしょ。あの近くなんです。私、生まれは兵庫県なんですけど、地元の高校を出てから何となく憧れて、東京に本社のある会社に勤めたんです」
「じゃあ、大船から毎日東京まで通ったんですか」
「ええ、大船には会社の独身寮があって、そこから品川の職場まで東海道線で通勤してました」
まさかそんな身の上話を聞くことになるとは思ってもいなかった。
「それで、どうしてこちらに?」
「勤めて三年目に会社の取引先で働いていた今の夫と結婚して、私は会社を辞めたんです。夫の転勤にくっついて青森だとか、あちこちに行ったんですが、五年前に夫がこの近くの工場に転勤したんでこちらに来たんです。私の両親が神戸で暮らしているんですけどちょっと体調がよくなくてね、一番近い奈良工場へ夫が転勤希望を出してくれたんです。ここだと神戸にもすぐ行けるからって……。私は奈良に住むのは初めてなんですけど、この場所がすっかり気に入ってしまって、できれば長くここに居たいですね」
うちの会社の工場は青森にもある。それで、私はもしかしたらこの女性が私の工場で働いている誰かの奥さんかもしれないと思い、それ以上家庭の話を彼女から聞くのは良くないと考えて話題を変える。
「大船にいらしたんですね。大船は懐かしいですよ。私は高校の頃まで藤沢で過ごしたんです。だから大船はよく知ってます」
「藤沢は東海道線で大船から一駅ですもんね。あと、鎌倉とか江ノ島とかも近くにあって、遊ぶにはいいところですよね」
「鎌倉、江ノ島にもよく遊びに行きましたよ。鎌倉は自然が豊かでいいところですね。長谷観音の辺りには野生のリスがたくさんいましたよね。奈良に比べれば歴史は浅いかもしれませんけど……。大船もいいところだ。住んでおられたのは観音様のほうですか、それとも反対側?」
「観音様のほうに降りて、フラワーパークに行く途中です」
「フラワーパーク、懐かしい名前だなあ」
「賑やかですよね。特に春はポピーや西洋シャクナゲがきれいで……。ごめんなさい。つい話し込んでしまって。冷めないうちに召し上がって下さいね」
「いただきます」
「ごゆっくり」
昼食を食べ終わって店を出てから、近くの商店街に立ち寄る。雨は小降りになったものの人通りはまばらだ。
花屋の店先に並べられたアスチルベが雨に打たれ濡れている。葉叢からすくっと伸びた花茎の先には、薄く赤みを帯びたやわらかい花穂が雨の雫を孕んでいる。私は一鉢買いたいと思うが、花が終わったあとに社宅のどこかに植えるわけにも行かず、わざわざ千葉まで持って帰るのもたいへんだと考えて諦める。
大きく華やかで、特に西洋風の人工的な感じのする花、例えばバラやダリア、グラジオラスなどを私はどうも好きになれない。しかしユリやアスチルベのような花ならば、たとえヨーロッパで改良された品種であっても東洋の血を引く清楚な味わいの残るものが多くあって心を惹かれる。
アスチルベは白やピンクもよいが、私は赤いアスチルベが好きだ。アスチルベという名前はこの花の学名に由来し、それはラテン語で「輝かない」という意味なのだそうだ。確かにこの花の赤はでしゃばらない。アスチルベの赤はバラやダリアのそれと違って、どんなに濃い赤でも決して派手にならないのだ。むしろ濃ければ濃いほど、深い落ち着きのある色となるようだ。赤いアスチルベをあのように深い、意味のある赤い色合いで咲かせるものは何なのだろう。アスチルベの赤を見るたびに、私はそんな不思議な気持ちになった。
毎年この季節にアスチルベが花屋で売られているのを見つけると、私はつい一鉢買って家に持ち帰り、妻に困った顔をされた。我が家の庭のヤマボウシの樹の下はアスチルベの花壇のようになっていて、草丈や花の色合い、穂の形や開き具合、葉の色までもが少しずつ違うたくさんの株が競い合って咲くのは見事である。妻も最後は諦めて、アスチルベが咲き出すと苦笑いしながら「きれいだね」といってくれるようになった。今年もあと半月もすれば我が家の庭でアスチルベが花の盛りを迎えるはずだ。
花屋の店先のアスチルベの鉢をぼんやりと眺めながら、雨に包まれたこの街のはるかかなたにある千葉の自宅のことを私は思い浮かべる。妻は雨模様の空の下で毎日どんなふうに暮らしていくのだろう。結婚と同時に退職して専業主婦となった妻は、これまで子供を育てることだけに没頭してきたはずだ。今は千葉の家で娘との二人暮しとなってしまった。子供たちが一人ずつ家を離れるたびに、妻は少しずつ寂しそうな表情を浮かべるようになっていった。娘が学校に出掛けた後、一人になった部屋で、妻はどんな顔をして過ごしているのだろう。
長男が就職してS市に勤務になることが決まったとき、私は「あちこちに遊びにいける場所ができていいじゃないか」と妻にいった。いかにも落ち込んでいる妻を慰めるつもりでついそんな軽口をいったのだが、逆に妻からは「引越しは大変だし、一人暮らしはお金も掛かるのよ。あなたは気楽なことだけいってられていいわよね」と不機嫌な声で厭味をいわれてしまった。
その一年半後に私が、奈良工場の工場長の辞令を受けた。
花屋の店先を離れ暫く商店街を歩いた私は、雨から逃れるように喫茶店に入る。ウエイトレスに私が案内された席からは雨の通りがよく見渡せる。私は窓の外を眺めながら再び物思いに耽り始める。
私が勤める会社では、工場長に転出したらそこで三、四年勤めて、そのあと本社の総務部調査室などに戻されるか、部付きの調査役という肩書きでどこかの部屋の片隅に席を与えられるか、あるいは何箇所か地方の工場長を歴任して退職を迎えるかのいずれかというのがお決まりのコースだ。総務部調査室は資料の整理が主な仕事だ。工場長は本社の意向に沿って工場を動かすことと、何か問題が生じたときに責任を負うことが仕事であって、新しいことを企画したり会社の意思決定を行ったりという機能のラインからは外れている。工場長は長という名前が付いても、実際は窓際族への入り口なのだ。だから奈良工場への今回の異動は栄転ではなく、ありていにいえば左遷だった。
妻は、私が奈良工場長として転出することにそういった意味があることを多分分かっていない。妻は結婚前にしばらくこの会社に勤めていたが、若い頃に下から見上げる組織の姿は、そこまで実際に上ってきてから眺める周りの景色とは大きく違って見えるものなのだ。
私は奈良工場への異動を妻に打ち明けるとき、「あっちは本社ほどには忙しくないし、いずれ本社に戻る前に観光地を回ったりして楽しんでくるよ。どうせ本社に戻るとまた忙しいんだろうから」といった。しかし実際には、本社でもう一度忙しいポストにつく可能性など先ずなかった。なのに自分がどうしてそんなことをいうのか、自分でもよく分からなかった。単なる強がりだったのかもしれない。あるいは自分の気持ちを前に向けるよう精一杯無理をしていたのかもしれないし、もしかしたら妻を心配させたくないという気持ちもあったのかもしれない。そして奈良工場に赴任してから、休日に観光地を訪れることなど実際はほとんどなかった。
今年の四月のことだった。当麻寺でボタンがまもなく咲き始めるという新聞記事を見た。当麻寺のボタンは、一度目の奈良工場勤務の頃に、長男も連れて三人で見に行ったことがあった。その思い出があったので、私はもう一度行ってみたいなと思った。それで妻に電話した。
「もうすぐ当麻寺でボタンが咲くよ」
と私は電話口の妻に告げた。
「もしかして、私といっしょに見に行きたいの?」
妻は気乗りしない口調でいった。まるで「佳代子を置いて出掛けられないに決まっているでしょ?」といっているようだった。それで私はつい誘いそびれて、
「佳代子がいるし、無理なんだろ」
と、ぶっきらぼうに返事をして電話を切ってしまった。そして一人で見に行ってもつまらないに決まっていると考えて、当麻寺にボタンを見に行くことは結局止めてしまった。
私の今回の奈良工場への配属は、渡邉専務の考えによるものであるということだった。私は奈良工場に異動する直前は、本社の業務部の次長をしていた。
実は渡邉専務も、十数年前に業務部次長をしていたことがある。その後そのまま業務部長に昇進し、やがて専務になった。後任の業務部長には九州支所の山田支所長が就任した。今から五年前のことだ。
私が最初に奈良工場で勤務したとき、当時まだ室長だった渡邉専務の下で働いたことがある。その頃の私は人一倍働いたと思う。その後も渡邉室長が本社の業務部次長となり、やがて業務部長に、そして専務にと出世の階段を登るのにも、私は少なからず貢献したはずである。しかし、結果的に私は工場長に転出した。渡邉専務の私に対する評価はそんなものだったのかと思った。サラリーマンは所詮、上司によって好きなように動かされるゲームの駒のようなものだと思い知った。
奈良工場への転勤の話を直属の上司である山田業務部長から私が伝えられた日、山田部長は私に気を遣って、「専務も西門次長がどんなにこの会社に貢献してきたのか分かっているだろうにな。なんとか早めにいいポストで戻れるよう骨を折ってみるよ」といってくれた。
「有難うございます。でも、気にしないで下さい。私もそろそろ若い人に道を譲るべきだと思いますから」山田部長から骨を折ってみるといわれたとき、私はそういった。工場長への転出は必ずしも私の本意ではなかったが、話を聞いたその瞬間に私の腹は決まっていた。私はこの会社でこれまではそれなりに恵まれたポストを経て来ることができたという思いがあった。これからまだまだ伸びて行くはずの後輩たちがいる。私が本社のポストにいつまでも居座って、そういった後輩の出世の道を塞いではいけない、私はそろそろ本社のポストを後輩に明け渡すべき時期だと考えたのだ。妻にはその夜、「奈良工場に異動が決まったから」とだけ伝えた。
もちろん、本社でもっと頑張れといわれればそうするつもりだった。奈良工場は自分から行きたいと願い出て行くポストでもなかった。しかし、奈良工場に行けといわれたからには私はそこで働こう、それが私の役割なんだ、そんな気持ちだった。でも、私が会社での役割を全て終えたら、この世の中で私にはどんな役割が残るのだろうか。
山田業務部長が骨を折るよといってくれたのは、どこまで本気だったのか私には分からない。その山田業務部長も今年の四月には子会社の役員に出向してしまった。これも渡邉専務による人事であると噂された。
私が勤める会社は決して社員に冷たい社風ではなかった。むしろ社員を大切にすることで業績を上げてきた会社だと思う。会社は社員それぞれに昇進の道を用意してくれる。社員は昇進という坂道を一生懸命上り続けることで会社に貢献し、自らも達成感を得ることができる。しかしそれでもいずれどこかで、それまで上っていた坂道が突然平らになって行き止まりになっているような場所にたどり着き立ち止まる時が来る。それが早い人も遅い人もいる。自分がそのような場所に来るのは、予想より少し早かったなと私は思った。
喫茶店の窓の厚いガラスを隔てて外の雨の音は聞こえないが、街路を通り過ぎる人たちがみな傘を差して足早に歩いているので、まだ雨が降り続いていることが分かる。
先があると思って進んでいた道が突然行き止まりになるということを、日々の暮らしの中でも体験した記憶がある。そのときの情景は今でも不思議なくらいはっきりと思い出すことができる。あれは子供たちがまだ小さかったころのことだ。
家族みんなで外房の海に遊びに行ったその日は、八月の日曜日だったはずだ。子供たちは夏休みだった。どこかに連れて行くようにせがまれて、私は半分思い付きで「海に行こう」といったのだ。車に子供の着替え、浮き輪、小さなプラスチックのバケツとスコップ、妻の日傘などを積んで、家族を乗せて私が運転した。当時の我が家の車は赤いマーチだった。カーラジオからはサイモン&ガーファンクルのKathy’s Songが流れていた。
「カンカン照りの夏の日にこの曲は似合わないよなあ」と私がいった。
「そうよね。これは雨の日に聴く曲だよね」
「そういえば、君の高校時代のあだ名はキャシーだったんだろ」
車を運転しながら脈略のないそんな会話を妻と交わしたことまではっきり覚えている。フロントガラス越しに見る道の遥か先には逃げ水があった。暑い日だった。
海に向かう道は、家族連れを乗せた車で次第に混み合っていった。それで私は、渋滞を避けて裏道を抜けていこうかと思った。別に道をよく知っているわけではなかった。カーナビなどという便利なものも、当時は少なくとも我が家の車には付いていなかった。ただ、細い道に入って海があると思われる方向へ進んでいけば何とかなるんじゃないかと思った。
ところが裏道に入った途端、おかしな場所に迷い込んでしまった。そして車がようやくすれ違えるくらいの、民家の間の細い通りを仕方なしに進んでいったら、家並みが途切れていきなり海に出た。そこで道は行き止まりになっていた。コンクリートの低い防波堤の向こうに五、六艘の小さな漁船が繋いであって、海に張り出した突堤の上では何人かの男たちが竿を伸ばして釣りをしていた。その先に水平線が静かな海と明るい空とを分けていた。空の高いところを、鳶が羽を広げ悠々と舞っていた。
どうやらいつの間にか、海沿いの漁村に迷い込んでしまっていたらしい。そんなに海の近くにまで来ているとは思ってもいなかったので、目の前にいきなり広い海の景色が現れたことがたいへん唐突に感じられた。まるで劇の舞台のカーテンが開くと、場面がいきなり切り替わっていたかのように。
奈良工場への異動を部長からいい渡されたとき、何故かその時の行き止まりの海の風景が不意に思い出された。そんな景色を暫く思い出したこともなかったはずなのに。あの日私たちは行き止まりの海で車を降りた。そこには何の変哲もない小さな砂浜があって、そこで私たち家族は一日を過ごした。まるで最初からその場所が目的地だったみたいに。
あの日はとてもいい天気だった。しかし今日は酷い雨だ。今、私は雨に降り込められて、仕方なく喫茶店で雨宿りのような時を過ごしている。
私は近頃、職場にいる時でもまるで自分が雨宿り場所から雨の街の景色を眺めているような気になることがある。しかも実は、その雨宿り場所の屋根は激しく雨漏りをし始め、今にも崩れ落ちようとしているのだ。そのことを渡邉専務から私が知らされたのは今から半年前の、今年の一月だった。
Ⅲ
一月も半ばとなり世間が正月気分からすっかり醒めた頃、渡邉専務から突然の電話があった。専務から工場長の私に直接電話が来ることなど滅多にないことだった。
「実はなあ、奈良工場は再来年の三月いっぱいで閉鎖することが決まったよ」
専務は電話で私にこともなげにそう告げた。思ってもみない言葉だった。どう返事してよいかすぐには分からず、ようやく私は「そうなんですか」とだけ答えた。
「まだこのことを知っているのは役員と企画部長と、西門君、君だけだ。他の誰にもいってもらっては困る。株主総会が七月上旬にあるからその前には発表しなければならないけど、それまでは絶対に秘密だからな」
「分かりました」私はそう答えながら、胸の奥がずしんと重くなったように感じた。
「こんなことを本当は電話でなんて話したくなかったんだが、君には黙っているわけにいかないと思ってな。かといってこのことを話すためだけに奈良までは行けないからなあ。今度いつ東京に出てくる?」
「二月の部長会議に出席する予定です」
「分かった。じゃあ、その時もう少し詳しく話すよ」
部長会議は本社の部長と全国の工場長が全員出席する会議で、四半期毎に開催される。新宿の本社ビルで今年最初の部長会議が開かれたのは二月にはいって間もない日だった。会議は午前中のうちに終わり、私は午後に専務の部屋に顔を出した。
「君と一緒に奈良工場で働いたのは、もうずいぶん昔だよなあ。あの頃は楽しかったよ」
応接用のソファに腰を下ろしながら専務は私にそういった。
奈良工場で、当時はまだ室長だった渡邉専務の下で私が仕事をしたのは、今から二十五年も前のことだ。
奈良工場は私が今の会社に勤めてから最初に経験した現場であり、新婚時代を妻と過ごした場所でもあった。本社と比べて工場は時間的にゆとりがあった。
「工場の仕事はどうだ?」
