茶店の謎(6) ケチな医者
++++人の目を盗んでこそこそするタチは、この歳になっても変わらず、会社の経営に良く生かされている。
6. ケチな医者
そんな私の道草癖を知っていて、真っ直ぐに帰ってこいと母親は毎日口うるさく言ったが、寺の境内も含めて道は元々折れ曲がっていたのだから、無理な注文である。
学校の帰りに、須磨寺商店街の中ほどにある開業医へ、寄らなければならなかった。体の弱かった私は、週に一度定期的にカルシウムとビタミン入りの注射を打って貰う為である。校医にそう指示された為か、結託した開業医の口に騙されたか、透明な注射薬がてっきり子供の体を丈夫にするものと、親はそんな迷信を信じていた。
こっちにすれば迷惑な話で、腕に刺される針の痛さで毎回ベソをかいた。これが嫌さに、注射の日は医院へ寄るまでの道を、普段より一層ぐずぐず道草を食って、親に小気味の好い仕返しをした。
注射をするのは年寄りの医者。注射薬が入った小指位の細長いアンプル(=ガラス管)を紙箱から大事そうに一本取り出し、必ず先端を指で軽くピンピンと弾く。金の有りそうな医者のくせにケチで、ひとしずくでも残すのは、もったいないという了見だ。
アンプルのくびれた部分にハート型をした石ヤスリを当ててこする。こうして先端部を折り取り、注射針を差し込んで中身を吸わせる。折った拍子にガラスの破片やヤスリの粉が、注射薬の中に一緒に混じらないかと私はひやひやした。これが心配で、医者の乱暴な所作から目が離せなかった。
何時も同じ所に注射を打ち続けると、腕の皮が固くなって針が刺さらなくなる。医者はもっともらしいそんな理由を付けて、私の左右の腕を週毎に変えた。これが私には難儀であった。何故なら第一に、左腕はさほどではないのに、右腕は何故か針がグサッと乱暴に突き刺さる感じがして、痛さで全身がブルッと震撼する。
もっとも私の方でも心得たもので、「今日は痛い方の右手だ、右手だ、ソレッ痛いぞ、痛いぞ!」と、心中密かにはやし立てて痛さを増幅しておく。針がグサッと来た途端に、「ああ、やっぱり、死ぬほど痛い!」と、余計に大袈裟なベソをかいた。
痛さをこのように事前に増幅しておくのには、後で余得があったからだ:「あんなに死ぬほど痛かったのに、死ななくて良かったあ!」と、そう思って毎回ホッとして歓びに浸る。子供の時分から、何処かマゾ的な嗜好があったらしい。
つづく 明日
茶店の謎(6) ケチな医者