転勤してから一月目くらいに、当時の上司の中田課長からそう尋ねられた。
「本社と比べて落ち着いて仕事ができていいですね」
「そうだろうな。本社と違ってここはルーチンで仕事してるから、事故でもない限り慌てふためくこともないもんな」
「本社じゃ休日出勤までしましたけど、ここはあまり残業もないようですね」
「新婚さんにはもってこいの職場かい? でも、そういう時に遊んでないで勉強するやつが後々出世するんだからな。イソップ物語の『蟻とキリギリス』だな」
「勉強ですか?」
「そうだよ。何かテーマを見つけて、勉強してみろよ。そうして、若い柔軟な脳みそで何か新しいアイディアを生み出してくれよ。応援してやるから」
私はなるほどと思ったものの、何を勉強したらいいかよく分からなかった。それで、とりあえず工場に送られてくる何種類かの業界誌を読んで何がその当時話題になっているかを調べてみることにした。
ある雑誌の記事には、日本の人口はやがてピークから減少に向かい高齢化も進むので、食品の需要はまもなく頭打ちとなって量よりも質の時代になると書いてあった。大量生産で安価に販売する時代は終わり、品質の差別化でマーケットを切り開く時代になるだろうというのだ。また別の号の記事には、飽食の時代を迎え食品の安全性に対する消費者の関心が急速に高まっていると書かれていた。さらに別の雑誌には、食品の安全を確保するためのHACCP(ハセップ)と呼ばれる衛生管理手法が米国で研究されているということが簡単に紹介されていた。
こういった記事を読むうちに私は、この工場でもハセップのような新しい手法を取り入れて、新しい時代にあった品質の良い安全で安心できる食品を製造できればいいだろうなと考えるようになった。そうすれば消費者のニーズに応えられるのではないか、そして会社の発展にも繋がるのではないか。私はハセップについて勉強してみようと思った。それで、課長にそのことを話してみることにした。
「この前のお話ですけど、私も少し蟻になってみようと思います」
「蟻になるって……、えっと、なんの話だっけ?」
課長は自分の話したことをすぐには思い出せないでいるようだった。
「時間のある時にこそ勉強しろっておっしゃってたでしょ、『蟻とキリギリス』の蟻みたいに」
「ああ、そうだったよな。で、何を勉強しようっていうの?」
「ハセップです」
「何だ、それは? イソップじゃなくって、ハセップか?」
課長は真面目にいっているのだが、私には冗談のように聞こえておかしかった。
「HACCPと書いてハセップとか、ハサップと読むんですけど、アメリカで開発された衛生管理手法らしいんです」
今でこそハセップは食品の安全管理手法としてわが国でも一般に知られるようになったが、当時はほとんど知られてはいなかった。私はハセップについて少し詳しく説明した。
「ハセップは、元々アメリカがアポロ計画を進める際に宇宙食などの安全性を確保するために開発したものなんです。食品の製造ラインの中で事故に繋がる可能性のある要因を見つけ出し、その要因毎に、どのような管理をすれば最も効果的に事故が防げるかを科学的に検証するんです。そしてその結果に基づいて許容限界を定め、管理方法を文書化し、それを実行して、その記録を残すというやり方なんです。うちの工場の衛生管理は、今は製造後の製品から抜き取り検査をして安全を確認するというやり方ですけど、そのようなやり方だけでは手間を要する割に見逃しの危険があるんだそうです。それに比べてハセップは効率的に確実に食品の事故を防げるんだそうです」
「そんなにうまく行くものなのか?」
「私にはまだ分かりません。もう少し勉強してみます」
私は大学時代には農学部で農芸化学を専攻し、食品加工について研究した経験があった。そこで先ず出身大学の研究室を訪問し、事情を話してハセップに関する海外の文献を片っ端からコピーさせてもらった。それから二ヶ月間、勤務時間後にそれらの文献を私は社宅で熱心に読んだ。それからさらに二ヶ月かけて、ハセップ開発の歴史、考え方、成功事例についてポイントを整理し、「HACCP ― 新しい食品安全管理の取り組み」というタイトルの報告書を書き上げた。我ながらよく纏まったものが書けたと思った。そして課長にその報告書を見せた。
「この工場も、これからぜひハセップに取り組むべきだと思います」私は自信満々でそういった。中田課長が当然賛成し、応援してくれると思っていた。しかし課長の反応はよくなかった。報告書の最初につけた要約部分だけ斜め読みして首をかしげた。
「うーん、どうかな」
「何か問題ですか?」
「ちょっと考えてみろよ、おかしくないかい」
「何がでしょうか」
「製造工程を管理するよりも、できた製品を一つずつちゃんと分析してチェックするほうが確実だろ」
「それが、そうではないんです。分析はあくまで抜き取りでしかできません。全量を検査したら出荷する製品がなくなってしまいますから」
「そんなことはいわれなくても分かっているよ。でも、ロット毎にサンプルを抜き取って、検査で結果を確認するのが一番確実だろ。いくら製造方法をルール化してそれを守ったとしても、その結果実際にどんな製品ができているかは、やはり検査しないと分からないんじゃないのか」
「どんな条件で製造したら安全な製品ができるかについて予め試験して確認しておくんです。もちろん、一定の頻度でサンプルを抜き取ってモニタリングもします」
「一定の頻度じゃなく、やはりバッチ毎とか、全ロット検査しなけりゃ確実に安全とはいえないだろ。それに、出荷前に検査して、基準に合格していることを保証する証明書を添付しないと、買う方だって信頼してくれやしないよ」
製造工程を管理することでより確実に食品の安全性を担保できる、今ではすっかり定着しているこの考え方を、当時の中田課長は理解できなかった。
「でも海外ではすでにこの方向でどんどん進んでいるんです。日本もきっとそのうち同じようになりますよ」
「海外ではそうかもしれないけど、日本人には向いてないよ。ルールをいくら守っても、事故が起きる時には起きるんだぞ。俺は反対だ」
中田課長にしてみれば、新しいことに手を出して失敗するより、進歩がなくとも今まで通りのやり方を続けるほうが無難で安心だったのかもしれない。しかし、応援するからという課長の言葉を信じて張り切っていた当時の私にとって、その課長による反対はショックだった。
家に帰って気落ちしたような顔をしていると、妻の直美が「どうしたの?」と聞いてきた。そこで私は、これまで勉強してきた成果を纏めて中田課長に説明したが反対されたという話をした。毎日自宅で熱心に報告書を纏めていた姿は直美も見ていたので、私の落胆振りは理解でるようだった。
「課長はあの報告書をちゃんと最後まで読んでくれたの?」
「いいや、最初の要約だけちょっと読んで、『こんなやり方は日本人には向いてない、反対だ』っていったよ。課長が応援するっていってくれたから頑張ったのに、がっかりしちゃったよ」
「そうなんだ、苦労したのにね……。じゃあ、いいじゃない。課長を説得するのは諦めて、もっと上の人に読んでもらったら?」
私は妻の言葉に驚いて、即座に答えた。
「そんなことできる訳ないよ。直属の上司である課長が反対しているのに、それを無視して上の人になんか見せたら、課長の顔を潰すことになるよ」
「そうかぁ、ややこしいんだね。うーん、でもさあ、そのハセップっていうのを導入すべきだなんてことを課長を飛ばして上に直訴したら、確かに課長の顔を潰すかもしれないけど、報告書はあくまで調べたことを纏めたものなんでしょ。それを誰に見せようと構わないんじゃないの?」
「どうかなあ。課長にしてみたら、いい気がしないだろうな」
「そんなもんかなあ……。じゃあ、こんなのはどう? うちの会社に社内報があったでしょ。あそこに寄稿すればいいんじゃないの?」
「社内報でなんか、取り上げてくれるかなあ?」
「私も社内報作りの仕事に少しだけ関わってたの知ってるでしょ。実は原稿を書いてくれる人がなかなかみつからなくていつも困ってたのよ。だから、持ち込めばあっさり載せてくれると思うけど」
「でも、課長が寄稿に反対するかもしれない」
「工場にハセップを導入すべきだっていう記事なら反対されるかもしれないけど、海外ではこんな動きがあるんだっていうことを紹介する記事なら大丈夫じゃないの? せっかく纏めた報告書を社内報に発表してみんなに情報提供したいんだっていえば、課長だってやたらに反対できないでしょ。うまくいけば工場長や社長の目にとまって応援してもらえるかもよ」
直美のアイディアに、私は「なるほど」と思いながらも、忙しい工場長や、まして社長が、平社員に過ぎない私の書いた報告書などを真剣に読むなんてことは考えられないと思った。やはり中田課長に理解してもらって応援してもらえれば一番良いと思った。しかし、それは多分無理だろう。じゃあ妻のいうとおりにしてみるか、そう腹をくくって、私は翌日再び中田課長に話をした。
「ハセップの導入について課長が反対されているということはよく分かりました。でも、せっかくいろんな文献を集めて整理したので、ハセップの良し悪しはともかく、海外でこんな動きがあるということを社内に情報提供させてください」
「どうやって情報提供するんだ?」
「社内報に寄稿したいんです。多分、八ページくらいの記事になると思います」
中田課長は、なんで俺のいうことが分からないんだといいたげな苦々しい表情をして暫く私の顔を見ていたが、さすがにだめだとはいえないようで、
「社内報に社員が投稿するのは自由だよ。課の仕事ということではなしにやってもらえばいいよ」
とだけいった。
私はさっそく、原稿の手直しにかかった。「ハセップを我が国でも積極的に推進すべきだ」といったニュアンスの箇所を削除し、海外、特に米国においてハセップが成功を収めているという事実に絞った内容に書き換えた。そして、その原稿を本社総務部の担当に送った。二ヵ月後、社内報に記事が掲載された。その記事を見て、自分が努力した結果が形のあるものとして多くの人に届いたという事実に少し満足した。「これだけやったんだから、もういいじゃないか」そんな気もした。
ところが、記事が掲載されてから三日目に、突然工場長から「話があるから部屋に来るように」と呼ばれた。
「お前、何したんだ?」
課長にそういわれ私は、
「分かりません。ともかく行ってみます」
と答えた。
当時はまだ平社員だった私は、工場長を自分よりずっと偉い雲の上の人のように感じていた。だから工場長の部屋に向かうときはとても緊張していた。
工場長の部屋に入ると、「まあ、そこに座ってくれ」と、ソファの方を示された。
「社内報、読んだよ」工場長は私の向かいに腰を下ろし、そういって私の顔をじっと見て笑みを浮かべた。
私は驚いて、「有難うございます」とだけいった。本当はすぐにでも「読んでどう思われましたか?」と尋ねたかったが、まだ若かった私はとてもそんなことまで聞けず、ただ工場長の次の言葉を待つことにした。
「どこでハセップに興味を持ったんだい」
「中田課長から、工場にいる間に何か勉強したらいいと勧められて、業界誌なんかを読んで興味を持ちました」そういってしまってから、私は課長の名前を出さないほうが良かったなと少し後悔した。
「君は、日本でハセップを導入することについてどう思う?」
「私としては、導入すべきだと思います」私はあくまでも個人的見解であることを断るいいかたをした。
「導入するメリットは?」
「分析に頼るよりも、効率的に確実に製品の安全管理ができます」
「この工場でも可能なのかな?」
「やってみる価値はあると思います」
「やってみたいかい?」
「えっ……? はい、ぜひ、やってみたいです」私は意外な展開に驚きながら、思わずそう返事をしていた。工場長は私の顔をほんの一瞬見つめていたが、ソファから立ち上がりながらはっきりといった。
「分かった。やってくれ。本社からも指示があったんだ」
工場長は、私をハセップ導入に取り組ませることを中田課長だけでなく職場全体に伝え、皆の協力が得られるように取り計らってくれた。私はわけが分からなかったが、自分のやりたかったことをやらせてもらえるのは嬉しかった。しかも、苦労してまとめて社内報に投稿した記事がそのきっかけとなったということも嬉しかった。そして投稿を勧めてくれた妻に感謝した。
さらに私が驚いたことには、本社からの指示で間もなく工場の組織見直しが行われたのだ。当時、工場での食品の衛生管理は製造部門である業務課の業務の一部に過ぎなかったが、業務課を製造課と名称変更するとともに、これとは独立した衛生管理室という組織を新たに立ち上げて衛生管理業務に当たらせるというのだ。衛生管理室は室長を含め僅か四名の体制でスタートしたが、組織図上では工場長直属の室であり、その室長には、非常勤職員を含め総勢四十三名からなる製造課の課長以上の権限が与えられていた。衛生管理室長がストップを命じれば、製造課長は製造ラインを動かすことができないのだ。このように衛生管理部門を製造部門本体から分離独立させ強い権限を持たせるという試みも、当時としては先進的なものであった。工場長の部屋に私が呼ばれた日から僅か二ヵ月後に早くも組織改変が行われ、衛生管理室の初代室長として本社から渡邉室長が派遣されてきた。この渡邉室長こそ、今の渡邉和人専務、その人であった。私は渡邉室長の下で衛生管理主任という役職名をもらってハセップの実用化に取り組むこととなった。
後になって分かったことだが、実は本社の企画部を中心に、一年ほど前からハセップを推進する構想を温めていたのだった。それが、実務レベルの職員でハセップの理論をしっかりと理解し実行できる人材がなかなか見当たらないことがネックになって進められずにいた。そこに私が報告書を纏め、社内報に載せたものだから、本社ではこれ幸いと構想を前に進めたというのが本当の話だった。そして渡邉室長が着任すると、仕事は一挙にスピードアップした。
当時の渡邉室長は、ゴルフでよく日焼けして真っ黒な顔をしていた。当時から恰幅がよく、職場では誰にでも平気で大きな声で話した。上司にも臆することなく意見をいい、部下には心安く話しかけた。当時から、「渡邉室長は偉くなる」とささやかれていた。
渡邉室長は驚くほど広い範囲の人と付き合いがあった。本社や社内の他工場、研究所はもちろん、国内の大学の研究室、厚生労働省の食品衛生部局、農林水産省の食品産業部局、さらには米国の研究機関やFDA(食品医薬品局)にさえ知り合いがいた。室長はそういった知り合いのつてを頼りに、日本語や英語で書かれた文献をいくつも入手しては、「これを読んでみて、感想を聞かせてくれないか」といって私に渡した。その中には私がぜひ読んでみたいと思っていた米国でのハセップ導入のためのガイドラインや管理文書の実例なども含まれていて、私が工場でのハセップを構想するのにたいへん役立った。
渡邉室長は「これをやれ、こういうやり方でやれ」といった形の細かい指示はほとんど出さない人だった。その代わり私に、「今日は何をしたか。結果はどうだったか。次は何をやりたいのか」といったことを度々質問した。そして私の答に納得できない部分があると、「どうしてそう思うんだ」とか「それとは別のやり方はないかな」といった問いかけをして細かな議論に入っていった。室長とそういったやり取りを続けていると、私は自然と考えが纏まり、自分の進んでいる道が正しいか間違っているかがはっきりと見えてくるのだった。
構想が固まると実行に移った。私は、食品の加熱処理工程で製品を何度で何秒間保持すれば滅菌できるか、といったことの分析から始めた。これがうまくいくと、その後は原材料受入れ、貯蔵、加工、容器詰め、製造ラインの洗浄、製品保管など、製造の全過程にわたって管理方法を検証し、文書化していった。
衛生管理室ができてから一年経った頃に、曲がりなりにもハセップに基づく衛生管理を始められるようになった。後は文書化された製造の手順を実行し、その結果を記録し、問題がないかを検証し、何か問題があった場合には是正措置を行い、それに沿って文書を修正するという手順を繰り返すことで、より安全性の高い仕組みへと改善して行くことができるはずだ。
やがて海外でのハセップの成果が日本にも広く伝えられ、その重要性が一般に理解されるようになっていった。そして厚生労働省が中心になってハセップを支援するための認証制度を作ろうということになったのだが、その頃までにすでに奈良工場では独自のハセップシステムが完成し、機能していた。このため厚生労働省の検討チームがこの工場を取り上げて事例研究とした。その後、国内でハセップを普及定着させるための法整備が行われ、厚生労働省が認証制度と補助事業を組み合わせて導入し、支援した。この過程で奈良工場はハセップの先進優良事例として業界内で広く知られるようになり、会社の株価上昇にも大きく貢献した。
私がハセップの取り組みに関心を持ちいち早く導入にこぎつけたことは、本社の幹部からも評価された。もっとも、本社からの評価は私個人に対してではなく、工場全体、あるいはむしろ工場長や室長に対するものであったのかもしれない。しかし私はそれで満足だった。いずれにせよ私には、奈良工場でハセップを始めたのは自分である、そして自分がハセップの考え方を他の誰よりもよく理解しているという自負があった。
「あの頃は毎日、仕事にやりがいがあって楽しかったよなあ」
久しぶりに向き合ってゆっくり見る専務の顔には、昔見られなかったような頬の辺りの弛みや皮膚の染みがあることに私は気付いた。最近はゴルフの回数も減っているらしく、昔ほどには日に焼けてはいなかった。それでも六十歳をすでに過ぎているとはとても思えない、活力を感じさせる顔をしていた。
「私も本当に楽しかったです。あの頃、専務にはお世話になりました。いろんなことを任せてもらえたから、思い切って好きなことがやれました」
「そういってもらえると嬉しいよ。でも、そうやって一生懸命ハセップのシステムを作り上げた、まさにその工場を、今度は閉鎖する役回りをさせるなんて酷いと思っているだろうなあ」
専務は私にどんな答を期待しているのだろう。私がもし、「そんなことありません。仕事ですから、酷いなんて思いません」と答えたら、それは嘘になる。そのことは専務が一番よく知っているはずだ。かといって、「本当に酷いですよ」と答える訳にもいかない。私が答えに窮していると専務は言葉を続けた。
「いや、酷いと思ってもらっていいんだよ。そう思うのも尤もだからな。でも、この仕事は君じゃないと駄目だったんだ」
「もしかして……、私が奈良工場への辞令をいただいたその時点で、既に奈良工場の廃止は決まっていたんですか」
「実はそうなんだ。会社をリストラして奈良工場を閉鎖するという構想は三年ほど前から既にあったんだよ。そして俺が、役員の中でのリストラの総元締めというわけだ。西門君に奈良工場の工場長として行ってもらったのは工場を廃止するためだ」
「そんなこと、初めて聞きました。どうして最初から教えていただけなかったんですか」私は自分でも気付かないうちに少し興奮して声が大きくなっていたようだ。
「すまなかったな。工場廃止やリストラというのは中途半端な段階で外に漏れると株価にも影響するし、いろいろ難しい問題があってなあ。本当は君にももっと早くに話したかったんだ。工場廃止のことは去年の秋に公表する予定だったんだけど、あのころサンユウ食品との業務提携の話があっただろ。そのことに配慮して公表が先延ばしになった。そのせいで君に話すのも先延ばしになってしまったんだよ」
「そうなんですか……」
「工場閉鎖を何で自分がしなければいけないのかと君は感じるかもしれないけど、お仕舞いにすることは、新しいものを作ることより大仕事なんだよ。前を向いて進むよりも、転ばないように後ろに下がることはよっぽど難しいからね。登山でも、頂上を目指してひたすら登ることより、退却することの方が遥かに難しいっていうんだろ。工場だって、会社だって同じだよ。問題をできるだけ起こさず安全に退却するには、その道を知り尽くした能力のある人の案内が必要なんだ。これだけの大仕事を滞りなくこなせる人材は他にはそういないからな。西門君にしてみれば複雑な気持ちだろうけど、悪く思わないでくれ。君もつらいだろうけど、俺もつらいよ。できれば俺もあのころに戻りたいよ」専務はそういってから、昔を思い出すように少し視線を上に向けた。
「あのころは君も俺も、一生懸命前を向いて歩いてたよな。ハセップの細かなところは君に任せていたけど、本社とやり取りしながら必要な予算を確保したり、製造サイドとの調整をしたり、俺もそれなりに新しいものを作っているっていう気持ちを持てて、楽しかったからなあ。でも、俺なんかより君はずっと楽しそうだったな。誰が何といおうが君は、日本で始めてハセップを作った男なんだからなあ。あの頃俺は、君のことが羨ましかったよ」
渡邉専務の意外な言葉を聞いて、私はどう反応してよいのか分からなかった。
「でも……、専務は私なんか比べられないくらい大きなものを動かしてこられたんですよね?」
「どうかな。経営陣なんていうものは、神輿みたいにみんなに担いでもらいながらあちこちキョロキョロと眺め回して、右へ行け、左へ行けと叫んでるだけだよ。でも、当時の君はそうじゃなかった。やりたいと思うことを自分でやっていた」
「でも、専務は自分の考えでいろいろなことを決定し、会社を動かしておいでじゃないですか」
「どうかな。上のポストに就くと、自分が偉くなったと勘違いしてやたらと物事を決めたがったり、部下に余計なことまで命令してやらせたがったりする奴がいるが、俺はそんなやり方は間違いだと思う。偉くなりたいなんて、俺は一度も思ったことはないよ。でも自分に役割が与えられ、その役割を引き受けることが組織や周りの人たちのためになるんなら、その役割は引き受けなきゃいけないんだって、ずっとそう思ってやってきただけだ。そして、会社にとっての損得勘定は考えても、自分自身の損得勘定は考えないようにしてきたつもりだ。自分の損得勘定ばかりしてるやつにろくな人間はいないからな」
私は専務の言葉に思わず頷いた。
「俺はいつも思うんだけど、部下が支えてくれるから上司がある。上司がいるからそれを中心に部下が動くことができる。そういう意味で上司と部下は対等なんだよ。だから上司は部下を一方的に動かそうとしてはいけない。むしろ上司は部下のやっていることをよく見ながら、部下からよく話を聞いて、何が全体にとって一番いいかを考えて動かなければいけないんだ。だから俺なんか、部下に動かされているようなもんだよ。でも、そう思うとかえって気が楽だろ?」そういいながら専務はかすかに笑みを浮かべた。
「まあ、こんなことは余計な話だったかな。ともかく俺にとっても、奈良工場を閉鎖するのは正直辛いんだ。でも、仕方がないんだよ。かつては、大阪を中心とした近畿地方の食品需要に対応するのには奈良に工場を置くのが一番だったけど、今は需要が頭打ちで工場のラインも一部遊休化しているだろ。設備だって古くなっている。今のままじゃあ会社全体の経営にとって良くないんだよ。それは君だって十分に分かってくれているんだろ?」
「確かにそうでしょうね。でも、じゃあ奈良工場で製造していた分はどこから持ってくるようにするんですか?」
「まあな、それはいろいろ考えているよ」
専務は少し辛そうに苦笑いのような表情を浮かべながら言葉を濁した。今にして思えば、その時の専務の気持ちはよく分かる。それから専務は、私を納得させようとするかのように言葉を繋いだ。
「奈良工場がなくなっても、君が作ったハセップのシステムは生き残るんだよ。あのシステムはうちの会社の他の工場でも採用されているし、日本中でハセップを導入している他の企業だって、大なり小なりうちの会社のやり方を真似たんだからな。だから奈良工場が閉鎖になっても君が作ったものがなくなるわけじゃない」
専務の声を半ば上の空で聞きながら、私は従業員たちの顔を思い浮かべていた。
五十人以上いる従業員の約八割が地元雇用、さらにその七割がパートタイマーだ。地元採用職員のうち、他の工場や職場に転勤させてまで雇い続けようという判断を会社がしてくれるのは何人だろう。主婦のパートタイマーには諦めてもらうしかないが、夫婦揃ってパートとして工場に勤めている人たちもいた。しかもその家庭にはまだ高校生や中学生の子供がいたはずだ。そんなことが次々と頭に浮かんだ。
私は次に、原料の仕入れ先の会社や運送会社、警備会社など得意先の人たちの顔を思い浮かべ、何人くらいだったらうちの工場で働く人たちを受け入れてくれるだろうかなどと考え始めていた。その思いに被さるように専務の声が聞こえた。
「地元採用者のことは気にしすぎるな。それから、西門君自身の次の勤め先のことはもちろんちゃんと考えるからな」
私自身を含む全国転勤組の処遇は本社が行うが、地元採用者の扱いは工場長の仕事だ。工場長は会社の示す方針に沿って冷たく地元採用者の首を切ればいい、専務はそういっているのだろうかと私は思った。私は専務の言葉に「分かりました」と答えるべきだと思ったが、そう答えられずにいた。そして専務との間に、少し気まずい空気を感じた。すると専務はそれを察したかのように話題を変えた。
「ところで西門君、最近は何か勉強してるのか?」
「勉強ですか?」
私は専務の質問の意味が分からなかった。
「そうだよ、勉強だよ。君は前に奈良工場にいたとき、当時の中田課長から『蟻とキリギリス』の蟻になれと発破を掛けられてハセップの勉強を始めたんだったよな」
いったい、いつ、誰から聞いたのだろうか、そんな細かなことまで専務が詳しく憶えていることに私は驚いた。
「今はもう、新しいことを勉強しようなんていう歳じゃありませんよ」
「そうか。それはちょっと残念だなあ。まあでも、絶えず問題意識を持ちながら自分の仕事に関係のある情報に注意を払っていれば、改めて勉強なんてしなくてもいろいろ気が付くことはあるだろ? それで、これから会社が取り組むべきことは何だと君は思う? あるいは工場から見て、本社の営業方針に欠けているものは何だと思う?」
私は専務が私のことを試しているのではないかと思い、慎重に言葉を選んだ。
「そうですね……、これからは高付加価値の製品で勝負する時代ですかね。ただ商品を作るだけならスーパーや量販店に安く買い叩かれるだけですから、特徴のある商品を作って高く売ることが必要ではないでしょうか」
「なるほどな。でも、特徴ある商品を作るだけで本当に高く売れるかな?」
今や食品の需要はかつてのような拡大基調にはなかった。その中で、どの会社もいろんなセールスポイントがある商品を作って激しく競争していた。だから特徴のある製品を作るというのはもはや当たり前のことで、それさえ心がけていれば食品会社が生き残れるというようなものではなく、むしろそうしなければ必ずその会社は潰れるといった有様だった。そのことは工場で生産された製品がどのように売れてゆくかを毎日見ている身には痛いほど分かることだった。
「特徴のある製品といっても、価格に差をつけられるほどの物を作るのは確かに難しいですね。高く売ろうと思えばやっぱり自ら努力しないといけないでしょうね」
「自ら努力するって、具体的にいえばどういうことかな?」
「どんなに特徴のあるものを作っても、人に売ってもらおうと思っている限り駄目ですよね。直営のレストランや通信販売などで自分で売るようにすれば、高く売れるかもしれないと思います」
「なるほどなあ。しかし、自分で売るということはそれほど簡単ではないだろうな」
「確かにレストラン経営はいろんなノウハウが必要だし、通信販売だってうまく宣伝しないと誰も買ってくれないでしょうね」
「そうだな。でもそれだけじゃあない。自分で売るという道を選択すれば、今までうちの商品を扱ってくれていたスーパーマーケットなどとはライバル関係になりかねない。それでいいのかなあ」
「そうなると、今までの販売経路を失うことになりかねませんね。スーパーの商売と競合するものを自分たちで売りながら、うちの商品を扱ってくれってスーパーマーケットにお願いする訳にはかないから。今までの販売経路を投げ出して、レストラン経営や通信販売だけに社運を賭けるような危険なことはできませんね」
「そうだろうな」
「でも、そういったことって、すでに本社の企画部や役員会議でいろいろと検討済みではないのですか?」
「確かに検討してはいるよ、市場調査や細かなコスト計算を含めてね。でも、君がそのことについて考えることに意味があるんだ」
「どういうことですか?」
「会社は役員や株主だけのものではないものな。会社はそこで働く社員みんなのものでもあるんだ。だから社員みんなで会社の将来を考えなくてどうする? 工場長ともなれば、本社に対しても遠慮せずいろんな意見をいえばいいんだよ。それに、いろんなことの全体像や正しい方針というのは、ちょっと距離を置いて眺めてみて初めて見えてくることがあるんだ。早い話が、自分の間違いは自分ではなかなか気が付かないだろ。実際に仕事をしている人は細かな損得勘定ばかりに目が行ってしまいかねないんだ。例えば本社が進めようとしていることで、工場から見ていてちょっとおかしいんじゃないかって思うことはないかい。実は、本社の中から見るよりも外から見るほうがよく分かることがある。だから工場の立場で本社に意見をいうことも大事なんだよ」
本社で専務から工場閉鎖の話を聞かされた翌日、工場に戻った私は総務課長にいって人事ファイルを一通り持ってこさせた。
「どうしたんですか?」
怪訝な顔をしてそういいながら、総務課長は私の部屋のテーブルに何冊かのファイルを置いた。総務課長が部屋を出たあと、私はファイルをめくりながら、これからどうすればいいんだろうかと考えた。考えたというより、単に悩んでいただけだったかもしれない。取引先に事情を説明して頭を下げ、地元採用職員の再雇用のお願いをしなければと思った。しかし、専務から他言無用といわれていたのでまだ動くわけにいかず、なにもできなかった。
遠からず、工場閉鎖は津波のようにみんなの生活に押し寄せてくるのだ。多くの人が波にのまれ溺れるのかもしれない。今はただ、その波が遥か沖のほうにあるのでみんなの目には見えないだけで、刻一刻と岸に近づいているのは事実なのだ。そしてこの工場の中で、自分だけがそのことを知っている。それなのに「早く避難しろ」とは誰にもいってやれないのだ。
三月に入って、パートで働いている浅田さんが昼休みに私の部屋を訪れた。
「工場長、ちょっとお願いがあるんですけど、話を聞いていただけますか?」
「いいですよ、どうぞ」
接客用のソファに座るよう浅田さんに勧めて、向かいに私は腰を下ろした。
「あの……、工場で近々、パートを募集するようなことはないですか?」
「今のところ予定はないですね」
「じゃあ、これから先、もし募集するとなったときに教えていただけませんか?」
「いいですけど、どなたかここで働きたいって人がおいでなんですか?」
「実はうちの息子なんですけど……。今月末に大学を卒業予定だったんですけど就職が決まらず、かといって無職というのも聞こえが悪いからもう一年だけ大学に行かせようかとも思っているんですが……」
浅田さんのその説明から、息子さんがいわゆる就職浪人なのだということが分かった。
「そうなんですか。それで?」
「これまでも本人は就職先をいろいろ当たってるけど、どこも難しそうなので、もしこちらでパートでもいいですから働かせてもらえないだろうかなって思いまして」
「で、息子さんご本人はどういってられるんですか。ここで働きたいっていうことなんですか?」
「実は、息子にはまだ話していないんです」
「パートでもいいですからってことだったけど、正社員の募集に応募させることは考えておられないんですか? 転勤もありの職場ですけど」
「そんなにできの良い息子じゃないですよ。工場長さんみたいにあちこち全国を異動して偉くなる人間じゃないんです。でも、パートで勤めて、いずれこの工場で地元採用の正社員の募集があったら、そこに入れてもらえたらいいんだけどなあなんて虫のいいことを思いまして……」
浅田さんはなんでも本当のことを喋ってしまう人なんだと私は思った。この人は秘密なんか抱えられないのだろう。私も浅田さんのように、この工場が置かれている状況を洗いざらい正直に説明してしまいたかった。でもそれはできないことだった。
「パートの募集はあるかもしれませんが、地元採用の正社員を採ることはたぶんこの先ないでしょうね。だから、パートで勤めていただいたらいつまで経ってもパートですよ。それでもいいですか?」
本当はその後に続けて「パートにしたって、いつまでも勤めていただけるかどうか分かりませんけどね」といいたかったが、その言葉はさすがに続けられなかった。浅田さん自身、この工場で十年以上働いているベテランのパート職員なのだ。そのような私の気持ちを知りもせずに、浅田さんはいかにも気落ちした声を出した。
「そうですか……」
それで私は思わず言葉を続けてしまった。
「まあ、パートを募集する機会があったら、必ずお声はお掛けしますよ」
パート職員は年に二、三人は辞めるので、募集の可能性はゼロではなかった。しかし、これから採用するとしても、文字通り期限つきの採用だ。間もなく工場の廃止が公表される。その時、浅田さんは私のことをどう思うだろうか。工場が廃止されることを私が隠していたことを浅田さんは裏切りと思うのだろうか。
しかし、本当に裏切られていたのは私かもしれない、そう思ったのはそれから半月もたたない三月半ばの頃だった。間もなくサクラ前線が奈良に到達しようかというその頃、古川靖男から電話があった。古川は私と同期の入社で、愛知工場の次長をしていた。古川は、近頃の原料価格高騰のこととか、四月に予定されている人事の予想を話してしきりにぼやいたが、それが電話の本当の用件でないことは私にはすぐに分かった。それで私は単刀直入にいってみた。
「で、用件は何なの?」
「実は……、ここだけの話だけど、うちの工場は廃止になるそうなんだよ」
「そうなのか?」
愛知工場は奈良工場よりも二十年以上も前に建てられた工場だったが、名古屋港の近くにあって原料調達には奈良工場よりも便利がよかった。だから私はてっきり、奈良工場の廃止に伴い愛知工場をリフレッシュして、近畿エリアも愛知工場でカバーするのではないかと踏んでいた。しかし、どうもそうではなかったらしい。
「そうなんだよ。昨日、うちの工場長から聞いてびっくりしているんだ。そっちは何か聞いてるかい?」
私は専務から他言無用といわれていることを思い出しながらも、それでもいわずにはおれなかった。
「ここだけの話にしてくれよ。実はうちも廃止だそうだ」
「やっぱりそうか。じゃあ、噂の通りだな」
「噂って、どんな話なんだい。工場を二つも潰してどうするつもりなんだろう。どこかに近畿、東海、北陸エリアをカバーする新工場でも建てるのか?」
「まあ、そういうことだな」
「新工場を建てるとすれば豊橋港辺りかな? 名古屋港よりは立地条件がいいだろ」
豊橋港は、名古屋港に比べれば原料調達だけでなく製品の販路の面でもよさそうに私には思えた。
「いや、そんなことじゃない。驚くな……」そこで古川はそれまで以上に声を潜め、「国外だよ。タイのバンコクか、もしかしたら中国に生産拠点を移すらしい」といった。
「まさか……。賭けだな」
バンコクはここ数ヶ月、特に政情不安定で、軍によるクーデターが近々あるかもしれないといううわさが囁かれていた。中国では食材への農薬混入事件があったり反日デモがあったりと、こちらも日本の食品企業が進出する上で不安な出来事が続いている。
「そうだろ。何年か前から渡邉専務が中心になって検討して来た構想らしいぞ。いったい専務は何を考えているんだか。これまで頑張ってやってきた国内の工場を切り捨てるなんて、血も涙もないよな。それに、それだけじゃない、気をつけろよ……」それに続く古川の言葉に、私は耳を疑った。「お前の名前がバンコク工場長の候補として挙がっているらしいぞ」
「お客様、カップをお下げしてよろしいですか?」ウエイトレスからそういわれて私は我に帰る。喫茶店の椅子に座ったまま、私はずいぶんと長い間、考え事をしていたらしい。テーブルの上のカップの中にわずかに残ったコーヒーは、とっくに冷めてしまっている。
「ああ、下げてください。それで、代わりに新しいコーヒーをもう一杯もらえるかな」
「承知しました」
私は直美に電話をしなければいけないと思う。そして自分が今どういう立場に置かれているのか、本当のことをいわなければと思う。それで私は携帯電話をポケットから取り出して開く。
Ⅳ
なんだか家事をする気がしない。昼食は自分だけで食べることになるので、朝の残り物で簡単に済ませようと思う。
私はさっきポストに届いた郵便物に雨が染みてしまったら嫌だなと思う。我が家のポストは門の脇にある。だから郵便物を取り出すには玄関から外に出る必要があった。私は透明なビニルの傘を差して、今日初めて家の外に出る。立ち止まり見上げると、空一面が切れ目のない灰色の雲の天井で覆われ、そこから雨は飽きることなく降り続いている。この雲の天井はどこまで続いているのだろうか。暫く考えた後で郵便物のことを思い出して、私はあわててポストの中を覗く。ポストの中には白い封筒が一つ入っていた。
ポストに届いた手紙の差出人は安野光子だった。「アンナ」という懐かしいあだ名が頭に浮かんだ。苗字の安野から採った呼び名だ。
あの頃もう一人、「リリー」という友達がいた。彼女は中嶋由梨絵という名前で、ユリを英語にしてリリーだった。
それに私は「キャシー」。アンナ、リリー、キャシーの三人は高校時代の同級生で、互いをあだ名で呼び合うとても仲のいい友達だった。よく学校の帰りに三人で寄り道して、甘いものを食べたりした。
私がキャシーと呼ばれるようになるまでには、ちょっとしたいきさつがあった。私の旧姓は加藤だった。アンナとリリーは最初、私のことを苗字の加藤から採ったカトリーヌというあだ名で呼んでいた。でもアンナとかリリーとかいう呼び方がごく気軽に響くのに、私のカトリーヌというあだ名だけはなんだか時代がかって大げさで、少し奇妙な気がした。
「私もアンナやリリーみたいに、もうちょっと軽い名前がいいんだけどな」私がそういうと、
「確かにそうね。考えとくよ」と、リリーがいってくれた。そして次の日にリリーと会ったとき、彼女は、
「ケイトとか、キャシーってどう?」といった。
「キャシーは素敵だね。『加藤』から『キャシー』って、ちょっと思いつかないよね」
私がそういうと彼女は、どのようにしてキャシーという名前にたどり着いたかをちょっと自慢げに説明してくれた。
「私、図書館に行って調べてみたの。カトリーヌっていうのは、実はフランス語の名前なんだって。それで、そのカトリーヌを英語に直せば、キャサリンになるらしいの。でも、これは正式な名前で、日常的にはキャサリンっていう名前の人はキャシーとかケイトっていう愛称で呼ばれるらしいんだ」
「へえ、そうなんだ」
「すごい発見でしょ。この名前を思いつくまでに、私、辞書や百科事典で一時間も調べちゃった」とリリーはいった。
「ありがとう。じゃあ私、キャシーにするよ。これからはずっと、キャシーと呼んでね」
その日から私のあだ名はキャシーに決まった。
しかし私は、高校を出ると同時にその二人の友達とは離れ離れになってしまった。高校卒業後、アンナとリリーは故郷の静岡にとどまったものの、私は東京の短大に進んだのだ。それでも暫くの間は、私が静岡の実家に帰るたびに二人と会って他愛のないおしゃべりをしたり、三人でどこかに遊びに行ったりした。しかし、最初にリリーが結婚し、次に私が結婚すると、三人が出会う機会はほとんどなくなってしまった。リリーは二十歳で結婚した。幼馴染の高橋和明さんと高校三年生の時に本格的に付き合うようになり、結婚後は静岡の地元で夫婦で雑貨店を経営しているはずだった。アンナだけは今も独身で、静岡で小学校の先生をしていると聞いていた。
懐かしいな、そう思いながら手紙の封を切った。頭に浮かぶアンナの顔は高校時代のそれだった。でも、封筒から取り出した淡いアジサイ色の便箋に黒いインクで書かれた文字は、大人のものだった。
西門直美様
直美さん、お変わりありませんか。年賀状以外では、互いに手紙どころかはがきさえ送らなくなってしまいましたね。
子供さんたち、大きくなりましたでしょうね。確か一番下の娘さんがもう高校生ですね。最後にお会いしたのは、ご長男がまだ生まれて間もない頃だったからずいぶん前のことです。男の子二人と女の子一人、三人もの子育てはたいへんだったんでしょうけど、たくさんの御家族に囲まれて幸せに暮らしている直美が私はちょっとうらやましいです。
ところで、由梨絵が離婚して、その後入院していることをご存知でしたか? 私は今も彼女と同じ静岡に住んでいますが、あなたはここを離れて久しいのでいろんなことを多分ご存じないと思い、少し迷ったのですがやはりお知らせすべきではないかと考えてこの手紙を送ります。
彼女が離婚したのは今年の二月です。幼馴染であんなに仲のよかった和明さんでしたが、最近はどうもうまくいっていないようでした。去年の十一月に由梨絵と会ったときに彼女は、「最近、夫婦の話題がすっかり無くなってっしまてね。私たち、子供がいないでしょ。それにサラリーマンみたいに昼間離れているわけでもないし出張さえないから、毎日いつも同じ場所で顔をあわせて同じことを見たり聞いたりして生活しているの。だから、何か話をしたって、もうみんな互いに知っていることばかりなのよ。そしたら、夫に何を話してもまるで独り言をいっているみたいな気分なの。毎日、晩御飯を食べ終わったらソファに並んで座って、退屈なテレビ番組を二人で見るくらいしかすることがなくてね。夫も私と同じ気持ちだっていうことが分かったから、二人で話し合って離婚することにしたのよ。けんかも恨みっこもなしよ」って、寂しそうに笑いながら話してくれました。
私はそれから由梨絵と何回か会って、思いとどまらせようと説得したんだけど無理でした。「もう決めたことだから」というのが彼女のいつもの答でした。そして二月二十日に三十年目の結婚記念日のお祝いをして、その翌日には二人は離婚届を出してしまいました。それから由梨絵はわざわざ隣町にアパートを借りて、そこに引っ越して一人で住むようになったんです。そんなことまで何故しなければならないのか、私は少しも理解できませんでした。
二人が離婚してからも私は由梨絵のことが気になったけど、何だか会い辛くなってしまってそのままにしていました。でもようやく一週間ほど前、彼女に「その後どうしてる? たまには一緒にお昼でも食べない?」ってメールしてみました。そしたら、「ごめん、私、いま入院してるのよ」って返事が来て、びっくりして次の日お見舞いに行ってきました。
彼女は「四月ごろから時々酷い頭痛がして、それでも我慢してたの。それが、頭痛がますます酷くなって、吐き気もして、一月ほど前からは足まで痺れるようになってきたものだから近くの病院で診てもらったんだけど、どうも頭の中に何かできてるらしいっていわれたの。悪性のものかも知れないって。それで、その病院では手に負えないからって、今の病院を紹介してもらったの。CTを撮ったり、首の後ろから針を刺したりしていろんな検査をして、あと二、三日もすれば私の運命の宣告が下るのよ」って、なんだか他人事みたいな口調で話しました。ベッドの横には車椅子が置いてあって、それがなければもうトイレにも一人で行けないということでした。
私はもう本当に驚いて、「どうして早く教えてくれなかったの? それで和明さんには連絡したの? 彼にもお見舞いに来てもらわなくていいの?」っていったんだけど、由梨絵は「和明さんには絶対にいわないで。もう夫婦じゃないんだし、余計な心配をかけなくていいんだから」の一点張りなんです。あんなに仲の良かった二人だったのにねえ。彼女が一人っきりで病気と向き合っていることが、私は可哀想でなりません。
隣町に引っ越した由梨絵が入院していても、そのことが和明さんの耳に入るかどうかわかりません。由梨絵が入院していることを和明さんに伝えられるのは私くらいしかいないのかもしれません。直美はどうしたらいいと思いますか。私は和明さんのお店の前をしょっちゅう通るし和明さんとも知らない間柄でもないのに、由梨絵のことを黙っているのが辛くて、ついついこんな手紙をあなたにまで出してしまいました。
直美ともまた会えたらいいなと思います。千葉は遠いですけど。もし手紙でも、あるいは電話でも頂けたらとても嬉しいです。
安野光子
頭の中に悪性のものができるという手紙の文面から、私は「脳腫瘍」という言葉を思い浮かべ、思わず目を閉じて首を横に振った。安野光子に電話しなければと私は思った。でも何ていえばいいんだろう。由梨絵が入院していることを和明さんに教えてあげるべきだと私も思う。でも、私が光子にそんなことをいっても、そのことが何になるんだろうか。私は由梨絵を救うことができない。私にできることは何なんだろう。
私が光子に電話を掛けようかどうしようかと迷っていると、突然、私の手の中でその携帯電話が鳴り出した。液晶の表示を見ると、知らない番号からの電話だった。
「はい、西門です」
「突然電話してすみません、駅前で酒屋をやっている高木といいます」
私は駅の西口を出たすぐのところにあるタカギ酒店の大きな看板とガラス張りの建物を思い浮かべた。駅前の一等地で結構商売繁盛しているらしい。何の用件だろう。最近は携帯電話にまでセールスの電話が掛かってくることがあるが、酒店がわざわざ主婦の携帯にセールスの電話をするだろうか。怪訝に思いながら私はあいまいな声を出した。
「はい……」
「あのう、ちょっと気になることがあるんで電話させていただいたんですが、お時間よろしいですか?」
「構いませんが、なんですか?」
「じつは二日前、お宅のお嬢さんがうちに来てお酒を買われたようなんです。それで、気になったんでちょっとお知らせしておいた方がよろしいかと思いまして……」
さっきラジオで聞いたニュースが頭をよぎった。M中央高校の野球部員が部室で飲酒をしていたことが分かり、同校野球部は夏の高校野球県予選大会への出場を辞退することを決定した……。突然の電話に対する驚き、不安、怒りが混ざり合って、どうしようもなくいらだっていることが自分でも分かった。いきなり、自分でも驚くくらい刺々しい声が私の口から出た。
「いったいどういうことなんですか? そちら様では、未成年にもお酒を売ってられるんですか?」
「いえ、そういうことでは決してなくて……」
「おっしゃっていることの意味が全く分からないですが」
「ご心配なのは分かります。でも、まあちょっと落ち着いて、ゆっくり聞いていただけませんか。最初から順を追って話をさせていただきますんで」
店主のなだめるような話し方のおかげで、私はようやく少し冷静になることができた。
「わかりました。お願いします」
「二日前の夜の十時頃、高校生くらいの女の子と、三十歳前後の男の人がうちの店にやってきて、二人でワインの売り場で品物を見ていたんです」
夜の十時といえば、佳代子が塾から帰ってきた時間よりほんの少し前だ。
「そのうち男の人の方がレジに赤ワインを一本持ってきて、『包んでリボンを掛けてください』っていったんです。まあ、女の子の方がレジにワインを持ってきたら私も売りはしませんけどね。持ってきたのはもう二十歳を十分超えた大人だから、何もいわずそのまま代金を受け取って、品物を包装してお渡ししました。すると、その後で二人が店から出たとたん、男の人が女の子にワインの包みを渡して、女の子はそれを自分の鞄に入れながら男の人にピョコンって感じで頭を下げたんです。女の子は駅と反対の方向にさっさと歩いていきました。男の人はちょっと片手を上げて見送るみたいな感じでそこに暫く立っていましたが、やがて駅の方向に歩いて行ったんです」
「それで?」
「その様子を私と、もう一人うちのパートの従業員で見ていたんですけど、二人で、『ちょっと、あれ、まずくない? 未成年者が自分では酒を買えないから、代わりに大人に買ってもらったみたいだよね』って話したんです。でも、どういう事情で二人がお酒を買いに来たかも分からないし、わざわざ呼び止めてまで確認しなかったんですよ。それが、今朝のニュースでしょ、ちょっと気持ちに引っかかりましてね」
「その女の子がうちの娘だというんですか? でも、どうしてうちの娘だと分かるんです?」
「実はうちのパートの従業員が今日になって、『一昨日のあの子、西門さんのところの末の娘さんだ』っていうんです。うちのパートはお宅の近所に住んでいる奥さんで、お宅の娘さんとは同級生の息子さんがいらっしゃるんです。だから西門さんのお宅のことはよくご存知らしいんですよ。この電話も、うちのパートから学校のPTA役員名簿を借りて、そこに載っていた電話番号にお掛けしたんですよ。私は『西門さんの娘さんということで本当に間違いないのか』って何度も念を押したんですけど、『間違いないです。あそこの娘さんはいつも道で会ったら挨拶してくれるからよく顔を知ってます。あの家の娘さんに限っておかしなことはないと思うけど、やっぱり念のためお家の人に事情を話して、どういうことか確かめてもらったほうがいいんじゃないでしょうか』っていうもんだから、気になってこうして電話をしているんです」
「その女の子はどんな服装でした」
「白いブラウスに、紺色のスカートだったかなあ。鞄は背中に背負えるようなやつでした。髪型も服装もごく地味で、真面目そうな印象でしたよ」
確かに佳代子はあの日、ブラウスにスカートといった格好で、背中にディバッグを背負って塾に出掛けたはずだ。
娘が酒を買っていたなんて、まさか。でももし本当だったら何のために? その酒はいまもこの家のどこかに置いてあるんだろうか。それとももう誰かが飲んでしまったのか。じゃあ誰が? それに、酒店にいっしょに行った男性は誰なんだろう。二人でワインの棚で品物を選んでいた? 見送るようにして手を振っていた? もしかしたら博か敏也が出張でこちらに来て、佳代子とこっそり会っていたっていうことはないだろうか。
「いっしょにいた男の人は誰だか分かりませんか? どんな感じの人でしたか?」
「うちの店に時々ビールなんかを買いに来てくれるお客さんです。パートにも聞いてみましたけど、どこの人か知らないっていってました。ワイシャツにネクタイをしてたから、どこかこの店の近くで勤めている人じゃないかと思いますけど」
いろんな疑問が頭の中でぐるぐると渦を巻いて、私は暫くの間、無言でいたらしい。それで、タカギ酒店の御主人は言葉を慎重に選びながら再び話し始めた。
「電話したのはあくまで、念のためですよ。やたらに心配なさらないで下さい。落ち着いて、娘さんに『タカギ酒店でお酒を買っているのを見たっていう人がいるけど、どういうことだったのか?』って話を聞いてみられたらどうでしょうか。いきなり叱ったりしないで、よく事情を聞いてあげてください。それから、人違いってことも万に一つはあるかもしれませんから注意してください。ややこしい電話をお掛けしてしまい申し訳ないです」
酒店の主人は最後に詫びの言葉をいって電話を切った。
光子に電話を掛けなければという気持ちは消えていた。それよりも先ずは娘のことだ。夫に相談してみようか。再び携帯電話を取り出して開き、私は夫の携帯電話に繋がる短縮ボタンを押した。呼び出し音が鳴るとすぐ、夫は電話に出た。
「どうした? ちょっと話したいことがあって、ちょうどこっちから電話を掛けようとしていたところだったんだよ」
「ちょっと相談があるんだけど」
「何?」
「駅前にタカギ酒店ってあるの知ってるでしょ。あそこの御主人からさっき電話があってね。佳代子があの店でお酒を買ってたっていうの」
私は先ほどタカギ酒店の御主人から聞いた話をそのまま残らず夫に話した。それから、今朝の佳代子の態度やラジオで流れた野球部での不祥事のニュースのことも全部話した。夫はさほど心配でもなさそうに、それでも真面目に相槌を打ちながら、余計な口は挟まず一通り私の話を聞いてくれた。そのことで私はだいぶん落ち着きを取り戻すことができた。
「どうしたらいいかな」
「そうだなあ……。佳代子は今、どこにいる?」
「学校に行ってるはずだけど」
佳代子が学校に行っている「はず」だといいながら、私は、もしかしたら佳代子が学校には行かず、酒店で一緒にワインを選んでいたという男とどこか別の場所に居るのかもしれないなどと想像した。
「何時頃帰ってくる?」
今朝、玄関を出ながら娘がいった、「さあ、どうかな」という言葉がまたしても私の頭の中で繰り返し響いた。
「晩御飯を食べに一度帰ってくるはずよ。でもその後、七時前に家を出て塾に行くことになってる。塾から帰ってくるのは十時過ぎだと思う」
「明日は?」
「何も予定はないけど、多分図書館に行って勉強するっていうと思う」
「毎週そうなのか?」
「いいえ、たいていは日曜日も部活があるのよ。でも、来週の水曜日から期末テストだから、明日から部活は休みなの」
「分かった。そっちに行くよ」
「えっ、いつ?」
「今から」
「本当?」
「佳代子が塾に行くために家を出た後、七時過ぎにそっちに着くようにするからね。佳代子に話をする前に、二人で先ず相談だ。それで、佳代子が塾から帰ってきたら三人で話をしよう。それまでは佳代子に何もいわないほうがいいからね」
「分かった、有難う。実はね……、私、何だか最近、これまで何のために苦労して子供を育ててきたんだろうって思うことがあるの」
「そうなんだ?」
「子供なんて一生懸命育てても、結局いつかは離れていってしまうんでしょ? それじゃあ、何のために子供を育てるんだろうって」
電話口の向こうで夫は少しの間黙っていた。それから夫は、私の疑問に対する判決を下すように、ゆっくりと答えた。
「きっと、子供を育てることに目的なんてないんだよ。子育ては何かの結果を求めてするような行為じゃなくて、もっと尊いものなんだと思うよ。あえていえば、子供を育てるという、そのこと自体が目的なんじゃないかな」
「そうかもしれないね。私たち、何かの見返りを期待して子供を育ててきたんじゃないはずだよね」
「雨は降っているの?」
「ええ、朝からずっと」
「太陽の光を浴びないと人間は気持ちが後ろ向きになるんだよ。いろんなことを悪く考えすぎないように気をつけないとね」
「うん。そっちも雨なの?」
「雨だよ。このところ何日も」
「そうなんだ……。ところで、さっきあなたがいってた、私に話したいことって何だったの?」
「今はいいよ。また今度、落ち着いてからゆっくり話すよ。先ずは佳代子のことが大事だろ」
「そうだよね。分かった」
そういって、私は電話を切った。
夫がM市の自宅に帰ってきたのは、佳代子が塾に出掛けてから二十分後の、七時十分だった。自宅に顔を出す前に夫は、私に電話で「佳代子はもう塾に行ったかい?」と訊いて来た。どうやら娘と鉢合わせしないように、近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら時間調整していたらしい。
「例のワインはまだこの家のどこかに置いてあるのかなあ?」
夫にそう尋ねられて、私は「分からない」と答えた。
「ちょっと佳代子に申し訳ないけど、部屋を覗いてみるか」
夫にそういわれて、私たちは佳代子の部屋の中を調べてみることにした。
高校生ともなると自分の部屋に鍵を掛けたり、留守中に親が部屋の中を覗くと腹を立てる子供もいるらしいが、佳代子はこれまで一度もそんなことはなかった。むしろ佳代子が学校に行っている間に私が部屋の窓を開けて風を通したり布団を干しておいたりすると、「有難う」と言ってくれることもあった。だから留守中に少し部屋を覗いても、それくらいで佳代子との信頼関係が壊れることはないだろうと二人で話し合った。
ワインは案外あっさりと見つかった。緑色の包装紙で包まれしゃれたピンクのリボンが掛けられたままの瓶が、クローゼットの床に、別に隠すでもなく普通に立てて置いてあった。私たちは佳代子がワインを飲んではいなかったことに先ず安堵した。そのまま、クローゼットのドアを元通り閉じ、階段を下りて、私たちは居間で向き合いに座った。
「リボンを掛けてあるところを見ると、プレゼントだな」
「例の男性から佳代子へのプレゼントなのか、それとも佳代子が誰かに渡すためのプレゼントなのかどっちなのかなあ」
「男から女性にワインを贈るなんて考えにくいし、ましてや贈りたい相手の女性と一緒にそれを選んだりするかなあ。ワインをプレゼントするとすれば瓶で贈るんじゃなくて、その女性をレストランに誘って料理と一緒にご馳走するんじゃないかな」
「確かにそうね」
「それに、ああやって、封も開けずにあそこに置いてあるんだから、野球部の事件とも関係ないなあ。隠そうともしていないから、やましいものでもないんだよ、きっと」
「ってことは、余計な心配はしなくていいってことかしら?」
「どうもそんな気がするなあ。でも、あと気になるのはあれが佳代子から誰へのプレゼントなのかってことと、あれを選んでいたという男性が誰なのかってことだな。ワインを贈るんだから相手は大人なんだろ? ワインを選んでくれた彼と、ワインを贈られる誰かとの関係も微妙だよなあ」
夫は、ワインを選んでいた男性かワインを贈られる誰かのどちらかが、佳代子にとって特別の人、つまり恋人ではないかと思っているようだった。
「そうね、それを知るにはどうしたらいいんだろ?」
「そうだな……。変に探らないほうがいいよ。暫く黙って様子を見ているのが一番いいよ。でも、どうしても気になるなら、佳代子に直接訊いてみればいいだろ?」
「でも、訊くっていったって、あのワインのことを私たちが何故知っているのかっていうことを佳代子に説明しなきゃいけなくなるよねえ。クローゼットの中を勝手に覗いたっていうのはちょっとまずくないかなあ」
「タカギ酒店の御主人から電話があったって、正直にいえばいいんじゃないか」
「でもそんなことしたら、酒店の御主人の告げ口のせいであの子を疑って部屋を探したってことにならない?」
「じゃあやっぱり、佳代子を信じて暫く見守ってみるってことじゃないかい?」
「そうね。それでいいかもね。それで、もし他に何か気になることが出てきたら、それから訊いたって遅くはならないと思う」
もし私一人でこの問題に向き合っていたら、私は到底こんな大人の対応はできなかっただろう。多分、夕食のために佳代子が帰ってきたときに、「タカギ酒店から電話があったけど、いったいどういうことなの? 一緒にワインを選んでたっていう男の人は誰なの?」と、切羽詰った顔をしていきなり佳代子を問い詰めてしまっていたかもしれない。もしそうしていたら、佳代子と私の関係はどうなっていただろう。電話一本で夫がすぐ帰ってきてくれたことは、後で思い起こせば本当に良かった。
夕方、佳代子が一度帰ってきたときには、私は空腹を感じなかったので佳代子と一緒に食事をしなかった。しかし、ワインの問題が一応片付いたという気がした途端、前々から実は空腹だったということに私は気が付いた。今日は昼に軽く食事をしただけだと夫もいう。それで、二人で晩御飯を食べた。冷蔵庫にあった野菜を炒めたり、味噌汁を作ったりという簡単なものだったが、夫は「美味しい」といいながら食べた。そうしているうちに、玄関のドアの開く音と同時に佳代子の「ただいま」という声がした。
佳代子が部屋に入ってくると、夫は食卓の前に座ったまま顔だけ佳代子のほうに向けて、「よお、お帰り」と声をかけた。
「あれ、お父さん帰ってたんだ。土曜の夜に帰ってくるなんて珍しいよね。いつも金曜日の夜か、土曜の午前中なのに」
「ちょっとした用事ができてね、急に帰ってきたんだよ」
それは確かに嘘ではなかった。
「昼間は部活で夜は塾か。毎日たいへんなんだな」
「そんなでもないよ。部活は楽しいし」
「来月にコンクールがあるんだってな。お母さんから聞いたよ」
「そう。うちの学校のオーケストラは人数が少なくて、もちろんフルートは私一人しかいないから練習は絶対抜けられないし、コンクールの当日だってもし私が急に行けなくなったら全員が困っちゃうの。まあ、それはクラリネットだってオーボエだって同じだけどね。特に今度の演奏会で取り上げる曲は、フルートのソロのパートがあってたいへんなの」
「コンクールに行って聴いてみたいな」
「そう? でも水曜日だから無理でしょ?」
「そうだなあ」
夫は何気ない会話を交わしながら、佳代子の目を見ている。佳代子はしっかり夫に視線を向けて言葉を返している。その様子を見て、佳代子のことは心配しなくていいんだと私は思った。
「ところで、こっちは昨日から梅雨入りみたいだね。雨の日は通学に困るだろ」
「ほんと、雨は嫌だよね。バスが混むし遅れるし、バスの中で他の人の傘が足に当たってびしょびしょになったり酷いのよ。それに私なんかまだいいんだけど、オーケストラで弦楽器を担当してる子なんか、楽器の持ち運びも大変みたいだよ。お父さんのところはどうなの? 雨は毎日降ってるの?」
「ああ、何日も前からずっと降ってるよ」
「じゃあ、もしかしたらお父さんがこっちにも雨を連れてきたってことなのかな……。でも、今日来てくれて良かった。実は渡したいものがあったんだ。ちょっと待っててね」
そういうと佳代子は部屋を出て、階段を小走りで駆け上って自分の部屋に行った。そして、例の包みを持って下りてきたではないか。
「一週間遅れだけど、これ、父の日のプレゼント」
私と夫は顔を見合わせた。夫は驚きと嬉しさが混ざり合った表情をしていた。
「有難う。何だろう。さっそく開けてみるよ」
夫は丁寧にリボンを外し、包装紙を開いた。中から現れた赤ワインの瓶を見て、夫は満足げだった。
「高かったんじゃないのか? どこのワインなの?」
「オーストラリアのワインなんだ。特別高くはないんだけど、美味しいって」
「詳しいね。でも、どうやって買ったの? 若い子がお酒を買おうとすると、店の人に年齢確認できるものを見せてとかいわれるんじゃないの?」
「へへっ、すごいでしょ。実はね、塾の先生にお願いして買ってもらったの。先生っていっても、ほら、博兄ちゃんの友達でよく家に遊びに来てた川口さんっているでしょ。あの人にワインを選んで買ってもらったの。あの人が今、私の塾の先生なんだよ。オーストラリアのワインは先生のお気に入りなの」
屈託なく話す娘の顔を見て、私は少し拍子抜けするくらい安心した。そんな私の顔を横目で見ながら、夫はさも愉快そうに、にこにこと笑っていた。
川口君というのは博の中学、高校を通じての友達だ。おとなしい子だった。確か、C大学の大学院に進んだんだと博がいっていたはずだ。だから、塾の講師はアルバイトだろう。酒店の主人の「佳代子を見送るようにして手を振っていた」という言葉を思い出しながら、もしかしたら川口君は、我が家によく遊びに来ていた頃からずっと、佳代子に片思いをしていたのかもしれないなあ、ふとそんな気がした。
そのとき突然、玄関のドアが勢いよく再び開く音がした。そして、「ただいま」という元気のいい声がした。次男の敏也の声だった。敏也はこんなふうに、電話もよこさずに、何の連絡もなしにいきなり帰ってくる。
敏也はすぐにどかどかとダイニングに入ってきて、「あれ、お父さんも帰ってたんだ」といった。そして、テーブルの上の佳代子からのプレゼントを見て、「あ、ワイン。開けようよ」といった。
「これはお父さんへのプレゼントなんだからね。お兄ちゃんのじゃないよ」と、すかさず佳代子がいった。
「お父さん、誕生日だっけ?」
「何いってるのよ、誕生日は十月でしょ。先週は父の日だったから、そのプレゼントなの。赤ワインはポリフェノールを含んでいて体にいいっていうからこれにしたんだからね」
夫は嬉しそうに佳代子の説明を聞いていたが、
「敏也はいつまで家にいるんだ?」
と尋ねた。
「明日は一日家にいて、月曜日の朝にここから出勤するよ」
「お父さんは明日の夕方までには帰らなきゃいけないからなあ……。じゃあ、ワインは冷蔵庫に入れておいて、明日のお昼に一緒に飲むか?」
「お父さんへのプレゼントなのにぃ……」
と、佳代子は少し不満そうだった。
「みんなで少しずつ飲むのが体にも気持ちにも一番いいんだよ。佳代子も飲むか?」
夫はそういった。
「お父さんたら、未成年にお酒を勧めちゃいけないでしょ。私がワインを飲んだのがバレて補導されたら、フルートがいなくなっちゃってみんなが困るのよ。実はうちの学校で、野球部が高校野球に出場できなくなったの。部室でお酒を飲んでたのがバレちゃったんだって。わざわざ学校に持ってきて飲むなんて、ほんと、あいつら馬鹿だよね」
「佳代子にお酒を勧めたのはもちろん冗談だよ。佳代子と一緒にお酒を飲むのは、あと三年間我慢するよ」
「ところで、お兄ちゃんは何を買ってきたの? 父の日のプレゼント」
ワインを兄に飲まれてしまいそうなので、何とかしてその仇をとろうとするかのように佳代子がいった。敏也がそんな気の利いたことをするはずはないと、佳代子だって分かっているのだ。
「敏也がプレゼント買ってくるなんて、誰も期待してないわよ」
私は助け舟を出したつもりでそういった。しかし敏也はそれを自分への軽い非難と受け取ったようだ。
「そういうお母さんは、お父さんへのプレゼントに何か買ったの?」
「買うわけないでしょ。だって、お父さんはお母さんのお父さんじゃないもの」
「あっ、そうか」
敏也がそういうのを聞いて、みんなで笑った。男の子は女の子に比べていつまでたっても子供なんだな、私はそう思った。
Ⅴ
子供たちがそれぞれ二階の自分の部屋に入ってしまうと、直美と春夫は二人で居間のテーブルに座った。直美は春夫と自分の二人分のお茶を淹れた。二人は正面に向き合って座るのでもなく、並んで座るのでもなく、無意識のうちにテーブルの一つの角を挟むようにして座った。これだと相手の顔を真正面から見ることにはならず、互いに相手の横顔を見ながら思ったことを気軽に話すことができるということを知っていた。
「佳代子のことは笑い話でよかったわね。私、佳代子のことを勝手に誤解して心配してた」
「そうだな。子供がいるといろいろ心配の種は尽きないけど、いないと寂しいだろうなあ」
その子供たちはもう、自分たちから半分以上離れてしまっている、春夫はそう思ったがそれはいわなかった。
「そうね。ところでね……」
佳代子の心配事がなくなった途端、直美は急に由梨絵のことを夫に聞いてもらいたい気がした。
「私の友達で由梨絵さんって、覚えてる?」
「ああ、高校生のころの友達だろ。奈良に住んでいた頃に一度遊びに来たよね。名前のユリを採ってリリーさんだっけ」
「そう」
「それと、あの時来たもう一人の友達がアンナさん、それで君がキャシーだったよね」
「そうそう、よく覚えてるわねえ」
「だって、さんざん聞かされたもの、高校生の頃のことを。三人で学校から帰る途中に鯛焼やソフトクリームを買って、公園で食べながらクラスの男の子の噂をしてたって話とか……」
「そうよ。高校生は色気と食い気なのよ。佳代子も今にきっとそうなるわよ。あなた、心配でしょ?」
直美はそういって声を立てて笑った。
「宿題を三人で分担して済ませてノートを写しあってたら、それが先生にばれて怒られた」
「うん、そんなことも確かにあった」
「修学旅行のとき、三人でキャンディーズの物まねをやったんだったよね?」
「そうなの、そうなの。ほんと、馬鹿なことばっかり……」
直美はそういって笑いながら、でも言葉の最期の辺りで視界が涙で少しにじんだ。
「でも……、もう三十年以上も昔のことなのよね」
直美はそれからちょっと視線を床に向けて、でも次の言葉は決心したようにはっきりといえた。
「由梨絵が入院してるの。彼女、死ぬかもしれないのよ」
そして直美は手紙を取り出して春夫に見せた。
「どうしたらいいと思う? もしあなたの友達が同じ立場だったらどうする?」
「そうだなあ……」
春夫は何度か手紙を読み直して、最後にいった。
「ともかく先ず見舞いに行くだろうな」
直美は、佳代子のことで電話をしたらすぐに春夫が飛んで帰ってきたことを思い出した。夫はそういう人なんだと直美は思った。
「明日はどうだい。佳代子の送り迎えの予定もないんだろ」
「ええ、そうだけど」
「じゃあ先ず光子さんに電話だ。それで、由梨絵さんのお見舞いに行ってよさそうか聞いてみようよ」
「そうね。それでね……、和明さんのことはどうすればいいと思う? 光子に電話するのなら、光子が手紙に書いてきたことになんて答えればいいのかなあ」
春夫はもう一度安野光子の手紙を読んだ。そこには、由梨絵のことを和明さんに黙っているのが辛いと書いてあった。
「由梨絵さんの病気のことを和明さんに打ち明けたいって光子さんが思うのは何故なのかな。それは、誰のためなんだろう」
春夫にそういわれて、直美は少し考え込んでからいった。
「そりゃあ、もちろん由梨絵のためなんでしょ。和明さんに由梨絵のことを話して、和明さんが由梨絵をお見舞いしてくれれば、由梨絵が勇気付けられるって思っているんでしょ」
「そうかな? それだけかな?」
「違うかなあ。じゃあ……、和明さんのためっていうこともあるかもしれないよね。このまま和明さんが由梨絵の病気のことを知らされず、取り返しのつかないことになってから初めて知ることになったら、和明さんが由梨絵と別れたことを後悔して苦しむかもしれないから」
「なるほど、そういう考え方もあるね。ほかには?」
「よくわかんないけど……、もしかしたら光子自身のためということもあるのかなあ?」
「どういうこと?」
「和明さんに自分の知ってしまったことを明かすことで、心の荷を降ろしたいのかも知れないわね。彼女の手紙にも確か、黙っているのが辛いっていうことが書いてあったよね」
「確かにそうだろうね……。秘密を明かさず黙っているということは大変なことなんだろうからなあ」
春夫はそういいながら渡邉専務のことを思い出した。専務は奈良工場が廃止されることを今年の一月まで春夫に黙っていた。春夫をバンコク工場の工場長候補だと考えていることを、これからも春夫に黙っているつもりらしい。そのことで春夫は渡邉専務に裏切られたように感じた。しかし、渡邉専務にしてみれば、春夫にすべてを話してしまうことの方がよほど気が楽なのかもしれない。それを秘密にすることで渡邉専務が守ろうとしているものは何なんだろう。春夫は専務が「自分の損得勘定ばかりしてるやつにろくな人間はいない」といったのを思い出した。それで、専務が守ろうとしたのは専務自身のことでは決してなく、会社の利益でさえなく、もしかしたら春夫自身の気持ちなのかもしれない、春夫はそう思った。
「それで、キャシーはどうなの? 君は誰のために悩んでるのかなあ?」
「私? わかんない……。もしかしたら、キャシー自身のためだったのかもね。それって、もしかしたら我が儘かなあ?」
「自分のことを中心にしか考えてなかったってこと?」
「そう。由梨絵のことを考えているようなつもりになってたけど、私、本当は自分が楽になりたいだけだったのかもしれない。自分のことしか考えていないうちは、きっと物事の本当の解決策は見えてこないんだよね」
「そうだね」
「今、一番つらい目に遭っているのは由梨絵なのよ。だからみんなで由梨絵のために悩まないといけないんだよね」
「なるほどね……。それじゃあ、今、和明さんに由梨絵さんの様子を伝えることは、由梨絵さんのためになるのかなあ」
「和明さんがお見舞いに来てくれたら、やっぱり由梨絵は喜ぶって思うけど」
「でも、和明さんに話をしても、彼がお見舞いに行こうとしなかったらどうなる。あるいは、和明さんが来てくれても、由梨絵さんがそのことを負担に感じたりしないかな」
「そんなことはないと思う。だってあの二人は喧嘩して、憎みあって別れた訳じゃないのよ」
「でも、別れたことは事実だろ。人の気持ちってものは、本人にしか分からないものだから。本人にだってさえ、自分の気持ちが分からないことがあるかもしれないよ。誰だって、自分が本当はどうしたかったのかってことを、後になってから気付くことがあるんじゃないか?」
しかも人が一番大事にしなければいけないのは、この人の気持ちという得体の知れぬものなのだ、そしてそのことが人と人の間の問題をいつもややこしくするのだと春夫は思った。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「どうすればいいかなんて、きっと、僕たちがいくら考えても答えは出ないよ。それは本人が考えるべきことなんだって思うなあ。先ずは由梨絵さん自身が、本当は自分が何を望んでいるのかってことを一人でよく考えないと。その上で、由梨絵さんがどうしてももう一度和明さんに会いたいって思うのなら、その時こそ君や安野さんは、他の誰のためでもなく由梨絵さんのために努力してあげなきゃ。そのときは仮に和明さんが由梨絵さんと会いたくないっていっても、頼み込んででも二人を会わせるべきなんだと僕は思うよ」
直美は春夫のいうことを正しいと思った。
「それで……、明日のお見舞いだけど、もし君が嫌じゃなきゃ僕もいっしょに行くよ。どうせ奈良に帰る途中なんだから。敏也といっしょにワインを飲むのはまた今度だな」
長く会っていない友人に会うこと、しかもその友人が自分とは程遠い境遇の中で苦しんでいることを思うと、どんな言葉を掛ければ良いかさえ思い浮かばず、直美は由梨絵に一人で会いに行くことが何となく不安だった。その気持ちを汲んでくれているかのように夫が一緒に行くといってくれたことは嬉しかった。
「ほんとに一緒に行ってくれる?」
「もちろん」
それから直美は安野光子に電話をした。手紙は改まった言葉で書かれていたが、電話では二人はお互いをいつのまにか愛称で呼び合っていた。
「私、明日リリーのお見舞いに行きたいんだけど大丈夫かなあ。主人もいっしょなんだけど」
「大丈夫だと思うよ。じゃあ、私も一緒に行くから、静岡駅で待ち合わせない?」
「分かった。何時頃に行けばいい?」
「病院の面会時間は十一時からなの。病院には静岡駅から車で三〇分ちょっとで行けるだろうから、そうね、十時半に静岡駅の南口改札で待ち合わせっていうのはどう?」
「いいよ」
「それで……、お見舞いに行った後、キャシーは時間ある?」
「子供たちの晩御飯を作らないといけないから、そうねえ、三時くらいまでなら大丈夫だけど」
「そんなに遅くまででなくていいから、ちょっと相談に乗ってくれる?」
「相談って……、もしかして手紙に書いてあった和明さんのことね」
「うん」
「夫も一緒でいいかな? 私よりはずっと頼りになると思うけど」
「もちろんいいわよ。和明さんの気持ちなら、男の人の方がよく分かるかもしれないし」
次の朝、春夫と直美は東京駅に出て新幹線に乗った。窓の外は相変わらずの雨模様だった。列車が東京駅を出て品川駅を過ぎる辺りで、直美は春夫に尋ねた。
「ねえ、あなたはどうして私と一緒に由梨絵のお見舞いに行こうっていい出したの? 私が心細そうな顔をしてたから?」
「うーん……。一緒に行けばちょっとは何かの役に立てるかもしれないっていう気がしたからかなあ」
「役に立つって、私のための役に立つってこと?」
「どうかな。昨日君は、『自分のことしか考えていないうちは解決策は見えてこない、一番つらい目に遭っているのは由梨絵だから由梨絵のために悩まないといけない』っていったでしょ。あれを聞いて僕は本当に正しいことだと思ったよ。それで僕も一緒に悩めば、少しは問題の解決に役に立つのかなあって、そんな気になったんだよ」
「そうなんだ……。あなたって、いい人ね」
列車は徐々に加速していった。窓ガラスを幾筋も雨の雫が流れ下った。
待ち合わせ場所の静岡駅南口改札に、約束よりも十分早い十時二十分に春夫と直美は着いたが、安野光子はすでにそこに来て待っていた。
「久しぶりね。でも、昔とちっとも変わらないなあ」
「キャシーの方こそ」
「そんなことないって。私、高校を卒業した頃と比べれば、体重が十キロ以上も増えたのよ」
「そうなの? でも、それってきっと幸せ太りよ」
二人の会話を横で聞いていた春夫は、自分が結婚してから直美以上に急に太ったことを思い出した。そして、直美が結婚後すぐにではなく、むしろ子供を一人産む毎に太っていったことを思い出して、直美にとっての幸せは子供を産むことだったのかなあと考えてみたりした。
三人は駅の駐車場に停めてあった光子の車に乗って、小雨の中、由梨絵の入院している静岡中央病院に向かった。車を走らせながら光子はいった。
「この前私がリリーのお見舞いをしたときに、リリーは『もうすぐ詳しい検査結果がでる』っていってたわ。今日は多分、もう検査結果が出ているはずなの。リリーは主治医の先生に『検査の結果がどんなことであっても本当のことを教えてください』っていったらしいの。まあ、リリーは今は独り身なんで、主治医の先生も他に話せる家族がいないから、全てをリリーに話して相談しながら治療を進めるしかないんだろうけどね。だから、今日行ったら私たち、リリーの口から直に検査結果を聞くことになると思う」
赤信号で車が停まり、車の屋根を打つ雨の音とワイパーの音が聞こえた。由梨絵が検査結果を告げるその言葉になんと答えればよいか、直美は分からなかった。もし主治医の話す内容が最悪のものだったら、そしてそのことを由梨絵が主治医から包み隠さず全て聞いていたら、由梨絵は主治医から伝えられたことの全てを正直に私たちに話すだろうか。そして私たちが由梨絵から打ち明けられる不幸にせめて真剣に耳を傾けることで、由梨絵の苦痛は少しでも癒されるのだろうか。
もし由梨絵が本当のことを語ってくれるなら、自分は由梨絵の言葉を全てしっかりと受け止めてやらなければいけないだろう。それは、自分一人では重過ぎる役割だっただろう。でも今日は光子がいるし、夫も一緒に来てくれた。一人では背負いきれないほどの重い言葉も、三人ならば背負うことができるだろうと直美は思った。そして、きっと光子も、そして夫も同じ思いなのではないかと直美は考えた。
病院の駐車場に車を停め、病室に向かった。エレベータの中で三人は無言だった。三人は七階で降りて廊下を進んだ。
「七一一号室、……ここよ。六人部屋だからね。一番奥の左側。あれ?」
部屋を覗き込んだ光子が小さく声をあげた。
「どうしたの?」
直美が光子の視線の先を追うと、病室の一番奥のベッドの上で、由梨絵らしき人影が窓の方に顔を向けて横になっていた。そして彼女の顔が向けられた先には、一人の男性が折り畳み椅子に腰掛けて、由梨絵の顔を覗き込んでいた。すっかり白髪が増えてしまっているが、高橋和明だということが直美にもすぐに分かった。由梨絵と高橋和明は互いの顔を見つめ合って、何か熱心に話し込んでいるようだ。
直美と光子が部屋に入るのを躊躇していると、視界の端に二人の姿を捉えたらしく、和明がゆっくり顔を上げて二人の方を見た。そして表情を和らげて明るく声をかけた。
「やあ、安野さんこんにちは。それに、お隣は……」
同時に由梨絵が直美と光子の方を振り返り、その顔が驚きからすぐ笑顔に変わって、嬉しそうな声をあげた。
「えっ、キャシーなの? もしかして、わざわざ千葉からお見舞いに来てくれたの?」
「久しぶりよね。奈良に来てくれたときに会って以来よね」
直美はそう答えてから高橋和明に向いて挨拶した。
「お久しぶりです。西門直美です。それと、私の夫です」
「初めまして、西門春夫です」
由梨絵は想像していたよりずっと元気そうで明るかった。
「キャシーまで御見舞いに来てくれるなんて思ってもみなかったな。ありがとう」
「アンナから手紙をもらって、びっくりして飛んできたの」
「やだ、大げさな話になっちゃったね」
「大げさじゃなくて大変なことでしょ。でも、和明さんがいっしょにいてくれてるのを見て少し安心したけど」
「それが、実はそれほど大変じゃなかったのよ。もう済んじゃったの。問題はほとんど解決よ」
「どういうこと?」
「検査結果が一昨日出たんですよ。大丈夫だったんですよ」
高橋和明が明るい声でいった。
「悪性じゃなかったって。腫瘍であることは間違いないけど良性のもので、できている場所も奥のほうじゃなくて頭蓋骨のすぐ下だから手術できれいに取れるって」
高橋和明の言葉に繋げるように、由梨絵もいかにも晴れ晴れとした表情でそういった。
「リリー、それって主治医の先生から自分で聞いたの?」
思わず直美はそう尋ねた。
「そうよ。それにね、和明さんからも聞いてもらったの。この人、『先生が本人には本当のことを隠すなんてことはないだろうか』って心配するものだから。昔はともかく、今はそんなこと絶対にないって私はいったんだけど。それでね、この人、先生から説明を受けるために私と再婚までしてくれたのよ」
「それって、どういうことなの?」
由梨絵が説明したところによると、一昨日の午後、和明は主治医を病院の廊下で捉まえて由梨絵の病状を説明して欲しいとお願いしたらしい。しかし先生から「患者さんとはどのようなご関係ですか」と質問され、「元の夫です」と和明が正直に答えたところ、「今は他人ということでしたら、お教えできません」と冷たくいわれてしまったらしい。それで、昨日の午前中に婚姻届の用紙を持ってきて由梨絵にサインをしてもらい、午後に市役所に提出して、今朝改めて先生に御願いして説明してもらったというのだ。
「だから、結局私たち、約四ヶ月だけの離婚だったのよ」
「そうだったの? じゃあ、ほんのちょっと離れて暮らしただけじゃない。そんなのが離婚なら、私たち、もう八ヶ月も実質的な離婚状態だよ」
そういって直美は笑った。
「それで、具合はどうなの?」
「いくら良性っていってもできた場所が場所だから。神経が圧迫されて手足が麻痺しているんだって。でも、手術すれば完全に治せるって。一週間後に手術して、その後も暫くはリハビリをしなきゃいけないらしいけど、私、絶対に頑張るからね」
そういいながら由梨絵は和明の方を見た。和明は「頑張れよ」というように由梨絵の目を見詰め返した。
「実は私、和明さんにリリーの入院のことをいうべきかどうか迷ってたんだ。いつもお店の前を通るでしょ。私がいわなきゃ、他に教えてあげる人がいないんじゃないかって心配してね。でも、いわなくても分かるのね。以心伝心、テレパシーなのかしら?」と、安野光子がいった。
「いいえ、まさかそんなことはないですよ。でも、彼女の家の前を通ると部屋の明かりがいつも消えてるんで、おかしいって思って。それで、携帯に電話してみたら入院してるっていうもんだから」
「なんだ、そういうこと? でも、部屋の明かりがいつも消えてたっていうことは、しょっちゅうリリーの家まで様子を見に行って辺りをうろうろしてたってことでしょ?」
「そんないい方されるとまるで自分がストーカーか何かみたいだけど……、実はそのとおりなんです」
和明は照れながらそういった。
「それにリリーも、私には『和明さんに絶対いわないで』なんていってたくせに、和明さんから電話が掛かってきたら入院してることすぐ話しちゃったんだ?」
光子がちょっと意地悪そうにそういうと、由梨絵は、
「何だか私も、電話を待ってたみたい。別れた人だなんてこと全然忘れちゃって、『すぐお見舞いに来て』なんていっちゃった」
と、もう平然とした顔でいってのけた。
「もう、いったい私の心配は何だったの? 私、キャシーまで巻き込んじゃったのに」
と光子がいうと、直美は、
「でも、巻き込まれて、今日はこうやってみんなで会えて本当に良かった。キャンディーズみたいに一人欠けちゃうと悲しいもん。元気そうで良かったよ。お大事にして早く治してね。これ以上新婚さんの邪魔をしちゃ悪いから、私たちそろそろ失礼するね」
といった。直美のその言葉で、三人は病室を出ることにした。
由梨絵と和明は三人に礼をいった。和明は椅子から立ち上がって病室の入り口まで三人を見送りに出た。病室の入り口のネームプレートに安野光子が気付いた。
「名札が変わってる。この前来たときには中島由梨絵だったのに」
そういわれて春夫と直美がドアの横の六人の名前が並んだプレートを見ると、そこには「高橋由梨絵」の文字が太めのフェルトペンで黒々と書いてあった。その文字を見て春夫と直美は、由梨絵の病気が絶対に治るだろう、そして二人が別れるということは金輪際ないだろうと確信した。
三人はそれから、駅前のレストランでいっしょにお昼御飯を食べた。
「由梨絵と和明さん、元の鞘に納まってよかったね」
と光子がいった。
「人騒がせだったけどね。でも、私にはそもそもどうして二人が別れる気になったのかが理解できないなあ」
直美がそういうと、春夫が突然、
「僕は静電気の実験みたいだと思った」
といった。
「なんなの、それ?」
直美は夫のいうことの意味が分からず聞き返した。
「子供の頃、静電気で遊んだことないかな。プラスチックの下敷きや定規をセーターで擦って頭の上にかざすと、静電気で髪が引き寄せられるだろ。あれはプラスとマイナスの電荷が引き合うからなんだよね。でもね、物の組合せややり方によってはプラス同士とか、マイナス同士の電荷が溜まって、逆に反発しあうことがあるんだ」
「ふうん……、よく分かんないけど、それで?」と、直美は怪訝そうな顔をしていった。
「これは物自体が引き合ったり反発しあったりしてるんじゃない。物が帯びている電荷が引き合ったり反発しあったりするんだよ。男女が引き合ったり離れたりするのもこれと同じ原理だなって思ったんだ。例えば自分の恋人が全く自分と同じようなことを考え、好みも癖も自分と同じだと知ったら、恋人に魅力を感じ続けられる人なんていないんじゃないだろうか。あまりにも似たもの同士になると引き合う力が働かなくなるんじゃないかなって思った」
直美も光子も春夫の話に感心し、頷きながら黙って続きを聞いた。
「それに、もともとプラスとマイナス、つまり異質だから引き合っていたもの同士でも、結婚して同じ生活を続けているうちに、互いに似たもの同士になって、いってみれば同じ電荷を帯びているみたいになって引き合う力が弱まるんじゃないかな。由梨絵さんと和明さんも昔から仲が良かったんだろうけど、長く一緒に暮らすうちに同じ種類の電荷が溜まって、いわばプラスとプラスになっちゃって、とうとう引き合う力が反発する力に負けてしまったんだね。でも、離れ離れになって二人が違う経験をし始めたら、また違う電荷を帯びるようになって引き合い始めたんだよ、きっと」
「分かる気がする。私たちも気をつけないといけないね」
直美は春夫の顔を見ていった。
「そうだね。じゃあ、君と同じ電荷を貯め込まないよう、そろそろ僕は先に奈良に帰るよ。君は由梨絵さんとゆっくりお話して、昔のことを思い出して僕と違う種類の電荷をしっかり蓄えておいてね」
そういって、春夫は伝票をつかむと席を立った。
春夫が店を出てから、安野光子は、
「素敵なご主人ね」
といった。
「そうかしら?」
「だって、直美のことを心配してわざわざ静岡まで付いてきてくれるし、自分の出番が終わったと思ったら、あとはさっさと私に直美を貸してくれるし。ほんとに気が利くじゃない」
「そうかな。そうかもしれないわね。それに昔はもうちょっとカッコもよかったんだけど、最近は太り気味でだめね。でも、頼りにはなるわよ」
「何だか今日は、あてられてばっかり……」
安野光子はそういって、ため息を小さく一つついた。
Ⅵ
春夫が由梨絵を見舞ってから奈良に戻った日の翌日、春夫のところに渡邉専務から電話があった。
「西門君、工場廃止の話は誰にもいってないだろうな」
「はい」
つい先日、愛知工場次長の古川と工場廃止のことで情報交換をしたことがあったことを思い出しながらも、春夫はそう返事した。
「そうか。約束を守ってくれて有難う。ところでだ、あの話は暫く延期になったよ。総会前に公表するという話もなくなった」
突然の専務の言葉に春夫は訳が分からないと思いながら、それでも少しほっとして、
「そうなんですか」
とだけ答えた。
「悪かったな、いろいろ心配させて。今となって思えば、工場が廃止されるなんて君にいわない方が本当は良かったのかもしれないが、それでは奈良工場の責任者である君に対する仁義を欠くことになると思って一月の段階で話をしてしまった。申し訳ないことをしたな」
専務が仁義などという言葉を使うことが、春夫にはおかしかった。
「いいえ、話していただいて有り難かったです。それで、延期というのはいつまでなんですか」
「何ともいえない。一年先延ばしになるか、もっと先か……。まあ、何れにせよいつかはやらなければいけないことであることは確かだ」
「でも、どうして延期になったんですか」
「まあ、いろいろあってな。それで、急で申し訳ないんだが、明日、こっちに顔を出して欲しいんだ。君に御願いしたいことができた。工場廃止が延期になったいきさつもそのとききっちり説明するよ」
専務から御願いしたいことがあるから顔を出すようになどといわれるなんて初めてのことだった。いったい何事だろうかと春夫は訝った。
次の日の午前十時に、新宿にある本社ビル五階の渡邉専務の部屋を春夫は訪れた。
「まあ、そこに座ってくれ。奈良工場を廃止するとか廃止は延期になったとか、ややこしいことを次々いって本当に申し訳なかったな」
他にも予定が詰まっているのだろう。専務は春夫に応接用のソファに座るよう勧めてから、すぐに本題に入った。
「君には以前話したと思うけど、奈良工場を閉鎖するという構想は三年ほど前からあったんだよ。最初の構想は、全国五ヶ所にある工場のうち、特に老朽化が進んでいる愛知工場と奈良工場を統合して、どこかに新しい工場を建設しようっていうものだった。高齢化や人口減少で食品の需要は昔に比べて低下し続けているし、特にうちの場合、京阪神地方の売れ行きの落ち込みが激しいので、奈良工場と名古屋港にある今の愛知工場を共に閉鎖して、すこし規模を小さくした新愛知工場を豊橋港に建設するという構想だった。工場だけじゃなく、本社側も業務部の組織を縮小して合理化しようという計画だった。俺はそのリストラ構想の実行部隊の元締めという役回りになったんだけど、どうしても職員の首を切ることになるし、あんまり気の進む仕事ではないよ。でもこれをやらなければ経営が行き詰ることも目に見えていたから、恨まれてもやらなきゃいけない仕事であることは間違いなかった」
「でも、新工場を今までより小さな規模にするとなると、スケールメリットが活かせなくなって、ますます経営的にうまくないんではないですか?」
「そうなんだ、そこが問題だった。それで、いっそのこと新愛知工場は建てずに、その分を別の会社にアウトソーシング、つまり外部委託してはどうかっていう話が持ち上がった。実はそれが例のサンユウ食品との連携構想になった訳だ」
「そうだったんですか」
「でもこの話は先方と条件が折り合わず、うまく纏まらなかった。それで次に持ち上がったのが、生産拠点を海外に移すという案だ。実はこの案をいい出したのはなあ……」
そういいながら専務は右手を握り拳にして親指だけを立てて顔の横に上げて、その指で自分の後方を指した。専務が座っている場所の後は壁で、その向こうは社長室だった。それでその案の発案者が社長自身であることが春夫にも分かった。そして、いつもは口の固い専務が、今日に限ってなぜこのような裏の事情までも残さず自分に話して聞かせるのだろうかと不審に思った。
「でもこの案は話が全然前に進まなかったよ。製品への信頼性やブランドイメージが損なわれることを危惧する声が最初から役員や大口株主の間にあったし、外国の政治情勢とか、その他いろんな外的要因で経営が左右されるのも怖いからなあ。俺もこの案は無理があると最初から思っていた。いっちゃあ悪いけど、トップが思いつきで物をいうようじゃだめなんだよな。そうこうするうち、今年に入ってからのタイのクーデター騒ぎや中国での残留農薬問題があって、海外に拠点を移すなんてとんでもないっていうことになり、この話は立ち消えだよ。それで全てが振り出しに戻ってしまったって訳だ」
春夫は専務からの話を聞いて、これまで専務がいろいろな難しい調整に走り回りながら、部下にはできるだけ負担を掛けまいとして秘密や悩みを全て自分一人で引き受けてくれていたんだということに気が付いた。
「そうなんですか。専務がそんなに苦労されているとは知りませんでした」
「それで、これからが本題なんだが……」と、そこで専務は春夫の顔をもう一度真っ直ぐに見てからその先の話を続けた。
「君には企画部長として本社に戻ってもらいたい。それで、会社の改革策をもう一度最初から練り直すのを手伝ってもらいたいんだ。これまで回り道してしまったので急がなければいけない」
企画部長は会社の経営戦略を取り仕切る、重要ポストだった。
「私が企画部長ですか?」
「不満かい?」
「そういう訳じゃないですが、でも驚きました。私は本社から工場長で出たら後は何ヶ所か工場を回って退職か、本社に戻されるとしても窓際だと思っていましたから」
「君には奈良工場を廃止するという特命で行ってもらっていたんだよ。でもその計画が延期になって、とりあえず君が今の場所にいる必要はなくなったから、本社に戻ってもらいたいっていうことだ」
「しかし、そうなると奈良工場はどうなるんですか?」
本社に戻れといわれて、春夫の頭を奈良工場で働く部下たちの顔がよぎった。
「昨日いったとおり、奈良工場の廃止は暫くお預けだよ。それに奈良工場長の後任にはしかるべき人を充てるから、工場の運営は心配せずにその後任に任せればいい。本社に戻れば本社の部長という立場で、奈良工場をどうすべきかを含めていろいろと考えることもできる。でも奈良工場におかしな思い入れは持つなよ、失敗するからな」
専務はそういって春夫の目をしっかり見た。
「それで、君には企画部長として会社全体のリストラを進めてもらいたいんだ。リストラっていう言葉は、本来は構造改革っていうことだけど、なんだか職員解雇ばかりを連想させていやだよなあ。君にはそんな後ろ向きなことだけでなく、もっと前向きなことも考えてもらいたいんだ」
春夫は専務の眼差しを受け止め、ゆっくり頷いた。専務はそこで少しだけ表情を緩め、さらに話を続けた。
「実は、食品製造だけじゃなく流通販売部門にもう少し力を入れていこうというのが、経営側として現時点で検討している戦略なんだ。君がこの前にいっていた通りだ。物を作るだけじゃ買い叩かれる、流通や販売にまで手を広げればもっと利潤を上げられるはずだってことだ。流通販売部門をすこしでも拡大できれば、製造部門の縮小も抑えられるんじゃないか。あるいは製造部門を縮小するにしても、製造部門から流通販売部門に職員を振り替えることで雇用の場は確保できるんじゃないか。でも、この前も君と議論したとおり、今までの販売ルートも残しておく必要がある。じゃあどうするか? これまでスーパーやチェーンストアを使って販売してきた製品は従来の流通経路で引き続き販売しながら、今まで販売していた商品とは競合しないような種類の高級品を新ブランドとして製造し、直営店や通信販売といった会社独自の流通の仕組みを新たに立ち上げて販売すればいいんじゃないか。まあ、例えばこんなことを君のセンスで考えてくれればいい」
春夫は専務の話に少しの言葉も挟まず、しっかりと耳を傾け続けた。
「君には少しの間だけ本社から離れて、外から本社の仕事振りを眺めてもらったんだ。それでいろいろ気付くこともあっただろう。そういったことを今度は本社に戻って活かして欲しいんだ。今の橋本企画部長が新しく専務としてリストラの元締めになるから、君は彼の後任として企画部長になって、彼とコンビを組んで彼を支えて欲しいんだ。どうだ、引き受けてくれるな?」
そこで初めて、春夫が口を開いた。
「橋本部長が専務になられるって、それじゃあ渡邉専務はどうされるんですか?」
「俺か? 俺は退任だ。三年経ってもリストラは進まず、その不始末の責任を取るっていう訳だよ」
専務のその言葉で、今日に限って専務がこれまでの経緯をこと細かに自分に話してくれた理由が春夫にも分かった。これは専務から自分に対する業務の引継ぎだったんだ、そう春夫は理解した。それと同時に、専務が顧問か何かの肩書きでいいからこれからも会社役員に対して助言してくれることを期待した。
「不始末の責任を取るっておっしゃいますけど、専務の不始末じゃないじゃないですか。海外に生産拠点を移すなんて、リスクが高いってことは私にだって分かります。第一、専務が抜けられたらリストラがますます進められないと思います」
「いや、これでいいんだよ。今まで進めようとしていた方向が振り出しに戻ったんだから、責任者の首を挿げ替えて新しく取り組み直さなきゃ説明が付かないんだ。まあ、俺もいつまでも会社にしがみついているのはみっともないだろ……。そろそろ潮時だよ。後は全て君たちに任せる」
そういった専務の顔には、春夫が初めて見るような疲れの色が浮かんでいた。専務は、ごく当たり前の六十過ぎの男の顔をしていた。
「異動の時期はいつですか?」
「総会の翌日、つまり、二週間後だよ。しっかり頼むよ」
「申し訳ないですが……、一晩だけ考えさせていただいてもよろしいですか?」
「すぐOKかと思っていたが……」
「あまりに思いがけないお話だったもので……」
「そうか。じゃあ、必ず明日の午前中に電話をくれ」
「分かりました」
春夫がそういって席を立とうとすると、専務が引きとめた。
「もうちょっとだけ話をさせてくれ。君が企画部長を引き受けてくれたときのために、三つだけ俺からアドバイスしておきたかったんだ。アドバイスなんて、俺の柄じゃないんだけどな」
専務はそういって春夫の目をじっと見詰めた。その表情から、春夫は専務がとても大切なことをいおうとしているのだということを感じ取った。それで春夫は「はい」とだけ短く答えてしっかりうなずき、ソファに座り直した。
「先ず一つ目は、トップダウンは禁物だということだ。政治家などはすぐトップダウンをやりたがるし、一部のマスコミなどはそれをいいことのようにとらえる風潮があるが、俺は絶対に間違ってると思う。上の人間が下の事情を十分考慮しないまま、自分の考えであれこれと物事を進め始めたら現場はたまったものじゃないからな。上に行けば行くほど、部下の話はよく聞くべきだ」
春夫は専務が、先ほど壁の向こうの社長室を親指で指した姿を思い出した。
「組織は本当はボトムアップで動くべきものなんだ。ボトムアップで汲み上げられたたくさんのアイディアの中から一番いいものを選び出して、それを組織内に正確に示すこと、そしてそれを実行した結果についての責任は全て自分で引き受けることが本来のトップの仕事だと俺は思う。会社のピラミッドは上に行くほど細くなって、そこにあらゆる情報が集まってくるし、上の判断が会社全体を大きく動かすんだから当たり前だよな」
専務の言葉には経験に裏打ちされた説得力があった。
「どんなに頭のいい人間がしっかり考えても、一人の考えだけでする判断には、どうしても一割か二割くらいは、誤った判断が混ざるんだよ。組織にとってはその判断の誤りが致命傷となりかねない。だからボトムアップでたくさんの人間の考えを集約しなければいけない。それに、ボトムアップで組織として決めたことは組織のみんなが支えてくれるから、少々筋が悪くても結果的にうまくいくんだ」
そこで専務は一度言葉を区切った。春夫は黙ったままただしっかり頷いて、専務に「分かりました」という意思を伝えた。
「二つ目はぶれないということだ。まだ十分詰めきっていない途中段階のものを組織の方向性だと誤解されるような形で不用意に示したり、一度示したものをやたら引っ込めたりしてはいけないっていうことだ。つまり、決めるまではしっかり腹に納め、一度決めたらはっきりした形で方針を示すということだな。中途半端な情報は憶測や誤解を生み出して組織を混乱させ、酷いときにはモチベーションを損ないかねない。この点では、今回のことで君に対する俺の態度は落第だった」
春夫は今度も、専務の言葉に口は挟まずに黙って聞いた。上にいけば行くほど、いろんな人の話を聞かなければいけなくなる。一方で、物事が正式に決まるまでいろんなことを黙っていなければならなくなる。専務はこれまであちこちにアンテナを張ってたくさんの材料を集め、それらを十分吟味したうえでいろいろな判断をしてきたのだろう、そして最終的な判断をしてその結果を外に示すまでは、いろんな思いを自分の胸に秘めて口をつぐんできたのだろう。その心労は並大抵のものではなかっただろうと春夫は思った。
「間違ってもらってはいけないが、ぶれないということは、一度決めたことは後で間違いに気付いても改めないということとは全く別物だよ。そうじゃなくて、決めた後から間違いに気付くなんてことがないように、決めるまでに十分悩むということなんだ。そしてそれでも間違ったときには潔く間違いを認め、どんな理由でどのように方向を変えたのかということがはっきり分かる形で改めること、そして恐れず退却する勇気を持つということだ」
その言葉を聞いて春夫は、専務が辞めるのは会社の進む方向が変わることをみんなにはっきり示すためではないかと思った。そして専務が「俺をこれ以上引き止めないでいてくれ」といっているように感じて、痛々しく思った。
「それから三つ目は、大切な判断をするときに、目先の損得勘定なんか考えていちゃあいけない、それに、人の気を引こうなんてことも考えちゃいけないってことだ。大切な判断をする時は、何が正義かということだけを一生懸命考えるんだ。世の中にとって正しいことをしている限り、すぐには分かってもらえなくても、ちゃんといつかは理解され、みんなが味方になって助けてくれる」そういってから、専務は言葉を選ぶような口調で続けた。
「気をつけないといけないのは、世の中にとって正しいことと、世の中で多くの人に受け入れられることとは全く別ものだってことだ。たくさんの人間がよく考えもせずに気分だけで下す判断っていうのはとても恐ろしいと思うよ。ポピュリズムがまん延すると、民主主義だっておかしくなる。しかし一人一人の人間は、ひざを交えてちゃんと話し合えば、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると理解してくれるものなんだって俺は信じている。人間っていうのはたくさん集まるとおかしくなるけど、一人ずつだと結構真面目で、理想家で、向上心のあるものなんだよ。人間のそういった良さを是非とも信じて、汲み上げていかないといけないんだ」
春夫は愛知工場の古川次長に今から直ぐに電話をして、「専務は血も涙もない人ではなかったよ」といってやりたい気が無性にした。
専務の部屋を出てから、春夫は地下鉄丸の内線の新宿駅に向かった。歩きながら春夫は、自分がつい先ほど専務からの意向打診を何故その場で承諾しなかったんだろうかと思った。去年の十月に奈良工場への異動を命ぜられたとき、自分は不本意に思ったのではなかったのか。自分はもっと本社の中枢で仕事を続けたいと思ったのではなかったのか。本社の重要ポストである企画部長への異動は、決して悪い話ではないはずだ。しかし専務からいわれた話を受けるか否かは、自分だけの判断でその場で決めてしまっていいような簡単なことではないように思われたのだ。それで、地下鉄のプラットフォームのベンチに腰を下ろすと、春夫は携帯電話を取り出した。そして直美に電話を掛けた。直美とは一昨日の午後、静岡の駅前のレストランで別れたばかりだった。
「実は今、新宿にいるんだ。昼飯をいっしょに食べないか」
「どうしたの、急に」
「ちょっと話しておきたいことがあってね」
「もしかして……、この前電話でいってたこと? まさか深刻な話じゃあないんでしょうね」
あの時に比べて、状況は百八十度違ってきている。でもそんなことを電話で簡単に説明できるわけはなかった。
「人事異動の話だよ。別に深刻な話じゃないから安心して。でも、君にもよく聞いておいて欲しいことなんだ。詳しくは会ってから話すから」
「分かった。じゃあ、私、東京駅まで出るよ」
春夫は腕時計を見た。十一時を少し回ったところだった。直美が身支度を整える時間も考えれば一時間半は必要だろう。
「悪いなあ。それじゃあ午後一時に、八重洲中央口の改札で待ち合わせでいいかな。久しぶりにクオーレに行かないかい?」
クオーレというのは、何度か二人で行ったことのあるお気に入りのイタリア料理の店の名だった。クオーレというのはイタリア語で「心」という意味だと以前に春夫が教えてくれたことを、直美は思い出した。
「いいわよ」
八重洲中央口で落ち合ってから、春夫と直美は地下街を日本橋方面に少し歩いた。春夫が「この出口が一番近かったはずだよね」といいながら見上げた階段を、二人で地上へと上った。店は階段を出てすぐの所にあった。春夫は直美に傘を差しかけ、二人で店の入り口に向かって歩いた。
昼の一番混雑する時間帯を少し過ぎて、店は比較的空いていた。二人はテーブル席に向き合って座った。メニューをじっくり見て注文を済ませてから、春夫は話を始めた。
「今日の午前中、渡邉専務に呼ばれて本社に顔を出して来た。それで、専務から異動を打診されたんだ。七月に入ってすぐ、本社に戻ってくれっていわれた」
「そうなの? 急な話なのね……。でも、私はうれしいな。これで単身赴任は終わりで、また家から通えるってことなんでしょ?」
「でも、僕はちょっと複雑な気持ちなんだ」
「複雑な気持ちって、もしかしたらもう少し奈良にいたかったってことなの? 奈良工場に異動してまだ一年にもならないものね。あなた、奈良工場に転勤になるとき、『また本社に戻ると忙しいんだから、ゆっくりできるうちに楽しまないと』っていってたわよね」
「あの時ああいったのは、実は本心じゃなかったんだ。会社の組織はピラミッド型だろ、だから上に登っていくほど先細りになっていくんだ。ピラミッドの頂上まで上り詰めるのは限られた僅かな人だけで、それ以外はみんな途中で脱落していく。これまでの経験からすれば、五十歳を超えてから工場長で出るっていうのは、いってみれば脱落組なんだ。その後で本社に戻るとしても、そんなに忙しい部署に配属されることはないって思ってた。昨年十月に奈良工場への辞令を受けたときは、だから本当は少し不本意だったんだよ。これまで一生懸命仕事をしてきたのに、自分はこんなところで終わりなのか、自分に対する上の評価はこんなものだったのかって思ったよ。でも、行けといわれたからにはその先がたとえ行き止まりであることが分かっていても行かなければいけない、とも思った。そして自分より若い世代に本社のポストは明け渡すべきなんだって思ったんだ。それが会社の仕組みだからね」
「そうだったの。じゃあ、今度戻る本社のポストって、忙しくないところなのね」
「それが、実はそうじゃなかったんだ。いろんな経緯があったらしいんだけど、結果的には僕はまた、本社の要のポストに戻されるらしいんだ」
春夫は、一月に専務から奈良工場廃止の計画を聞いたこと、その後で自分がバンコクの工場に行かされるかもしれないという噂を耳にしたこと、今日になって専務からこれまでの経緯を聞かされたうえに、企画部長への異動を打診されたことなどを全て直美に正直に話した。
「あなたをバンコクの工場長に異動させるっていうのも、専務の考えだったのかしら?」
「それは分からない。そうかもしれないし、そもそもそんな話が本当にあったのかどうかだって分からないんだ。誰かが憶測で流した根も葉もない噂かもしれない」
「いろいろあったんだね。でも、結果的には企画部長として本社に戻れることになって良かったんじゃないのかなあ」
「でも、やっぱり少し複雑な気持ちなんだよ」
春夫は先ほどと同じ言葉をもう一度口にした。
「どうしてかなあ?」
「どうしてなのか、自分でもよく分からないんだ。奈良工場に行くとき、不本意だと思ったのは確かなんだ。それって、裏を返せば本社の中枢ポストでもっと頑張りたいということだったはずだよね。だから今回のことは喜ぶべきなんだ。でも、これでよかったのかなあって妙に心に引っかかるものがあるんだよ」そういって春夫は少し言葉を区切った。「奈良工場への異動は行き止まりの人事だと思っていた。だから奈良工場に異動したときは、これで自分は第一線から退いたんだ、後は後輩たちに任せるんだって、一生懸命自分自身にいい聞かせたんだと思う。なのに実はそうじゃなかった。だから戸惑っているんだと思う」
「何となく分かるな、その気持ち」と直美はいった。「でも、あなたが進んでいたのは行き止まりの道じゃなかったのよ。先に進むかどうかは、あなた自身が本当はどうしたかったのかってことをよく考えて、あなた自身が決めていいのよ」
家族で出かけた行き止まりの海の景色を春夫は思い浮かべた。海岸に沿ってさらにその先に続く一本の道をもしあの時みつけていたら、自分達はあの日あそこで留まったのか。それとも先に進んだだろうか。それはどちらが幸せなことだったんだろう。
店を出て、日本橋で少し買い物をしたいという直美と別れてから、春夫は東京駅の新幹線ホームに向かった。駅の時計はまだ三時を少し回っただけだった。まだ勤務時間中だなと思いながらも、春夫はキオスクで缶ビールを買って新幹線に乗り込んだ。
新幹線がゆっくりと動き始めたとき、春夫はビールの缶を開けた。
「先週末からいろんなことがあったな」
そう思いながら春夫は自分に全てを打ち明け終わったときの今朝の専務の顔を思い浮かべた。専務は疲れた顔をしていたなと思った。すると、専務が春夫に向かっていった最後の言葉が思い出された。
「大切な判断をするときは、世の中から見て何が正義かを考えるんだ」
専務は確かそういった。春夫は窓の外の景色に目を向けて、ビールの缶を口に運んだ。列車は品川駅を過ぎるところだった。雨の雫がいくつも、ガラス窓を伝って流れた。そのとき、春夫はこの景色をほんの二日前にも見たことを思い出した。
「自分のことしか考えていないうちは、本当の解決策は見えてこないよね」今度は不意に、直美の言葉が頭をよぎった。
「そうだよな」
春夫は思わずはっきり声に出してそういった。斜め前の席に座っている若者が怪訝そうにちらりと春夫のほうを振り返った。自分にはまだやれることがある、与えられた役割は果たすべきなんだ、もうあと少し頑張ってみようと春夫は思った。そう思った途端、春夫は専務に企画部長への異動を打診された時点で、自分のその気持ちは既に固まっていたんだという気がした。
その夜、春夫は社宅に戻ってから直美に電話をした。
「今日は話を聞いてくれて有難う。明日の朝、専務に電話をして、本社への異動の話を受けることにするよ」
「分かった。あなたが家に帰ってきてくれたら私は嬉しいし、佳代子もきっと喜ぶと思うわ」
「一昨日、由梨絵さんと和明さんが仲良くしている姿を見て、良かったなあって思ったよ。僕たちも今は離れて暮らしてるけど、少し離れてみるっていうのもいいことだったのかもしれないね。離れて暮らすことで気付いたこともあったような気がする」
「そうね。でもあと二週間ね」
「そうだよ、あと二週間だよ」
「それで、梅雨が明けてから一緒に奈良に旅行しない? いくら本社の仕事が忙しいからって、夏休みくらいは取れるんでしょ。佳代子がもし行きたいっていうなら、一緒に連れて行きたいんだけどどうかな?」
「夏休みは必ず取るよ。佳代子は奈良は初めてだろ、ぜひ連れていこうよ。博や敏也にも連絡して、みんなで行けるときに一緒に行こう。昔みたいに歩いてだとあちこち回れないだろうから、レンタカーを借りて回ってもいいよ」
春夫は奈良に「来る」のではなく「行く」といっていることが何だかおかしかった。奈良は行くところであっても帰ってくるところではなかった。自分が帰る場所は、やはり千葉の自宅だったんだと思った。
「いいえ、歩きましょうよ。歩いて回らないと見えないものがあるから」
「あの頃みたいに歩けるかなあ」
「心配しないで。きっと、まだまだ歩けるよ」
歩ける限り前を向いて歩き続けよう、そして一緒に歩いてくれる人がいる限り、自分は幸せなんだと直美は思った。
「雨は止んだかな?」と春夫はいった。
「いいえ、まだ降ってるわよ。でももう大丈夫よ」直美は答えた。
千葉の家の窓の外はいつのまにか霧のような雨に変わっていた。庭の奥では直美が気付かないうちに、ル・レーブの一つ目の花が開き始めていた。アスチルベの蕾の赤も一段と濃くなったようだ。降り続ける雨はそれらのすべてを包んでいる。雨はまるで追憶のように降り続く。電話で話をする二人の、それぞれが住まう屋根や壁を濡らしながら。柔らかく、静かに、いつまでも……。
キャシーの歌